韓半島南部「弧背弧刃 系」石庖丁の形態学的研究

渡来人は「なぜ」「どのように」「どこから」来たの
か?
-水稲農耕開始期の日韓交渉をめぐる諸問題-
端野 晋平(太宰府市教育委員会)
は じ め に
日本社会の基層をなす稲作農耕は、韓半島南部から伝来し、結果として弥生時代が開始される。そして、その背後に渡来人の
一定の関与があったことは間違いない。しかし、稲作農耕をもたらした渡来人の故地、要因・メカニズムについては異論や未解
明な点が多い。そこで本発表では、これまでの演者の研究とそれにかかわる研究を整理することによって、今後、取り組むべき
課題を鮮明とし、それらを解決するための方法を提示する。
渡来人の故地をめぐる諸説
表1
渡来人の故地をめぐる諸説
著者( 発表年)
西谷正( 1980)
下條信行( 1988)
考古学的論拠
文化要素あ る いは渡来人の故地 要素の扱い方
支石墓の分布密度
全羅南道
単独
石庖丁の計測値
全羅道?慶尚道?両者の融合?
-
ナス ビ 文土器+丹塗磨研土器+孔列
下條信行( 1995) *
慶尚南道
複合
土器+瘤状把手付甕の分布
黒川式期: 孔列土器の分布+短斜線
慶尚南道西部
文土器の不在
安在皓( 1992)
複合
夜臼式期: 松菊里型住居の型式+石
慶尚南道
庖丁の型式
家根祥多( 1997)
土器文様+松菊里型住居の型式
全羅南道東部から 慶尚南道西部
複合
李弘鐘( 2002)
松菊里型住居の型式
慶尚南道
単独
支石墓の型式・ 上石の類似度+松菊
端野晋平( 2003)
里型住居+石庖丁+丹塗磨研壺( 頸
部横研磨)
南江流域圏
複合
端野晋平( 2006a) 丹塗磨研壺の型式組成
端野晋平( 2006b) 石庖丁の属性の組成
端野ほか( 2006) **松菊里型住居の型式組成
地上式支石墓→方形周溝墓
全羅南道西部
中村大介( 2004)
単独
磨製石剣の型式
全羅南道西部
把手付甕
蔚山地域
* 金関・ 弥生博( 1995) の中での発言。
** 埋蔵文化財研究集会の総合討論における 小澤佳憲氏と の議論によ る ( 2006年8 月27日) 。
候補地1
候補地2
候補地3
候補地1
A+D+E A+C+E A+B+C
複数要素重視型
候補地2
ADE
候補地3
ACE
ABC
受容地
受容地
A+B+C
ABC
単一要素重視型
図1 「複数要素重視型」と「単一要素重視型」の模式図
A・B・C・D・Eは文化要素、矢印の濃淡は想定される故地の可能性の度合いを示す。
仮に文化要素Aの故地を推定する場合、両者の間で評価が異なることに注意。
渡来人の故地の違いは、文化要素の伝播現象に対する考え方の違いに起因する(表1)。そして、これによれば、二つ以上の文
化要素の重ね合わせにより故地を想定する「複数要素重視型」と、一つの文化要素のみに着目し、他の要素との関係は問わない
「単一要素重視型」の二者に分類できる(図1)。これらの例の対比により指摘できる、「単一要素重視型」の問題点は、必然的
により遠い故地を求めたり、多元論になったりすることである。また、「単一要素重視型」は、地域間の交渉を評価するにあたっ
て、一つでも類似した要素があれば、とにかく地域間に交渉があった“可能性”を主張する。これは結果として、地域間交流の度
合いを平均化することにもつながっている。一方、演者がこれまで用いてきた方法は、「複数要素重視型」にあたり、複数文化要
素の重なりや文化要素の型式組成の類似度を検討することにより、伝播の蓋然性を高めることを意図したものである。
渡来の要因とメカニズム
表2
渡来の要因をめぐる諸説
渡来の要因については、多くは中国大陸における政治的動乱に結びつけられ、
気候変動を要因とする説はあっても、韓半島における考古学的事象をふまえた
ものはない(表2)。演者は、韓半島南部における、はじめての本格的な農耕
文化、松菊里文化の発生・拡散・変容の過程を示した(図2)。そして、これ
をふまえ、花粉分析(安田1992;崔基龍2002)や湖沼の年縞堆積物の研究(福
澤1995)、砂丘の形成(甲元2004)にもとづき、稲作農耕伝播の引き金を気候
の寒冷化に求め、その背後にあるメカニズムについてのモデル構築を試みた
(端野2006b)。それは次のとおりである。「韓半島南部忠清道地方において、
無文土器時代の終わりごろ(紀元前10世紀ごろ)、気候の寒冷化により、農業
生産力が著しく低下する。これに対する適応戦略として、松菊里文化の発生と
ともに、当該地域から全羅道や慶尚道のような南方地域への人口の分散が行わ
れる。松菊里文化をたずさえた人口の一部は南江流域にも到達する。南江流域
において、移住民と無文土器時代前期以来の在来の住民は、いったんそこで共
住を行うが、移住によって増加した当該地域内の人口は、環境収容力を超え、
さらに九州北部への移住を引き起こす。一方、全羅道地方では無文土器時代前
期においてはほぼ空白地帯であるため、移住民が流入しても地域内の人口が環
境収容力を超えず、他地域への移住を促すことは少なかった。」
図2 石庖丁からみた松菊里文化の発生・拡散・変容の過程
要因によ る 類型
著者( 発表年)
岡雅雄( 1958)
渡来人の故地
中国江南地方
小野忠凞( 1980) * 韓半島南部
政治的動乱説
樋口隆康( 1971)
中国江南地方
森貞次郎( 1968)
韓半島南部
春成秀爾( 1990)
韓半島南部
要因
呉・ 越の動乱
<動因>文化落差。 周末漢初の動乱の外延的
波動
<誘因>気候冷涼化。 水田可耕地の形成。 西
日本縄文晩期の採集経済・ 原始農耕への傾斜
秦・ 漢帝国の南方伸張
遼東半島への燕の政治進出にと も なう 民族移
動の余波
東胡の一部が西北朝鮮ま で進入。 半島内で武
力闘争が頻発
気候寒冷化( 殷周革命や春秋戦国時代の動
乱)
*動因を 基準と し て類型化する と 、 政治的動乱型にあ たる 。
気候変動説
安田喜憲( 1992)
大陸
モデルの洗練と検証にむけて
しかし、①気候の「寒冷化」の具体的な内容。発動時期・期間・程度の問
題、②韓半島南部における水稲農耕の開始時期の問題、③より細かな故地の
問題(南江流域から泗川・金海のいずれを抜けるルートか?)、④移住の規
模や回数の問題、⑤無文土器時代前期から存在した日本列島への情報伝達
ネットワークの評価などの課題を残している。そしてなにより、自然環境や
社会関係を含めた外部環境に対する人類の適応という観点からの検証が欠落
していることに大きな問題がある。そこで現在は、これまでおこなってきた
属性分析・セリエーション分析・統計学的方法による物質文化の分布状況の
検討に加え、胎土分析による土器の産地推定、古環境データによる気候変動
の検討、セトルメント=パターン・遺跡立地・石器組成・栽培植物遺存体の
検討によって、これらの課題を解決しようと取り組んでいる(図3)。
研究方法
研究内容
属性分析、セリエーション分析、統計学的
方法による物質文化の分布に対する検討
物質文化の起源・拡散・変容過程
胎土分析による土器の産地推定
渡来人(移住民)の故地
古環境データによる気候変動の検討
気候変動(寒冷化)の実態
仮説構築
稲作農耕伝播のメカニズム
検 証
セトルメント=パターン・遺跡立地
・石器組成・栽培植物遺存体の検討
図3
外部環境に対する人類の適応過程
稲作農耕伝播メカニズムのモデル構築と検証
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