第1章 計画の概要について - 松江市

第1章 計画の概要
1.計画の作成
(1) 計画作成年月日
平成 26 年(2014)3 月
(2) 計画作成者
松江市
2.文化財の名称等
(1)重要文化財建造物の名称
1)官報告示の名称及び員数
松江城天守
一棟
2)指定年月日
昭和 10 年(1935)5 月 13 日
国宝保存法に基づき国宝に指定される。(昭和 10 年文部省告示第 194 号)
昭和 25 年(1950)8 月 29 日
文化財保護法に基づく経過規程により重要文化財となる。
(2)構造及び形式
四重五階天守、地下一階付、本瓦葺、前面附櫓、一重、本瓦葺
(3)所有者の氏名及び住所
所有者氏名:松江市
所有者住所:島根県松江市末次町 86
(4) 管理の体制
管理の体制は表 1-1 に示す通りである。
1
表 1-1 管理体制の一覧
業務分担
担当部課
日常管理全般
松江市産業観光部観光施設課(電話:0852—55-5699)
来訪者対応等
【指定管理者】NPO 法人松江ツーリズム研究会
(電話:松江城山公園管理事務所 0852-21-4030)
文化財保護関連
松江市教育委員会文化財課文化財係(電話:0852—55-5523)
城郭の研究
松江市教育委員会文化財課史料編纂室(電話:0852—55-5388)
3.文化財の概要
(1) 文化財の構成
1)計画の対象となる文化財
重要文化財(建造物)松江城天守 1棟
2)一体となって価値を形成する物件
国指定史跡松江城
一ノ門
一ノ門東側多聞(再建にあたり、昭和 25~30 年の保存修理事業における天守の取換
え材が使用されている。
)
(2)文化財の概要
1)立地環境
①松江城の立地環境
松江市は、山陰地方のほぼ中央、島根県東部に位置する。北は日本海に面し、東
に中海、西に宍道湖が広がり、南には中国山地に向かって丘陵が延びる。松江市の
市街地は中海と宍道湖を結ぶ大橋川両岸の沖積平野に広がる。
松江城は、大橋川北岸、島根半島から南に向かって延びる丘陵部の南端に位置す
る亀田山(標高 28.4m)に築城された。南に宍道湖と大橋川を眺め、城下町東部に
中海畔の沼沢が、西部には小丘陵との間に深田が広がり、三方が湖沼や泥湿地で防
御される立地環境にあったとされる。
現在では、松江城の周辺は広く宅地化され、南側は近隣商業地域に、その他は第
一種中高層住居専用地域に接している。
2
②松江城の縄張りと現在の土地利用
城跡は、東西 350m、南北 540m の規模を持ち、亀田山の最高所に本丸を置く。本
丸の南側に一段低く二之丸が隣接し、東側には二之丸下ノ段が広がり、本丸と二之
丸下ノ段の間に中曲輪が設けられている。北側にも一段低い腰曲輪を置く。西側に
は、後曲輪が配される。また、本丸の北西にも少し高い台地の北之丸(出丸)があ
る。これらの周囲に内堀が囲み、二之丸南方には、城下と同じレベルの三之丸が配
され、堀で囲まれている。また、四十間堀川と京橋川、米子川、北田川を外堀とす
る。
現在、内堀で囲まれる範囲は「城山公園」という名称の都市公園として親しまれ
(図 1-1)、松江城天守の他、興雲閣(明治 36 年建築、県指定有形文化財)と南
櫓・太鼓櫓・中櫓(平成 13 年度復元)が主要な公開施設となっている。
また、三之丸、城山稲荷神社周辺地区、市道城山線及び数件の民家を除くかつて
の城内内堀全域(石垣を含む)が国の史跡に指定されている(図 1-2)。三之丸に
は島根県庁が建つ。
③松江城天守の立地環境
天守は本丸の北東部に置かれる。近世の本丸には、南端中央に桝形を設けて一ノ
門が置かれ、北端西寄りには北ノ門が置かれていた。本丸外周には 6 箇所に二重櫓
(弓櫓、鉄砲櫓、多聞、乾櫓、坤櫓、武具櫓、祈祷櫓)が配され、その間を多聞や
瓦塀が繋いでいた。またある時期には台所があったとされるが、詳細は不明である。
これらの櫓、瓦塀等の建造物は撤去され、現存していない。
現在の園路整備や植栽、一ノ門及び多聞の一部再建は、戦後の公園整備の一環と
して行われたものであり、城跡としての歴史的風致の向上を図るにあたっては、歴
史的な観点からの再検証を要する。
2)創建と沿革
①松江城天守の築城
関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴・忠氏父子が、慶長 5 年(1600)に出雲・
隠岐両国の太守として遠州浜松より出雲の月山富田城に入封した際、その居城の
地として松江を選び、慶長 12 年(1607)から同 16 年(1611)の 5 年をかけて亀
田山に松江城を築造した。
堀尾氏は三代で絶え、寛永 11 年(1634)に京極忠高が出雲・隠岐両国の大守と
なるが、京極氏には世継ぎがなく、一代で無嗣絶縁となって除封され、寛永 15 年
(1638)に松平直政が信濃松本から出雲松江に移封されて松江城に入城した。以
後十代に渡って 234 年間、松平氏の居城として使用された。現在見る三ノ丸を含
む松江城の全容は、堀尾氏の築城に始まり、京極氏に引き継がれ、松平氏の時代
3
に整ったものである。
城山公園
大橋川
宍道湖
図 1-1 城山公園位置図
4
図 1-2 史跡松江城指定範囲図(平成 26 年 3 月時点)
5
②廃城令後の松江城天守
明治 2 年(1869)、松江城は、版籍奉還と同時に陸軍省の所管となった。明治 4
年(1871)の廃藩置県に伴い、明治 6 年(1873)に陸軍省及び大蔵省により「廃城
令」が公布されると、明治 8 年(1875)には天守を除く全ての建造物が 4〜5 円で
払い下げられ撤去された。天守も売却が予定され、180 円で落札されたが、元藩士
や地元有力者が同額を納めて買い戻し、現地で保存されることとなった。
明治 22 年(1889)には、島根県知事・籠手田安定により「松江城天守閣景観維
持会」が設立された。明治 23 年(1890)に、松平氏は城内一円を市民の公園とし
て活用が図られるよう国から買い戻し、松江城は再び松平氏の所有となった。松江
城は市民の憩いの場として公開され、城内には桜の植樹や茶店の設置が行われた。
③松江市による維持管理
昭和 2 年(1927)に松平氏が三之丸と一部の民有地を除く城跡一円を松江市に寄
贈した後は、「城山公園」として、松江市が整備と管理を行ってきた。
昭和 4 年(1929)には造園家・本多静六により「松江市城山公園改造計画」が提
案され、その計画のもとに本丸等、城跡内の一部が整備された。昭和 9 年(1934)
には史跡名勝天然紀念物保存法に基づき城跡が史跡に、翌年には国宝保存法に基づ
き天守が国宝に指定され、昭和 25 年(1950)の文化財保護法制定後は、それぞれ、
史跡松江城、重要文化財(建造物)松江城天守として引き継がれた。昭和 27 年(1952)
には松江市都市公園条例に基づき都市公園に指定されている。
松江市では、昭和 25〜30 年(1950〜1955)に松江城天守の大規模な保存修理を
実施すると共に、史跡松江城については昭和 34 年度から計画的、継続的に石垣の
修理を実施してきた。昭和 40 年代以降は、「史跡松江城環境整備 5 ヵ年計画(昭
和 45 年(1970))の策定に伴い、史跡松江城にふさわしい歴史的景観を維持向上
するため発掘調査や資料等に基づく遺構復元やサインの統一などの整備事業、また、
環境整備事業として、内堀の浚渫工事など実施してきた。しかし、その後、史跡松
江城とその周辺地一帯の保存と整備が必要になったことから、その方針を示すべく、
島根県及び文化庁と協議の上、平成 5 年度(1993)に「史跡松江城環境整備指針」
を作成した。この指針に基づき、平成 13 年(2001)2 月までに三之丸と二之丸を
結ぶ廊下門(千鳥橋)、二之丸下段の北惣門橋(旧眼鏡橋)、二之丸上段の南櫓、
中櫓、太鼓櫓、塀等の復元及び御廣間跡、下御臺所跡、御式臺跡の平面整備が完了
している。
3)施設の性格
松江城天守は、慶長期に建築された城郭建築である。明治 6 年(1873)の廃城令
で取り壊しの危機に晒されたものの、市民有志の手によって守られた経緯を持つ。
6
以後、史跡松江城は人々の憩いの場として、また、松江市の観光拠点としての位置
づけを高め、松江城天守はその中核施設として公開され、松江市の歴史と文化のシ
ンボルかつランドマークとして親しまれている。
(3) 文化財の価値
1)文化財(建造物)としての価値
松江城は、日本に現存する城郭天守 12 棟のうちの 1 棟である(表 1-2)。千鳥
が羽を広げたような美しく大きな破風を持つため、別名千鳥城とも言われている。
天守は附櫓を加えた複合式天守で、四重五階であるが、二重の櫓の上に二重の望楼
をのせた形式である(望楼型天守)。石落しなど実戦本位で安定感のある武骨な体裁
を成している。慶長期の築城であり、旧状もよく残り、日本の城郭建築の変遷を知
る上で貴重な建築資料とされる。また、松江城の建築遺構として唯一のものであり、
昭和 10 年 5 月の国宝指定にあたっては、次のような説明がなされている。
松江城ハ堀尾吉晴の築キシ所ニシテ慶長十二年起工慶長十六年功ヲ竣ヘタ其天守
ハ慶長十五年落成セシモノニシテ本城現存唯一ノ遺構デアル五層天守ニシテ(屋
ひょう
根四層)形態荘重頗ル安定ノ観を呈シテイル
表 1-2 現存する天守の一覧
名称
構造形式
所在市
青森県
弘前市
弘前城天守
三重三階櫓、銅瓦葺
文化 7 年
1810
福井県
坂井市
丸岡城天守
二重三階天守、石製本瓦葺
天正 4 年
1576
長野県
松本市
松本城天守
五重六階、本瓦葺
愛知県
犬山市
犬山城天守
三重四階、地下二階付、本瓦
葺、南面及び西面附櫓、各一
重、本瓦葺
慶長 6 年
1601
尾州犬山城
滋賀県
彦根市
彦根城天守
天守 三重三階、地下階段
室・玄関付、本瓦葺
慶長 11 年
1606
2・3 重
兵庫県
姫路市
姫路城大天守
五重六階、地下一階付、本瓦
葺
慶長 13 年
1608
唐破風添棟
島根県
松江市
松江城天守
四重五階天守、地下一階付、
本瓦葺、前面附櫓 一重、本
瓦葺
慶長 12‐16 年
1607‐1611
7
※1
建築年代
※2
建築年を示
所在県
元和初年頃
1615
す資料等
棟札
柴田勝家始
末記
―
主記他
隅木墨書
木墨書
雲陽大数録
構造形式
建築年代
建築年を示
所在県
所在市
名称
岡山県
高梁市
備中松山城天
守
二重二階櫓、本瓦葺
天和元‐3 年
1681‐1683
香川県
丸亀市
丸亀城天守
三重三階櫓、本瓦葺
寛永 20‐万治 3 年
1643‐1660
絵図・棟札他
愛媛県
松山市
松山城天守
三重三階天守、地下 1 階付、
本瓦葺
文化‐安政
1804‐1859
―
愛媛県
宇和島市
宇和島城天守
三重三階天守、本瓦葺
寛文 4‐5 年
1664‐1665
宗利公御代・
大棟鬼瓦銘
高知県
高知市
高知城天守
四重五階天守、本瓦葺
延享 4 年
1747
2 重懸魚鰭墨
す資料等
松山御主歴
代記
書
※1 構造形式は文化庁ホームページ(www.bunka.go.jp)による。
※2 一部建築年代については、論争がある。
2)建築的特徴
①構造及び規模
松江城天守は、本丸北東部に南に面して建つ。天守台の上に、本瓦葺屋根を 4 層
に重ね、内部を 5 階に区切る 4 重 5 階の構造をのせ、天守台には地階を設ける(図
1-3 及び図 1-4)。地階正面中央部には 1 重 1 階の附櫓が接続する。天守の規模及
び各階主要寸法は表 1-3 の通りである。
②主な建築的特徴
天守は、昭和の修理で寛永期の資料に基づき旧状がほぼ整えられ、慶長期に建築
された天守の一例として、次のような特徴を伝えている。
【石垣】穴太衆が手がけたとされ、自然石を主とし、一部に割石を交えて、2 寸前後
の勾配でほぼ直線状に積み上げている。出隅は直方体状の石を長短交互に積む。天
守台石垣と附櫓台石垣の形式は天守台と同じであるが、両者の石垣は別個に築かれ
ており、繋がりはない。
【屋根】初層を四方葺き降ろしとし、2 層を南北棟の入母屋造とする二重の櫓の上に、
同様の屋根形式の二重の望楼をのせ、全体で 4 重の外観を成す。2 重の屋根南北面
には入母屋屋根の張出しをのせ、附櫓も南に妻面を向ける入母屋屋根となる。この
ように、千鳥が羽を広げたような破風が外観を特徴づけていることから、千鳥城の
通称でも親しまれてきた。屋根の鯱は木彫銅板張りである。
【外壁】初重及び 2 重の全面並びに 3 重及び 4 重の腰壁を黒塗りの下見板張りとす
る。望楼となっている 4 重(5 階)は、四周各間を腰窓とし、各面に一本敷の雨戸
を建て込み、手摺を廻らす。
【構造】4 階までの側周りや母屋周りには、1~2 階、3~4 階の通し柱を配し、中央
8
部には地~1 階、2~3 階、4~5 階の通し柱を配しており、二層を貫く通し柱を交
互に建てる構造を見せる。この構造がこの天守の大きな構造上の特色である。
また、5 階の側柱筋を 4 階の柱が直接支えていないという独特な柱配置は、それ
だけで見れば構造上の弱点とも受け止められがちであるが、熊本城宇土櫓、丸亀城
天守、宇和島城天守、姫路城大天守等と比較すると、木材調達に関わる当時の社会
的背景の中で、天守という特別な構造を組み立てるために成された工夫の軌跡を表
す一例と捉えることが可能とされる(図 1-5)。
4~5 階の通し柱は、1 尺角の 4 階部分に対して5階部分を細く削って 7 寸角とし
ている。この理由は明らかではないが、住宅風の意匠や眺望等を意識したとも考え
られる。
【内装】床は板張りとする。天井は張らずに上階の根太天井を現し、5 階は小屋裏を
現す。内壁は漆喰塗りの真壁とし、側柱を露出させて貫は塗り籠める。内側に立つ
柱には包板を施し、内部の体裁が整えられている。
【装置】2 階の四隅と東、西、北側外壁中央部に石落しが取り付く。また、塩蔵の間
と呼ばれる地階は、籠城用生活物資の貯蔵倉庫とされ、中央部には井戸が置かれる
など、実戦的な設えを見せる。
軍事施設としての城郭の機能や性能は、天守と共に、縄張りや他の城郭建築の配
置等と合わせて理解できるものであるが、天守以外の建築が取り壊されてしまった
松江城にあっては、天守から伺い知るにとどまる。昭和の修理では便所や人質蔵等、
この点に関係する要素の復原が見送られており、調査研究の進展により、建築的特
徴をより良く表現できる可能性が残されている。
表 1-3 松江城天守の規模及び各階主要寸法(単位:長さm、面積㎡、下欄の()内は尺)
摘要
地階
1階
2階
3階
3階
南北張出
4階
4階
南北張出
柱間寸法
南側
北側
東側
西側
軒の出
軒高
棟高
平面積
※1
※2
※3
※4
14.35
14.35
15.14
15.14
(47.36)
(47.36)
(49.96)
(49.96)
217.3
23.16
23.16
19.30
19.30
1.80
3.36
(76.44)
(76.44)
(63.70)
(63.70)
(5.95)
(11.10)
23.16
23.16
19.30
19.30
1.77
6.00
(76.44)
(76.44)
(63.70)
(63.70)
(5.85)
(19.80)
20.27
20.27
11.58
11.58
1.82
10.14
(66.88)
(66.88)
(38.22)
(38.22)
(6.00)
(33.45)
11.58
11.58
1.93
1.93
(38.22)
(38.22)
(6.37)
(6.37)
15.44
15.44
11.58
11.58
1.86
12.74
(50.96)
(50.96)
(38.22)
(38.22)
(6.37)
(42.05)
3.86
3.86
1.93
1.93
(12.74)
(12.74)
(6.37)
(6.37)
9
447.0
447.0
234.7
44.7
178.8
14.9
摘要
柱間寸法
南側
4階
東西張出
東側
西側
3.86
3.86
2.41
2.41
(12.74)
(12.74)
(7.96)
(7.96)
5階
附櫓
北側
軒の出
軒高
棟高
平面積
※1
※2
※3
※4
16.3
9.65
9.65
7.72
7.72
0.98
17.89
22.44
(31.84)
(31.84)
(25.48)
(25.48)
(3.25)
(59.05)
(74.05)
10.50
9.53
11.04
10.64
0.91
4.24
8.83
(34.64)
(31.44)
(36.42)
(35.01)
(3.00)
(14.00)
(29.15)
延べ面積
74.5
108.8
1,784.0
※1 柱真より茅負下端、※2 石垣上端より茅負下端、※3 石垣上端より棟頂上、
※4 柱真々内側
出典:
『重要文化財松江城天守修理工事報告書』、松江城天守修理事務所、昭和 30 年 3 月
4.文化財保護の経緯
(1)保存の履歴
昭和 10 年(1935)5 月
国宝保存法に基づき国宝指定
昭和 25 年(1950)6 月
保存修理事業として根本修理に着手(松江市直轄事
業)。
昭和 25 年(1950)8 月
文化財保護法施行に伴い国宝保存法が廃止され、旧国
宝は重要文化財(建造物)に移行
昭和 30 年(1955)3 月
保存修理事業が竣工し、『重要文化財松江城天守修理
工事報告書』刊行
自動火災報知設備及び消火設備設置
昭和 54 年(1979)
屋根葺替および部分修理
平成元-2 年(1989-90)
自動火災報知設備及び消火設備の改修、防犯設備の設
置
平成 3 年(1991)
屋根修理および部分修理(災害復旧)
平成 12 年(2000)
部分修理
平成 15 年(2003)
屋根修理
平成 17 年(2005)
部分修理
平成 18 年(2006)
屋根修理
平成 23-24 年(2011-12)
屋根修理および部分修理
平成 23-25 年(2011-13)
重要文化財(建造物)耐震診断指針に基づく耐震基礎
診断を実施
平成 23-25 年(2011-13)
重要文化財(建造物)松江城保存活用計画策定のため
10
の調査検討を実施
【参考1】史跡松江城に係る保存の経緯
昭和 9 年(1935)5 月
国の史跡に指定
平成 5 年(1993)
史跡松江城環境整備指針を策定
平成 6 年(1994)
三之丸と二之丸を結ぶ廊下門(千鳥橋)、二之丸下段
の北惣門橋(旧眼鏡橋)を復元
平成 12 年(2000)2 月
二之丸上段南櫓及び塀(40m)の復元完了
平成 13 年(2001)2 月
二之丸上段中櫓、太鼓櫓、塀(87m)の復元完了
御廣間跡、下御臺所跡、御式臺跡の平面整備
平成 25 年(2013)
4 月 1 日より大手門復元資料収集懸賞事業に着手(平
成 26 年 3 月 31 日まで)
【参考2】松江城に係る学術調査の推進
平成 22 年(2010)5 月
松江城調査研究委員会設置要綱を制定
平成 22 年(2010)7 月
第1回松江城調査研究委員会
平成 22 年(2010)7 月~平成 23 年(2011)12 月
神奈川大学による松江城天守調査(合計 7 回)
平成 22 年(2010)10 月~平成 23 年(2011)12 月
神奈川大学による松江城関連資料調査(合計 5 回)
平成 23 年(2011)6 月~平成 24 年(2012)7 月
神奈川大学による熊本城宇土櫓ほか類例調査(合計 8
回)
平成 24 年(2012)3 月
第 5 回松江城調査研究委員会における最終報告
平成 25 年(2013)1 月
『松江城学術調査報告書』刊行
平成 25 年(2013)12 月
『松江城調査研究収録 1』刊行
(2)活用の履歴
昭和 2 年(1927)
松平氏が城跡一円を松江市に寄贈
昭和 3 年(1928)
松江市が松江城跡を城山公園と命名
昭和 4 年(1929)
本多静六が「松江市城山公園改造計画」を作成
昭和 30 年代(1955~)
松江市城山公園改造計画に基づく本丸の整備
昭和 30 年(1955)
本丸一ノ門を公園施設として再建
昭和 30 年(1955)頃
昭和 25~30 年の保存修理事業後、松江城天守の公開
を開始
昭和 35 年(1960)
本丸一ノ門東側の多聞を公園施設として再建(天守の
古材を使用)
11
平成 17 年(2005)
松江城天守及び松江市城山公園の管理に指定管理者
制度を導入
平成 18 年(2006)
松江城天守及び松江市城山公園の指定管理者として
NPO 法人松江ツーリズム研究会に管理委託
【参考】歴史的風致の向上に関わる取組み等
平成 4 年(1992)
「松江城周辺地区」が都市景観 100 選(国土交通省)
に選定
平成 19 年(2007)3 月
松江市景観計画を策定
平成 19-23 年(2007-11)
松江開府 400 年祭(平成 23 年 3 月に松江歴史館を開
館)
平成 23 年(2011)2 月
松江市歴史的風致維持向上計画(松江市歴史まちづく
り計画)を国(国交省、文部科学省、農林水産省)が
認定
5.保護の現状と課題
(1)保存の現状と課題
天守は、昭和25~30年の保存修理事業によって、ほぼ旧状に復された。その後は
必要に応じて修理を行い、概ね良好な状態が保たれている。旧状の解明にあたって
は、各部材に残る墨書、技法、材種、痕跡、破損状態等の綿密な調査から多くの情
報を得ることができたが、創建時及びその後の変遷を示す資料が乏しく、復原が見
送られた箇所が残る。
天守においては、当初材や中古材が貴重な史料であり、これらの遺存率を高く保
つことができるよう、建物の取り扱いの方針や留意点を定め、管理の方法や体制を
明らかにし、各関係者による役割分担の認識と連携協力の下に建物の良好な状態を
維持することが大切である。また、地震や火災等の災害による被害を予防又は軽減
できるよう、耐震や防火の措置の向上、強化を図る必要がある。
さらに、古文書や古絵図、古写真等の資料の収集に努め、調査研究を進めること
によって、歴史の解明を深める必要がある。
12
5 階平面図
2 階平面図
4 階平面図
1 階平面図
3 階平面図
附櫓・地階平面図
附櫓入口部平面図
図 1-3 天守各階平面図
出典:
『重要文化財松江城天守修理工事報告書』、松江城天守修理事務所、昭和 30 年 3 月
13
月
南立面図
西立面図
北立面図
東立面図
図 1-4 天守各面立面図
出典:
『重要文化財松江城天守修理工事報告書』、松江城天守修理事務所、昭和 30 年 3 月
14
図 1-5 通し柱説明図
※二層を貫く通し柱を交互に配する構造的特色の、上下階の関係が判りやすい
ように断面模式図で示したもの。
出典:
『松江城天守学術調査報告書』松江市観光振興部、平成 25 年 1 月
(2)活用の現状と課題
明治中期以降、松江城は憩いの場や観光拠点として人々に開かれ、松江城唯一の
建築遺構である天守は、松江市の歴史と文化のシンボルかつランドマークとして親
しまれてきた。この位置づけを高めるため、松江城天守の文化財的価値や建築的特
徴をわかりやすく伝え、周辺、とりわけ本丸との一体的な整備を図り、文化関連行
事を開催する等して、市民の発案を取り入れながら、人々が天守に目を向け、足を
運ぶ機会の創出に努める。
松江市では、松江開府400年祭の一環として、近世歴史博物館である松江歴史館を
松江城の近接地に新設し、平成23年(2011)3月に開館した。これに伴い、松江城天
守における建築鑑賞及び展示のあり方を再検討する必要が生じている。
また、公園整備や史跡の保存管理の方針を踏まえつつ、城内の歴史的風致の向上
を図り、松江城天守のシンボル性、ランドマーク性を一層引き立てていく。さらに、
教育、生涯学習、文化振興、文化交流等に資するイベント開催の可能性を検討する。
公開やイベント開催に当たっては、滞在時の過ごしやすさが確保されるよう、便
益施設や案内設備等の充実を図る。さらには、不特定多数の受け入れや必要な施設・
設備の設置が文化財に影響を及ぼすことのないよう、かつ、来城者の安全が損なわ
れることのないよう、来城者管理、重量物制限、防災、避難誘導等の対策を講じる。
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6.計画の概要
(1)計画区域
重要文化財(建造物)松江城天守保存活用計画においては、かつて、門や多聞が
天守と一体となって一つの防御施設を成していたと考えることができるので本丸の
範囲を計画区域とする。これは、本丸南端桝形を含む本丸外周石垣下端で囲まれる
区域であり(図1-6)
、
「史跡松江城環境整備指針」における本丸地区と一致する。
ただし、本丸外周を成す石垣については、史跡の重要な構成要素であることから、
「史跡松江城環境整備指針」に掲げる整備方針に依るものとする。天守台を成す石
垣については、重要文化財の一部であり、上部の建築を支持する基礎の役割を果た
しているため、本計画の中で、その取扱い方法等を定める。
防災や環境保全のための諸設備の設置、天守台石垣の修理等、本計画の履行にあ
たり、史跡の保護と関係する事柄については、事前に建築関係者と史跡関係者との
間で十分な協議を行い、文化財保護法で定められる手続きに基づき行う。
(2)計画の目的
天守の文化財的な特性を損なうことなく後世に引き継ぎ、天守が松江市の文化的、
経済的発展に果たしてきた役割を高め、松江市民はもとより、市外からの来城者が
松江城の価値を最大限享受できるよう、対処すべき課題を明らかにし、保存と活用
に必要な事項をまとめることを目的とする。
(3)基本方針
天守について、保存管理、環境保全、防災、活用に区分して保護の課題を整理し、
方針及び対策を計画としてまとめる。また、各計画に盛り込まれた具体的な行為を
行う上で、文化財保護法その他の関係法令に規定されている手続きを明確にする。
天守の保護の進展においては、史料収集及び調査研究の進展が不可欠であり、そ
のための計画をまとめる。
(4)計画の概要
本計画の概要は以下の通りである。
① 「保存管理計画」(第2章)
天守の修理の経緯から保存の課題と留意点を明らかにし、部分や部位の取り扱い
の方針をまとめる。また、日常的に行うべき管理行為や小修理の内容を明らかにす
ると共に、中長期的な対応方針をまとめる。
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② 「環境保全計画」(第3章)
城跡の要を成し、天守を取り巻く本丸について、天守の保護を図る適切な環境の
創出、城跡としての歴史的風致の向上、市民の憩いの空間の創出という3つの観点か
ら整備の方針と対策をまとめる。
③ 「防災計画」(第4章)
備えるべき災害の種別として火災、地震、風害を特定し、それぞれについて保存
と活用の両面から課題を整理し、防災の方針と対策をまとめる。
④ 「公開活用計画」(第5章)
天守の外観及び内部の公開を促進し、展示の改善や充実を図り、諸行事を催すこ
とによって、より多くの人がその価値を享受できるよう、方針と対策をまとめる。
⑤ 「保護に係る諸手続き」(第6章)
前述①~④の計画に盛り込まれた具体的な行為を行う上で、文化財保護法その他
の関係法令の規定に従い、とるべき手続きを明確にする。
⑥ 「史料等の管理活用計画」(第7章)
天守の築城や建築の変遷等に関する歴史資料を収集し、適切に整理・保管し、こ
れを調査研究の進展に役立て、今後の文化財の保存、活用、普及啓発に反映できる
よう、方針をまとめる。また、古材の管理やき損・小修理等の記録の管理に係る方
針と対策をまとめる。
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図 1-6 計画区域図
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