会報 2011年9月号 - 日本ビジネス航空協会 (JBAA)

2011年 9 月号
隔月刊
(NPO法人)日本ビジネス航空協会
巻
頭
最後の地方空港開港と地元リージョナル航空会社設立に携わった
20年を振り返って
理事 渡井 洋治郎
静岡エアコミュータ株式会社 代表取締役社長
厳しい暑さの夏が終わり、抜けるような秋空が戻ってくる季節になりました。会員の皆
様いかがお過ごしでしょうか。
この巻頭文についてはビジネス航空に関連した話題だけに絞ることが出来ませんので、
少々地方の話題を交えて書かせて頂きます。
当社(SACC)は本年設立20周年を迎えました。私は設立より現在までこの事業に
携わってきましたがあっという間の20年でした。
当社は地元企業10社の出資により設立され、静岡市清水区の総合物流会社S社のグルー
プに属しております。現在、このグループ内で航空事業関連に携わる従業員は約1700
名で、その内訳は当社が回転翼と固定翼(BJ2機)を9機運航整備する30名の会社、
フジドリームエアランズ(FDA)は定期航空運送事業のもと5機(12月6機目導入)の
ERJ170/175を運航する300名の会社、エスエーエス(SAS)は静岡、小牧、
福岡でカウンターグラハン業務を行う250名の会社、ドリームスカイ名古屋/中部スカイ
サポートもセントレアでカウンターグラハン業務を行う1100名の会社です。
SACCの設立と静岡空港
FDAのホームページにはSACC設立1991年4月1日で、FDAが設立されたの
は17年後の2008年6月24日と記されております。当社は静岡空港が出来るかまだ
定かではない時代、地元企業として静岡空港実現を後押しするための応援団として設立さ
れました。私がなぜ担当になったかは定かではありませんが、単純に学生時代グライダー
パイロットであったという理由だと勝手に推測しております。設立当時、静岡空港事業は
第六次空港整備の予定事業に組み入れられた段階で、1993年になって新規事業に格上
げされ、政府予算への組み入れも実現しました。当社は「静岡空港関連事業研究会」の事
務局として県内24社の企業の方々と空港ターミナル事業の勉強会などを行って、航空事
業とはどのようなものかをご理解頂き、これらの企業を通じて静岡空港の必要性を県民に
広める役目を果たしました。当時は「ジャンボ・ジェット747が来ない空港は空港では
ない、新幹線があるのに、静岡/羽田路線に乗る客はいない」がはやり言葉でした。それ
でも理解ある人は静岡県は戦後、新幹線・東名・第二東名等何もしなくても自然に出来上
がってしまい、静岡県民が自分で構築したインフラが何もないことに気づきました。県民
は静岡空港は静岡県民として次の世代に残すインフラであることを認識し出しました。
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今でも思い出すのは1996年島田市公民館で2日間にわたって行われた国交省中部地
方整備局主催の「静岡空港整備事業に係わる公聴会」での公述と国土交通省航空局の20
03年「公共事業評価システム検討委員会」での航空会社ヒアリングです。公聴会での私
の公述は30分でJ社のK副社長の前でした。公述席に着くと前の方から「あいつは静岡
県の回し者だ、金をもらっている」と大きい反対派の声、その横からS社のY君(選挙の
時はマイクを持つとプロ級)が「だまれ、静かに聞け」と怒鳴っていました。確かにヤジ
のとおり、県の委員をやっていて交通費を県からもらったことはありました。賛成だ、反
対だと2日間もやって、双方の腹に溜まった意見を自由に出し合いました。
国土交通省航空局の公共事業検討委員会では一人で10分程度SACCの就航意向につ
いて冷や汗をかきながら述べました。当面はダッシュ8(39席)で成田フィダー、伊豆諸
島の2路線を運航したい。将来はリージョナル・ジェット機で仙台、早朝の札幌、福岡路
線を大手とのコードシェアーのもとで路線補完のかたちで就航を目指したい。航空機の運
航だけでなく静岡空港でのカウンターグラハン業務も同時に行いたい。国際線の韓国、上
海路線は将来的には魅力がある路線である等々でありました。この検討会は航空局の幹部
30名の前で意見を述べて、局の質問に答える形式でありましたが、JAL,ANA,N
AL,アシアナ、中国東方、DHL,FEDEXは手慣れた様子で各社副社長級と担当者
何名かが同席して、何の質問にも上手に答えていました。
静岡空港開港、地元リージョナル航空会社とカウンターグラハン会社はセットで実現し
なくては成らないと思っていました。そして、当社の社名が「静岡エアコミュータ株式会
社」で数機のヘリコプターとプロペラ固定翼1機が現状の規模ではありましたが、将来は
リージョナル・ジェットの事業を実現したいと思っていました。カナダ・ボンバルディア
社のCRJ70/90、ブラジル・エンブライエル社のERJ170/190がかなりの
勢いでRJ市場を拡げていきました。
当社は空港が出来ることを確信して、
次のステップとして研究機関に「静岡空
港を拠点にする地域航空の可能性に関
する調査と検討」(1999年)、「地
域航空の具体化に関する調査と検討」
(2000年)の調査研究を依頼して、
国内でも70席クラスの機材が適当で
ある見当を付けていました。
静岡空港については第3種空港で地
方公共団体が管理運営、ターミナルビル
は第3セクター運営(県知事が社長)がお定まりでした。しかし、研究会は空港の管理運
営、ターミナルビルすべて民間に委託して下さいと提言しました。結果的にはターミナル
ビルは民間運営ですが、空港本体の管理運営はお定まりの回答で「第3種空港ではそのよ
うな事例は過去にない」、静岡県は非常に保守的で融通が利きませんでした。
ファーンボロ航空ショウ 2002年
その日は成田のA社ラウンジに10時過ぎにS社のS社長、K商社のM社長そして私が
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集まり、朝からシャンペンを飲んでこれからの前途を祝しました。伺えばそれぞれの社長
さんは奥さんに「今日は機嫌が良く、自分の支度もテキパキしますね」と皮肉られたとの
こと。3人とも同じグライダー仲間であること、エンブライエル170デモ飛行を経験で
きることとスピットファイアーの展示飛行を楽しみにしているからでありました。
現地でERJ170を見たとき、この機材を使えば事業化出来ると感じました。外部を
回り、カーゴルーム内も高さがあって、狭いながら国内線では十分と思えました。内部も
ERJ145のイメージからすると別物であり、2列2列の座席配置は新鮮みを感じまし
た。
エンブライエル社のシャレーでワインを飲みながら、スピットファイアーのエンジン音
を聞くとこの業界にいて良かったとつくづく感じました(この後、10年後に来る厳しい
事態を知らずに)。この時、J航空会社の方たちもお出でになっていました(10年後にコ
ードシェアーをする予測出来ず)。航空ショウでのデモ飛行、種々の説明、部品の調達等
ブラジル企業でここまで出来るのかと本当に驚きました。この先は専門家に頼みFSをす
ることになるなと感じました。カナダのボンバルディア社にもお世話になりましたが商談
は実りませんでした。
FDAの設立
当初想定していたSACCが母体になってリージョナル航空会社をやることが諸般の事
情で困難になってきました。定期航空会社J社の経営悪化と、それに伴って、航空事業は
厳しい事業と見なされ、県内企業の増資、第3者割当増資も期待できない経済情勢になっ
てしまいました。空港は出来るが、地元航空会社が出来ない事態に直面し、一大決心をし
てS社100%で事業をやることになったのです。この事情を理解できない、県内経済界
の一部には、S社が急に空港を独占すると思い違いをする方々まで現れる事態に陥りまし
た。静岡県民の多くは空港開港、航空事業に疎くSACCが17年前に設立されて準備を
していたのを気にも留めなかったからです。
FDAは2008年設立ですが
その一年前に準備委員会をつくり、
幹部要員の採用、県との調整、国交
省への参入表明等準備を行いまし
た。①綿密な調査②果敢な決断③気
長な投資、これは企業が中国へ進出
する気構えを纏めたものですが、定
期航空事業を手懸けるのは何か似
たところがあります。幹部要員の採
用には本当に苦労しましたが、同じ
業界のH社長、高校大学ゼミが同じ
J関連会社K会長、学生航空連盟の方々に助けられてスタートを切ることが出来ました。
2009年2月24日夕刻、1号機の真っ赤なERJ170が小牧に着陸した時は目頭
が熱くなりました。思えばファーンボロ航空ショウで試乗して7年が経過しておりました、
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そしてSACCを設立してから18年も歳月が過ぎておりました。18年が長いか、短い
かは何を基準にするかで決まりますが、中国の譬えで「戸の隙間から白馬が駆けすぎるの
を見るほどに人の一生は短い」とあります。企業が事業を興すには18年はあまりに長す
ぎます。しかし、これからのFDAの将来を見れば、この18年は「戸の隙間」のような
瞬間かもしれません。
静岡空港は2009年開港しました。FDAはJ社・A社を刺激しないように幹線に就
航せず、九州鹿児島、熊本、北陸小松に就航しました。
この後の路線展開は想像すらしなかった事態、すなわちJ社の経営危機が引き金になり、
J社および関連会社j社の路線撤退をコードシェアーのもとFDAが路線を維持すること
で全国展開を加速し、それが現在も進行しております。この話は一冊の本になるほど裏話
があるでしょうから、タッチしないように今回はいたします。
SACCの回転翼事業とビジネス・ジェットの航空運送事業化
ヘリコプター事業は県防災ヘリ、報道取材へリ、企業所有ヘリ等6機のヘリコプターを
運航、また、整備事業場認定のもとで整備事業を行っております。
2007年、3企業共同所有のサイテー
ションCJ2+を小牧ベースに運航を開始
しました。この機体の受領のため、その夏
ウイチタのセスナ社に3企業の方々と行っ
てきました。到着の夜、郊外のドッグレー
ス場で1ドルが100ドルになったのを何
故か良く憶えています。受領したCJ2+
でウイチタ/ロングビーチ3時間のフライ
トは軽快なもので、懐かしいウイティアー
カレッジ、南カルフォルニア大学を上空か
ら見てロングビーチに着陸しました。機体のドアーを開けた途端、4年間いたあの懐かし
いLAの空気のにおいが胸一杯に入ってきました。その後、クルーはシアトル、アンカレ
ッジ、ノーム、ペトロパヴロフスク・カムチャフスキー、千歳、岡山とフェリーして無事
到着しました。
所有者が使用しない空いた時間を一般利用者に提供するためには「航空運送事業」に組
み込まないと違法になるとのことで悩ましい問題と取り組みました。CJ2は5.7トン
N類の機体で、当社のC206Hと同じカテゴリーですが、局関係者も当社社員も「ジェ
ット機でツーパイロット運航であるので、N類であっても定期航空用操縦士資格と路線訓
練が必要である。小牧空港で運航しているA社/N社と同じ体制を整えないと航空運送事
業許可は取れない」との見解をもっていました。私は素人ですが、C206Hと同じ耐空
類別でCJ2も製造社設計でワンマンパイロット仕様であるから、ツーパイロット仕様の
T類に課している定期航空用操縦士資格は不要であると主張して、これを航空局に認めて
もらいました。通常運航も2名体制で運航しているので、計器飛行2名の縛りは満たして
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おり、ATPL不要、現状の運航管理体制で対応が可能となった訳です。本年2号機目の
CJ2+を加えて、2機体制で航空運送事業許可のもと一般需要に対応したビジネスジェ
ット事業を小牧空港で展開していく計画です。
現状の国内では事業会社が不特定多数の需要に応じて新規に小型ジェットを導入して航
空運送事業に挑むのはかなり難しい状況です。その理由はまだ国内ではビジネス・ジェッ
ト利用の市場が形成されていないからです。当社は2機の小型ジェット機でこの市場を開
拓して行く所存です。運航コストも欧米と比べると高い水準にありますが、1キロ当たり
1000円を切ることを目指します。
海外への飛行要請には、この機体所有企業のみ自家用運航ベースで上海、台北、ソウル
に飛行します。しかし、3時間以上の飛行には十分な性能を持った機材と室内も十分なス
ペースがある機材が必要で、今後国内での実績を積み重ねて、そのような需要が見込めた
段階で海外も含めた航空運送事業の展開を試みたいと思っています。
S社グループのFDAは定期航空運送会社で、先々、海外路線の展開も視野に入れてい
ます。当社も究極の航空運送事業はオンデマンド・ビジネスジェット運航と思っています
ので、国内、海外ビジネス・ジェット運航事業を定期に次ぐ事業に育てていきたいと思っ
ています。
最後になりましたが中国の「宗史」にあります「自我作古」について、「我より古(い
にしえ)を作(な)す」と訓みます。当時、皆様からはFDA創設はヘレンケラーの三重
苦のように苦しいものですね、第一に未完成の新規開港予定の静岡空港ベース、第二にエ
ンブライエルERJ170が国内初号機、第三にS社は200年以上の歴史ある総合物流
会社ではあるが定期航空運送事業参入は初めての新参者,
このようなことを言われました。
全く新しい事業を展開するのに当たりどのような困難や試練にも耐えて、勇気と使命感を
もって成し遂げる、これが「自我作古」の意味するところです。
会員の皆様のご健勝をお祈りしまして、終わりたいと思います。有難うございました。
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ビジネス航空界のトピックス ・ 新着情報
航空局組織改正
7 月 1 日付で航空局の大幅な組織改正があり、ビジネス航空関連の主担当組織が従来の総務課企
画室から、航空局長直轄の航空戦略課に変わりました。
NBAA2011
今年の NBAA2011 は 10 月 10 日から 12 日まで米国ラスベガスで開催されます。
日本からは、会員の愛知県や成田国際空港(株)(本年 8 月より協会正会員)そして日本
航空宇宙工業会等がブースを出展される予定です。
協会でもこれら出展を支援させていただくと共に、最近の新しい日本の動きを PR する
機会を持つ予定です。
東京国際航空宇宙産業展 2011
10 月 26 日(水)-28 日(金)の 3 日間東京ビッグサイトで、東京国際航空宇宙産業展
2011 が開催されます。
協会も後援団体として支援させていただくとともにブースを出展する予定です。
◇ 協会ニュース
中渓当協会理事・特別顧問の日本航空協会航空功績賞受賞決定
協会理事・特別顧問の中渓正樹氏(元協会副会長・事務局長、元北海道国際航空(株)
社長)が日本航空協会の航空功績賞を受賞されることが決まりました。長年にわたり
ます氏の我が国のビジネス航空発展、特に安全向上、技術面でのご尽力、ご功績が高く
評価されての受章ですが、ビジネス航空業界全体にとりましても大変嬉しいことです。
表彰式は 9 月 20 日に航空会館で行われる予定です。
規制緩和要望のその後の状況
2010 年 4 月 12 日に航空局長宛に「ビジネス航空に関する要望書」を提出しその後も
航空局等と折衝を続けてまいりましたがお陰様でその内の幾つかは昨年度中に実現致し
ました。
ただ、今迄のところでは、日本国籍機での運航に関します規制緩和はあまり実現して
おらず今年度はこの分野に重点を置いて現在航空局と折衝を続けております。
お陰様で航空局側も新しい担当であります航空戦略課を中心に前向きに取り組んでいた
だいており、具体的な個々の事項の内容について現在説明、協議等を行っております。
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CARATS PBN 検討 WG
航空局が主導して産・学・官で取り組んでいる、将来の航空交通システムに関する長期
ビジョン (CARATS) について、昨年度はロードマップを作成してその実現に向けた施策
を設定しましたが、本年度以降は実施フェーズに入ります。 WG の構成も見直され、従
来 JBAA が参加していた小型航空機 WG 関連施策は新たに設置された*PBN 検討 WG で
総合的に検討されることになりました。 8 月 5 日、第 1 回 PBN 検討 WG が開催され、
JBAA も参加しました。 今後、
「精密かつ柔軟な出発及び到着・進入方式」
、「高精度か
つ時間軸を含む RNP」等について検討していきます。
注 PBN: 性能準拠型航法。
主要協会活動(7-8月)
7月4日
航空局組織改正に伴う航空局幹部御挨拶
7月4日
協会四役会開催
7月5日
全地航総会及び講演会に出席
7 月 15 日 成田国際空港(株)と会議
7 月 31 日
協会ホームページ見直し第 2 段を実施
8月1日
航空局安全部長を訪問
8月2日
東京航空局と会議
8月4日
規制緩和に関し航空局(航空戦略課、航空事業課、運航安全課、航空機
安全課)と会議
8月5日
航空局主催の CARATS PBN 検討 WG に出席
8 月 24 日
規制緩和に関し航空局航空戦略課と会議
8 月 24 日
ヘリ協(日本ヘリコプター事業促進協議会)と会議
8 月 25 日
東京国際航空宇宙産業展 2011 出展社説明会に出席
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◇
投 稿
ビジネス航空としてのヘリコプタに関する一考察
大西 正芳
名城大学工学部交通科学科非常勤講師
(株)航空ニュース社 編集顧問
はじめに
少し古い話になって恐縮ですが、日本ビジネス航空協会が主催した 2008 年の米国ビジネス航
空協会のコンベンション(NBAA2008)視察ツアーに始めて参加しました。当時私は(株)日本航
空新聞社の編集顧問をしていた関係で取材のために派遣されたからですが、長年ヘリコプタの業
界で過ごしてきた私としては、「ビジネス航空におけるヘリコプタは、米国においてどのような
役割を担っているのか」をテーマとして携えて参加しました。バブル経済の特殊な現象とはいえ、
米国とカナダに次いで世界で第 3 位の民間ヘリコプタ登録機数を誇った日本で、ヘリコプタが
ビジネス航空を牽引してもおかしくはない、という考えも少しありました。
ビジネス航空の定義について、皆さんは良くご存知でしょうが、2007 年 2 月に愛知県で開
催された「ビジネス航空フォーラム」のパネルディスカッションで使用されたレジメによれば、
(これを作った人はとても数学的な人のようで算術式で表現されています)
(航空機)-(軍用機)=(民間機)
(民間機)-(旅客機)=(ジェネラルアビエーション機)
(ジェネラルアビエーション機)=(ビジネス機)+(レジャー機)
(ビジネス機) = 固定翼機/回転翼機、タービンエンジン/ピストンエンジン
タービンエンジン固定翼機=ジェット機、ターボプロップ機
となっています。すなわち、ビジネス航空は全ての航空機から軍用機と旅客機とレジャー用の
航空機を除いた、タービンエンジン又はピストンエンジンを搭載した固定翼機及び回転翼機で
あり、ビジネスジェット機はタービンエンジンを搭載した固定翼機ということになります。ビ
ジネスジェット機はビジネス航空の頂点に位置していることは確かですが、ビジネス航空はと
ても広い裾野を持っていますから、ビジネスジェット機だけを対象にした施策は必要ではあっ
ても十分とはいえません。
NBAA におけるヘリコプタの位置付け
さて、NBAA2008 におけるヘリコプタですが、実機展示会場となったフロリダ州オーラン
ド・エグゼクティブ空港には 120 機以上の機体が展示されていましたが、ヘリコプタはシコル
スキー社の S-92 だけでした。
一方 1,200 社が一般出展するオレンジ・カウンティ・コンベンション・センターには、アグ
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スタウェストランド社、ベル社、ベル/アグスタ・エアロスペース社、ユーロコプター社、シ
コルスキー・エアクラフト社がブースを構えていました。アグスタウェストランド社が最も熱
心で AW119、AW109、AW139 と AW101 の超豪華キャビンモックアップを展示し、隣接する
ベル/アグスタのブースにはベル社と共に BA609 ティルトロータ機のモックアップを展示し
ていました。これに対してベル社は Bell407、シコルスキー社は S-76C、ユーロコプター社は
EC130 だけの展示でした。
エグゼクティブ空港の S-92
コンベンション・センターのアグスタ
ウェストランド社のブース AW139
そのうちの一社のブースで暇そうにしている説明者に「ヘリコプタはなぜこんなに低調なの
か」と聞くと、
「ヘリコプタのメーカーは HAI(Helicopter Association International)の展
示会に注力しているので NBAA の展示内容は控えめだ」と答えてくれました。展示会開催期
間中に会場で配布される「コンベンション・ニュース」にも「今年は展示会場で数機のヘリコ
プタを見かけることができた。ヘリコプタ・メーカーが NBAA の展示会に機体を展示するのは
初めてではないが、ビジネス航空の分野でヘリコプタがその存在を主張し始めている」といっ
た記事を載せています。NBAA におけるヘリコプタ部門の活動は以前から低調だったようです。
このことは NBAA の歴史を振り返ると分かるような気がします。NBAA は第 2 次世界大戦
が終結して大量の軍用の機体やパイロットが民間に復帰しようとしたときの混乱を収拾し業
界を組織化するために、1946 年 3 月に活動を開始し、11 月には暫定的組織として Corporation
Aircraft Owners Association(CAOA)を設立し、1947 年 9 月に第 1 回の年次総会を開催してい
ます。後に National Business Aviation Association(NBAA)となったものです。第 2 次世界
大戦終結の時点ではヘリコプタはやっと基本的な形態が確立された時期であり、大戦中に軍用
機として使用されたのも部分的でしたから、CAOA 設立の時にはヘリコプタはその対象にはな
っていなかったでしょう。また固定翼ビジネス機と回転翼ビジネス機では性能も運用の仕方も
違いますから、ヘリコプタは NBAA に馴染めなかったのではないでしょうか。飛行高度の相
違、エアポートとヘリポート、FBO の利用の仕方の相違、教育訓練の相違等運航を支援する
システムも全く同じではありません。
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ビジネス航空と言う範疇では同じですから、同じ協会の中で足並みをそろえてビジネス航空
の発展に努めようとしても、ヘリコプタは主流にはなれなかったのだと思います。NBAA の展
示会でビジネス航空におけるヘリコプタの位置づけについて示唆を得ようとしたことが間違
えだったようです。でもこのことが米国においてヘリコプタがビジネス航空として低調である
と言うことではありません。それは HAI の展示会を見れば明らかです。今年の HAI の展示会
「第 63 回 HELI-EXPO 2011」はフロリダ州オーランドで開催され、出展した企業団体数は
625、展示機体数は 50 機以上、登録参加者は 2 万人以上と安定した繁栄振りを示しています。
HAIに照らして我が国を思う
米国のヘリコプタの業界も第 2 次世界大戦後独自に組織化を進めており、1948 年 12 月に有
志が会合して「ヘリコプタ協議会」を設立しています。翌年には「カリフォルニア・ヘリコプ
タ協会(CHA)」と改名し、ヘリコプタの性能向上に伴い急速に活躍分野を拡大してゆくヘリ
コプタ業界の支援を活発化しています。規模の拡大に伴い 1951 年に「米国ヘリコプタ協会
(HAA)」と改名しました。
1948 年の立ち上がりのときは、ほんの一握りの会員数だったが、この時点で会員数は運航
会社が 17、
運航しているヘリコプタは 50 機を数えるまでになっており、準会員としてベル社、
ヒラー社、
シコルスキー社が名前を連ねています。1954 年の年次総会には 50 の会員が参加し、
さらに 75 のゲスト参加者が米国を始め日本を含む世界各国から参加しています。その後もヘ
リコプタの活躍分野は拡大を続け、それに伴って HAA の会員数も拡大していき、1958 年の時
点ではヘリコプター運航会社の数は 160 社を数えヘリコプタの機数は 635 機となり、1961 年
にはヘリコプタ運航会社の数が 200 社を越し、ヘリコプタの機数も 700 機を越えたことを受
けて、HAA の会員数も正会員 57、準会員 24、政府関係4、合計 85 に達しました。またベト
ナム戦争の開始によりヘリコプタの新しい技術や機能が開発され、新たに養成されたパイロッ
トや整備士といった人的資源が大量に民間に流入してくることによって、ヘリコプタのサービ
スも多様化して行きました。1966 年には会員数増加のキャンペーンを行い、1967 年の展示会
には過去最大の 3 倍の参加者があり、会員数も前年の 4 倍となりました。
参 加 者 も 会 員 も 国 際 的 に な っ た た め 、 会 の 名 称 を HAI(Helicopter Association
International)に改名する案が検討され 1981 年に実施されています。1973 年に創立 25 周年
を迎えた記念大会には登録入場者が 1,500 人を超し、会員数も正会員 209、準会員 81、賛助会
員 41、合計 331 となり、国際会員も 29 を数えるまでになっています。その後も順調に発展し、
2010 年 1 月のデータによれば会員数 2,554、その内訳は正会員 573、準会員 827、個人会員
1074、提携会員 80、その中で国際会員は 416 となっています。正会員はヘリコプタの運航会
社であり、4,565 機のヘリコプタを運航しています。あくまでもヘリコプタを使用してビジネ
スを行うところが主役なのでが、それを支える関連企業団体のほうが圧倒的に多いことが分か
ります。正会員には日本からは朝日航洋、アルファー・アビエーション、エクセル航空の 3 社
が登録しています。準会員は製造業、商社、サービス業のほか、ヘリコプタの賃貸、救急医療
搬送を行う病院等が含まれます。日本からは川崎重工業、ITC エアロスペース、東京倉庫運輸
の 3 社が登録しています。個人会員には日本からは朝日航洋の望月清光氏がただ1人登録して
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います。
このように米国の HAI はヘリコプタがビジネス航空として胎動を始めたときから 60 年以上
にわたって、業界そのものが組織的に活動支援を継続し隆盛を獲得してきています。このよう
なシステムは日本にもあるだろうか。運航会社の組織という意味では全航連(全日本航空事業
連合会)があり、定期航空部会、飛行機部会及びヘリコプター部会で構成されています。メン
バーは賛助会員数社を除いて運航会社だけであり、調査研究、統計・情報収集、意見交換、陳
情等を行っています。日本ヘリコプター協会はもともと米国ヘリコプター協会(AHS)の日本
支部として発足し、日本ヘリコプター技術協会を経て現在に至っており、技術的課題を対象と
する学界的な性格が強い組織です。従って日本には HAI のような組織が存在しないのです。
なぜでしょうか。日本の固定翼ビジネス航空の場合は、戦後 7 年間の航空の空白期間に機材は
壊滅し人材は散逸してしまったので、米国のように戦後に大量の機材と人材が民間航空に流入
するという現象はありませんでしたから、業界を組織化する必要性があまりなかったと言える
でしょう。しかしヘリコプタの場合はもともと機材も人材も無かった状態でした。戦後の航空
関連の活動禁止が昭和 27 年(1952 年)に解除されると、昭和 28 年(1953 年)には川崎航空機が
ベル 47D-1 のノックダウン生産、昭和 29 年(1954 年)には新三菱重工業が S-55(H-19)のノ
ックダウン生産を開始しています。ヘリコプタの新しい機能に魅力を感じていたのだと思いま
す。その後も盛んにライセンス生産が行われますが自衛隊向けがほとんどであり、ビジネス航
空に利用される場面は限定されたものでした。現在でもビジネス航空としてのヘリコプタは輸
入機が多いのが現状です。輸入機でもかまいません。ビジネス航空としての活動が活発になれ
ば事業として確立されるからです。
日本のヘリコプタ将来ビジョン
我が国のビジネス航空の発展性はどのくらいあると考えられるのでしょうか。米国の実績に
対する両国の国内総生産(GDP)に比例する割合までは可能性として考えてよいのではないか
と思います。2009 年の米国の民間ヘリコプタ登録機数は 14,269 機、日本対米国の GDP は
50,681 対 142,563 憶米ドルですから、日本国内の経済活動を支えるには 5,000 機以上のヘリ
コプタがあってもよいということになりますが、現実には 786 機しかありません。
このような考え方は乱暴だと言われるでしょうが「可能性」としてとして容認できるならば
さらに追求する価値があると思います。運航会社(オペレータ)を中心として関連する業界を
含めた常設のヘリコプタ活用懇談会を立ち上げるべきではないでしょうか。固定翼ビジネス航
空についても同様の考え方ができると思っています。
大西正芳氏のプロフィール
昭和 16 年 4 月 16 日生
千葉県市川市出身
昭和 40 年東京大学航空学科を卒業し川崎航空機工業(現川崎重工業)入社
ヘリコプタの技術部門を歴任し、
平成 9 年から 14 年までカワサキヘリコプタシステム社常務取締役
現在 名城大学工学部交通科学科非常勤講師・(株)航空ニュース社編集顧問
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◇
ホームページのご案内
http://www.jbaa.org/
協会ホームページ
ホームページで、新着情報等より詳しい情報を提供させていただいておりますのでご利
用下さい。
◇
入会案内
当協会の主旨、活動にご賛同いただける皆様のご入会をお待ちしています。会員は、正
会員(団体及び個人)と本協会の活動を賛助する賛助会員(団体及び個人)から構成され
ています。
詳細は事務局迄お問い合わせ下さい。入会案内をお送り致します。
入会金 正会員
団体 50,000 円
個人 20,000 円
賛助会員
団体 30,000 円
個人
年会費 正会員
1,000 円
団体 120,000 円以上
個人 20,000 円以上
賛助会員
団体 50,000 円以上
個人 10,000 円以上
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ご意見、問い合わせ先
事務局までご連絡下さい。
(NPO)日本ビジネス航空協会 事務局
〒100-8088
東京都千代田区大手町 1 丁目 4 番 2 号
Tel:03-3282-2870
丸紅ビル3F
Fax:03-5220-7710
web: http://www.jbaa.org
e mail: [email protected]
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