■与川道(Yogawa-michi) 三留野宿から野尻宿へと、木曽川沿 いに続く中山道は屈指の難所で、ま た、水害でしばしば通行不能に陥っ た。その迂回路として開かれたのが 与川道です。 ■廿三夜塔(Nijusanyato) 二十三夜の遅い月の出を拝み、豊作 などを祈る民俗信仰の石塔です。 ■等覚寺(Togakuji-Temple) 300年ほど前に創建された曹洞宗の お寺。境内には円空堂があり、3体 の円空仏が安置されています。 ■三留野宿(Midono-juku) 往時の宿場の面影はほとんど失われ ていますが、南木曽駅から北へ2km ほど歩くと緩やかな坂道に沿って出 し梁の家並みがわずかに見られます。 本陣跡には高さ8mほどの枝垂れ桜の 老木があり昔を偲ばせています。 ■桃介橋(Momosukebashi) 福沢桃介が水力発電開発のために架 けた吊橋で、全長247mの木製補網 トラスを持つ吊橋としては日本最大 ・最古のものです。 (平成5年復元・国指定重要文化財) お問い合せ先 中津川市役所 TEL(0573)66-1111 南木曽町役場 TEL(0264)57-2001 南木曽町観光協会 TEL(0264)57-2001 妻籠宿観光案内所 TEL(0264)57-3123 山口村役場 TEL(0573)75-2126 馬籠観光案内所 TEL(0264)59-2336 JR南木曽駅 TEL(0264)57-2044 JR中津川駅 TEL(0573)66-1201 おんたけ交通 TEL(0264)57-2346 南木曽観光タクシー TEL(0246)57-3133 濃飛バス TEL(0573)66-1331 北恵那交通タクシー TEL(0573)66-4649 近鉄東美タクシー TEL(0573)66-1221 東鉄タクシー TEL(0573)65-2184 中央高速バス(名鉄バス/信南交通/伊那バス) 名古屋予約センター TEL(052)582-0489 飯田予約センター TEL(0265)24-0007 ■福沢桃介記念館・山の歴史館 (Momosuke-Kinenkan・ Yamanorekishikan) 電力王福沢桃介の旧別荘で遺品など を展示公開しています。大正11年の 建築で、川上貞奴とともに滞在して いました。 山の歴史館は、旧御料局名古屋市庁 妻籠出張所の建物で、民間に払い下 げられたものを復元し、山に関する 資料館として公開しています。 ■園原先生碑(Sonoharasensei-hi) 三留野東山神社神官の家に生まれた 園原旧富。江戸中期の有数の学者で、 尾張・美濃・信濃に多くの門人を擁 していた。彼を偲んで建立した碑で す。 ■和合の枝垂れ梅(Wago Shidareume) 江戸時代、木曽谷有数の酒造家遠山 氏の庭木として愛育されてきた古木 です。 約 歩 鯉岩● ) 7 P P P 妻籠城跡 256 上久保一里塚 「道の駅」賤母 ● 東山魁夷・心の旅路館 ● おんたけ交通 バス停 [Bus stop] ふりそで松● 駐車場 [Parking] 枝垂梅 園原先生碑 (四叉路) 駅 曽 木 o 南 agis N 和合 ● ● ●蘭発電所 [Araragi Hatsudensyo] WC 神戸 濃飛バス バス停 [Bus stop] 木曽福島・松本方面へ [for KISOFUKUSHIMA・MATSUMOTO] ■ WC WC ■ ビューポイント [Point of Transpot] 本陣跡[Honjin-ato] 廿三夜燈■ ■ ●枝垂桜 ■ WC 石畳 石碑 [Tombstone] 三留野宿 WC ● 南木曽町博物館 良寛歌碑 河川 [River] 等覚寺 [Tokakuji-Temple] 読書小学校 ● 籠 P 一般道 [Road] 与川道 [Yogawa-michi] 木曽路ビール ホテル木曽路● 光徳寺 [Kotokuji-Temple] WC ぎん木犀● 中山道 [NAKASENDO Historical & Hiking Road] 公衆トイレ [Toilet room] 峠の茶屋 〈 かぶと観音・神明神社 [Kabuto-Kannon Shirine] (変形五叉路) SL公園 WC 19 ■ 読書発電所 [Yomikaki hatsudensyo] 木曽川 福沢桃介記念館・山の歴史館 [Momosuke-Kinenkan Yamanorekishikan Museum] 天白公園 ■ ● ● ■ 悲しめる乙女の像 桃介橋 [Momosuke-bashi] 伊勢山 1,373m 山口ダム ■かぶと観音(Kabutokannon) 木曽義仲が北陸路に出撃しようとし たとき、かぶとの八幡座の観音を祀っ たのがはじまりと伝えられています。 ■上久保の一里塚 (Uwakubo Ichirizuka) 江戸から78里目の塚。町内で原形を とどめているのはここだけです。 大 ・ 明 神 下 ・ 籠 妻 谷 り 〉 雄滝・雌滝 [Odaki-Medaki Falls] 倉科祖霊社 石畳 WC ■ ● WC ● 追分 下り谷 WC 〉 宿 WC 石柱道標 妻籠発電所 (飯田街道追分) ■ [Tsumago-hatsudensyo] 徒 WC そば道場木曽路館● 妻 0分 恵那山 2,190m ●ホテル花更紗 ●クアリゾート湯舟沢 馬籠峠 [Magome-toge pass] 〈 高札場 富士見台・神坂峠へ [for FUJIMIDAI・MISAKATOGE] ●木地師の里 蘭 川 南木曽岳 1,677m 恵那山トンネル 中津川温泉 256 ( km 3.9 P 昼神温泉・飯田へ [for HIRUGAMI・IIDA] 清内路峠を経て 昼神温泉・飯田方面へ [for HIRUGAMI・IIDA] WC 天狗の腰掛け (椹の巨木) ■ WC ■ 石畳 子安観音 ● WC 子規句碑 熊野神社 WC [Kumano-jinja Shirine] 6 宿〉 WC ■ 高札場 滝見茶屋 P ■一石栃番所跡 歩 徒 (Ichikokutochi-bansyoato) ( km 下り谷にあった白木改番所が寛永2年 3.6 ■鯉岩(Koi-iwa) (1749)にここ一石栃に移され、以 中山道三名石の一つに数えられた岩 来明治2年まで木曽五木(ひのき、さ ですが、明治24年に濃尾大地震によ わら、あすなろ、こうやまき、ねずこ) り頭の部分が落ちてしまいました。 をはじめとする伐採禁止木の出荷統制 ■寺下の町並(Terasita) が行われました。ここにはまた立場茶 昭和43年にはじまった長野県明治百 屋もありました。 年記念事業。いわゆる妻籠宿保存の ■馬籠峠(Magome-toge) 原点ともいえる場所です。上嵯峨屋 中山道の難所の一つですが、昭和年代 ・下嵯峨屋の公開建物もあります。 になって頂上が10数メートルほど削ら ■石柱道標(Sekichudohyoh) れて低くなり、現在の海抜は801mで 妻籠は中山道と飯田街道の分岐点と す。この峠が妻籠宿と馬籠宿の境にな して栄えたところで、この碑は明治 り、正岡子規の「白雲や青葉若葉の三 ■良寛歌碑(Ryokan-kahi) 十里」の句碑が道標を兼ねて建ってい 江戸後期の歌人良寛がこの付近を通っ 14年(1881)に飯田・近江・地元 の商人によって建てられたものです。 ます。 たとき詠んだ和歌が歌碑になってい ■藤原家住宅(Fujiwarake-jutaku) ■峠の集落(Toge) ます。 大きな改造が加えられていますが、 馬籠峠を馬籠側に下ったところにある ■妻籠城跡(Tsumagojo-ato) 調査の結果、間取り・構造・仕上が 集落です。江戸の頃は民間の輸送には 戦国時代から妻籠は木曽の南の抑え として重要な役割をもっていました。 りから17世紀半ばまで遡ることが判 牛が使用されていました。牛は「岡船」 明した古い建物です。(県宝、未公開) とも呼ばれ、陸路輸送の中心的存在で、 妻籠城は、主郭・二の郭・空堀・帯 ■倉科祖霊社(Kurashinasoreisya) 峠集落の人々の多くがこの牛方の仕事 曲輪を備えた規模の大きな山城でし 天正14年(1586)松本城主小笠原 に従事していました。峠集落は宝暦12 た。主郭からの妻籠宿・三留野宿の 貞慶の重臣倉科七郎左衛門朝記は従 年(1762)の大火でほぼ全焼しました 展望がみごとです。 滝見茶屋 桝形跡 中央高速バス停 子安観音 南木曽町博物館 良寛歌碑 Nagiso Nakatsugawa 者30余名とともに地元の土豪たちに が、その後は火災もなく、江戸時代の ■読書発電所 よって全滅させられました。その倉 建築遺構がよく残っています。 (Yomikaki-hatsudensyo) 科の霊を祀ったものです。毎年4月 ■馬籠宿(Magome-juku) 大正期の水路式発電所を代表するも 3日にはお祭りが行われます。 木曽11宿の最南端、美濃との国境にあ のです。(国指定重要文化財) ■男滝・女滝(Otaki・Metaki) り、江戸板橋から数えて43番目の宿場 ■妻籠宿(Tsumago-juku) です。中山道が急な山の尾根を通って 慶長6年(1601)、江戸幕府によっ 吉川英治の「宮本武蔵」のなかに武 蔵とお通のロマンスの舞台として登 いることから、全国でも珍しい「坂に て「宿駅」が定められ、江戸から 開けた宿場」となっています。宿場は、 42番目の宿場として整備された妻籠 場する滝です。また、滝壷に金の鶏 が舞い込んだという倉科様伝説も伝 水利が悪くまた吹き上げる風が強いこ 宿。明治以降は宿場としての機能を わっています。 とからしばしば大火に見舞われ、とり 失い、衰退の一途を辿っていました わけ明治28年と大正4年の大火によっ が、昭和43年から歴史的町並みの保 ■子安観音(Koyasukannon) 昔からこの付近に住むものは難産し て江戸時代の民家はことごとく焼失し 存事業により、宿場の景観を蘇らせ てしまいました。島崎藤村の小説「夜 ています。51年には、国の重要伝統 ないといわれ、信仰の対象として子 安観音が祀られています。現在も安 明け前」はこの宿場を舞台に書かれて 的建造物群保存地区に選定されてい 産祈願に訪れる人の姿が見られます。 います。 ます。 町・ ■落合宿(Ochiai-juku) 中山道69宿の一つで、江戸板橋より 44番目、美濃路の最東端の宿になり ます。横町には桝形が残り、上町と の角には寛政4年(1792)に建てら れた常夜灯が残っています。 車屋坂 ■ 藤村記念館 桝形跡 P ■ 永昌寺 [Eisyoji-Temple] P 新茶 諏訪神社 石屋坂 島崎正樹碑 ■ 丸山坂 丸山城跡 屋〉 荒町 WC 新茶屋(立場跡) ■ 五輪塔 3.6km (徒歩 ) 0分 〈荒 〈馬籠 一石栃口留番所跡 [Ichikokutochi-Kuchidomebansyo-ato] 高土幾山 1,037m 高土幾山 1,037m 約 ■ 水車塚 1.7km(徒歩約30分) 大妻籠 神坂S.A. (名古屋方面) 峠之御頭頌徳碑 梨乃木坂 十返舎一九碑 大妻籠一里塚 ■藤原家住宅 [Fjiwarake-jutaku Farmhouse of Edoperiod] 神明 〈峠〉 神坂S.A. (飯田方面) 1.3km (徒歩約20分) ●ふれあい牧場 中央高速バス停 芭蕉句碑 是より北木曽路の碑 展望台■ 約60 分) ■五輪塔(Gorinto) 田んぼの脇にある五輪の石塔群。木 2.7 曽義仲の異母妹・菊姫が尼となって km( 徒歩 義仲の死を弔った寺の跡だと伝えら ■石畳(Ishidatami) 約4 0分 木曽と美濃の国境、新茶屋から5分 れています。 ) ほど岐阜県側に寄ったあたり、欝蒼 ■丸山城跡(Maruyamajo-ato) 馬籠の南方、荒町の中山道に沿った とした森林木立の中に昔日の面影を 丘陵にある戦国時代の山城です。天 今にとどめた石畳が続きます。この 正12年の春、豊臣秀吉は家康の攻撃 うち70.8mは岐阜県の史跡に指定さ に備え、木曽路の防衛のため木曽良 れています。石畳は現在の舗装道路 昌に命じて妻籠城を固めさせました。 に相当します。 良昌は島崎重通に馬籠城を守らせま ■ナンジャモンジャの杜 すが、家康は飯田城の菅沼定利・高 (Nanjamonja no mori) 遠の保科正直・諏訪の諏訪頼忠に木 学名を「ヒトツバタゴ」というモク 曽攻略を命じ、三軍の一部が馬籠城 セイ科の落葉高木で、本州中部の木 に向けて進軍しました。島崎重通は 曽川流域に分布する、雌雄が異株の 夜陰に乗じて妻籠城に逃れたといい 稀産種です。5∼6月ころ小枝の先に 多数の白い花を咲かせ、その姿は壮 ます。 観です。村人たちはこの木の学名が ■新茶屋(Shinchaya) 江戸のころ十曲峠の岐阜県側にあっ 分からなかったことから「ナンジャ た立場茶屋がここに移ったことから モンジャ」と呼んでいました。 この地名があります。路傍には中山 ■十曲峠(Jukkyokutoge) 道でも珍しい一里塚が昔の姿で残っ 馬籠宿と落合宿の境にある標高 ており、少し離れて正岡子規の“桑 500mの峠ですが、登り下りの頂上 の実の木曽路出づれば穂麦かな”の のない峠です。江戸時代は中山道の 句碑があります。また近くに美濃路 難所の一つで、急坂を解消するため、 明和 8年(1771)に現在のように を一望できる小公園があります。 付け替えられました。このあたりは ■芭蕉の句碑(Basyo-kuhi) “送られつ 送りつ果ては 木曽の 中山道の古い面影がよく残っていま す。 龝”の句が刻まれた天保13年 (1842)建立の碑。このころ岐阜 ■医王寺(Ioji-Temple) 落合宿は十曲峠に近い中山道傍にあ 県の美濃地方一帯には芭蕉を慕う 「美濃派」と称する俳人が多く、こ るお寺。古くは天台宗の寺院であっ れらの人々が芭蕉の供養として建て たものが、争乱で堂塔が罹災し廃寺 となり、天文13年(1544)に再興、 たものです。 浄土宗に転じました。本尊の薬師如 ■「是より北 木曽路」の碑 来は行基の作と伝えられ、虫封じの (Koreyorikita Kisoji no hi) 岐阜県境、中山道の路傍にあり、昭 薬師として広く信仰を集めました。 和15年7月、当時68歳だった藤村が 江戸時代は旅人相手に「きつね膏薬」 地元の要請によって揮毫したもので を売っており、刀傷に特効があった す。藤村記念館の落成10周年を記念 といいます。奥庭の池の傍に芭蕉の して昭和32年11月に「ふるさと友の “梅が香に のっと日の出る 山路 かな”の句碑があります。 会」によって建立されました。 南 木 曽 437m 駅 ■落合宿本陣(Ochiaijuku-Honjin) 本陣の井口家は千村方、脇本陣・塚 田家は山村の庄屋をしており、問屋 も兼ねていました。本陣の門は文化 12年3月の大火後に加賀の前田家よ り火事見舞いとして贈られたもので す。家の中には善昌寺に通じる抜け 穴があります。 ■落合五郎の館跡 (Ochiaigoro Yakataato) 木曽義仲の父・義兼は久寿2年源義平 に殺されますが、このとき3歳だった 義仲は母に抱かれて木曽に逃れ、中 原兼遠に育てられます、中原兼遠に は3男1女があり、3男が落合五郎兼 行で、長じて義仲に仕えたといわれ、 ここ落合に館を構えたと伝えられて います。 ■中津川宿(Nakatsugawa-juku) 奈良・平安の昔から東山道の要衝の 位置にあり、江戸時代には中山道の 宿場として賑わった街です。古くか ら商業活動が盛んで、町並みは 1,100mにも達し、旅籠屋は大小29 軒あったといいます。 木曽海道六拾九次之内 中津川 広重画 ■ナンジャモンジャの杜 一里塚 石畳 ●石畳の茶屋 中央 自動 車道 医王子 [Ioji-Temple] 十曲峠 ● 下桝橋」 〈落合宿〉 2. 5k m ( 徒 歩 約 木曽ごへー本舗 ● 善昌寺 [Zensyoji-Temple] 40 分 ) 落合沖田 19 落 合 川 恵那・名古屋方面へ [for ENA・NAGOYA] ■ 本陣跡 石柱道標 ■ ■下の桝形 中津川 I.C. 落合五郎 の館跡 子野一里塚 子野地蔵堂跡[Kono-jizodo-ato] すや西木 (子野の石仏群) すや西木 65-1718 ■ 65-1718 ● 覚明神社 [Kakumei-jinja Shirine] ■ 与坂立場跡 木曽川 落合ダム 19 ●川上屋手賀野店 65-6410 高峰山 945m JR 4.0 km ( 徒 馬 籠 峠 3.8km 徒歩約60分 (バス10分) 妻 籠 宿 2.7km 徒歩約60分 (バス7分) 下 り 谷 2.5km 徒歩60分 (バス10分) 3.3km 徒歩約60分 801m (バス10分) 中央 芭蕉句碑 線 中津高校● 歩 約 70 分 高札場 ■ 間家 大正の蔵 ■ 中津川駅 Nakatsugawa ) 問屋脇本陣跡 ■ ■ ■ 本陣跡 卯建のある家並み 中津川宿 [Nakatsugawa-juku] 257 馬 籠 宿 下呂方面へ 木 3km 是 徒歩約40分 曽よ 0.3km 路 (バス10分) り 徒歩約10分 の 北 碑 石 畳 4km 徒歩約70分 (バス15分) 3.5km 落 徒歩約50分 合 (バス10分) 宿 350m 中 津 川 宿 324m
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