第771号 昭和7年の井上四郎氏退職への餞別奉加帳を収蔵

アーカイブ
ブ新聞
(2 015 年 2 月 8 日
第 771
1 号)
国立天文台・
国
・天文情報セ
センター・特
特別客員研究
究員
中桐正夫
和 7 年の井上
上四郎氏退職
職への餞別奉
奉加帳を収蔵
蔵
*昭和
アー
ーカイブ室新
新聞第 18 号(2008
号
年 6 月 9 日)に「井上四郎資
資料 1(初代
代東京天文台
台長寺
尾寿の
の記念行事の
の集合写真)
イブ室新聞第
第 19 号(20
008 年 6 月 111 日)「井上
上四郎
」、アーカイ
資料 2(第 1 回文
文化勲章受賞
賞 木村栄の 正装写真発見)」、アーカ
カイブ室新聞
聞第 20 号 (2008
「
「井上四郎資
資料 3(三鷹
鷹村大沢
年 6 月 11 日)、
天文
文台南の水田の写真発見
見)」、アーカ
カイブ
室新聞
聞第 24 号(2008
(
年 6 月 17 日)
「井
井上四郎資料
料 4(麻布時代
代のドームと
と井上四郎氏
氏)」、
アーカ
カイブ室新聞
聞第 25 号(2008 年 6 月 18 日)「井
井上四郎資料
料 5(井上四
四郎氏著書:
:天文
小話)
)」、アーカイ
イブ室新聞第
第 38 号(20
008 年7月 3 日)
「井上四
四郎氏の情報
報の追加(新
新星発
見、内
内村鑑三との
の関係)
」と大正から昭 和初期にかけて東京天文
文台で主に太
太陽観測に従
従事し
た井上
上四郎関係の
の資料収蔵に
についての記
記事を書いて
てきた。
今回
回はこれらの
の記事の続編
編であり、井
井上四郎のお
お孫さんにあ
あたる方から
ら譲渡いただ
だいた
資料の
の中にあった
たもので、昭
昭和 7 年の退
退職の際の餞
餞別の奉加帳
帳(写真 1、 2)である。この
餞別の
の奉加帳で当
当時の職員、
、どんなもの
のが贈られた
たかで当時の
の事情を垣間
間見ることが
が出来
る。目録には金側
側腕時計、ラ
ラヂオ受信機
機とある。奉
奉加帳の筆頭
頭者は当時の
の台長であっ
った早
清房であり、
、2 人目に名を連ねてい るのは 65 ㎝望遠鏡建設
㎝
設を指揮した
た橋元昌矣である。
乙女清
写真 1 奉加帳 1 枚目
写真 2 奉加帳 2 枚目
の奉加帳に名
名前を連ねた
たのは 46 名
名である。この中には筆者が昭和 366 年に東京天
天文台
この
に入っ
った時に在職
職されていた
た方々もおら
られる。しか
かし、今年は
は昭和 90 年に
にあたり、こ
この奉
加帳か
から 83 年を
を経ているの
のでご存命の 方はいないと思われる。
。筆者は東京
京天文台岡山
山天体
物理観
観測所に入っ
ったので、そ
その時点で三
三鷹にいた人
人すべてを知
知っているわ
わけではない
いが、
筆者が
が存じ上げて
ている当時の
の現役は、台
台長であった
た宮地政司、子午線部部
部長であった
た中野
三郎、
、天文計算室
室におられた
た千場
達、 工作係長で
であった竹田
田吉雄、また
た、昭和 41 年に三
年
鷹に移
移った当時よく存じ上げ
げ、お会いし
した方々には
は、辻光之助
助、加藤平蔵
蔵氏などがお
おられ
る。そ
そして東大天
天文学教室の
の教授に移ら
られていた鏑
鏑木政岐、藤
藤田良雄の方
方々がいる。
この
のように退職
職者に餞別を
を送る習慣は
は長い慣行に
になっていた
たが、一度に
に辞める定年
年退職
者がどんどん増え
えて、その人
人数が 10 人 ほどに増えた時だったか
か、もう餞別
別、記念品を
を贈る
は止めにしよ
ようとなくな
なって久しい
い。
習慣は
グランドの南東
東に大きなヒ
ヒマラヤスギ
ギが 3 本立っているが、
、これがこの
の習慣を象徴
徴する
な存在である
る。昭和 45 年(1970 年
年)3 月に定年
年退職された
た広瀬秀雄、 虎雄正久、長沢
ような
進午の
の 3 教授が
が定年退官されたときの 記念植樹で植
植えられたも
ものである。 この時、餞
餞別で
集められたお金で
でそれぞれに
に真鍮製の 336 インチ天体
体写真儀(堂
堂平の 91 ㎝
㎝望遠鏡)、写
写真天
コロナ観測所
所)の模型が
が贈られた。
頂筒(PZT)、25 ㎝コロナグラフ(乗鞍コ
れらアーカイ
イブ新聞の記
記事にお気づ
づきのことが
があれば、編
編集者中桐に
にご連絡いた
ただけ
これ
れば幸
幸いです。中
中桐のメール
ルアドレスは
は、arcnaoj@
@pub.mtk.na
ao.ac.jp