被災地の状況報告 4月 17 日午後5時から、本山の前線基地が置かれている宮城県大崎市古川の弘法寺へ、 片道 1072km トータル走行距離 2867km を車を飛ばしてボランティアに参加してきました。 想像を絶する景色に、自然の偉大さと人間の無力さの中で生きる姿を目の当たりにし、心 を開いて報告できない状況はありますが現状を報告させていただきます。また、4 月28 日 は七七日忌に当たり、0泊3日の行程で南三陸町の河川敷で、冥福を祈ると共に行方不明 者が速やかに発見されますよう心経 1000 巻を読誦させていただきました。 4月18日 宮城県石巻市羽黒町の壽福寺へ復興支援に伺いましたが、3日前に電気・水道・下水 が使えるようになったと、笑顔でご住職様が話をしてくださいました。1ヶ月ぶりに 電気が来て生活が一変した事や、もう自力で復興できる事を告げられました。 お話しの中で、西へ1.5km 程行った、普誓寺(石巻市中浦2丁目)の復興が進んで いないことを聞き普誓寺へ向かう。真言宗智山派の寺院で欅作りの本堂と客殿等があ り、多くのボランティアの方々が泥かきをされていた。 ご住職様の話では、素晴らしい山門が有ったそうですが、地震で壊れた処に津波が来 て、綺麗に掃除をしてくれたと笑いながら話しをしてくださいましたが、この状況で は心を癒すためにも笑うしかないのでしょうね。 普誓寺 此処に山門が建っていた 欅材の柱で支えていたが、 流されて4寸角の木で支え ている 此処から下は、3日間水が 引かなかったと聞きました ご住職様は、避難所で生活を されている 多くのボランティアの方々が 泥かきや位牌の整理をされて いた 写真を写す気にはなれない 4月19日 -1- 南三陸町志津川 旭ヶ丘コミュニティーセンターの避難所で、化粧品の配布とヘアーメ イクのお手伝いをする。 団地の自治会長様の指揮で、統率の取れた生活がなされて居る。 団地の集会所の一室をお借りして、麓の住民 11 名が避難されている。 志津川は、人口の8割の方が死亡か行方不明で、自衛隊が日々捜索を行っている。 チリ地震の津波で被災した経験が災いし、海岸の方は迅速に避難したが高台の方は、 安全と思い込み、避難放送に耳を傾けず自宅にいて流されたと聞く。 南三陸町 旭ヶ丘コミュニティー センター 海岸から 2.5km の奥地まで 津波が押し寄せていた (車の計測による) -2- 家の基礎コンクリートだけが 残る住宅 病院の三階からは、吹出す 様にガレキが出ている 家の下のフェンスまで津波 が来ている 1階が水に浸かっている -3- ヘアーメイクと化粧品の配布 ヘアーメイクは午前 10 時から午後4時まで、休むこともなく続けられた 皆さん、素晴らしい笑顔で帰られる 外は霙が舞っていて、とても寒かったが桜は咲いていた。 化粧品の配布 楽しそうに会話をしながら、商品の品定めを行う女性達 -4- 4月20日 相模宗務支所から送られた子供用衣料品の配布で、岩手県釜石市駒木町の釜石教会へ 行く 釜石港湾口防波堤 (世界に誇る防波堤が無残な姿に) 釜石港は津波の被害を受けやすい三陸海岸にあって古来から数多くの津波に襲われ 尊い人命と貴重な財産を奪われてきた。この釜石湾沿岸を津波から恒久的に守るた めに、昭和53年から津波防止を兼ねた世界最大水深(-63m)の湾口防波堤の建設 が進められてきたが、自然の力には無意味であった。 釜石教会 海 岸 -5- から 5km 離れた奥地に避難所があった。 テントは、山の木を伐採して自分たちで建てたと話していただいた。 中心的な方は、釜石製鉄所で働いて居られた方々。 吉里吉里小学校 テレビにもよく放映される、岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里小学校には、多くの子供 が居られると聞き向かうが、21 日から学校が始まり避難所を出なければならない事も あり衣服の配布は得られなかった。 医療スタッフ(大阪医療チーム)が常駐されていて、環境がとても整っている避難所で ある -6- 自衛隊が設営した仮設トイレ ソフトバンクが、避難者用携帯アンテナを 設置していた -7- 釜石からの帰り道は、この様な状態でとにかく寒い!!! それに、弘法寺から釜石へは、片道 250km 以上の距離があり、海抜 1000 m位の山を 幾つも超えないと被災地へ行けない。 仙台空港周辺 名取川の氾濫で、仙台空港周辺の田園地帯は全て津波にのみ込まれている。 走っても走っても素晴らし田園が続くが、塩害の除去は進むのであろうか! 震災から1か月以上が過ぎ、多くの避難所には電気や水道等のライフラインが整備されつ つあり、食料品は大方行き届いているようであったが、避難所で生活されて居る方々は立 場の違いによりかなり格差が出ている。それでも我慢をされながら生活をされている姿に は涙が止まらなかった。 震災時の話をお聞きすると、胸の支えが取れたように事細かく様子を話してくださっ たが、傾聴と言われるが人間関係が確立されていてはじめて行えることであると実感 する。震災直後に現地入りし、ボランティア活動を続けて居られる五味参事様のご苦 労が有ったからこそ行えるのであった。 子供用衣料品の配布で伺った避難所の中には、門前払いのような対応をされた処も有 り、押し売りのようなボランティアはかえって迷惑である。 今後は、復興に向けた方法での協力が必要で有ると考える。 最期に、テレビ等で支援物資を送って欲しいと報じられても、何処の避難所が必要な のか何時まで必要なのかを考慮して物資を送らないと、置く場所もなく迷惑極まりな い支援になることを付け加えさせていただきたい。 -8-
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