4.4 沖積層および完新世段丘 - ResearchGate

4.4 沖積層および完新世段丘
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4.4 沖積層および完新世段丘
■4.4,1研究史からみた関東平野の沖積層
関東地方の沖積層は,ナウマンによる1879年の
高線を通過して,細かく溺れ谷の海が進入していた
ことを示した.東木の研究を地質学的に支えたの
が,復興局の地質調査である.
東京低地の研究が最初とされ(貝塚,1993),以来
1923(大正12)年9月1日に,関東地方南部を
多くの研究が行われてきた.本項では,東京低地の
襲った大地震(大正地震)は,未曾有の大災害をも
沖積層が日本における模式地であることから,東京
たらしたが,その復興事業のため,帝都復興院が設
湾沿岸域の研究史を紹介する中で,何が議論されて
置された.帝都復興院は,都市再建のための基本準
きて現在にいたっているかを示し,なるべく多くの
備として雁災地域の全部にわたり地質調査を実施す
文献を示した.また,東京湾周辺域の沖積層の研究
ることを決め,約60万円の予算を計上し,農商務
史を概説した後で,各地域(図4.4.1)の沖積層の
省地質調査所長に計画準備などを委嘱した.翌
研究を紹介した.奥東京湾の沖積層および南関東の
1924年2月に帝都復興院は廃止され,復興局に事
完新世海成段丘(図4.4.1)に関しては,4.4.2項お
業は引き継がれた.4年余りの間に,東京において
よび4.4.3項に図表を含めて詳細に説明がされてい
500本,横浜において297本のボーリングが行わ
るので参照してほしい.関東地方の沖積層について
れ,その他の官公庁や民間で行われた東京で1275
は,大森ほか(1986),貝塚ほか(2000)の解説本
本,横浜で233本のボーリング資料が取りまとめら
があり,概要が地域ごとに示されている.本項はこ
れた(復興局建築部,1929).この調査は,沖積層
れらとは趣を異にし,データ集的な役割をもたせる
の基本層序を明らかにするという画期的な成果をも
ように心掛けた.
たらすとともに,沖積層の基底は埋没谷からなり,
a.沖積層の研究の萌芽期(∼1945年)
沖積世初期に海が深く入り込んでいたことを示し
関東平野の低地を構成する沖積層については,海
た.東京地域の沖積層は,上から,上部層の(1)
榛の貝殻層,サンゴや地形面の研究から,20世紀
泥炭層,(2)粘土砂礫互層,(3)粘土質砂層,中部
初期に先駆的な研究が始まった.東京の有楽町月層
層の(4)粘土層,下部層の(5)砂礫層の5層に区
(山川,1909a),房総半島の大東崎月層(矢部,
分された.中部層の粘土層が海成の月を多産する地
1909),鎌倉の稲村ケ崎貝層(山川,1909b),房総
層である.大塚は,これらのボーリング結果をふま
半島先端の沼サンゴ層(Yokoyama,1911,1924),
えて,有楽町から産出した貝を含む地層(沖積層)
大磯地域の下原貝層と同堆積面の中村原面(大塚,
を,有楽町層と命名した(Otuka,1934).
1930)などである.これらのうち南関東の貝殻やサ
東木によって示され,また海成層を堆積させた海
ンゴが堆積した時期は,現在よりも温暖と考えら
進は,「沖積期(または沖積世)初期の海浸」と呼
れ,層位学的な位置や段丘面などから,現在の沖積
ばれ,多くは地盤の昇降による結果とされていた.
面(低地面)を形成する最新の時代(aII)よりも
この海進が,汎世界的な海水準変動によるものであ
古く,沖積世初期(d)に対比された(大塚,
ることは,大塚(1931a,1933)によって示唆され
1931b).これらの貝殻層とサンゴ層の対比に関して
るが,広く認知され,研究が進展するのは戦後の
は,いくつかの考え方が提示されており,とくに沼
1950年代に入ってからである.海進により,関東
サンゴ層の年代をやや古くする見方も多かった.
平野において東京湾側と鹿島側から深く入り込んだ
関東の平野深く進入した海の痕跡は,縄文時代の
海域は,東京湾側は,奥東京湾(大山ほか,1933)
貝塚分布から,東木(1926)によって示された.東
と名づけられ,鹿島から鬼怒川および霞ケ浦に沿っ
木は,関東平野の貝塚分布を,地形と分布から,東
ての湾入部は,後に古鬼怒湾(和島ほか,1968)と
京湾系統,鹿島灘系統,九十九里浜系統の三大系統
呼ばれようになる.貝塚分布から示された東木の古
に統括し,これらの分布は現在の海岸線地形とは関
地理同は,江坂(1943,1954),酒詰(1942)など
係なく,旧溺れ谷と密接不離であり,約10mの等
によって,産出する貝類群集からより細かく古環境
、Tn)
図4.4.1関東地方の沖積低地 数字は4章の項番号.凡例は図3.1.1参照
とその変遷が推定されるようになる(江坂,1972,
1975).
b.研究の進展期(第1期:1945∼1960年
ごろ)
戦後の沖積層研究は,1950年代に入って堰を切
るなど(東京地盤調査研究会,1959),基礎的なデ
ータが揃いはじめる.
地盤の昇降の結果と解釈されていた沖積世初期の
海進は,氷河性の汎世界的な海水準変動によるもの
であることが示される(湊,1954;Sugimuraand
ったように優れた研究が発表され,1960年代には,
Naruse,1954,1955).杉村らは,南関東における
放射性炭素年代測定と急速な経済成長に伴って行わ
海成層の高度と1923年関東地震における隆起量と
れた多数のボーリングによって,地盤図が出版され
の関係から,地震隆起の累積によって沖積段丘が形
4.4 沖積層および完新世段丘
成されていること,最高位の海水準以降,地盤変動
377
調査所の中条らは,横浜沖から久里浜沖までの東京
を除いて約6mの海水準低下があったこと,さら
湾湾口部で,スパーカーによる音波探査を行い,氷
に海水準の上昇と最高位海面,沼サンゴ礁と沼面,
期の川跡を兄いだし,「古東京川」と名づけた(中
気候変動との関係を示した.また,最終氷期の最低
条,1962).音波探査は,古東京川を横断する8測
位海水準と沖積層の基底,大陸棚上の平坦面などに
線,東京湾海底谷を横断する1測線と周辺部の測線
関する考察や海水準変動と沖積層の形成に関しても
から構成され,古東京川では一95mと−75mの2
基本的な考え方が報告されはじめる(杉村,1956).
段の旧河床が兄いだされた(中条,1961;1962,金
杉村(1950)は,東京湾底には有楽町層基底の侵食
子・中条,1962).この2段構造の河床谷地形は,
地形に連続する−85mの面が存在すること,貝塚
(1955)は,関東南岸の陸棚地形から深さ80∼100
木更津一川崎間の東京湾横断道路のボーリングによ
って堆積物の解析から確認され,放射性炭素年代借
mの海食面に沖積層の基底が連続する可能性が大き
と沖積層の基底深度の連続性から,浅い方の河床が
いことを示した.一方,井関は,海進最高位からの
最終氷期に対比された(Kaizukaefdリ1977;松田
海退現象が各地で見られることから汎世界的な海水
磐,1993).一方,音波探査の調査が行われた関東
準変動の可能性が大きいこと(井関,1952),沖積
地方東方の久慈川沖の大陸棚では,古久慈川の埋没
層基底の礫層が顕著な下刻を伴い,陸棚の平坦面に
谷とそれを埋積する堆積物に連続する陸棚上の等深
連続することから,最終氷期の低海水準に発達した
線と平行な分布をもつ古沿岸堆積物が兄いだされた
と推定できること(井関,1956),縄文時代の海面
(加賀美・奈頚,1964).
変化の研究と合わせて,最終氷期以降の海水準変動
を,最終氷期(−80m),縄文早期(一10∼−15
m),縄文前・中期(十3∼5m),縄文後期(−2∼
C.研究の展開期:(第2期:1960∼1985
年ごろ)
1960年前後から,臨海部などの開発に伴う地盤
−3m),弥生後期(Om)と推定した(井関,
調査の必要性などから,多数のボーリングが行われ
1958).欧米においても放射性炭素年代値に基づく
るようになり,沖積層の層序の再検討,海水準変動
海水準変動曲線が措かれはじめたのがこの時期であ
との関係が議論されるようになった.また,沖積層
る(deVriesandBarendsen,1954;ShepardandSuess,
から沖積層へと,また国際第四紀学連合による年代
1956).「沖積世(沖積期)初期の海浸」と呼ばれて
区分の改訂によって(小林,1962),沖積世と洪積
いた海進は,小林(1957)によって「有楽町海浸」
世の用語が廃止され,完新世と更新世に変わったの
と名づけられる.「縄文海進」については,どの論
も,1960年代初めのこの時期である.従来の沖積
文が最初かは特定できなかったが,1960年ごろに
層は沖積世に堆積した地層の意味があったが,これ
は使用されていたようである.
以降は最終氷期最盛期に形成された谷地形を埋積す
1960年代に入ると,沖積層の放射性炭素年代値
る地層となり,時代としては,最後期更新世から完
が初めて報告されるようになる.市原・木越
新世となる.またこの時期は,東京低地において先
(1960)は大阪の沖積層からの年代を報告し,貝塚
ほか(1962),Kigoshigfd.(1962)は,東京湾沿岸
導的に行われてきた研究が,広く他地域でも行われ
るようになった展開期といえる.建設省が主導して
域から放射性炭素年代値を報告した.また沼サンゴ
各地の地盤図も関東各地で出版されはじめ(建設省
樵についても,浜田(1963)による詳細な群集解析
計画局・茨城県,1964,1969;建設省計画局・東京
が行われ,星野(1967)によって6160yBPの年代
湾総合開発協議会,1969),東京都も詳細な地盤図
が報告され,大磯の下原月層の年代(8760∼7840
を出版している(東京都土木技術研究所,1963,
yBP:米倉ほか,1968)から,両者がほぼ同時期で
1969,1977;東京都港湾局,1972).
あることが実証された.
海域における研究では,音波探査による地層探査
1960年代における沖積層の最も大きな進展は,
沖積層の細分である.羽鳥ほか(1962)は東京湾周
が内湾や陸棚域で行われるようになり,海底地形に
辺の沖積層を検討し,腐植質の泥層を含み谷部に分
加えて,埋没している地形や構成する堆積物からの
布する下部層と現在の三角州につながる上部層(上
解析が行われるようになった.1961年5月,地質
部砂層,泥層,下部砂層)に区分し,下部砂層は上
372
4.第 四 系
部層と下部層との間の海進の停滞に対応するとし
た.その後,青木・柴崎(1966)は東京下町江東南
状図に見られる下部と上部が租粒で中郡が細粒な層
部の研究から,層厚50m内外で,上部の砂質層
む分布は,1回の海進・海過によって形成されてい
(I a)と貝化石を含有する下部の粘土層(I b)か
ることを示した.また堆積速度と海水準の変化によ
らなるⅠ層と,Ⅰ層とは多少の凹凸をもった境で接
って,海過が海水準上昇期においても起き,2から
し,砂泥互層,砂質粘土を主とし,層相変化が激し
3サイクルの沖積層が形成されることを示した.扇
く月は少なく腐食物が混入するⅢ層に分けた.両者
状地三角州や通常の三角州での層相の違い,溺れ谷
相分布と,くさび状に中部の細粒部が陸側に入り込
の関係は,標高【30m以浅では不整合関係,それ
を埋積する模式的な沖積層断面,最終氷期以降の海
以深では平行不整合ないし整合的関係で,約1万年
水準変動に伴う堆積環境の変遷など,膨大なデータ
前後の海水準の一時的な低下によるものとされ,こ
を用いて論理的に層相の変化を説明した画期的な研
れらは,有明海と不知火海の有明粘土層と島原涯湾
究といえる.まだ十分な海水準変動曲線が日本では
層(有明海研究グループ,1965)に対比された.さ
得られていなかったが,欧米の先駆的な海水準変動
らに青木(1969)は,これらをまとめて,下町低地
曲線を取り入れ考察を行っている.
の沖積層(従来の有楽町層)を,貝殻を混入し主に
これらの研究に続いて,より詳細に個々の沖積低
浅海成の堆積物からなる有楽町層と,腐植物を混入
地の層序と古環境が研究されるようになる.貝塚・
し,淡水から汽水成の堆積物からなり,物性に違い
森山(1969)は,相模川沖積低地の表層地形,河床
のある七号地層に再定義し,両者の関係を不整合と
堆積物,ボーリング試資料を解析して,基底の埋没
した.これらの詳細は,「東京都地盤地質図(23区
谷,地質縦断面・横断面図を明らかにし,下位か
内)」として,刊行されている(東京都土木技術研
ら,基底礫層(BG),下部砂礫層,下部泥層,中部
究所,1969;東京都土木技術研究所地象部地質研究
砂礫層,上部泥層,上部砂層,頂部泥層と硯河床の
室,1970).KuwanoeJdJ.(1971)では,侵食面で境
頂部砂礫層に区分した.このうち上部泥層と上部砂
されるこれらの二重構造の年代を,七号地層の下面
層から海榎の貝を産する.中部砂礫層は,上部層と
を最終氷期最盛期に,有楽町層の下面をアレレード
下部層を境し,河道沿いの地域だけ細長く分布し,
からプレボレアル間(新ドリアス期)に対比してい
新ドリアス期の海面低下期に対比されている.
る.これらの区分とは別に,成瀬・貝塚(1965),
同様に,松田(1973)は,多摩川低地の沖積層と
成瀬(1969)は,東京湾臨海地域で行われたボーリ
埋没地形をボーリング資料から明らかにし,上部と
ング結果と報告書を取りまとめて,沖積層の基底礫
下部に二分し,それぞれ有楽町層と七号地層に対比
層(BS)を除いて,上から砂層と粘土層からなる
した.下部は,下位より基底礫層と腐植物を含みレ
上部層と砂層と粘土層からなる下部層に分け,東京
ンズ状の連続性の悪い砂層と泥層からなる下部砂泥
湾沿岸域から報告されている放射性炭素年代値から
層から構成され,上部は,貝殻を含み三角州性の堆
海面変化曲線を示した(横浜市埋立事業局,1966;
積物と考えられる中間砂層,貝殻を含む海成層の上
千葉県葛南開発工事事務所,1967;千葉県開発局,
部泥層,貝殻を多量に含む三角州の前置層と考えら
れる上部砂層,および最上部陸成層から構成され
1969;など).とくに成瀬・月壊(1965)では,両
層の間にある砂礫層に着目し,同層を下部層の最上
る.中間砂層は,東海道新幹線よりも海側でのみ分
部として沖積層を細分している.
これらの研究とは別に,池田(1964)は,東海道
布することから,海側がデルタ域で陸側が河成平野
新幹線の建設のために行われたボーリング試料と関
有楽町層の間の不整合は,多摩川低地では認められ
連地域の地盤図などを用いて,東海道における沖積
ないこと,中間砂層の分布深度が浅いことから,七
層の層序とその生成機構を河川からの土砂量と海水
号地層最上部の谷の形成後に中間砂層が堆積したと
準変動から考察した.基本的に沖積層は,最終氷期
している.
の低位海水準から,その後の海水準上昇に伴う海岸
域と推定している.東京低地で見られた七号地層と
さらにMatsuda(1974)は,東京低地,荒川低地,
線の陸側移動(海進)と引きつづく海側移動(海
中川低地,利根川低地の沖積層を取りまとめて,多
退)によって形成された地層であることを示し,柱
摩川低地と同様の区分を行い,上部層(有楽町層)
4.4 沖積層および完新世段丘
3乃
の最下部に海成層の中間砂層(MiddleSand)を識
塚らの論文では,上部の基底を沖積層の基底として
別し,同層によって下位の七号地層を境した.中間
採用している.下部の地層については,3万年を超
砂層の年代は,1万年から9000年前とし,中間砂
える年代が後に報告されており,貝塚らの解釈が正
層と下部砂泥層との間の11000年から1万年前(新
しかったことを示している(松田磐余,1993;斎
ドリアス期)に海水準の一時的な低下期があり,両
藤,2000).東京湾口では,土木研究所の調査によ
者間の不整合が形成されたとしている.最終氷期以
って,詳細な地形と埋没谷地形が明らかにされてい
降の海進については,この海水準の低下期を境に,
る(建設省土木研究所,1967;建設省土木研究所地
前期有楽町海進と後期有楽町海進に分けている.
質研究室,1972).これらによって,古東京川の支
貝塚,成瀬,松田による東京湾とその周辺低地の
流である古小糸川が富津岬の南側に流下していたこ
一連の研究は,Kaizukagfd.(1977)で全体が取り
と,小糸川と小橋川の間の失那川が富津岬の第一海
まとめられている.基本的には,成瀬・貝塚
堕と第二海壁間を南下し,古東京川に合流していた
(1965)やMatsuda(1974)の考え方に加えて,海域
可能性が示され,KaizukagfdJ.(1977)の古地理図
のデータや地形データなどが加えられ,過去3万年
では,それらの流路が示されている.また,最終氷
間の古地理変遷が措かれている.現時点において
期最盛期の最低位海水準については,地殻変動を考
も,最もまとまった全体の古地理変遷図である.
慮して−135mと推定している.同谷地形を埋積す
Mastuda(1974)と比べると,いくつかの修正点が
る地層については,茅根(1991)によって報告さ
認められる.沖積層の層序については,Matsuda
れ,周辺海域のポーリングデータをまとめてSaito
(1974)と同じで,MiddleSand(MS)の直下を不整
(1995)もほぼ同じ位置に谷地形を描いている.
合としているが,MSの年代を1000年古くし,ア
沖積層の二重構造をさらに発展させたのが,遠藤
レレード期∼新ドリアス期の海水準が低下する時期
らの研究である.EndoefdJ.(1982)は,過去約10
の堆積物に変更している.またMatsuda(1974)で
年間に行われた南関東の沖積低地の研究(松島,
は,MSを含めて有楽町層に対比していたが,
1979;遠藤ほか,1979;SekimotoandEndo,1980;
KaizukaeJdJ.(1977)では,MSを除く上部層を
遠藤・関本,1981;ほか)を取りまとめて,沖積層
Kuwanoefd.(1971)の有楽町層に,また下部層を
は,9500∼11000年前の河川性の砂礫層(HBG)を
七号地層に対比し,MSの対比を行っていない.
もって上下2つに分けられること,縄文海進によっ
Kaizukaetal.(1977)の論文で示されたMSの日本
て海水準は+2∼3mまで上昇し,奥東京湾側と古
語訳は,松田は,「中間砂層」を用い(松田,1973,
鬼怒湾側に大きな湾入部が形成されていたこと,南
1993),成瀬は「中部砂層」を使用している(成瀬,
関東から関東平野中央部にかけての傾動を完新世の
1977).一方,貝塚は,直接にはKaizukaeg
最高位海面から示した.さらに遠藤ほか(1983a)
dg.(1977)以降はMSの日本語訳を用いていない.
は,HBG(完新世基底礫層:遠藤ほか,1984)に
彼の著書「東京の自然史」初版(1964)では,砂質
よって分けられる海進を,七号地海進と有楽町海進
層によって沖積層を上下に大きく区分できることを
(Matsuda,1974の前期有楽町海進と後期有楽町海
述べ,まとめの図では中部砂層を用いている(図
進に対応)とし,また古鬼怒湾(小月川,桜川と利
43).第2版(1976)では同図は改定され,中郡砂
根川下流低地)と奥東京湾(荒川と中川低地)の基
層の文字は省かれているが,「下部砂泥層最上部に
は砂層(松田の中部砂層)」と書かれている.
本層序と層序断面を示した.関東平野の沖積層の体
積が取りまとめられたのも本論文が最初である.海
KaizukaefdJ.(1977)では,東京湾横断道路のデー
水準変動では,七号地海進を−10∼−20mまでの
タや東京湾口部においての新しいデータも統合され
海水準の上昇とし,HBG期の海水準を約−40mと
ている.Akutsu(1973)は木更津一川崎間の横断道
し,20mにも及ぶ海面昇降を提示し,有楽町層基
路のボーリング試料を用いて珪藻分析を行い,谷地
底のHBGの年代を9800∼10500年と修正してい
形が河戊と海成堆積物を1セットとして,二重構造
る.
からなっていること示した.有孔虫分析でも同様の
二重構造が示されている(青木・馬場,1984).貝
東京湾東岸の千葉県都川や小穂川の沖積低地に関
してもこの時期,貝壕ほか(1979)や土屋(1980),
374
4.第 四 系
低地では約50mを超える沖積層基底の谷地形が示
底,内湾砂底などの棲息環境が復元され,内湾環境
の面的な変遷過程,断面図における同時間線(古海
され(土屋,1980),海榛の月を産する中部砂層を
底地形)が示され,海進から海過にいたる環境変化
境に,下位は腐植まじりの下部砂泥層と基底礫層,
上位は月を産する上部粘土層と上部砂層および上部
が示された.また多摩川・鶴見川沖積低地の研究に
陸成層に細分されている(土屋,1980;吉村,
生息する貝と潮下帯に生息する貝,泥炭などを用い
1985).
て描かれた.さらに,ボーリング試料に多数の放射
吉村(1985)によって研究が行われている.小穂川
おいて,過去1万年間の海水準変動曲線が潮間帯に
以上の奥東京湾の沖積層区分における各地質断面
性炭素年代を入れることにより堆積速度の変遷,地
と層序との対比などの詳細については,4.4.2項を
参照していただきたい.上記をまとめると,沖積層
球化学的な分析,花粉,珪藻,有孔虫,渦鞭毛藻な
どの徴化石との総合的な解析が行われた(松島,
は不整合を境に上部の有楽町層と下部の七号地層に
1987).松島らは,その後も貝類群集解析を主とす
分けられ,両層の境界付近には砂層・砂礫層が存在
し,有楽町層の基底(七号地層の上面)は谷地形の
る研究を報告している(松島,1993,1994,1995,
1996,1999b).
形状を示す.境界部の砂層には,海榛の貝殻を含む
遠藤らは,HBGの提案以降も精力的に,とくに
ものと,その下位に場所によっては河戊の砂礫層が
奥東京湾の沖積層についての研究を行っている(彼
あり,境界部の砂層を境に物性値も異なる.有楽町
らは古奥東京湾の名称を用いている).小杉は,現
層と七号地層の境界は,境界付近の河成砂礫層の下
河床底・海底堆積物の珪藻遺骸群集解析をもとに詳
限,海榛の月を産する砂層の下限,海成の泥の下限
細な古環境復元の手法を確立し,古環境と古塩分濃
の3者のとらえ方がある.なお,井関(1975,
度の復元(小杉,1986;1988a;1989a),月壕形成と
1983)は有楽町層の泥を中部泥層としているが,関
古環境との関係(小杉,1988b;小杉ほか,1989),
東では上部砂層との関係(貝塚,1972,1978)か
奥東京湾の海岸線の変遷(小杉,1989b),海面変動
ら,上部泥層とされることが多い.
と沖積層の形成(小杉,1989C)や,奥東京湾から
一方,東木(1926)によって約10mとされた縄
東京湾の環境変遷の時期区分(小杉,1990,1992)
文海進の最高位海水準は,長谷川や和島らの微古生
などの結果を報告している.また安藤は,淡水生の
物学的な解析から,0∼3.5mとされ,関東以外の地
珪藻群集の基礎的な研究をもとに(安藤,1990),
域と違わないことが示された(長谷川,1966a,b;
荒川低地の古環境変遷や海水準変動に関する多数の
1967a,b;1968;和島ほか,1968).同様に,阪口
報告を行っている(安藤,1986,1988,1991;安藤
(1963,1968)は関東平野中部から4m程度と推定
ほか,1987;安藤・藤本,1990;安藤・渡辺,
し,籠瀬(1975a,b;1976)は霞ケ浦周辺低地の徴地
1992;安藤・方違,1997).小杉や安藤らの精力的
形(沖積高位面)と放射性炭素年代から約5mの
な珪藻分析によって,荒川低地から中川低地の沖積
最高位海面を示している.また新藤・前野(1982)
層研究は飛躍的に進展したといえる.また安藤は東
も桜川低地において,+1∼1.7mの最高位海水準
京湾臨海部の沖積層(石綿・安藤,1991,1992)や
を推定しており,Endoerd.(1982)は関東地方広
霞ケ浦の沖積層ボーリング試料(安藤,1994)につ
域のデータをまとめて,2.5mとしている.
いても珪藻分析を行っている.
d.研究の発展期:高分解能化と高精度化(第3
期:1985年ごろ∼現在)
遠藤,小杉,安藤らが詳細な調査を行っている加
須低地,中川低地,荒川低地は,利根川と荒川の流
沖積層の研究は,1980年代からは,貝類,花粉,
路変更によって,堆積環境や沖積層の層相が大きく
珪藻,有孔虫などの化石群集解析や堆積相解析,放
変化してきた.利根川と荒川は最終氷期最盛期から
射性炭素年代値を多く入れたコアの解析により高分
完新世初期には荒川低地を南下しており(Matsuda,
解能の分析が行われるようになる.松島(1984a)
1974;菊地,1979;遠藤ほか,1987;江口・村田,
は,関東を含めて日本列島の沖積層に含まれる月類
1999),8000∼6000年前には現在の綾瀬川から元荒
群集を解析し,後氷期の時間的・空間的な変遷を明
川にも一部流入していた(遠藤ほか,1987).約
らかにした.貝類群集の解析から,干潟,内湾泥
3000年前まで加須低地には泥炭が発達していた
4.4 沖積層および完新世段丘
3乃
(平井,1983;江口,1991;江口・村田,1999)が,
沖積低地で作成した(Saito,Yリ1993,1995;斎藤,
約1500年前に荒川と利根川が加須低地に流入する
1995,2003).斎藤や遠藤らの研究は,地層(沖積
ようになり,粗粒堆積物が堆積するようになってい
層)の形成をよりダイナミックにとらえて,さらに
る(遠藤ほか,1987;江口・村田,1999).これら
現在をその延長に見ている点にある.このような手
の流路変更に縄文海進による環境変化が加わってお
法と考え方は,他地域の沖積層にも通用されるよう
り,より複雑な環境変遷となっている.縄文海進に
になり,ダイナミック地層学へと発展している(増
よって広がった奥東京湾では,浅く広い海が湾入し
田,1998,2000).
ていたため,潮差がいまよりも大きかったことが推
東京湾臨海域においても,東京都土木技術研究所
定されている.藤本(1990)は現在の4倍以上の7
(1987,1996)による液状化や大深度地下の研究に
mにも及ぶ潮差を推定し,海水準変動曲線の問題点
加えて,遠藤らの基礎的な研究を受けて,沖積層の
を指摘している(藤本・安藤,1990).上原(1997,
再検討が行われた(東京地区部会,1995;東京都港
1999)は,湾奥での大潮平均高潮面が現在の1mか
湾局,2001;石綿,2004).松田磐(1993)は東京
ら1.5m以上に増大し,湾口の浦賀水道での潮流が
湾沿岸域のMS(中間砂層)と完新世基底礫層(H
2倍に達していたとした.遠藤ほか(1985)は,草
BG)を新ドリアス期の同時期のものと解釈し,沖
加市における掘込穴における堆積相と貝類群集解析
積層を二分して上部沖積層の最下部を中間砂層と
から,4∼5mにも達する上方細粒化を示す潮間帯
し,有楽町層相当に対比した.一方,東京地区部会
堆積物を報告しているが,大きかった潮差を反映し
(1995)などでは,有楽町層の最下部に,腐植物や
ている可能性が大きい.完新世の最高位海面とその
月殻を含み,一部砂礫層からなる汽水成から河成の
時期についてはハイドロアイソスタシーの効果(中
堆積物を有楽町層の基底部と設定し,従来の考え方
田,1995)が考慮されていないので,これらについ
よりも,やや下位に有楽町層と七号地層の境界をお
ては今後の課題である.
遠藤らの一連の研究の転機は,Endoefd.
(1982),遠藤ほか(1983a)の海水準変動曲線の改
いている.層相に加えて,mGに相当する年代と
海棲珪藻の産出下限をもとに,有楽町層の基底が検
訂であった(遠藤,1996).既存の放射性炭素年代
討されたようである.
一方,木村らは,沖積層の模式地である東京低地
値や三郷のコアデータの総計134個のデータを用い
から中川低地において,東京都土木技術研究所の所
て過去11000年間の新たな曲線が作成された(遠藤
有するボーリング試料と新たに採取したボーリング
ほか,1989;遠藤・小杉,1990).各データと海水
試料を用いて,詳細な堆積相解析や貝類群集解析を
準変動曲線との差は,古水深を示すことから,各ボ
ーリングコアで深度と年代値を図上で結んだ線は,
行っている(木村,2004;石原ほか,2004a,b;宮
海底面の変化を表すことになる(海底面変化曲線).
これらを平野の上流側から海岸線まで配列すれば,
沖積層は,下位から流路内河川相,蛇行河川相,潮
水深の変化を時空間的にとらえることができ(東京
地区部会,1995;遠藤邦彦ほか,1995),地層縦断
タからデルタフロント),潮汐水路から後背湿地相
へと変化し,海進から海遇の1回の堆積サイクルを
面に同時間線を措くことによって過去の地形変化を
認めている.新ドリアス期における海水準の低下
ダイナミックに見ることができる(遠藤ほか,
は,世界的には,サンゴ樵における連続的な古海水
1992).また新しい海水準変動曲線が従来と大きく
準の復元によ り,現在では否定的である
地ほか,2004;中島ほか,2004).彼らによれば,
汐低地・塩水湿地パ朝汐水路相,内湾相(プロデル
異なる点は,新ドリアス期の20mにも及ぶ海面の
(Fairbanks,1989;町田ほか,2003).海水準の停滞
昇降が明示されていないことである.
や非常に緩やかな上昇による海過が起こったとして
遠藤らの研究とは別に,斎藤もボーリングの放射
も,顕著な下刻や侵食は生じていない可能性が大き
性炭素年代・深度データと海水準変動曲線との差に
い.有楽町層と七号地層の境界付近において,同時
着目し,古標高・古水深曲線を措き,それらをもと
間線と堆積環境を面的に復元して,地層をダイナミ
に各標高と各水深での堆積速度を見積もって,陸域
ックにとらえた研究は東京低地ではまだ行われてい
と海域を合わせた堆積速度分布と縦断面図を小穂川
ない.小柩川低地においては,境界部の層相の変化
376
4.第 四 系
は,堆積システムの陸側移動(海進)によって説明
は60mを超える沖積層を報告しており,霞ケ浦か
が可能であることを示している(Saito,1995;斎
ら潮来にかけて発達する厚い泥層を主体とする沖積
藤,2003,2006).
層に対して霞ケ浦層と名づけている.霞ケ浦周辺低
木村らによる研究は,中川低地から荒川低地や東
地から外浪逆浦地域の沖積層については,新藤・前
京低地に拡大して行われており,数多くの成果が出
野(1982)によって,より詳細な沖積層の基底国と
始めている(田辺ほか,2006a,b,C;林宏一ほか,
層相分布が示されている,彼らは,佐原から潮来付
2006;久保ほか,2006;木村ほか,2006;中島ほ
近の沖積層の基底は,霞ケ浦から潮来を経由して北
か,2006;稲崎,2008;江藤ほか,2008;中尾ほ
浦からの支流と合流する谷地形と利根川低地沿いの
か,2008).研究の進展を期待したい.
南側の佐原付近の2つの谷線からなっていることを
e.古鬼怒湾(霞ケ浦,鬼怒川,小貝川,桜川,
利根川下流,鹿島低地)
示した.また沖積層の層序では,土浦から霞ケ浦地
域では,霞ケ浦層と呼ばれる主に海成の堆積物から
古鬼怒湾域の沖積層については,東木(1926)や
なる泥層,沿岸低地では,この上位に上部砂層や上
江坂(1943,1954,1972,1975)の研究以降,和島
部シルト粘土層が重なる.霞ケ浦層の下位には,腐
ほか(1968)によって古鬼怒湾と命名され,層序,
植物を含む下郡砂層が分布する.一方,潮来付近で
沖積基底地形,古環境,古海水準,微地形などの研
は,霞ケ浦層とほぼ同層準で海成の砂層となり,そ
究が行われてきた.古鬼怒湾の湾口部にあたる鹿島
の下位に下部砂層に対比される下部粘土層(貝殻,
地域では,菊地(1968)によって,砂礫州からなる
沖積層高位面の分布,砂丘の発達史,地質断面が示
腐植物を含む)が分布するとした.この下部粘土層
は,鹿島地域における下部粘土層(建設省計画局・
されている.同砂礫層は,息栖層(多田,1943,
茨城県,1964),下部泥層(菊地,1968;Kikuchi,
1948)と呼ばれ,縄文海進時に形成された砂州(菊
1969)に対比されている.一方,遠藤ほか(1983a)
地,1968;Klkuchi,1969)とされ,後に古鬼怒湾
は,霞ケ浦から桜川低地の沖積層を,飯田層と下大
の湾口部に形成された砂礫層(バリアー)であるこ
島層に二分し,飯田層の基底にHBGを識別し,両
とが示される(斎藤ほか,1990).鹿島の砂丘につ
層を有楽町層と七号地層に対比した.池田ほか
いては,古期砂丘と新期砂丘に分けられており(多
(1977),新藤・前野(1982)の霞ケ浦層が飯田層に
田,1948;菊地,1968;漆原,1972),古期砂丘直
ほぼ対比される.鈴木ほか(1993)は,土浦礫層を
下の腐植層の年代が1950yBP(多田ほか,1971)
切り,一段低い下大島面を構成する地層の礫層を下
であることから,古期砂丘の年代はこれよりも新し
大島礫層と名づけ,土浦地域における沖積層基底礫
いことになる.
層に対比した.同礫層はATテフラに覆われ,上部
霞ケ浦から鹿島地域の沖積層の基底については,
で16700yBPの年代値を示すことから,最終氷期最
東京国際空港の候補地選定のための調査(藤下ほ
か,1967),鹿島地域の地盤図(建設省計画局・茨
盛期から晩氷期に対比されている.下大島面を切
城県,1964;運輸省第2港湾建設局鹿島工事事務
部の礫層は塚田砂礫層と名づけられ,HBGに対比
所,1969),霞ケ浦地域の護岸工事などの基礎調査
されている.沖積層の基底地形について遠藤邦彦ほ
などによって多くのボーリングが行われ,研究が進
か(1988)は,潮来の西側で,利根川低地と霞ケ浦
展した.池田ほか(1977)は,桜川低地の露頭にお
からの谷線が合流する基底図を示しているが,既存
ける放射性炭素年代測定値と礫種構成の解析,およ
のデータと整合的でなく,同地域については問題が
び古鬼怒湾域のボーリング結果をまとめて,沖積層
多い.
の層序と,古地理変遷を取りまとめている.彼らに
り,硯沖積面を構成する地層が飯田層で,その最下
鬼怒川の流路変遷については,遠藤ほか(1983b)
よれば,2∼3万年前には,古鬼怒川が小月川低地
によって,立川期の小則り低地の礫層の調査から,
から桜川低地を流れ,土浦礫層を堆積させた.その
古鬼怒川はBGの時代には小月川低地を流れていた
後の海水準の低下期(最終氷期最盛期)には,古鬼
こと,13000年前以降に現在の鬼怒川低地に移って
怒川は小月川低地を流れ,桜川低地では桜川による
いたことが示された.これによって古鬼怒川は,桜
下刻が行われ,土浦礫層は段丘化した.潮来地域で
川低地から小月川低地に,さらに鬼怒川低地へと流
4.4 沖積層および完新世段丘
路を変えてきたことが明らかとなった.
377
ては,上位の砂層とは漸移関係であり不整合は存在
現在の利根川下流低地で,霞ケ浦との合流付近以
しないこと,下部粘土層と下部粘土層の下位の砂泥
西の沖積層について,大矢(1969)は,当地域にお
層との境界の泥炭層の年代が10120yBPであること
ける沖積層上部砂層と泥炭層に関して報告し,同地
から,下部粘土層も有楽町層に対比された.これに
域においては化土層と呼ばれる泥炭層が発達してお
よって鹿島地域の谷地形内に分布する下部粘土層も
り,放射性炭素年代で1410∼2070yBPの年代を示
同層に連続することになり,建設省計画局・茨城県
すこと,表層の砂礫層の発達はあまりよくないこと
(1964)で示された谷地形が沖積層基底の谷地形を
を報告している.利根川との合流点以北の鬼怒川低
示していることが明らかとなった.この谷地形の延
地でも泥炭層が発達しており,770∼1830yBPの年
長は,鹿島灘の沿岸域で行われた音波探査結果で示
代借が報告されている(貞方,1972).また高野ほ
されている谷地形の場所(海上保安庁水路部,
か(1985)は利根川下流低地の横断地質断面と手賀
1984)にほぼ連続する(鈴木・斎藤,1987;斎藤ほ
沼への縦断地質断面を示し,沿岸環境が縄文海進最
か,1990;井内・斎藤,1993).また,鹿島から潮
盛期の内湾環境から汽水,湖沼環境に変化したこと
来にかけて分布する砂礫層は,古鬼怒湾の湾口部に
を珪藻分析結果から示し,約3000年前に淡水化が
発達した湾口砂体であり,霞ケ浦南東部に分布する
成立したとした.鬼怒川に沿う地質縦断面について
霞ケ浦層の砂層は,鹿島地域から発達した潮汐三角
は,早川(2000)が茨城県農地部のデータをもとに
州の末端部分であり,湾口部から霞ケ浦に向けて砂
示しており,鹿島地域の砂礫層,外浪逆浦から金江
と泥が多量に僕給されて霞ケ浦が埋積されてきたこ
津にかけての楔状の砂の分布,新利根から竜ヶ崎,
とが示された.同様な層相の関係は鹿島から利根川
伊奈を経て水海道にいたる海榎の月を産する泥層が
下流低地川も同じである(早川,2000).これらの
示されており,沖積上部の砂層が薄く,鹿島から内
砂と泥は,河川から供給されたものではなく,鹿島
陸に向けての砂層が厚く,広く分布していることを
灘の海岸侵食が供給源となっている.また菊地
示している.同砂層については鹿島から霞ケ浦に向
(1968)で示された砂州は,海水準上昇期から高海
けても同じであり,霞ケ浦地域で詳細な研究が行わ
水準期に湾口部に発達し,約5500年前に離水した
れている.
砂州(バリアー)であること,神之池は,当時の潮
古鬼怒湾の沖積層では,陸域の沖積層露頭や浅層
流口の残存地形であることが示された.これらの研
ボーリングの調査は行われているが,有楽町層相当
究によって,霞ケ浦から鹿島地域では,有楽町層相
層の基底にまで達するボーリング試料を用いての放
当と七号地相当の間の不整合は確認されず,河川性
射性炭素年代を伴う研究は,1980年ごろまで行わ
れていない.1982年に地質調査所で行われた霞ケ
の堆積物から,沿岸湿地,内湾浅海域から内湾泥底
へと徐々に堆積環境が変化している.また鹿島地域
浦湖上ボーリングによって,放射性炭素年代と詳細
では,約1万年前から5500年前の海進期に海成層
な層相解析などが,初めて報告される.鈴木・斎藤
の泥層から砂層が急速に堆積し,上部砂層が5500
(1987),斎藤ほか(1990),井内・斎藤(1993)は,
年前に離水している.一般的な沖積層の層序とは異
霞ケ浦で行ったボーリング結果と周辺地域のポーリ
ング結果をまとめて,鹿島灘から霞ケ浦を経て土浦
なった発達様式を示している.これは一般的な沖積
層の層序が内湾のデルタ(三角州)域であるのに対
にいたる縦断面図と沖積層基底を示している.霞ケ
し,古鬼怒湾の沖積層がバリアーシステム(エスチ
浦湖底に発達する霞ケ浦層の海成層と下部砂層の境
エアリーシステム)からなっていることによる違い
界部の泥炭層から9920∼9980yBPの年代が得られ
で,臨海平野を構成する沖積層に,模式的が中積層
ており,同層が有楽町層に相当することが示され
の層序と年代を一律に当てはめてはいけないことを
た.また霞ケ浦から南東部の麻生・潮来にかけての
示している(斎藤,1987;増田,2000).同様なこ
泥層から砂層への層相変化は,火山灰層の対比から
とは浜堤平野の沖積層にもいえる.
同時異相であることが示された.麻生から潮来にお
いて,新藤・前野(1982)の下部粘土層,遠藤ほか
(1983a)で下大島層に対比された海成粘土層につい
f.九十九里浜平野
九十久里浜平野の沖積層については,辻・鈴木
(1977),Moriwaki(1977),森脇(1979)らの研究
37苫
4.第
四 系
によって,過去6000年間の浜堤平野の地史が明ら
と泥炭を含む砂泥の陸成層からなり,上部が海成の
かになっている.森脇は,大きく内側からⅠ,Ⅱ,
泥層と砂層で,最上部が河川性の堆積物で覆われる
Ⅲの3つの浜堤列群に区分し,およそ2000年間隔
ことを示した.また早川・勝村(1982)は,沖積面
の気候・海水準変動によってそれらが形成されたと
を1,2a,2bと現在の河成面に区分し,沖積面1か
した.同地域の沖積地下地質に関しては,藤原ほか
ら3500∼7000年前の放射性炭素年代を報告し,縄
(2000a),増田ほか(2001a,b),Tamuraetal.(2003),
文海進の最高位海水準に対応して形成された面であ
田村・増田(2004),田村ほか(2006)によって詳
ることを示した.
細な堆積相の記載と多数の放射性炭素年代値ととも
h.完新世段丘と最高位海水準
に縦断面図が示されている.内湾の沖積層の模式層
房総半島南部,三浦半島南東部,大磯丘陵には,
序とは異なり,腐植物や潮間帯の貝を含む干潟堆積
海抜20mを超える完新世海成段丘が分布している
物が開析谷を充填し,それを不整合に覆って,海退
(米倉ほか,1968;中田ほか,1980;建設省国土地
期の海成砂礫層が重なり,その上位に外浜から前浜
理院,1982).とくに房総半島では,サンゴ樵を産
にいたる上方租粒化を示す砂質から砂礫質の堆積物
する沼層が見られることや,大正地震による隆起が
が覆っている.不整合は,約5000年間の時間間隙
認められていたことから,隆起海岸段丘は早くから
があり,海進期のラピーンメントプロセス(外浜侵
注目されていた.大きく4両からなる離水海成段丘
食)によって形成されたものである.過去6000年
は,高位より,SugimuraandNaruSe(1954)では,
間に約10kmの前進を示しており,この間に相対
上位段丘(Upperterrace:2段有:沼段丘),中位段
的に約6mの海面低下が推定されていて,間欠的
丘(middleterrace),下位段丘(lowerterrace),1923
な地震性の隆起と海水準変動の両者の影響を受けて
年段丘(1923terrace)に,Yonekura(1975)では,
いたことが報告されている(増田ほか,2001a,b).
第1(First)∼第4(Fourth)に,横田(1978)で
最終氷期最盛期の谷地形(沖積層基底)について
は,九十九里浜平野の北部と南部の大きく2系統の
は,房総半島南東岸において,岡瀬田面,寺庭面,
谷地形が存在していたことが,陸棚域の音波探査か
ら示されている(海上保安庁水路部,1986,2000).
g.那珂川,新川,久慈川低地
平館面,瀬戸浜面に区分されている.中田ほか
(1980)は,房総半島南部に発達する完新世段丘を
一括して沼段丘とし,高位から,沼Ⅰ面,沼Ⅱ面,
沼Ⅲ面,沼Ⅳ面,1923年ベンチに識別した.また
関東北部の那珂川,久慈川と新川低地の沖積層に
ついては,基底地形と層序断面が坂本らや早川らに
茅根・吉川(1986)は,現成のベンチー小崖一海食台
よって示されている.坂本ほか(1972)は,深度
く千倉Ⅰ,千倉Ⅱ,千倉Ⅲ,千倉Ⅳと大正ベンチ・
50mを超える沖積層の基底地形を新川と久慈川で
現世ベンチに区分し,これらの間に挟まれる小規模
示し,早川・吉川(1984)は久慈川沖積低地の層序
の段丘を識別した.これらの区分では,多少の差異
を河口から30km上流域まで示し,臨海部では,下
はあるものの,最高位の段丘が,約6000年前に形
位から基底礫層,下郡泥層/砂礫層,腐植物を産す
成された段丘であり,大正地震による段丘を除く最
る中部砂泥層,貝を産する中部泥層と上部の砂礫/
下位の段丘が元禄段丘で,ほぼ同様の区分が行われ
砂/泥層に区分した.縄文海進最盛期には溺れ谷化
し,湾口部には砂州・砂礫州が形成されたが,約
ている.なお,通常,沼面と呼んだ場合は,最高位
2000年前には潟湖は埋積され,現在のように広く
布と放射性炭素年代については,建設省国土地理院
河成平野が発達した.この久慈川の沖積層が,加賀
(1982)で資料集としてまとめられており,OtagJ
美・奈須(1964)で示された大陸棚上の埋没谷に連
d.(1987a,b)によって日本全国の完新世の最高位
続する沖積層で,同埋没谷地形と古沿岸堆積物は,
SaitoandBilgic(1992)によって,より詳細に地層
海水準が取りまとめられている.
これらの段丘の形成は,相対的な海水準変動,主
の内部構造が報告されている.また坂本・野間
には,地震隆起により形成されている.渡辺
の一連の地形構成をもとに離水地形を判読し,大き
の段丘面(沼Ⅰ面)を指す.関東南部の段丘面の分
(1969),坂本(1975)は那珂川から洞沼にかけての
(1929)は,房総半島南部の完新世段丘が4∼5段に
沖積層層序を示し,沖積層の下部が最下部の砂礫層
区分でき,大正地震(1923年)による隆起から考
4.4 神林層および完新世段丘
えて,これらの段丘は地震による間欠的な隆起の累
379
いたが(松島,1979,1990),海抜27mの地点か
積であると推定した.sugimuraandNaruSe(1954,
ら穿穴月の巣穴化石が兄いだされ,従来報告されて
1955)は,4段の段丘を識別,図化し,最高位の段
いたよりも高い海水準が推定されている(松島,
丘(沼段丘)の高度が大正地震に伴う隆起量と正の
1990).
相関をもつことから,大正地震と同様な変形がくり
一方,房総半島の館山北方の保田地域では,4面
返していたと推定した.また,最高位の段丘形成時
の離水海成段丘が見られるが,元禄地震において沈
の海面高度が現在よりも約6m高かったことを示
降したことが指摘されており,房総半島南端とは,
し,地震隆起と海面変動を量的に分離できることを
異なった隆起過程があったことが報告されている
示した.松田ほか(1974)は,元禄地震(1703年)
(宍倉,1999).保田Ⅰ面∼保田Ⅳ面の4面の海成段
に隆起した段丘(元禄段丘)の高度と変位分布が大
丘の離水年代は9∼13回起こった大正型地震の累積
正地震の段丘の分布と異なり,互いに相補的である
であり,これらのうちの4回が離水に寄与したとさ
ことから,両地震が組としてくり返し,隆起が累積
れている(宍倉,1999).また宍倉(2000)は,元
しているとした.さらにMatsudaetal.(1978)は,
禄地震の隆起が房総半島南端に限られ,中部では沈
放射性炭素年代値から地震隆起の再来周期を推定し
降であったこと,宍倉・宮内(2001)は,大正型地
ている.一方,横田(1978)は4つの各段面の間に
震による隆起によって房総半島中部の離水段丘が形
小段丘面がいくつか分布していることを示し,同地
成されている可能性を示した.さらに房総半島東部
域の河成段丘と放射性炭素年代から6000年以降の
の夷隅川周辺では,約10mの完新世最高位海水準
海水準変動の影響を検討した.中田ほか(1980)
が推定されているが,この隆起は元禄・大正型の地
は,段丘地形と堆積物から推定される海面高度を再
震隆起では説明ができず,別の隆起要因を探る必要
検討し,放射性炭素年代値と合わせて,沼Ⅰ面∼沼
Ⅳ面形成と相対的な海水準変動の復元を試み,大地
性があることを指摘している.
震による急激な隆起とその後の逆戻り現象,さらに
については,大塚による1930年ごろの層序と年代
元禄以前の過去3回の大規模な離水年代(6150年
論的な研究以降(大塚,1929など),成瀬(1968)
前,4300年前,2850年前)を示し,発生間隔が一
によって最高位海面高度の分布図が示され,町田
大磯丘陵から三浦半島にかけての完新世海成段丘
定でないことを示した.さらに長期的な隆起速度と
(1973),松田ほか(1974),Yonekura(1975),熊
各地震間の平均隆起速度の差から4300∼2700年前
木・市川(1981),熊木(1982),建設省国土地理院
の海水準の低下を推定した.一方,茅根・吉川
(1982),松島(1984b,1999a),Otaefd.(1987a,b)
(1986)は,現成の侵食地形をもとに離水地形を判
などによって,新しいデータを追加して報告されて
読し,大きく海食台まであらわれる4回の3∼6m
きた.松島(1999a)は,伊豆から三浦半島にかけ
規模の隆起(千倉Ⅰ,千倉Ⅱ,千倉Ⅲ,千倉Ⅳ面の
ての海成段丘をまとめて,3面の段丘面がこれらの
形威)と,これらの間に挟まれ,ベンチだけが離水
地域で認められることを報告している:大磯丘陵
する2∼3回の1∼2mの小規模な隆起を推定した.
(中原原面,前川面,押切面;米倉ほか,1968;遠
4回の元禄型地震のほかに,これらの間に発生した
藤ほか,1979),葉山(Ⅰ∼Ⅲ;熊木,1982,松島,
9回以上の大正型地震の隆起の累積を考慮する必要
1984b),小和田湾(Ⅰ∼Ⅲ;澤,1992),三浦海岸
があることを示した.このことは,両タイプの地震
(野比Ⅰ面,野比Ⅱ面,野比Ⅲ面;熊木,1982,Ⅰ
が1回ずつの組のみで構成されていないことを示し
∼Ⅲ;太田ほか,1994),城ケ島(Ⅰ∼Ⅲ;蟹江ほ
ている.また従来海成段丘面とされていた面は海食
か,1989).年代については大磯丘陵と三浦半島で
台であり,推定される海水準が,従来と比べて1∼
は多少差異がある.他の面は年代精度も悪く,500
5m高くなることを示した.中田ほか(1980)では
∼1000年ほど年代値がばらついている(松島,
沼Ⅰ面の海面高度を23mとしているが,茅根・吉
1999a).房総半島との対比では,沼Ⅰ面は野比Ⅰ面
川(1986)では,約30mとなっている.房総半島
に対比されるが,野比Ⅱ面と野比Ⅲ面の離水は,沼
南部の沼サンゴ層の地域でも,海成堆積物の上限と
Ⅲ面と沼Ⅲ面とは年代差があり,別々の地震で隆起
地形面から最高位海水準は20∼24mと推定されて
したことが示唆されている(Kumaki,1985).松田
380
4.第
四 系
(1974,1985)は,大磯丘陵の隆起の説明には大
Ⅲ面,沼Ⅲ面の離水年代に近い(藤原ほか,
正・元禄型地震に加えて「大磯型地震」の必要があ
1999a,b).これらの年代については放射性炭素年代
ることを示し,同地震の再来周期が厚い可能性を示
から暦年に較正して議論が行われるようになってお
した.また丹沢山地は大正・元禄地震では別の動き
り,さらなるデータ蓄積が期待される.[斎藤文紀]
をしており,これらの地震では隆起の説明ができな
い.一方,山崎(1985,1994)は足柄平野における
段丘と地下地質の研究から同地震の存在は認めてい
■4.4.2 奥 東 京 湾
るが,より再来周期の長い地震を推定している(山
奥東京湾とは縄文海進時,関東平野に海域が最も
崎,1985,1994).すべてを説明できるモデルはま
広がった地域を指す.荒川低地,中川低地,東京低
だなく,海域から陸域を含めて広域的な解釈が必要
地,多摩川低地が該当する.これら地域には奥東京
とされている(松田時彦,1993).
湾を埋積した沖積層が広く分布している.
一方,房総半島中部から関東東部では,段丘面の
明治以降,この地域での都市発展の中で,軟弱層
細分化と対比までは行われていないが,最高位海面
である沖積層への対処方法が,土木・建築事業を進
(または海成層上限高度)とその高度は,染川(9
めるうえでの大きな課題の1つであった.このた
m:遠藤・関本,1981),岩瀬川(約8m:茅根ほ
め,沖積層の研究は,主に工学的課題解決を前提と
か,1991),夷隅川(約10m:遠藤ほか,1983a;
して始まった.このため地盤工学の分野で用いる沖
関本・遠藤,1989,11m:宍倉・宮内,2001),九
積層は,地質学での定義と異なることから,一時混
十九里浜南部(10∼8m:宍倉・宮内,2001),九
乱が生じた時期がある.現在,沖積層は一般に最終
十九里浜中部(6m:森脇,1979,4∼6m,増田ほ
氷期以降の堆積物として用いられることが多い.地
か,2001a),銚子高神低地(約4m:鹿島,1985;
盤工学会ではチュウ積層と表記している.
太田ほか,1985;鹿島ほか,1990),鹿島低地(約
5m:菊地,1968),那珂川河口付近(約6∼7m:
沖積層の研究は,関東地震時,地盤により建物被
害が大きく異なっていることが契機となり,復興局
磯部,1986)と報告されている.房総半島東部で
により実施された本格的な地盤調査から始まる.こ
は,九十九里浜平野の前浜堆積物の解析から,6000
の結果,沖積低地の地下には埋横谷があり,これを
年以降の相対的海水準変動と4回の間欠的な地震隆
埋積する沖積層が広く分布することが明らかになっ
起が報告されており(増田ほか,2001a),元禄・大
た.戦後,戦災復興による軟弱地盤地域での都市開
正型の地震隆起だけでは累積が説明できず,九十九
発とともに,数多くの地質調査ボーリングが実施さ
里浜沖の地震を含めて検討する必要がある(宍倉・
れることになった.これらボーリングデータをもと
宮内,2001).
に「東京地盤図」(東京地盤調査研究会,1959)が
地震隆起に伴う海成段丘の研究に,地震や津波に
刊行される.その後も地盤調査ボーリングの集積に
伴う堆積物の研究が藤原ほか(1997)によって房総
伴い,60年代後半から70年代にかけて,官公庁か
半島や≒浦半島において始められ,個々のイベント
ら「東京都地盤地質図」(東京都土木技術研究所,
の年代論に新しいデータが追加され,段丘形成以前
1969),「東京湾周辺の地盤」(建設省計画局,
の地震・津波に関しても情報が蓄積されるようにな
1969),「東京港地盤図」(東京都港湾局,1972,
った.藤原らは,露頭やボーリング試料を用いて,
2001)など相次いで刊行物が出版された.これらは
岩相記載,化石群集,粒度分析と多数の放射性炭素
とくに地盤の工学的特性に焦点をあてた内容であっ
年代値から,定常の内湾堆積物とイベント堆積物を
たが,これまで軟弱層と一括されていた沖積層が層
識別し,イベント堆積物の時空間分布から,過去1
相や強度(主にN値)から細分できることが明ら
万年間に房総半島館山と三浦半島において7回のイ
かになった.
ベントを識別している(古い方からTl∼T7:藤原
ほか,1997,1999a,b;FujiwaragfdJリ2000).海成
a.沖積層の区分
沖積層に村する工学的関心の高まりとともに,地
段丘との対比では,T3が沼Ⅰ面と野比Ⅰ面,T4,
質学研究も始まった(図4.4.2).池田(1964)は,
T5,T6,T7がそれぞれ,野比Ⅱ面,沼Ⅱ面,野比
東海道新幹線沿いの沖積層に,河成層から海成層へ
『日本地方地質誌』
刊行委員会
刊行委員長
加藤頼一 −産業技術総合研究所
副刊行委員長
高橋正樹 一一日本大学
刊行委員
新井田浦侶 −北海道大学 …‥[北海道]
吉田武義 −東北大学 …‥[東北]
佐藤 正 −深田地質研究所 …‥[関東]
新妻信明 −静岡大学名誉教授 …‥[中部]
吉川周作 −大阪市立大学 ・t…[近畿]
西村祐二郎 −山口大学名誉教授 …‥[中剛
小桧正幸 −愛媛大学 …‥晒国]
佐野弘好 −九州大学 …‥[九州・沖縄]
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漆原和子(1972)࠾島半島の砂丘地形.日本地理学会予稿集,2,18-19.
和島誠一・松井 健・ସૌ川康雄・岡本 勇・塚田 光・田中義昭・中村嘉男・小宮恒雄・
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山川戈登(1909a)有楽町産冲積期介殻.地ࡐ学ߙ誌,13,288ー291.
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