「哲学塾を通して」 塾生登録番号 7700160009 東洋大学国際地域学部

「哲学塾を通して」
塾生登録番号 7700160009
東洋大学国際地域学部国際地域学科地域総合専攻
豊田 謙聖
東洋大学井上円了哲学塾に入塾し、第一回から第十四回までの内容の部分は一通り終了
した。その上で、この個人レポートを書くにあたり、内容の部分、全十四回が終了した今
の私自身について、そもそもなぜ私が、この井上円了哲学塾に入ろうと思ったのか、また
その当時の私自身の考え、思い、私が出席した各授業の振り返り、及び、その時私が感じ
たこと、思ったことについて、そして最後に、まとめ及び、これからの私自身についての
順で述べていくことにする。
まず初めに、内容の部分の全十四回が終了し、今の私が、この哲学塾を通して、感じる
こと、思うこと、考えることについて、いわば結論の部分から先に述べていきたいと思う。
結論からすれば、哲学塾がすべてのきっかけではないかもしれないが、十四回の授業を通
して、大きく三つ、
「自分の意見を持つことの大切さ及び重要さ」、
「自分の軸は自分」、
「こ
れから自分が本当にしたいこと」ということを強く考え、キーワードとして「自分」とい
う言葉に行き着いた。
最初の「自分の意見を持つことの大切さ及び重要さ」という考えについては、主に、今
回の哲学塾の授業の構成の後半の部分にあたる、ディスカッションの部分において強く考
えるところがあった。
哲学塾が始まり、最初の何回かは、グループでのディスカッション時においても各講師
の方から出されたテーマ、お題についてグループ内でも自分の意見、考えを述べることは
できていたと思うが、哲学塾途中あたりから、グループディスカッション時において、そ
の時間の話し合いがスムーズに進行する、または、雰囲気が良くグループ内での話し合い
が、進むことに自分の考えまたは意識が働いてしまい、自分で深く考えようとせずグルー
プ内での他者の意見や考えに迎合したりなどといった、自分の意見や考えを失くして、そ
の場のグループの進行や雰囲気の良さを優先してしまっていた。
確かに一つのディスカッションや話し合いにおいて、その議論がスムーズに進行するこ
とや、雰囲気良く皆が笑顔で終了し次の事に進むのは悪いことではないのかもしれない。
しかし、今現在の私は、そういったことよりも何倍も自分の意見及び考えを持つこと、そ
してそれをアウトプットすることのほうが重要で大切なことであると感じている。なぜな
ら、そうでないと自分というものを失ってしまうからだ。言い方を変えると、そのある一
つのディスカッションや話し合いに私自身がいる意味、存在している意味がないのと等し
くなってしまうと考えるからだ。また、だからといって、あらゆることに対して、自分の
意見を曲げずに押し通すわけでもなく、他者の意見や考えを全く聞き入れないといった態
度を貫くというわけでもない。人と人が、意見や考えが違っているのはあたり前のことで
あると私は考える。それは、生まれた環境が違えば、生きてきた年数、時代、経験してき
たことまで全く同じである日人はこの世に一人と存在しないものであると考えるからだ。
その上で相互の考えや意見が全く同じということが当たり前ではないということを前提に、
相互に自身の意見や考えを出し合い、受け入れ、理解し合い、ディスカッションの結論に
持っていくことが、ベストあるいは重要なのではないかとこの哲学塾を通して考えた。
次に私自身がこの哲学十四回を通して、今現在考える、また感じることは、
「自分の軸は
自分」ということだ。これは、最初の「自分の意見を持つことの大切さ及び重要さ」とい
う事に共通するものが多くあるかもしれないが、特に、今回の哲学塾の授業の構成の、前
半部分に当たる、各教授及び、講師の方々が仰っていること、指導してくださること、ま
た考えについて、それをそのまま全てが正しいことであると自分のなかに吸収するのでは
なく、一度、自分の中で、それは本当にそうなのか、自分はどう思うのかあるいは、考え
るのか、または自分自身には各教授や講師の方々が仰っていることは当てはまるのかなど、
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「自分」というとこに一度かえってみる、あるいは置き換えてみるということがとても大
事なことではないかと感じたという点で、
「自分の軸は自分」という考えに現在至っている。
また、このように考えるもう一つの点として、前述したように、人、一人ひとりが持つ
意見や考えは、同じものではないという自分自身の考えから、この世の中には数多くの思
想や観念などそれが個人単位から宗教などといった集団の単位で構成され存在していると
いうことがいえる。そして、その中で私自身自分の中に軸や、基準といったものがないと
何を信じて生きていけばいいのか、どう判断すればいいのか、または決断すればいいのか
といったことに迷ってしまうといったことが起きると考えている。その上で、今現在私自
身は、この哲学塾を通して、自分の軸は自分自身であると考えた。
また、次になぜ私がこの井上円了哲学塾に入ろうと思った理由、及び背景を述べていき
たい。私は入塾前から、この井上円了哲学塾という存在を知っており、私の学生生活の中
で機会があれば、一度参加してみたいと考えていた。そのように思ったのも何かのパンフ
レットかホームページなどで哲学を学び、実践していくといった内容であることを知り、
私自身、自分自身の軸をもっと確立していきたい、自分自身をもっと高めていきたいと考
えた。そういった理由及び背景によりこの入塾という決断に至った。
その上で今回この哲学塾において全ての授業は参加することは出来なかったが、参加す
ることが出来た各回を振り返り、また私自身が何を考えたあるいは、感じたか述べていく
こととする。
第一回から第三回は、井上円了先生の思想およびそれに基づいて生涯の中で行ったこと
を、哲学堂のフィールドワークといったものも含み、またそれらを自己と照らし合わせて
思考していくといった内容で行われた。私自身がこの三回を通して、感じたことは、井上
円了先生も生涯の中で自身は何者なのか、また生まれてきた意味あるいは使命といったも
のは何であるのかといったものを思考し、それを実行していったのであるのだなと感じた。
第五回は参加できなかったが、四回から六回では、一回から三回を踏まえて、思考する
ことの知恵、または手段や方法といったことを学んだと解釈している。
第七回から九回にかけては海外、特にアジアに焦点を当てて、またアジアと日本との関
係をこれからどのように築いていったらよいか、そしてその中での日本の役割といったも
のについて深めていった。
そして第十四回は参加できなかったが、第十回から十三回では海外という視点をより広
く、地球あるいは世界全体といった範囲での日本及びそれに基づいた個人の役割といった
ことを学び、また違った角度から物事を見ていった。
最後にまとめ及び今後の自分自身についてであるが、この十四回の授業で学んだこと、
また、深めていった自分自身といったことを一つのこれからの私自身の基準として、今後
の私自身の人生の中で、仕事あるいは、何か違う形であっても、何が本当にしたいことな
のか、叶えたいことなのか、といったことを探していく、または、深めていくことに、私
自身の方向を向けていきたいと考える。
以上、
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