異世界の地下闘技場で闘士をやっていました ID:114476

異世界の地下闘技場で
闘士をやっていました
トクサン
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︻あらすじ︼
享年二十三歳、藤堂京太郎。
病死し、死後の世界へと送られた彼は審判者の恩情によって新たな世界で人生をやり
直す権利を勝ち取る。
些細な願い事ならば、一つだけ叶えてやろうと言う審判者の言葉に、彼は答える。
﹁イケメンにしてください﹂
闘技場の同僚無口ヤンデレを愛でていたら、貴族令嬢に身請けされるという事態が起
こり、ひと悶着あったりなかったりする話。
出会ってしまった二人 │││││
最後の平穏 ││││││││││
開戦の狼煙 ││││││││││
リースと共に end │││││
213
悪魔の契約 ││││││││││
憤怒 │││││││││││││
守護者 ││││││││││││
家族と妹様 ││││││││││
娘と父 ││││││││││││
最愛を求めて │││││││││
母の腕 ││││││││││││
シーエス、死す ││││││││
魔法使い │││││││││││
199 177 155 138 125
248
目 次 全能者 ││││││││││││
消える光 │││││││││││
一時の夢 │││││││││││
来世で自分は │││││││││
1
闘技場 ││││││││││││
5
彼 は 挑 ん だ、幻 想 に、そ し て │ │ 12
22
35
59 45
69
81
118 106 91
│
そして京太郎は三途の川を渡った、六文銭のプリント紙が通行証として受理された時
かも分からなかった。
か、それとも自分は精一杯生きたと胸を張るべきなのだろうか。京太郎にはどうすべき
抵抗なぞさせて貰えない││人生の最後にしては呆気なかったと落胆するべきだろう
どれだけ屈強な男だろうが、頭の良い人物だろうが、金持ちだろうが、死ぬ時は死ぬ。
人生とは呆気ないものである。
灯らしい走馬灯も見えず、面白みに欠ける最後だと自分でも思う。
何千度という熱に犯されたというのに、死ぬ間際は随分と安らいでいたと思う。走馬
享年、二十三歳││病死だった。
られて、大した感慨も抵抗も無く││逝った。
装束を纏って足袋を履き、手甲を身に着け数珠を持ち、六文銭に幾つかの米と華を添え
あそこは恐らく、死体の焼却場だったのだろう。棺桶に入れられた自分は、丁寧に白
ある。
藤堂京太郎に存在する最後の記憶は、自分の体が炎に焼かれて骨だけになるシーンで
全能者
1
は、死後の世界もハイテクになったものだと少しだけ驚いた。尤も、死後の世界があっ
た事自体が驚きだが。
思考はクリアだった、自分が誰かも覚えている、どうにも魂と言う奴は存在していた
らしい。京太郎は肉体を捨て、魂のみで死後の世界に存在していた。三途の川の見張り
番も、周囲に存在する全ても、京太郎と同じ人間だった。あの世という奴は人間にのみ
適応されるルールなのかもしれない、そう思った。
振り分ける者
﹁藤堂京太郎、二十三歳、死因は病死││ふむ、何ともまぁ﹂
審判者、という存在があの世には居る。
その名の通り、死者のその後を決める存在だ。自分達の言う神と言う奴に近いかもし
れない、ソイツは顔が無かった、体も無かった、まるで光そのものだった。
正直直視するのも難しい、しかし声だけが聞こえて来るという。その声は威厳に満ち
ていて、全能を司る存在が居るとすれば、こういうものなのだろうと京太郎は漠然と理
解した。この存在が﹁もう死ぬしかない﹂と言えば、京太郎は何の疑いも無く死を選ぶ
だろう。
それだけの威圧感││カリスマという奴を感じた。
光は唐突に京太郎の前に現れ、京太郎の人生を一通り読み終えた。
﹁徳と言う徳を積んだ訳でも無く、しかし悪道を成したと言う訳でもない、中道、凡庸、
全能者
2
善悪相殺、否、それ以前の問題と言うべきか││裁くには値せず、しかし召し上げるに
も少々物足りぬ、汝の道は隔世再生、もう一度チャンスを与えよう、汝は少々運が悪い、
次世ではもっと頑丈な肉体を与えよう、これは前世補填である﹂
つまりは中途半端。
京太郎が神様とやらから告げられた総評は、何ともどっちつかずだった。
それもそうだろうと自分でも思う、何かを成す前に死んだのだ、善とか悪とか、それ
京太郎は少しだけ笑ってしまった。
以前の問題である、何せ生まれてから二十三年、その半分以上を病院のベッドの上で過
ごして来たのだ。そんな状態で何を成せよう
う。
と言う言葉から存外悪い扱いでは無いと分かった。聞けば丈夫な体も与えられると言
隔世とは何を指すのか、京太郎には分からない。しかし、もう一度チャンスを与える
兎にも角にも、隔世再生、という刑を与えられるらしい。
?
細な事柄の基準が分からないが、それが次世における何らかのギフトの様なモノだとは
神様は京太郎を前に、そんな事を宣った。些細な願い事を一つ叶えてみせようと、些
の些細な願い事を一つ叶えよう、あくまで││些細な││であるが﹂
魂を贔屓するのも憚られる、しかし機会も無く悪道、善道決めつけるには酷だろうて、汝
﹁三千世界、汝の世から最も遠い場所よ、慣れるまでは辛かろうて、そうさな││一つの
3
分かった。
願いを叶える、それは例えば金持ちの家に生まれるとかだろうか
京太郎が問えば、神様は首を横に振った。恵まれた環境に生れ落ちるのは、徳を積ま
?
ずには成せぬ事らしい。あくまで京太郎の場合は温情処置、少々﹁些細な﹂という部分
からは脱してしまうらしい。
ならば何だろうか、京太郎は考えた。
そして少し考えた後、取り敢えず損にならない事柄を選んだ。
神様は快く承諾してくれた。
﹁なら、イケメンに生んでください﹂
全能者
4
なんで
増える。
どうしてこうなった。
ここまで来ると最早、呪いか何かの類ではないかと訝しむ。
京太郎││この世での名は﹃京﹄││京は己の不運を呪った。
キョウ
れた甘いマスクは女性客を虜にし、メディア露出が増えるばかりである、つまり試合が
頑丈になった体は地下闘技場でも不屈の戦士として絶賛され、その神様が奮発してく
だろう、貰ったギフトを生かせぬどころか、完全に裏目に出た結果である。
何だこれはと、割り振られた部屋で京太郎は自身の新たな人生を嘆いた。それはそう
京太郎の新たな人生を説明するならば、これだけの言葉で済む。
?
挙句の果てに地下闘技場で闘士として戦うハメになった。
そして齢五歳にして両親を賊に殺され、顔が良いからと奴隷商に売り飛ばされた。
京太郎はイケメンに生まれた。
そうして、こうして。
来世で自分は
5
来世で自分は
6
生まれたばかりの頃は良かった、自身の前世はあやふやで、子ども特有の素直さも併
せ持つ、何と言うか普通の赤子だったと思う。両親も至って平穏な性格、平凡な人物で、
相応の愛情と厳しさを持って接してくれたと思っている。村も平和で、生活こそ最初は
慣れなかったものの、ネットもテレビもゲームも、無くても何とかなると知ったばかり
だった。
五年の歳月、親愛の情があったと言えばその通りだ。
そして住んでいた村の唐突な焼き討ちから賊の襲撃、瞬く間に村の人間は襲われ、女
子供は略奪にあった。当時の京太郎の胸中を言い表すなら﹁えぇ、なにこれぇ﹂である。
言い訳させて貰えるのならば、全てが京太郎のあずかり知らぬところで進んでいた事
であり、目の前で両親を殺されただとか、酷い目に遭ったとか、そういう訳では無い。
有体に言って、現実感が欠片も無かったのだ。
略奪の対象の中には勿論、京も含まれていた。
五歳になると比較的顔の造りが分かって来る、京の顔面は村の中では随分と上玉に
映った。周囲が然程パッとしないという理由もあったが、神様直々のギフトという結果
もあり、都内でも中々お目に掛かれないレベルという容貌だったのだ。
結果、それに目を付けた賊が奴隷商に高値で京を売り払い、その容貌と神様特製の頑
丈な肉体に目を付けた地下闘技場のオーナーが購入、生き残る為の術を叩き込まれて今
に至る││という訳である。
解せない。
﹁もうやだ、こんな人生﹂
﹁元気、出して﹂
待機室、もとい闘士に割り振られた個別部屋。そのベッドの上で項垂れる京に、彼を
励ます一人の少女。京は今年で十六歳になる、奴隷商の元に居た期間を除けば闘士とし
て十年のキャリアを積んだと言う訳だ。
十六歳になった京は前世の貧弱な肉体と打って変わって、鋼の様な筋肉に凄まじい身
長を誇っていた。身長百九十七センチ、体重百キロ、未だに成長中のピチピチ現役十六
歳である。恐らく前の友人に今の姿を見せれば、
﹁世紀末を闊歩している伝承者か、悪魔
を従えて時間止める黒幕から世界救いそう﹂と口にする事請け合いである。
顔の件もそうだが、神様の授ける力と言うのはどうにも、人の感性とは少しズレてい
る気がした。端的に言うのであれば﹁誰がここまでやれと言った﹂である、京とて素手
で岩を砕くまで出来るとは思っていなかったのだ。
今では闘技場内でも、
﹁えぇ、お前マジかよ⋮⋮ ﹂みたいな目で見られ始めている。
い気分である。
観客からは大ウケだが、最近対戦相手が目に見えて怯え始めていた。京としても泣きた
?
7
来世で自分は
8
京の隣に寄り添う少女は、この場に居る事から闘士の一人である事が分かる。京に割
り振られた特別待遇室││地下闘技場で特に高い戦績、或は集客率を誇る闘士に割り振
られる部屋││に居座る彼女だが、それは単に此処は彼女の部屋でもあるから。
少女は名を﹃リース﹄と言う。
集客率、及び高い戦績が条件というだけで、リースの容姿もまた美しい。長い白髪に
整った顔立ち、少しばかり幼さが前に押し出されるが、既に一人の女性らしい雰囲気は
纏っている。
しかし、彼女の魅力は容貌よりも、その武力に集まっていた。彼女は今年で二十一に
なる、だが未だに少女の様な外見だ。
それは単に、彼女が人間という枠から外れているからなのだが││彼女は人間ではな
く亜人と呼ばれる存在であった。本の中の存在の様に思われるが、実際彼女は実在して
いるし、何より馬鹿みたいに強い。
四肢は細く、少女然とした体格を見れば大抵は闘士だなんて思わない、それはそうだ
ろう。彼女が使うのは手足ではなく、もっとハイテクなモノ。
所謂、﹃魔法﹄という奴だった。
魔法、魔法である。
手から炎を出したり、雷を落としたり、水を生み出したり、毒を振りまくアレである。
ファンタジー万歳と叫ぶべきか、寧ろ嘆くべきか。
残念なことに、魔法の才能を京は持ち合わせていない。単純に肉体的な話だった、人
間に魔法は使えない、それは魔臓器と呼ばれる器官が人間に備わっていないからだ。
単純な話、彼女の体には血液の代わりに魔力が循環している。体の造りからして異な
るのだ、故に体格も違うしあらゆる部分が違う。だから外見で侮って、
﹁おじさんと良い
事しようねぇ∼﹂なんて言った日には肉片一つ残らない事確実である。
実際、京が一番戦いたくない相手は誰かと聞かれれば、迷わず彼女を挙げるだろう。
素手で岩を砕くのも十分怪物の所業だが、流石に対戦相手を氷漬けにしたり、雷撃で黒
焦げにする、炎で燃えカスにするなどと言った事は出来ない。
尤も、出来てもするつもりはないが。
因みに彼女が身請けされたにも拘わらず、清い体であるのは手を出したら殺されると
結婚する
﹂
分かっているからである。京も同じ理由で同室であると言うのに手を出せていない、単
大丈夫
?
?
に度胸が無いともいう。入院中に恋愛沙汰など無かったのだ、悲しくなんてない。
﹁⋮⋮どうしたの、京、なんか今日、元気ない、嫌な事あった
﹁⋮⋮結婚したいけど稼ぎが無いよ﹂
﹁││私一杯ある、安心して﹂
それはヒモと呼ぶのではないのでしょうか。
?
9
そんな聖母の様な微笑みを向けられたら衝動的に頷いてしまいそうだが、生前母が
﹁男は甲斐性﹂と言っていたので、何とか鋼の理性を以てして首を横に振った。総人生初
良い子だから﹂
めての伴侶兼彼女に養われる夫とか情けなくて生きていけない。
﹁そこは頷こう、京、ね、頷こう
?
先はマガラナイヨ
﹂
首の骨を圧し折ってやるとばかりの勢いだ。
因みにだが、魔法は肉体的な強化に使用する事も出来る。この万力の様な力を見よ
!
仕事の時間だ。
た途端、リースの体が離れる。
リースの猛攻を筋肉の全力全開で防いでいると、室内にあるベル鳴った。それを聞い
をビュンビュン飛ばした方が楽だろう。
から治す││などと言った使い方は出来るだろうが、痛みは消せないので普通に炎や氷
魔法とて万能ではない、肉体のスペック以上の事をするとダメージが残る。壊れた傍
無論、それをやってしまえば先に体の方が壊れてしまうだろうが。
力の方が強い。下手をすると京の様に、素手で岩を割るなどと言った事も可能だろう。
元が人間の血に近い役割である事から想像できると思うが、寧ろ体の内側に作用する
!
﹁やめて、無理矢理首を縦に振らせようとしな││アッ、ダメッ、マガラナイ、そこから
来世で自分は
10
プライベートはプライベート、仕事は仕事。
この辺りはリースも良く理解している。
どこか名残惜しそうなリースの視線をビシビシ感じながら、京はゆっくりとベッドか
ら立ち上がった。部屋を見渡すと、自分の部屋だと言うのに随分と殺風景だ。必要最低
限の生活必汝品と、本が数冊にベッドとテーブル、それだけ。部屋の隅に飾られた金色
のベルが、やけに眩しく見えた。
何とも日本人らしい答えを残し、京は独り苦笑いを浮かべた。
﹁⋮⋮善処するよ﹂
﹁⋮⋮さっさと倒して来て﹂
11
闘技場
の一人ィッ
拳で砕けぬモノは無し、立
新世代の怪物││エンヴィ・キョウ=ライバット
﹂
万夫不当、一騎当千、その称号を与えるに相応しい男は唯
!
客席がズラリと並んでいた。古代ローマのコロッセオ、アンフィテアトルムに近い形状
フィールド・アリーナはすり鉢状になっていて、選手が戦う場所を見下ろすように観
十年経っても慣れないアナウンスに苦笑いを浮かべながら、京はゲートを潜る。
それに感謝するかどうかは兎も角、まぁ適当な苗字を付けられるよりは良いだろう。
的マトモな名前を付けてくれた。
り振られるが、入荷した時から主力製品として売り出すつもりであったオーナーは比較
前世で言う苗字の様なものである、尚並びはどの順でも問題は無い。大体は適当に割
がこの地下闘技場に押し込まれた時から与えられた名だ。
持ち上げた紹介文を背にフィールドへと足を進める京。エンヴィ・ライバットとは京
!
!
少しばかり大袈裟││いや、かなりと言うべきか。
!
ち塞がるなら殴り殺すッ
﹁我がグラモワール闘技場、不動の頂きに君臨する闘士ィ
闘技場
12
13
だ。
地面は石床で、頭上には魔力点灯による光が降り注いでいる。拳を突き上げながら入
と全身を襲う轟音、臓物が数センチ浮き上がり、鼓膜が破けるのではと思う
場すれば、周囲から万雷の歓声が鳴り響いた。
ドッ
男は確かに弱くは無いのだろう、この世界では体格に恵まれ、この場所に堕ちて来る
怖を抱くのは仕方ないとも言える、だがこの場に立った時点で棄権は許されない。
大きさは恐怖の象徴だ、さらには闘技場のトップという肩書も存在する。先入観で恐
男性の手は僅かに震えていた。
チの巨躯、最早見上げる高さだ。更には筋肉の鎧を纏った分厚い大男であり、対峙する
つまり二メートル近い京は最早怪物クラス。元の世界で言うと二メートル二十セン
この世界の男性の平均身長は百六十前半、女性は五十前後である。
体的に言うと、この世界で百七十と言えば、前世の日本で言う百八十後半相当の身長で、
この世界では魔力と言う概念が存在するからか、人間は比較的体が小さく、細い。具
身長は百七十センチ程だろうか。
どうやら対戦相手は既に入場した後の様で、京と対峙する様に拳を構える男が一人。
この世界に来て一番最初に慣れたのは、この万雷の歓声であった。
程の声量。それが京目掛けて降り注ぎ、それを浴びながら平然と中央まで足を進めた。
!
まではそれなりの猛者として名を馳せたのかもしれない。筋肉の付きも良い、拳の扱い
だってお手の物だろう││だが、それだけだ。
京は少しだけ、目の前の男に同情した。彼は恐らくこの闘技場に来たばかりなのだ、
ここでのルールは単純、相手が死ぬか、自分が死ぬかだ。
頭を砕いても良いし、心臓をぶち抜いても良い、骨をバキバキと砕くも良し、相手を
立ち上がれないように叩きのめすか、審判が試合終了を宣言した時が終わりだ。尤も、
このフィールドに審判など存在しない、つまりは建前という奴で、ピンチになっても救
いの手など差し伸べられない。
例外は格上殺し、何かの間違いで新人が有望な選手を殺しかけた時││つまり、闘技
場の利益が損なわれる時、スポンサーと言う名のお偉いさんのストップが入る。この
ルールはどこまでも利益の為に設けられたモノだった。
この地下闘技場を前世の格闘技に例えるのならば、何が最も近いだろうか。
京はプロレスだと思った、見世物として、客を大いに盛り上げる為の試合││この場
合は試し合いではなく、殺し合いだが。
お願い致します││ってな訳でさァ、試合開始と行きましょォオオ
﹂
∼観客席の皆々様に於きましてはリング上への干渉、妨害行為を行いません様、宜しく
﹁それではこれより、
︻闘技︼第一幕、キョウ 対 クルギ の死合いを開始します アァ
闘技場
14
!
この瞬間ばかりは慣れない。
アナウンスが勝負開始を告げる瞬間、張り詰めた空気が爆発する前兆。闘志が殺意
備
は
良
い
か
い
││レッツゥ、ファイトォッ
こんにち
﹂
に、観客の興奮が絶叫に変わる数秒前。全身の筋肉が硬直して、心臓が動いていると自
分でも分かる程知覚が鋭くなる。
準
﹂
!
京は敢えて動かなかった││否、動けなかった。
だろう、京のボディはがら空きだ、そもそも防御の構えすら見せない。
拳はソレなり以上の勢いで京の腹部に飛来する、顔面は余りにも高く狙い辛かったの
う。ガタガタと震えながら拳を振りかぶる男は余りにも痛々しい。
悲しみを浮かべ絶叫。前世でこんな顔をしたまま街を歩けば、狂人だと思われるだろ
対戦相手の男が叫び、自身を鼓舞する。まるで引き攣った笑いの様な、或は悲観した
﹁う、おォおオオォオッ
に京の体は環境に適応した。
覚ます。十年此処で過ごした、死ぬ思いもした、実際死にかけた、それを繰り返すうち
銃声にも似たソレを聞き、京の体が今日この時まで叩き込まれて来た闘争本能を呼び
!
まるで空気が棘の様だ、京は小さく息を吐いた。
﹁Get ready
?
試合開始のゴングが鳴り響く。
?
15
闘技場
16
それが京の役割だから。
この闘技場での殺し合いは、単なる人間の闘争では無い、一種のパフォーマンスであ
る。
つまり、観客を楽しませなければならない。戦場で行う効率的で打算的、陰湿なモノ
とは訳が違うのだ。
出来るだけ派手に、圧倒的に、勝利を脚色しなければならない。そこには勿論、相手
の攻撃を﹃受ける﹄という必要性もある。
だらこそプロレスと、京はこの死合いを表現した。必要があれば攻撃を受けよう、無
攻
撃
抵抗で殴られよう、ソレが必要ならば。
と肉同士が弾ける音がした。
││尤も、それが通用するかは別の話。
ゴッ
確かに強い。
称賛に価する一撃だ。
素晴らしい。
て転げ回っただろう。
男の拳は確かに京の体に突き刺さった、腰の入った良い一撃だ、過去の彼なら悶絶し
!
だが無意味だ。
拳を打ち込んだ筈の男が、冷汗を流しながら歯を鳴らす。拳から伝わる感触、それが
余りにも硬い。腹筋と言うには余りにも密度が高く、人間としては度が過ぎていた。凝
縮された筋繊維の塊、審判者の言う﹃丈夫な肉体﹄という奴が遺憾なく発揮されている。
男が京を見上げる。
京が男を見下ろす。
﹂
その表情は実に対照的であった。
﹁あ、アァああぁあアアアッ
男の拳が徐々に力を失い、遂には数歩退いてしまう。
とした。殴っても殴っても、殴っても殴っても、微動だにしないその肉体。
のまま京の体に詰まっている。何度も拳をぶつけた男は、しかし徐々にその回転数を落
京の肉体は見掛け倒しなどではない、一目見ただけで分かる肉体の︻厚み︼、それがそ
無かった。
痛みが走る。京の体が衝撃で揺れるが、その皮膚が赤く変色する事も、筋肉が緩む事も
全力で体を稼働させ、あらゆる角度でただ殴り付ける。その度に男の拳が軋み、鈍い
殴る、殴る、殴る、ただ殴る。
!
17
﹂
彼の攻勢は終わった、徒労と言う結果に。
﹁││もう良いのか
京は見せつける様に拳を掲げると、男の頬を小さく叩いた。
男は歯を鳴らしながら京を見上げる。
り肉体の質が違う。
傷一つ付けられず、逆に拳の方が赤らむ程であった。強度が違う、骨格が違う、なによ
京は男に問いかける、観客の絶叫の中でもソレは良く聞こえた。男の拳は京の肉体に
?
ガー ド
京の一撃を防いだ男の両手は無残にも折れ曲がり、顔面に至っては陥没している。そ
人外怪力、最早人の技とは思えない。
叩きつけられ、そこから凄まじい高さまでバウンドした。
ミシリ、という筋繊維の軋む音。それから爆音が鳴り響き、殴られた男の体が地面に
人が宙を舞う。
京はその動作を確認した後、無造作に、全力で、男の防御の上からぶん殴った。
の構えを見せる。
京はそう告げると、いくぞ、と声を掛けた。男は頭を抱える様に腕を突き出し、防御
それだけ。
﹁良いか、良く聞け、今からお前をぶん殴る││ただ、ぶん殴る﹂
闘技場
18
のまま叩きつけられるようにぶん殴られた男は地面に叩きつけられ、その時点で絶命し
ていた。高く宙を舞い、光に照らされた男の亡骸はグシャリと、地面に落下する。
そこから湧き上がる観客の絶叫、興奮、熱という熱が伝搬し京の元へと雪崩れ込む。
﹂
人の死を見て熱狂する、歓喜する、京はこの場所が嫌いだった。まるで人間の感情が悪
魔そのものだと見せつけられている様で。
﹁勝者ァアア我らが王者ッ、キョウゥォオオオッ
求められるがままに、拳を突き上げる。
現在 下で拳を突き上げる男とは、縁も所縁も無い貴族様。そんな彼女が、彼の雄姿に頬
アリーナ
仕立ての良い煌びやかなドレスに、艶々の髪の金髪。傷一つない手は特権階級の証、
の前世で言うテレビに限りなく近い装置、それを眺める女性。
そんな彼を見る観客の一人、貴族御用達の特別観戦室。映像水晶を削り取った││京
﹁⋮⋮⋮ぁ﹂
そんな事は、本人にとってどうでも良い事ではあるが。
生まれる時代が違えば、誰もがそう口にした。
がその絶対的な力の前に興奮を露にする。魔法を使わず、人間を吹き飛ばす怪力。
物言わぬ屍となった男の前で、堂々と勝利を宣言した。歓声が一際大きくなり、誰も
!
19
闘技場
20
を赤らめ、目を惚けさせていた。
元々父に連れてこられた場所だった、嫌々足を運んでみれば何と野蛮なと嫌悪した。
しかし、初めて見た試合に彼女は魅入られた。あの男が入場した瞬間、胸が高鳴った。
凄まじい肉体、整った顔立ち、粗暴だがどこか物腰の柔らかさを感じる所作。
まるで躾けられた獣││縛られた暴力。
欲しいと思った、心から思った。
しかし、もし彼を傍に置くとして、果たして自分と釣り合うだろうかと考える。それ
は彼女に残った最後の理性、貴族としての矜持だったのかもしれない。
顔は││貴族の社交界の中でも目を惹く美麗さ、正に美男と言って相違ない。更に強
く、名誉もあり、見栄も良い。その奴隷階級という出自にさえ目を瞑れば欠点など無
かった。
そこまで考えて女は最後の鎖を断ち切った。元より、一度欲しいと思ってしまえば終
わりだ、事あるごとに欲求が首を擡げる。
過去の経歴など、どうとでも弄り回せる。階級は金で買えるのだ、幸いな事に女の家
柄は国でも上位に食い込む大きさだった。その気になれば役所だろうが買収し、偽の戸
籍を発行させる事さえ出来る。
││欲しい、誰かに盗られてしまう前に。
人はソレを、一目惚れと呼ぶ。
しかし彼女はその感情が何であるか理解していなかった、単純に、今まで手に入らな
かったものが無かったから。ただ欲しいと思った、彼女から言わせれば、ただそれだけ
だった。
﹁お父様││お願いがあります﹂
21
悪魔の契約
﹁今日も素敵だった﹂
個室へと戻った京をリースが出迎える。その表情はニコニコと屈託なく、心なしかい
﹁それはどうも﹂
つもより上機嫌に見えた。試合後のリースはいつもそうだ、自分の仕事ではピクリとも
表情筋を動かさないと言うのに、京の試合を見た後だと満面の笑みを浮かべる。
人の死を見るのが好き、という訳では無いのだろう。それはまるで、京の戦う姿を見
ファイトマネー
るのが好きと言った風だった。
﹂
﹁報 奨 金も結構貰えたよ、今日はお客さんの入りが良かったらしい、貴族も何人か来てい
たんだって﹂
﹁ふぅん⋮⋮身請け金に回すの
?
する。
中には銀貨が三十枚ほど入っている。この世界で言う銀貨一枚は前世の千円札に相当
そう言って京は苦笑いを浮かべる。彼が摘まんで見せたのは、小さな麻袋一つだけ。
﹁そうするよ、手元に残ったのはこれっぽっち﹂
悪魔の契約
22
本来ならば金貨百枚││凡そ百万円程度の金が京の懐に入り込んでもおかしくは無
いのだが、京はソレを自分の身請け金に回していた。とどのつまり、自分で自分を買お
うとしていた。
しかし悲しいかな、名を上げれば上げる程報奨金は跳ね上がるも、その度に身請け金
額も跳ね上がった。単純に京自身にブランドが付いたのである、結果金貨百枚二百枚で
は足りず、今では想像を絶する金額になってしまっている。
かれこれ十年、身請け金を積み立てて来たが未だに目標金額には届いていない。聞け
ば既に京の身請け金は何十億と釣り上がっているのだとか。地下闘技場の稼ぎ頭、その
第一位を手に入れるというのは相当な金が掛かるらしい。
死ぬかも分からない日々、どれだけ頑張ろうと死という事実を突き付けられる無力感。
その点は前世と違う、この世界では頑張れば自由を手に入れられるのだ。あの、いつ
京は自分自身の手で自由を掴み取りたかった。
リースに変わったというだけだ。
て、仮に身請けして貰ったとしても、それは単純に持ち主が地下闘技場のオーナーから
口を尖らせてそんな事を言うリースに、京は肩を竦める。リースに金を出して貰っ
﹁それじゃ意味がないでしょう﹂
﹁言ってくれれば私が出すのに⋮⋮﹂
23
それを考えれば、今の状況など優しいと思った。
しかし、それはあくまで前世を経験しているからこそ、言える事なのだろうが。
﹁じゃあ京が私を買って、銅貨一枚で良い﹂
﹁⋮⋮もう少し自分を大切にしてくれ﹂
リースがとんでもない事を言い出したので、京は頭を抱える。少しだけ﹁マジで
来るのだろう。しかし京はその話をずっと前から断り続けていた。
﹂と
ちょっと本気を出して稼ぎ始めた上で貯蓄を放出すれば、この世界から脱却する事も出
た豪邸が建てられる量らしい。恐らく京とリースが金を出し合うか、若しくはリースが
リースは身請けして既に三年ほど経過しているが、その間に溜めた金銭はちょっとし
の懐に入って来る、闘技場でも屈指の人気を誇る彼女の稼ぎは京に負けず劣らず。
動こそしているものの、その身分は奴隷階級ではなく一般市民だ。無論稼ぎは全て自分
因みにだが、リースは既に自分自身を身請けして自由を手にしている。闘士として活
ろの話ではない、それで良いのか、駄目だろうリース。
思ってしまった自分を殴りたい、銅貨一枚とはつまり百円である。出血大サービスどこ
?
﹁嫌﹂
まって、自由に生きたらどうだい
﹂
﹁リース、君はもう生き方を選べる立場だろうに⋮⋮こんな場所からはさっさと出てし
悪魔の契約
24
?
京の彼女を案じた言葉は、たった一言でバッサリと切り捨てられてしまう。彼女との
付き合いも大分長くなってきたが、京の事になると鋼の様に頑固となる女性だった。確
かに闘技場の中で古参と呼べるのはリースと自分、そして幾人かの友人だけになってし
まったが、こんなにも親しい仲になるとは京自身思っても居なかった。
そうこうしていると、ジリリッ と聞き慣れない金属音が部屋に鳴り響いた。それ
万力の様な力で抱き着いて来るリースに、京は力なく言葉を零した。
﹁⋮⋮さいですか﹂
﹁京と私が離れるときは、きっと死ぬ時、お墓は一緒の所にして貰う﹂
25
﹂
?
ら上に来られるか
重要な話でな、お前にとっても悪くない話だ﹄
﹃あぁ、京か、丁度良い、リースに出られたら面倒だった、少し話したい事がある、今か
﹁京です、コレを使うなんて珍しい、何かあったので
の壁に設置された通信装置まで歩き、その表面に触れた。
り高価な代物だ、
﹁邪魔、ごみ﹂と表情を歪めるリースに戦々恐々としながら、京は部屋
は試合用のベルでは無く、業務連絡用の通信装置だった。魔法水晶を利用した少しばか
!
な人間だ。年齢は既に六十を超え、根は善人で、闘士としての教育こそ厳しいモノの、そ
であった。少しばかり小柄な男性で、厳つい表情をしているが面倒見の良い兄貴分の様
装置の向こう側から聞こえて来た声は京の持ち主││つまり地下闘技場のオーナー
?
れは少しでも長く生きて欲しいという彼なりの優しさだったりする。本来ならばこん
な裏商売に顔を突っ込む様な人間ではない、恐らく他人に言えぬ秘密があるのだろう。
無論、その事に首を突っ込む気は無い。
その彼が、少しばかり弾んだ声色で話していた。何か良い知らせでもあったのだろう
﹂
か、京は首を傾げながら今から行く旨を伝えた。
﹁京、誰
﹁何だろう、身請け金の途中報告かもしれないし、まぁすぐ終わると思うよ﹂
まで彼女視点││を邪魔されて不機嫌になっていた。
明後日は誰にも邪魔されず部屋で二人きりだと喜んでいたリースは、甘い蜜月││あく
すると彼女の機嫌がみるみる悪くなる、試合は三日に一度の頻度なので、今日、明日、
呼ばれたんだ﹂と素直に答えた。
の声は対象者にのみ聞こえる。特に隠すような事でもないので、京は﹁少しオーナーに
通信装置から手を放すと、フッと光が消える。京の話し声は聞こえたようだが、相手
?
し、これ以上リースの機嫌が悪くなると物理的に消滅しそうなので、早く帰って来よう
リースは不機嫌そうに呟いた。京としてもそれ程長い用事になるとは思っていない
だから早く帰って来てね、と。
﹁⋮⋮分かった、待っている﹂
悪魔の契約
26
と決めた。
体育座りでベッドの上に転がるリースに苦笑しつつ、適当に身だしなみを整えた京は
上││地上へと向かった。
その背をリースは寂しそうに見送る。
リースとて高々数十分、長くても一時間程度で戻ってくると思っていた。あの男は長
話が好きだが、暇では無い筈だと。
しかし、その日││京が部屋に帰って来る事は無かった。
☆
えられた訳だが。前世ならばスーツとでも言えば良いのだろうか、日本に馴染みがある
そういう京も、この応接間に来る前に裏方さんに掴まって、あれやこれやと服装を整
ている。
度品はどれも一級品で、隣に座るオーナーに至ってはいつもと違う煌びやかな服まで来
現在、京は地上の応接間にて二人の貴族と対面していた。お得意様用に揃えられた調
﹁どうだろうか、悪い話では無い筈だ、寧ろ破格の待遇だろう﹂
27
京からすると軍服の様な恰好だと思った。
黒を基調とした服装、金色のボタンに飾緒まで垂れている。
しかし元々大柄な男性が着用する為の服であっても、京が着るとパツパツだ。特に大
胸筋や腕周り、脹脛のふくらみは一目で分かるレベルで、これならまだ普段着の方が良
かったのではないだろうかと思った。
﹁はぁ⋮⋮﹂
京は目の前の男性││貴族然とした男の言葉に、気の抜けた返事をする。男の話は単
純で、何と自分を身請けしたいという話であった。身請け金は既に用意出来ており、本
人の意思確認さえ終われば直ぐに支払えると言う。
京からすると驚くべき内容だった、というか自分も身請け金の積み立てをしていたの
ですが⋮⋮と。
﹁無論、人並みの生活は保障しよう、君を兵士にするつもりもない、ただ我が屋敷で武官
として勤めてくれば結構だ、なぁに、そんな難しい仕事ではないさ﹂
れている。
が、正直京としては﹁そんなん、突然言われても﹂という状態であり、右から左へと流
何度となく繰り返される返事、目の前の男性は次々と身請け先の事を語ってくれる
﹁はぁ⋮⋮﹂
悪魔の契約
28
そして男性の隣に座す女性││恐らく娘か何かなのだろう、彼女は京が応接室に入っ
てからずっと視線を向けており、何となくその視線がリースから向けられる視線に似て
いて、落ち着かなかった。
﹂
?
﹁京、オメェ、この地下闘技場を出た後、アテはあるのか
﹂
く程穏やかだった。彼の顔がずいっと近付き、京の肩を強く掴む。
に、ポンと手が置かれた。それは隣に座るオーナーの手であり、京を見る彼の表情は驚
今いくらですか、場合によっては断りたいのですが││と口にしようとした京の肩
﹁いや、しかし、その、ですね⋮⋮オーナー、自分の身請けの積み立ては﹂
を装った。
ぽっ、と擬音が付きそうな程に赤くなる頬、彼女は慌てて顔を逸らし、何でも無い風
的な熱視線を受けていた京は少しだけ居心地悪そうに彼女へ微笑んだ。
ていたが、話に出されては視線を向けずにはいられない。そうして交わった視線、一方
京は男の視線を追って娘と呼ばれた女性に視線を向ける、何となく避けて顔を逸らし
の真似事だと思ってくれれば良い、どうだろう
の話を持って来た、訓練場で他の武官の面倒を見てくれるならボーナスも出そう、教官
に自信があるようだし、なんたってルドワークの秘蔵っ子だ、私もその点に惹かれてこ
﹁武官の仕事は毎朝娘の警護をしてくれるだけで良い、後は屋敷の見回りとかね、君は腕
29
?
﹁アテ⋮⋮
﹁そうだ﹂
﹂
は淡々と口にした。
自分の身を案じているのだという事が分かる。アテ、とオウム返しした京に、オーナー
穏やかだが、真剣な声色で話すオーナー。その眼は確りと京を見つめており、本気で
?
お前を
?
﹂
?
そもそもバイトみたいな事は可能なのか
聞けるが、書けはしない。
来るかもしれない。しかし確実ではない、京はこの世界の字も読めないのだ、話せるし
幸い、京は健康な肉体がある、顔も良い、場合によっては適当な職を見つける事が出
?
リーターでも何でも、取り敢えず仕事を見つけるだろう。しかし、この世界ではどうだ、
オーナーの言葉を聞いて、
﹁どうするって⋮⋮﹂と言葉に詰まる京。日本であれば、フ
うするんだ
ねぇ、誰も助けちゃくれねぇ、そんな場所に無文一で飛び出して、そンで、オメェ、ど
食住││食うモンも、住む場所も、自分の着るモンも、全部自分で用意しなくちゃなら
買った俺が言うのもナンだが、外では人間ぶん殴って稼ぐなんて事は出来ねぇんだ、衣
来るだろうよ、オメェは優秀だ、きっと稼ぐ││だがよ、その後はどうする
・
﹁ここの闘技場での稼ぎは莫大だ、このまま稼いでいけば数年で自分を買い戻す事も出
悪魔の契約
30
知人も、知り合いも居ない、頼れる人が居ないのだ、この場所を除いて。
そこまで考えて、京は少しだけ恐ろしくなった。
この世界から抜け出す事ばかりを考えていて、その後の事を少しも考えていなかっ
た。そこまで考えが及んでいなかったと言っても良い、環境を抜け出す事ばかりに目を
やって、その後を考えていなかったのだ。
闘
士
その点、リースは違う、彼女はこの環境を抜け出す為に貯蓄を行っていた。彼女は
知っていたのだ、自身が︻殺す︼以外で稼ぐ事が出来ないと、だから留まっていたのだ
と京は思った。
生きられず、泣く泣くこの世界へと戻って来た人間だ。
その中には意気揚々と外に出て行き、再びこの世界に戻って来る者も居る。外の世界で
の世界に身を置いて知っている、自分を身請けして、外に出られるのは少数だ。しかし
前の世界でも同じだ、一度裏に堕ちた人間は表に戻って来る事が困難。それは十年こ
その通りだと思った。
る仕事に就くチャンスは少ねェ、特に俺やお前の様な人間にはな﹂
安泰だしな││けどよ、お天道様に顔向けて、胸張って、真っ当に生きていますと言え
じゃなく、単純に金の為に殺せるって言うなら問題はねぇよ、オメェが居れば闘技場は
﹁⋮⋮お前が良いなら、身請けした後も闘技場で戦って貰っても良い、自分の自由の為
31
価値
環境が違いすぎるのだ、一度馴染んでしまえば、暴力の味を知ってしまえば││容易
には戻れない。
いつまでもこんな掃き溜めに居座るのは良い気分じゃねぇんだ﹂
ク ソ な 場 所
﹁だからよ、悪い事は言わねぇ、このチャンスを無駄にしてくれるな││可愛い息子が、
京を見るオーナーの顔が、ふっと緩んだ。それは慈愛に満ちた表情だった、十年、彼
﹁オーナー⋮⋮﹂
の元で過ごした、それは京にとっては長い時間だったし、オーナーにとっても長い時間
であった。所有者と、所有される側、京は売られる側で、オーナーは売る側だ。
しかし、オーナーにも人の情がある、六歳の時から面倒を見ていたオーナーからすれ
ば京は自身の息子と言っても違いなかった。
京は不意に切なくなった、何か言い表せない感情が胸を燻った。
オーナーは京の肩に置いていた手を引っ込めると、上着のポケットから何かを取り出
す。それは一枚のカードで、表面にはエンヴィ・キョウ=ライバットと書かれてあった。
唯一読むことが出来る、京の文字。
この闘技場に来た時に、オーナーが教えてくれた文字だ。京はこれしか読めない、こ
れしか書けない。
﹁オメェの積み立てていた、身請け金だ、全部中に入っている、現金で渡しても良かった
悪魔の契約
32
が、それだと邪魔だろう
が丸々入っている。
折角の貴族様からの身請けだ、キッチリ受けて胸張って生
じ様なものだとは何となく理解していた。この中には京が稼いだ十年分の報奨金、それ
京はカードを受け取った、殆ど見た事は無かったが、前世で言うクレジットカードと同
前半は堂々と、そして後半は向こう側に聞こえないように小声でオーナーは告げる。
で稼いだ、誰にも文句は言わせねぇよ﹂
きろ、そんで││嫌になったら、この金でノビノビ暮らせ、一生分の金をオメェは十年
?
それが正しい選択だったのかは、誰も知らない。
貴族の男が安堵の息を吐き出し、オーナーが鼻を啜った。
深く、深く頭を下げる。
﹁││宜しくお願いします﹂
京は暫くの間唇を噛み、これからの未来に想いを馳せ、静かに頷いた。
る程、京は腐っていない。それだけはしてはいけないと、そう思った。
自由を自分で勝ち取る事は叶わなかった、けれど差し出された手と恩情を無下に出来
の事をして貰って首を横に振る事は出来ない。
貴族の男が京を見つめる、決定権が自分にあるとは理解していた。しかし、これだけ
﹁││窮屈な思いはさせないと約束しよう、我が家に迎えさせてくれ﹂
33
しかし、ただ一つ言える事があるとすれば。
﹂
!
とっては最高の選択であったと、その事だけは間違いない。
京の目の前で、喜びの余り叫びそうになる体を必死に抑えつける貴族令嬢。彼女に
﹁││ッ
悪魔の契約
34
憤怒
﹁は⋮⋮
﹂
その言葉は無慈悲にリースを貫いた。聞き間違いだ、幻聴だ、そう思いたいのは山々
たんだ﹂
れど、大分良いところの貴族様に引き取られたらしいよ、それで彼の私物を片付けに来
﹁だから、君の同 室は身請けされたんだって、昨日の昼頃に、詳しくは聞いていないけ
ルームメイト
ろう先程の言葉を振り払った。しかし、目の前の係員は同じ言葉を繰り返す。
淡々と、何でも無いようにリースは繰り返す。その額を軽く小突き、幻聴だったのだ
て欲しい﹂
﹁⋮⋮ごめんなさい、昨日から一睡もしていなくて、きっと寝ぼけていた、もう一度言っ
らしくもない呆然とした顔を晒していた。それは単に、予想外の情報を聞いたから。
ひとえ
昨日から一睡もせずに京を待っていたリースは、今朝早く部屋にやって来た係員に、
頃屋敷に到着している頃だろう。
京が身請けされ、後々必要なモノは送ると言われ地下闘技場を後にした翌日、京は今
場所は変わって京とリースの部屋。
?
35
││京が。
だがリースの冷静な部分が、コレは現実だと囁く。
身請けされた、誰が
それで、私物を片付ける。つまり彼はもう戻ってこないという事だ、何故
嘘だ、ハッタリだ、あり得ない、あり得る筈が無い。
ぞの貴族に、しかも私に何も告げずに。
係員の言葉が信じられず、リースはグルグルと思考を回す。京が身請けされた、どこ
?
?
何かある、裏がある。
それが、どこの誰とも知らない貴族に身請けされるなんて︻あり得ない︼
んだ位だ、唯一無二の愛する人すら拒んだのだ││
京は誰かに身請けされる事を嫌がっていた、リースが身請けすると言っても頑なに拒
次に怒りが込み上げて来た、それは京を身請けしたと言うどこぞの貴族に。
リースは最初悲しんだ、どうしようもなく悲しくなった。
が張り裂けそうだった、唯一無二の人が消えてしまう、その絶望感。
たのだ、彼の、そして自分の家だったのだ。リースは知らず知らずの内に涙を流した、胸
シーツに包まれば、未だに京の香りが残っている。昨日まで此処は二人の居場所だっ
両手で頭を抱えて蹲る。
﹁嘘、嘘⋮⋮﹂
憤怒
36
絶対に。
ならばと、リースはシーツを跳ねのけてベッドから飛び出す。こんな場所で悲しんで
何処に行くつもり
﹂
いる暇は無いと、部屋から出る為に扉へと飛び付いた。
﹁ちょちょ、待って
!?
う所で止まり、男を睨みつけた。
﹁退いて﹂
﹂
﹁そ、それは無理だよ、オーナーから言われているんだ、今日は試合の日だろう
一時間で入場だ、それまでは待機だって
!?
巻いて逃げるなど論外。
オー
ナー
われてこの場に立っている。職務に忠実なのは裏社会では当然の事だ、ましてや尻尾を
僅かな殺意を込めて放たれた言葉に、男は自身の危機を感じ取る。しかし、彼とて雇
される謂われはない││退いて﹂
﹁そんなの知らない、あのクソ爺の所に行く、私はもう奴隷じゃない、此処の人間に指図
予想は当たっていた。
れて頼まれた事だ、恐らく京が去ったと聞けばリースは後を追うだろうと、オーナーの
男はリースの眼力に怯みながらも、辛うじて職務を全うしようとしていた。念を押さ
!
あと
係員の若い男が飛び出したリースの前に立ち塞がる。リースは扉まであと数歩と言
!
37
﹁契約違反だ
ここで闘士をやる以上、試合の参加義務がブぅあガッ
﹂
!?
問い詰めなければならない。
うずくま
扉を開けたリースはそのまま勢い良く走り出そうとする。まずはオーナーに逢って
よって完全に心を折られ、そのままリースを引き留める事は叶わなかった。
蹲った男を蹴り飛ばし、男は言葉も無く横に転がる。闘士でも無い男は不意の一撃に
﹁弱い癖に、邪魔しないで﹂
鳩尾にそんなモノを受けた男は悶絶し、そのまま蹲 ってしまう。
く、球状の物体。
た。それは拳ほどの大きさで、凄まじい速度で飛来した。氷柱の様な尖ったモノではな
ツララ
男が理詰めで彼女を部屋に留めようとした瞬間、その腹目掛けて氷の塊が突き刺さっ
!
しかし、部屋を飛び出した瞬間、リースの足元から眩い光が奔った。
﹂
!?
様の指定条件は一つ。
する魔法の一種。ただし使用できるのは魔力を持つ者だけで、彼女の足元に描かれた模
転移魔法陣││あらかじめ決めた位置に模様を描き、魔力を込めることによって発動
た。リースはそれを知っている、良く知っている。
リースが一体何だと足元に視線を落とせば、白い線で複雑な模様が石床に描かれてい
﹁ッ
憤怒
38
魔力を持つ人物の無差別転移。
﹂
明らかな狙い撃ち、リースが無断で部屋を抜け出すと分かっていた仕打ち。
﹁こんのッ
﹂
!
くつろ
ぎるぜリース、もう少しゆっくり部屋で寛げよ﹂
!
フィールドの中央に居たリースは、ズンズンと足を進めながらオーナーを問い詰め
﹁黙って、京は何処に居るの、誰に身請けされたの、答えて
﹂
﹁まぁ、そうなるわな││可愛い息子の門出を祝う位、良いじゃねぇか別に、ちっと早す
がら肩を竦めた。
呪い殺してやると言わんばかりの声色に、ルドワーク││オーナーは煙草を吹かしな
憤怒の雄叫び。
﹁ッ││ルドワークぅッ
の姿が見えた。無数の観客を招き、この場所を作り上げた張本人が。
リースが突然の事に困惑し、周囲を見渡していると、アリーナの入り口に見知った男
魔法石。通いなれた場所、フィールド・アリーナ。
歓声、熱狂、絶叫、人々が拳を突き上げて自分を取り囲み、頭上からは眩い光を放つ
そして僅かな視界のブレの後、開けた視界に見えたのは││馴染みのある光景。
リースがこれを仕掛けたであろう人物に呪詛を吐く前に、彼女の姿は掻き消えた。
!
39
ドラゴニア
る。しかしオーナーは全く話を聞かないリースの姿に、どこか呆れた様な表情を晒し、
呟いた。
その言葉を聞いた瞬間。
﹁はぁ⋮⋮⋮黙れと言う癖に答えろともいう、ちったぁ落ち着けよ││ 龍 種﹂
ピタリと、リースの足が止まった。
それは彼女にとっての禁句だった、逆鱗であった。
その単語を聞いた瞬間、僅かに眉間に皴が寄っていただけのリースの表情が、般若の
様に歪んだ。それに引きずられる様にして彼女の周囲に炎が吹き上がり、白い肌の上に
鱗がプツプツと浮き上がる。
彼
女
その瞳孔は開かれ、額からは二本の角が生え揃う。それは京には見せなかった姿、も
う一人のリース。
リースは好んで京の戦いを観戦していた、けれど京がリースの戦いを観戦した事は無
﹂
い。彼女が何度も念を押して、
﹁私が戦う姿は、見ちゃ駄目﹂と言い続けたからだ。故に
京は知らない、この姿の事も、力の事も。
ヒューマン
?
の殺意に満ち溢れた視線は、例えどんな豪傑であろうと怯んでしまう程だった。しか
リースは激怒する、神羅万象全てを焼き尽くす炎を纏いながらオーナーを睨んだ。そ
﹁言ったな、 人 間、理解した上で││言ったな⋮⋮
憤怒
40
し、オーナーは決して退かない。
プリンセス
﹂
!
対するは他所
ぞろぞろとフィールドに足を踏み入れた闘士が、リースを囲う様に並ぶ。その手には
為の戦いですら、この男はビジネスにするつもりなのだと。
と、何かのイベントの一つだと、そう客に叫び伝える。成程、リースをこの場に留める
闘技場に鳴り響くアナウンス、それは他ならぬオーナーの声。スペシャルマッチだ
家育ちッ、並みの闘士とは訳が違うッ
闘技場から買い集めた歴戦の闘士百名ッ、雑兵と侮るなかれ、出身はグルードの軍事国
!
!
主役は皆様もご存知、我が闘技場の 姫 、リース・ヴァルヘイルッ
!
﹁さぁて、今日も御集りの皆さまッ このグラモワール闘技場、最初で最後の大乱闘ッ
││自分が死ぬと、理解している闘士だ。
どれも知らない顔ばかり、恐らくこの時の為に雇った闘士だ。
手入場口││ゲートから何人もの闘士が現れた。その数は十、二十、三十と増えていく、
オーナーはそこまで口にして、パンパンと手を二度叩く。するとオーナーの後ろ、選
きしちまった、もう良いだろう、潮時だ、ンだからよ﹂
れて欲しいんだわ⋮⋮それに、オレも随分歳を食った、親父が死んだ歳より五年も長生
いて、悪いんだけどよ、アイツの事は諦めてくれや、京には普通の幸せって奴を手に入
﹁おぉ怖い怖い、そんだけ京の事が気に入っていたって事か││まぁ、そんだけ好いてお
41
一本の剣、素手格闘が主であるこの闘技場では異例の事態。リースは彼らが純粋な闘士
では無い事に気付いた、余りにも剣を持つ手が自然である為に。
プリンセス
胞
﹂
さ ぁ、
その様子は拳で戦う人間ではないと、そう彼らは、戦場で戦う様な││兵士だ。
同
﹁ど ち ら が 勝 つ か、最 強 に 挑 む 百 名 の 勇 者 か、は た ま た 闘 技 場 の 姫 か ッ
ドラゴン・スレイヤー
竜 退 治の伝説に挑む歴史的な瞬間、人々よ││ご照覧あれッ
!?
の前に立つ。
堂々と、悠然と。
わ
か
﹁││碌に剣を振った事も無い商売人、死ぬと理解って挑む気
ゴ ミ ク ズ
﹂
そう、大仰に手を広げて叫んだオーナーは、自らも一本の剣を掴んだ。そしてリース
!
﹁お前は容易く殺さない││京の場所を吐くまで、精々苦しめ﹂
龍種へと挑む、圧倒的強者に、種族的弱者が。闘士たちの額に一筋の汗が流れた。
リースが全身から一際強い炎を噴き出し、オーナーと闘士諸君が剣を構える。人類が
の視線を一身に受けながらも不敵な笑みを絶やさないオーナー。
対峙する両名、今にも射殺してやらんとばかりの視線を向けるリース。そしてリース
﹁なぁに、人間五十年、ちぃと長く生き過ぎた、死に刻位、自分で選ばせてくれや﹂
?
﹁そりゃぁ良い、手加減してくれるなら大歓迎だ、精々お手柔らかに頼むよ﹂
﹁京の居場所││絶対吐かせる﹂
憤怒
42
﹁││死んでも吐かねェよ、やってみろ童﹂
﹂
大勢の人類が見守るフィールド・アリーナ。熱狂、歓声、それらが世界を包む中、二
人の人生を左右する戦いが始まろうとしていた││
﹁どうして邪魔するのッ、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねッ
アァ、リース お前、京が寝ている間に
!
!?
﹂
!?
!?
ら、私は京がゆっくり休める様にって⋮⋮
!
!
オメェ、加減ってモンを知らねぇンだよ アイ
!
﹂
お前どんだけ搾り取ったんだよ
﹂
!
﹂
ドラゴニア
!?
また言った、 龍 種 って
﹂
ツの次の日の顔を見ただろうが、カッサカサのホッソホソだったぞ
影もねぇ
ドラゴニア
﹁じゅ││十回しかしてないもんッ
││また言った
!
﹁充分多いわ色ボケ 龍 種がァッ
﹁あぁあッ
!
!
!
!
!
あの巨躯が見る
!?
﹁休めるどころか枯れて死ぬわッ
﹂
﹁ん、なっ││お、襲ってなんて無い あ、あれは唯、ちょっと京が疲れ気味だったか
ぞ
何回襲ったよ アイツの食事に睡眠作用のあるカルフェ草を入れたのは知ってンだ
﹁龍種の繁殖能力は知っているぞ畜生めッ
!
43
﹂
やってみろ龍 種
ドラゴニア
﹁何回も言ってやるわバーカッ バーカバーカッ
﹂
ドラゴニア
﹂
ほら来いよ龍 種
ドラゴニア
﹂
この色狂いのヘッポコドラゴン
おぉ
!
走れッ、風の如く││
!
殺すッ、絶対殺すッ
ゴ ミ ク ズ
﹂
?
﹁ッぅ││
﹁ハハハハッ、ノロマの龍 種
逃げるな商売人ッ
ルドワーク
⋮⋮始まろうとしていた││
!
﹁っ、待て⋮⋮
﹁ダッシュッ、 商 人 ダッシュッ⋮⋮
!
!
!
!
!
!
!
!
!
!
憤怒
44
守護者
みる。尤も、リースであれば魔法か何かで浮いて簡単に見て回ったり出来るのだろう
したら一時間は敷地内を歩き回る羽目になるのではないだろうかと、そんな事を考えて
前世今世合わせて平々凡々な生活を送っていた京には見た事もない程であった。散歩
国内有数の貴族だけが許される土地というだけあって、土地の大きさも屋敷の規模も
の大きさに再び驚いた。
この世界の大都会を初めて見た京は、その規模に最初驚き、そして貴族地にある屋敷
法外な値段を請求されそうな光を放つ家具は指紋を付ける事すら躊躇われた。
京の家となるのだ、しかし京からすれば落ち着かないというのが本音である。壊したら
請けした貴族の娘││は好きな様に使ってくれて良いと言っていた。今日から此処が
極力触らないように努めてはいるものの、此処に案内してくれたセシリー││京を身
な素晴らしい調度品が並び、今自分が転がっているベッドなど天蓋すら付いている。
京は割り振られた個室のベッドに転がっていた。部屋には値段を聞くのも憚られる様
地下闘技場から三区離れた一等貴族地、アルデマ家の屋敷、武官として身請けされた
﹁リースに何も言わずに来てしまった⋮⋮﹂
45
守護者
46
が。
そのリースに関しては、オーナーが﹁俺から事情を説明しておく、何なら手紙を送っ
てやれば良いさ、毎月届けてやるよ﹂と満面の笑みで告げられていたので、特に別れの
挨拶もせずに出てきてしまっていた。
京も本当ならば一言二言だけでも挨拶しておきたかったのだが、身請けした貴族側と
オーナーが一日でも早い屋敷への移動を望んでいた為、私物を後から屋敷に送るとオー
ナーと約束を交わし、着の身着のままこの場に居る。
リースは怒っていないだろうか、泣いてはいないだろうか。
﹂と聞かれて﹁したい﹂と答える程度には好きだったのだ。
京とて彼女の事は好ましく思っていた。好意を向けられて嬉しくないと言い張る程、
天邪鬼でもない、
﹁結婚する
種の冗談なのかもしれないと思う。けれど、病魔に犯され恋愛の﹁れ﹂の字も知らなかっ
ジョーク
軽いノリで結婚と口にする彼女だ、好かれているとは自覚しているものの、それは一
のではないかと考えた。
産、十年の結晶。それを大事に握りしめ、これがあればリースと生きていく事も出来る
京はポケットの中から一枚のカードを取り出す、オーナーから手渡された京の全財
して貰った身でという気持ちも強かった。
少しだけ、我儘を言っても挨拶をしておくべきだったと後悔したものの、やはり身請け
?
た前世、例え手酷くフラれる未来だとしても、経験は大切な糧となる。そう前向きに考
えてみた。
多分、実際にフラれてしまったら少し凹むだろうが││いや見栄を張った、物凄く凹
むだろう、そもそも告白紛いの事を出来る自信が無い。﹁好き﹂などという言葉はたった
二文字でしかないが、それを面と向かって口にするのは非常に難しいという事を京は
知った。
?
﹁セシリー様﹂
﹁⋮⋮様は要らないと、言ったでしょう
﹂
う側からセシリーが顔を覗かせた。その頬は僅かに赤い。
ベッドから飛び起きて、
﹁はい﹂と通る声を上げる。すると木製の扉が静かに開き、向こ
京がぼうっと天井を眺めていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。慌てて
かと。京はそんな事を考えて、小さく息を吐き出した。
分の居場所を聞いているかもしれない。そうしたら、逢いに来てくれたりするのだろう
れない。そうなったらオーナーに頼んで行き先を教えて貰おうと、或はオーナーから自
など見えないし、常勝無敗の彼女の事だ、適当に稼いだらフラっと闘技場を出るかもし
焦る事は無い、時間は自分の味方だと言い聞かせる。リースが闘技場で敗北する未来
﹁⋮⋮取り敢えず、真っ当な職に就けたんだ、落ち着いたら手紙を送ってみよう﹂
47
京が彼女の名前を呼ぶと、セシリーは少しだけ拗ねた様にそっぽを向いた。京は慌て
て、
﹁すみません、セシリーさん﹂と呼び直す。彼女は何故か様を付けて呼ばれる事を嫌
がった、流石に拙いのではと思ったが、父親であるヴィルヴァ氏からも、
﹁娘の良い様に
してやってくれ﹂と言われているので、さん付けを心掛けてはいる。
彼女は京の部屋に一歩入った後、軽く周囲を見渡し、一つ頷いてから京に向けて言っ
た。
﹂
﹁武官制服が出来上がったわ、私と一緒に来て、装備一式を支給するから﹂
﹁えっ、もう出来たのですか
?
屋に足を踏み入れた。
特に会話も無く周囲の景色を眺めながら歩いていた京は、
﹁ここよ﹂と声を掛けられて部
京の部屋から数分程歩いた場所にある﹃武官室﹄とプレートの掲げられた部屋、道中
なりに日数が必要だろうと思っていたのだが、どうやら仕事が早いらしい。
格が体格なのでオーダーメイドの必要があると言われていた。なので京としてはそれ
武官制服、装備一式。それは武官に支給される職務用の装備と制服で、京の場合は体
を出た。
そう言うや否や、セシリーはスカートの裾を翻す。京は慌てて彼女の後に続き、部屋
﹁えぇ、昨日から申請していたもの││兎に角、グズグズしないで、さぁ、急ぎなさい﹂
守護者
48
﹁お待ちしておりました、セ││シリー様﹂
﹂
そ う 言 っ て ウ ド ー ル が 差 し 出 し た の は、皮 張 り の ケ ー ス。セ シ リ ー が 京 を 見 上 げ、
す││こちらを﹂
﹁はい、勿論です、ホルス服飾店に至急で製作させました、寸法も完璧にオーダー通りで
た。
しかし彼とてやり手の商人、すぐさま自分の失態を恥じ、京を意識の外へと追いやっ
ても通れる屋敷の扉の大きさに驚いたが。
口を止めた。恐らく規格外の大きさに驚いたのだろう、京としては自分が首を傾げなく
髭を蓄えた男││ウドールはセシリーに頭を下げて挨拶を口にし、その途中京を見て
い。見ていると何となく落ち着かなくなるのだ。
この屋敷に来てからメイドと言う存在を何度か目にしたが、何と言うか未だに慣れな
る。
不思議ではない恰好をしていて、メイドの方も屋敷のメイドとは異なる服装をしてい
部屋の中に髭を蓄えた男と一人のメイドが並んでいた。髭の男は貴族と言われても
ラリと並んでいた。数が多く、恐らく武官が準備を行うための場所なのだろう。
武官室と呼ばれる部屋はかなり大きく、中には休憩室の様なスペースとロッカーがズ
﹁えぇ、ウドール、彼の制服は準備出来ていて
?
49
﹁さぁ﹂と促す。京は自分が受け取るのかと驚き、戦々恐々としながらケースを受け取っ
た。そのままセシリーに言われるがままケースを開け、中を覗く。
そこには丁寧に畳まれた一枚の制服が入っていた、白を基調とした武官用の制服で飾
﹁⋮⋮おぉ﹂
緒に片方の肩が隠れるマント。京は闘技場で着ていた正装よりも大きい造りの制服に
感動し、それからコレを自分が着るのかと考えて少し恥ずかしくなった。
前世の自分からすればまるでコスプレだ。
大きすぎたり小さすぎたら、もう一度寸法を合わせるから﹂
﹁一度着てみなさい、ルドワークから貰った資料通りならピッタリだと思うけれど、もし
!?
る。地下闘技場での生活が余りにも長く続いたため、そういった事に鈍感になっていた
京は数秒ほど硬直し、それから自分が公衆の面前で着替え始めたという事実を理解す
様に直立不動を保ちながらも、僅かに濡れた目で京を見ていた。
ウドールも驚愕に目を見開きながら呆然と京を眺め、隣のメイドは動揺を悟られない
だ。見ればセシリーは頬を赤くして、指の隙間から此方を見ている。
脱ぎ捨て、ズボンに手を掛ける。するとセシリーが慌てて﹁ちょ、ちょっと ﹂と叫ん
セシリーに言われ、京はケースから制服を取り出した。そしてその場で素早く上着を
﹁えっと、分かりました﹂
守護者
50
のだ。
リースと共に生活をしていた時は互いに素っ裸になっても気にしなかったし││た
だし時折リースから感じる強烈な視線は気になっていた、尚リースの裸に関しては鋼の
精神を以て自制したと言っておく││着替えで一々肌を隠すという行為が頭の中から
抜け落ちていた。
あっ、貴方ッ、何故まだ着替えを続行しますの
た所で、その腕にセシリーが飛び付いた。
﹁待っ
えっ、あの、だって着替えろとセシリーさんが⋮⋮﹂
!?
て来たセシリーは、絶対にズボンを降ろさせまいと京に密着し、それからキッとウドー
突然飛び掛かって来たセシリーに京は驚き、困惑する。予想以上の怪力で掴みかかっ
!?
!
﹁ファッ
﹂
ウドールに苦笑いを向け、それからさっさと済ませてしまおうとズボンをぐっと下げ
では、少しの間失礼して﹂
﹁あぁっと、すみません、突然⋮⋮闘技場では肌を隠すと言う習慣が無かったもので││
け、京の肉体は驚異的であった、少なくともウドールが過去見た事が無いほどには。
技場育ちの野蛮人と皮肉を飛ばす予定だった口が、全く異なる言葉を紡いだ。それだ
視線を泳がせたウドールがそんな事を口にする。人前で肌を晒す非常識さや、流石闘
﹁その⋮⋮何と言いますか、立派な体ですな、ライバット氏﹂
51
ばいた
ル││正確に言うと、その隣のメイドを睨めつけた。
こんな場所で着替えないで頂ける
﹁貴方の肌を他の女に見られッ││ごほんッ そ、そちらに着替え用のスペースがあ
るのよ
﹂
!? !
その非常識さも含めて、だが。
張っていたとか、腕っぷしも折り紙付きだ。
らと蔑めるが、その顔立ちは凛々しく美しい。更には情報によると闘技場ではトップを
体格は大きく身長もある為、見栄が良い。それで顔が残念だったら闘技場上がりだか
その後ろ姿に、ウドールは万感の思いを込めて言った。
﹁⋮⋮その、凄まじいですな、彼は﹂
んで着替えスペースへと足を進めた。
る。京はセシリーの言葉に、
﹁あ、着替えのスペースあったんですね﹂と頷き、制服を掴
カーテンで仕切られたスペースを指差した、彼用に急遽用意された特別スペースであ
途中まで何かを叫んでいたセシリーは、一度咳払いした後にウドールの背後にある
!
た。
をしでかすか分からない恐ろしさがありますな﹂と笑ったが、セシリーは首を横に振っ
セシリーが心なしか疲れた表情でそんな事を言う、ウドールは、
﹁ははは、確かに、何
﹁え、えぇ⋮⋮こちら側としては、心臓に悪いわ﹂
守護者
52
﹁道を歩けば女が寄って集って、しつこく何度も話しかけられる、本当に害虫よ、喧しい
事この上無い、それで万が一何も知らず付いて行ったりしたら⋮⋮私が付いていないと
駄目ね、買い主だもの、私が買ったのだから、だからこれは権利よ、私には彼を独占す
る権利がある、本当に心配で堪らないわ││あぁ、心臓に悪い﹂
﹂
す
﹂と声を掛けると、カーテンの向こう側から申し訳なさそうな声で京が言う。
?
﹁はい﹂
﹁あぁ、そういう事でしたら││ヘテラ﹂
か﹂
﹁実は、ちょっと服の着方が分からなくて││コレ、どうやって着たら良いのでしょう
た
そんな事を思っていると、部屋に京の声が響いた。ウドールが空かさず﹁どうしまし
﹁あの、すみません﹂
て命を救う事がある。先の言葉は忘れよう、ウドールという男は何も聞いていないと。
これは触れてはならない類のものだと、直感的に悟ったのである。商人の勘は時とし
笑顔に何か底知れぬ威圧感を感じ、口を閉ざした。
とセシリーが微笑む。ウドールは先程の言葉の真意を確かめようとして、しかし彼女の
聞こえて来た言葉に、ウドールは疑問符を浮かべた。しかし直後に、
﹁何でもないわ﹂
﹁えっ
?
53
ウドールが隣のメイド││ヘテラに声を掛ける。すると彼女は一つ頷き、カーテンの
方へと足を進めた。メイドが主人や客人に服を着る補助を申し出る事は何ら不思議な
事ではない、この場に於いてもごく自然な仕事の一つであった。何よりヘテラ自身も、
美男子で筋肉質な男性に奉仕できる事に若干の喜びを感じていたりした。
ヘテラがカーテンの目の前まで足を進め、
﹁失礼します﹂といざカーテンの中に入ろう
とした直前、その肩に手が置かれる。
﹁駄目よ﹂
セシリーである。
にっこりとした笑顔で、しかし有無を言わせぬ威圧感を伴ってヘテラの肩を握りしめ
ていた。ミチミチと嫌な音を立てる肩に、ヘテラは表情を崩さぬまま冷汗を掻く。
あ、いえ、しかし││﹂
﹁ウドール、貴方が手伝ってあげなさい﹂
﹁はっ
﹁ウドール﹂
?
だとか、そういう不満はセシリーの笑みで吹き飛んでしまった。
う側へと消える。私の仕事ではないとか、何故男の着替えを手伝わなければならないの
メイドを引き留められ、突然指名されたウドールは言われるがままにカーテンの向こ
﹁アッ、はい﹂
守護者
54
どうやらこの男はセシリー様にとっての特別らしいと、ウドールは戦々恐々としなが
ら思った。
ありがとうございます、そう言って貰えると嬉しいです﹂
?
を感じた京は、嬉しそうに、しかし少しだけ恥ずかしそうな表情で笑う。
て、その服装は良く似合っていた。単純に男性から似合っていると言われた事に嬉しさ
ここまで来ると完敗だと、どこか吹っ切れた様な表情で言うウドール。実際彼から見
﹁そうですか
﹁男の私から見ても、実にお似合いです﹂
セシリーだけではなく、ヘテラですら見惚れる始末。
らも、ゆったりとした着こなしは確実に周囲の女性の目を惹く。
マントは専属武官の証。金の飾緒が良いアクセントとなり、彼の筋肉を程よく見せなが
な印象を見る者に与える。上下白の武官服、胸に輝く︻守護者︼の模様、肩に掛かった
シュヴァリエ
白は貴族に好まれる色で、顔立ちが美しく体格も良い彼が着用すれば宛ら聖騎士の様
彼が着れば実に絵になるだろうと思ってはいたが、想像以上であった。
をすると、セシリーが感嘆の息を吐いた。
一分、京が着替えに掛かった時間である。ウドールがカーテンを引いて京のお披露目
﹁態々すみません、ありがとうございます﹂
わざわざ
﹁││一応、これで大丈夫な筈です﹂
55
セシリーはその屈託のない笑顔に惚れ直しながらも、小さく自分の手を抓って自分の
こちら
意識を覚醒させた。痛みでも与えておかなければ、トリップしてしまいそうだったの
だ。
﹁んんっ、京、少し此方に﹂
はい、セシリーさん﹂
わたくし
﹂と威圧的に命令され、京は慌ててその場
?
?
?
﹁部外者は口を慎んで下さる
﹁アッハイ﹂
﹂
セシリー様、守護者就任の文言が違いま││﹂
を尽くすことを誓いますか││いえ、誓いなさい﹂
も、貧しいときも、私を愛し、私を敬い、私を慰め、私を助け、その命ある限り、真心
その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるとき
が家と共に在り、守護者エンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバット││
名に於いて命じる、常に私の剣となり盾となり、厄災を振り払う光と成れ、その身は我
﹁ふぅ、ごほんッ、では││ 私、ヴァン・シヴィルハッサ・ジ・アルデマ=セシリーの
に片膝を着いた。
に疑問も抱かずに立つ。﹁少し屈んで下さる
頬を赤らめながらも何とか恰好を崩す事を回避したセシリーに呼ばれ、京は彼女の前
﹁
?
﹁ん⋮⋮はて
守護者
56
京は突然告げられた事に驚き、そして後半何やら聞き覚えがあるなと思った。しか
し、この世界の風習やら何やらに疎い自分が聞き覚えがあるなどと、そんな筈はない、気
のせいだと頭を振った。
しかし、何と答えれば良いのか。京は少しの間悩み、セシリーの前で情けなく眉を下
げた。脇で石のように固まっているウドールを他所に、セシリーは京に向けて柔らかく
微笑む。
﹂
?
した。
﹁誓います﹂
!
﹂
﹁うん、暇﹂と言うレベルの気軽さで京は口に
?
身悶え、歓喜のガッツポーズを隠し切れないセシリー。それを真摯な目で見つめる
﹁ッっぅ∼∼
││素晴らしいわ﹂
れ程気負わずに、それこそ﹁今日ヒマ
容は良く分からないが、きっと彼女の武官になる為に必要な事なのだろう﹂と、実際そ
るが、こういった経験が皆無である京にとっては緊張の瞬間であった。故に﹁文言の内
優しい笑顔を向けられ、京は小さく息を吸う。これが儀式的なモノだとは理解してい
﹁えっと⋮⋮はい﹂
いの、何も難しい事は無いわ、簡単でしょう
﹁そんなに硬くならないで、真っ直ぐ私の目を見て││﹃誓います﹄と一言口にすれば良
57
守護者
58
のち
じ
京、どこか羨ましそうに二人を見つめるヘテラ。
後にウドールは語る、﹁あれは半ば詐欺染みていた﹂と。
家族と妹様
﹁屋敷内を案内するわ、この家は無駄に大きいし、迷ったら嫌でしょう
﹂
﹁いえ、しかし、セシリーさんに案内して頂くなんて、そんな﹂
﹁あら、私の案内では不満
だろうが。
・
﹂
園 があるわ、フェルビっていう園
食堂を思い出していた、システムとしては大して変わらない。中庭は食堂からも真っ直
人が千人は入れそうな巨大食堂、ズラリと並んだ長テーブルに椅子。京は前世の病院
芸師が手入れしているの﹂
﹁此処が食堂、こっちは中庭よ、真っ直ぐ行くと 花
フラワー・ガーデン
に地図でも無ければ迷ってしまいそうだった。無駄に広いかどうかは、人の感性に依る
・
そして始まったセシリー主導の屋敷案内、彼女の言った通り屋敷は非常に広く、確か
た。
ウドールから武官制服を貰った後、京とセシリーは午後を屋敷探検に費やす事にし
苦笑を漏らしながら、﹁そんな訳ないじゃないですか﹂と肩を竦めた。
明らかに分かって聞いている、実際セシリーの表情は悪戯する子どものソレだ。京は
?
?
59
ぐ行ける様になっていて、花園と同様に屋敷の使用人にも開放しているのだとか。
どうにも、この屋敷には貴族の次男坊や次女が多く在籍しており、そう言った施設の
運営にはそれなりに力を入れているらしい。やはり高位の貴族ともなれば相応の屋敷
カ
ジ
ノ
プー
ル
が必要なのだろう、改めて凄まじいところに身請けされてしまったと実感する。
﹁後はそうね、遊技場とか乗馬場とか、水泳場なんて施設もあるわ﹂
﹁⋮⋮貴族って、凄いんですね﹂
﹁凄いから貴族なのよ﹂
いや、その通りです。
一体どれほどの金を費やしているのか、恐らく京が一生かけても目にする事は無い大
シュヴァリエ
金だろう。いや、闘技場に一生籠って戦い続ければイケるだろうか、何て意味のない事
を考えてみたりする。
﹂
﹁京も自由に使って貰って構わないわ、守護者には我が家と同じ権利が認められている
ギャンブル
から││何なら遊技場で一山当てる事も出来るわよ
?
ギャンブル=ドラマやアニメの中の、ヤクザとかマフィアとかがゴロゴロ居る、何か良
ど を 病 室 で 過 ご し た 京 は 勿 論 ギ ャ ン ブ ル な ど の 経 験 が な い。よ っ て 京 の 頭 の 中 で は
京は申し訳無さそうに眉を下げながら、やんわりと利用を断る。前世の人生、その殆
﹁あぁ、いえ、賭け事は経験が無いので⋮⋮﹂
家族と妹様
60
﹂ ﹂っ て 因 縁 つ け ら れ て 喧 嘩 に 発 展 す る の で
何か運良く勝っても﹁テメェ、イカサマやりやがったなゴラァ
!?
く分からないけれど怖そうな感じと言う、なんとも残念なイメージになっていた。
あれでしょう
﹁ア ァ ン 俺 は タ コ サ マ じ ゃ ワ レ ェ ッ
!
?
ヤダ、怖い、絶対行かない。
?
産を築く事も出来るだろうと。
しかし、ソレを京はやんわりと断った。
限
値
﹂
兎に角京の言葉に好感を抱いたのである││好感を抱いたのである
わたくし
﹁ふふっ││ 私、貴方のそういうところ、好きよ
?
!
いた。尤も最初からカンスト近い好意を抱いていたので、大した変わりは無かったが、
上
それがセシリーの目には金に目の眩まない、無欲で清廉な人間に見え、増々好感を抱
ますます
やっても勝たせてくれるという意味で言ったのだ。それこそ、その立場を利用して一財
人間││アルデマ家の一員になった今なら、遊技場に足を運べば運営側が配慮して何を
そもそもの話、セシリーが言った﹃一山当てる事も出来る﹄とは、本家に名を連ねる
ていなかった。
場の存在が前世でいうヤクザやマフィアのソレに近い、しかし京はその事に全く気付い
の本人はヤクザやマフィアの様な存在に自分から近付きたくないと思っていた。闘技
京の肉体があればこの世界のヤクザ紛いの人物も一発ノックダウン可能なのだが、当
しょう
!?
61
﹁えっ、あっ、ありがとうございます││俺もセシリーさんの事好きですよ﹂
﹁│││││﹂
絶句。
その言葉に尽きる。
それとなくジャブを当てるつもりで、京に好意をアピールしたところ、特大のカウン
ターを当てられた気分であった。
無邪気な﹁好き﹂、下心や俗物とは全く反対にある純粋な好意、恐らく自分を身請けし
てくれたからとか、こんな自分に良くしてくれたからとか、真っ当な職を用意してくれ
ジョーク
﹂﹁もう子づくりし
たからとか、そういう前置きが幾つか入るのだろう、しかしセシリーにとっては兎に角
破壊力抜群であった、好きの言葉が頭をリフレインする。
むし
無論、京に自覚は無い。リースが気軽に京に対して﹁結婚する
﹂
﹁寧ろする、した﹂と真顔で告げる様に、京も気軽に好意を伝えただけに過ぎ
?
﹁はァッ││
﹂
﹂
相手にどう映るかは別として。
はなく、知り合って間もない女性に口にするからであった。
ない。その表情が少しだけ照れた様な、恥ずかし気であるのはリースの様な親しい仲で
ちゃう
?
!
﹁せッ、セシリーさんッ
!?
家族と妹様
62
セシリーが突然胸を抑えてその場に蹲る。セシリーの心臓が早鐘を打ち、過剰供給さ
誰か人を呼んで││﹂
れた熱が頬を赤く染めた。その額にはじっとりと汗を掻き、セシリーは京に顔を見られ
ない様にと俯く。
﹁だ、大丈夫ですか
えぇ、大丈夫、私は大丈夫だから﹂
!
もつ
顔赤いですよ⋮⋮体調が悪いなら、自室で寝ていた方が﹂
?
﹁胸を抑えた様にも見えましたが⋮⋮﹂
﹁気のせいよ﹂
夢だと。そう言い聞かせ自分の精神の安寧を得る。
落ち着くのよセシリー、この程度で恥ずかしがっていては彼と結ばれるのなんて夢の又
京はセシリーを心配そうに見つめ、彼女は震える足で立ち上がり深呼吸を繰り返す。
貴族には知られたくない事があるのだ、何も聞くな、斯く在れかし。
そういうものである
﹁本当に大丈夫よ、少し、そう、少し足を縺れさせただけなの、だから問題無いわ﹂
﹁ほ、本当に大丈夫ですか
を何とか堪え絶妙に笑ったような、引き攣った様な表情で京を見上げた。
下手をすると頬が緩んで、へにゃっと無様に緩んだ顔を見せそうになる、しかしソレ
歩ける機会を逃して堪るものかと。
京が慌てて人を呼ぼうとするが、セシリーは彼の裾を掴んで叫ぶ。二人きりで屋敷を
﹁大丈夫よっ
?
63
そう、この程度││それこそ﹁好き﹂程度で赤面していたら、彼を抱き絞めたり、キ
﹂
スしたり、ましてやその先、﹁大好き﹂や﹁愛してる﹂なんて告げられた日には。
﹁はァッ││││
﹂
﹂
﹁い、嫌よっ、絶対嫌ッ
!
医務室に運ばれる位なら舌を噛み切って死んでやるわッ
﹂
﹂
!
悪化します
﹁セシリーさん、やっぱり医務室に行きましょう 何かの病気ですよ、放っておいたら
な女性であったのだ。
が見ても自爆である、しかし彼女とて十九歳の乙女、しかも碌に恋愛経験のない真っ新
さら
して死ぬ。そんな想像をしたセシリーは先程以上の衝撃に襲われ、再度崩れ落ちた。誰
彼に真剣な表情で﹁愛してる﹂なんて言われた日には、恐らく悶えた上に心臓が破裂
﹁セシリーさんッ
!? !
京は京で、絶対これは風邪をひいていると確信し、無理して案内していたのだと見当
多く出払っており、伸び伸びと散策できる唯一のチャンスなのだ。
言うデートに近い行為を決して手放しはしないと抵抗する。今日は屋敷内の使用人が
まった表情も、僅かに濡れた瞳もそのままだ。セシリーは二人きりで屋敷を散策すると
差し出された京の腕にしがみ付き、イヤイヤと首を横に振るセシリー。その赤く染
!?
!
!
﹁そんなに医務室が嫌いなのですか
家族と妹様
64
違いな方向で自分を責めていた。
互いに互いを誤解していた、しかし肝心の誤解を解く人物が居なかった。京は迷う、
自分の意思としては今すぐにでも医務室に連れて行きたいが、しかし自分の主人である
神
様
セシリーの意向に反する、それは果たして許される事なのだろうかと。
﹂
﹂
!?
こんな食堂で座り込んで一体何をしているのか、という視線を中断し、彼女は声のし
﹁えっ、あっ、はい﹂
﹁すみません、少し宜しいでしょうか
セシリーに意見出来る筈だと、京は呆然と立っている彼女に言葉を投げ掛けた。
セシリーを﹁お姉様﹂と呼ぶ関係から、本家の人間だと推測できる。ならば彼女なら
これは何というタイミングだろう、京は大いに喜ぶ。
立ての良い、しかし落ち着いたドレスでセシリーとは対照的である。
がパッとした美人であるなら、彼女は可愛らしいと言える女性だ。服装は貴族らしい仕
サリと切られている。その顔立ちは幼く、年齢は京と同じか更に下に見えた。セシリー
髪色はセシリーと同じ金髪で、しかし彼女のように長い訳ではなく、肩の辺りでバッ
くと食堂の入り口に何やら見慣れぬ女性が立っていた。
そんな京の迷いを審判者が聞き届けてくれたのか、或いは単なる幸運か。京が振り向
﹁お、お姉様
?
65
た方││京を見る。
シュヴァリエ
彼女は最初、京という男の大きさに驚き、それから彼の纏う守護者の制服に更に驚き、
最後はこれでもかという甘いマスクに胸が不自然にときめいた。最初は姉の奇行に目
が行くばかりで隣の男に意識が微塵も行っていなかったが、見てみれば中々どうして美
しい男だ。
彼女の心臓が早鐘を打ち、知らず知らずの内に喉が鳴る。
視界に映った純白の武官制服を着こなす、体格の良い美男。はて、こんな男性が屋敷
に居ただろうかと考えるが、それよりも先に熱い感情が胸の内に湧き上がった。セシ
リーの実妹という事は体内に流れる血が同じと言う訳で、つまり男性の好みもまた同
じ。
要するに彼女はセシリーと同じ感情を一時的とは言え、抱いてしまった。
ば、ユーリは彼氏が来るまで五時間でも六時間でも雨の中待ち続ける様な女性だ。
セシリーがデートをすっぽかされて、彼氏の家まで特攻していく様な女性であるなら
対象に関しては、背後から延々と眺め続ける事で満足する様な人種であった。
に真っ直ぐ突っ込んで行く様な性格では無かった。比較的理性的で、寧ろ好意を抱いた
ポッと頬に赤みが差す。しかし幸いな事に彼女││ユーリはセシリーと違って欲望
﹁ぁ﹂
家族と妹様
66
また、彼女は見た目相応に幼く、それが恋心だとは気付いていなかった。ユーリ的に
は稀に見るレベルの容姿を目にして、
﹁あっ、カッコイイ﹂程度の認識である。この場に
於いてそれは非常に幸運な事だった。
の妹様ですか
﹂
わたくし
﹂
京、 私のいう事を聞きなさい、ユーリもよ
それと京、私の事は様と呼ばないでと何度も⋮⋮
﹁だ、大丈夫って言っているでしょう
?
﹁良かった││ユーリ様、どうかセシリー様を説得して⋮⋮﹂
﹁あ⋮えっと、そうです、ユーリって言います﹂
?
﹁やっ、だからッ、私は││﹂
﹁お姉様、熱があります、一度医務室に向かいましょう﹂
気で、病人を労わるソレである。
ユーリは京を見上げると一つ頷き、セシリーの肩に手を置いた。その表情は酷く優し
熱い、驚く程熱い。
セシリーに早足で近付くと額に手を当てた。
言われてみれば顔も赤いし吐息も乱れている。熱があるのではないかとユーリは考え、
京の裾を掴んだままセシリーは声を荒げ、ユーリは自身の姉の姿に困惑する。確かに
!
!
﹁実はセシリーさん││あぁ、いえ、セシリー様が体調を崩してしまって⋮⋮セシリー様
67
﹁お注射は痛くありませんから⋮⋮ね
﹂
﹁ちッ、違いますの、私は別にお注射が嫌でこうしている訳では││
﹂
﹂と叫ぶ。その姿には貴族の威厳
!
﹁それでは、京││さん、でしたか、お姉様の事は任せて下さい﹂
らは想像も出来ない滑稽さである、経緯を知らなければ二度見するレベルだった。
など欠片も見えず、京も思わず微妙な表情を浮かべた。彼女の普段の貴族然とした姿か
伸ばしながら、セシリーは﹁嫌ですわっ、嫌ですわ
しく医務室に行きましょう﹂とズルズル彼女を引っ張っていく。必死に手を京に向けて
そこまで口にして、ユーリは京の裾を握っていた手を無理矢理解き、
﹁さぁ姉様、大人
!
?
そして京は三分後に迷子になった。
無論、彼女は風邪などではない。
を吐いた。これで少し療養すれば、きっとセシリーさんも回復するだろうと。
鬼にして見送る。やがて廊下の向こう側に二人が消えた事を確認し、京は独り安堵の息
いや、しかし風邪をひいた主人を自分の都合に引っ張り回す訳にはいかないと、心を
める。セシリーも途中で観念したのが、涙目で京を見つめ続けるだけに留まっていた。
京はユーリに深く頭を下げ、ユーリは数秒ほど京を眺めた後医務室に向かって歩き始
﹁すみません、宜しくお願いします﹂
家族と妹様
68
娘と父
中央に向かい合ったソファーが二つと、間に長机が一つ。その上には紅茶が湯気を立
来ない難解なものなのだろうと思った。
文字読めないので何の本かは分からないが、恐らく文字が読めたとしても内容が理解出
ヴィルヴァの私室は非常に本が多く、部屋の壁には本棚がズラリと並んでいる。京は
め、彼の私室へと足を運んでいた。
で彼の呼び出しを受けた。そして日が沈みかけた夕方、不機嫌なセシリーをどうにか宥
京としてはそこまで気に掛けて貰っているという事実に頭が下がる思いで、二つ返事
事を切り上げ、多少無理もしたとか。
活に馴染めたかどうかが気になって呼び出したとの事。それの為に通常よりも早く仕
いた。彼はアルデマ家の当主であり、多忙の身である。しかしどうにも、この屋敷の生
京はセシリーの父であり、この屋敷の主人であるヴィルヴァ氏から呼び出しを受けて
セシリーが原因不明の不機嫌に襲われて数日。
﹁いやはや、突然呼び出して済まないね﹂
69
不 足 し て い る も の は 無 い か い 何 か あ れ ば 遠 慮 な く
てて置いてあり、ヴィルヴァは小瓶から砂糖を掬っていた。その表情は穏やかで、瞳は
優し気に京を見ている。
言って欲しい﹂
﹁屋 敷 で の 生 活 は ど う だ ね
?
﹁││美味しいです﹂
りの砂糖を溶かした紅茶をゆっくりと口に含み、その美味しさに顔が綻ぶ。
飲んでいたものだが、紅茶なんてものを口にするのは本当に久しぶりだ。京は少しばか
りを楽しむ。﹁うむ、中々上手く出来た﹂と呟くと、京にも紅茶を勧めた。前世では良く
相変わらず謙虚なものだとヴィルヴァは笑う。淹れたての紅茶を手に取り、静かに香
ます﹂
﹁いえ、十分過ぎる程です、こんなにも良くして頂いて、これ以上を望んだら罰が当たり
?
面倒見の良い兄貴肌、兄貴と呼ぶにはオーナーもヴィルヴァも歳を取っているが、本
感じ取っていた。
点を持たない京ではあるが、ヴィルヴァという男に対して京はオーナーに近い雰囲気を
本当に嬉しそうに笑うヴィルヴァを見て、京もまた嬉しそうに笑う。彼とは大した接
や、この味が分かる若者が居て嬉しい限りだよ﹂
﹁そうだろう、レティシンベルグから取り寄せた少々値の張る葉を使ったんだ、いやは
娘と父
70
シュヴァリエ
質は何も変わらない。
技
場
﹂
?
﹁君は優しいのか、気弱なのか分らんな⋮⋮まぁ、それも君の美点なのだろう﹂
﹁⋮⋮いえ、そんな事は﹂
う、しかしそれで自分が救われたのは事実だった。
といった風な表情で、しかし京は首を横に振る。確かに褒められた趣味ではないだろ
ヴィルヴァは苦笑を浮かべ、ふとそんな事を口にした。それは責められても仕方ない
て、当人からすれば不快極まりないだろう
﹁⋮⋮何も聞かないのだな、京君││貴族が地下闘技場で流血沙汰を鑑賞しているなん
ルヴァはカップを静かに置くと、長く息を吐きだした。
男だ。試合は勿論見ていたが、何よりオーナーから色々と聞かされていたらしい。ヴィ
く地下闘技場に通い詰めていた常連であり、オーナーとも個人的な繋がりを持っている
長年君を見続けてきたのだ、私が保証しよう、と。ヴィルヴァは力強く頷く、彼は長
﹁なに、君なら問題ないさ﹂
﹁何だか身に余る職を頂いたみたいで⋮⋮少し不安です、職務を全う出来るかどうか﹂
人のファンとしてもね﹂
に有る、何よりあの場所で君に惚れた私が口を出す訳にはいかない、両親としても、一
闘
﹁セシリーが君を守護者にすると言い出した時は驚いたが││まぁ、選ぶ決定権は本人
71
娘と父
72
しかし、自分の意見は確りと主張しなければならないぞと、ヴィルヴァは京に告げる。
今世と前世併せて随分と長い時間を生きた京ではあるが、精神的な面では全く成熟して
いないという自覚があった。
ははは、と乾いた笑いを零しながら頬を掻く。
元々大した人生経験がないという事もあったが、何よりも精神が肉体に引っ張られて
いるというのが京の見立てだ。これはこの世界に生を受けた時から感じていた事だが、
感情と理性が別々に働いている様に感じていた。
五歳の頃、村の子どもと言い争いになった事があった。子供特有の微笑ましい争い
だ、馬鹿とか、嫌い、とか、そういう喧嘩だ。本来ならば子どもの罵倒など笑顔で受け
流して当然なのだが、当時の京はそれが出来なかった。ついつい感情のまま罵り合って
しまったのだ。
前世の精神を引き継いでいるのならば、あり得ない失態だった。無論、前世の京が子
どもに馬鹿にされてムキなる人間だった、という訳ではない。文字通り、精神が肉体に
引っ張られているのだ。
つまり、今の京は十六歳相応の精神しか持ち合わせていない。
前世から持ち越した精神も存在しているのだが、
﹃京太郎﹄という男の精神は既に死ん
でいると言っても良い。知識もある、自意識もある、朧げだが記憶も多少ある、性根は
何一つ変わっていない、しかし一度リセットされた人間性は年相応の幼さを京に押し付
けていた。
マ
ト
モ
神
様
いじ
す。発火器は棒状でダイヤルを回すと火が出る道具だ、前世のライターと同じ役割を持
た。ソレを開くと中にはズラリと煙草が並んでおり、一本口に咥えると発火器で火を灯
ヴィルヴァは深くソファーに背を預けると、胸元から何やら小さなケースを取り出し
異世界は、日本人の精神でやり直すには、余りにも残酷が過ぎる。
だろう。
子どもの適応力の高さは京を救った、恐らく審判者が精神を弄ったのはこういう理由
やり取りに擦り切れて。
ければ京はとっくに壊れていただろう。闘技場での過酷な訓練と、そして日々続く命の
この幼さには苦労させられた、否、今現在もしていると言って良い。けれどコレがな
まさかと京は笑った。
﹁君は⋮⋮そうか、体だけではなく、心も大きな人間だな、君は﹂
来ませんよ﹂
きていられるのもヴィルヴァ様のお陰││感謝する事はあっても、責める様な真似は出
れる存在が居たからです、でなければ既に廃れて閉鎖されています、なら闘士の皆が生
﹁地下闘技場が問題無く運営出来ていたのは、ヴィルヴァ様のようにお金を落としてく
73
つ。
ヴィルヴァは煙をゆっくりと吐き出しながら、何かを思い返すように遠くを見てい
た。
﹁⋮⋮最初は地下闘技場など閉鎖させるべきだと思っていたのだがね、君には少し酷な
話だろうが││あの場所もまた国にとって必要な場所だったのだ﹂
特に若い頃は、どうにかできないものかと躍起になっていた、と。
ヴィルヴァは自分の恥ずかしい過去を暴露する様に笑った。
﹁何はともあれ、まずは知らなければならなかった、そこで何が行われているのか、どう
か
して未だに存続しているのか││そして知った、行き場のない孤児や奴隷の受け皿、最
後のセーフティネット、もし彼の場所がなければ町に孤児や奴隷、浮浪者が街に蔓延っ
ていたと、犯罪率も上昇したかもしれん、業腹だが地下闘技場に居れば十歳までは平穏
に生きられる、少なくとも路上で腹を空かせ死ぬ事はない、無論試合で殺される確率も
あるだろうが、延命装置の意味合いも強かった﹂
い頃から幼児愛好者の相手をさせられたに違いない。そうなったら自分の未来はどう
が。しかし京は腹の底からそう思っている、少なくとも娼館になど買われた日には小さ
人を殺す場所に押し込められて、幸いだ││なんて言う日が来るとは思わなかった
﹁はい、分かっています、自分も拾われたのがオーナーで幸いでした﹂
娘と父
74
なるか、余り考えたくはない。
奴隷商の手に渡った時点で人生は二択になる、直ぐに死ぬ羽目になるか、ゆっくりと
死ぬかだ。
物好きな貴族に身請けされれば、或いは使用人や愛人として生きていく事も出来るだ
ろう、しかしそんな事は滅多に起きない。そしてその中でも比較的﹃アタリ﹄と言える
のが地下闘技場だった。
十歳までは試合には出されないし、毎日三食ご飯も出る。衣食住が保証され、他と比
べれば平穏に日々が過ごせる。九歳からは試合を見越した訓練が始まるが、怪我をすれ
ば治療だって受けられるのだ。路上で野垂れ死ぬよりは何倍もマシだろう、何より努力
によって死に抗えるのだ、だからこそ京は死に物狂いで訓練した。
肩を竦め、困ったように笑うヴィルヴァ。京は少なからず彼の力になりたいと思って
﹁││そう甘やかしてくれるな、京﹂
﹁忘れろと言うなら忘れます、何か思うところがあるなら、吐き出して下さい﹂
た﹂
⋮⋮いや、何でもない、忘れてくれ京、この国の貴族として口に出すべき内容ではなかっ
│王は国民に関心が無さ過ぎる、貴族と王族の権威を高める事ばかり、これではまるで
﹁本来ならば国政によって、そういった者を救う施設か何かを作るべきなのだろうが│
75
いた、自分に出来る恩返しなどそう多くはない。愚痴を聞く程度ならばお安い御用だ、
誰にも言い触らすつもりはないし、その意味もない。
半分程に短くなった煙草を灰皿に押し付け、ヴィルヴァはこの話は終わりにしようと
告げた。残念だが、京としても無理矢理に吐き出させるつもりはない、彼がまた話した
いと持った時にでも聞こうと一人決意し、頷く。
なにぶん
﹁そうだ、ユーリに逢ったそうだね、本人から聞いたよ││あの子はセシリーと違って大
人しいだろう、頭は良いのだが何分引っ込み思案でね、出来れば偶に話し相手にでも
なってやって欲しい、ユーリも喜ぶだろう﹂
﹁自分で良ければ⋮⋮セシリーさんをとても慕っているように見えました、姉妹の仲が
良いのですね﹂
﹁あぁ、小さい頃からずっと仲が良かった、自慢の娘達だ﹂
ユーリとセシリーに関して話すヴィルヴァは楽し気で、実に饒舌だ。目に入れても痛
くない娘の事だからだろう、京は先日出会ったユーリの事を思い出す。芋づる式にセシ
リーの情けない姿が浮かんだが、それは思考の外に追いやった。
滲み、京を見つめていた瞳が左右に揺れる。京が一体どうしたのだと首を傾げれば、何
そこまで話してヴィルヴァは、何かに気付いた様に口を閉じた。その額に僅かな汗が
﹁セシリーは気が強くて、昔は良く衝突していたのだが⋮⋮⋮⋮⋮﹂
娘と父
76
やら言いづらそうに口に手を当てた後、
﹁あー、京、君は気の強い女性は嫌いかね
﹂
問うてきた。
﹁は
﹂と
?
﹁えっと、気の強い女性、ですか⋮⋮何故その様な事を
﹂
?
﹁││
﹂
﹂と暗い声色で問うてきた。
﹂
あっ、いや、別に嫌いという訳では⋮⋮﹂
?
そうか、それは良かった
! !?
頭を抱えていた。
しかし上機嫌になったヴィルヴァは数秒後に再び微妙な表情となり、更に十秒後には
何が良いのだろうか、益々分からない。
!
﹁えっ
サッと蒼褪め、﹁嫌いなのか⋮⋮
京は困惑を顔に張り付ける、するとヴィルヴァは悪い想像を浮かべたのか、彼の顔が
一体何の事だ、何の話をしている、何故心配する。
﹁││
好みなのかと心配になってだな﹂
﹁その、なんだ、ユーリは随分と落ち着いているだろう、君としてはそういう女性の方が
?
頭の中に浮かべていたユーリの姿が掻き消える。
突然の問い、京は思わず疑問の声を上げた。それは予想だにしていなかった言葉で、
?
77
京は預かり知らぬ事だが、ヴィルヴァはセシリーが京に対して好意を抱いている事を
知っており、他ならぬ彼がセシリーをどう思っているのか気になったり、しかし可愛い
娘を嫁に出すには少しばかり早い気が││等々、様々な事を考えていたのである。
更にここで彼の頭の中には妙に上機嫌なユーリの姿が浮かび上がった。屋敷内で妙
に背の高いイケメンに出会っただの、服装が似合っていただの、今考えれば正に恋する
乙女である。常に淡々と生きているユーリがあそこまで興奮した姿を見せたのは久し
とヴィルヴァは京に対して血走った眼を向ける。
ぶりだった、先ほどは話し相手になって欲しいと言ったが⋮⋮もしや二股か、二股なの
か
﹂
﹁京││正直に答えて欲しい、君は⋮⋮セシリーとユーリ、どちらが好みだ
﹂
﹂
問いかけようとして、しかしヴィルヴァの放つ空気が答え以外は受け付けないという威
本格的に意図の分からない質問に、京は大いに慌てた。何故その様な事を聞くのかと
?
?
発した。
が何かしたのだろうかと狼狽えると、妙に真剣な表情をしたヴィルヴァが重々しい声を
た。その視線はネットリと何か絡みつくようで、とてつもない執念を感じさせる。自分
ヴィルヴァが突然殺してやるとばかりの視線を向けて来た為、京は驚きに肩を震わせ
﹁
!? !?
﹁はっ││えっ
娘と父
78
圧感を発しており、京は口を噤んだ。
これは忠誠心でも確かめられているのだろうか、そんな事を考える。大体京はセシ
リーの事は兎も角、ユーリの事など少ししか知らない。そもそもセシリーとて知り合っ
﹂
て数日の間柄なのだ、それで好みだ何だと聞かれても答えられないというのが正直なと
ころ。
﹁⋮⋮せ││セシリーさん
苦肉の策だった。
た拳によって遮られた。
えぇ
﹂
とカップが音を立て、中の紅茶が僅かに零れる。
││じゃ、じゃあユーリさん
!?
ガシャン
えっ、あの、すみません
﹂
?
﹁京ッ、君はユーリが可愛くないと言うのかね
﹁ヘァッ
今度は灰皿からタバコの吸い殻が飛び散った。
!
!?
!
再び拳がテーブルに落とされた。
!?
﹁京ッ、君はセシリーが可愛くないと言うのかッ
!?
﹂
と言える。後は正解か否かの審判を待つだけだった、しかしソレはテーブルに落とされ
判断に確信が持てなかったからだが、優柔不断な京としては比較的迅速な判断であった
こういう場合は主を立てるべきだろうと、京は判断した。最後が疑問形なのは自分の
?
79
娘と父
80
あっ、これ無理だ。
あちらを立てれば、こちらが立たず。
圧倒的な親馬鹿力を前に、京は一人、無限地獄を悟った。
ほだ
京を身請けした貴族が望んだのか、或はオーナーがリース対策で行ったのかは分から
き出してやろうという魂胆もあった。
それと万が一身請けした貴族が見つからなかった場合、もう一度ボッコボコにして聞
が。
純に他の面々に鼻水を衣服につけられたく無かったからだ。京のならば喜んで受ける
オーナーを見逃したのは同情とか憐みとか、ましてや絆されたと言う訳でもなく、単
んできた百名の闘士は皆殺しにしたが。
染みの闘士が涙と鼻水を滝の様に流して救命を願い出たので見逃してやった。無論、挑
彼の部屋を三日三晩漁った。本当なら殺してやろうと思っていたのだが、彼の部下と馴
めて念入りにボッコボコにした││それでも口を割らなかったオーナーを捨て置いて、
オーナーとその闘士を軒並みフルボッコにし││特にオーナーに至っては私怨も込
放っていた。
な軽装で、上にローブを羽織っている。腰にポーチを引っ提げ、その眼は剣呑な光を
リースは現在、地下闘技場から抜け出し都市部を散策していた。その恰好は旅人の様
最愛を求めて
81
最愛を求めて
82
ないが、部屋に情報資料は殆ど残っていなかった。それでも諦めてなるものかと、京へ
の愛情を燃料に不眠不休で漁り続けた結果、オーナーが隠していた取引名簿を見つける
事が出来た。部屋を探索中に床の凹みに偶然気付き、カーペットを捲り上げたところ隠
し倉庫が存在していたのだ。
取引名簿、その最新の取引相手、詳細は書かれていなかったが国内である事は分かっ
た。
そして、京が消えた翌日に来た男の言葉││﹁大分良いところの貴族様に引き取られ
たらしいよ﹂
国内の、それなりに大きな貴族。
少なくとも京の身請け金をポンと出せる程度の財力はある貴族、更には地下闘技場に
も顔を利かせられる家柄。地下闘技場は言うまでも無く合法ではない、しかし違法かと
グレーゾーン
言われれば違う。
裏
の
法
律
言うなれば灰 色、誰もが存在を知っているものの、しかし決して糾弾しない世界の
シュヴァリエ
暗黙の了解、そこには表の有権者が入り浸る事もある、いや、寧ろ表の権力者であるか
らこそ裏でも権力が生きるのだ。
そこから察するに、国内でも有数の大貴族だろう。下手をすれば守護者持ちであるか
もしれない。
リースは表通りを歩きながら、小さく舌打ちを零した。大貴族という事は相応の権力
と義務を持つ、表立って大きな動きは出来ないはずだが、逆に言えばその権力と有り余
る財力を使って京という一人の人間を世界から隠す事など造作もない。
これがどこぞの中小貴族ならば単身乗り込んで京を強奪するという事も可能なのだ
が、相手が国の中枢に食い込む存在だと面倒な事この上ない。京と二人で危険な愛の逃
避行というのも中々どうして魅力的な案ではあるのだが、不用な苦労を京に与えるのは
リースの本意ではなかった。
その苛立ちが周囲に伝わっているのだろう、体格から少女と見られてもおかしくはな
い彼女だが、周囲の人々はリースを避けて通っている。すれ違う人々の表情は蒼白だ、
その纏う雰囲気が余りにも恐ろし過ぎる為。本来ならば人の喧騒で賑わっている表通
ゴ
ミ
ク
ズ
りも、彼女の周囲はまるでお通夜状態だった。
京と言う人間を隠しても、その活動の痕跡を完全に消し去る事は出来ない。外に出れ
のだが、当の本人は気付いていない。
ブツブツとリースは睡眠不足の頭で考える。その姿は傍から見れば非常に不気味な
じゃない、寧ろ味方﹂
むし
を集めるのも手⋮⋮焦らなくても良い、京が国内に居る事は分かっている、時間は敵
﹁情報屋を雇うか、或はルドワークの顧客を総当たり││いえ、何なら他の貴族から情報
83
最愛を求めて
84
ば誰かの目に触れるし、人の口に戸は建てられない。ましてや貴族は噂好きだ、京は体
格が良いし顔も世界一カッコイイ、非常に腹立たしい事だが貴族令嬢の一人や二人虜に
なっていてもおかしくはない。
なら、その令嬢が彼の情報を流すのも時間の問題。
問題は、どうやって京を取り戻すかだった。
スニーキング
仮に相手が大貴族だった場合、屋敷の警備はそれなり以上に厳重だろう。リースも自
サーチ&デストロイ
分の能力に絶対の自信を持ってはいるが、 潜 入は全くの専門外だ。彼女が得意とする
のは真正面から入り込んでの索 敵 必 殺、しかしそんな事をすれば第一級犯罪者待ったな
しだ。
そうなれば国外逃亡する他ない、この国の周囲は全て同盟国で固められているので、
高跳びして遠方の││出来ればこの国と同じ程度の国力を持ち、外交関係の悪い国に逃
げるしかない。折角高跳びしても、国家間指名手配などされて強制送還されたら目も当
てられない、そもそもリースは兎も角、京は相手に顔を知られてしまっているのだ、素
性が割れている以上国に留まるのは危険すぎる。
しかしそうなると大陸を渡る事になるのだが││追手のある中での密航、かなりリス
クの高い選択肢だ、頼るのは自然と非公式の船団になるだろうし、足元だって見られる。
出来れば穏便に済ませたい。
85
最善はリースの顔が割れずに、騒ぎになる事無く京を連れ出す、コレに尽きる。最終
的に京が消えて騒ぎにはなるだろうが、正面切っての殴り合いで京を連れ出した直後に
騒がれるよりは良い、一日か半日か、数時間だけでも構わない。それだけの時間があれ
ば京を連れて距離を稼ぎ、海に出る事も出来るだろう。
││時間は味方だと先程は言ったが、リースの感情からすると時間は敵だ。何故なら
ボディガード
身請けされた京がどんな扱いを受けているか分からないから。
通常、闘士を身請けした貴族は自分の武 官か、或は愛人として扱う。
武官として扱われるのならば良い、京は元々地下闘技場でも最強と名高い男だった、
ババア
そう簡単に死ぬ人間ではないし、リースはその点に於いては彼に全幅の信頼を置いてい
龍
る。しかし後者は駄目だ、貴族のでっぷり太った婆に購入されて毎日の様に可愛がられ
ているなど考えたくはない、考えたくはないが││あり得る話なのだ。
京は世界一カッコイイ、格好良いからこそ、あり得ないと否定する事が出来ない。
もし後者だったら京を奪還するだけでは済まさない、この世の地獄を見せてやる、人
はらわた
の最愛を奪った人間の末路、生きていた事を後悔させてやらなければ気が済まなかっ
た。
考えるだけで腸が煮えくり返る、リースはギチッと握りしめられた拳に気付き、ゆっ
くりと深呼吸を行った。こんな所で怒りを抱いたって仕方がない、喚き散らせば京が
戻って来るならそうするが、実際は何も進展しないのだから。
﹁⋮⋮あった﹂
そんな事を考えながら歩いていると、リースは目的の場所に辿り着いた。表通りに
ひっそりと建っている、他の建物と比較すると少々小さい雑貨屋。相当年季が入ってい
るようで、壁には汚れや傷が見える。窓から店内の様子を探れるが、客が入っている様
子はない。閑古鳥の鳴いている不人気の店、第一印象はそれだった。
看板には︻フロッグ雑貨店︼の文字、猫を象った随分ファンシーな看板だ。
リースは暫しの間店の外見を眺め、それから扉に手を掛ける。チリーンと客の来店を
知らせる鈴が鳴り、カウンターに肘を着いた女性が声を上げた。
﹁いらっしゃいませぇ∼﹂
リースは中々の綺麗好きだった。
ものだ。
売れている様子は無い。中には埃を被っている品物まである、掃除くらいはして欲しい
木製の玩具まで幅広い品物が棚に並べられていた。随分ラインナップが多い、けれども
リースが店内を眺めると、スプーンや皿、コップといった物から子どもが遊ぶような
やる気のない挨拶だ、リースでなくともきっと同じ様に思うだろう。
﹁⋮⋮﹂
最愛を求めて
86
﹁ごゆっくりどうぞ∼、あ、でも夜まで居座るとかは勘弁して下さいね∼、私六時には寝
たいんでぇ∼﹂
女性は恐らくこの店の店員だろう、くせっ毛の茶髪に眠たげな目元が特徴的だ。服装
は私服の上にエプロンを身に着けている。愛嬌のある顔立ちなのだろうが、リースに
とっては京以外の人間など、どうでも良い事であった。
文
裏
側
める。恐らく情報屋としての商売道具だろう、此処は表でこそ雑貨店を営んではいる
それからカウンターの裏から紐で綴じられた分厚い紙束を取り出し、パラパラと捲り始
そう言って置かれた金貨を手早く回収し、
﹁手数料、確かに頂きました∼﹂と口にした。
﹁あ∼⋮⋮ソッチのお客さんでしたか、そりゃまた失礼しました﹂
頷いた。
リースがそう告げると、女性は驚いたような表情を貼り付け、それから納得した様に
闘技場選手、数日前に貴族に身請けされた、かなり高位の家柄、彼の居場所が知りたい﹂
﹁オーダー││エンヴィ・キョウ・ライバット、身長百九十七センチの大柄な男、元地下
注
その瞳は仄かに危険な光を発し、声色は氷の様に冷たい。
リースは懐から一枚の金貨を取り出してカウンターに置いた。
ど こ か 間 延 び し た 口 調 の 女 性 を 相 手 に、リ ー ス は 淡 々 と 告 げ る。女 性 は 首 を 傾 げ、
﹁⋮⋮別に、雑貨を買いに来た訳じゃない﹂
87
が、裏では情報屋として名のある店であった。
リースは店の奥から微かな殺気を感じ取る、用心棒か、或いは傭兵か。どちらにして
も情報屋としての備えは万全らしい。
﹂
﹁えぇっと、男性で体格が良い、地下闘技場の選手で大貴族に身請け││年齢と、あと何
日前の事か教えて頂けますかぁ∼
こちら
﹁特別入居許可証の発行⋮⋮それは確か
﹂
バ
カ
申請するものではなく、市民以下階級を住まわせる為の﹂
﹁││三日前に﹃一等貴族地特別入居許可証﹄が発行されていますねぇ∼、普通の貴族が
事に比較的早く情報は見つかった、彼女の手がとある一枚で捲る手を止めた。
る。膨大な情報の中から合致するモノを見つけ出すのは一苦労だろう。しかし幸運な
パラパラと何枚もの紙を捲って三十秒ほど、女性は難しい顔をしたまま紙面を見つめ
﹁ふぅん∼⋮⋮﹂
﹁⋮⋮歳は十六、身請けされたのは三日││いや、四日前﹂
?
?
京の入居許可証かもしれない、そうリースは考える。しかし決めつけるのは早計だ、
﹁そう⋮⋮﹂
かですよぉ∼﹂
﹁国民管理官には此方に情報を売ってくれる優しい方が多くいらっしゃるのでぇ∼、確
最愛を求めて
88
もし他の貴族が何らかの理由で申請していた場合、無駄足になってしまう。裏付けが必
﹂
要だ、少なくとも動くに足る情報が。
﹁他には
﹂
百
?
万
円
﹂
?
﹁警戒は不要、全部本物﹂
つめだす。
から中身を確認した。中に入っていた金貨を一枚無造作に取り出すと、何やらジッと見
い。彼女の魔法を利用した物体転移である。女性は差し出された麻袋を手に取り、それ
普通ならローブの中にも入らないようなモノだ、無論最初から持っていたモノではな
リースは一言で承諾し、懐からパンパンになった麻袋を取り出した。
﹁││分かった﹂
﹁前払いで金貨百枚からです∼﹂
﹁料金は
確実に何か掴んで来ますけど、どうしますかぁ∼
何か目立った情報も無いですし、そんな大きい男性の目撃情報もなし││個人依頼なら
プ ラ イ ベー ト
﹁ん∼⋮⋮貴族地に向かう馬車は幾つか確認されていますが、行先はバラバラですねぇ、
ない。どうやらコレといった情報は無いらしい。
リースは女性に問いかける。パラパラと再び紙束を捲る女性、しかしその表情は優れ
?
89
﹁⋮⋮どうやらその様で、いやぁ、すみません、余りにも簡単に支払うから驚いてしまっ
てぇ∼││ともあれ、毎度ありがとうございますぅ、情報は二日から三日後に届きます
ので、もう一度足を運んで頂くか、指定された場所に此方の者が出向きますのでぇ∼
⋮⋮﹂
わっかりましたぁ∼と声を上げる女性。リースは既に用はないとばかりに踵を返し、
﹁なら、この区の宿屋﹃フリープの宿﹄に人を寄越して、部屋は203﹂
雑貨店を後にする。チリーンと再び鈴が鳴り、人々の喧騒が響く表通りに戻って来た。
その背後に﹁またのお越しを∼﹂と間延びした声が掛かる。
リースの手は、確実に迫っている。
﹁⋮⋮待っていて、京﹂
最愛を求めて
90
母の腕
﹁京はどうして外に出たいの
﹂
﹁ん⋮⋮どうして、か﹂
﹂
にとっては楽園の様な場所なのだと思った。
害
虫
消化すれば快適な空間と成る闘技場、人を殺すという点のみを度外視すれば成程、彼女
虫という言葉は良く分からなかったが││周りに敵は無く、三日の一度の怠い試合さえ
はある意味では正しい選択なのだろう、リースの様な強者だからこそ許される言葉。害
リースはベッドに寝そべりながら、一瞬も京から目線を逸らさずに淡々と言う。それ
ない﹂
て来る闘士はゴミクズばっかりだし、負ける心配なんて皆無、別に無理して出る必要も
﹁此処に居れば、お金が沢山貰える、ご飯も出るし、二人きり、他の煩い女も居ない、出
そんな事を問いかけて来た。
に、そんな彼をジッと見つめ続けるリース。そんな状態を続けて一時間、ふとリースが
地下闘技場の中に用意されたリースと京の部屋、黙々と筋力トレーニングに励む京
﹁うん⋮⋮
?
?
91
京は腕立てを中断し、言い淀む。それは彼女の言葉に賛同した訳では無いし、まして
や説得された訳ではない。単純にどう言うべきか迷っていた、前世の事をリースに打ち
明ける訳にはいかない、故に京は単純な感情だけを並べた。
﹁色々なモノを見てみたいから││かな﹂
﹂
げ、それから自分の思い描く景色を脳裏に浮かべて口を開いた。
していた。確かに少し大雑把だったと京は笑う、何と言えば良いだろうかと天井を見上
京の言葉にリースは首を傾げる、彼女は言葉の意味が良く分からないといった表情を
﹁⋮⋮
?
で確かめたい﹂
のか見てみたい、この道の先に、あの山の先に、この空の下に何があるのか、自分の目
けでも良いんだ⋮⋮⋮ただ、歩いて、色んな場所に行ってみたい、その先には何がある
んかにも行ってみたい、湖でも良い、そこで泳ぐ魚に混じって遊びたい、ただ眺めるだ
もれてもみたい、雪だるまなんかも作ってみたい、ソリという奴も楽しそうだし、海な
んだり、秋の落ち葉を踏み締めて楽しんだり、その紅葉に見惚れたり、過ぎれば雪に埋
に見とれたり、冷たさを感じて夏の暑さを凌いだり││土の足裏を押し返す感触を楽し
夕焼けに照らされた草原や山々に感動したり、川の潺に耳を澄ませたり、その透明な色
せせらぎ
﹁例えば、山の中でも良いし、森の中でも良い、木々の間から差し込む光に見とれたり、
母の腕
92
そんな光景を夢想して、彼は唯想う、憧れる。
病院の窓から見える箱庭の様な街並みや、木々では物足りない。その景色を五感全部
で感じてみたい、テレビや本で眺めるだけではなく、他ならぬ自分自身で。
旅がしたいという訳では無いのだ、ただ、そう││
なら、私が何とかする﹂
?
断ろうとして、しかし京は思い直す。自分が自由になったら、何処に行くのも自分で
う﹂
﹁あぁ、いや、そういう訳では││⋮⋮そうだな、じゃあ身請けが終わったら一緒に行こ
﹁京、旅行に行きたい
京にとっては幾千万の価値を持つのだ。
り前すぎて、実感が湧かないのだろう。そういうものだと京は思う、そんな当たり前が
申し訳なさそうな表情をするリースに、京は笑いかける。きっと彼女にとっては当た
﹁⋮⋮そうか、ちょっと説明が下手だったかな﹂
﹁⋮⋮良く分からない﹂
う生を許されなかったからこそ、京はそんな普通に固執していた。
合いたい、当たり前の様に生きて、当たり前の様に感動したい。ある意味当たり前とい
休日に友人と遊びに行く様な気軽さで、誰かと景色を共有したい。その感動を分かち
﹁普通に生きてみたい﹂
93
決められる。ならリースとフラリ旅をするのも良いかもしれないと。京から承諾の言
葉を引き出したリースは、喜色を顔に浮かべながら、
﹁なら、私が身請けする﹂とベッド
から飛び上がった。
意
地
悪
﹁それは駄目だ、金は自分で稼ぐ﹂
﹁⋮⋮いけず﹂
乱れたシーツを退かして上体を起こす、少しばかりぼうっとしていれば視界が徐々に
そうだ、自分は身請けされたのだ││
闘技場でないことを理解した。肌と擦れる布の感覚も、慣れたソレとは異なる。
ら視界を縁取る様な四角形、それがベッドの天蓋であると気付いた時、京は此処が地下
最初に目に入ったのは馴染みのない天井、シミ一つなく綺麗に磨かれている。そこか
目が覚めた。
☆
そんな約束をリースと交わした。
自由になったら、二人で一緒に旅行する。
﹁悪いな﹂
母の腕
94
開け、頭にかかっていた靄も霧散する。季節はそろそろ春に差し掛かる頃だが、朝は少
しだけ肌寒かった。窓から差し込んで来る朝日が未だ早朝である事を示しており、起床
時間にはまだ早い。
警護、屋敷内の巡回と言った内容だったが、実際は一日中セシリーの傍に居れば良いだ
屋敷内に於いての京の仕事は比較的簡単であった。事前の説明ではセシリーの身辺
抜け出し、洗面所に向かった。
闘技場に留まっているのなら彼女に手渡してくれるだろう。そう考えた京はベッドを
京は窓の外を見ながらそう決める、まずはオーナーに宛てて一通、もしまだリースが
﹁││手紙でも、書くか﹂
が。だからと言って彼女との約束を一方的に放棄して良い理由にはならない。
自分を身請けする事も叶わず、意図せずこの世界で言う普通とやらを手に入れた訳だ
自由になったら旅行に行こう、そう言えばそんな約束を交わしていた。結局は自分で
らくそう遠くない一日。
た、そして約束を交わした。アレはいつの出来事だったろうか、一年前か二年前か、恐
ポツリと京は呟く、それは先程まで見ていた夢の内容。リースが居た、彼女と会話し
﹁リースの夢⋮⋮﹂
95
けであった。
シュヴァリエ
一時たりともそばを離れないで﹂という彼女の言葉に従い、殆
訓練場での教官紛いの仕事や、屋敷の巡回も行おうと京は考えていたのだが、
﹁貴方は
わたくし
私の守護者ですのよ
と言った。
満面の笑みを悪い方に受け取った京は、心の底から﹁きっと良い人が見つかりますよ﹂
くなったのは風邪だろうか。もしかしたらセシリーのモノが感染したのかもしれない。
問を抱き、それとなく問うてみた││それに対する返事は満面の笑みであり、背筋が寒
性の結婚適齢期であるらしい。セシリーには結婚相手がいるのだろうか、ふとそんな疑
因みにセシリーは今年で十九になると言う。二十がこの国での成人年齢で、貴族の女
も年頃の女性と部屋を共にするのは色々と辛い。
彼女の父親││ヴィルヴァ氏から号泣、懇願され渋々別々になる様になった。京として
流石に寝る時やトイレ、入浴の時まで一緒に居ようとした時は驚いたが││その時は
みたいなモノだろうと。
得していた。守護者と言うのは未だに良く分からないが、専属武官と言っていたしSP
当初の予定とは異なるものの、身辺警護も元々の職務に含まれていた事なので京は納
どの時間を彼女の傍で過ごしている。
?
﹁あら本当、良い人が見つかったわ、これで結婚の件も安心ね││ふふっ﹂
母の腕
96
ロイヤル・ジョーク
ジョーク
そう言いながら京の腕に抱き着いて来たのはきっと冗談なのだろう。
貴 族 冗 談、高貴すぎて京には笑えないレベルだ。貴族って凄い。
武官としての仕事は然したる困難も無く、淡々と過ぎて行く。というよりも、セシ
リーが何処かに出掛けるという事自体珍しい事で、殆どは屋敷内に留まっていた。屋敷
内に居るという事は駐在している武官が周囲を固めているという事で、正直京が守る程
の脅威も無い、居るだけ警備という奴だろうか。
尤も、京としては血を流す必要もなく、平穏な時間を過ごせているので今の状況に不
満は無い。今のところ京の役割はセシリーの話し相手か体の良い遊び相手、といった所
だろうか。
見目麗しい女性と穏やかな会話をし、時折ボードゲームに興じたり散歩をしたり。何
と言うか、こんな事でお金を貰って良いのだろうかと思ってしまう程には何もない日々
であった。
しかし││武官に就任して四日目。
セシリーの守護者に任命されてから、初めて問題が起きた。
﹂とセシリーに問われ、京
京とセシリーは今日も今日とて、麗らかな太陽光を浴びながら日向ぼっこに興じてい
﹁納得できません﹂
た。最近本格的にやる事が無くなって来たので、
﹁何かない
?
97
が返した案は日向ぼっこであった。
病室で動けなかった時期は日がな一日ずっと太陽光を浴び続けていた京である、既に
その心は日向ぼっこの虜と言っても良い。心なしか日の光を浴びていると手の平から
ビームすら出せそうな気がしてくる、二本でも三本でも、多分、恐らく、きっと出せる。
服が汚れないようにピクニック用のマットを敷いて、中庭に寝転がる。最初の内は屋
敷内の様々な人に﹁セシリー様、はしたのうございます ﹂やら何やら言われていたが、
今では誰も何も言わない。
なにゆえ
シュヴァリエ
を見ていた。それでも男たちは怯まず、口調を荒げる。
京からすれば、
﹁突然何言ってんだコイツ﹂であり、セシリーも同じような視線で男達
やって来て言った。﹁納得できません﹂、と。
そんな太陽万歳と体で示している二人の前に、三人組の武官らしき恰好をした男達が
て本当に良かったと京は思った。
状況に興奮し、一周回って賢者に成っているだけである││今世にも太陽が存在してい
びている。やはり太陽の力は偉大である││実際は京と一緒に寝転がっているという
セシリーも日向ぼっこの良さが分かってきたのか、リラックスした表情で太陽光を浴
!
理解せぬ下賤な者であると
﹁セシリー様、何故この様な者を守護者に││ 聞けば出自も不明、貴族社会を欠片も
母の腕
98
!?
どうか、お考え直し下さい、守護者とは有力貴族にのみ
!
﹂
許される特権、それをこの様な者に使うなどと、そんなうらやま││いえ、そんなふし
だらな事をする男に
いのだろうか
京は首を傾げる。
と守護者の違いなど、専属か、そうでないかの違いだけだと思っていたが、そうではな
男の主張を聞けば、何やら京が守護者の立ち位置に居るのが不満らしい。通常の武官
た事である、断じて京から行った訳ではない。
もこれでもかと言うほど京に接近している。言っておくがコレはセシリーが言い出し
男は京を指さして叫ぶ、現在京の左腕はセシリーの枕代わりとなっており、セシリー
!
セシリーと言えば、男の主張に眉を顰めて不機嫌そうにしていた。
ないという事。
見れば男たちの肩にはマントが無く、胸に刺繡もなかった。つまり彼らは守護者では
?
﹂
!
ゴ
ミ
﹁私、同じ事を何度も言わせる愚者は嫌いなの││早く消えなさい、何なら貴方を解任す
わたくし
た。
そうな表情を隠そうともしない。小さく溜息を吐き出すと、腕を組んで高圧的に告げ
横たわった状態からゆっくりと、名残惜しそうに立ち上がったセシリーは、面倒くさ
﹁しかしセシリー様ッ
﹁下がりなさいシーエス、守護者の是非は貴方の決める事ではないわ﹂
99
るわ、実家に帰りなさいな坊ちゃん﹂
﹁なっ﹂
どこか馬鹿にしたような言い方に、シーエスと呼ばれた武官は驚愕する。それから拳
を握りしめ、キッと京を睨めつけて来た。言っておくが、自分は何もしていないぞと無
私が勝利すれば彼を守護者
言を貫く、立ってすらいない、彼らが来てからずっと寝そべったままである。
﹁││ならば⋮⋮ならば、彼と決闘をお許しくださいっ
!
﹂と叫ぶ。
元より、一武官の身、私程度に後れを取る様では守護者な
﹂
から解任して頂きたいッ
ど勤まらないでしょう
突然の展開に、京は﹁なんでェ
﹁へぇ⋮⋮﹂
!
﹁自分が勝ったら守護者にでも名乗り出るつもり
随分野心的なのね﹂
ない、受けて立つわという雰囲気が漂っていた。解せない。
面白いとばかりに口元を緩め、挑戦的な表情を覗かせている。その顔からは、良いじゃ
自分は全く関係ない、それどころか蚊帳の外であったというのに。しかしセシリーは
!?
!
?
いたいのです﹂
者に││持つ者の義務を理解せぬ平凡な人間に、貴女様を守る権利など無いと、そう言
ノ ブ レ ス・オ ブ リ ー ジ ュ
﹁いいえ、その様な大それた事は考えておりません、唯、守護者の称号を軽んじる下賤の
母の腕
100
﹁面白いわ、その思い上がり、賞賛しましょう││対価は高くつくけれど﹂
京、と名前を呼ばれて彼は慌てて立ち上がる。
話の流れから察するに、どうやら自分はこの武官と闘わなければならないらしい。京
が立ち上がると、ヌッと三人に影が差した。三人の身長は175cm程度で、身長二
メートル近い京とは実に二十五センチの開きがあった。
﹁っ││デカイな﹂
大見得を切っていた武官が唾を飲む。対峙した途端に感じる威圧感、何より武官制服
の上からでも分かる筋肉の量。なるほど、確かに自分たちを差し置いて守護者に選ばれ
るだけの力量はありそうだと。
﹂
京は一瞬だけ敬語を使うかどうか迷い、いやそもそも喧嘩を売って来た相手、それに
同じ武官ならば敬う必要は無いと判断した。
﹁決闘││と言っていたが、それは試合の様なものだろうか
ば剣を使用しなければならないだとか、直接ぶん殴ってはならないとか、そもそも武力
京は決闘について何も知らなかったので、まずそれを目の前の男に問いかけた。例え
﹁⋮⋮そうか﹂
互いの命を懸けた、な││﹂
﹁あ、あぁ、そうだ、しかし普通の試合ではない、コレは真剣なものだ、場合によっては
?
101
ではない部分を競うのか、とか。
しかし返ってきた言葉は京にとって都合が良いものだった││試合と同じ。
それはつまり︻地下闘技場と同じ様なモノ︼であると。決闘という響きに覚えが無
かった京ではあるが、今までやってきた事と何ら変わりがないものだと知って、安堵し
た。
それならば拳でぶん殴ろうが、足で蹴飛ばそうが問題ない訳だ。剣を折られたら負け
だとか、マイッタと言わせたら勝ちだとか、そういうまどろっこしい真似はしなくて良
い。
そして、どうやら、決闘に負けてしまうと守護者を解任されてしまうとの事。
つまり失業である、無職である、ニートである。折角オーナーに背を押され、同僚に
﹂
も黙って就いた真っ当な仕事、不当に取り上げられるなど我慢できんと少しだけ気合を
入れた。
﹁場所は
?
る。先ほどは下賤な者と罵ったが、貴族に近い清廉な志を持っているようだと。京はソ
シーエスは突然決まった決闘にも動じず、正面から受けて立とうとする京に頭を下げ
くとも蔑まれるものではない、先程は言い過ぎた、許してくれ﹂
﹁││一時間後、訓練場に来て欲しい⋮⋮君に敬意を、決闘に臨むその勇気と自信、少な
母の腕
102
レを笑って受け取り、シーエス三人組は踵を返して中庭を去った。
それを見送ったセシリーは、彼らの姿が見えなくなったところで不穏な笑みを零す。
﹁えっ、あの、準備とかは││
﹂
﹂
﹁貴方が負けるなんて、要らぬ心配よ││ほら早くして、ノロマは嫌いと言ったでしょう
?
ないの﹂
りそうね││さぁ、京、もう一度お昼寝よ、早く腕を寄越しなさい、それが無いと眠れ
﹁ふふッ、いずれは京のお披露目をしようと思っていたけれど、これは思ったより早くな
103
な訳ないよなと笑った。
☆
!
大丈夫だって、お前ならやれるッ
!
﹁もうやだおうち帰りたい﹂
﹁シーエスッ
﹂
け、
﹁この人は日向ぼっこではなく、自分の腕が目当てなのでは﹂なんて考えたが、そん
京の横に寝転がったセシリーはバンバンと首元を叩き、京の腕枕を所望する。少しだ
﹁⋮⋮そうですか﹂
?
﹁そうだよ
頑張れシーエス
超頑張れ
!
﹂
!
どこの世界の住人だよ、アイツ人間じゃねぇよ、絶対⋮⋮めっちゃ
?
!
に帰れよぉ、筋肉なんてお呼びじゃねぇんだよぉ⋮⋮﹂
!
長年彼女の武官を務めた自分達を差し置いて、どこぞの闘技場崩れが守護者に選ばれ
これにはデルフォ、エンツェ両名狼狽え始める。
にはポロポロと涙を流す始末で、
﹁自分、此処で死ぬんすかね⋮⋮﹂とまで言い始めた。
ハハッ、ハハッ、と乾いた笑いを断続的に漏らすシーエスに、デルフォが叫ぶ。終い
語彙力が、語彙力が死滅しているぞッ
﹂
しい、あんなん人じゃねぇよ、亜人や、怪物や、筋 肉 怪 物や││帰れよ、もう自分の国
マッスルモンスター
デカイ、しかも筋肉ヤバイ、ヤバイ、ヤバさ、ヤバみ、もうね、おかしいよ、絶対おか
﹁もう、なに、アレ
だった。人間、深く絶望すると感情が上手く表せなくなるらしい。
の世の絶望と言わんばかりの表情で、泣いているのか笑っているのか良く分からない顔
その彼は真っ白な灰にならんとばかりに燃え尽き、その背中はスカスカであった。こ
る。
売った張本人、そしてセシリーに仕える事を夢見て武官になった中堅貴族の次男坊であ
人影は無く、部屋の中央、長椅子に座って燃え尽きている影はシーエス。京に喧嘩を
武官三人組、シーエス、デルフォ、エンツェは武官室に足を運んでいた。三人の他に
!
﹁しッ、シーエス、気を、気をしっかり持て
母の腕
104
たと聞き、少しばかり先輩の力を見せつけてやろうという魂胆だった。或は勝てずと
も、自分達の力を認めさせセシリーを守るには値しないと守護者を辞退させるつもり
だった。
しかし、出て来たのは超大男で、挙句の果てに鋼鉄の様な筋肉を備えている。小さき
者が大きい者を打倒する、そういう事は亜人ならば可能だろうか、人間に於いては違う。
大きさは脅威であり、力そのものだ。
闘技場崩れとは聞いていたが、どの程度の実力かは聞いていなかった。しかし、冒険
者や犯罪者崩れが堕ちる最下層、それが地下闘技場だ。そんな所から引っ張って来た男
が、大した腕を持っている筈が無いと。貴族特有の傲慢さを発揮した結果がコレであっ
た。
﹂
セシリーの前では恰好つけたものの、一度見えなくなってしまえばこの有様。なまじ
﹂
しっかり、しっかりしろォ
実力があるからこそ、相手の力量が分かってしまった。
!
!
﹁マンマぁぁァアアアアアアアアッ
﹂
﹁シーエス、お前今年で二十四だろうっ
﹁お、俺っ、く、薬取ってくるゥッ
武官三人組の明日はどっちだ
!?
!?
!!
105
シーエス、死す
﹁思ったよりも、人は居ませんね﹂
指定された一時間後、京とセシリーが訓練場に足を運べばチラホラと人影が見えた。
﹁それはそうよ、皆、自分の仕事があるもの﹂
全部で二十人程だろうか、ポツポツと訓練場を遠目に眺めている。セシリーから﹁決闘
には見物人が付くわ﹂と言われていたので、もっと闘技場に近い大衆を想像していたが、
現実は野次馬程度である。
﹂
わ、その辺りは流石に弁えているでしょう││まぁ、それでも漏れる時は漏れるので
﹁腐っても我が家に仕える武官よ、私利私欲のために決闘を触れ回っていたら首が飛ぶ
しょうけれど﹂
﹁あの⋮⋮首が飛ぶって職的な意味で、ですよね
?
百メートル程度の大きさで、それなりにスペースがある。四方
×
を回廊に囲まれ、屋根のある施設内から見物人が中央に視線を向けていた。回廊には剣
訓練場は百メートル
京は無言で頷いた、何となく察したのである。
﹁さぁ京、さっさとあの身の程知らずを叩きのめして来なさい﹂
シーエス、死す
106
や盾、鎧などといった武具、防具が立て掛けてある。恐らく訓練時に使用するものなの
だろう。
京はセシリーの横を通って訓練場内に足を踏み入れる。
既に決闘相手は待機していた、確かシーエスと言ったか。彼は一本の剣を腰にぶら下
シュヴァリエ
げ、不動のまま瞼を閉じている。京が訓練場の砂利を踏みしめると、ゆっくりと瞼を開
いた。
しっか
﹁││シーエス・ダルフォルン・グルジ・アスベルス、この名に於いて誓う、我が武官の
刃に額をくっ付け、静かに息を吐いた。
シーエスは徐に剣を抜き放つと、両手で確りと柄を持ち、切っ先を天に向ける。その
おもむろ
れは自分の名だけではなく、家名すらも汚す行為だ。
けが
する威圧感に冷や汗を流す、だがこの場所に立った以上逃げ出すことは許されない。そ
腿並に太く、彼の首を容易にへし折ることが出来るだろう。対峙するシーエスは京の発
大きさが際立った。京とシーエスの身長差は如何ともしがたい、京の腕はシーエスの太
訓練場の中央、二本の白線が引かれた場所で二人は対峙する。直接並び立つと、その
﹁⋮⋮京、この決闘を受けてくれて感謝する﹂
﹁京って呼んでくれ、シーエス﹂
﹁来たか守護者﹂
107
誇りに懸けて、正道なる戦いを行うと﹂
剣を虚空に払う、そしてシーエスは真っすぐ京を見た。その目が泣き腫らしたように
││泣いていたのか﹂
赤らんでいて、京は少しだけ驚く。
﹁目が赤いぞ
は堂々たるもので、微塵も後ろめたさを感じない。
シーエスは涙を流すという行為を、恥じるばかりか胸を張って公言した。その立ち姿
﹁あぁ、そうだ、私は先程まで泣き喚いていた﹂
?
無論、シーエスの言葉は完全な嘘である。先ほどまで武官室で京に喧嘩を売った事を
せていなかった強さだと、シーエスという男の性根を垣間見た気がした。
のではなく、向かい合った上で弱さと認める、そして克服する。それは自分が持ち合わ
京は素直に感心した、武官という人間の心の強さに敬意を抱いた、ただ心を押し殺す
あり、涙が戦う覚悟の証明であると。
自分の弱さを認める、そうした上でその弱さを克服し戦場に立つ。それが彼の流儀で
なければ私は、この場に立てるほど強くはない﹂
悲しみ、残された家族を想い泣き、母の腕に抱かれた幸せを思い出し、また泣く││で
死にたくない、だが命よりも重い誇りがある、だから先に泣いておくのだ、自分の死を
プライド
﹁私は武官として此処に立っている、しかし命が惜しくないと言えば嘘だ、命は惜しい、
シーエス、死す
108
後悔し、﹁マンマァアアアアア
﹂と叫んでいただけである、南無。
!
﹂
?
なり以上の密度で作られているのが分かる。
言っても布ではなく、それは鋼鉄で出来ていた。受け取ってみればズシリと重く、それ
シーエスがそう言って差し出したのは、何やら手袋の様なモノだった。しかし手袋と
﹁待たせたな、コレならどうだ、使えるだろう
の棚の中から武具らしき物を持って再び訓練場へと戻ってきた。
彼は気に留めない。そして何やら剣や斧などが立てかけてある場所から離れた一角、そ
そう言うや否やシーエスは踵を返し、回廊へと足を向ける。見物人が騒めきだすが、
﹁少し待ってくれ、すぐ戻る﹂
彼はその言葉を聞いた途端、驚きに目を見開き、それから少しの間考え込んだ。
えないんだ﹂とシーエスに告げた。
素手対剣という、何とも体裁の悪い決闘に申し訳なさを感じつつ、
﹁実は素手でしか戦
らない。
た。他人から見れば侮っているように見られるだろうか、しかしそれ以外に戦う術を知
丸腰であることを確認した。そもそも、京は武器を扱えない、故に素手で戦う他無かっ
シーエスは剣を持ったまま、怪訝な顔でそう問いかける。京は自分の姿を見下ろし、
﹁⋮⋮ところで京、武器はどうした、まさか素手で戦うつもりではないだろう﹂
109
ガンドレット
﹂と京が問いかければ、シーエスは﹁手 甲だ﹂と答えた、何でも京の様な素
してくれないだろうか
?
ただ、絶対顔面には貰いたくないなとだけは思う、絶対に、何が何でも、土下座で許
髪が数本虚空に消えたが、シーエスは何も見なかった事にした。
京はその場で軽く腕を振るい、具合を確かめた。その余波で風が吹き、シーエスの前
さであった。手首の辺りに装着されたストッパーを嵌め込み、何度か拳を握る。
のか、若干窮屈であるものの決して入らないという訳でもなく、何とか実用に足る大き
シーエスに言われた通りに装着すれば、成程良く馴染む。元々大男用に作られていた
てくれ﹂
﹁使う奴を今まで見た事が無かったのだが⋮⋮どうせ誰も使わないのなら、貰ってやっ
﹁これは││良いな、拳を痛めなくて済む﹂
は初めて目にする武装だった。
手で戦う武官の為に作られた武器らしい。要するに拳に嵌めて殴れという事だろう、京
﹁これは
?
そう言ってシーエスは数歩後ろに後退し、京に剣を突き付けた。京もまた彼の威圧感
それじゃあ、京、そろそろ始めよう﹂
﹁なに、武器も持たない人間に剣を向けるのが恥であるだけだ、感謝など要らないさ││
﹁ありがとうシーエス、助かるよ﹂
シーエス、死す
110
111
ガンドレット
を感じ取り手 甲を構え、二人の間に戦意が張り詰める。互いの瞳が闘志を灯し、見えな
い火花が散る。シーエスからすれば、もうどうにでもなれである、せめて一撃で終わら
せて欲しい。
シーエスは構え剣先が震えないようにするので精一杯だった、構えた瞬間に京が噴出
した戦意││否、殺意が全身に叩きつけられ、恐怖を覚えたのだ。対峙すれば分かる、濃
い血の匂い。それは実際に彼から香るという訳ではなく、彼から放たれる重圧から感じ
取ったモノだった。
シーエスは数瞬先の未来を視る││その鋼鉄の拳が自分の腹部をぶち抜いて臓物が
零れる、顔面を陥没させ脳髄をばら撒く、顎先を砕き眼球が飛び出る。具体的な想像な
どつかなくても良い、ただ彼から発せられる見えない死という甘い香りが、自分を包み
込んでいる様だった。
殺してやる。
それは京の見せた重圧の幻聴だったのだろう、脳に直接響いてくる様な声だった。心
臓が早鐘を打って、キュッと歯茎が閉まる、口に広がる酸味は胃液だろうか。それでも
シーエスは退かない。
シーエスは無意識の内に何かを受け入れる。
それは死という甘い概念か、もしくはこの勝負の行方だったのか。恐怖でおかしく
なった訳ではない、諦めた訳でもない、ただ目の前に立つ男が圧倒的な強者であり、自
分は全身全霊で挑まなければならないと確信した。
そんな事は分かっている、戦う前から百も承知だ。
後は神に祈るのみ、母の温もりは思い出した、友との絆も確かめ合った、女性の温も
りを未だ知らぬ自分の半身には悪いが、シーエスは此処で果てる覚悟を決めた。
放たれた最速の一撃。京と言えど食らえば皮膚を突き破り、気道を切り裂かれ、骨を砕
人の限界ギリギリの速度、飛び込む勢い、腕の力、腰の回転、足のバネすら利用して
それは京に馴染みのある世界だった。
心配は無用、立っていた方が勝者で、死んだら負けだ。
す気で放った。自分も死ぬ覚悟がある、ならば相手も同じこと。この場に於いて生死の
その狙いは喉元、首を突き破ってやると言わんばかりの勢い、実際シーエスは京を殺
凄まじく鋭い踏み込みからの、突き一閃。
開戦の合図は無い。
声の無い絶叫。
﹁│││﹂
シーエス、死す
112
かれただろう一撃。
しかし京はソレを逸らした。
ガンドレッド
なんて事はない、突き出された剣に拳を添えただけだ。 手 甲を装備した京は拳が切
り裂かれる心配もなく、半分ほどの力で剣を押しやった。それだけで矛先は首を捉えら
れず、その数センチ横を通過する。
触れた剣の刃とガンドレッドの表面が火花を散らし、一瞬の空白が生まれた。シーエ
スは最初の一撃に全てを懸けていた、開幕速攻の一撃必殺。
しかしソレを逸らされ、思考が一瞬真っ白になり、体の動作が停止する。その一瞬で
良かった、京にとっては一秒すら不要な明確な﹃隙﹄であった。
京は逸らした剣に沿ってシーエスの懐に入り込む。伸びきった腕、がら空きの胴体、
そこに拳を撃ち込んで下さいとばかりに。
京は腕を折りたたんでシーエスの胸部に拳を密着させた、そこから腰を落とし小さく
息を吸い込む。拳と相手の距離、僅か一センチ。呼吸を体内で練り上げ、全身の筋肉を
脈動させる。
ヨロイドオシ
︻鎧通し︼
113
ズンッ
と空気が震えた。
!
再び下痢を我慢する様な顔となり││果てに白目を剥いて脱力した。
最初は苦悶の表情を浮かべ、数秒してやけに気持ちよさそうな顔に変わり、そこから
メートル程離れた場所でシーエスは漸く停止し、そのまま起き上がることも無く蹲る。
うずくま
シーエスは五メートル程地面と水平に吹き飛び、そのまま砂利の上を転がった。十
面が僅かに罅割れ、衝撃で砂塵が舞い上がった。
たった一センチの距離だったというのに、シーエスの体は大きく後方に吹き飛ぶ。地
悶の声と共に衝撃が彼の体を突き抜けた。
た。シーエスの体が大きく揺れて、その手から剣が抜け落ちる。﹁ヘゴォッ ﹂という苦
撃、それは全力で殴りつけ外側を破壊する攻撃とは異なり、内部へと浸透する技であっ
・
それは凄まじい衝撃が空気を伝い、地面を揺らした音。密着した拳から放たれた衝
!
手を抜いたとは思われない程度に威力を高め、しかし決して殺しはしない使いどころ
士、あるいは個人的な理由で殺したくない相手にのみ使っていた。
コレは京が﹃相手を殺さない為に使う﹄一つの力であった。闘技場では顔馴染みの闘
ただそれだけの技。
長く息を吐きだす。全身の筋肉を一瞬のみ稼働させ、拳を伝って相手に叩きつける、
﹁ふぅ│││っ﹂
シーエス、死す
114
115
の難しい力だ。京はシーエスという男を殺す必要が無いと判断した、仕事の為に人を殺
すのであれば京は躊躇しない、しかしソレはあくまで仕事上、どうしても殺さなければ
ならない相手に限る。
フレイルチェスト
京はシーエスを善人だと思った、或いは尊敬できる武官だと思った。故に手は抜か
ず、決して殺しはしない暴力を以て勝利した。
肋骨は何本か折れているだろうし、肺を圧迫した、胸壁動揺を起こしているかもしれ
ない。殺さないと言っても無傷では不可能、それは相手にとって侮辱に当たる││恐ら
く無傷で試合を終えていたら、シーエスは泣いて京に感謝しただろう││京は構えを解
くと、
﹁誰か、彼を医務室に運ぶのを手伝っては頂けませんか ﹂と見物人に声をかけた。
りを持っていた。
を除けば比較的穏やかな人間で、平民は守るべき存在と豪語し、武官という仕事にも誇
守護者相手に喧嘩を売ったりするシーエスであるが、根は善人である。貴族的な思考
駆け寄った。
しかし、彼からの呼びかけで見物人は自意識を取り戻し、我先にと倒れたシーエスに
かの女性及び男性は危なげな目で彼を見ている。
な信者を生んでしまう程の力。彼の美麗な容姿と恵まれた体格も合わさって、既に何人
見物人の殆どは京の圧倒的な怪力を前に言葉を失っていた、それは然もすれば熱狂的
?
故に、屋敷の人間からも評判は悪くない。そんな彼に差し伸べられる手は少なくな
かった。
白目を剥いて蹲っていたシーエスは、同僚や知人の手によって担架に乗せられる。そ
こに先程シーエスと行動を共にしていた二人組││エンツェとデルフォが駆け寄って
必死に声を掛けていた。その様子はこれから死を受け入れる友人を、必死で繋ぎ止める
様な姿だ。
﹂
心配しなくても死にはしない、そもそも全力でぶん殴った訳でも無いのだ、少し大袈
裟である。
﹂
﹁シーエスッ、お前頑張った、超頑張った
﹁漢だよ、お前漢だよォォッ
!
ハズ
死なない││筈、多分。
﹂
﹁ぁ⋮⋮ぉ⋮⋮おれ⋮⋮頑張⋮った│││ヴッ﹂
!
﹁しッ、シィぃエェスぅゥゥウウ
シーエス、死す
116
!
117
死んだらごめん。
魔法使い
何故か京よりも誇らしげに胸を張り、ふんすと威張るセシリー。その表情は満足そう
﹁圧勝││まぁ、当然の結果ね﹂
に緩んでいて、同時に豊満な双丘が自己主張を始める。京は苦笑いを浮かべながら先程
神
様
医務室へと運んだシーエスの事を思い出す、死なないだろうか、いや加減したから大丈
夫、死なない筈、死なないと良いな││死んだら審判者が何とかしてくれるよ多分。
しかし剣を持った相手と戦うのは初めてだったが、存外何とかなった。
どれもコレも、審判者の用意してくれた肉体が高スペックであるが故。京は心の中で
審判者に感謝の念を抱いた、お蔭で今日も生き延びられましたと。
だからシーエスの事もよろしくお願いします。
訓練場には既に人の姿は無く、セシリーと京だけが佇んでいる。何人かの見物人が
シーエスを運び、後は各々解散という流れだ。途中何人かが京に話しかけるタイミング
﹂
を伺っていたが、例外なくセシリーが訓練場より追い払っている。
﹁そう言えば京、貴方剣は扱えませんの
魔法使い
118
?
訓練場の中央、その砂利の上に転がった剣を拾い上げたセシリーが言う。シーエスが
使っていた剣、京が殴り付けた際に手から離れたもので、そのままになっていた。訓練
場にあったモノらしく傷が多く見える。
﹂
?
﹁あはは⋮⋮まぁ体だけは大きいですから﹂
﹁重っ││貴方、良くこんな重いモノを身に着けて動けますわね⋮⋮﹂
る。
受け取った彼女は予想以上に重かったのか、一瞬手がカクンと落ちるが辛うじて堪え
し、手甲をセシリーに手渡した。セシリーは剣を無造作に放ると、手甲を受け取った。
セシリーはふと京の手に目を向けると、そんな事を言う。京は両手の固定ベルトを外
﹁えっと、はい、どうぞ﹂
に渡されたその手 甲、少し貸して頂けるかしら
ガンドレッド
﹁そう││まぁ、剣に拘る必要はありませんわ、強ければ十分ですもの、それとシーエス
命をやり取りする場で、そんな力任せの剣を使いたくはないというのが本音だ。
見様見真似の無様なモノに過ぎない。
ど皆無であった。前世の引き出しからナンチャッテ剣術を引っ張り出す事は出来るが、
京はセシリーの言葉に眉を下げる、肉体的には高スペックな京であるが剣術の心得な
﹁使えないって事は無いのですが、自信が無くて⋮⋮﹂
119
どこか感心した様な目を向けるセシリーに京は笑みを零す、地下闘技場でも定期的に
筋力トレーニングは行っていたし、その賜物だろう、後は審判者の力だ。
メ
モ
リー
セシリーは両手の手甲をじっと眺めると、ポツリと何かを呟いた。
﹁形状記憶﹂
ポッ、と緑色の光がセシリーの手に灯り、手甲を何本もの線が行き交う。それを見て
京は純粋に驚いた、彼女が使ったのは紛う事なき魔法である。魔臓器を持たない人間に
は使用できない筈のソレを、彼女は京の目の前で使って見せた。
京がジッとセシリーを見ていると、視線に気付いた彼女が顔を上げる。その間にも手
﹁⋮⋮ん、何かしら、そんな目で見て﹂
﹂
甲は光に包まれており、京は何と言うべきか逡巡した後、疑問を口にした。
﹁セシリー様は、その⋮⋮亜人ではありませんよね
﹁あら、私が人間以外に見えるのかしら﹂
﹂
?
て京をじっと見つめた後、何度か納得した様に頷いた。
京が恐る恐ると言った風に聞くと、セシリーは今気づいたとばかりに目を開く。そし
﹁いえ、しかし、その││それは、魔法ですよね
?
魔法使い。
﹁⋮⋮あぁ、言い忘れていたかしら││私、魔法使いの才を授かっていますの﹂
魔法使い
120
京はその言葉を前世の知識として知っていた、それはつまり魔法を使う存在の総称。
そしてこの世界でも意味合いは同じで、魔法を行使できる亜人以外、この場合は人類で
魔法を扱える者を指す言葉だった。
当たり前だが魔臓器││魔力を持たない人間は魔法を行使できない、しかし稀に魔力
と高い親和性を持った人間が生まれる事がある。それは魔臓器こそ持たないものの、空
気中に存在する非常に薄い魔力を操り小規模な魔法を行使する事が出来る才を持つ、い
わば魔臓器を持たずに魔法を行使できる存在だった。
勿論、純粋な亜人が使用する魔法と比較すると威力も規模も格段に落ちる。そもそも
空気中に存在する魔力そのものが非常に薄く、どれだけ掻き集めたとしても魔臓器の生
成する魔力には到底敵わない、また親和性があると言っても亜人の様に体の中に取り込
む事が出来る訳ではない。だからこそ体内に作用する様な魔法は使えないし、あらゆる
さすが
点で亜人に劣る。しかし人の身でありながら魔法を行使できると言う事は、それだけで
凄まじい事だった。
気付き、頬を赤くしながら口を緩めて照れる。
そんな暖かい視線を受けたセシリーは、京の視線に尊敬の念が多分に含まれている事に
京は純粋に驚き、自分には到底扱えぬ神秘を使用するセシリーに尊敬の念を抱いた。
﹁そんな才があったなんて⋮⋮驚きました、流石セシリーさんです﹂
121
﹂
﹁ま⋮⋮まぁ、栄えあるアルデマ家の次期当主としては才の一つや二つ、当然の事よね、
えぇ││もっと褒め称えてくれても良くてよ
百八十円の﹃女性はこう口説く
∼東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ∼﹄に
││古今東西、どこの女性も褒められて悪い気はしない。確か前世で読んだ創刊号四
は格が違った、美人、美女、最強、可愛い、凄く可愛い﹂
﹁えっと⋮⋮流石です、素晴らしいです、天才的、美人魔法使い、アルデマ家の次期当主
?
涙目になっているが、これは効いているのだろうかと内心首を傾げつつ、更なる攻勢に
だが、度重なる褒め言葉に段々と頬を赤くして、肩がプルプルと震え始める。心なしか
最初は口をV字にして、ちょっとだけ照れた様に﹁ふふん﹂と胸を張っていたセシリー
これも主との関係を良好にする為だと、京は思いつく限りの褒め言葉を連発した。
が、まさかこんな形で役立つとは。
書いてあった気がする。友達が恋愛事皆無な病院に、冗談半分で持ち込んだモノだった
!
わ、私の素晴らしさは十分に││えぇ、十分すぎる程に伝わ
出ようとしたところでストップが掛かった。
﹂
﹁も、もう良いですわっ
りましたから⋮⋮
!
!
セシリーは顔を真っ赤にして叫び、京は満足した。一見怒っている様にも見えるが、
﹁そうですか﹂
魔法使い
122
その実口元は笑っている。どうやら喜んでいるらしい、﹃女性はこう口説く
∼東の幼
女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ∼﹄は正しかった、流石﹃女性はこう口説く
ないだろうか。
∼東の幼女も西の熟女も、これで貴方にメロメロ∼﹄である、此方の世界でも売ってい
!
!
﹂
﹂
?
にするセシリーに慌てて続く。手に持った手甲を訓練場に戻すべきか一瞬だけ逡巡し、
京はその言葉で日向ぼっこの事を言っているのだと理解した、意気揚々と訓練場を後
﹁腕枕ですわ
!
﹁成分⋮⋮
しょう、そろそろ戻りますわよ京、まだ今日の成分を貰っていませんの﹂
﹁ふぅ⋮⋮貴方の雄姿も見れた事ですし、もうシーエスが突っかかって来る事も無いで
のは、武官として駄目な気がした。
やる事成す事に一々疑問を挟んで良いものかと考える。主人に毎度疑問を投げかける
上は何も変わっていないが、記憶とは一体何だろうか。聞いてみたくもあるが、彼女の
無造作に放られた手甲を上手い具合にキャッチし、京はソレをじっと見つめる。外見
﹁わっと⋮⋮はい﹂
手 甲はお返ししますわ、記憶はもう終わったので﹂
ガンドレッド
﹁すー、はー⋮⋮良し、私は大丈夫、私は強い、頑張りなさい、セシリー││さぁ、この
123
魔法使い
124
シーエスの﹁貰ってくれ﹂と言う言葉を思い出して、京は有り難く頂戴する事にした。武
官としての仕事を行う上で、また剣を持った相手が出てこないとは限らない。寧ろ何ら
かの武器を持っているのが当たり前だろう、それらを相手取る上で手甲は非常に心強
かった。
ポーション
因みにシーエスはこの三日後に全回復した。流石大貴族の屋敷と言うか、怪我をした
際の回復措置も万全であるらしい。取り敢えず棚にズラリと並んだ回復薬││怪我し
た部位を凄まじい速度で再生させる、使うと死ぬ程痛い││を見た京は戦慄した。
尚彼は回復薬の痛みに耐え切れず、回復魔法を使用して貰ったらしい。何でも彼の実
家の亜人医師を態々呼んで来たのだとか、そこから彼の両親に今回の件が露呈し再び
シーエスは瀕死の重傷を負うハメになったのだが⋮⋮それは又別の話。
に一度仕事がある様なサイクルだったので、武官の仕事スケジュールは京にとって新鮮
た。地下闘技場に居た頃は戦う、休み、休み、戦う、休み、休み、戦う、といった三日
京はいつもより少しだけ遅い時間に起床し、休日の有難さというものを噛み締めてい
だろうか。
それ以外は朝から晩まで護衛という名の話し相手だが中々にホワイトなのではない
夫という事なのだろう。
確実に屋敷に居る日がその二日らしいのだ。まぁ、駐在の武官が守ってくれるので大丈
は雇い主││この場合はセシリー││の休日に合わせて決められるのだが、セシリーが
ある。京の休日は前世で言う水曜日と日曜日に該当する、完全週休二日制である。本来
因みにこの世界での暦、月日という考えは前世と変わらず、呼称が少々変わる程度で
京もまた、武官生活初の休日を与えられていた。
にかく休日である。休む日、読んで字のごとく与えられた英気を養うべき日。
休日││それは誰もが欲する週末、祝日の総称。有給休暇でも何休暇でも良いが、と
出会ってしまった二人
125
だった。何より普通の職業という点が素晴らしい、これこそ京の求めていた日常、普通
という奴である。
さて、今日は休日、何をしても良いである。
日がな一日太陽光を浴びるも、街に繰り出すも、読書に勤しむも、何らかの施設で暇
を潰すも、誰かと会話に興じるも、部屋で自堕落に過ごすのも自由。フリーダム、何と
言う素晴らしい響きか、自由万歳、人類は休日を得る為に生まれて来た。
買い物は自分の金、初任給で││これだけは譲れない。
が、アレはこの仕事をクビになったか、或は退職した時に使おうと決めていた。最初の
街に詳しくなかったし、何より金が無かった。オーナーから貰ったカードは手元にある
誰かと会話すると言っても京はこの屋敷内に友人は居ない、また外出しようにも京は
が。
と雑談やゲームに勤しんだモノだ││その彼らは全て試合中に命を落としてしまった
わった事が余りない。リースと出会う前だって同室のルームメイトが五人程おり、彼ら
技場では何だかんだで常にリースが傍に居たので、本格的な独りの時間という奴を味
先程食堂で少し遅めの朝食を済ませた所であり、後は自由に過ごせる時間だ。地下闘
京はベッドに座ったまま腕を組み、考える。
﹁日向ぼっこはセシリーさんと散々したし、そうだな││﹂
出会ってしまった二人
126
さて、そうなると本格的に手持ち無沙汰になる訳だが。
そう考えていた京の耳に、コンコン、とノックの音が聞こえた。
この部屋に訪れる人間は多くない、京はセシリーさんだろうかと首を傾げた。彼女は
この屋敷に来てから何度も自室に突撃を掛けて来ている。朝、彼女の部屋に向かおうと
していたら、あちらから来たと言う事が何度もある。言っておくが京が時間にルーズと
いう訳ではない、彼女が異常に早いのだ、一秒でも早く京に逢いたいと日に日に早起き
になっている、このままでは日も昇らぬ内に勤務する羽目になるのではと最近不安に
思っていた。
﹁⋮⋮おはよう﹂
想した人物とは異なり、寧ろ斜め上をぶち抜く人であった故に。
京は扉を開けながら途中で驚愕の表情を浮かべた、京の部屋の前に立っていたのは予
﹁何方様でしょう││か﹂
どちらさま
オーナーは多忙だろうし、仕方ないと京は勝手に納得している。
今部屋には守護者の制服と支給された部屋着しかない状態だった。
なので私服でも問題ないのだが、地下闘技場から未だに京の私物が送られていない為、
京は扉に向かって声を上げながら、掛けてあった守護者の上着を着込む。今日は休日
﹁はい、今出ます﹂
127
シーエス。
武官制服をキッチリと着込んでいた時とは異なり、カジュアルな私服で京の前に立っ
ている男。その表情はどこか気まずそうで、若干目が泳いでいた。その短く切られた金
髪、少しつり上がった目元、間違いなく彼だ、そっくりさんではない、京がぶっ飛ばし
た本人である。
﹂
京は咄嗟に敬語が出そうになるが、何とか呑み込んで砕けた口調で話しかけた。
﹁シーエス、だよな、どうしたんだ、何か用か
?
今日、時間あるか
☆
こうして京の初休日は幕を開けた。
が何とも歯痒いが、彼との間柄を考えれば知人でも十分。
い、京も知人とコーヒータイムというのも悪くないと思った。そこで友人と言えないの
いや、俺が奢るから、カフェに行こう﹂と言った。どうやら貴族地に良い店があるらし
そう問われて、京は困惑しながらも頷く。するとシーエスは少しだけ笑って、
﹁私││
?
﹁あ∼⋮⋮その、何だ、少し付き合ってくれないか﹂
出会ってしまった二人
128
﹁さぁ京、今日も一緒に日向ぼっこをするわよ、何なら私の部屋のベッドの上で日向ぼっ
本当に、まぁ私の魅力に耐え切れなくなって一線を越えてしまって
こでも良いわ、折角の休日ですもの、有意義に使わないと勿体ないわ、別に他意がある
訳では無いのよ
風に苦笑する京であるが、その巨躯が見当たらない。
あった。いつもならば突撃して来た彼女に驚きながらも、しかし﹁仕方ない﹂といった
しかし、彼女が意気揚々と京の部屋に合鍵を使って突撃したものの、中は蛻の殻で
彼女にとっては休日でも、彼にとっては平日である。
私or私、どちらを選んでも私である、休日なんて存在しない。
遣いである。尚、彼女の中に休日を共に過ごさないという選択肢は無い。
なったかと言うと、
﹁折角の休日だし、朝は少し寝坊したいわよね﹂と言う彼女なりの心
セ シ リ ー は い つ も よ り 遅 い 時 間 に 京 の 部 屋 へ 突 撃 を 掛 け た。何 故 い つ も よ り 遅 く
も何らおかしくは││﹂
?
﹂
それは初めての事であった。
﹁││あら
☆
?
129
京とシーエスは貴族地の中にあるカフェ、屋敷から徒歩十分程の距離だろうか、外見
から既に高級感あふれる店舗へと足を運んでいた。恐らく京一人ならば絶対に入店し
ない店である、煉瓦造りで頭上にはガラス細工の魔法灯が光っている。シャンデリアの
様な灯りに綺麗に磨かれたテーブルと椅子、それらが整然と並んでいた。
うわぁと、京は内心で悲鳴を上げた。
如何にもメニューが高そうな店である、いや、実際高いのだろう。しかし店内にはド
レスコートをした貴族風の男も居れば、シーエスの様にカジュアルな格好で来る貴族も
居る。敷居はそれ程高く無いのだろうか、しかしソレはあくまで貴族基準である。
﹂
ていたに違いない、京はそう思った。
たのは守護者の制服を着込んで来た事か、もし普段着などで来ていたら速攻追い出され
うな調度品に目を奪われていた京は、何でも無いと口にして一歩踏み出した。幸いだっ
幾分か砕けた雰囲気のシーエスが、入り口で足を止めた京に問いかける。店内の高そ
﹁どうした
?
﹁あぁ、有難う、本日のお勧めを二つと、レティアーノを二つ、頼んだ﹂
アルデマ家の守護││失礼致しました、奥の席をご用意しましょう﹂
﹁これはこれは、シーエス様、ご来店ありがとうございます、お連れの方は⋮⋮その制服、
出会ってしまった二人
130
﹁畏まりました﹂
手慣れた様子で注文を行ったシーエスは、そのまま燕尾服に似たデザインを着込んだ
初老の男性に付いて行く。京も慌ててその背に続き、案内されたのは店内の奥、完全な
個室であった。京とシーエスを案内した男性は一礼した後退出し、京とシーエスは面と
向かって座る。
その高級感あふれる椅子に座るのは非常に躊躇われたが、内心のソレを悟られない様
﹂
に、京は至って何でもない様に腰かけた。
﹁随分と手慣れている、此処には何度も
?
本音
見っともない真似は出来ねぇし﹂
マ ン マァァ ア ア ア ア
﹁公と私は使い分ける様にしているんだよ、気に障ったなら悪いな、セシリー様の前で
武官
﹁いや、それもあるけれど、一番はその口調だ││もっと丁寧な男かと思っていたんだ﹂
るシーエスに、京は否定を露にする。
京は驚きを隠そうともせず、素直にそう口にした。﹁お前を誘った事か ﹂と首を傾げ
﹁そうか││しかし、何と言うか意外だ﹂
﹁そうだな、週に一度は来ている、顔を覚えられちまったらしい﹂
?
131
シーエスと京は視線を交差させ、どちらからという事も無く自然に笑った。どうにも
﹁気に障る何てとんでもない、フランクで接しやすい、御堅いのはどうも、苦手だ﹂
!
波長が合うらしい、既に分かっていた事だが存外悪い男ではなさそうだ。テーブルに頬
杖を着いたシーエスは、少しだけ眉を下げて言った。
﹂
﹁決闘の件では、悪かったな、あれは完全に私怨だった、完ッ璧にこっちが悪りぃ﹂
﹁いや、こっちも相当強く殴ったし、お互い様だ、あれから傷はどうだ
な奴ばかりなのかよ
﹂
ない存在だと思っていたが、これじゃあ丸っきり逆だ││地下闘技場の連中は京みたい
﹁しかし、お前の拳は効いたぜ、一発でやられちまった、闘技場の連中なんて取るに足ら
が。ソレは良かったと、京は心から安堵した。
の担当医は腕が良いらしい、魔法を使う時点で腕が関係あるのかどうかは分からない
京がそう言えば、シーエスはパンパンと腹を叩きながら﹁綺麗に治ったさ﹂と笑う。彼
?
の場に京は立っていないだろう、別の戦う才覚を持つ闘士が立っていた筈だ。
を振った。もし地下闘技場の闘士が京の様な審判者スペックの肉体を持っていたら、こ
だとしたら、武官は御終いだ。そう言って肩を竦めたシーエスに、
﹁まさか﹂と京は首
?
自分とて理由もなく拳を振るう事は無い、安心して欲しいと京が言うと、
﹁それは最初
居るなんて考えたくもねぇ、二度とあんな怪力で殴られるのは御免だ﹂
﹁それを聞いて安心したぜ、少なくとも武官を辞めずに済む、お前みたいな奴がゴロゴロ
﹁地下闘技場でも自分は王者だった、自画自賛みたいで嫌だけれど、それが事実だ﹂
出会ってしまった二人
132
から分かってるよ﹂とシーエスは笑った。流石に誰彼構わずぶん殴る様な非道者ではな
いと、理解して頂いている様で何よりだ。
シーエスは穏やかな目で京を捉えると、少しだけ恥ずかしそうにはにかんで言う。
だ⋮⋮存外嫌いじゃないんだ、お前みたいな奴﹂
﹁それは││光栄だ、嬉しいよシーエス、君の事も是非教えて欲しい﹂
﹁おう⋮⋮つっても、俺の話なんぞ何処にでも居る平々凡々な貴族次男坊の話だぜ
?
☆
シーエスと京の語り合いは確かな熱を持ち、仄かな友情の芽生えを感じさせた。
払った先にあるのは対等と言う名の友人関係。
れは京とて同じで互いに互いの生い立ちが気になる。上か下か、そんな価値観を取っ
シーエスにとっては平民││それも奴隷階級だった者の経歴など初めて聞く話だ、そ
﹁それでも良い、いや、それが良い、自分は貴族の世界を良く知らない﹂
﹂
だって話だが、俺はお前と言う男を知りたい、まぁ邂逅こそ最悪だったが、その、なん
﹁色 々 話 し て み た い と 思 っ た ん だ、お 前 と 戦 っ て 勝 手 に 私 怨 ぶ つ け と い て 何 言 っ て ん
133
ならば簡単だ、何故ならば彼女は京に対してマークを施していた。それは魔法陣に近い
流石に国全土を対象には無理だが、区内の││更に言うと自分の守護者を見つける事
で京を探すつもりであった。
しかし、セシリーがその気になれば魔法で人探しをする事も可能、実際セシリーはそれ
探し回る何て不可能だ。出て来たのは良いが、少々準備が足りなかったかもしれない。
そうなると自然、この一般区に居ると言う事になるのだが、流石に独りで区内全域を
性格では無いと。
る。セシリーは京の性格をここ数日で把握していた、彼は貴族地でゆったりできる様な
に声を掛け、門警備の武官が外に出掛けたのを見送ったと言うところまでは確認してい
さて、貴族地を抜けて一般の国民が暮らす地区にやって来たセシリー。屋敷の使用人
が問題だ。京の身請けに頷いたヴィルヴァの決定には、そんな背景があった。
更には魔法使いという特異な才能から、そこらの武官よりも彼女の方が強いというの
人や二人連れて行くのが当たり前なのだが、今の彼女に常識は当てはまらない。
套も見る者が見れば貴族だと一発で分かる格好だった、本来ならば護衛として武官の一
敷で来ていたドレス姿のまま、その上に外套を羽織っている。ドレスは兎も角、その外
セシリーは現在単独で屋敷を抜け出し、京を探しに街へと繰り出していた。恰好は屋
﹁京は何処に行ったのかしら⋮⋮﹂
出会ってしまった二人
134
もので、対象を追跡する印の様なもの。
何らかの事情で京が行方不明、自分の元から離れた際に必要になるだろうと、セシ
リーが半ば強引に京の体内に撃ち込んだものだった。コレはセシリーと同じ魔法使い
の才を持つか、或は亜人でなければ気付けない。亜人本来の魔法よりも大分精度は落ち
る為、対象の大凡の方角と距離しか分からないが、彼女にとってはそれだけで十分だっ
た。
さて、一般区まで来れば多少は反応を返してくれるだろうと、早速魔法を使おうとセ
﹂
シリーが意気込んだところで、ふとその光景が目に映った。
﹁ちょっと⋮⋮貴女、大丈夫ですの
持つ者の義務を忘れた事など一度もない。
ノ ブ レ ス・オ ブ リ ー ジ ュ
は 出 来 ず、思 わ ず 声 を 掛 け た。セ シ リ ー も 中 々 ど う し て 京 に の め り 込 ん で は い る が、
流石に京を探している途中とは言え、そんな明らかに体調不良な少女を放っておく事
疲労の見える彼女の姿はどこか不気味ですらあった。
いて何日も碌に眠っていないのが分かる。美しい容貌の少女だ、美しいが故に青白く、
その肌は元々白いなのだろうが、今は白を通り越して青い、目元には濃い隈が出来て
れがフラフラと覚束ない足取りで表道を歩き、時折痛みを堪える様に顔を顰める光景。
それは今にも死にそうな青白い顔をした女性││否、少女と表現した方が良いか。そ
?
135
それは彼女の矜持であり、同時に権利を持つ為の義務だと理解していた。
﹁⋮⋮大丈夫、放っておいて﹂
最初、少女はセシリーを不審な目で見つめ、それから顔を逸らしながら言葉を吐き捨
﹁そんな明らかな不調で、放っておけなんて言われても無理ですわ﹂
てた。
しかし何でもないと突っぱねる少女の手を、セシリーは無断で取る。相手は最初面倒
そうな、或は邪魔臭そうな表情でセシリーを睨めつけるが、彼女に悪意が微塵も存在し
ない事に気付き舌打ちを零すだけに留める。
セシリーと言えば彼女の手が異様に冷たい事に気付き、少しだけ驚いた。これは何か
病にでも罹っているのかと。
﹁その辺で休めば問題無い、だから放して﹂
目の前の彼女は薬を突き出しても受け取らないだろう、ならばその場で消費出来るも
休める場所を与えるまでだ。
が、何よりセシリーはこれを人として当然の事だと思っていた。食べられないのならば
た。目の前で困っている人がいれば助ける、貴族として生まれたからという理由もある
セシリーは少しばかり考え込み、それから何か体に良いモノを食べさせようと思っ
﹁││なら、私が何か御馳走するわ、そうね⋮⋮こっちに来て﹂
出会ってしまった二人
136
のが望ましい。しかし一般区の街にある店など知る筈もなく、ならば貴族地に戻れば良
いと少女の手を引いて歩き出す。
少女は最初こそ抵抗しようとその場から動かなかったが、自分を見る女性の瞳が余り
にも力強く、この手の人間は適当に付き合った方が早く終わると考え小さく溜息を吐い
﹂
﹂
て歩き出す。男なら問答無用で消し炭にしてやったと言うのに、なんて考えながら。
﹁貴女、名前は
﹁⋮⋮それ、必要
?
﹁リース⋮⋮リース=ライバット﹂
た。
セシリーが半ば強引に迫ると、少女は非常に鬱陶しそうに眉を顰めながら口を開い
﹁良いから、答えなさいな﹂
?
137
一時の夢
料
亭
セシリーと少女││リースは貴族地に入り、とある老舗のレストランへと足を運んで
いた。無駄にキラキラとした装飾がある訳では無く、趣のある木造建築にどことなく自
然の暖かさを感じる造り、その店を見たならば京は﹁和風﹂と口にしたかもしれない、兎
に角この世界では珍しい異色の空間であった。
しかし、リースは特に動じる事も無くセシリーの後に続いた。最奥の畳が敷かれた部
屋、十二畳程の大きさで仮にリースが横になっても十分なスペースがあった。彼女が休
める様にとセシリーが配慮した結果だった。
リースは最初こそ手っ取り早く去ろうと考えていたが、目の前の女性││セシリーが
かなり高位の貴族だと悟り、情報を引き出す算段を立てていた。元々情報屋に個人依頼
を出していたリースだが、だからと言って手を拱いて待っているだけなど性に合わな
い。
向こうから情報を背負って来たならば、遠慮なくぶんどるまで。寧ろこれは好機であ
ると、リースは目に剣呑な色を宿した。
﹁取り敢えず楽にしていて、一応体に良いものを注文しておいたけれど無理に食べなく
一時の夢
138
ても良いわ﹂
テーブルに肘を着き、どこか睨めつける様な形で問いかけたリースに、セシリーは何
﹁⋮⋮名前、教えて﹂
でもない様に返した。
貴族の証である家名を名乗らなかったのは、国内でも有数の貴族である自分を前にし
﹁セシリーよ、呼び捨てで構わないわ﹂
て萎縮してしまっては更に病状が悪化してしまうのではないかと言う彼女なりの配慮
からであった。リースからすれば要らぬ世話であったが、兎に角貴族地に顔パスで入れ
﹂
るという事は貴族確定である、彼女は情報を得るべく言葉を重ねた。
﹂
﹁最近、貴族の間で流行っている噂とか、知らない
﹁噂
を聞いていても何の得にもなりません事よ
﹂
に、屋敷に居ても聞こえて来る噂なんて誰かの悪口に違いありませんもの、そんなモノ
﹁さぁ、最近は社交界にも出ていませんし、特にコレと言った噂は聞きませんわ⋮⋮それ
考えずに答えた。
も湧いたが、或はこの場を持たせる為の他愛もない会話なのかもしれないと、特に何も
リースの言葉にセシリーは首を傾げる。何故そんな事を聞いて来るのかという疑問
?
?
139
?
﹁そう⋮⋮﹂
望んでいた答えが得られなかったリースは、悔しそうに表情を歪める。それが体調不
良によるものだと思ったセシリーは、慌てて彼女に﹁ほら、遠慮せずに横になりなさい
な﹂と無理矢理リースを寝かせた。
リースも最近ちゃんとした睡眠が取れていなかったので、横になると多少の眠気を感
じる。しかし、こんな何処の誰とも分からない人間の前で眠りに入るなど、リースの危
機管理能力が許さない。
﹂
無理矢理横になった状態でも、リースは確かに意識を保ち続けた。
﹁じゃあ最近、誰かを身請けしたとかいう話は
﹂
?
﹁貴女⋮⋮誰かを探していますの
﹂
く、彼女は何らかの情報を欲しがっていると。
は、明らかに何らかの意図があって聞いている言葉だった。この場を持たせる為では無
横になったまま、自分を見上げて言うリースの言葉にセシリーは眉を下げる。それ
﹁身請け⋮⋮
?
?
的な肯定を現わしている。セシリーは少しばかりリースの境遇に興味を抱きながらも、
セシリーの言葉に帰って来たのは沈黙、イエスでもノーでも無い返答は、しかし消極
﹁⋮⋮⋮﹂
一時の夢
140
しかし親切心から自身の周囲に身請けした貴族が居るかどうかを考えた。
身請けという言葉に京の姿が思い浮かんだが、彼は地下闘技場から身請けした人間
だ。こんな色白でか弱い少女が、地下闘技場の関係者などあり得ないと断定、そこから
周囲の家が最近身請けをしたかどうかを考え、結局否定を口にした。
は、ですけれど﹂
﹁⋮⋮そう﹂
﹁⋮⋮貴方が誰を探しているかは聞きませんけれど、大事な方ですの
﹁大事、とても││私にとっては、何よりも﹂
?
にはリースはか弱く見えた。
﹁差し支えなければ、貴女とその人の話、聞かせては頂けません事
?
が原因であったならば、誰かに話す事でソレを軽減できるのではないかと。人に話す事
その言葉はセシリーなりの気遣いだった。もし彼女のこの状態が失った彼、或は彼女
﹁⋮⋮⋮﹂
﹂
情だった、もし自分が力になれるのであれば多少の助力はしてあげよう。そう思う程度
リースから感じられる焦燥、悲壮感はセシリーの肌を刺激した。それ程までに強い感
家族か、或は恋人か。
﹂
﹁私の知る限り、周囲の貴族で身請けしたという家は無いわ、あくまで私の知る周囲の家
141
で胸のつっかえが取れるのならば、それに越した事は無い。
﹂
対するリースは、そんな言葉を掛けられた事に少しばかり驚き、しかしぎゅっと唇を
噛み締める事を答えとした。
☆
﹁それで、その闘技場の彼女はどんな娘なんだよォ
?
れていた。
摂取する機会も無く、初めてという訳ではないが久しく口にしていなかった酒の味に溺
だと注文を行った所から雲行きは怪しくなっていた。京も病院生活ではアルコールを
手は友人一人。折角友になったならば腹を割って話そうとシーエスが口にし、ならば酒
個室という閉鎖空間が他人からの視線を完全にシャットアウトし、その醜態を晒す相
コールによって完全に舌の滑りが良くなった二人が居た。
それが男という生き物││に居座って早三時間、そこには大量の酒瓶が並べられ、アル
男二人でカフェと言う名の居酒屋││酒があるならば、何処であろうと酒場になる、
京とシーエス。
﹁そりゃあもう、自分には勿体ない位良い女性さ﹂
一時の夢
142
因みにこの世界の飲酒可能年齢は十五である。
お前ッ、おまえ、それはもう結婚するしかねェじゃねぇか
﹂
そうだなぁ、あれは地下闘技場に入れられて、五年位経った頃か⋮⋮﹂
﹁んでよ、んでよ、そのリースちゃんって子とよぉ、どうやって知り合ったんだァ
﹁ん
?
﹂
?
分っていない。酒の力とは偉大であり、同時に恐ろしくもある。
因みにだが、何故リースが京の恋人︵仮︶になっているのかは分からない、京本人も
の話をするに至っている。
ではあるが、一方的に話し終えたシーエスの勧めもあり、京の恋人︵仮︶であるリース
恋、もといセシリーに向けられた一方的な愛とも尊敬とも言える感情を語られていた京
ういう方向に話が逸れたのか、今では互いの恋話になっていた。最初はシーエスの悲
酒の入った二人は最初こそ自身の身の上を打ち明けるに留まっていたが、そこからど
余地は無い。
シーエスの言葉に、満更でもなさそうな笑みを浮かべる京。出来上がっている、疑う
!
くて可愛らしい女性だ﹂
﹁かぁあァ∼∼
呼べよ、沢山の花を持っていてやらぁ
!
﹁ふふっ、照れるな、そうだな、結婚したら報告しよう﹂
!
式には
﹁そうだな、少し嫉妬深くて、言葉が少なくて、けれど沢山の愛情を向けてくれる、小さ
143
京はリースとの出会いを思い出す。
奴隷商人から地下闘技場のオーナーへ。
十歳を超えた京は試合に出場できる年齢となり、一週間に一度の頻度でフィールド・
アリーナへと駆り出されていた。本来はもっと出場回数は多いのだが、やはり子どもは
子ども。そんなオーナーの方針により出場回数は通常の闘士より長いスパンが設けら
れていた。
しかし、一度殺し合いとなればそこに子どもだから、という手加減は介在しない。あ
る時は子ども同士で殴り合いを強要され、時には複数人で自分達の倍近い身長を誇る大
人と殺し合いを演じさせられた。
毎日が死闘だった、生きる事で必死だった、その小さな体は弱さの象徴に他ならな
かった。
一ならば完勝できる程の実力を身に着けたからだろう。実際、十一歳になった頃には大
あの十人の中に京が入っていたのは、子どもながらに急成長を遂げ子ども相手の一対
い様な能面の顔に、圧倒的な魔法の力。
るリースの試合。当時の彼女は今よりも更に無機質で、物静かであった。感情を知らな
京が彼女の戦う姿を見たのは、後にも先にもこれだけである。闘士十人と、亜人であ
﹁そんな時に彼女││リースと試合をする事になったんだ﹂
一時の夢
144
人と殴り合っても負けない程の地力を身に着けていた。
当時のリースは地下闘技場最強の名を欲しいままにしていた、京が地下闘技場に入っ
てから五年、彼女は不動の王者として君臨していたのだ。当時の京は魔法という奴を実
際に見た事が無かった、思えば待合室で他の闘士が絶望した様に俯いていたのは、あの
圧倒的な力を目にした事があったからなのだろう。
実際、その試合は彼らの考えた通りになった。
開始直後に放たれた天を穿つ雷撃、地面を舐める炎、空気を凍らせる吹雪、それら自
然の驚異が何の力も持たない人間に牙を剥くのだ。京は初めて見る魔法の力に愕然と
した、恐怖した。
こんなものと、どう戦えば良いのだと頭を抱えた。実際それは戦いと呼べるものでは
なく、ただ一方的な蹂躙であった。為す術なく倒れ伏す大人達、凍らされ、燃やされ、雷
に打たれ、一人また一人と地面に転がった。
人間が亜人と戦う事は死を意味する。
京がその言葉を実感した日だ、確かにこれは、剣や弓を持ってこようと意味が無い。
ましてや素手など論外だ、近付く前に殺されて終わる、それだけの力が魔法にはあった。
理に出来ている、自分が思うに、亜人と言うのは完全な人間の上位互換、あの戦いをリー
﹁実際、亜人と戦うなんて普通の人間には無理だと思った、魔法という奴はとことん不条
145
一時の夢
146
スは実力と言っていたけれども、今でも自分は運だと思っているよ﹂
結論を言ってしまえば、京はその試合を生き延びた。そうでなければ今、この場に居
るのは誰だと言う話になる。しかし、その過程で京は文字通り死ぬ思いをした。恐らく
嘗て経験した試合の中で、最も死を近く感じた戦いだった。
一歩の間違いが死に直結する、少し判断が遅れれば、避け損ねれば、その攻撃は容赦
なく自分の身を討ち滅ぼすだろう。それは京にとって慣れ親しんだ感覚、病院のベッド
の上で刻々と己の体を蝕む病魔を自覚するように、リースの魔法は京の体を蝕んだ。
天より穿たれる雷を不規則な回避によってやり過ごし、地面を舐める炎を跳んで躱
し、飛来する氷の礫を拳で叩き落とした。
自分でも恐らく、人外の動きをしていた事だろう。あれは正しく極限であった、脳内
麻薬が全身を犯し、両手が砕けようとも防ぐことを止めなかった、痛みは快楽に、死の
恐怖は愉悦に、命のやり取りは全ての大人が息絶えても続けられた。
正直に言うと、京は死に抗っているという事実に興奮していた││率直に言うと、射
精した。
あの何の抵抗も許さずに、京をこの世界に送り込んだ︻死︼という理不尽に、自分が
全力で抗っているという状況。それは一度死を体験した京に、これ以上ない興奮を与え
た。
どれだけ屈強な男だろうが、頭の良い人物だろうが、金持ちだろうが、死ぬ時は死ぬ。
抵抗なぞさせて貰えない、そう称したのは他ならぬ京である。だが、その京が、他なら
ぬ自分自身が、必死に抵抗しているのだ、死を前にして。
リースとの戦闘は時間にして五分程度だっただろう、それ程長い時間ではない。しか
し魔法を回避し続けた京にとっては何十時間という長い時間に感じた。
結局、京はリースの苛烈な攻めに屈し、炎を回避した瞬間、無防備な空中で氷の礫の
直撃を食らって意識を失った訳だが、辛うじて命に別状は無かった京は再び闘士として
復帰した。
それからである、京という人間の記憶にリースと言う少女が刻まれたのは。
京が初めて王者となったのは十三歳の頃である、試合に出場するようになってから三
らは凄まじい勢いで背が伸び、筋肉が付きやすくなり勝率が上がる。
売りに等しい試合でも、確実に勝利を捥ぎ取って行った。更に第二次成長期に入ってか
リースとの試合が良くも悪くも京の枷を外し、
﹁これ位ならば、死なない﹂と命の投げ
多くなった﹂
不思議な話だろう、それから一年、二年と経つ内に身長もグングン伸びてな、試合数も
話、その試合が結構盛り上がって、個室を貰えるようになったんだ、負けたと言うのに
﹁その試合以降、何だかんだと言ってリースが部屋に来る様になったんだ、恥ずかしい
147
年、京はリースを除く並みいる強豪を打ち倒し見事王座を手にした。
本来ならば現王者であるリースとの対戦が望まれたのだが、得難い強者││地下闘技
場の人間からすれば金のなる木││同士をぶつけて一方を失うのならば、リースと京を
対戦させずに金を巻き上げた方が良いという判断に至った。
何より、京との対戦をリースが拒んだと言う理由もある。その真意を京は未だに知ら
ない、しかし京としてもリースと再び戦う事は遠慮したいと言うのが本音だった。まし
てや一対一のタイマンなど殺される未来しか見えない。
だったけれども、かれこれ五年位の付き合いになる、自分にとっては親友でもあり、恋
﹁そ れ か ら リ ー ス の 希 望 で 部 屋 が 一 緒 に な っ て、ま ぁ 前 々 か ら 半 分 同 棲 み た い な 状 態
﹂
人でもあり⋮⋮向こうも悪くは思っていない筈なのだけれど、あぁ、告白したらオー
お前なら大丈夫だッ
!
!
ケー貰えるのかな⋮⋮﹂
自信を持てよ京ッ
!
が、何よりもリースが真っ直ぐすぎるのも原因だった。毎日好きだ好きだと言われてい
その根底には﹁こんな自分を好きになる筈がない﹂というある種の劣等感があるのだ
でいるのだが、如何せん病院生活の長かった京は人の好意に疎い。
京。実際は告白オーケー云々どころか、告白した時点で押し倒される程の好感度を稼い
リースとの未来に想いを馳せ、しかし良い未来が浮かばなかったのか表情を曇らせる
﹁イケるって、イケるって
一時の夢
148
たら、そりゃあ一種の冗談なのではとも勘繰りたくなる。
シーエスはそんな京を眺めながら酒を煽り、
﹁かぁあ ﹂と声を上げた。その姿からは
﹁つぅか、羨ましいな、この色男ォ あぁん
様とはどうするんだ
﹂
何故、そこでセシリーさんの名前が出て来るんだ﹂
お前、セシリー
お前、セシリー様まで引っ掛けてよォ、
貴族なんて華やかな肩書は欠片も見えず、ただの飲んだくれにしか見えない。
!
セシリー様まで、セシリー様までお前に好意を⋮⋮ん、セシリー様
?
﹂
酔っ払いの二人は、そのまま泥沼の会話に突入する。
﹁そうだったわァ、わりぃ、わりぃ、あーくそぅ、俺も彼女が欲しいィイ
そこに救いは無い。
☆
﹁そう⋮⋮大変だったのね﹂
﹂
そりゃあ、お前、セシリー様はお前の事が⋮⋮お前の事が│││何だっけ﹂
﹁うん⋮⋮
?
﹁馬鹿、お前、今はリースの話だろう
?
座敷の中、テーブルを挟んで対峙する二人。
!
?
﹁あん
?
?
!
149
リースとセシリーである。セシリーはピンと背筋を張って綺麗な正座で座し、対して
リースはテーブルに頬杖を着きながらセシリーを暗い目で見ている。
結局あの後、リースはセシリーに洗い浚い全てを吐いた、地下闘技場の事や自身が亜
人である事を除き、大体の事情は説明したと言って良い。セシリーが非常にしつこかっ
たという理由もあるが、睡眠不足に加えて京成分不足という状態がリースの口を軽くし
た。
本来ならば出会って間もない他人に自信の境遇やら感情を吐露する事等あり得ない
が、京が傍に存在しないという事実は予想以上にリースの精神に負荷を掛けていた。
何もかもが思い通りにならない、ならば泣き落としでも何でも使ってやる、少しの情
報でも良い、貴族が手を貸してくれるのならば万々歳だ。
リースは自棄半分、下心半分という形で説明を終える。それを聞いたセシリーの反応
は実に同情的であった。
曰く、とある商会に二人の奴隷階級の男女が居り、二人は互いに好き合っていた。商
リースの考えたカバーストーリーはこんなものである。
腕を組み、納得いかないと義憤に駆られるセシリー。
ても良いじゃありませんの﹂
﹁けれど、商会も随分と酷い事を⋮⋮せめて自身を身請けする時間くらい都合してくれ
一時の夢
150
会はそこそこの大きさで、二人は奴隷階級でありながらも人並みな生活を送れていた。
女は十年ほどその商会に身を寄せており、男は今年で五年目であった。
女は十年間で貯めた金貨を使って自身を身請けし、また男の身も身請けしようとし
た。しかし男はそれを断り、自分の身は自分で身請けすると言った。女はそれを信じ、
男が自由になる時を待っていた。
しかし、ある日商会に貴族がやって来て、男の事が気に入った貴族が彼を身請けして
しまう。それを聞いた時、女は運悪く遠方の仕事で不在にしており、女が商会に戻った
時には既に男の姿は何処にも無かった││と。
このストーリーの男は京で、女はリースだ。
強ち嘘でも無い、大凡の部分では合っていると言える。
セシリーに本当の事を打ち明けないのは、単に身請けした相手が大貴族だと分かって
いるからだ。貴族は上下関係に従順である、仮にこの場で彼女が自分に味方すると明言
しても、相手が国有数の大貴族だと分かったら手の平を返すかもしれない。そうなった
場合、セシリーを通して向こうに自分の初動が悟られる可能性がある、リースはそう考
えた。
容姿も優れている、一目見れば分かる、と思う﹂
﹁もし、身請けされた男性││彼が見つかったら、教えて欲しい、彼は背が高い、それに
151
﹁⋮⋮彼の名前は教えて頂けませんの
が気になって問いかける。
﹂
?
﹁⋮⋮返して貰う、彼を││お金はある、彼の身請け金と同じ位﹂
﹁貴女はその身請けした貴族を見つけて、どうするつもりですの
﹂
せた。それから、仮に彼女が彼を身請けした貴族とやらを見つけた場合、どうするのか
ライバット、何処となく聞き覚えのある名だ、セシリーは少しだけその場で頭を悩ま
セシリーは頷き、その名を記憶に留めた。
﹁││私と同じ、ライバットの名を持っている﹂
?
薄々であるが、セシリーは察していた。
そ し て 貴 族 に 彼 の 譲 渡 を 拒 否 さ れ た 場 合、目 の 前 の 少 女 が 何 を し で か す 事 に な る か。
セシリーはその事に気付いていた、もしや彼女はその事を知らないのではないかと。
遠に失う事になるのだ。
族が京を﹁売らない﹂と言った時点で、リースは交渉どころか彼を手に入れる機会を永
そもそも身請けした奴隷を売るか否か、その決定権は所有者にある。つまり向こうの貴
リースは彼を身請けした貴族を見つけ次第、問答無用で彼を奪還すると決めていた。
勿論、嘘である。
﹁⋮⋮そう﹂
一時の夢
152
しかし、だからと言ってセシリーが首を突っ込んで良い問題かと言われれば、否であ
る。そもそも身請けを受けたのは商会であり、金銭のやり取りが行われていたのならば
正当な取引と言える。
そこに何ら関係ない第三者が首を突っ込む││同列である貴族ならば兎も角、恐らく
リースの彼を身請けしたのはアルデマ家よりも下位の貴族、そこにアルデマ家が首を
突っ込めば、それは助力では無く﹃命令﹄になる。
それは余りにも理不尽と言えた。
だが、このまま何もせず傍観すると言うのも││
﹂と問いかける。
?
﹁⋮⋮結局、食事は無駄になりましたわね﹂
渡された紙切れ││伝言紙を摘まみながら、彼女は溜息を吐いた。
は何かを言いかけて、しかし姿が見えなくなる事で言葉を飲み込む。
お願い、そう言ってリースは逃げる様に早足で座敷を出て行った。その背にセシリー
﹁そんな高価な物を││分かりましたわ、何か分かったらコレに書きます﹂
﹁伝 言 紙、これに文字を書けば私に伝わる﹂
メッセージカード
て、﹁これは
リースはテーブルに小さな紙切れ一枚を置き立ち上がった、セシリーは紙を見つめ
﹁⋮⋮もう行く、何か分かったら、これで教えて﹂
153
そう言って伝言紙を手の中に仕舞う。未だに用意さえされていない食事、しかしこの
まま店を出るのも料理人に申し訳ない。せめて自分だけでも食事を済ませて行こうと
決める。
それから彼女の探している男性の事を考え││不意に、京のフルネームを思い出し
た。
エンヴィ・キョウ=ライバット。
今はアルデマ家の家名が入っているが、ライバットの名を彼も持っている。普段は京
とばかり呼んでいたので、直ぐに気付けなかった。彼は商会から身請けした人間ではな
いが、背も高いし容貌も美しい、彼女の言う男性と妙に合致していた。
セシリーは無意識の内に、拳を握り締めていた。
しかし考えれば考える程、彼女の言う人物が京に近付いて行く。
断言できるわけではない、そうであるとも、違うとも。
嫌な予感を覚える。
﹁⋮⋮まさか││ね﹂
一時の夢
154
開戦の狼煙
﹂
﹁京、少し良いかしら﹂
﹁セシリーさん
﹁えぇ、少しだけ││中に入っても
﹂
﹁こんな夜更けに、何か御用でしょうか
﹂
いに若干胸を高鳴らせながら京は口を開く。
リー。その髪は僅かに濡れていて、風呂上りだと言うのが分かった。鼻腔を擽る甘い匂
開いた扉の向こう側から顔を覗かせたのは、ナイトドレスにガウンを羽織ったセシ
部屋の扉に足を進めると静かにドアノブを回した。
めなノックに京は声を上げた。ドアの向こう側から聞こえた声はセシリーのモノ、京は
夜、シーエスと京が屋敷へと帰宅し、時刻は皆が寝静まる頃。コンコン、という控え
?
が吹き飛ぶ程度には酒を飲んだ京ではあるが、体にアルコールに対する耐性があったの
京は少しだけ陰のあるセシリーの表情に内心首を傾げながら頷く。シーエスと記憶
﹁勿論です﹂
?
?
155
か、或はこの世界の回復魔法が凄まじいのか、ある程度理性的な判断が出来るレベルま
では回復していた。
﹂と問いかけ
セシリーは京の部屋に一歩踏み込むと、近くの椅子に腰かける。京は備え付けのカッ
プに手を掛けると、
﹁大したものはありませんが、紅茶でも如何でしょう
た。
﹁気にしないで、実は先程頂いたばかりなの﹂
めてベッドに腰を下ろすと、
﹁それで、御用と言うのは ﹂とセシリーに問う。セシリー
そう言って笑うセシリーに、京は﹁そうでしたか﹂とカップを元の位置に戻した。改
?
﹁リース
﹂
﹁京、貴方││﹃リース﹄という名に聞き覚えはあるかしら
﹂
は少しだけ困った様な、或は迷う様な素振りを見せた後、恐る恐る京に聞いた。
?
?
て頷いて見せる。
間驚きに胸中を支配され、しかし問われたからには答えなければならないと、京は慌て
る。京は京で、何故セシリーからリースの名が出たのか不思議で堪らなかった。僅かな
その反応だけで答えは出ている様なものだが、セシリーは唇を噛んでぐっと我慢す
京は名前を聞き驚愕を顔に張り付けた。
?
﹁はい、その⋮⋮リースは地下闘技場で同室だった戦友で、面識があります、しかし何故
開戦の狼煙
156
セシリーさんがリースの名を
﹂
?
﹂と京が問いかければ、彼女は首を振った。
?
そんな疑念があった。
?
リースに対して京は身請けさせないと言った場合どうなる
に 任 せ た 所 で ア ル デ マ 家 に 危 害 を 加 え れ ば 国 内 で は 生 き て い け な い。ど ち ら に せ よ
余り良い展開は浮かばない、少なくとも法に依れば京はセシリーのモノであり、感情
?
ない。その程度の執着で済むならば、闘技場で身請けなどしなかった筈だ。では仮に
リースは京を再び身請けすると言っていたが、無論セシリーが京を手放すなどあり得
は
それは一目で分かる程の好意だ、彼女に逢いに行けば京は自分の元に戻ってこないので
くその事を話せば、彼はリースに逢いに行く事だろう。リースは大変京を好いていた、
彼女はリースが京を探していたと、そう本人に告げるべきか否かを迷っていた。恐ら
うが、彼女は明らかに苦悩している。
セシリーはそこまで言って口を噤む、京は疑問符を浮かべた。大した事では無いと言
﹁大した事ではないの、ただ││﹂
スとあったのですか
とセシリーは言うが表情からして余り良い出会いでは無かったのだろう。﹁何か、リー
京の答えを聞いたセシリーの表情は実に苦々しいものだった、知り合う機会があった
﹁そう⋮⋮彼女とは、今日、少し知り合う機会があって、それでよ﹂
157
リースは既に詰んでいた、少なくともセシリーの目から見れば。
﹁⋮⋮⋮﹂
セシリーの胸内は複雑であった、リースという少女が嫌いかと言えばそうではない、
京という個人を好き合う同士、その感性は限りなく近い所にあるのだろう。或は出会い
方さえ異なれば友人として語り合う事も出来たかもしれない。
しかし、セシリーは﹁もしも﹂の話が嫌いだった、現に幾ら今を嘆いたところで時が
戻る事は無く、リースにどの様な言葉を掛けようとも結末は分かり切っている。
そして何より、セシリーはリースに対して不快感を覚えていた。
それは嫌いという感情ではなく、憎悪に近い感情だ。つまり嫉妬していたのだ、リー
スという少女に。自分よりも長い時を京と過ごした、そして現に京をセシリーから奪還
せんと動いている少女に。
﹁⋮⋮⋮京、一つ答えて欲しいのだけれど﹂
はい、何でしょう﹂
?
く、自分の思い過ごしであると。
かあったのだろうかと戦々恐々としていたが、晴れたセシリーの表情に安堵する。恐ら
その表情はとても穏やかで、先程の苦々しい表情が嘘の様であった。京はリースと何
セシリーは京に問いかける。
﹁⋮⋮
開戦の狼煙
158
そして彼女は運命の分かれ道となる、問いかけを行った。
﹂
?
抜け出すと武官制服の上着だけを着込み、窓から外を覗き込んだ。
かと一瞬呆れるが、しかし京の勘が明らかな異常を訴える。夜は寒く、京はベッドから
昨日シーエスと酒を浴びる様に飲み、未だに頭痛が抜けていない。二日酔いの不快感
程度。セシリーが無言で部屋を去ってから数時間後程だろうか。
時刻は深夜、満月の明かりが仄かに部屋を照らし、薄ぼんやりと部屋の様子が分かる
ふと、何か言い表せない不快感を覚えて目を開けた。
☆
この日、セシリーの何かが終わった。
﹁はい、好きですよ﹂
情と照らし合わせて。何の考えも無く、ただ単純に自身の気持ちを口にする。
京も理解出来た、答えるのは簡単だった。耳から聞こえた言葉を噛み砕き、自身の感
それは短く、簡潔な問いであった。
﹁貴方││リースの事は好き
159
じき
眠気はあったが、それよりも危機感が勝った。未だに靄の抜けない思考と視界だが、
動けぬ程ではない、それに眠気と不快感も靄も直消えるだろう。
いや、そういう類の視線ではない。明らか
?
ト
ン
プ
周囲は薄暗く、月明かりだけが頼りだ。そこらに生え揃っているブッシュ、手入れさ
訳ではない。
がって衝撃を吸収し、再び襲撃に備える。視線は感じるが依然、何か動きがあるという
京の部屋は二階にあるので大した落下距離ではない、地面に生え揃った芝生の上を転
た。
恐らく屋敷の外周に居る。京は周囲を見渡すと、徐に窓枠を蹴飛ばして部屋を飛び出し
線は外から、京の部屋は本邸の中央││セシリーの部屋に近い場所にある、視線の主は
シーエスから受け取った手甲を素早く回収し、両手に装着して部屋の窓を開ける。視
反吐を吐いたお蔭で京は先程からチクチクと感じる視線を捕らえられた。
れば当然無防備だ、腹部に全力の踏み潰しを受けたのは十や二十ではない、文字通り血
ス
十二歳の頃に受けた訓練に、睡眠時に強襲を仕掛けられるというものがある。寝てい
に悪意のある視線だった。
る目覚まし機能。セシリーが戻って来た
それは闘技場で鍛えられた第六感から発せられる警鐘、寝ていても敵意には敏感にな
﹁⋮⋮誰かいる﹂
開戦の狼煙
160
れた木々、そこからは何も感じない。
と風切り音がした。それは余りにも小さく、然もすれ
しかし京は、視線が複数ある事に気付いた。
﹁一人⋮⋮いや二人﹂
そう口にした途端、ヒュッ
﹁⋮⋮無様だな﹂
﹁うえぇ、失敗しましたよコレ、明らかにヤバいですよぉ﹂
立ち上がった。
刃は辛うじて前髪数本を掠る程度に留まり、人影は芝生の上を一回転した後軽やかに
ま﹁ぐぇっ﹂と声を上げて放物線を描く。
判断、咄嗟に人影を突き飛ばした。驚異的な筋力を以て突き飛ばされた人影は、そのま
い、更にギリギリまで存在を感知出来なかった。京はその軌道から逃れる事を不可能と
まるで覆い被さる様にして落下してきた人影は手に持っていたダガーを一閃、素早
影は上から。
﹁ちょいと眠って貰いますねぇ∼﹂
やはり誰かいる、そう確信した京に影が堕ちた。
いた。瞬間、屋敷の壁に突き刺さる一本の投擲ナイフ。
ば気にも留めない程の大きさ。しかし京は音の出所を瞬時に把握し、その場から飛び退
!
161
﹁それ、アナタが言いますぅ
﹂
テ
ゴ
ロ
││恐
?
絶対﹂
らく、コイツだ、多分﹂
﹁大柄、男性、元地下闘技場、素手格闘、貴族に身請け、十六歳⋮⋮⋮十六歳
ス
﹁うわぁ、やる気満々ですよぉ、この人││って言うか、あれですよ、この人ですよねぇ
金属音を鳴らすと、拳を構えた。
出される行動は一つ、屋敷及びセシリーの防衛である。京は両手の手甲をカチ合わせて
見た目は怪しさ満点、更には確実に不法侵入、そして京の仕事は武官。そこから導き
二人は互いに距離を離しつつ、京を中心に円を描く様に動く。
もう一つは京よりは小さいが恐らく体型から男だと推測できる。
う見ても暗殺者か盗賊の類である。影は二つ、一つは比較的小柄で声が高い、女性だ。
言うならば忍者だろうか、或はローグと言っても良い、全身黒尽くめの顔隠し装備、ど
京の目の前で腰を折る人影は、月明かりの下でも視認し辛い恰好をしていた。前世で
?
てしても驚くべきスピードで、彼女の持つ刃が月明かりを反射し光った。
そう言って女性の影が先に飛び出し、男性の影が後から追従する。その速度は京を以
もう少し依頼料貰おうっと﹂
﹁じゃあ身を晒すだけの価値はあったんですかねぇ、しかし中々良い男ぉ⋮⋮帰ったら
開戦の狼煙
162
身構えていた京はその速度に内心舌を巻きながらも、何とか防御に回る。振り下ろさ
れた一撃を手甲で弾き、空中で姿勢を崩した状態からの蹴りを腹筋で受ける。更に後方
から男性が繰り出した突き一閃を首を傾けて躱し、喉元目掛けて放たれた抜き手を手甲
で払った。
じて斬れれば良い、筋肉に少しだけ刃先が届けば良い、そんな間合いだ。
り下ろしも、全て︻負傷するけど死にはしない︼程度の浅さに抑えてある。皮膚を辛う
先程の攻防、下手をすれば京の命が危うかったかと言えば、そうではない。突きも振
この二人、まともに戦う気が無い。
程振るわれたダガーの軌道から一つの確信を得る。
女性の影は京の戦闘センスに驚きを露わにし、男性は警戒度を大きく上げた。京は先
取って起き上がる。
い。仲良く吹き飛んだ二人であるが空中で体勢を立て直し、そのまま難なく受け身を
しかしあくまでタックルでしかないソレは、身軽な二人にとって致命傷にはなり得な
一撃をモロに受けた二人は大きく吹き飛んだ。
手を防御に回し尽くした京は体勢を崩した二人に体当たりを繰り出し、その巨躯からの
一人二撃、計四撃を凌いだ京、しかし攻撃に繋げられるかと言われれば否である。両
﹁っ、嘘ぉ﹂
163
殺す気が無い││いや、この場合はソレで十分と言うべきか。
﹂
あの刃には何か毒物が塗り込んである、恐らく麻痺して動けなくなるとか、幻覚作用
があるとか、そういう類の。
成程、どうやら相手には自分を殺す気が無いらしい。
﹁思った以上に強いんですけどぉ⋮⋮どうする、逃げるぅ
わざわざ
﹁││悪手﹂
態々入り込んだ悪党、逃がす訳ないだろう。
抜かれる、ブォンッ
と風切り音が鳴り、ぶわっと男の体を風圧が押し出す。男は辛
踏み込みは深く、鋭く、男性が先程まで立っていた場所に渾身の右ストレートが振り
やし、慌てて構える。
しその巨躯からは想像も出来ない破格の速度、二人も迫りくる巨大な質量を前に肝を冷
京は一息で地面を踏み砕くと、戦車の如く突貫した。速度は二人には及ばない、しか
?
直撃は絶対にしたくない威力、京の一撃は見せ札としても十二分に発揮した。
うじてダッキングを行い、顔面に飛来したソレを躱した。
!
﹁抜かせ﹂
﹁うわぁ││了解、生きて戻って下さいよぉ∼
﹂
﹁ッ、背を見せたら、マズい、俺が抑える、行け﹂
開戦の狼煙
164
?
165
どうやら男が自分を足止めし、その間に女が逃げる算段らしい。
逃がしてなるものかと京は皆に襲撃を知らせる為に声を上げようとし、その寸で男の
しな
刃が飛来した。どうも声を出す暇も与えて貰えないらしい。
しっか
男は先程と異なり両手にダガーを持ち、それを鞭の様に撓らせて振るう。軌道は半円
を描くが距離が長い、ナイフを深く、 確りと持つのでは無く、まるで刃を引っ掛ける様
に飛ばしてくる。
更には一撃一撃を全力で振るわなくて良い分、戻しが早く手数が多い。京とて一撃の
スピードは負けていないが、恐らく一撃を打ち込む間に相手の攻撃もまた、京を捉える
だろう。
間合いが読めない、踏み込みたいが刃に仕掛けがあると理解している以上、深く踏み
込む事に躊躇いが生じる。一撃でも受けてはいけないと言う制限が京の足を止めてい
た。
京は男の刃を躱し、手甲で弾き、逸らし││何か奇妙な感情を覚えた。
・
・
それは何と表現すれば良いのか分からない、ふつふつと湧き上がる怒りと言うか、不
満と言うか。
何て言うか、違うのだ、コレは。
シーエスやリース、他の今まで戦って来た闘士と全く異なるモノを男からは感じる。
開戦の狼煙
166
しか
不意に叫びたくなる衝動と言うか、顔を顰めたくなるモノと言うか。
これは││そう、不快感だ。
何かが気にいらない、彼から発せられる気配が京の胸を逆撫でする。それが何か、理
解出来ない。しかし京は相手の表情を見て唐突に理解した。
││コイツ、自分が︻死なない︼と思ってやがる。
死ぬ覚悟がない││否、彼からすれば死ぬ必要が無いと言ったところか。命を懸ける
に値しない闘争、戦い、試合、それは男から熱と言う熱を奪い、その戦い方もまた投げ
やりで、無造作で、どこか腑抜けて見える。
いや、彼からすれば本気なのだろう、しかし攻撃の合間合間に見える、
︻どうせ自分は
死なない︼、
︻相手も死なない︼、
︻何事も無く終わる︼という感情。それが京の感情を苛
立たせ、モヤモヤとした何かを蓄積させた。
京にとって闘争とは、少なくともこの十年で学んだ戦いとは、相手と己の命を代価に
同じフィールドに立ち、生きるか死ぬかと言う極限に挑むものだ。京だって人間だ、そ
の心臓に剣を突き立てられれば簡単に死ぬだろうし、ましてやリースの様な亜人と戦え
ば数秒で火達磨にされるか、氷漬けにされてもおかしくない。
167
頑丈な肉体を審判者より授かってはいるものの、その基準はあくまで人間にしては、
だ。故に京はいつも死ぬつもりで試合に臨んでいたし、実際この場所に立つまで何度も
死ぬ思いをした。
打ち据えられ、斬られ、殴られ、蹴られ、抉られ、その度に阿保みたいな回復力と異
世界のトンデモ魔法に死の淵から無理矢理引引きずり出され、こうして此処に居る。
いつだって格下相手だった訳ではない、寧ろ地下闘技場では格上ばかりと戦ってい
た、王者に辿り着くまでの何百という戦い、その全ては一方的に蹂躙されて当然のもの
だった。
だと言うのに、コイツは。
死ぬ覚悟も無く、自分と対峙しているのかと。
不意に、京の動きが鈍った。それは刹那の時間だったが、相手の男にとっては好機に
映る。伸ばした腕に加え一歩、踏み込む事によって刃が京を捉える。
切っ先が京の頬を掠め、少量の血が弾けた。
斬った。
男は勝負の終わりを悟る、この刃に染み込ませた毒は即効性。一分かそこらでコイツ
は行動不能になると、ならば後は毒が回るまで凌ぐだけ││そう思っていた。
その男の顔面に、拳が突き刺さるまでは。
イ ン ファ イ ト
京は相手の踏み込んだ一歩に加え、斬られる前提で更に大きく踏み込んでいた。
それは京の拳の間合い、超接近戦。踏み込んだ勢いに加え腰の回転を余すことなく利
用した一撃は、男の顔面を見事に撃ち抜く。
男は大きく脳を揺さぶられ、更に自身の頬骨から鈍い音を聞いた。それは骨を砕かれ
た破砕音、大きく吹き飛びながら平衡感覚を失った状態で受け身を取る。痛みに地面を
転がり回りたい、しかしそれをぐっと我慢しながら男は脂汗を流した。
死
ね
そしてゆっくりと目の前の巨躯を見上げる。
﹁本気でやれよ﹂
やばい。
男の第六感が全力で警鐘を鳴らした。
﹂
大きく距離を取ろうと背後に跳んだ男の肩を、京は恐ろしい握力で掴む。
!?
の空気が余さず抜け切る。
生であろうと、凄まじい力で叩きつけられては意味がない。背を思い切り打ち付け、肺
京は背後に跳ぼうとした男の体を逆に引きつけ、地面に叩きつけた。如何に地面が芝
﹁う、おォ
開戦の狼煙
168
という重い打撃音が腹を貫き、パキンッと嫌な音が鳴る。凄まじい勢いで
そこから転がって京より離れようとするも、先に腹部を蹴り上げられた。
ズンッ
は何か言葉を絞り出そうとして、しかし口が全く動かなかった。
顔面全てが熱を持っている、熱い、体全体がそうだ、どこが痛いのか分からない、男
落ち、何度も転がる。漸く停止し、暴風の如き猛攻を凌いだ男の体はボロボロだった。
血と、吐瀉物と、それらを撒き散らしながら男は大きく吹き飛んだ。そこから地面に
る。胃から何かが逆流するも、それを吐き出す前に顔面に蹴りが直撃。
蹴り上げられた男は半ば強制的に立ち上がる事になり、そのまま腹部を抑えて体を曲げ
!
﹁⋮⋮⋮﹂
けば勝手に死ぬだろう。
覆っていたマスクは半分脱げており、辛うじて生きてはいるらしい。しかし、放ってお
京が足で男を仰向けに転がすと、頬の高さと同じになった鼻と白目が見えた。頭部を
そのまま足を手放し、無造作に放る。
と衝撃に頭を揺らしながらピクリとも動かない。
背負いの様な形で男を地面に叩きつけた。顔面から地面に叩きつけられた男は、ガクン
漏れるのは吐息と、意味を成さない声。その男の足を掴んだ京は、まるで柔道の一本
﹁ぁ⋮⋮が⋮⋮ふ﹂
169
京は男を見下ろしながら、何ともやるせない気持ちになった。この感情は何だろう
か、独り相撲を終えた後の虚無感というか、自分を慰めた後の切なさと言うか。どうに
も消耗し切れない、後味の悪さを覚えた。
個人的な感情はどうあれ、兎も角取り押さえる事は出来た。後はアルデマ家の人間に
突き出し、何をしでかそうとしたのか、或はしでかしたのか、吐き出させる必要がある。
京は屋敷の人間を誰か呼ぼうとして、首筋にチクりと刺激が走った。
それは寒気と言っても良い、京の直感。
その感覚に導かれるまま振り向き様に拳を奮うと、何者かが京の後ろに立っていた。
ソレは京の拳に反応し腕を振るう、だが力勝負で人間相手に京が負けるなどあり得な
い。硬質な音と共に影の腕は弾かれ、そのまま影は数歩踏鞴を踏む。
新手か。
今の京に余裕は存在しない、今地面に沈んでいる男を倒す為に毒を受けたのだ、いつ
自分の意識が堕ちるかも分からない。故に開幕速攻、手加減不要の一撃をお見舞いす
る。グンッと体を沈ませ、そのまま腹部目掛けて拳を放つ。
確認したところ目の前の人物は刃物を持っていなかった。或は京に見えないだけか
と衝
もしれないが、コイツ等に自分を殺す覚悟は無い。最悪で意識喪失、ならば何も恐れる
事は無い、そう意気込んだ。京の拳が真っ直ぐ影の腹部に撃ち込まれ、ズンッ
!
開戦の狼煙
170
撃が走る。
しかし、京はその手応えに眉を顰めた。
硬い││鎧か
カチリ、と何かが京の頭の中で鳴り、対人間から対亜人用の思考に切り替わる。
言っていられない。
││亜人なのか、そう瞬時に京は判断した。ならば全力全開、一撃だけなど生温い事は
否、そういう類の硬さではない。内側まで硬質的な何かで覆われている、まさか魔法
手甲越しに感じる強度、その密度の高さ。
?
シュ
硬い皮膚で覆われている連中もいるが、顔面はどこの亜人も一緒だ。
髄があり、弱点もまた同じ。無論種族によっては弱点が弱点なり得ない、それこそ鱗や
確に行うだけ。亜人と言えど体の造りは大凡人間と似た様なモノである。脳があり、脊
技も何もない、全力でぶん殴り、戻し、もう一度ぶん殴る。それを凄まじく速く、正
顔面目掛けての超高速連打。
ラッ
から一気に全身の筋肉を稼働させた。
ならば同じ威力で、更に数を打ち込むのみ。小さく息を吸って肺に空気を溜める、そこ
魔法で強化されているのならば、二の打不要の拳でさえ有効な武器とはなり得ない。
﹁すぅッ﹂
171
││
﹂
脳を揺すれば意識が飛ぶ、それは全種族共通。
﹁││
!
アバレダイコ
の両手を大きく突き上げた。
!
衝撃を逃さぬように相手の体を自分の体で抑えつけ、全弾無条件で直撃させるという
じいもので、人影を伝った衝撃が地面を震わせ、顔面部位の周囲だけ陥没する程。
回転数を上げていく。一発一発を全力で、全身全霊で叩きつける、その衝撃たるや凄ま
と空気が破裂し、相手の体が大きく揺れる。一発では終わらない、二発、三発と徐々に
マウントを取った京は振り上げた拳を振り下ろし、人影に叩きつける。ズドンッ
兎も角、今こそ好機と京は更に距離を詰める。起き上がる様子もない人影に跨り、そ
魔法が切れたのか、或は。
そのまま人影を吹き飛ばした。先程まで京の拳を平然と受けていた人影が吹き飛んだ、
り硬い。しかし、確かに効いている様子はある、三十発目で一際強力な拳を放った京は、
京の怪力を十全に生かした連撃は全弾人影の顔面に炸裂した、拳に伝わる感触はやは
空気の破裂する音、硬質な何かを殴る衝撃。
!
︻暴れ太鼓︼
開戦の狼煙
172
京の対亜人用ポジション攻撃。
京が地下闘技場で学んだ事は一つ、亜人は強い、阿保の様に強い。地下闘技場に収容
されているリースを除いた亜人は比較的弱く、﹃百戦錬磨の人間がどうにか勝てるレベ
ル﹄でしかないが、それでも京にとっては油断の出来る相手では無かった。
故に、殺せる時に殺さなければ、此方が殺される。
それ程までに亜人という存在は脅威だ。
恐らく一般的な成人した亜人であれば、京の全力でも敵わないだろう。
一発、一発、一発││一秒に振るわれる拳は凡そ三発、そこから十秒ほど京は手を止
める事無く人影の頭部を打ち据え続けた。手甲が京の怪力に悲鳴を上げ、塗装が剥がれ
て拉げる程度には凄まじい威力。そんな攻撃の直撃を受け続けていた人影は、遂に耐久
という音。
力の限界に達す。
バキンッ
﹁ッ
﹂
それが周囲に鳴り響き、人影の頭部が││砕けた。
!
た、先程の男よりも念入りに。
が潰れた音ではない、もっと硬質的なモノが割れた様な音。相手は顔を布で覆ってい
京が振り下ろしていた腕を止め、地面にめり込んだ相手の頭部を凝視する。人間の頭
!?
173
しかし、そこから血が滲んでいる様子もない。京は相手の顔面を覆っていた黒い布を
無造作に掴むと、思い切り引っ張った。線維が悲鳴を上げブチリと布が裂け、その全容
が明らかになる。
﹁人形⋮⋮﹂
それは人間では無かった、のっぺらぼうの顔に鼻の突起だけを付けた様な形。その顔
の上から半分が砕け、破片が周囲に飛び散っている。材質は木、しかし恐らく魔法で強
化していたのだろう、表面のあちこちに魔法陣が描かれていた。
まさかと思い、背後を振り返る。
そこには先程まで転がっていた男の姿は無く、男を叩きつけた衝撃で潰れた芝生だけ
があった。
やられた、そう思った。
この人形は囮だったのだ、人形は所詮人形であり情報を喋る事は無い。京は跨ってい
た人形の胴体を強く殴り付けると、自身の迂闊さを嘆いた。
☆
﹁いやぁ、死ぬ程強いですねぇ、あの人、地下闘技場で王者を張っていた事は知っていま
開戦の狼煙
174
﹂
したが、いやはや魔法人形を素手でぶち壊すとは││あの人、実は亜人でしたってオチ
じゃないですよねぇ⋮⋮
?
﹂
?
深夜だと言うのにご苦労な事だ、二人は暗闇に紛れる為の服を脱ぎ捨てると、予め用意
境目。周囲には高い壁が聳え立ち、幾つかある出入り口には警備の人間が立っている。
女と男は屋敷からある程度離れた場所で身を潜めた、そこは貴族地と通常の居住地の
﹁ですよねぇ∼﹂
﹁⋮⋮こちらの失態だ、依頼料以外は請求不可﹂
わぁ、凄い大出費ぃ∼、これ先方に請求しちゃぁ駄目ですかねぇ
﹁今回の件で治療費、回復薬三つ、鎮痛剤と魔法人形一体、呼び出しの指輪一個⋮⋮う
走しながら話す。
き、素早く呑み込んだ。貴族用に整備された街道、その灯りを避けて疾走する二人は並
遂に男は痛みに耐えかね、口元のマスクを外して何か錠剤を口に放る。それを噛み砕
言い難い、そこまでして何とか騙し騙し体を動かしている状態だった。
りながら、何度も痛みに身を震わせる。痛みを省みない回復、それでも万全の状態とは
闇夜に紛れて疾走する人影が二つ、先程京と交戦した二人組。男は顔面に回復薬を被
﹁私もですよぉ∼﹂
﹁ぐっ││そうだったとしても、驚かん﹂
175
していたダストボックスに押し込む。後で他の人員が回収する手筈となっている。
ついでに使用した回復薬の小瓶と武器も放り込み、そのまま一般市民の様な恰好で関
所に向かった。灯りに照らされた二人はその存在をクッキリと視認され、警備の人間が
﹁こんな時間に誰だ﹂と顔を顰める。
しかし二人の顔が明らかになった途端、警備の人間は素早く顔を逸らした││まるで
そこには誰も居なかったかのように。
﹁いやぁ、買っといて正解でしたねぇ∼、警備員サン﹂
そうしてアルデマ家襲撃犯は悠々と関所を通過し、貴族地より姿を消した。
﹁⋮⋮口を閉じろ﹂
開戦の狼煙
176
最後の平穏
力を数時間掛けて全身に浸透させて出来上がる人間モドキ。簡単な指示には従えるし、
である。魔法人形とは魔力の浸透しやすいカルカトン樹を削り、人型にした後亜人の魔
セシリーが調べた限り、この魔法人形は亜人の制作したものに人間が手を加えたもの
てて逃げるつもりだった、というところね﹂
﹁最初からこうなる事が分かっていた⋮⋮いいえ、万が一の保険、最初からコレを使い捨
には既に毒が回って意識朦朧とした京と、砕かれた魔法人形だけが残っていた。
であるが、その後の足取りは掴めていない。巡回の武官が音を聞きつけてやって来た時
昨日屋敷内に侵入した盗人、その連中が置いて行った魔法人形。京が撃退した二人組
理として次期当主のセシリーが現時点でのアルデマ家トップを任されている。
現当主であるヴィルヴァ氏は二日前より国王の命により外交の任に赴いている為、代
翌日。早朝からセシリーは父の執務室にて腕を組み、眉間に皴を寄せていた。
セシリーが足元に転がった魔法人形を見下ろして呟く。不審者の襲撃から一夜明け、
﹁随分とまぁ、贅沢な装備を持った盗人さんね﹂
177
ちょっとした戦闘にも耐え得るが、間違っても京と殴り合えるだけの性能は持っていな
い。
京の拳を物ともせず、下手人が逃亡するだけの時間を稼げた理由は表面の魔法陣。こ
れは人間が書き込んだモノで、内容は︻魔法障壁︼││簡単に言えば表面に魔力を薄く
張り伸ばし、攻撃を防ぐバリアの様なモノだ。
こう言った小細工は人間の魔法使い特有のものである、彼等亜人はその膨大な魔力に
モノを言わせ、
﹁技巧がナンボのもんじゃい﹂とばかりに巨大で派手な魔法を好む。それ
こそ人を探知する魔法や、形状を記憶する魔法など、何それ意味あるのと首を傾げるば
かりだ。
言うなれば人が最低限の労力で戦うために拳銃を作り上げたら、向こうは核爆弾で
殴って来たというところか、亜人と人間ではそれだけ使用出来る魔力に違いがある。
恐らく魔法人形に攻撃を防ぐ手段を与えるならば、亜人の場合その物質そのものを魔
力で構成するだろう。つまり表面にチョロっとバリアを張るのではなく、体全体をバリ
アにしちまえと、そう言うやり方をするのが亜人だ。
屋敷内に荒らされた様な痕跡は無かった、父の執務室にも立ち入った様子は無く、損
な組織⋮⋮物品が狙いでは無かった様だし、一体何が目的だったのかしら﹂
﹁魔法人形一体だけでも金貨百、いえ二百は必要、更に魔法陣を扱える人材何て随分大き
最後の平穏
178
失したモノも無い。態々屋敷内に潜入せず、外側からグルッと中を覗いて回った痕跡は
残っていたが。
まるで何かを探している様だった、或は情報の類か。屋敷内の見取り図を描いてい
た、もしくは物品││いや、外から見える場所に置いておく芸術品など大した値打ちは
無い。そうなると人、誰かを探していたと言う可能性もある。
生憎京は解毒中であり意識が無い、彼が復帰次第事情を聴くつもりではあるが、それ
までは手掛かりも無く待機する他無かった。
を払うだけの財はあると言っていた。そして彼女は﹁商会﹂の人間だと口にしていたが、
リースの焦燥ぶりは良く知っている、魔法人形は確かに高価ではあるが京の身請け金
の勘である、聞く人が聞けば﹁まさか﹂と笑うだろう。
用意したモノなのではないかと、唐突にそんな事を考えた。無論、証拠も何もないただ
ふと、セシリーの脳裏に目の前の魔法人形とリースが重なる。もしやコレは、彼女が
退室してしまっていた。
うのに。当時のセシリーはリースの事ばかり考え、半ば飛び出す様な形で京の自室から
或はあの夜、もう少しだけ京の部屋に留まって居れば一緒に戦えたかもしれないと言
自分の守護者を傷つけられたのだ、セシリー個人としては万死に値する行為である。
﹁││まぁ、何にしても良い気分ではないわね﹂
179
京が地下闘技場出身である事を考えれば当然嘘になる。
そして││彼はリースを同室の戦友だと言っていた。
つまり、彼女も闘士なのだ。
﹁京と肩を並べられる、戦友﹂
当然、稼ぎも相当なものだろう。京の地下闘技場での稼ぎは知っている、あそこの
オーナーから大雑把にだが聞いていた。だとすれば金貨の百枚や二百枚、当然の様に支
払えるだろう。
セシリーはリースを見た目通りの少女と判断していた訳だが、それが大きな誤りであ
る事に気付いた。少なくとも京の居た地下闘技場でトップに近い位置に立ち、アルデマ
家程では無いモノの平民が持つには余りにも巨額の富を持っている。
ていたら、その日の内にアルデマ家にリースは乗り込んで来ていただろう。
セシリーは内心でオーナーに感謝の念を抱いた。仮に彼がリースに身請け先を話し
た、どうやらオーナーは身請け先を明かさなかったらしい。
合はオーナーに身請け先を聞くだろう。しかしリースは京の居場所を知らない様だっ
自分が知らない間に、パートナーが身請けされたとして。当然最初は売買人、この場
セシリーはリースの思考をトレースする。
﹁仮に││仮に、彼女の立場に立ったとして﹂
最後の平穏
180
そして、身請け先が分からないのならば調べる必要がある。
アルデマ家には独自の情報網があるが、地下闘技場で闘士を営む彼女に自前の情報網
など無いだろう。ならばどうするか││自分の足で情報を集めるか、誰かを頼るか。
地下闘技場のトップを身請けするには莫大な金額が必要だ、そこから貴族が身請けし
たのだと予測したのかもしれない。思い返せばリースはセシリーが話しかけた時、非常
に面倒くさそうな顔をしていた。しかしその後はセシリーに貴族界隈の噂を問うてい
る、あの時から彼女は探りを入れていたのだ。
彼女は自分の足で情報を集めていたのだろう、しかしソレだけでは限界がある。貴族
の世界には情報屋が存在するが、一般街にもソレが存在している事をセシリーは知って
いた。
字が悪くなるだけだろう。他国からの刺客と言うのであれば分からないでもないが、そ
居ないのだ。十一家の一つが消えた所で国全体にはそれ程影響が無いし、多少貿易の数
アルデマ家が仮に全滅したとしても、そもそもの話この家が無くなって得する奴など
あれば何も盗られていないという点が納得出来ない。
も現在当主であるヴィルヴァは不在である為、暗殺の線は消えるし、単純な窃盗目的で
アルデマ家に隠密を放つ意味があるかと聞かれれば、セシリーは否と答える。そもそ
﹁情報屋を雇った、それも多額の金で﹂
181
地図の作成
だとすれば計画は失敗だと言えるだろう、強盗する前
れならばヴィルヴァの不在を狙った意味が分からない。
強盗の下見
?
とも言える偏愛を覚えていた。
彼女の執念は凄まじい、セシリーはリースの青白い顔の向こうにあった、狂っている
ない、しかし同時に否定も出来なかった。
も言えない、その可能性もある筈だ。この襲撃がリースの手によるものだと断定は出来
考え過ぎだろうか、セシリーは小さく溜息を吐き出す。しかし完全に的外れであると
﹁⋮⋮⋮﹂
そして最近になって内部へと取り込んだ人物は一人だけ││他ならぬ京である。
く、外部にある。
くともセシリーが生まれてからは一度も無かった。つまり原因は内部にあるのではな
ならば目的が別にある筈なのだ、これまでアルデマ家に隠密が侵入した事など、少な
に危険分子の存在がバレてしまったのだ、警戒は引き上げられる。
?
既に京はセシリーのものであり、守護者となったのだ。ソレを今更取り消す事は出来な
緒に居ただとか、同じ環境で生き抜いてきたのだとか、セシリーにとっては関係ない。
その眼に業火の様な怒りを宿しながら、セシリーは自分の腕をぎゅっと握る。何年一
﹁⋮⋮渡して堪るものですか﹂
最後の平穏
182
い、その気も無い。
仮にこの襲撃がリースの手によるものだろうと、無かろうと、セシリーは覚悟を決め
ていた。どちらにせよ、近い内に対峙する事になるだろう。
そんな事を考えながら彼女は、己の愛しき守護者が目を覚ますのをじっと待ってい
た。
☆
紙に書かれた情報は端的で短い、小さく折り畳まれたソレに書かれた文章は一文の
なければならない。
報が手に入るならば安い出費であると割り切っているが、金は有限である、大事に使わ
労力を要した様で、追加料金で金貨五十枚を払うハメになった。リースにとって京の情
紙は数日前に彼女が雇った情報屋が持って来たモノ。どうやら情報入手にかなりの
とクローゼット、姿見とテーブルが置いてあるだけだ。
室内は殺風景で、最初に案内された時から何一つ物品は増えていない。簡素なベッド
リースはとある宿屋の一室で届けられた一枚の紙を眺めていた。
﹁アルデマ家││﹂
183
み。
﹃該当人物、アルデマ家にて発見﹄
アルデマ家││当初、リースが考えていた通り国内でも有数の権力を持つ大貴族の一
つである。王族に近しい十一貴族、その内の一家、それがアルデマ家だ。元々は商の才
能に恵まれた一族だと聞いていたが、それならば京の身請け金をポンと出せるのも納得
できる。
リースは無意識の内に舌打ちを零した。
大貴族だとは思っていたが、まさか此処まで大きい家だとは思っていなかった。王族
に近いという事は、それだけ国の中枢に食い込む家柄と言う事。権力も財力も武力も、
リース一人だけでは太刀打ちできない。恐らくオーナーもそれが分かっていて身請け
を承諾したのだろう、何と言う事をしてくれたのだとリースは次彼に会ったら顔面を全
力で殴ると心に決めた。
となれば、取れる手段は限られてくる。
果は変わらないだろうが、単独で乗り込むにはアルデマ家は余りにも強大過ぎた。
ば可能かもしれないが、それをすれば最後、国に弓引いたと同じ事になる。最終的な結
兎角、これで正面から問答無用で殴り込みを行うという案は消えた。或はリースなら
﹁面倒⋮⋮﹂
最後の平穏
184
185
リースは紙に魔力を通し、音もなくソレを燃やした。パラパラと灰になって散る破片
を眺めながら、これからの行動を考える。最終目標は京を奪還する事だ、彼に接触し、そ
のまま屋敷を抜け出せればそれで良い。
或は何らかの方法で彼を外に呼び出されば良いのだが、現状京がどの様な扱いを受け
ているか分からない以上、考えなしに動けば此方が足元を掬われる。リースは幾つかの
策を考えた。
││情報屋は京と交戦した事を隠蔽していた、そもそも人探しであると言うのに当人
と戦ったと言っては依頼人の怒りを買いかねない、彼の状態も情報として売買できる価
値があったが、情報屋は最低限の情報を売るに留まっていた││
リースの考えた策。
一つは隠密を雇って秘密裏に京へと接触、リースが呼んでいると京に知らせる方法。
しかしコレは隠密が捕まれば情報が露呈する諸刃の剣、隠密自体に戦闘能力は期待出来
ない、更に言うと京が監禁されていた場合は意味が無い、故に少しばかりリスクが大き
い。
もう一つは窃盗団を雇って突撃粉砕、金は掛かるだろうが元より覚悟の上だ。集団で
傭兵やら盗賊を揃えてアルデマ家に特攻させる。金品を好きに盗んで良い、更に報酬も
出るとなれば受ける集団は必ず居る。
元々国外で活動する連中は何処かの国に指名手配されているのが殆どだ、であるなら
ば今更ソレに一つ名が増えた所で気にする者もいまい。そして上手く京と接触できれ
ば彼にリースが会いたがっていると伝えて貰えば良い、無論名前は出さず、それとなく
分かる方法で。そうすれば京はきっと来てくれる筈。
いっその事、京宛てに手紙でも書いてやろうかと思ったが、あのオーナーが私の事を
ドラゴニア
話さずに身請けさせるなどあり得ない。必ず自分を警戒している筈だと確信していた。
キョ ウ
キョ ウ
龍 種の執着は並ではない、それこそ唯一無二の人ならば尚更。
リースは夢想する、その瞬間を、彼との再会を。
﹁私の英雄、私だけの英雄﹂
己が龍種として生を受けて三百と八十九年、人間の年齢にして二十一歳の少女。龍種
としては若輩で、人間としては余りにも長寿。
龍種の殆どが己の本懐を遂げられずに死んで行く中、京という男に出会えたのは僥倖
救
い
と言う他無い。他では駄目なのだ、彼でなければ駄目なのだ。三百と八十九年生きて来
ドラゴン
て、絶望の淵に沈んで漸く得られた光││京という名の英雄。
リースと言う名の龍、その物語の終焉を彩る英雄は彼でなければならない。
リースは唯進む、その先に何があるかは││彼女のみが知れば良い。
﹁その為なら、私は﹂
最後の平穏
186
☆
京の仕事は武官、屋敷の警備とセシリーの身の安全確保である。今回の襲撃は辛うじ
﹁これでクビとかにならないと良いのだけれも⋮⋮﹂
たのである。
雇い主には逆らえない、結果京は渋々自室で療養という名の暇を持て余す羽目になっ
めと雇い主から命令されてしまっていた。
のだろう││今すぐにでも武官の仕事に復帰できる程度だったのだが、大事をとって休
京としては体調も万全で││恐らく図体の大きさに対して受けた毒量が少なかった
まったと自分でも思う。
京が目を覚ましたのは襲撃から凡そ半日が経過した頃だった、随分意識を失ってし
た後自室にて療養の命令が下された。無論、命令を下したのはセシリーである。
ない。例の襲撃から目を覚ました京であるが、その後にちょっとした事情聴取を果たし
ベッドの上で上体を起こし俯いている京、その巨躯はいつもの様な威圧感を感じさせ
京は自室で独り項垂れていた。
﹁不甲斐ない﹂
187
て察知出来たが、もし仮に気付けなかったらと思うとゾッとする。幸い、今回は上手く
撃退出来たし、京が戦った以外の賊は発見出来なかったと言う。屋敷内の品も特に損失
したモノは無く、結果から言えば京は十全に仕事を果たした。
欲を言えば犯人を捕えられれば満点だったのだが、その手掛かりとなる魔法人形は回
収されている、アルデマ家の力を使えば今回襲撃を行った人物を見つけ出せるだろう。
だがやはり、京としては不満が勝った。たかが賊二人組に後れを取り、魔法人形の正
体を看破できず下手人を逃がしたのだ、京としては何らかの罰があってもおかしくな
い、そう思っていた。
しかし、予想に反してアルデマ家の人々の対応は優し気だ。寧ろ流石だと言わんばか
りの対応である、それが余計不気味に見えて、京は戦々恐々としていた。兎にも角にも、
﹂
セシリーからも御咎め無しだったので今は安堵しているが。
﹁京、今良いかしら
勿論です、どうぞ﹂
?
﹁調子はどうかしら
痛みとか、気分とか﹂
を開けた向こう側から笑みを浮かべたセシリーさんが現れた。
処に来て聞き慣れた声、セシリーさんの声である。京が一も二もなく声を上げると、扉
コンコン、というノックの音。続いて扉の向こう側からくぐもった声が聞こえた、此
﹁セシリーさん
?
?
最後の平穏
188
﹁問題ありません、今からでも仕事に復帰できます﹂
うに目を伏せる。
怪我をして、更に毒を受けたばかりなのよ
⋮⋮余り、我儘を言わないで﹂と悲しそ
しかし、直接﹁仕事に復帰させてくれ﹂と言えば、セシリーは暗い面持ちで、
﹁貴方は
まるで重病人の扱いであった。
更に京はトイレと風呂以外での外出は禁じられており、食事は給仕が持ってくる始末、
うトンデモ治療法が確立されていると言うのに、セシリーの命令は過保護とも言える。
これは他ならぬセシリーの命令だった、襲撃のあった日と翌日は絶対安静。魔法とい
去されたと言われているのに、だ。
しては直ぐにでも動ける程回復している。亜人の医師からも毒物は完全に体内から除
例えば今、京は武官としての仕事を免除され療養させて貰っている訳だが、京本人と
た。
るが、しかし京としては﹁ちょっとした﹂で済ませるには少しばかり気になる変化であっ
││最近、京はセシリーが変わった事に気付いた。それはちょっとした変化とも言え
はまださせないと言っているのだ。
暗に仕事させてくれと頼んでいるのだが、セシリーは笑って受け流す。言外に、仕事
﹁そう、なら良かった﹂
189
?
これだ。
悪意のある対応ならば京も相応の態度で臨めるが、セシリーのソレは純粋に京の身を
案じての事だった。故に強い態度で出る事も出来ず、渋々彼女の言葉に従って床に伏せ
るしか出来ない。
まるで軟禁されている気分だった、地下闘技場での生活を思い出す。京を外に出さな
いようにと、鎖で繋いでいるかの様な││
京が苦笑いを浮かべると、彼女が手にバスケットを持っている事に気付いた。京の視
﹂
線を受けた彼女は、バスケットを目線の高さまで持ち上げ、
﹁お見舞いよ﹂と口にする。
﹁そんな、自分に見舞いの品など⋮⋮﹂
﹂
﹁良いのよ、これは私が望んだ事なの、さ、一緒に観ましょう
﹁⋮⋮観る
?
た。パッと見は水晶玉に近い、しかし硝子の様に透明という訳でも無かった。
ケットを置く。上に被さっていた白い布を取り払うと、中から球状の何かが顔を覗かせ
トコトコと靴音を鳴らしながら入室した彼女は、京の部屋にあるテーブルへとバス
?
自慢げに胸を張ると、﹁暇だと思って持って来てあげたのよ﹂と笑った。
京は首を傾げる、今までの生活では目にした事が無いモノだった。セシリーは何処か
﹁一体これは⋮⋮﹂
最後の平穏
190
暇だと思うなら仕事に復帰させてくれと、心の底から思ったが口には出さない。
﹁京から話を聞いた後、アルデマ家の情報官を動かしているわ、貴族同士の情報網もある
﹁えっと、襲撃者の追跡は││﹂
ない、恐らくする、絶対する。
があるという訳では無いのだけれども。このお嬢様なら何かボロを出して露呈しかね
う未来を予見したともいう。魔力はセシリーが補充できると言うので、別段バレる要素
京はこの時点で何か嫌な予感を覚えていた、後から無断拝借が露呈して怒られるとい
それはかなりマズいのではないでしょうか。
の、何個も並べられていたから適当なモノを一つ取って来たわ﹂
﹁かなり値の張る道具だから、見た事が無いのも仕方ないわ、父の私室から拝借して来た
映像を映す道具がこの世界にも存在するとは、少々驚きである。
に置かれた映像再生器を見た。
は一本だけ、使用するには魔力と言う名の電力が必要と。京はマジマジとテーブルの上
要するにテレビとプレイヤーが一体化した様な道具なのだろう、中に入っている映像
﹁⋮⋮成程﹂
のに魔力が必要だから使うたびに補充が必要だけれど、私が居るから問題ないわ﹂
﹁これは映像再生器と言うのよ、予め保存されている映像を魔力で再生するの、再生する
191
し、今は待機中、要するに手持ち無沙汰なのよ﹂
成程、粗方仕事は終えているらしい。つまり暇になったから此処に来たという事なの
だろう、京は諦めてセシリーに付き合う覚悟を決めた。自分に決定権があったのかは兎
も角。
像再生器だもの、オペラとか劇団の映像だと思うわ﹂
﹁さぁ、京、一緒に鑑賞しましょう、何が再生されるかは分からないけれど、娯楽用の映
セシリーが映像再生器をテーブルの端に置き、軽く手で触れる。するとポゥ、と音が
鳴って表面に青白い光が奔った。それを確認して、セシリーは京のベッドに腰かける。
本当なら椅子を勧めようと思っていたのだが、ここぞとばかりに京の腕を掴んだので諦
めた。
映像再生器の真上に光が集まり、それが徐々に映像を形作る。どうやら立体映像の様
ロマンス
なモノらしい、下手をすると前世より技術が進んでいるのではないだろうか。尤も科学
と魔法という根本から異なる分野ではあるが。
そうして始まった映像、最初は何やら男女が抱き合うシーン。もしや恋愛の劇か何か
だろうかと思った次の瞬間、男が服を脱ぎだした。
﹁アッ﹂
﹁えっ﹂
最後の平穏
192
セシリーと京の声が重なる。そこから更に女性までも服を脱ぎ始め、何やらベッドの
上で怪しげな雰囲気を醸し出す。無論、映像に修正等が加えられている筈もなく、その
行為は京の下半身を刺激した。
これは恋愛物ではない、その先と言うか下というか。
女性と男性が真っ裸になり、互いに接吻を交わしながらベッドにダイブ。
大変に気まずい、とても気まずい。
京は恐る恐るセシリーを見た。
﹁⋮⋮⋮﹂
ガン見である。
顔を赤らめ涙目になりながら、しかし確りとした視線で映像を見据えていた。慌てて
映像を消そうとしたり、顔を背ける様な素振りは無い。まさかの続行である、本気なの
なにゆえ
かセシリーさん、これを鑑賞するというのかセシリーさん、一人ならばまだしも二人で
見ると言うのかセシリーさん。
これは駄目な奴、お父さん秘蔵の奴、ヴィルヴァ様何故この様な映像を並べて置いた
のですか、隠しておいてくださいよ、ベッドの下とかに。
∼東の幼女も西の熟女も、これで貴方
京は何も言えなかった、何を言えば良いのか分からなかったとも言う。こんな時、ど
んな声を掛ければ良いのか﹃女性はこう口説く
!
193
﹄
にメロメロ∼﹄には書いていなかった。
﹃アッ、イイッ
﹂
﹁⋮こっ⋮⋮こう
心焦りながらも流石にコレはとセシリーに視線を向ける。
生々しく、音声まで付くと赤面不可避だ。うわぁ、これヤバイって、ヤバイって、と内
更に行為はエスカレートし、今度は胸で男性のアレをアレし始めた。それは余りにも
女を駆り立てるのかは分からないし、恐らく京には一生理解出来ない。
顔を真っ赤にしながら涙目で、しかし懸命に行為を鑑賞する貴族様。何がそこまで彼
セシリーに叫んだ、しかし一向に止まる様子は無い。
これは学習教材ではありません、真似しないで下さい。京はそれらの気持ちを込めて
﹂
﹁セシリーさんッ
?
││
しかし予想に反してセシリーさんは映像をガン見、そして何やら震える手を突き出し
流石のセシリーさんも、ここまで直接的ならば目を逸らすだろう。
自覚した。
は極力映像に目を向けない様にそっぽを向きながら、しかし下腹部に熱が蓄積するのを
映像の中での行為は更にエスカレートする、男のアレを女性が手でアレしていた。京
!
!
最後の平穏
194
彼女は自分の胸を見下ろし、何かを挟む様に寄せて上げていた。
﹂
﹂
﹁こ⋮⋮こうね⋮⋮
﹁セシリーさんッ
?
﹁セシリーさァんッ
☆
﹂
!?
を私の
に
でぇ、一杯
××××
て、お願い、
に
×
ぇ
×××
﹄
!
は常に無情である。
﹃もうダメェ、アナタの
×××
××××
目を瞑りながら頭を抱えて唸る、どうしてこうなった、どうしてこうなった││現実
を与えたのか。
のも事実。何と言う生殺し、何と言う試練、おぉ審判者よ、何故自分にこのような試練
神
にも程がある、クビになるどころか物理的に首が飛ぶ。しかし男の性が首を擡げている
京は段々と自分が汚れた男に思えて来た。当たり前だが雇い主を押し倒すなど不敬
一体彼女には何が見えているのか、まるで見えない何かを擦る様な動き。
恐るべしセシリーさん。
!?
﹁⋮⋮も、もうだめぇ、あ、あなたの、ちっ、ちん││﹂
×××
195
﹂
﹁何だか、凄く不快﹂
﹁⋮⋮⋮
事、だな﹂
はアルデマ家の金品強奪、目的はエンヴィ・キョウ=ライバットにアンタの情報を渡す
﹁兎も角、依頼は承った││襲撃先はアルデマ家、報酬は前払いの金貨一億枚、追加報酬
は不思議そうにリースを見ていたが、気を取り直す為に咳払いを一つ行った。
突然電波を受信したリースであったが、
﹁何でもない﹂と言って首を振る。目の前の男
は擦りきれた安物のローブを羽織り、全員が布で口元を覆っている。
住めない程では無いと言う程度。リースはそこで十人程の男達と対峙していた。男達
元は待合室だった場所、等間隔で並べられたソファー、窓口、僅かに汚れが目立つか
目にも触れず爪弾き者の住みかと成り果てていた。
だったらしいのだが、地区の過疎化に伴い移転したらしい。それ以来、この建物は誰の
国の郊外、貴族地から大分離れた位置にある一棟の建物。元は亜人の経営する病院
?
は戦闘に成った場合、確実に男が殺されると分かっていた為に警告したのだが、恐らく
男は肩を竦めて笑う、その顔は戦ったら自分が勝つと信じ切っている表情だ。リース
﹁依頼人の対象人物を傷つける気は無ねぇよ﹂
﹁そう、彼に指定の場所を教えるだけで良い、間違っても戦っては駄目﹂
最後の平穏
196
意図は伝わっていないだろう。
まぁ、最悪一人二人殺されても、残りが京に接触するだろうとリースは無言を貫く。
別段、彼女は男達の身を案じている訳では無いのだ、仕事さえ果たしてくれるのならば
何人死のうが関係無い。
﹂
?
﹂
?
男の言葉に、リースは顔を顰める。
﹁後悔⋮⋮
﹁実行は明日の深夜││後悔しねぇな、嬢ちゃん
﹂
リースにとっては実に都合の良い集団であった。
強奪も容易だろう。
金に難儀している様にも見える、それに貴族の屋敷ならば高価な装飾品の一つや二つ、
に強盗紛いなど請け負う人間は居ない筈だが、どうやら彼らは違うらしい。余程運営資
事も金次第で請け負うならず者達。本来ならば一億程度で国の中枢に食い込む大貴族
リースの前に立つ男達は大陸の向こう側から指名手配されている犯罪者集団、どんな
﹁楽勝、俺達の団員は百人を超える、貰えるだけ貰ってドンズラするさ﹂
﹁駐在が三十、離れの宿舎に二十、交代は十時間ごと﹂
だ││武官は全部で五十人足らずなのだろう
﹁前払いで料金も貰った、屋敷の地図もな、後は俺達が突っ込んで屋敷の金品を奪うだけ
197
?
後悔、後悔か。
もし自分が後悔するとするならば││京がその命を落とした時くらいなモノだろう。
それ以外は全て等しく塵であり、何ら悔やむ事等ではない。例え全て失おうが、国を
敵に回そうが、京以外の全人類が死に絶えようが、亜人が消え去ろうが、どうでも良い。
﹁後悔なんて、あり得ない﹂
れは男の直感と言うべきか、それに従って男はそれ以上何か言葉を重ねる事を辞めた。
男はローブを着込み、フードで顔を隠した目の前の少女に言い表せぬ恐怖を抱く。そ
﹁⋮⋮そうか﹂
最後の平穏
198
消える光
大襲撃。
後にそう呼ばれるアルデマ家最大の襲撃に遭遇した日、それは京が毒を受けた日から
二日後。丁度セシリーの護衛へと復帰し、何事も無く過ぎ去った深夜に起きた。
最初は巡回していた武官の叫び声だったと思う。京が声に反応しベッドから飛び起
きた時には、既に賊は屋敷の中に侵入していた。武官制服を素早く着込み、僅かに凹み
のある手甲を身に着けて部屋を飛び出す。
廊下に出た京は騒然とする屋敷内を見渡した、周囲の部屋からも何だ何だと剣を携え
﹂
﹂と叫んだ。
た武官が飛び出し、各々の配置へと駆ける。京は自分の目の前を駆け抜けようとする武
官を捕まえ、﹁何があった
まさか、という気持ちが強かった。
﹁襲撃だ、賊が攻め込んで来たんだよッ
!?
居る場所へと駆ける。賊に狙いがあるとすれば、まずはセシリーだと考えたのだ。ヴィ
直ぐに駆け出した。京も、こうしてはいられないと自分の仕事を果たすべくセシリーの
前日の襲撃に続いて、またもや賊が来たとは。武官は京に手早く事情を説明すると、
!
199
﹂
ルヴァ氏は未だ屋敷に帰還していない。
﹁セシリーさん、失礼しますッ
を開け放つと、整理整頓された煌びやかな内装が目に飛び込んだ。女性らしい甘い香り
京の部屋からセシリーの部屋までは三十秒と掛からない。手甲を身に着けた手で扉
!
﹂
が部屋の中に充満しているが、ソレを気にしている余裕は無い。
?
一体何処へ││まさか、既に賊の手に
崩れ落ちた武官を蹴飛ばし、賊は新しく姿を現した京に剣を向ける。顔を黒い布で
崩れ落ちた。
た短剣をグルリと捻じ込み、そのまま抜き出す。赤い線が宙に描かれ、武官はその場に
官は二撃目に突き出された短剣を防ぐ事が出来ず、呆気なく絶命した。首に突き刺さっ
賊が剣を奮い、対峙する武官が防ぐ。しかし賊は短剣を逆の手に隠し持っており、武
が斬り合っている場面に遭遇する。
京は手甲を嵌め直すと、素早くセシリーの部屋を飛び出した。すると丁度、武官と賊
?
感じない。つまり彼女は今夜、自室に戻っていないという事になる。
の姿は無く、シーツには乱れ一つ無かった。手甲を外して手を当ててみても、暖かさは
京はセシリーが横になっているだろうベッドに歩み寄る、しかしそこに本来居る人物
﹁セシリーさん││
消える光
200
覆った、どこまでも淡々とした男だった、京は手甲を打ち鳴らすと無言で構える。
しかし賊が斬り掛かって来る様子は無く、何か探る様な視線で京を見ていた。その視
﹂
線の意図が分からず、京は顔を顰める。出方を伺っていると言うより何かを確かめてい
る様な視線だった。
﹂
﹁お前││エンヴィ・キョウ=ライバットか
﹁何
﹂
!
﹂
?
込んだという事なのか
││だとしたら何故。
らなかった。目の前の賊は今、依頼主と言った。つまりそれは、リースがこの賊を送り
しかし男は否定も肯定もしなかった、京は何故ここでリースの名が出て来るのか分か
言葉が口から零れる。
﹁リース⋮⋮
自分の恋人を自称するという事は十中八九││
京は男の言葉を聞き、耳を疑った。亜人の少女という部分に覚えがあったのだ、更に
﹁
﹁依頼主からの伝言だ、﹃貴族地、噴水広場にて待つ﹄、亜人の少女、京の恋人より﹂
クライアント
剣を構えたまま静かに告げた。
突然、賊の口から自身の名前が飛び出る。京の反応が肯定であると受け取った賊は、
?
?
201
?
セシリー⋮⋮﹂
﹁││お前、セシリー様を攫ったか
﹁
﹂
?
間に良く似ている。
そう言った人間を地下闘技場で何度か目にした事があった。目の前の男はその類の人
目の前の男から感じる、機械的な価値観。リスクと金を冷静に計る人間の目だ、京は
も考えられるが、その可能性は低いと京は考えていた。
を雇った人物がリースならば、その目的は彼女では無い筈だ。彼らの独断という可能性
京は男の言葉を聞きながら自分の中で噛み砕く。信じるべきか否か、しかしこの連中
﹁⋮⋮⋮﹂
ない、アンタがどう考えているかは知らないが、俺達は何もしてねぇよ﹂
﹁何故そんな事を聞いたのかは知らないが、長女をどうにかしたと言う報告は聞いてい
間に皴を寄せ、それから﹁あぁ、此処の長女か﹂と納得がいったように頷いた。
混乱したが、流石に自分の雇い主を放って置くことは出来ない。京の問いかけに男は眉
京はリースの事を考えながらも、セシリーの行方を男に問うた。突然の事に京の頭は
?
ま大きく距離を取る賊。京に背を向け、その正面に佇んでいたのは││シーエスであっ
京が再び口を開こうとした時、賊が不意に屈んだ。その頭上を斬撃が通過し、そのま
﹁││なら﹂
消える光
202
た。
﹂
﹁京、無事かっ
﹁シーエス
﹂
!?
﹁何
﹂
﹂
お前、守護者だろう、今すぐセシリー様の元に││﹂
﹁部屋に居なかったんだ、見当たらない
﹁セシリー様はどうした
の前に立っていた。
京は友の無事を純粋に喜び、安堵する。彼は武官制服に愛用の剣を持ち、油断なく賊
!
﹂
﹁││ッ、京、行けェ
﹁シーエス
セシリー様を探すんだ
﹂
!
き。シーエスは賊の猛攻を防ぎながら叫び、京は逡巡した。
込み、相打ちを恐れない勇猛果敢な攻め、それが最も相手の嫌う剣だと理解している動
賊の剣は速く、鋭く、人を殺す為だけに特化された剣技だった。恐れを知らない踏み
!
!
﹁依頼主から対象との戦闘は禁止されているが⋮⋮お前は別だ﹂
が火花を散らした。
した。直前でシーエスは賊の動きに反応し、振るわれた一撃を正面から捌く、二対の剣
シーエスは驚きの声を上げ、京を見る。その隙を突く様に賊が駆け、シーエスに肉薄
!?
!
!?
203
このままシーエスを盾に去るか否か。
﹁俺の剣を信用しろッ、お前が倒した、俺の剣をッ
﹂
剣をズラす、そのまま一瞬の空白を突き接近して一閃。
は己の死と向き合う覚悟。防ぐだけの剣筋が変わる、受けた傍から刃を跳ね上げ相手の
猛攻を防ぐだけだったシーエスの瞳に、闘志が灯る。京との戦闘で学んだ一つ、それ
薄暗い廊下が一瞬の昼を取り戻していた。
シーエスが叫び、京の背を押す。その間にもシーエスと賊の剣は幾度と無く交わり、
!
相手の懐に自ら飛び込み、危険に身を晒す戦い方。賊はシーエスの一閃を短剣で防
﹂
ぎ、眉間に皴を寄せた。
﹁行けェッ
!
﹁死ぬと分かって挑むのか、武官﹂
坊ちゃん
相手は手練れだ、命を奪うという事に何の躊躇いも無い。
遅れを取っている。
シーエスは目の前の男の力量を理解していた、命を懸けた戦闘に於いては一歩も二歩も
後押ししたシーエスは小さくなっていく友の背を見つめながら剣をもう一度握り直す。
シーエスの声に、京は背を向け駆け出す。此処で悩む時間が惜しかった、その決断を
﹁│││﹂
消える光
204
﹁ハッ││生憎と、アンタより強い男を知っているんでね﹂
﹂と失望を露にする。それに対して薄笑いを浮かべ、シーエスは口を開いた。
シーエスはそう言いながら構えを解き、剣を降ろした。その動作に男は顔を顰め、
﹁諦
めたか
?
﹁何か勘違いしている様だが、俺は何も一人で戦う何て言ってないぜ 確かにアンタ
205
はしねぇッ
﹂
は強い、命のやり取りなんて経験の無い武官からすればな││だが、三人なら負ける気
?
とした態度で賊の前に姿を晒す。
﹁探したぞシーエス、全く、何一人で戦おうとしているんだ
﹂
﹂
﹁向こうで五人は倒したぞ、凄いだろう、これはシーエスの立場が危ういのでは
﹁うるせぇ、俺も今丁度戦ってた所なんだよ
方にあった、であれば一人に三人掛かりになっている時点で他の団員が金品の奪取を
ば武官の数は五十人足らず、総勢百名を超える集団で押し入った賊に対し数的有利は此
一人から三人に増えた、確かに人数的には劣勢であると言える。だが事前情報によれ
?
?
軽口を叩きながら横一列に並ぶ武官を前に、賊は剣を構える。
!
﹂
を売った三人組の二人、デルフォ、エンツェである。彼らは手に剣を持ちながら、飄々
シーエスが叫んだ瞬間、彼の背後から二つの影が顔を覗かせた。それは嘗て京に喧嘩
﹁何││﹂
!
行っているだろう。
││なら、適当に相手をして、隙を見て逃走する。
賊はそう判断を下した。
それを知ってか知らずか、三人は順に剣を構えて小さく息を吐き出す。確かにシーエ
スという個人の武はそれ程ではない、武官の中で言えば上の下、所詮貴族の剣技に他な
﹂
!
らない。しかし、だからこそシーエスは貴族の強みを磨き続けていた。
﹂
﹂
﹁デルフォ、エンツェ、奴にジェット・ストローム・アタックを仕掛けるぞ
﹁応ッ
﹁任せろ
!
る。地面を滑る様に接近したシーエスは、上段から一気に剣を振り下ろした。
傍から見れば殆ど動いていない様に見えるが、その実凄まじい速度で足首を動かしてい
へと肉薄していた。これはとある特殊な歩法││﹃すり足﹄と呼ばれる移動法であった、
瞬間、急激に加速するシーエス一味。その加速力は凄まじく、気付いた時には既に賊
!
さずに告げた。
﹂
段の構えを見せる。その光景を見た賊は思わず一歩後退り、シーエスは獰猛な笑みを隠
瞬間、シーエスを先頭にデルフォ、エンツェが背後に並び、それぞれ上段・中段・下
!
﹁見せてやろう││アルデマ家の白い三連星をなッ⋮⋮
消える光
206
単純な振り下ろしであれば、カウンターで胴に一閃を叩き込める程度の隙がある、し
かし賊は咄嗟にシーエスの一撃を剣で捌いた。なぜならば、続く第二撃││デルフォの
横薙ぎが迫っていたからだ。
三人が一列に並び、高速のすり足で地面を滑りながら相手に肉薄。その状態で上段・
中段・下段の攻撃を繰り出す必殺の陣形。賊はシーエスの攻撃を剣で捌き、デルフォの
薙ぎを短剣で受け止めた。
最後にエンツェの剣が足を狙い、辛うじて跳んで躱す。しかし反応が遅れた結果、剣
先が僅かに皮膚を裂き血が弾けた。
擦れ違った三人と賊はそのまま距離を取り、再び対峙する。シーエスを先頭にデル
フォとエンツェが一列に並ぶ、今度はシーエスを始めに中段・下段・上段の順。一度攻
撃する度に攻撃する箇所が入れ替わるのだ、相手からすれば面倒な事この上ない。
マ ン マァ アァ ア
﹂
苦悶の表情を見せる賊に、シーエスはこれ以上ない程の笑顔を見せて言った。
﹂
﹁見っとも無い姿を晒させてやるよ、坊ちゃん
☆
﹁⋮⋮⋮何故、此処に居るの
?
!
?
207
リースは目の前の人物に問いかけた。
京を待っていたリース、貴族地の中央にある噴水広場。その街灯に照らされながら噴
水に腰かけていた彼女は目の前に現れた人物に困惑を露にする。
深夜の広場、人影などある筈もなく、基本的に深夜の外出が推奨されていない貴族地
は静かなモノだ。偶然なんてありえない、だとすれば彼女は自らの意思でこの場に││
リースに逢いに来た事になる。
京ならば理解出来た、しかし何故彼女が。
﹁セシリー﹂
メッセージカード
リースが名を呼ぶ、彼女││セシリーは暗い表情でリースを見つめると、ポケットか
ら一枚の紙きれを取り出した。いつかリースが渡した伝 言 紙、セシリーはそれを握り
﹂
締めると、﹁これで、魔力線を辿ったのよ﹂と口にした。
﹁⋮⋮魔法使い
?
は純粋に驚き、しかし訝し気にセシリーを見る、何か腑に落ちないといった表情。セシ
セシリーはあっさりと頷いた、魔法使いは国内に十人といない稀有な才能だ。リース
﹁えぇ、そうよ、その通り﹂
消える光
208
リーは儚げに笑うと、リースの目の前で伝言紙を魔法で燃やした。
炎に照らされ、黒く変色した伝言紙が虚空に散る。
そして灰になったソレを握り締めると、ハッキリとした口調で告げた。
││⋮⋮⋮そう、そういう事﹂
!
リースの言葉を遮る様に、セシリーは自身の名を告げた。
﹁ヴァン・シヴィルハッサ・ジ・アルデマ=セシリー﹂
﹁京を身請けしたアルデマ家の長女、その名前は⋮⋮﹂
全ての点と点が繋がった、最初から探す意味など無かったのだ、つまりは。
だ。
やらにばかり目を向けていたが││成程、どうして中々、運命という奴は悪戯好きな様
名前はセシリー、京を身請けした貴族の家名はアルデマ、その当主であるヴィルヴァと
街中で偶然出会った貴族令嬢、京と待ち合わせた場所に突然現れた点、そして彼女の
味を理解した。
リースは突然の行動に驚きながらも、しかしセシリーの一言で彼女がこの場に来た意
﹁
﹁先程、私の屋敷が賊の襲撃を受けましたの﹂
209
その次の瞬間、リースの瞳孔が開く。その艶やかな頬に龍の鱗が僅かに生え、彼女の
感情が激しく揺れ動いている事を現わしていた。
罅割れた様に蠢く彼女の頬を目にしながら、セシリーは苦笑を零す。
﹂
﹁そう、貴女亜人でしたのね⋮⋮地下闘技場の闘士ならば強い筈だと思っていましたが、
その様な見た目でも亜人ならば納得ですわ﹂
﹁それで、此処に来たって事は、何、もしかして自殺しに来た
﹁まさか﹂
どこまでも自信に満ち溢れた口調。
﹁││私、貴女に決闘を申し込みますわ﹂
そして顔を上げた彼女は暗い瞳をリースに向ける、どこか見覚えのある瞳だった。
眉を顰めた。
な一礼を見せた。ドレスのスカートを摘まんで僅かに足元を見せる、その姿にリースは
セシリーはリースの言葉を鼻で笑い、その場で足を交差させると社交界仕込みの優雅
?
セシリーは薄っすらとした笑いを顔に張り付け、リースは不快そうに目を細める。
﹂
?
二人の視線が交差する。
﹁えぇ、その威張るしか能のない貴族が、貴女に﹂
﹁⋮⋮威張るしか能のない、貴族が、私に
消える光
210
その視線の温度は冷たく、相手を敵としか認識していない。相手は自分の最愛を奪い
得る恋敵、互いが互いに理解していた。二人だけで和解など不可能、彼女達は何処まで
﹂
愛
の
障
害
行っても平行線。それは己が最優先事項に置いている人物が重なっているが故に、それ
は絶対に譲れないものであった。
﹁高々魔法が少し使える程度で、私に勝てると思うの
﹁⋮⋮言ってくれる││ッ
﹂
とリースの体から業火が吹き上がる、そして頬から体へと鱗が生え揃い、額
!
愛しい人
最愛を守る為ならば、男
女関係無く、全力で障害に立ち向かいましょう そこには貴族も平民もありません、
﹁お生憎様、人間には人間の意地と言うものがありましてよ
?
しかし、此処で退くという選択肢は無い、リースにも、セシリーにも。
その業火、鱗、生え揃った二本角、余りにも有名な亜人の種族。
以上の熱を持っていたから、まるで彼女の胸の内を現わしている様だ。
その姿を見て、セシリーは僅かに汗を流す。それは彼女から吹き上がった業火が予想
草、最早我慢ならないと。
に二本角が綺麗に並んだ。リースは激怒していた、自分の京を奪っておいてこの言い
ボッ
!
して差し上げますわ﹂
﹁あら、人間の英知を随分と侮っていらっしゃる様で⋮⋮少なくとも、貴女程度、軽く倒
?
211
!
わたくし
﹂
私、ヴァン・シヴィルハッサ・セシリーという個人の戦いがあるだけッ
負ける訳にはいかないッ
なら尚更、
!
そのまま両手を打ち鳴らし、爆音を鳴り響かせた。
﹁怪物は怪物同士、人間の恋愛に横やりを入れないで下さる、ねぇ
そこで人間と亜人の、己の命より大切な物を賭けた戦いが始まった。
ドラゴニア
││ 龍 種﹂
?
生え、その上からどんどん重なっていく。そして膨大な熱量を両手に携えたリースは、
リースはセシリーの魔法礼装を一笑し、その両手に業火を纏わせる。手に分厚い鱗が
﹁そんな玩具で││身の程を分からせてあげる﹂
というモノ。
発した魔法使いの為の戦闘服、その効果は大気中に分散した魔力を効率的に収集できる
体に張り付く様なデザインで、その表層は非常に厚い。アルデマ家が大金を叩いて開
は白い魔法礼装。
シリーのドレスが散り散りに弾け飛ぶ。魔法による繊維崩壊、ドレスの下から現れたの
同時にセシリーはドレスの胸元を掴み、勢い良く引き裂いた。爆音と雷鳴が轟き、セ
セシリーが目を見開き、叫ぶ。
!
貴族地中央、噴水広場。
﹁│││殺す﹂
消える光
212
ば半分に短縮可能だった。石畳の地面を蹴りながら加速し、一直線に広場を目指す。深
アルデマ家から噴水広場までは走って十分程か、しかし京の脚力と持久力を以てすれ
それで構わない、どちらにせよリースには聞きたい事が山ほどあった。
せばセシリーを解放する事が出来るかもしれない。もし捕まっていないならば、それは
セシリーに仮に捕まっているとしても、リースは賊の雇い主である。ならば彼女と話
京は走りながら出来の悪い頭を懸命に働かせ、リースの元に向かうと決めた。
人となる。
公園に近い、緑の植えられた広大な公園だ、昼間は人が多く喧騒に満ちているが夜は無
した際にも通っていた為、京は場所を知っていた。噴水広場と言われているが、その実
貴族地の噴水広場、アルデマ家に来る途中にある大きな広場だ。先日シーエスと外出
な真似は出来ない。
らばリースの呼び出しに応じるべきか、しかし京の感情としてはセシリーを見捨てる様
リーの居場所は依然として分からず、無暗に探した所で見つかるとは到底思えない。な
京は迷っていた、セシリーを探すべきか、或はリースの呼び出しに応じるか。セシ
彼は挑んだ、幻想に、そして││
213
夜の貴族地は恐ろしく静かで、人影は一つも見えない。等間隔に並んだ街灯が淡く道を
照らすばかりで障害一つ無かった。
﹂
その中を京は疾走する、苦悩そのものを置き去りにする様に。
﹁っ
﹂
京は更に速度を上げ、半ば弾丸の様に広場へと向かって駆けた。
た。彼女が魔法を使っているという事は、誰かと戦っているという事。
裂する様な音、割れる音、燃える音が聞こえて来る。リースの魔法だ、京は瞬時に悟っ
広場が見えて来た頃、京はやけに広場が明るい事に気付いた。そして時折、何かが破
!?
!
あった。
!
広場は無数の焦げ跡に破砕された石畳が散乱し、酷い有様だった。
の中の一コマであったならば、京とて笑顔で再会を喜べたのだろう。
ける。京は嬉しさと悲しさの掻き混ざった様な複雑な気持ちを抱いた、これがもし日常
噴水広場の中央、そこに横たわる主人、そして京を見つけたリースは満面の笑みを向
﹁京⋮⋮っ
﹂
果たしてそこで見た光景は││倒れ伏す﹃セシリー﹄と、その前に立つ﹃リース﹄で
広場に辿り着いた京は即座に大声を上げ、彼女の姿を探す。
﹁リースッ
彼は挑んだ、幻想に、そして──
214
﹁リース、その人は││﹂
のか分からず、
﹁どうしたの⋮⋮ ﹂と小さな声で問いかける。まさか手を取らない筈が
京は差し出された手を見つめたまま、顔を顰めた。リースは何故京がそんな顔をする
﹁⋮⋮⋮﹂
﹁京、早く行こう、他の連中が来る前に﹂
したが、その視界にリースの手が差し出された。
手を当てれば僅かに息が当たる。良かった、死んではいない。京は安堵に胸を撫で下ろ
京はリースを一瞥し、それからセシリーの元に駆け寄った。仰向けに転がし、口元に
﹁それだけって⋮⋮﹂
﹁京を身請けした貴族、セシリー、私に挑んで敗北した、それだけ﹂ ノだ。尤も度重なる攻撃に表面は黒ずみ、所々痛んでしまっているが。
彼女が身に纏っているのは普段のドレスでは無く、何か白いウエットスーツの様なモ
シリーがそれで何らかの反応を返す事は無く、完全に気を失っている事が分かった。
リースは京に微笑んだまま、自分の足元に転がるセシリーを軽く爪先で蹴飛ばす。セ
﹁ん⋮⋮あぁ、これ﹂
215
はしなかった。
無い、リースはそう思っていた、信じていた。しかし彼は一向にリースの手を取ろうと
?
そう、京を助ける為に﹂
﹁リース、屋敷に来た賊から聞いた││彼らは、君が雇ったのか
﹁
﹂
?
そんな理由、あるとは思えない。
?
﹂
愕の表情を徐々に変化させ、悲しみに満ちた顔で京を見た。
た手を呆然と見つめた。痺れた痛みを発する手、それを払い除けたのは京。リースは驚
リースは払い除けられた瞬間、
﹁えっ﹂、と驚きの声を上げる、そして自身の差し出し
京はリースの手を振り払い、立ち上がった。
﹁⋮⋮⋮っ﹂
マ家に賊を仕向ける理由は何だ
こんな真似をしたのか。そんな事をする必要は無かったはずだ、身請け先であるアルデ
自分を助ける為、リースはそう言った。しかし京には理解出来なかった、彼女が何故
?
?
﹁そんなに﹂
何かになった気分だった。
の背に庇うセシリーに向いていたから。注意が自分に向いていない、京は自分が透明な
そう言おうとして、しかし京は口を噤んだ。リースの目は既に京を映しておらず、そ
一緒には行けない、まずは一から全部話してくれ。
﹁リース││君が何を考えて、こんな真似をしたのか理解出来ない、だから﹂
﹁⋮⋮一緒に、来てくれないの
彼は挑んだ、幻想に、そして──
216
﹂
リースの目が暗い光を帯びる。その瞳は京の今まで見て来たリースのどんな瞳より
も暗く、そして薄気味悪い。
﹁そんなに、セシリーが大事なの
違う、そうじゃない。
﹂
柱が出現し、セシリーの居た場所を焼き尽くした。
﹁ッ、リース
﹁││ねぇ、京、お願い、私と来て﹂
﹁訳も分からないまま、此処を去る訳にはいかない
!
!
リースはそこで、そもそもの過ちに気付いた。
度ではない。
気付いた。彼はセシリーとやらを気遣っている、それは無理矢理身請けされた奴隷の態
しかし、ここにきてリースは京が素直に自分の元へと帰って来てくれる気が無い事に
或は京を唆したと思われるセシリーへの憤怒か。
リースの顔が酷く歪んだ。それは自分の思い通りにならない事態に対する苛立ちか、
﹁⋮⋮⋮﹂
﹂
険を察知した京が、素早くセシリーを抱き上げて後退する。次の瞬間には地面から炎の
京がその言葉を叫ぶより早く、リースがセシリーに手を向けた。そこから本能的に危
?
217
││京は、望んで身請けされたのか
の筈だった、だってそうだろう 彼は自分で自分を身請けする事を最も大切にしてい
その可能性が今この場に立って、初めて脳裏を過る。あり得ないと断言出来る可能性
それはリースが一度も考えなかった、一つの可能性であった。
?
何故、そんな顔をする。
リースは京に問いたい事が沢山あった。
京はリースに問いたい事が沢山あった。
もしかして、京は望んで身請けを受けたの
?
しい声で呼ばれた京は、彼女の表情を見て胸を傷める。
京はセシリーを比較的安全な場所に移動させ、再びリースの前に立ち塞がった。懐か
リースは今にも泣き出しそうな顔で京の名を呼ぶ。
﹁京﹂
それがどこぞの誰とも知らぬ貴族に頷くものか。
て、自分の身請け進言すら跳ね除けたのだ。
?
何か言えない事情があるのか、リース
?
彼は挑んだ、幻想に、そして──
218
どうして私の身請けは断ったのに。
どうしてアルデマ家に賊を仕向ける様な真似をした
もしかして、あのセシリーという女を好きになってしまったの
自分が身請けされた事は知っている筈だ。
あの女の事を、愛してしまったの
?
?
なぁ、リース⋮⋮
ねぇ、京⋮⋮
これから普通の生活を手に入れて、君を迎えに行こうと思っていたのに。
?
を戻す力は無かった。
お互いがお互いの過ちに気付くには余りにも遅く、対峙した二人に一度踏み出した足
それは不幸な勘違い、或は相互不理解。
!
!
仮に、仮に彼がセシリーを愛したとして。
の体に染みわたった。
京は彼女の名を呼ぶ、互いの立場が変わって尚、その響きは甘美なものとしてリース
﹁リース﹂
219
その彼女の為に身請けを受けたとして。
果たして自分は││どうなるのだろう
ドラゴン
ドラゴニア
炎の監獄、その中心で二人は対峙する。高熱が周囲を支配し、京の額に汗が伝った。
京が最初に思ったのはソレだ。
包み込んだ。周囲一帯、まるで京とリースを包み込む様に円を描く。閉じ込められた、
リースは着ていたローブを脱ぎ捨てる。そして彼女の瞳孔が一気に開き、周囲を炎が
彼女は何かを覚悟した。京はリースの纏う空気が一変した事に気付く。
す英雄になってくれる事だって思った、ずっと、ずっとそう思っていた﹂
﹁ねぇ京、私、気付いたの││一番の願いは貴方が私の傍に居る事、そして私を討ち果た
?
てに人は龍を討つ、三百年前がそうであった様に。
道は一つ、技巧を磨き、技を極め、ただ一つの武を極める。その天に届き得る鍛錬の果
人は余りに弱い、亜人と比べて体も弱ければ魔法も使えない。そんな人間に残された
なってしまった││﹂
けれど遠い昔に人々は戦う事を辞めた、誰もが平和を望み龍殺し何て危険な事はしなく
﹁龍を最後に討ち果たすのは人間の英雄、それは幻想から生まれた龍 種の根源的な欲求、
彼は挑んだ、幻想に、そして──
220
けれど人々は諦める事を覚えてしまった││それに慣れてしまった。
いのち
﹂
!
想い人が手の届かない所に行こうとしている。
想いが伝わった時は余りにも遅かった。
告白と言うには余りにも苛烈で。
激烈な言葉、彼女の感情に呼応する様に、京は叫ぶ。
﹁リースッ││
││貴方の人生を私に頂戴﹂
キョ ウ
だけで良い、場所なんて何処でも良い、それだけで良いから、それ以外は望まないから
﹁京が居てくれれば、貴方さえ居てくれれば、龍の大望なんて知らない、傍にいてくれる
彼女の瞳から一筋の涙が流れ出て、炎に揺られ虚空に消えた。
鱗に覆われ、角を生やし、その体の節々から炎を吹き上げながらリースは顔を上げる。
暴力を象った姿が美しいと思ったから。
京は息を呑んだ、彼女から暴力的なまでの威圧感を感じたから。そして同時に、その
リースのもう一つの顔⋮⋮龍 種の彼女。
ドラゴニア
膚 に 生 え 揃 い、彼 女 の 額 に 二 本 の 角 が 生 え 出 る。そ の 姿 は 京 が 今 ま で 見 た 事 の な い、
リースが京の前で顔を手で覆う、そこから彼女の体が変質する。龍の硬質的な鱗が皮
﹁けれどもう良い││そんな事はもう、果たさなくて良い﹂
221
なら、力尽くでも引き留めたい。
龍
けれどそれは、彼にとっての幸福ではない。
だからこれは││私の我儘。
﹁さぁ、京、始めよう これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だか
り砕き、京へと迫る。辛うじて反応した京は、手甲を突き出し防御の構えを取る。その
リースはその言葉を最後まで口にする事は無かった、それよりも早く彼女は地面を蹴
ら京が勝ったその時は││﹂
?
﹂
と京の手甲とリースの拳が火花を散らした。
上からリースは拳を振り下ろし、凄まじく硬い何かが京の腕を打ち据えた。
ガチン
!?
京は自分の血が冷えていくのを感じた。
強い、圧倒的なまでに││彼女は亜人である、分かり切っていた事だがこれ程とは。
た。
回避し、大きくその場から跳躍。一発拳を防いだだけで、手甲は表面に凹みが出来てい
頬を掠める。リースが地面を炎で包み、京目掛けて放つ。それらをステップで小刻みに
ガクン、と膝が落ちて数メートル程地面の上を滑って後退する。更にそこから、炎が
重く、強い。
!
﹁ぐッ
彼は挑んだ、幻想に、そして──
222
223
心臓は早鐘を打ち、体全体が燃え上がる様だと言うのに、血だけは氷の様に冷たく
なっていく。それは何とも言えない緊張感と痛みを京に与え、口から僅かに空気が漏れ
た。
││彼女と戦う理由は何だ。
京は理由も無く戦える程、戦闘狂ではない。死に抗う時こそ興奮を覚えるものの、京
という人間が戦うには常に理由が必要だ。誰かの為、自分の為、環境の為。けれど今、
リースと戦う理由が見当たらない。彼女は言った、自分の我儘だと、そして京の為に此
処まで来たと。
闘技場を後にし、京を探して走り回り、漸く此処まで来たのだろう。
だが何故だ
?
オーナーはリースに事情を説明しなかったのか
普通に逢いに来る事は出来なかったのか
どうして彼女はセシリーを傷つける
屋敷に賊を仕向けた理由は
?
があるのだろう、勘違いがあるのだろう。
それが腹立たしく、同時に悲しかった。恐らく何か思い違いがあるのだろう、すれ違う
余りに無知、蚊帳の外、当人だと言うのに京は彼女達の事情を微塵も理解していない。
?
?
?
けれども、自分は此処に立ってしまった││立ってしまったのだ。
﹂
!
││否だ。
?
いが終わったら幾らでも二人に詫びよう、頭を下げよう。
しがつかない、一生償う事になるかもしれない、しかしそれでも構わなかった。この戦
ばない。あらゆるものを賠償する羽目になるかもしれない、誰かが命を落とせば取り返
それで許されるかどうかは分からないが、頭の良くない自分ではそれ以外に思い浮か
その後、事情を聞いて、一緒にセシリーに謝ろう、何度だって謝ろう。
戦って││勝つ
なら、どうする。
た彼女の覚悟を軽くなど見れる訳が無い。
女の覚悟が安いとも思わない。彼女はこの国の貴族に賊まで仕向けたのだ、そこまでし
も彼女に対して持ち合わせている。ならば戦う理由は無い、しかし言葉で止まる程、彼
京はリースが好きである、大好きである、長い時間を彼女と共に過ごした京は情も愛
リースが嫌いか
は彼女の確かな愛情表現だったのだ。
彼女の願いは単純だ、自分と共に居る事なのだろう。今まで冗談だと思っていたソレ
ジョーク
彼女の名を叫ぶ。それだけで彼女は、リースは少しだけ嬉しそうに笑う。
﹁リぃィスッ
彼は挑んだ、幻想に、そして──
224
だから。
││今だけで良い、この時だけで良い、どうか力を。
リースが距離を詰めるべく、駆け出す。その速度は京ですら目で追えぬ程、両手に業
火を携えて突進する彼女の姿は宛ら本物の龍。京が手甲を構え、彼女の一撃を受ける。
﹂
業火が京の皮膚を舐め、手甲が一撃で拉げた。衝撃で京の体が揺れ、更にもう一撃。
﹁あぁアッ
﹂
リースは衝撃を完全に受け止めながら、京を見返した。その瞳に怯む様子は見られな
だが無傷。
﹁っ││ゥ
砕け、悶絶する程の威力。衝撃が空気を揺らし、彼女を包む業火が僅かに揺れた。
撃が足元の石畳を砕き、リースの体がくの字に折れ曲がった。常人であれば骨を何本か
密着した状態からのゼロ距離砲撃、拳が唸りを上げてリースの腹部を打ち据える。衝
︻鎧通し︼
怪力。だが易々とやられる気は無い、京は勝つつもりで戦いに挑んでいる。
り、風圧で髪が引っ張られる。凄まじい力だ、京でなければ体ごと押し出されてしまう
京はリースの二撃目を見切り、ダッキングによって攻撃を躱した。轟音が耳元で鳴
リースが叫ぶ。
!
!
225
い、あの初めての戦闘から幾年、されどその差は未だに埋まらず。
マズい、そう思って背後に跳ぼうとした京の足が止まる。ぐっ、と何かに抑え込まれ
﹂
る感覚。見下ろせばいつの間にか氷が京の足元を覆っていた。
!?
この光には見覚えがあった、それはセシリーが訓練場で使った魔法の光と同じ。
こっている光景に見入る。
を覆う様に光が展開し、みるみる内に再生を開始した。京は目を見開き、目の前で起
京が全弾回避の覚悟を決めると同時、手甲が青白い光を帯びる。そして破損した箇所
││形状記憶 記憶物再現
か、京は背筋を凍らせた。
京の腕は無事に済んだ。しかし二度目は無い、彼女の攻撃を素手で受ければどうなる
その半分がボロボロに砕けていた。強靭な鋼がいとも簡単に││手甲が砕けたお蔭で
受けた腕が痛みを発する、狂った平衡感覚をそのままに地面に着いた手甲を見れば、
がりながら減速した。
き飛ばす。氷を砕きながら後方に吹き飛んだ京は、そのまま石畳と水平に飛び、途中転
撃が京を襲った。魔力による身体強化、凄まじい速度で振るわれた彼女の細腕が京を突
咄嗟の判断、京は自分の胸部を守る様に手甲を重ねる。その直後、リースの渾身の一
﹁ごッ
彼は挑んだ、幻想に、そして──
226
﹁⋮⋮有り難い﹂
原理は分からないが、どうやら彼女はこの手甲に細工をしておいてくれたらしい。そ
れは破損した手甲を再生させるもの、それが一度きりなのか永続的に使用されるものな
のか、京には分からない。しかし、京はリースの攻撃を全て躱す方針に固める。
鋼であっても彼女の前では十全の守りに成り得ない、ならば全て躱すまで。
﹁⋮⋮あの女││セシリーの魔法﹂
リースは顔を悲痛に歪ませ、唇を噛む。それは黒い嫉妬心、彼が纏う武具に魔力を通
さが
すと言う、たったそれだけの事に彼女は胸を焦がす。龍種だからとか、亜人だからとか、
そんなものは関係ない││これはリースという一人の女性が持って生まれた性だった。
リースの目が細まり、京は大きく息を吸う。リースに不用意な攻撃は御法度、しかし
﹁なら、何度だって壊すだけ﹂
攻撃を馬鹿正直に受ければ手甲が砕ける。ならばどうするか││一撃で戦闘不能にす
る、亜人をたった一撃で。
﹂
一撃で倒す、そんな事が可能なのか
﹁隙﹂
﹁││ッ
その疑念、その一瞬が隙となった。恐ろしい加速を以てして接近したリース、その突
!
?
227
き出した拳が京の胸に直撃する。ゴッ、という鈍い音、肉の弾ける音。辛うじて筋肉を
隆起させ受けの姿勢に入っていたが、衝撃は殺しきれず骨が軋んだ。
と風を切った足先は、吸い込
口から空気が漏れる、体が痛みで硬直する。その怯んだ隙にリースがもう一撃、その
場で素早いターンを見せ側頭部に回し蹴り。ブォンッ
﹂
まれる様に京の頬に抉り込んだ。
﹁がッ
!
諦めて、楽になって﹂
ながら地面に転がった。
が、リースの魔法はそんな生温いモノではない。京は痛みに呻き、衝撃に吹き飛ばされ
礫は京の顔面、腹部、足に被弾し大きく痣を残す。殺さない様にと加減はされている
は叶わなかった。
早く立ち上がる。しかし次の瞬間には氷の礫が飛来し、揺らされた脳では全てを躱す事
うじて動作から攻撃を予測した京は、そのまま転がる事によって落雷をやり過ごし、素
リースが両腕を広げて拳を握る、その瞬間頭上から雷鳴が轟き落雷が京を襲った。辛
﹁沈んで﹂
殺したところでどうにもならない。京の体は衝撃に吹き飛び、そのまま横に転がった。
首を捻り、威力を殺す。しかし唯ですら高い殺傷力を持つ彼女の蹴りは、多少威力を
!
﹁京、もう良いんだよ
?
彼は挑んだ、幻想に、そして──
228
﹁はぁッ、ぐっ⋮⋮ここでぇ、ッ諦めたら、リースにも、セシリーにも、顔向けできない
﹂
だから彼女は言っていたのだ││これは私の︻我儘︼だと。
が本当に何かを望めば、彼女は喜んでそれを成してくれるだろう。
彼女は自分に正直な女性だ、しかし同時に京という人間を何よりも大切にしている。京
京は口と鼻から際限なく溢れ出る血を拭う。リースの性格を京は良く理解していた、
!
あの時、彼女は何を言おうとしていたのだろうか。
│﹄
﹃これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だから京が勝ったその時は│
地下闘技場を生き抜いた戦友で、友人で、恋人に最も近い存在で。
京は思う、彼女は何処まで行ってもリースなのだ。それ以上でも以下でもない、共に
リースは再び涙を流す、その雫は頬を伝う前に││業火に焼かれて消える。
だからお願い﹂
ちゃ生きていけないの、京だけ、京だけ居れば良いから、それ以外は何も要らないから、
﹁ねぇ京、私、京に出会えて、凄く嬉しかった、凄く凄く嬉しかった││もう京が居なく
229
何を伝えようとしたのだろうか。
京には分からない、京はリースではないから、彼女の想いを十全に汲み取る事は出来
ない。けれど、考えることは出来る。この不出来な頭で、長い時を共に過ごした彼女の
感情を考える事は出来る。
彼女は、別れを切り出そうとしたのではないだろうか。
或は自身に勝利し、勝者の権利を有する京がリースを跳ね退ける事を望んだのではな
いだろうか。
京の為に、ただ自分を押し殺して、そう、だからコレは最後のチャンスなのだ。リー
スという女性にとって、最愛を手に入れる為の。
ものを焼き尽くす様に、空も、大地も、何もかも、一切合財が業火に呑まれる。
搬し、空気が燃えていた。肺が熱に満たされ、全身から汗が噴き出る。まるで世界その
リースの背に炎が渦を巻き、それは巨大な翼を象る。今までに無い程の熱が周囲に伝
﹁京しかいない、私を終わらせてくれる人は││私を幸せにしてくれる人は﹂
言い張るだろう。強情な人だ、難儀な人だ、京は心の底からそう思う。
から消えて、また流れ、消える。だから彼女はきっと泣いてなどいない、リースはそう
リースは涙を零す、けれどもソレは直ぐに消える、業火によって蒸発する。流れる傍
﹁ねぇ京││貴方は私にとって一番大切な人、特別な人﹂
彼は挑んだ、幻想に、そして──
230
﹁私は誰よりも貴方を愛している﹂
ドラゴニア
業火はうねり、彼女の体を包み込んだ。 龍 種の誇る最大火力、熱によって視界が歪む、
もう真っ直ぐ彼女を見る事さえ許されない。常人が受ければ灰すら残らない地獄の炎
熱。京に奮われるのはその一端、加減のされた一撃だろう。
けれども、五体満足で済むとは到底思えない。或は体の何処かを炭と化すかもしれな
い。
リースが大きく前傾し、炎が収縮を始める。京は歪んだ視界で彼女を捉えた、業火が
﹁だからお願い、もう諦めて││ッ﹂
恐らく生涯、最も力強い拳を。
京は拳を握る。
分の想いを押し付け、それを申し訳ないと感じているからでは無いだろうか。
それは、自分の我儘を京に押し付けていると分かっているからでは無いだろうか。自
離れたくない、終わらせたくない、ならば何故、彼女は泣くのだろう。
彼女の瞳から大粒の涙が流れる。
は鱗が生え揃い半ば人の形を崩している、それ程までに強力な熱量。
リースの拳に炎が集う、その圧倒的な熱量は小さな太陽を思わせた。びっしりと手に
﹁まだ終わらせたくないの、まだ離れたくないの、まだ貴方と一緒に笑っていたいの﹂
231
﹂
象った翼がはためき、大粒の涙を流しながら彼女は叫ぶ。
﹁良いから私に勝たせてよぉッ
たった一秒、この命と引き換えにでも欲する。
今この瞬間、この時、一瞬だけで良い、他は要らない、全部やる、二度も必要ない。
審判者から授かった第二の命、丈夫な体、前世の記憶。
けれど││京は願う、祈る、審判者でも良い、或は他の神様だって構わない。
を委ね、好きと言える人の元で延々に、淡々と。
或はここで全てを受け入れ、諦め、拳を解けば京は楽になれるのかもしれない。全て
という確信、それを最も強く感じる。
で見て来た何よりも素早かった。迫りくる小さな太陽に、これまで感じて危機感、死ぬ
石畳を砕き、全てを置き去りにして突進するリース。その速さは恐らく、京がこれま
!!
戦える力を、この想いを貫く力を。
どうか。
││どうかッ
!
彼は挑んだ、幻想に、そして──
232
﹂
!
がリースを穿つ、それを成す。
振り上げた右腕、肘先まで灰と化した左腕。リースの拳が京の体を穿つ前に、京の拳
この一瞬に、京という人間の全てを。
けれどそれで良い、構わない。
悍ましい光景だ、恐ろしい光景だ。
黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちる己の腕を目視する。
スの拳は突き進む。このまま灰となり散って、京の腕は役目を終えるだろう。指先から
そして次の瞬間にはドロリと鋼が溶け堕ちた。京の皮膚を焼き、爛れさせ、尚もリー
かし京の手は確かに、リースの拳を掴んでいた。
リースの鱗と京の手甲が火花を散らし、凄まじい力に腕が弾け飛んだと錯覚する。し
正面から受け止める様に、全力で。
最速で放たれたリースの拳を、左手で掴む。
しかし京は恐れなかった。
を前に、直撃すれば命の危機だと第六感が叫ぶ。躱すは不可能、受ければ必死。
リースの拳が京の胸に突き出される。狙いは真っ直ぐ、愚直なまでに。圧倒的な熱量
﹁リぃィィィイスッ
233
彼は挑んだ、幻想に、そして──
234
歯を食いしばり、指先から頭の天辺まで、余す事なく力に変える。全ての体力を絞り
出し、その一瞬だけは一切の雑念を排す。痛みも恐怖も何もかも、京はその一秒だけ忘
れる。
まだ終わる訳にはいかない、京はまだ前世より十歳も若いのだ、十全に生きていない
のだ。
恋という奴は覚えたが、誰かと愛し合った覚えもない。恋愛成就にほど遠く、まだ世
界を見て回っても居ない。まだ食べたいものがある、見てみたいものがある、やってみ
たい事がある、感じてみたいものがある、世界は広く十六で見たものなど前世の十分の
一にも満たない。
それに何より、リースとの約束を果たしていない。
こんなもので死ねるものか。
審判者は何の為に、この肉体を京に与えた
セカンドライフ
生きる為だ、人生を謳歌する為だ。
生きて││生きて、生きて、生きて、生きて、生きて。
死にたくないのだ。
生きたいのだ。
隔世再生という名の第二人生、それを成し得ずに死ぬなど。
?
リースと世界を見て回るのだ。
﹁負けるッものかァぁあアぁアァアアアッ
手甲が突き刺さった。
﹂
京の拳がリースの顔面へと吸い込まれる、一瞬驚愕の表情を見せるリース、その頬に
上ない覚悟を以て繰り出されたソレは、人間の限界を超えた一撃だった。
恐らく京は生涯、これを超える一撃を放つ事は無いだろう。己の命の瀬戸際、これ以
魂を絞り出し、命を絞り出し、繰り出された一撃は正に必殺。
まで活かし渾身の一撃を放つ。
裏が石畳を踏み砕き、拳が唸りを上げた。腰の回転、単純な腕力、肩の可動範囲を限界
咆哮、噛み砕いた奥歯をそのままに、血を撒き散らしながら京は一歩を踏み出す。足
!
235
彼は挑んだ、幻想に、そして──
236
凄まじい衝撃、爆音、リースの体がエビ反りになり、足元が陥没する。余りの衝撃に
リースの頬に突き刺さった手甲が指先から砕け、バラバラになって宙に散った。それは
もう二度と元に戻る事は無い。
そのまま押し切らんと拳を叩きつけ、ギチリとリースの筋肉が悲鳴を上げる。露わに
なった皮膚にリースの炎が纏わりつく、右腕も炎に呑まれ灰となるのも時間の問題だろ
う。既に鋼は溶け落ち、砕け、塵と消えた。
けれど、退かない、退けない。
叫び、咆哮し、己は負けぬぞと鼓舞し更に一歩、踏み込んで拳を押し込む。
リースの拳と京の拳が交わり、そして││リースが小さく笑った。
業火が晴れる。
灼熱の地獄と化した世界が静寂を取り戻し、リースと京を囲んでいた炎の壁が消え
去った。
交差した互いの腕、地面に伏したのは。
リースだった。
振り抜かれた京の右腕はリースを地面に叩きつけ、その石畳を砕き埋没させていた。
少女然としたリースの頬は赤黒く変色し、その亜人の耐久値を以てしても耐え切れない
一撃だったことが分かる。
彼女の瞳からは一筋の涙が流れ、その瞼は閉じられていた。
此処に龍種と人間の戦いは終わり、勝負は決した││リースの敗北と言う形で。
﹂
伸びきった腕の先にはリース。
最後の光景を見た。起き上がる気力は無かった、無論体力も。
場で膝を着き、そのまま前のめりに倒れ伏す。焦げ目の付いた石畳に覆い被さり、京は
京の巨躯がグラリと揺れる、その続きを口にする前に体力の限界が訪れたのだ。その
﹁は、はっ⋮⋮ハッ、ハハ、勝った││これで、リースを⋮⋮っ﹂
幸いなのは焼かれた事だろうか、出血が無い、それが唯一の救いだった。
てボロボロと崩れてしまっている。
首の辺りまで表面が炭化していた。さらに左腕に至っては酷いモノで、肩の辺りまで全
最早それは呼吸と言うより排熱に近い。殴った右腕を見てみれば、指が全て黒ずみ、手
京は肩で息を繰り返し、口から白い息を何度も吐き出す。体全体が熱を持っていた、
﹁はァ、はぁ、ハァッ││
!
237
京は喜び、安堵した、彼女に勝利出来た事に。
これで京は自らリースの傍に留まる権利を勝ち得たのだ、誰の指図でも無い、他なら
ない自分の意思で。恐らくリースは力で京を捻じ伏せ、強引に傍に置き続けたとして
も、本当の意味で救われはしないだろう。心の何処かで、彼は自分が力尽くで従わせた
と言う事実が圧し掛かるのだ。
例え京が心の底からリースを想っていても、彼女はきっと納得しない。生涯悔い続け
る事だろう、これは確信に近かった。
だからこそ京は、痛みに泣き叫びそうになる中でも笑顔を浮かべられた。彼女の心の
案念を守れた事が、嬉しく、何よりも誇らしかったから。
しかし、この場に居たのは京だけではない││もう一人、居るのだ。
に見上げた先にあった顔は、見知ったものだった。
たわった京は緩慢な動きで視界を動かし、その人物を見上げる。足先から、顔まで、徐々
その人物は幽鬼の様に立っており、京へと覚束ない足取りで近付いていた。地面に横
声がした、リースの向こう側から。
﹁京││﹂
彼は挑んだ、幻想に、そして──
238
﹁セシリー、さん﹂
セシリー、リースによって気を失っていた彼女だ。京とリースの戦闘に巻き込まれな
い場所に居た筈だが、その所々は最初に見た時よりも黒ずんでいた。どうやら炎の余波
を受けたらしい、その姿に若干の罪悪感を覚えながらも、京は彼女の名を呼んだ。
セシリーはフラフラと京の傍までやって来ると、京の崩れた腕を見て顔を蒼褪めさせ
﹁あぁ、京⋮⋮貴方、腕が﹂
る。その唇を戦慄かせて、残った肩口にそっと手を添えると、炭化した皮膚がボロリと
崩れた。
その事に驚き、セシリーは思わず手を引っ込める。
﹂
﹁ぐッ││駄目です⋮⋮駄目ですよっ、セシリーさんッ
﹂
﹁京、この手を退けて、私にはやらなければならない事があるのッ││
!
﹂
う。しかしセシリーは力任せに振り解く事も無く、京を見下ろして言った。
リーの足首を掴んだ。本来の京の十分の一にも満たない握力だ、振り解くのは容易だろ
瞬間、京はゾッとする。何か言い知れぬ悪寒が体を巡り、思わず残った右手でセシ
リーは立ち上がると倒れ伏しているリースに目を向けた。
蒼褪めていたセシリーの表情が、徐々に変貌する。その表に出る感情は﹃憤怒﹄、セシ
﹁酷い、こんな、京の、大切な体に││ッ
!
!
239
﹁離してッ、離しなさいッ
私は、この女をッ
﹂
!
した。
そんなに、そんなにこの女が⋮⋮っ
﹂
?
﹁この女では、貴方を幸せに出来ないわッ
!
物を知らず、亜人で、人を簡単に殺せる力
﹂
が心から愛していて、本当に好きだと言うのなら、死ぬ程嫌だけれど、殺したくなる位
を持っている怪物、貴方の片腕を奪った、それなのにッ││他の女なら構わない、貴方
!
行為であった。
のだ。そんな事は許せない、例え京が彼女を好いていたとしても││それは明確な反逆
抱く。何故こんなにも必死になってリースを庇うのか、彼女は京の腕を燃やし散らした
してリースを庇う京の姿は見たくないものだった。何故、どうして、セシリーは疑問を
セシリーは振り上げた腕を下ろし、呆然と京を見る。セシリーからすれば、こうまで
﹁どうして││どうしてなの、京
?
たくなる衝動を堪え、脂汗を滲ませながら何とか踏ん張る京を見て、セシリーは涙を零
決して離してなるモノかと、京は炭化した腕で必死に彼女を繋ぎ止める。痛みに叫び
止める、彼女を行かせてしまえばリースは死んでしまう、そんな予感があった。
ぶりながら、セシリーは倒れ伏したリースの元に行こうとしていた。京はソレを必死に
セシリーの右手に光が宿る、それは魔法によって造られた疑似的な雷。それを振りか
!
妬ましいけれど、私は我慢出来るわッ ⋮⋮けれど、この女だけは認められないッ
!
彼は挑んだ、幻想に、そして──
240
セシリーは心の底から京を好いている、愛している。
彼の望みならば出来得る限り叶えたい、そう思うのは自然な事だろう。そしてセシ
リーが最終的に求めるのは京の幸せであった、そこに笑顔の自分が居れば何も言う事無
しだが、京が他の女性を愛する可能性だってある。
無論、セシリーは京の愛を勝ち取るべく無尽の努力を行うだろう。
彼の為ならどれだけの手間暇も惜しまず、邁進する筈だ。
しかし、万が一、億が一、彼が本当に心から愛した女性が自分でなければ││セシリー
は身を引く覚悟もあった。無論、死ぬ程嫌だ、考えるだけで嫉妬に狂いそうになる、け
れど決して可能性はゼロではない。
﹂
セシリーは京の幸せを一番に考えていた、だからこそ││その片腕を捥ぎ取ったリー
スを、彼女は絶対に許せない。
﹂
﹁此処で殺すッ││例え京が私を恨んだとしても、貴女は彼にとって害にしかならない
いた時には既に遅く、再び伸ばした腕が彼女を捉える事は無かった。
んだ。その瞬間にセシリーは踵を返し、そのままリースの元へと向かってしまう。気付
咆哮の様な叫び、凄まじい剣幕。その憤怒に京は一瞬気圧され、思わず指先の力が緩
﹁この女は、貴方を絶対不幸にする││それがどうして分からないのッ
!?
241
!
女の勘か、或は最愛に向ける想いの強さが彼女の背を押す。セシリーは魔法を込めた
拳をリースに向かって振り上げ、その魔力をナイフの様に尖らせた。魔法礼装によって
増幅された魔力収集能力が十全に発揮され、極一部分のみの魔法使用であれば亜人に迫
る出力を見せる。
セシリーの狙いは心臓、このまま鋭利な魔力で以て胸を貫き、そのまま心臓に雷撃を
撃ち込むつもりであった。如何に強靭な亜人の肉体とは言え、魔法的強化もされていな
い素の状態であれば限度がある。今のリースは少しばかり硬い亜人に過ぎないのだ。
﹂
拳は何の抵抗も無くリースの胸に直撃し、雷鳴が鳴り響いた。
やっと。
いた。体を動かそうとして、しかし全ての体力を絞り尽くした肉体は意識を繋ぐのも
振り上げた拳を打ち下ろす、真っ直ぐリースの胸に向かう拳を京は必死の思いで見て
﹁死んで││ッ
!
﹂
死んだ││そう思った。
!
硬い感触、まるで鋼でも殴った様。セシリーが目を凝らせば自分の拳の先に薄い魔法障
拳は確かにリースの胸を捉えたが、その拳が胸を貫く事は無かった。手に感じるのは
しかし、拳を打ち込んだセシリー本人が息を呑む、浮かべる表情は驚愕。
﹁││ッ
彼は挑んだ、幻想に、そして──
242
壁が張られていた、それがセシリーの一撃を食い止めていたのだ。
セシリーの背中にゾッと悪寒が奔る。
魔法を使えると言う事は、つまり││
が生え揃い痣を隠した。それから何度か額を叩いて、リースは心の底から嬉しそうに京
リースは未だ覚束ない足取りで立ち上がる。その頬には大きな痣が残っていたが、鱗
えるって﹂
﹁ふふっ││京、あぁ、京、信じていた、本当に、信じていた、私を倒すって、予想を超
れ痛みに呻く、元よりリースによって傷つけられた体、既に彼女も限界だった。
リーの体を風で吹き飛ばした。吹き飛ばされたセシリーは宙を舞い、石畳に叩きつけら
その一言でセシリーの体が浮き上がる、視認も難しい程の速さで魔法を行使、セシ
﹁邪魔﹂
める。しかし、それよりも早くリースがセシリーの腕を掴んだ。
セシリーが魔法障壁ごとリースを貫こうと魔力を収集、手の雷光が凄まじい発光を始
その瞳の暗さに、ゾクリと肌が粟立つ。しかし、ここで諦めると言う選択肢は無い。
﹁││﹂
リースが瞼を開き、自分を見ていた。
﹁汚い手で私に触れるな﹂
243
を見る。その瞳には歓喜の色、そして僅かな悲しみを感じさせる色。
﹁やっぱり京は強い、凄く強い、私はその強さを信じていた、心の底から││だから、私
の勝ち﹂
京は呆然とした表情でリースを見上げる。既に立つ力も無く、拳さえ握れない。彼が
再びリースに挑む事は不可能、それは火を見るよりも明らかだった。
リースは分かっていた、信じていた、きっと京ならば自身の予想を上回ると、一時と
はいえ龍種を越えて見せると。そう、分かっていた、信じていたのだ。
分かっていたならば││対策も可能。
﹂
!
﹁ごめんね、京、ごめんなさい、我儘な龍種で、ごめんなさい││でもこれで、やっと一
﹁リー⋮⋮スゥッ
それはリースからすれば嬉しい誤算以外の何物でもない。
尤も想像以上の威力で数秒ほど意識が飛び、復帰に時間が掛かってしまったが。
彼は頭部を揺らし、意識を飛ばす事を対亜人では重視する。だからこそ予測出来た、
闘技場で戦って来た京の亜人戦術を知っているが故に。
んでいた衝撃を軽減させる魔法。リースは京が頭部を狙うと分かっていた、今まで地下
リースが自身の頬に触れると、そこを中心に青白い光が奔る。それは予め彼女が仕込
﹁衝撃緩和﹂
彼は挑んだ、幻想に、そして──
244
緒﹂
リースが微笑み、京は自身の無力さに歯噛みする。既にリースと京の戦いは終わり、
勝者は敗者へと転じた。
リースは京の元に足を進めると、巨躯の彼を簡単に持ち上げる。対抗する力さえ残っ
ていない京は、薄れつつある意識を懸命に繋ぎ止めていた。
﹁待ち⋮⋮な、さい﹂
リースは京を抱いたまま踵を返す。
しかし、その背後でセシリーが震える足を叱咤し立ち上がろうとしていた。既に体は
限界で、貴族として最低限の武芸しか学んでいない彼女からすれば、リースとの戦いは
自殺行為以外の何物でもない。
﹂
しかし、だからと言って退けるモノでは無かった。
﹁返しなさい、京を││貴女、だけ、にはッ
﹁本当に邪魔﹂
しかし、第二撃である落雷が前方に集中していたセシリーを穿ち、雷鳴と共に彼女の
魔法障壁で辛うじて防ぐ。
リーに着弾した。人間一人ならば簡単に火達磨に出来る熱量、しかしソレをセシリーは
リースがセシリーに手を向ける。その瞬間、彼女の手から火炎球が撃ち出されセシ
!
245
悲鳴が轟いた。そのまま膝を着き、小さく痙攣しながら倒れ込むセシリー。
リースはその姿を脇目に、小さく息を吐いた。本当ならば殺してやりたい程に憎い相
手だ、嫉妬心もある、しかし京の愛した人物であるならば殺す訳にはいかなかった。そ
れをしてしまえば、京が悲しむ。
雷撃は威力を最小限にまで抑えてあった、痙攣しながら倒れ込んだモノの、外傷は殆
ど無い。精々体が動かし辛い程度だろう、その内目も覚ます筈だ。
尤も目を覚ました先に京の姿は無いが。
至急帰還したヴィルヴァ氏が行方不明となったエンヴィ・キョウ・アルデマ=ライ
の前に捕らえられたが、残った面々は国外逃亡を成功させ行方を晦ませた。
殉職、賊二十名が死亡し、残りは多少の金品を強奪して逃げ出した。内十名は国内脱出
こうして貴族地の歴史に残る大襲撃は幕を閉じ、アルデマ家長女の負傷、武官十三人
ドキ。先程まで鳴り響いていた轟音は既に無く、静かな夜風だけが流れていた。
後に残るのは破砕された石畳に、炎によって焼かれた広場、最早形も残らない噴水モ
リースはそう言って、倒れ伏したセシリーを横目に夜の闇に紛れる。
に難しい事だから﹂
﹁京を抜きにすれば嫌いじゃなかった、貴女の事は││負けると分かって挑む事は、本当
彼は挑んだ、幻想に、そして──
246
247
バットの捜索に乗り出したが、主犯格とされるリース・ヴァルヘイルは既に行方が分か
らず、セシリーの証言から彼女に誘拐された京の居場所も分からず仕舞い、結局事件は
進展を見せず。
京とリースの二人は国内から姿を消した。
結局これまでの騒動は、全て不幸な勘違いであった。
が長袖を着用していれば分からない。全く魔法サマサマだ。
ている。魔力で作り出した義手という奴である、青白い光に包まれた不思議な腕である
残念な事に失った左腕は元に戻らなかったが、それはリースの魔法で代替品を使用し
単に回復した。
人パワーとは良く言ったもので、リースの魔法によって瀕死の重傷を負っていた京も簡
微塵も思っていなかったが、それ程に京の体は重傷を負っていた。しかし、マジカル亜
京は確かにあの時、リースに敗れた瞬間、死を覚悟した。彼女が自分を殺すなどとは
それは肉体的な意味では無く、社会的な意味で││だが。
簡潔に言ってしまえば、エンヴィ・キョウ=ライバットという男は死んだ。
の後の話、その顛末。
藤堂京太郎として生き、その次に京として生きた記録。リースとセシリーの戦い、そ
さて、どこから語れば良いだろうか。
リースと共に end
リースと共に end
248
249
どうにも、リースは京が悪徳貴族に身請けされたと勘違いし、激怒して特攻を仕掛け
てしまったらしい。そこに至る理由としては、まずオーナーが彼女に事情を説明せず、
一方的に彼女が地下闘技場を出てしまったという背景があった。京はその後にリース
に宛てて手紙を送っていたのだが、本人が地下闘技場に居ないならば意味は無く⋮⋮。
結局勘違いは解消される事無く、そのまま賊を雇って粉砕特攻という流れらしい。
京としては﹁嘘やろ﹂と言いたい真実であった。
何故リースがこんな真似をしたのか分からなかった京だが、その話を聞いて納得し
た。もし京が逆の立場で、リースが悪徳貴族に身請けされたと知ったら是が非でも助け
に行く。貴族の事は問答無用で殴ると思うし、慈悲は無い。尤もその悪徳貴族というの
が間違いだったのだが、しかし先入観だけで良くもこれだけ動けたものだと感心する。
つまりリースはセシリーの事を、その﹁悪徳貴族﹂だと思い込んでおり、故にあれ程
の敵意を向けていたのだ。リースからしてみれば、自分は洗脳された奴隷と言った所
か。リース曰く、
﹁セシリーに一目惚れでもしたのかと思った﹂との事だが別段セシリー
に大して恋慕の感情は抱いていない。
無論嫌いと言う訳ではない、寧ろ好きな部類だ。しかしそれが男女のソレであるかと
聞かれれば京は首を横に振った。
結局のところ、どうなったかと言えば││リースと京は国内を脱し、大陸の向こう側
リースと共に end
250
へと逃げ出した。
勘違いだとしてもリースがアルデマ家に賊を仕向けたのは間違いなく、セシリーと対
峙していたという点から既に彼女の顔は割れているだろう。今頃出頭したところで判
決は死罪を免れない、この世界に無期懲役などという慈悲は存在せず、金か死か、それ
だけがある。尚、支払えない場合は被害者が加害者の処遇を決める、あのセシリーの言
動からしてリースは十中八九死罪となるだろう、それだけは避けたかった。
その結果、京とリースは社会的に死亡した。
つまり名前を捨てたのである。
リースと京という名前は呼び合う時こそそのままであるが、大陸を渡ってからは﹃ケ
イネ﹄と﹃リーン﹄と他人には名乗っていた。万が一追手が来ても、自分達を探せない
様に。
京は名前を捨てる際、アルデマ家とオーナーに対して多大な苦悩を抱いたが、彼らと
リースを比較しては重みが違った。確かに世話になった、待遇も良かった、しかしその
場に帰る条件がリースの命では考える余地もない。軽薄と罵られるだろうか しか
し、それでも京にとってリースと言う少女の命は大切だった。
て居ればこのような事態にはならなかったのだろう。しかし、時を戻す事が出来ない以
恐らく最初からオーナーが事情を話し、リースが正面から訪問し、セシリーと出会っ
?
251
上全てを受け入れて生きていくしかない。
京は諦め、リースと共に生きていく覚悟を決めた。
恐らく再び死を迎えた時、自分は審判者の元で裁きを受けるだろう。徳という奴は積
めなかったが、京は満足していた。次行く世界は地獄かな、なんて笑う。
しかしまぁ、考えようによっては悪い事ばかりではない。
元より、この世界を一緒に旅しようと約束していた仲だ、少しばかり早い履行ではあ
るが問題無いだろう。京はリースと共に新天地に降り立ち、今までに見た事も無い様な
世界を眺めた。
広大な野原も、白い山々も、黄金の稲穂も、果てしない海も、京はこの地で余すこと
なく目にする事が出来るだろう。それは素晴らしい世界の筈だ、京は胸躍らせた。
リースとの確執については、今のところ致命的な程ではないと言っておく。
京の腕を焼き消した事に多少なりとも思うところがあるのか、リースの態度は地下闘
技場の頃と違って余所余所しい。しかし、京の猛烈なアタックを受ける事数十回、最初
こそ目を白黒させていたが、今では昔と変わらない程度には接する事が出来るように
なった。
以前の様にリースのアピールを受け流す事無く、真摯に受け止める事に決めた綺麗な
京になった結果である。
そうして、新天地にて三ヵ月││
京はテーブルに添えていた左腕を小さく撫でる、青白く硝子の様な腕。しかし感覚は
ろうなと思う、けれどまぁ亜人と人の役割分担としては妥当なのではないだろうか。
て火は通してくれと面倒を見ている内に自然と役割分担が出来てしまった、普通は逆だ
いた。京は食事を作る担当だ、リースは下手をすると素材のままで食べかねない。せめ
京には食べれる山草か否かという知識が無く、専ら食材調達はリースの役割になって
現在リースは森で食物の収集に励んでいる。
だろうと高を括っている。
ので、リースの魔法で大部分を補ったが、まぁ一ヵ月経っても崩れていないから大丈夫
リースの魔法と京の怪力で何とか作った簡素な住宅。京に建築の知識など無かった
小さな家。
とある僻地、人が誰も通らない様な森の奥。そこに建てられたログハウス、二階建ての
京は木製の椅子に腰かけ、テーブルに頬杖を着きながらそんな事をボヤいた。場所は
﹁存外、何とかなるモノだな﹂
リースと共に end
252
あるし、割れる心配もない。これは世界で一番強いと言っても過言ではない少女が作っ
た、この世に二つとない義手だ。
本当ならば義手でも買おうかと思っていたのだが、オーナーから貰っていたカードは
使用すると足が着くため断念、結局リースの魔法で貯め込んでいたお金が全財産となっ
た。ならば無駄遣いする事は出来ない、京としてもヒモになる気は無いので、時折街に
行っては狩りの依頼などを受けている。しかし、これではリースが何時か言っていた状
況と同じだ、養われているのは自分である、全く以て情けない話だ。
義手は存外便利で、今では素手よりリースの義手の方が強くて便利だと思っている。
どんな動物の突進も片腕で受け止められる、中々自分も人間を辞めて来たのではない
だろうか
?
実感する。
無尽蔵とも言えるリースの魔力には助けられてばかりだ、京はいつも自分の無力さを
で問題は無いのだが。
るようにしなければならない、まぁ正直言ってリースが居れば冷蔵庫の真似も出来るの
かい、凡そ三時間程で大量の食べ物を抱えて来る。中にはナマモノもあるので保存でき
京は窓から外を見て、落ち掛けの太陽を確認する。リースは午後から食材の調達に向
﹁さて、そろそろ調理の準備でもするか﹂
253
そんな事を考えていると、コンコン と誰かが家の扉を叩いた。
京は首を傾げる、リースが帰って来たのだろうかと考えたが、彼女はノックなどしな
い。いつも扉を突き飛ばす様に開き、嬉しそうに﹁京、ただいま﹂と告げるのだ。
﹁⋮⋮はい、今出ます﹂
京は少しだけ出るか否か迷ったが、迷うだけ無駄と断じて扉を開けた。最悪、賊の類
であっても負けない自信があったのだ。
果たして、扉を開けた先に居たのは旅人らしいローブを纏い顔を隠した人物。背中に
﹂
は大きなバッグを背負い、体つきは分からず男か女かも不明だった。
﹁えっと⋮⋮ウチに、何か御用でしょうか
?
それから、何か嬉しそうに口元を緩ませて。
女性はフードで顔を隠したまま京を見上げる。
分がそんな事を思うなどと一笑し、思考を頭から叩き出す。
のだと理解した、同時に何処かで聞いた様な声だと思う。しかし、知り合いの少ない自
目の前の人物が声を上げる、それは女性らしい高い声だ。京は目の前の人物が女性な
﹁││一つ、お尋ねしたい事があって﹂
リースと共に end
254
ね
﹂
﹁此処に、エンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバットって男性││いらっしゃいますわよ
255
?