三浦綾子を知るミニ資料集-基本編(大人向け)

三浦綾子を知る
ミニ資料集
基本編
両面刷り・白黒
左綴じ
(大人向け)
2016 年 10 月
み うらあや こ
(1) 三浦綾子とは?
北海道旭川市で生まれ育ち、旭川市で作品を書き
続けた、北海道を代表する作家です。小説やエッセ
わっかない し
稚 内市
イを多く書いたほか、絵本や劇の脚本も作りました。
代表的な小説は、
『氷点』
『塩狩峠』
『泥流地帯』
『天北原野』
『道ありき』
『銃口』
『母』などです。
『天北原野』
北海道を舞台にした物語が多く、自然の厳しさと
『塩狩峠』
美しさがよく描かれています。
あさひかわ し
旭 川市
1964 年・三浦綾子
た ち かわ
撮影 … 太刀川写真館
『母』
メモ・めも・MEMO
『氷点』・『続氷点』
『銃口』
『道ありき』
さっぽろ し
札幌市 『泥流地帯』
はこだて し
函館市
小説は合計 55 作品。出版された本は
100 冊以上(同じ題名の本は1冊とし
て数えます)。電子書籍でもほぼすべて
読むことができます。
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ほった
堀 田家の 10 人兄弟の 5 番目として生
生きる希望を失って自暴自棄になりま
まれた綾子は、学校卒業後に教師になり、
したが、真剣に愛してくれる人に出会い、
うた し ない
子どものころ(左端)
教師時代
歌志内市や旭川市の小学校で教えました。
立 ち 直 り ま し た。 け れ ど も そ の 恋 人 は
1945 年 8 月の太平洋戦争敗戦で学校
病 気 で 亡くなり、また辛い思いをしまし
のあり方が変わり、自分の教えてきたこ
た。そ の 人 が 教 え て く れ た 短 歌 と 聖 書
とが間違っていたことにショックを受け
で 悲しみを乗り越え、その 1 年後に三浦
て教師を辞めました。その後、肺結核や
光世と出会い、病気が治って 37 歳で結婚
脊椎カリエスなどの大きな病気にかかり、
しました。
13 年間にもわたる療養生活をしました。
メモ・めも・MEMO
療養時代
●『道ありき』
教師を辞めてから結婚にいたるまでの
時代のことを、自伝小説として『道あ
りき』に詳しく書いています。
●『草のうた』
・『石ころのうた』
幼い頃のことを『草のうた』で、学生
時代と教師時代のことを『石ころのう
た』で自伝小説として詳しく書いてい
結婚式
ます。
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かみ ふ ら の
ち」というテーマであらわすことができ
42 歳のときでした。それから 35 年、い
ます。三浦綾子は、自分の体験を土台に、
みつ
ろいろな病気に苦しみながらも、夫の光
よ
と かちだけ
に 1 位入選し、作家デビューをしました。
取材旅行
三浦綾子の作品は「ひかりと愛といの
あきらめないで生きることの大切さと、
世との口述筆記で作品を書き続けました。
人を愛することの尊さ、命のかけがえの
若 い こ ろ の 療 養 時 代 に、 短 歌 で 自 分
なさを、作品を通して語り続けました。
の世界を表現することを覚えた三浦綾子
今も多くの人が作品を読んで、生きる
は、作家となってからはおもに小説で表
希望と喜びを受けています。
現するようになりました。
メモ・めも・MEMO
三浦綾子記念文学館
オープニング式典
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上富良野町 十勝岳にて
口述筆記で執筆
『氷点』入選 受賞式
1964 年 7 月、朝日新聞社の懸賞小説
取材旅行
わっさむちょう しおかり
和寒 町 塩狩駅にて
三 浦 綾 子 記 念 文 学 館 は 1998 年 に、
営林署に勤めており、旭川市神楽にある
この『氷点』の舞台に建てられました。
「見本林(正式名称:外国樹種見本林)」は、
市民運動と募金によって設立され、今も
その管轄内でした。三浦夫妻はよくここ
うっ そう
公益財団(民営)で運営されています。
を散歩に訪れており、当時の鬱 蒼 とした
全国および海外からたくさんの方々が
雰囲気を気に入って『氷点』の舞台に選
訪れ、三浦文学の世界に浸っています。
び えい
びました。すぐ近くに美 瑛 川が流れてお
併設された喫茶室が好評で、ゆっくりと
り、ヒロイン陽子の姿、『氷点』の世界を
した時間を過ごされています。
1階ホール
三浦綾子記念文学館
「外国樹種見本林」の入口
三浦綾子の夫・三浦光世は新婚当時、
1階 第3展示室
追体験することができます。
メモ・めも・MEMO
2階 第4展示室
1階 第2展示室
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三浦綾子 略歴
1922 大正 11 年 4月25日
1952 昭和 27 年 30 歳
北海道旭川市に父堀田鉄治、母キサの次女、
脊椎カリエスの診断が下る。
10 人兄弟の第5子として生まれる。
小野村林蔵牧師により病床で洗礼を受ける。
1935 昭和 10 年 13 歳
1954 昭和 29 年 32 歳
旭川市立大成尋常高等小学校卒業。
前川正死去。
1939 昭和 14 年 17 歳
1955 昭和 30 年 33 歳
旭川市立高等女学校卒業。
三浦光世と出会う。
歌志内公立神威尋常高等小学校教諭。
1959 昭和 34 年 5月24日 37 歳
1941 昭和 16 年 19 歳
三浦光世と日本基督教団旭川六条教会で
神威尋常高等小学校文珠分教場へ転任。
中嶋正昭牧師司式により結婚式を挙げる。
旭川市立啓明国民学校へ転勤。
1961 昭和 36 年 39 歳
1946 昭和 21 年 24 歳
新居を建て、雑貨店を開く。
啓明小学校を退職する。
1962 昭和 37 年 40 歳
肺結核を発病、入院。以後入退院を繰り返す。
『主婦の友』新年号に入選作『太陽は再び
1948 昭和 23 年 26 歳
没せず』が掲載される。
幼馴染の結核療養中の前川正が訪れ交際が
1963 昭和 38 年 41 歳
はじまる。
朝日新聞一千万円懸賞小説の募集を知り、
1年かかって1千枚の原稿を書き上げる。
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1964 昭和 39 年 42 歳
朝日新聞一千万円懸賞小説に『氷点』入選。
朝日新聞朝刊に 12 月から『氷点』連載開始
−没後−
(翌年 11 月まで)。
1966 昭和 41 年 44 歳
2012 平成 24 年
『氷点』の出版に伴いドラマ化、映画化され
生誕 90 年を迎え、
様々な記念事業をおこなう。
「氷点ブーム」がひろがる。
2014 平成 26 年
『塩狩峠』の連載中から口述筆記となる。
『氷点』デビューから 50 年を迎え、様々な
1981 昭和 56 年 59 歳
記念事業をおこなう。
初の戯曲「珍版・舌切り雀」を書き下ろす。
10 月 30 日午後 8 時 42 分、三浦光世、敗血
旭川公会堂にて、旭川市民クリスマスで上演。
症のため、旭川リハビリテーション病院で
1989 平成元年 67 歳
逝去。90歳。
結婚 30 年記念CDアルバム『結婚 30 年の
ある日に』完成。
1994 平成6年 72 歳
『銃口』刊行。最後の長編小説となる。
三浦綾子記念文学館開館。
1999 平成 11 年 77 歳
10月12日午後 5 時 39 分、多臓器不全の
「三浦商店」の前で
1998 平成 10 年 76 歳
ため、旭川リハビリテーション病院で逝去。
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(2)三浦綾子の本の“書き出し”をご紹介
でいりゅう ち たい
『泥 流 地帯』
『氷点』
ひ
風は全くない。東の空に入道雲が、高く陽に輝やいて、つく
りつけたように動かない。ストローブ松の林の影が、くっきり
と地に濃く短かかった。その影が生あるもののように、くろぐ
ろと不気味に息づいて見える。
外は闇だった。
ほし かげ
星光一つ見えない。まるで墨をぬったような、真っ暗闇だ。
たくいち
あまりの暗さに、外に出た拓一は、ぶるっと体をふるわせる。
『ひつじが丘』
泳いでみたいような青い空であった。じっとみつめていると、
わ
しおかりとうげ
空の奥からたぐりよせられるように、細い絹糸にも似た雲が湧
『塩狩峠』
なが の のぶ お
ほんごう
明治十年の二月に永野信夫は東京の本郷で生まれた。
「お前はほんとうに顔かたちばかりか、気性までおかあさんに
いてくる。
昼食後、杉原京子は、教室の二階の窓によって、先ほどから
空をながめていた。
そっくりですよ」
祖母のトセがこういう時はきげんの悪い時である。
『細川ガラシャ夫人』
てんぽく
け にん
『天北原野』
すが い
き
の
菅 井 のお貴 乃 を見ろ、まだ十七だが、お貴乃は帯の結び方
えり
ひとつ、衿の合わせ方ひとつ見ても、ほかの娘とはちがう、と
うわさ
ハマベツ部落の若者たちは噂しあった。
いけがみこうすけ
その噂の主、菅井貴乃は、いま池上孝介に一歩遅れて、ゆっ
くりと砂山を登って行く。
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き
ば
家人たちが騎馬のけいこをしているのであろう。土塀の外を
き
大声で笑いながら、二、三騎駈けて行く音がした。
ひろ こ
はなれ
凞子はいま、病後はじめて、離室の縁にすわり、庭ごしに母
屋を眺めていた。うらうらとした春の日ざしが膝にあたたかい。
(あとひと月)
ひろ こ
凞子は病みあがりの肩をおとして、ほうっと溜息をついた。
三浦綾子 おもな作品一覧
(西暦は刊行年 ※一部を除く)
1962 『太陽は再び没せず』 1989 『それでも明日は来る』『あのポプラの上が空』
『生かされてある日々』『あなたへの囁き』『われ弱ければ』 1965 『氷点』 1990 『風はいずこより』
1966 『ひつじが丘』
1991 『三浦綾子文学アルバム』『三浦綾子全集』『祈りの風景』 1967 『愛すること信ずること』 『心のある家』
1968 『積木の箱』『塩狩峠』
『母』 1992 『道ありき』『病めるときも』 1969 1993 『夢幾夜』『明日のあなたへ』
1970 『裁きの家』『この土の器をも』
1994 『キリスト教・祈りのかたち』『銃口』『この病をも賜ものとして』
『続氷点』『光あるうちに』 1971 1972 『生きること思うこと』 『自我の構図』『帰りこぬ風』
『あさっての風』
1973 『残像』『愛に遠くあれど』『生命に刻まれし愛のかたみ』
『小さな一歩から』 1995 『希望・明日へ』『新しき鍵』『難病日記』
1996 『命ある限り』 1997 『愛すること生きること』『さまざまな愛のかたち』
『共に歩めば』
『死の彼方までも』『石ころのうた』
『雨はあした晴れるだろう』
『ひかりと愛といのち』
1998 『言葉の花束』
『太陽はいつも雲の上に』『旧約聖書入門』
1999 『三浦綾子対話集』『明日をうたう命ある限り』
『細川ガラシャ夫人』 1975 1976 『天北原野』『石の森』
2000 『遺された言葉』『いとしい時間』『夕映えの旅人』
『三浦綾子小説選集』
1977 『広き迷路』『泥流地帯』『果て遠き丘』『新約聖書入門』
2001 『人間の原点』『永遠のことば』
『毒麦の季』『天の梯子』 1978 2002 『忘れてならぬもの』『まっかなまっかな木』
1979 『続泥流地帯』『孤独のとなり』『岩に立つ』
『私にとって書くということ』
1980 『千利休とその妻たち』 2003 『愛と信仰に生きる』『愛つむいで』 1981 『海嶺』『イエス・キリストの生涯』『わたしたちのイエスさま』
2004 『「氷点」を旅する』
1982 『わが青春に出会った本』『青い棘』
2008 『したきりすずめのクリスマス』 1983 『水なき雲』『三浦綾子作品集』『泉への招待』『愛の鬼才』
2012 『丘の上の邂逅』『三浦綾子電子全集』 『藍色の便箋』
1984 『北国日記』
2014 『ごめんなさいといえる』
2016 『国を愛する心』
1985 『白き冬日』『ナナカマドの街から』
『嵐吹く時も』
『草のうた』
『雪のアルバム』
1986 『聖書に見る人間の罪』
1987 『ちいろば先生物語』『夕あり朝あり』
1988 『忘れえぬ言葉』『小さな郵便車』『銀色のあしあと』
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