(3)2017 (平成29)年3月1日号 中学生連載企画 ふるさと 松山学 №12 私たちの 1895 明治28 道後鉄道(道後~三津口)が開通する 1899 明治32 特別湯「霊の湯」 「又新殿」が完成する 1907 明治40 9月4日、亡くなる(80歳) 中段左から宮内 咲弥さん、佐々木 桜子さん、平木 遥さん、 村上 晴都さん、上段左から坂本 圭佑さん、横井 亮太さん、 先人と文化の読み物教材 下段左から松久 由奈さん、矢野 わか菜さん、平松 葵さん、 や 養生湯を改築、松湯・薬湯を新設 神の湯(一・二・三の湯)の起工式を行う ゆき 明治25 にわ 1892 さ 道後湯之町町長に就任する い 明治23 伊佐庭如矢 1890 道後温泉を改築 13 老 朽 化 が 進 ん で い た 道 後 温 泉 を 改 築 し、1 2 0 年 以 上 た っ た 今 で も 人々 から愛される建物にした伊佐庭如矢。ふるさとのためにさまざまな ことに尽力した如矢の功績について調べました。 愛媛県立高松中学校長を務める まつのゆ 明治16 億円 1883 入 ることので きる 松 湯、遍 路 や 病 人 用に 薬 湯 を 造 り、少 し ずつ町 民 たち を誠心誠意説得し、理解を得て、道後 温泉の改築を成し遂げました。 長男に家督を継がせ、別籍して伊佐庭 姓を名乗る ろう ばい か じゅく 明治元 「語り継 ぎたい ふるさと松 山 百話 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」 1868 老楳下塾の設立 度決めたことに最後まで努力できる人間になりたいです。 9月12日、生まれる 改築費用約 13 道後温泉を改築 1890(明 治 )年 に 道 後 湯 之 町の初代町長に就任した 如矢。当時の道後温泉は老朽化 が進んでおり、早急に改築する 必要がありましたが、財政難で 改築のためのお金がありませ ん で し た。そ ん な 中、如 矢 は 道 後 湯 之 町 は人 を呼 んで潤 すべ きだと考え、自分の給料を返上 して改築を行う決意をします。 23 13 道 後 温 泉の 改 築には 万5 0 0 0円(現 在 の 約 億 円〈※ 諸説あり〉 )かかると見積もった 如 矢。そ れ だ け で な く、改 築 費 を 集 め る た め、そ れ ま で 無 料 だった養生湯への入湯料を取る ことを決め、町民たちからは反 対の声が上がります。 如矢は 「1 よ そ 00年たっても他所が まねので きない物を造ってこそ意味があ る」と 強 い 意 志 を 持 ち、無 料 で 私たちも如矢を見習い、いろいろなことに挑戦して、一 文政11 如 矢は学問にも精 通し、1856 (安政 3) 年に私塾 「老楳下塾」 を設立、 約 1000人 の 弟 子 がいま し た。如 矢は町長になる前から親切心を持ち、 さ ま ざ ま なことに尽 力 し、人 々 から 信頼される人物だったことが分かり ます。 自信を持って諦めずにやり通す如矢は道後の誇りです。 1828 道後の発展のために 出来事 加賀山 高輝さん、村上 怜さん 第Ⅰ巻に伊佐庭如矢を収録 道後のために力を尽くし、反対されても自分の考えに 年号 年、道 後 から三津口をつなぐ 道 後 鉄 道を開通させました。また、道後公園 の 整 備 に も 取 り 組 み、努 力 の か い あって道後のまちはたくさんの人で にぎわうようになりました。 如矢はふるさと道後のために、強 い意 志を持って困難にも立ち向かい まし た。12 0年 以 上 たった 今でも 道後温泉がみんなから愛されている のは如矢の努力があったからです。 14 松 山の 先 人 や 文 化 に関 す る 心 に 響 くエ ピソ ー ド をまとめた教 材 集です。 一 話が 〜 ページ程度で、 気 軽に松 山ゆかりの先 人 の足跡や文化に親しむこと ができ、市立図書館で見る ことができます。 10 諦めずにやり通す力 西暦 如矢は観光客を増やし、町をさら に発 展させるため1895(明治 ) 【如矢の来歴】 28 総合的な学習の時間「道後を再発見しよう」で 如矢の功績を紹介 道後中学校 道後温泉本館
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