第7号テーマ - とっとり県民活動活性化センター

いまとこれから
のとっとりの
ための
ボランティア・
地域づくり・
う
ょ
き
う
NPOを考える
Tokyo
と
情報誌
いま と、
これから 。
[ 特集 ]
Tottori
公益財団法人 とっとり県民活動活性化センター
り
と
っ
と
特集 : Tottori と Tokyo
[ 特 集 ]
Tottori
と
ま
い
多
ん
ば
ち
い
が
人
と
ち
ま
い
な
少
ん
ば
ち
い
が
人
﹁もしも。あの時
。﹂
…
誰 も が、人 生 の 中 で あ っ た 分 岐
点を別の方に選んでいたらどう
な っ て い た だ ろ う?と 思 い を は
せるときがあるのではないで
し ょ う か。私 た ち が 暮 ら す こ の
鳥 取 は、全 国 で も い ち ば ん 人 が
少 な い ま ち。そ の 反 対 で い ち ば
ん 人 が 多 い ま ち は、お な じTの
頭 文 字 の ま ち﹁東 京﹂で す。も
し も あ の と き、東 京 の 大 学 を 選
ん で い た ら。東 京 に 就 職 し て い
た ら。そ ん な 選 択 肢 を 選 ん だ 経
験がある人もいるのではないで
しょうか。
今 回 の 特 集 で は、鳥 取 に 生 ま
れ育ち﹁今も鳥取に暮らす3人﹂
と、同じく鳥取に生まれ育ち﹁今
は 東 京 に 暮 ら す 3 人﹂に、東 京
の こ と、鳥 取 の こ と、そ れ ぞ れ
の選択肢が訪れた時のことを聞
き ま し た。今、思 い お こ し て み
ると、あなたにとって分岐点だっ
た 時 を 思 い 出 し な が ら、ま た は
これからの分岐点を思いながら
読 ん で、そ し て、同 じ く 分 岐 点
があったであろう友達や家族と
話してもらえると嬉しいです。
Tokyo ]
・・・ CONTENTS ・・・
と
[ Tottori
*東京の3人インタビー
・南井優希さん︵会社員︶ 4
・川戸万葉さん︵弁護士︶ 6
・千原博子さん︵ライター︶ 8
*鳥取の3人インタビュー
・福本こずえさん︵公務員︶ 5
可愛さん︵団体職員︶ 9
・上山梓さん ︵地域づくり団体事務局︶ 7
・尾
*インタビュー
2
3
﹁中島さん、 年たって、
どうですか?﹂ ︻ミニコラム︼
・いま、これ、ぶっく。 ・今日も、つまみぐい﹁いぎす﹂ ︻センターのページ︼
︼
ing
・理事長紹介﹁宮本京子﹂ ︻高校生
﹁自分の周りを
ちょっとだけ変えてみた。﹂ 10
12
12
14
13
10
ち
Tokyo
特集 : Tottori と Tokyo
関西弁をしゃべりたかったんです。
ています。
の勉強をし
最 近、政 治
一度ここを離れたらもう戻れない。
一概に単純な
幸せじゃない
と思うんです
けど。
東京は鳥取か
らかなり遠い。
鳥取に帰って仕事あるのか
なと揺れました。
からただ叩いても変わらないとい
らないとわからない、単純に外
何にしても、ちゃんと現場に入
いスタッフがいるんじゃないかな。
います。オフィスには一万人近
ですね。楽天株式会社で働いて
たまたま東京だったという感じ
より関西に出たかった。仕事が
大学受験の時は東京っていう
ないと思います。
から結局スピード感ではかなわ
ころが難しいし、時間がかかる
方で地方に行くとそれを得ると
きなだけどうぞって環境で、一
気さえあって学ぼうと思えば好
れません。東京って自分にやる
での幸せって自分の成長かもし
歩成長したなと感じます。ここ
んだっけって問いだす時期がある
懸命働いていて、私いま幸せな
にもまれていくと、ここで一生
けど、東京で何年も働いて社会
私の周りの子にも多いんです
治で盛り上げることに関わってい
く思います。将来的に地方を政
人が変えていかなければとすご
ど、知れば知るほどこれは若い
たからということもあるんですけ
す。自分がそのあたりに無知だっ
う事を今の会社で学びました。
んですよね。そんな話を聞いて
けたらとも思っています。
最近、政治の勉強をしていま
いるうちに、以前は鳥取で暮ら
なのかな。東京は自分の時間を
もう少し大切にするみたいな話
鳥取ってたぶん自分の時間を
のかなと思っています。
会人としての経験を積む時期な
込みつつも成長させる時期、社
した。今はまだ自分を多少追い
けど、少し考えるようになりま
いと思っています。
あげられるような生き方をした
たちだけでも最低限幸せにして
るということ。自分の近くの人
頑張ると一番、親が喜んでくれ
私の根っこにあるのは、自分が
いう気 持 ちがすごく強 いです。
いつでも待っていてくれる場所と
鳥取、というか両親ですけど、
すって全く考えてなかったんです
より仕事に使うような気がしま
す。
自分の知らないことを学んで、
それをちゃんと自分の仕事に活
東京はいい意味でも悪い意味で
が違う的な遠さ」もあります。
的なこともありますが、「
世界
と思うようになりました。距離
たときに、「
県外に行ってみたい」
てからですね。進学を考え始め
し始めたのは高校3年生になっ
け暮れていました。県外を意識
部に入ってフルートの練習に明
遊んだり、中学校からは吹奏楽
学校から帰ったら近所の友達と
小中学生の時は日々楽しく、
務しています。
祉 職 で、児 童 相 談 所 などで勤
りました。今は、鳥取県庁の福
職しようという気持ちが強くな
それがきっかけで地元に帰って就
さに気付き始めた気がします。
て、その頃から改めて鳥取の良
特に西部に行く機会が増えてき
それから実習などで鳥取県の
院に通い始めました。
いし」ということで島根の大学
れることを知って、「
鳥取にも近
たのですが、島根でも資格を取
かせたとき本当に楽しくて。一
も刺激がたくさんあって、頑張
とでも帰りやすい関西で進学を
ぎるのは寂しかったので、ちょっ
だ自分の場合、鳥取から離れ過
そうな場所だなと思います。た
える場所でもあります。
らかの形で恩返ししたい」と思
が、「
自 分 を育 ててくれて、何
と言ってしまえばそれまでです
私にとって鳥取は 「
ふるさと」
れば自分がすごく磨かれていき
決めました。
ます。
て、すごく揺れたような気がし
もいいところと悪いところがあっ
な」と考 えていました。どっち
のかな。関西にいた方がいいのか
きに、「
鳥取に帰っても仕事ある
ただ、いざ就職の事を考えたと
大学生活は楽しかったです。
思っています。
鳥 取 に恩 返 ししていけ たらと
スを通して、働く以外の形でも
ることです。自分の好きなダン
ダンスのワークショップを開催す
中で、鳥取の子ども達を対象に
めました。私の夢はこの活動の
いう団体を立ち上げて活動を始
」と
から友人達と 「 TUBE.Lab
「
恩返し」に向けて、昨年末
結 局、臨 床 心 理 士 の資 格 を
とりたくて、大学院に進学する
ことにしました。関西でも良かっ
4
5
@Tokyo
@ Tottori
帰る場所があるから、
東京で戦えている。
員
社
会
・
代
0
2
員
務
公
・
代
0
3
鳥取は、「恩返ししたい」場所 。
南井優希
福本こずえ
やっぱり東京が
ポジティブに
すごくいい意味で
弁護士として
働 い て い て、
今、4年目。
にいます。
人が地域の中
い、と思える
生きていきた
こういう風に
暮らすんだろうなと思っていました。
友達もいるし、鳥取でずっと
社会に貢献したい。
誰もが活躍できる
いいかなと思ったんです。
@Tokyo
@ Tottori
に鳥取に戻って働くためには手
就いたきっかけは、大学生の時
思います。そもそもこの仕事に
で鳥取に戻ってやってみたいとも
はどちらも変わらないと思うの
はあります。たぶん事件の性質
ろな仕事があります。やりがい
しています。それ以外にもいろい
相続と離婚は継続的に担当
す。
決まったので、それから東京で
まっていたんですよね。就職が
ほとんど東京とか大阪に出てし
いと不便だし、なにより友達が
しくないなと。車が運転できな
に帰ったのですが、思ったほど楽
期間というのがあって一時鳥取
司 法 試 験 が終 わった後、修 習
入籍しました。
延ばしにしていましたが、先日
都合なことがあるので入籍を先
苗字が変わると仕事上でも不
ばかりしているので。
です。私はほっておいたら仕事
プライベートが充実して楽しい
彼の友達など知り合いが増えて
先 月 結 婚 式 を挙 げ ました。
か模索中です。
と思っていて、何をすればいいの
そういうことがない社会にしたい
れは間違っていると思うんです。
ることがあるじゃないですか。そ
たり、不利益な取り扱いを受け
力に関係ないところで差別され
と思いますが。自分の能力や努
ろんなマイノリティの人もそうだ
私が戻ってやりたいなと思ってい
人 とかそんな時 代 だったので、
県には女性弁護士は1人とか2
決めたんですけど、その時鳥取
て。大学2年生の時になろうと
みごみしているし。ご近所付き
ニティはあるんだけど、なんかご
友達もいるし、そういったコミュ
いと思っています。
仕事もあるし、
ないですけど、安住の地ではな
東京は楽しいところかもしれ
に職がある方がいいかなと思っ
たんです。そうしてる間に増え
合いはあまりないですね。老後
ありますね。でも3年生で芸術
白そうかもと思っていた時期は
過ごす中で、外の世界の方が面
鳥取大学で県外出身の友達と
う気 持 ちは全 くなかったです。
高校生まで県外に出たいとい
に生きられる環境づくりに関心
り巻く環境、子どもたちが自由
思っています。特に子どもを取
はもう少ししっかり描きたいと
ています。自分のライフワーク
の事務局などいろいろなことをし
地域づくりのプロジェクトチーム
は鳥取で暮らしたいです。
たみたいなので、急いで戻らな
くてもいいかもしれないなと。
仕事で離婚を扱っていて思う
のは、今の社会はいろんな面で
女性が我慢しなきゃいけないで
社会学の先生に出会って見方が
があります。
すよね。女性だけに限らず、い
変わりました。自分の住んでい
であっても、それぞれ特色はあ
世界も面白いけども、結局どこ
方が面白いなと。もちろん外の
ばいいんだ、と。
そうじゃなくて一緒にやっていけ
けないって思っていたんですけど、
自分でなにかを作らなきゃい
る町でなにかを積み重ねていく
るにしても、やることは同じじゃ
時に湯梨浜町に移住して、「
た
鳥取市出身で、大学3年生の
めや」は週1回開けていて、近
いて、幸せです。この直売所 「
う
すよね。すごく楽しく暮らして
ないかと思うようになりました。
み」というシェアハウスに住んで
所 のお年 寄 りがやってきます。
幸せは他のところにはないで
いました。今は町内の他の所に
おばあちゃんは耳が遠くて大声
皆ボランティアで利益は求めて
がします。大学生までは実家で、
じゃないと聞こえないんですよ。
住んでいます。移住者なのでゼ
窮 屈 で正 直、実 家 周 辺 は嫌 い
昔 は話 さなかったんですけど、
いなくて、自分が楽しいなと思っ
だったんですよ。それがたぶん
ここに来てからすごい笑うように
ロからの関係づくりなんですが、
松崎来てからかな、良さも悪さ
なって。笑顔がカワイイんです
てやってる。さっき外を歩いてた
も含めてちゃんと見えるように
よ。本当に。
この町は受け入れてくれる感じ
なってきました。
こども園に行ったり、小中学
生の宿題をみたり、塾の先生や
6
7
局
務
事
体
団
り
く
づ
域
鳥 取 は、戻 れ る 場 所。最 終 的 に
受け入れてくれるところ。
士
護
弁
・
代
0
3
上 山 梓
2 0 代 ・ 地
自分でなにかを作らなきゃいけないって
思っていたんですけど、そうじゃなくて
一緒にやっていけばいいんだ、と。
川戸万葉
住んでいる感じ。
特集 : Tottori と Tokyo
東京暮らしは実家
のある鳥取での生
活より長くなった
かもしれないです
鳥取にはバレエ以外の
ダンス教室がなくて。
東日本大震災の
4 か 月 後、鳥 取
鳥取で撮影
近は鳥取に帰る頻度を多くしよ
いけど、鳥取にも住みたい。最
るんですよね。東京にも住みた
なという気持ちが大きくなって
れが少しずつ、鳥取に帰りたい
京の方が楽しいと思っていて。そ
にかく出たいと思っていたし、東
かったんです。高校生の頃はと
職してからはそんなに帰ってな
ちょうど半分くらいかな。就
くことにしたんです。
ずこれらをひたすら保存してい
るんだろうと考えて、とりあえ
事なことだなと。私に何ができ
りするそうで、保存するのは大
いつの間にかなくなってしまった
あって、それからです。写真も
ういう写真をお借りする機会が
に、たまたま写真家の方からそ
寄せてる写真とか。約1年半前
達と何気なくご飯食べに行った
思ったり。あと家族や兄弟や友
でき る時 間 がありがたいなと
に散歩に行ったりして、ぼーっと
のが見えてきました。打吹公園
鳥取っていいところだなという
ウドファンディングを活用して修
手伝えることはと思って、クラ
よう、となったんですね。私も
地震の際に被害を受けてどうし
それは聞 いていたんです け ど、
ペースを作りたいと言っていて、
倉吉市内に母がコミュニティス
リーランスになったんです。東京
こともあるし。結婚してからフ
社から仕事をもらったりという
書いています。前に働いてた会
すけどね。たまに鳥取のことも
いろんな仕事をしているんで
にできるんだったら何かやりたい
らしていなくても、鳥取のため
がとても嬉しかったです。今暮
大切に思ってくれているというの
ジをくださいました。みんなが
見た方、いろんな方がメッセー
方やお世話になった方、新聞を
きて、独学で始めて、今もセミ
はりダンスを習いたいという気持
志望大学が東京だったのと、や
憶があります。高校生の頃には、
えるのにな」と漠然と思った記
に住んでいたらダンス教室に通
に憧れを持っていました。「
東京
り始めて、バレエとは違う踊り
同時期にブレイクダンスも流行
センターにご縁をいただき、初
であるとっとり県民活動活性化
をしました。その時に今の職場
続 けながら、鳥 取 で就 職 活 動
わけではないのですが。作詞を
かりません。したいことがあった
た。きっかけは自分でもよく分
突 然 鳥 取 に戻 りたくなりまし
5年半ほど東京で働いた後、
市民活動について学びながら仕
「切っても切れない場所」です。
うと思っています。
りとか、そういうことだけでも
理費用を集めることになりまし
は、そういう意味ではいろんな
という人は多いと思います。
た。倉吉で過ごしたことのある
なんか幸せ。
人と出会う機会が多いので、仕
事もつながりやすいかもしれな
いですね。
された古い
写真を集め
昭和初期頃の写真を集めてい
子供の頃は特に東京への強い
プロ的に作詞をしています。
ちがあったので東京に行きたいと
めは 「
NPO?地 域 づ く り?」
ラシックバレエを習い始めた頃、
憧れはなかったです。ただ、ク
ます。梨狩りにバスで人が押し
ています。
海外への
憧れ、
ダンス、
音楽。
思っていました。
東京に進学してからはダンス
事をしています。
という感じでしたが、今は日々
スクールにも通っていましたが、
海外への憧れもあって、卒業後
私 にとって鳥 取 とは 「
切 って
東京や、ニューヨークにいようと、
約2年間ニューヨークのダンス専
んでいたんですけど、この頃から
そこは第二の故郷にしかなりえ
も切れない場所」です。それは
徐々にダンスから音楽へと興味の
ず、家族がいて生まれ育った場
攻がある大学へ留学しました。
中心が変わっていきました。
所、第一の故郷は鳥取しかあり
マイナスなイメージではなく、
帰国後は音楽関連の仕事を
ません。鳥取に貢献なんて大き
高校時代からマイケル ・ジャク
したいと思 っていましたが叶 わ
なことはできないかもしれません
「
切れない」というより 「
切りた
ず、大阪のテレビ局に就職。そ
が、出来る仕事を1つでもこな
ソンのライブや 他 にも 様 々な
の後、東 京 の音 楽 産 業 ・文 化
していけるよう精進していきたい
くない」という感じです。例え
振 興 財 団 に転 職 しました。帰
と思っています。
アーティストのライブに足を運
国してから作詞に興味が湧いて
8
9
に戻りました。
員
職
体
団
・
代
0
4
鳥取は、帰る場所。
私にとって鳥取とは
ー
タ
イ
ラ
・
代
0
3
尾﨑可愛
@Tokyo
@ Tottori
千原博子
ね。
特集 : Tottori と Tokyo
]
げて 年。
町内に鳥の劇場を立ち上
2006年 に鳥 取 市 鹿 野
させられるかを考 えまし
の課題と劇場活動をリンク
実して生きていけるか、そ
コミュニティをつくって、充
そも劇場の仕事が何かとい
ちの社 会 の場 合 は、そも
ている。けれど一方、私た
劇場の仕事の領域が決まっ
を持とうと思ったんです。
それだとすると、まずは場
か食っていけたら一番いい。
なんですが、それでなんと
自分にとってはそれが演劇
人より比較的できること、
いまでに身に付けたことで、
だったのでしょうか?
と思 われたのはどうして
そもそも、 鳥 取 でやろう
であるということが、大事
ネルギーをやり取りする場
のであり、劇場は生身のエ
演劇は人と人が出会うも
産業もない。そうした中で、
鳥取は人口も少なく強い
想 が、新 自 由 主 義 です。
会を回していこうという発
域に及ぼし市場によって社
という考 えを、生 活 全 領
ものだけが価値あるものだ
市 場 の中 で生 き残 れる
た。
たんです が、自 分 たちも
劇祭は2008年から始め
的に関わりました。鳥の演
た。地 域 の行 事 にも積 極
売 り的 な感 じで始 めまし
ワークショップなんか押し
うということで、学校での
そうなことはなんでもやろ
在にはならないです。やれ
的な出来事、社会的な存
人しか来てくれない。社会
けでは芝 居 に関 心 のある
居をやる場ですが、それだ
う定 義 もない。劇 場 は芝
う少し社会的位置づけの
けのブロードウェイと、も
アメリカだと商業的位置づ
国 によって違 うんですが、
は圧 倒 的 に都 市 型 です。
劇場というのは、日本で
みかなと思ったのですが。
を劇場が作れると思ったん
義によっては作れない価値
んじゃないか。市場万能主
しての劇場ができればいい
とについて考えていく場と
ちの未来とか、そういうこ
のコミュニティとか、自分た
ています。ベンチャーは持っ
活動はベンチャーだと思っ
に進みました。私はNPO
れる手 応 えを元 手 に、次
とも実際にやってみて得ら
を理解しました。どんなこ
ることで演劇祭というもの
地域の人たちも、やってみ
とか反 省 も含 めて少 し返
れ、手 応 えがある。失 敗
類の人がいるということで
の広がりの中にいろんな種
鳥 取 県 の特 徴 は、その輪
し ず つ理 解 者 が 増 え る。
懸命発信していくことで少
んです」ということを一生
ためにこういう意味がある
ない。「
この事業は未来の
言語化していかなきゃいけ
どうやって自分たちなりに
立的に生きていくかです。
域がこれからどうやって自
同 じだと思 います が、地
あったのは、この情報誌も
想を作る際に問題意識に
あります。劇 場 活 動 の構
て、新しい価値=幸せを発
を社会の中でうまく生かし
とです。その中で、アート
得なくなってきたというこ
幸せとは何かを考えざるを
生きるとはどういうことか、
かい?と。人間がより良く
この社会のあり方でいいの
な課題が山積している今、
な充 足 を通 過 して、様 々
確 立 しているところだと、
に地 域 での劇 場 の役 割 が
例えばヨーロッパのよう
れたりされたんですか?
何 か特 別 なことを取 り入
場 を作 り始 められた際 に
鳥 取 に都 市 型 ではない劇
ただ、これは自戒も込めて
盛 んになったと思 います。
アート活 動 が全 般 的 に
と思うことはありますか?
と思うようになりました。
後の世代に残していきたい
場のあり方をなんとかして
てくださっていて、この劇
本当にいろんな形で応援し
違う反応が周りから得ら
口だけで言っていた時とは
体 化 する。やってみると、
はある。それをともかく具
思いと、突出したアイデア
も豊富ではない。ただ強い
も、人 的 資 源 もアイデア
ているものが少ない。お金
りがある。それを使ってま
す。絶 対 数 は多 くなくて
見し社会を変えていくこと
なんですが、どこかで行わ
年間で鳥取が変化した
た次の出来事を起こすとい
もいろんな人が入ってきて
につないでいきたい。
われる地域の劇場が両方
です。
す。人間やはり 歳くら
歳 だったんで
その 「
場」を鳥 取 に作 ろ
だと思いました。自分たち
40
リージョナルシアターとい
40
その時
うというのは思い切った試
10
商品はみんながパッと飛び
事なことがあって、我々の
す。それから、もう一つ大
ニークなものにできるかで
ですから、どうやったらユ
我々にとっては事業が商品
ようと思いつくこともある。
や海外から何かを持ってこ
算できることもある。東京
ていくこともあるし、掛け
一つ一つがそれぞれ発展し
業のあり方を決めていく。
していく。その中で次の事
人間関係が増え信頼が増
財 産 です。実 施 を通 じて
まずは得 られた信 頼 が
一つ一つ確かめながら?
手 触 りとか手 応 えとかを
返ってくるものの反応とか
す。
うことを繰 り返 していま
いかと思っています。
の力になればいいんじゃな
す。それらがうまく鳥 取
な活 動 が進 んでいる事 で
野なども含みながら、様々
まり興味を持たなかった分
ど多くの人がこれまであん
からもう一つは、アートな
数こなしていくこと。それ
として、いろんな役割を複
にリーダー、時にフォロワー
んな顔 を持 ちながら、時
取の良さは、みんながいろ
的にそういうものです。鳥
がいいんです。人間は本来
一人が複数の顔を持つの
よくありますよね。
役もしているということは
場合もあるし、 一人が何
関わらざるを得ないという
くれます。
もう一つは、みなさんが
ています。
高めることが出来たと思っ
を生 かすための専 門 性 を
深 い可 能 性 を知 り、それ
作ることが出来る。演劇の
ながりを、演 劇 や劇 場 は
んな人の心の動きや心のつ
対して信頼が増した。いろ
表現が作り出す関係性に
き た。逆 に言 うと、演 劇
りがいい意味で緩くなって
ク体の 「
芸術」へのこだわ
なくなってきました。ゴシッ
ることに対してためらいが
に「
何 か」を掛 け 合 わせ
変 わりません。が、演 劇
大事なものだということは
自分にとって演劇が一番
したことはありますか?
す。
ランスでも 公 演 を行 いま
む 「
じ ゆ う 劇 場」は、フ
んなで演 劇 創 作 に取 り組
障がいという壁をこえてみ
は 中 国 でも 公 演 します。
めていきたい。2017年
す。教 育 との関 わりも深
張 っていこうと思 っていま
てもらえるように今後も頑
より多くのお客さんにみ
さい。
今 後 の予 定 を教 えてくだ
いるかが大事です。
で考えられた試みになって
大 事 だけど、本 当 の意 味
るためにはファッション化も
思います。多くの人に広げ
借り物にならないようにと
れているイベント のマネ、
つきやすいものではありま
高度経済成長の物質的
年間で中島さんが変化
せん。意味をわかりやすく
10
イ
[ ンタビュー
演出家 ・ 鳥の劇場芸術監督
中島 諒人
中島さん、
10 年たって、
どうですか?
10
11
10
鳥の劇場
特定非営利活動法人
東京から鳥取に戻り、鳥の劇場を立ち上げられた
中島さん。あれから10年。今の心境を聴きました。
いま、
これ、
ぶっく。
紫波町は公民連携という新しい手法で、
を綿密な取材に基づいて伝えている。
ルプロジェクトの始まりから現在まで
うか。この本は、岩手県紫波町のオガー
ついて、どんなイメージをお持ちだろ
という。私たちが暮らす地域の将来に
護人材が不足し、介護難民が発生する
京圏も将来、高齢者人口に対して、介
地方の衰退がいわれて久しい。片や東
ザ イ ン な ど、特 徴 は い く つ も あ る が、
ルコートの建設、ライフスタイルのデ
も﹁まちづくり﹂だ。専用バレーボー
ことが書いてあるが、主題はあくまで
しかし、同書にはもちろん、図書館の
高い。
た活動を行い、図書館関係者の評価も
示を行ったりと、地域の特性を生かし
置いたり、農家にスポットを当てた展
しをしたいかということをベースにま
想いは﹁地方って、東京の真似する必
ある。
ちづくりをしていけば、トップランナー
塩漬けされていた駅前の広大な町有地
この本に興味を持ったきっかけは紫波
になれるんです。
それが本当の自治です﹂
要はなくて、自分たちがどういう暮ら
町図書館だった。産地直売を行ってい
︵本文まま︶に集約される。どう受け止
を再生させたことで全国的にも有名で
る紫波マルシェと複合施設として同居
めるかは、私たち次第だ。
ていた日本画︵水墨画︶や
退職後は、若い頃からやっ
長 で、定 年 退 職 し ま し た。
た。最後は中部総合事務所
館長もさせていただきまし
梨記念館や倉吉未来中心の
にも携わり、鳥取二十世紀
その後、文化・観光関係
ります。
思ってしまうことも多々あ
す れ ば い い の に﹂と つ い
出 し て き て、﹁も っ と こ う
﹁情 熱﹂が ふ つ ふ つ と 湧 き
ターをみていると当時の
な の で、今 の 活 性 化 セ ン
黒 子 の よ う な 役 割﹂で す。
ていく﹂、﹁目立つことなく、
)
猪谷千香(著)
電話 0857-26-8155
皆さんはご存知でしょうか。一体全体どんな食べ物?と思う方
も少なくないかも知れません。言葉の響きから想像するのは難
しいこのいぎすの正体は、実は海藻。いぎす草という海藻と水
だけが原料のヘルシーフードなのです。このいぎすを扱うお店、
その名も「いぎす屋」さんを訪ねました。お話を伺ったのは、
伊田久美恵(いだくみえ)さん。10 年ほどこのお仕事をされて
そのためにまずは﹁信頼
とが大事だと思います。
体の方々を支援していくこ
み、寄り添って各地域、団
があります。地域に入り込
業だけでは支援の幅に限界
か、講座の開催といった事
域に密着してやっていける
ると思います。いかに各地
伴走型支援、これにつき
うべき役割について日々考
ていきながらセンターが担
職員ともそういった話をし
ならないのか、現場にいる
して何をしていかなければ
か、そのためにセンターと
域社会にしていきたいの
に、どういった鳥取県、地
それから職員の方と一緒
ります。
能力を高めていく必要もあ
り、職員一人一人の支援の
が支援をしていくにあた
りません。また、当然です
けるように努めなければな
の﹁信頼関係﹂を築いてい
も日ごろから地域の方々と
はできません。そのために
鳥取県中部を中心に昔から食されている伝統の味「いぎす」
。
関 係﹂、こ れ が な い と 支 援
センターが
担うべき役割とは?
した。
くりや地域役員をしていま
岩崎武史︵鳥取県立図書館 司書
し、農業支援を行っている。マルシェ
年
で売られている野菜の隣にレシピ本を
これまでの経歴は?
私は、県職員として
間勤務しました。その中で
農林水産部の仕事が一番長
く、出発は生活改良普及員
という仕事でした。農家の
方に寄り添って農家生活の
改善を行う仕事をしていま
し た。農 家 の 方 の 立 場 に
立って、時に客観的な目で
見ながら、一緒になって課
題を解決していく、非常に
やりがいのある仕事でし
た。今のとっとり県民活動
活性化センターと仕事の内
生花を楽しみながら体力づ
いぎす屋さんの作業内容はいたってシンプル。漁師さんから
仕入れた乾燥いぎすのゴミを丁寧にとって袋に詰めて売るもの。
これが一つ。そしてもう一つは洗ってゴミをとって水で煮て固
めて売るものです。これは寒天と同じで火にかけて混ぜると溶
けてどろっとするいぎす草の成分を利用したもので、最後にバッ
トに取って冷やして固めて切って完成。これがお惣菜コーナー
して活用していただければ
に活性化センターに連絡を
ということがあれば、気軽
ん な 地 域 活 動 を や り た い﹂
いたいと思っています。﹁こ
活動が県内でも増えてもら
されていきます。そうした
は今後さらに、活躍が期待
ア、NPOな ど の 市 民 活 動
地域づくり、ボランティ
さいごに
えていきたいと思います。
いるそうです。
と思います。
12
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に並びます。
「箸やすめ的な存在かなあ」という伊田さんの言葉の通り、酢
その4
味噌や生姜醤油でさっぱりいただく喉ごしの良いこのいぎす。
夏場は需要が多く、とても忙しくなると言うのも頷けます。
「 い ぎ す 」。
食事中、ちらっといぎすを見て、次はいぎすだな、
、
、と思い
とっとり県民活動活性化センター理事紹介
〒680-0017 鳥取市尚徳町 101
出版社:幻冬舎
ISBN-10:4344030095 ISBN-13:9784344030091
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容が共通する部分がありま
理事長
38
とっとり県民活動活性化
センター
す ね。﹁寄 り 添 っ て 解 決 し
公益財団法人
鳥取県立図書館 http://www.library.pref.tottori.jp/
まちの未来をこの手でつくる
紫波町オガールプロジェクト
宮本
京子
M
N o w , th
is , b o o
ks
ながらお肉やお魚を味わう。決してメインにはならないけれど、
食卓にあると安心する存在なのかもしれません。いぎすの正体、
それは頼もしい名脇役、と言ったところでしょうか。
Vol.07
自分の周りを
ちょっとだけ
しは社会や地域をよくできる
で も、ド イ ツ で﹁自 分 で も 少
留 学 す る ま で は そ う で し た。
の 感 が あ り ま す よ ね。自 分 も
わ け な い﹂
、ど こ か﹁人 任 せ﹂
分 で は 何 も で き な い。で き る
し て い ま し た。日 本 で は﹁自
気 で 考 え、時 に 行 動 ま で 起 こ
よ く す る に は﹂に つ い て、本
という思いもあります。
越えて交流できたら面白いな
交 流 が な い の で、学 校 の 枠 を
つ な が っ た り、学 校 間 同 士 の
地 元・地 域 の 良 さ の 再 発 見 に
て欲しいと思いました。また、
の友達にもこのことを体験し
と 得 る も の が あ り ま す。日 本
で す が、し ゃ べ る こ と で 色 々
意見はあまり言いたがらない
変えてみた。
ん だ﹂と 感 じ る こ と が で き た
た。そ れ か ら、一 番 大 き か っ
﹁かっこいい﹂と思っていまし
域 で 活 動 し て い る の を 見 て、
さいときから母親や父親が地
影 響 が 大 き い と 思 い ま す。小
域に興味を持ったのは両親の
自分が住んでいる社会や地
し ゃ べ る だ け で す。そ れ を 2
マについて﹁気楽に、自由に﹂
∼5グループに分かれて、テー
で す。内 容 は シ ン プ ル で、4
そ の 一 つ が﹁と り ト ー ー ク﹂
よう﹂とずっと考えてました。
りが少しでも変わることをし
本 に 帰 っ た ら﹁何 か 自 分 の 周
こ の 留 学 で の 体 験 か ら、日
したいと思っています。ただ、
一 度﹁と り ト ー ー ク﹂を 開 催
な の で、卒 業 す る ま で に も う
なか一歩が踏め出せない様子
る こ と で す。と は い え、な か
や り た い﹂と 言 っ て く れ て い
は、後 輩 た ち が﹁引 き 続 い て
感 じ る こ と が あ り ま す。そ れ
の周りが変わり始めたかなと
ほ ん の 少 し だ け で す が、自 分
んです。
たのは留学を経験したとこと
∼ 3 回、メ ン バ ー、テ ー マ を
その際は自分はあくまでサブ
今回は鳥取県中
部 を 中 心 に 学 校、
年齢を越えて
﹁し ゃ べ り あ う﹂
場をつくろうと
奮闘している倉
吉東高校3年生
の衣笠さんをご
紹介します。
で す ね。ド イ ツ に 1 年 間 留 学
変えて行うというものです。
ん で い る 社 会、地 域﹂に 対 し
そ の 一 つ が﹁自 分 た ち が 住
たな気づきや学びを得ること
持 っ て 周 り と 話 す こ と で、新
ドイツでは常に自分の意見を
これをやろうと思ったのは、
思ってます。
業後もサポートできたらと
動 を 続 い て い け る よ う に、卒
いという後輩がいる限りは活
た い と 思 っ て い ま す。や り た
き ぬ が さ
け い こ
さん
︵3年生︶
衣笠慶子
鳥取県立倉吉東高校
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﹁と り ト ー ー ク﹂を 通 し て、
し て い た の で す が、日 本 と 考
て の 考 え 方 で す。ド イ ツ で は
が 多 く あ り、自 身 の 成 長 に 繋
的なサポートする立場で関り
同年代の子達が、
﹁自分たちの
が り ま し た。日 本 だ と 自 分 の
え方が全然違うんです。
住 ん で い る 社 会・地 域 を よ り
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いまとこれからのとっとりのためのボランティア ・ 地域づくり ・ NPO を考える情報誌
「いまと、 これから。」
2017 年 1 月 30 日発行(第 7 号)
発行:公益財団法人 とっとり県民活動活性化センター
発行人:宮本京子 編集人:毛利葉 取材・編集:寺坂純子、椿善裕、池淵菜美、谷祐基、尾 可愛、世瀬あけみ、
上山梓、谷まゆみ、小谷真之介、梅野みぎわ
デザイン:石原達也 写真:市川貴美江
お問合せ:公益財団法人 とっとり県民活動活性化センター
〒682-0023 倉吉市山根 557-1 パープルタウン 2 階
TEL 0858-24-6460 FAX 0858-24-6470
E-mail [email protected] URL http://tottori-katsu.net/ 【編集後記】
「東京」は私の生まれ故郷。都市化がす
すむ新興住宅地であったが、空き地の原っ
ぱや秘密基地をつくった鎮守の森で日が暮
れるまで遊びまわっていた武蔵野の夕焼け
空は忘れられない。
「鳥取」は思春期を過
ごした第2の故郷。つらいとき、心がモヤ
モヤしたときには一人で浜によく出た。海
から聞こえる波の音は体全体を心地よく叩
き続け、心は次第に落ち着いていった。さ
びしい海はさびしい心を癒してくれた。
今回の特集は「鳥取」と「東京」だった
が、暮らす場所を「選ぶ」ことができると
いうことは幸せなことだなと感じた。その
人の「かけがえのない個性」が輝くための
「かけがえのない地域」を今ここでつくる
こと、それが私たちのめざす 自治 とい
うものなのかもしれない。
(毛利葉)