(1) 2017 年 2 月 (第 472 号) 【発行】カトリック古賀教会 広報部編集 〒811-3112 古賀市花見東 2・23・1 Tel(092)942-2171 Fax(092)944-6928 「逃げる二月になりました」 ジュード・ピリスプッレ神父 2017 年が誕生して早、一ヶ月が過ぎてしまっています。二月は 短い月で、 「二月は逃げる」と言われているとおり、もっと早く終 わってしまいます。 昨年の記事にも書いたように、忙しくしている方は、 「時間が早 くすぎている」と感じることが多いと思います。 少し調べましたが、「宇宙ステーション NASA」の飛行速度は 28,000 ㎞/h、普通のジェット飛行機は 9,500 ㎞/h、日本の新幹線 は 300 ㎞/h、市販車で速い車は 350 ㎞/h。 ファルコンズ鳥が空から降りるときの速度は 320 ㎞/h、チタ虎は 110 ㎞/h、ウサイン・ ボルトは 44.72 ㎞/h, 普通の人の歩くスピードは 3.6~5.4 ㎞/h,(ちなみに私のスピ ードは7㎞/h )カタツムリのスピードは 0.0099 ㎞/h です。 このように人が造った物が動いている時、神様が造られた物も動いています。その 中で人間は「早く、早く」と言うことで世界の動くスピードに負けないようにと動い 巻頭言 時は流れ・・・生かされて たどりついた古賀教会 転入のごあいさつ アクセス ・・・・・ ・・・・・ 1~2 2~3 3~4 4~5 5~7 委員会報告 ・・・・・ 8 ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ (2) カトリック古賀教会 ています。 「時間が早く過ぎている」と感じているわたしたちにこのような聖書の言葉が色々 考えさせることになるのではないでしょうか。 ペトロの第二の手紙 3:8-9 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のよ うで、千年は一日のようです。 ある人たちは遅いと考えているようですが、主は約束 の事実を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が 悔いあらためるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです。 コヘレトの言葉 3:1-8 何事にも時があり天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 生まれる時、 死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、殺す時、癒す時、破壊する時、建てる時、 泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠 ざける時、 求める時、失う時、保つ時、放つ時、裂く時、縫う時、黙する時、語る時、 愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。 マタイ 24:35 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びることがない。 神様がくださったこの大切な時間を大切に使いながら過ごしてまいりましょう。 「時は流れ・・・生かされて」 ヨゼフ 藤武 茂(東区・新宮) まだ暑い陽射しがちりちりと身体を射す夕暮れ時、その日の最 終目的地の建物がゆらゆらとゆらめく陽炎の中ようやく遠くに見 えてきた。想像していた以上に建物は大きい。静まりかえって誰 も居ない聖堂に跪き、いつものようにロザリオを繰り祈りを捧げ る。当時住んでいた熊本から故郷の大分を経由し、大分教会青年 会の仲間達が見送る中、別府港から神戸へ。京都一条戻り橋を出 立して日本二十六聖人が歩かされたであろう道を、旧山陽道を一 人でひたすらロザリオを繰りながら歩き続けて来た。一級の重い障害を背負って三年 目。今から丁度三十年前の夏。 僅か十二歳の少年ルドビコ茨木を見た役人、寺沢半次郎の棄教の勧めに「つかの間 の命と永遠の命を取り替える事はできない」と答えたルドビコ少年の信仰の強さに心 打たれ涙し、その強さの一端を知りたくて歩き続けて来た。京都を出て何日目だった ろうか・・・?もう三十日近く経っていた。司祭館を訪れ、対応された日本人の神父 平成 29 年 2 月 カトリック古賀教会 (3) 様に、それ迄同様カトリック信者である事、旅の主旨そしていつもの如く幼稚園の軒 先等で野宿の為のテントを張らせて欲しいと請い願うと、信徒会館の二階の一室を貸 してくださった。三十年前の夏、これが私と古賀教会との最初の関わりである。数年 後にまさかその教会所属の信者になるとは、その時には夢にも思わなかったが・・・。 数日後、被爆二世でもある私が西坂の丘にたどり着いたのは、奇しくも長崎平和記念 の雨の夜。京都を出立し て三十三日目だった。二 十六聖人の像の前に跪き、 雨の中私は溢れる涙を止 められず声を出して泣い ていた。苦しみのそして 悲しみの涙。無上の愛に 包まれ彼等は神のもとへ。 私は翌日から日常の戻り 夜になれば布団の中へ。 自身の信仰心の弱さを思 い知らされ、彼等にその 信仰の強さを私にも下さいと願う悲哀の涙。 紆余曲折を経、数年後縁あって初めて住んだ福岡の地が、糟屋郡古賀町(現在の古 賀市)途中博多駅近くに住み遠去かった時期はあつたが、再び古賀教会所属となって 二十数年。一見健康そうに見られてしまう事が多々あるが、三十数年前に背負った心 臓の障害に加え、右耳は完全失聴。左耳は補聴器なしではほぼ聾。更にこの十年の間 に右目失明、両脚ともに不自由になり平成二十九年の年明けより、心臓に四つ目の重 い障害が発生。神は・・・この私に、まだこの地上で苦しみ足りない!この地上で十 字架を背負って祈り歩き続けなさい!と仰っておられるようである。古賀教会の皆さ まと共に・・・。私の敬慕するフランシスコの言葉“慰めらるるを求めずして慰むる 事を。愛さるる事よりも愛する事を”の言葉と共に。 「たどりついた古賀教会」 ヴァレンティーナ 米丸恵美(古賀) 私の母が昨年他界し、それまで訪れたことがなかった古賀教会で通夜、葬儀ミサを あげてもらいました。母は長崎市で生まれ、元々カトリックの一族でしたが結婚して から父の転勤等もあり、特にご縁のある教会はなかったようです。私は誰かに勧めら (4) カトリック古賀教会 れたわけではありませんが、18 年前に当時住んでいた鹿児島で洗 礼を受けました。カトリックとの出会いは母を通してです。私が 幼い頃から母はよく聖書の話などしてくれました。私は漠然と聞 いていましたが、母が時々お祈りしている姿などからカトリック に興味を持っていました。母の持っていたロザリオを見た私は、 十字架につけられたイエス様の姿が子供心にショックだったので、 「この人はどんな悪いことをしたの?」と聞いた覚えがあります。 母の答えを聞いても当時の私には納得できませんでした。悪い事をしていないのに、 むしろたくさんの人達を助けてきたのにナゼ…といった感じです。私が洗礼を受けよ うと決意したのは、学生のときに母の父が亡くなった時でした。私は洗礼を受けない といけないという強い使命を感じました。祖父のメッセージだったのかもしれません。 そして私は、社会人になり洗礼を受けましたが、3年程で教会を離れてしまいました。 7年前古賀に移り住んできた時に母と「カトリック教会が近くにあるねえ」と気にな っていました。そして母は「そのうちね、教会に行ってボランティアするんだ」と笑 顔で言っていました。私は母に「その時は私も一緒に行くよ。」と言いました。家から 歩いて10分もしない、それでも近くて遠い古賀教会だったのです。母が亡くなり、 母の実家の近くの教会で葬儀ミサをしてもらうつもりが、ちょうど復活祭だった為に 長崎の教会ではとりおこなわれないということで、母と私が初めて古賀教会に一緒に 来れたわけです。それとも母と私が古賀教会にたどりつくのは決まっていたことなの でしょうか…。 最近、教会の香部屋係に声をかけてもらい私も加えていただきました。月に一度だ けですが教会という共同体に参加できてありがたいと思いました。今、私がここにい るのは意味があるのだと思えるので、古賀教会の皆様と過ごせる時間を大切に生きて いきたいです。 これからもよろしくお願いいたします。 「転入のごあいさつ」 マリア・カタリナ 吉田 加穂子(赤間・自由ケ丘) 昨年 5 月に若松教会より古賀教会の方へ移ってまいりました。 長姉に連れられ教会に通い始め子供の頃洗礼を受けました。結 婚後宗像・熊本と引っ越す内に段々教会が遠くなり、主日のミサ にもいかなくなっていました。 教会に戻りたくてもどうしてよいのかわかりません。人に聞く のは恥ずかしいという思いでそのままほっていました。 平成 29 年 2 月 カトリック古賀教会 (5) 3 年前母が姉達の勧めもあって洗礼を受けました。高齢の為教会には通えませんの で、神父様が病人訪問をしてくださいます。その時部屋の隅にいる私に「あなたは教 会に来ていませんね、教会に戻りましょう」と言われその場でゆるしの秘跡を受けま した。 神父様の言葉に助けられ、四旬節から御ミサにあずかる事が出来ました。 これを機に若松教会から古賀教会へ移転の手続きをお願いしました。 教会に戻れたことに感謝し、今まで怠ってきた信仰を深めていきたいと思っていま す。 皆様どうぞよろしくお願いします。 「出来事」 ・1 月 8 日(日)ミサの後、信徒会館で新年を祝いました。軽食をつまみ語らいの ひと時でした。 ・古賀教会にミサの手伝いに来てもらっている金ボム神学生が、1 月 17 日(火)に 韓国の大邱の聖堂で助祭へ叙階されました。おめでとうございます。 今の想いを伝えてもらおうと、寄稿依頼をしています。お待ちください。 ・1 月17日(日)クリスマスの飾りつけを皆で片付けました。今年はだいぶ日に ちが経っていましたので、馬小屋や電飾などおおかたのものは先にかたずけてくださ っていました。 ・「みましたか」・「昨日いってきました」・「私も」と会話が飛び交っています。 「沈黙」の映画が封切られたのです。 「まだですが、映画を見る前に原作を読んでみたかったです」神父様の言葉です。 (6) カトリック古賀教会 「教父の霊的聖書解釈 (5)」 「金持ちとラザロのたとえ話」(ルカ 16, 19–31) ――「幸福とは何か」をめぐって―― ヨハネ 谷 隆一郎(東区・新宮) 「ルカによる福音書」には、イエスによる含蓄あるたとえ話 が数多く記されています。今回は、その一つとして「金持ち とラザロ」の物語を取り上げてみます。よく知られた話です が、証聖者マクシモス(七世紀の偉大な東方・ギリシア教父) は、その箇所について興味深い象徴的解釈を示してくれてい ます。まず、聖書の言葉を要点のみ記しておきます。 ある金持ちがぜいたくに遊び暮らしていた。その門前にラ ザロという、できものだらけの貧しい人が横たわっていた。……やがて彼は死ん で、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそば(懐)に連れてゆかれた。 金持ちも死んで葬られた。そして陰府でさいなまれながら目を上げると、アブラ ハムとそのすぐそばにいるラザロとがはるかかなたに見えた。そこで、大声で言 った。「父アブラハムよ、わたしを憐んでください。……わたしはこの炎の中で もだえ苦しんでいます。」しかし、アブラハムは言った。 「子よ、思い出してみる がよい。お前は生きている間に 良いものをもらっていたが、ラ ザロは反対に悪いものをもら っていた。今は、ここで彼は慰 められ、お前はもだえ苦しむの だ。……わたしたちとお前の間 には大きな淵があって、ここか らお前たちの方へ渡ろうとし てもできないし、そこからわた したちの方に越えてくること もできない。」 一見単純な訓戒の話ですが、証聖者マクシモスはこれに対して、次のような驚くべ き洞察を示しています。 まず、「神と人間との間の畏るべき淵」とは、「まさに身体と世とに対する愛着や傾 き(執着)だ」とされています。しかしラザロは、 「そうした欠如を喜んで受け容れて 平成 29 年 2 月 カトリック古賀教会 (7) (つまり、執着から解放されて)、アブラハムの懐で休息するにふさわしい者とされた」 と語られます。そしてここに、 「アブラハムの懐」とは――新共同訳では<すぐそば> と訳されていますが――、「アブラハムの種族から肉においてわれわれに顕現した神 (ロゴス<言>の受肉たるイエス・キリスト)(ヨハネ 1, 14)のことだ」と解釈され ています。 他方、文中の「金持ち」とは、単にこの世的な富や知識、あるいは身分や名声など を所有している人のことではなく、むしろそれ以上に、傲りや自我への執着、さまざ まな欲望などのために心が一杯になって、神に心披くことができない人のことでしょ う。 ともあれ、このような見方からマクシモスは、一つの結論として次のように喝破し ています。 諸々の徳(心ないし魂の善きかたち)のみが、他のさまざまなものにもかかわらず人 間を幸福な者とする。……悪しき人は諸々の徳を欠いているので、たとい地上のいわ ゆる善きものをすべて所有していたとしても、憐れむべきものである。しかし善き人 はすべて、地上のさまざまな善きものをすべて失ったとしても、徳の輝きを有してい るので幸福なのだ。それゆえにこそラザロは、アブラハムの懐で安らぎを得て喜ぶの である。(『難問集――東方教父の伝統の精華』、知泉書館、2015 年) 証聖者マクシモスのこうした言葉は厳しいもので、そのまま実践することは誰にと ってもまさに至難です。しかしそれは、わたしたちにとって「何が最も大切か、ほん とうに善いものか」ということを、透徹した仕方で指し示していると思われます。 ちなみに、来たるべき世(来世)について、同じ文脈の中で以下のように語られて います。 富者(金持ち)はまた、来たるべき生に与ることができない。なぜなら、来たるべ き生とは、心からそれを愛し、それへの欲求ゆえにすべての苦しみを熱心に喜びをも って耐え忍ぶような人々にのみ生起するからである。 このようにマクシモスが言うとき、それはもとより「キリストの十字架と復活」と いう神秘(現実以上の現実)を真に見つめてのことでした。これは余りに大きいテー マですので、ここでは一言だけ触れておくに留めます。 来世や復活ということは、現にわたしたちが生きている「今、ここなる」生の姿の うちに、またそれを介して信じられ望見されうるものでしょう。しかしそのことは、 受難と復活を語るキリストに聴従してゆくとき、はじめて生じてくると言わなければ ならないでしょう。 (8) カトリック古賀教会 1 月 8 日(日) 出席:ジュード神父様 各委員 《各部会報告および協議事項》 【婦人部】 ・12 月の病院訪問、ご降誕祭、1 月新年会の準備・実施状況が報告。 【営繕部・将来計画委員会】 ・聖堂入口の石張り、車庫など今後修復が必要な状況が報告。 【会計部】 ・12 月度の会計報告、建設献金以外については堅調。 ・2017 年度予算案についての報告が行われ、内容について了承された。 【典礼部】 ・ご降誕ミサは 24 日の夜半ミサ~25 日の英語ミサまでの4回で総計 600 名の参加。 【その他】 ・古賀教会のホームページは担当者が交代し、1 年ぶり(個所によっては 3 年ぶり) に更新、化粧直しがされた。 ・納骨堂につき、不足分の増設と共同墓地について検討していく。 《今後の予定》 ・1/15(日) クリスマス飾り片付け ・2/ 5(日) 小教区委員会 ・2/ 7(火) 高山右近列福式 (於:大阪城ホール・インターネット中継も有) ・2/12(日) 教理の輪読会、婦人部役員会 ・2/19(日) 婦人部集会 ・2/26(日) 英語ミサ 【転入】(福津)〒811-3223 パウロ 福津市光陽台 神宮 照一(69才) マリア・クリスチナ 【転出】どうぞお元気で(広島教区へ) モニカ 原 美子(69才) 優加子
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