月 2 2017 №948 特集面 きっと、もっと、きたもとが好きになる 旬な話 題をお届け! 北本の歴史を探る ③ デーノタメ遺跡が拓く 縄文の世界 第1次調査の風景 ■ 関東最大級の縄文のムラ ■ 縄文のタイムカプセル ■ 縄文の農耕はあったか? ■ 泉と森が守った遺跡 炉に据えられた深鉢形土器(縄文時代中期) 空から見たものです。今からお よそ5000年前、写真の左側に 縄文時代中期の集落が広がり始 中・後期低地 その後、およそ4000年前に 落が広がり、さらに後期中葉の 集落が再び左側に戻ってくるよ デーノタメ遺跡と集落の位置 第1次調査8号住居跡 南 小 学 校の交 差 点 を 曲 が り、北 本 団 地 の外 周 道 路 を 進 む と、左 手 に豊 か な 雑 木 い、平 成 年に2回の補 充 調 査 約 5000 年 前) の 集 落 が、東 側には縄 文 時 代 後 期(今 から 約 です。こんこんと湧き出す泉は、 あった約1000㎡の湧水池の名 このうち、中 期の集 落は「環 状 集 落」というドーナツ形の形 いることが明らかになっています。 4000年 前) の集 落が広がって 縄 文 時 代から生 活の糧となる水 態で、210mを超える大きさは さらに、遺 跡の東 側に広 がる後 「関東最大級」 といえる規模です。 源であったことでしょう。 1200年続いた集落 期の集 落は、低 地を囲むように に縄文中期の勝坂式土器の複雑な文様は、芸術 年から か つさかしき この遺 跡では、平 成 縄文土器の文様は縄目だけではありません。特 曲線状に連なっていて、その長さ も270mと破格の規模でした。 このため、デーノタメ遺跡の特 徴は、集落がとても大きいこと、 さらにその集 落 が 約1200年 もの長い間、連 綿 と 継 続 してい たことなのです。 台地のムラを掘る 縄文時代中期の遺跡を調査す ると、いくつもの住 居 跡 が 集 中 軒で、中 期の しています。これまでに確認され た住 居 跡の数は たてあな ムラ全体では200軒以上である と想定されます。 これらの住 居は竪 穴 式 住 居と いわれるもので、地 面 を 楕 円 形 に掘りくぼめ、柱を立てて組み、 屋 根を架けた構 造です。住 居の 中 央には、床を掘りくぼめた炉 跡が設けられます。縄 文 人が煮 炊 きをした跡で、中には熱 効 率 を高めるために土器を据えている ものがあります。 住 居 跡の中からは、土 器や石 器が多く出 土します。土 器の多 くは住居が使われなくなった後に 廃 棄 さ れ た もので、住 居 跡 は、 あさばちがた ひ ら 林が広がっています。この一帯がデーノタ メ遺跡という縄文時代の約6 の大集落で デーノタメ遺 跡は、下 石 戸 下 地 区に所 在しています。地 理 的 を 行いました。その結 果、遺 跡 年の間に4回の発 掘 調 査を行 には江 川 という 小 河 川の支 流に の西側には縄文時代中期 (今から 遺 跡 名のデーノタメとは、昭 和 年 代の半 ばまで、この地に 2 ×30mと大変広い遺跡です。 面していて、その規 模は370m 関東最大級の縄文のムラ 縄文人の暮らしが営まれていました。 す。この遺跡では約1200年もの長い間、 ha 28 芸術的な縄文土器 12 集 落の捨 場としての役 割も果た 浅鉢形土器の展開写真 (勝坂式土器) 縄文人の神話を投影したものという説があります。 39 北本の歴史を探る ③ デーノタメ遺跡範囲 40 していました。 的なセンスを感じさせるものです。クモやカエルを 抽象化したような文様は、 「物語性文様」といわれ、 うに展開していくのです。 後期中葉集落 20 Column コラム 住居跡出土の縄文土器 炉に据えられた土器 約5000年前の住居跡 は右側に縄文時代後期前葉の集 後期前葉集落 中期後葉集落 めます。 デーノタメ遺跡が拓く 縄文の世界 左の写真はデーノタメ遺跡を ① 広報きたもと No.948 2017年2月1日発行 ② デーノタメ遺跡が拓く縄文の世界 ● 特集 2号クルミ塚 縄文のタイムカプセル す。驚いたのは、土 器の中に色 平成 年度に実施した第4次 調 査は、デーノタメの湧 水 が 流 が広 く、高 さの低い浅 鉢 という す。漆 を 塗った 土 器 は、全て口 鮮やかな 赤や黒の漆 を 塗った 多 れ出した流 路が対 象で、面 積は 器形でした。 低地の水辺を掘る 約170㎡です。この調 査 地 点 から、斜面を4mほど下った低湿 ては、半 年の 間、ポンプで 水 を 環境です。このため、調査にあたっ 低 湿 地では粘 土 層が基 盤とな り、すぐに水が湧 き 出 すような 技術が伝わっていたことは驚きで 年 前の足 元の遺 跡に、漆 工 芸の メージが あ り ま す が、5000 れ た 地 域 の 伝 統 工 芸 とい う イ 地面に位置しています。 汲み上 げながら調 査 を 進めてい す。ともあれ、色 鮮やかな漆 製 品の発 見は、縄 文 時 代の色 彩の イメージを 大 きく 変 えるものと なったのです。 層(Ⅱa層) が 現 れ、こ の 層 で は す。その中にはクルミの殻が集中 泥 炭 層を掘り進めると、土 器 とともにクルミの殻 が 目 立 ちま 貝塚ならぬクルミ塚 次々と多くの縄 文 土 器が顔を出 する「クルミ 塚」という 遺 構 が 捨て場であるように、クルミ塚は の足 場 を 固 めているかのようで 活のゴミ 捨て 場ではな く、豊 か このため、クルミ 塚 は 単 なる 生 貝 塚 が 貝 をはじめとするゴミ ぐと、次に縄 文 時 代 中 期の泥 炭 したのです。 ました。 クルミを 主 体 とする廃 棄の場で な恵みを願 う神 聖な儀 礼の場で 種や実 が 含 まれています。種や この他に土 器や木 製 品、小さな クルミ塚では縄文人が割ったク ルミの 殻 (核) が 目 立 ち ま す が、 m、厚 さ が ㎝ と 中には5m 2 × 大きなものもありました。 皿状やバケツ状に掘り込むもの、 すが、後 期の泥 炭 層では、トチ な溝跡や土坑 等が見つかっていま ていました。このエリアでは小さ 調 査 区の南 部には、4000 年 前の縄 文 後 期の泥 炭 層が残っ クルミからトチノキへ あったのかもしれません。 ど こう 実を調べてみると、ヒシやエゴマ ノキの皮が層をなすトチ塚も見つ みぞあと のほか、多 肉のベリー類が多く、 〃 Ⅲ層 〃 調査区の泥炭層 実のアクを 抜 く、水 さらしの施 Ⅰb層 また、クルミ 塚 やその周 辺で は、珍 しいクルミ 形 土 製 品のほ Ⅱb層 泥炭層 〃 設 と 考 えられています。台 地に パックしています。このため、 で残るのです。デーノタメ遺跡 おかげなのです。 たいしゅ 縄文中期 か、美 しいヒスイ 製の大 珠 や 土 Ⅱa層 住 む 縄 文 人が、水 辺でトチノキ 縄文晩期 製の耳 飾りなども 出 土していま Ⅰ層 の皮 を 剥 き、アク抜 きをする様 的に残ったのは、この泥炭層の す。これらは、装 飾 品であると 40 子が目に浮かぶようです。 泥炭層は長期間、空気から と もに 儀 礼に 用いる 道 具 で す。 のばかりです。 いずれも 縄 文 人が利 用できるも 40 かっています。 溝 跡には、木 材を敷いた木 組 遺構も造られていて、トチノキの す。大 き さ は 直 径 ㎝ほ どで、 あり、合 計で6か所が確 認され 土 器を敷き詰めたような出 土 状 況は、まるでぬかるむ 泥 炭 層 でいたん げていき ま し た。このⅠ層 を 剥 調 査では、まず調 査 区の全 面 を覆う黒 褐 色 層(Ⅰ層) を 掘り 下 赤と黒の土器 きました。 です。今でこそ 漆 工 芸は、限ら くの土 器 が 含 まれていたことで は、住 居 跡が分 布する台 地の上 英 語では、漆のことを 小 文 字 と書きますが、漆の利 の japan 用はまさに日 本の基 層 文 化なの 20 泥炭層ってなに? 遮断され、水漬けのまま遺跡を 有機質の遺物がそのままの姿 で、漆や植物の種や実が奇跡 土製耳飾 クルミ形土製品 トチノキの果 皮が多 く 出 土し 、 トチノキのアクを 抜いた施 設 と 考えられます。 1号木組遺構 ヒスイ製大珠 トチノキは縄文時代後期から積 極 的に利 用されるようになって いきます。 Column コラム 直 径 ㎝でクルミの殻が多く廃 棄されていますが、土 器や漆の 木器片も含んでいます。 トチノキの種子 漆塗土器には、黒漆が下地として塗られたあと、ベ ンガラで色付けされた赤漆で文様を描いています。 漆 ウルシ 40 ③ 広報きたもと No.948 2017年2月1日発行 ④ デーノタメ遺跡が拓く縄文の世界 ● 特集 で、と もに荒 川の 河 川 敷で 野 生 種 はヤ ブツルア ズキ 生種はツルマメ、アズキの の2 種です。ダイ ズの野 のマメは、ダイズとアズキ 縄文の農耕はあったか? 花粉分析は語る 低湿地遺跡には、様々 な 情 報 が 詰 まっているた め、花粉・樹種・種実・昆虫・ 上ではクリを中心にアカガシ・ト れ替わっていきます。また、台地 が生 活 を 始めるとクルミ林に入 林が広がっていましたが、縄文人 このうち、花 粉 分 析の結 果に よると、当初、湿地ではハンノキ 確実です。つまりデーノタメ遺跡 を 超 え、大 型 化 していることが す。しかも、ダイズの長さは1㎝ の圧痕がそれぞれ確認されていま 坂 式 土 器には、アズキとダイズ て、このほか、5000年前の勝 観察することができます。 チノキの仲間が増加し、ウルシノ では、すでにダイズを栽培してい 年代・漆など、様々な分析を行っ キも栽培されていたこともわかっ た可能性が高いのです。 ています。 てきました。 関東の三内丸山遺跡 デーノタメ遺跡ではクルミ塚か ら 炭 化 したアズキが 出 土 してい 縄 文 人たちは、集 落の林を積 極 的に管 理し、生 活に役 立つ林 へとつくり替えていったのです。 また、デーノタメ遺 跡の泥 炭 層 を 洗い流 すと、中には様々な 種や実が含 まれています。縄 文 縄 文 人は食 料や木 材として植 物を有効に利用していましたが、 は、あ の「三 内 丸 り ま す が、その 豊 富 さ 縄文人のマメ栽培 最 新の研 究では、縄 文 人のマメ 山 遺 跡」に も 匹 人の食の実 態に迫るデータとな 栽培に注目が集められています。 ほどなのです。 敵するといわれる 現 代の私たちは、 数 種 類の マメを食べていますが、日本原産 ポイント② 長期間 縄 文 時 代 中 期から後 期にかけ て(約5000年前〜3800年 跡の残りがとても良いこと。 ポイント① 大規模 遺跡内の縄文時代中期と後期 の集 落は、とても 大 規 模で、遺 デーノタメ遺 跡の特 色 をまと めると、次の4つです。 デーノタメ遺跡のすごさ した。 メ遺 跡と同 時 期に存 在していま 期の環状集落が位置しています。 には高 井 遺 跡という縄 文 時 代 中 また、デーノタメ遺 跡の位 置 する江 川 流 域に目を広 げてみる 大環状集落の密集地帯 泉と森が守った遺跡 前)、約1200年 もの長い間、 江 川 流 域がそれだけ豊かな環 境 る「大 環 状 集 落」で、デーノタ これらはいずれも200mを超え 南 西には諏 訪 野 遺 跡が、2㎞南 と、実はデーノタメ遺跡から1㎞ 集落が継続していること。 これほど 至 近に大 集 落 が3つ も 集 中 するのは、全 国でもほと ポイント③ 漆製品 縄文時代中期の低湿地遺跡が 全 国でも少ない中、漆 塗 土 器を であったことを物語っています。 今、デーノタメ遺 跡 は、豊 か な森に囲まれています。この風景 縄文の原風景 んど事 例がありません。当 時の はじめとする漆製品が多いこと。 ポイント④ 植物遺体 クルミやトチノキに加 え、縄 文 人の食の実 態に迫る種や実な どの植物遺体が豊富なこと。 は、まさに縄 文 時 代の歴 史 的な 景観を彷彿とさせるものです。 デーノタメ遺 跡は、太 古の昔 から、森と泉が守ってきた奇跡の 圧痕 シンポジウム 場所 日時 漆塗工芸を 実演します! ドウ・サルナシなどのベリー類が含まれていました。 1, 500粒を超える数が含まれていて、これらは酒を 小林 惠 美 (漆工房Sha ra) 土壌中のニワトコの核 土壌中のコウゾの核 もしれません。 ※都合により内容を変更することがあります。 文化財保護課文化財保護担当 ☎594‒5566 問 ツルマメ 遺跡といえるのです。 タメの縄文人は、美味しい果実酒を作っていたのか 同時開催「デーノタメ遺跡出土品展」2月24日(金)~26日(日)文化センターホワイエ 特にニワトコやコウゾの2種は、300㏄の土壌に ④「デーノタメ遺跡の保存と活用のイメージ」 秋山邦雄(歴史環境計画研究所) Column コラム ダイズの圧痕とレプリカ 土器に残るアズキの圧痕 炭化アズキ 入場 無料 ①「デーノタメ遺跡の発掘調査について」 阿部芳郎(明治大学教授) なりもと 齊藤成元(北本市教育委員会) しぼった粕という説があります。もしかしたら、デーノ ●パネルディスカッション(各発表者) 後期の溝跡では、多量のニワトコやコウゾ・ヤマブ ③「植物の栽培管理からみたデーノタメ遺跡」 の しろ 能城修一(森林総合研究所) 12:0 0 ホワイ エ 縄文人の酒造り? ②「漆が語る縄文時代の工芸技術」 宮越哲雄(明治大学名誉教授) 申込み 不要 デーノタメ遺跡が拓く 縄文の世界Ⅰ 13:00 文化センター 2月25日(土)~17 :30 開催します! 10 ⑤ 広報きたもと No.948 2017年2月1日発行 ⑥ デーノタメ遺跡が拓く縄文の世界 ● 特集 ヤマグリ
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