平成28年度青森市平和大使報告書(PDF:3801KB)

平成28年度
青森市平和大使
「青少年ピースフォーラム」報告書
青森市平和大使
沖館中学校3年
油川中学校3年
西中学校3年
東中学校3年
西村
木浪
我満
中村
佑世
悠太
由梨
朱里
青少年ピースフォーラムに向けて
◆青森市平和大使任命式(6月16日)
市長から、青森市平和大使に任命されました。
◆事前研修会(6月16日、7月22日)
第1回事前研修会では青森市の平和への取組について学び、第2回事前研修会では青森空襲で焼
け残った建物や慰霊碑などを見学し、青森空襲の悲惨さ、平和の尊さを学びました。
青森空襲資料常設展示室(中央市民センター内)
諏訪神社
初代青森平和観音像(リンクステーションホール青森内)
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空襲・戦災都市青森の碑(市役所前)
孔雀苑跡地(旧日本勧業銀行青森支店)
カトリック本町教会
しあわせプラザ(旧公会堂)
青函連絡船戦災の碑
◆青森市平和祈念式典への参加(7月28日、県民福祉プラザ)
第1部の戦没者慰霊祭では折り鶴を献上し、先の大戦で亡くなられた方々に対して追悼の誠を捧
げ、平和を祈念しました。第2部では私たち平和大使の壮行会を行っていただき、市長・教育長・
浦町中学校代表生徒から平和の願いが込められた千羽鶴を託されました。
式典に参加したことで、青森空襲を決して忘れてはいけないと強く思いました。
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青少年ピースフォーラムへの参加
「青少年ピースフォーラム」とは、全国の自治体が派遣する青少年と長崎の青少年とが共に被爆
の実相や平和の尊さを学習し、交流を深めることで、平和意識の醸成を図ることを目的に長崎市で
開催されている行事です。
<1日目(8月8日)>
・開会行事‐被爆体験講話など‐
・被爆建造物等のフィールドワーク
(平和公園コース)
・参加者交流会
<2日目(8月9日)>
・被爆71周年長崎原爆犠牲者
慰霊平和祈念式典への参加
・意見交換会
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<1日目(8月8日)>
◆開会行事‐被爆体験講話など‐(平和会館ホール)
担当:中村 朱里
青少年ピースフォーラムの開会行事では、長崎市の田上 富久市長のお話を聞いたり、実際に被
爆された方の体験談を聞いたりしました。
長崎市長からは、「それぞれ皆さんが生活し
ているまちでは見たり聞いたりできないことを
ぜひ体験してほしい。たくさんのことを肌で感
じ学んでいってほしい。
」という言葉をいただ
き、2日間のピースフォーラムの中で、学べる
ことは全て吸収して青森に持ち帰ろうと思いま
した。
被爆体験者である永野さんの体験講話では、被爆当時の様子を詳しくお話していただきました。
永野さんは当時 16 歳で、被爆時は軍需工場で働いていたそうです。原爆が投下された瞬間は窓か
ら雷の何千倍も強い光が差し込み、次の瞬間爆風が窓を突き破り、口の中は爆風による砂ぼこりで
ざらざらになったそうです。しばらくして建物から出ると、周りにあったはずの建物がほとんどな
く、がれきの山が道路をふさいでいたそうです。その後、自宅にやっとの思いでたどり着いた永野
さんを待っていたのは、防空壕の中で全身にやけどを負った弟の姿でした。弟は被爆後、のどのか
わきを訴え続けて3日後に亡くなり、同じように被爆した妹は髪が抜け、体中に紫色の斑点がで
き、被爆の1か月後に亡くなったそうです。私は、つらい体験を淡々と語り続ける永野さんのお話
から、戦争は二度と繰り返してはならないという強い思いが伝わってきました。
永野さんのように原爆によって家族を失った方は、きっと今まですごく辛い思いをされてきたと
思います。だからこそ、私も永野さんのお話を聞いて感じたことを多くの人に語り継ぎたいと思い
ました。
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◆被爆建造物等のフィールドワーク
千葉県浦安市の平和大使と一緒に、大学生や高校生の「ピースボランティア」の説明を受けなが
ら見学し、被爆の実相を学習しました。
◇原爆落下中心地碑
担当:西村 佑世
原爆落下中心地碑は、その上空 500 メートルで原爆が爆発したこ
とを示す黒い石碑です。その場に立ち、頭上で原爆が炸裂したと思
うと、ぞっとした気持ちになりました。たった1個の原爆で当時の
人口約 24 万人のうち、約7万4千人が死亡、約7万5千人が負傷し
たそうです。
石碑の前には、原爆により亡くなられた方々のお名前が書かれた
名簿が入っている箱がありました。名簿の原本には、いまだ身元が
分からず、名前が分からない方のために、白紙のものも用意されて
いるそうです。
◇浦上天主堂の遺壁
担当:木浪 悠太
長崎には浦上天主堂という立派な教会があります。
現在ある立派な教会は被爆後新しく建てられたもので、被爆しその爆風によって大きく破壊され
た建物の一部が爆心地公園に移され残っています。
破壊された建物の壁には2カ所の「ずれ」があります。この「ずれ」は爆風によって生じたずれ
だそうです。爆風の力によって丈夫な建物も動いてしまったということです。秒速 400 メートルと
いう爆風の強力さと恐ろしさを知りました。
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◇被爆当時の地層
担当:西村 佑世
被爆当時の地層が今でも残っていて、その地層の中には食器やレンガ、コンクリート、鉄筋な
ど、私たちの身の回りにもあるようなものががれきとなって埋められていました。
私たちが訪れた地層の周囲には、当時 1,860 人くらいの人が暮らしていて、その方々は一人を残
し、全員亡くなられたそうです。この地層のほかにも同じようなところが市内にはたくさんあり、
中にはいまだに亡くなった方の遺骨が残っていると考えられているそうです。
戦争にまったく関係のない人たちが巻き込まれてしまったことは、とても悲しいことだと感じま
した。
しも
◇下 の川
担当:我満 由梨
下の川は、爆心地のすぐ近くにあります。
原爆落下当時、この川の近くにいた長崎工業
学校の生徒や先生は、ほとんど爆死したそうで
す。多くの方々が被爆しやけどを負い、水を求
めてこの川に来ましたが、ほとんどが亡くなら
れたそうです。苦しくて、痛くてとてもつらか
ったと思います。必死に水を求めてこの川に来
て、そのまま命を落としてしまったと思うと、
とても悲しくなりました。
亡くなってしまった方々のためにも、核兵器
がなくなってほしいと思いました。
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◇平和の泉
担当:中村 朱里
平和の泉は、原爆によって多くの方々が水を求めて亡くなったため、その方々への追悼の意を込
めて建てられました。
泉の中にある噴水は、平和の象徴であるハトの羽ばたきを表しています。また、泉の周りに敷か
れている、タイルで作られた赤い模様は、被爆当時、まちを包んだ炎を表しています。
被爆し、水を求めて命を落とされた方々のことを考えると、どれだけ苦しかったことかと心が痛
みました。これからも、平和の尊さを伝えていこうと強く思いました。
◇長崎の鐘
担当:我満 由梨
この鐘は、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民、
その他多くの原爆による犠牲者の冥福を祈るとともに、平
和を世界に訴えるために建てられたものです。
たった1個の原子爆弾でたくさんの方が傷つき、苦し
み、亡くなりました。
私は、核兵器の恐ろしさや悲惨さがこれからも語り継が
れ、全ての人が平和意識を持ち続けていく必要があると思
いました。また、世界が平和の実現に向けて一人一人が絶
対に戦争をしないという決意を持つことが大切だと思いま
した。
7
◇長崎刑務所浦上刑務支所跡
担当:木浪 悠太
現在、平和公園となっているこの場所には、被爆当時、長崎刑務所浦上刑務支所があったそうで
す。爆心地から最も近い公共施設であり、当時ここにいた人全てが一瞬で命を落としました。
8月9日は土曜日だったため、面会者が多
く、また、この場には中国人や朝鮮人も多くい
たため、日本人だけでなく、外国人も巻き添え
になってしまったといいます。
今は跡形もなく、むきだしの石の土台が残っ
ているだけとなっています。
◇外国から寄贈されたモニュメント
担当:中村 朱里
私たちは、各国から寄贈されたモニュメントを見学しました。このモニュメントは全部で 16 個
あり、16 か国からそれぞれ贈られたものです。これらのモニュメントが置かれている場所は、「世
界平和シンボルゾーン」と呼ばれていて、訪れる人はもちろんのこと、世界中に平和を発信し続け
ています。
私はこれらのモニュメントを見て、どんな国でも平和を願っているのは変わらないのだと思いま
した。この場所から平和へのメッセージが発信され、核なき世界の実現がなされるといいなと思い
ました。
8
◇平和祈念像
担当:我満 由梨
平和公園には、天を仰ぐ大きな像があります。
天を指す右手は『原爆の恐ろしさ』を、水平に伸ばした左手は『平和への願い』を示し、軽く閉
じられた目には『戦争による犠牲者の冥福を祈る』という意味が込められているそうです。
平和祈念像を建設するに当たっては、当時のお金で
3,000 万円という高い費用がかかったそうです。建設当
時、長崎市民からは「像を建てることよりも、被爆者へ
の援助のためにお金を使ってほしい」という声が多く上
がったそうです。しかし、『二度と戦争を繰り返してはな
らない』という想いで周囲の反対の声を押し切り、戦後
10 周年にこの像を建てたということは、この像を見た人
に改めて平和の尊さを感じ、戦争を二度と起こさないと
いう決意を持ってもらいたかったからだと思いました。
この像を実際に見たことによって、私の中の平和意識
がさらに高まったと思います。
★託された千羽鶴の献上
担当:我満 由梨
私は今回青森市平和大使に任命されたということで、自分の学校(西中学校)の仲間にも同じ
ように平和意識を高めてもらいたいと思い、全校集会で呼びかけをし、千羽の鶴を折りました。
青森市平和祈念式典では、平和の願いが込められた千羽鶴を託されましたが、浦町中学校と西
中学校、そして市民の皆さんが製作した千羽鶴を代表して平和公園に献上してきました。
長崎のいろいろな場所にたくさんの千羽鶴が献上されていて、大勢の人々が平和を願っている
のだと実感しました。
9
◆参加者交流会(長崎新聞文化ホール)
担当:木浪 悠太
ピースフォーラム1日目の最後は交流会が行われました。交流会では私たちと同じようにいろい
ろな県から来た仲間と、たくさんの話をしました。どの人も住んでいる地域で行われている祭り
や、その地域独特の風習について紹介しあうなど、興味深い話が多かったです。
千葉県から来ていた仲間はディズニーランドまで自転車で 20 分のところに住んでいて、年間パ
スを持ち週末には入り放題であることなど、聞いていて少し羨ましく思いました。逆に、私が青森
のねぶたについて教えると、「千葉にはそんなに大きい祭りがないなあ」と羨ましそうに言われま
した。また、青森は雪が多く降るから、スキーがたくさんできることが羨ましいと言っている人も
いました。方言についても話をしました。やっぱり私の話し方はなまっているそうです。でも実
は、私も相手に対してそう思っているところが面白いなと思いました。その他にもまだまだいろい
ろな話をしました。
自分の住んでいるところの魅力を伝えたり、聞いたり、驚いたり、うれしかったり、羨ましかっ
たり、得意気になったり、自分と違う生活をしている人達と、このような有意義な時間を過ごせる
というのはとても大切なことだと思いました。人と人との関わりは、私の考える「平和」に必要不
可欠だと感じています。今、世界で起こっている戦争も、人と人との関わりがこじれて起こってい
ると思います。全ての人がお互いに自分と違う考え方や生活をしていることを認め合うことが、平
和実現には大切だと思います。
交流している間は、時間を忘れるくらい楽しく幸せだったので、私はこれからも、自分とは違う
生活をしている人達と積極的に交流して、私も相手も楽しい気持ちになれるようにしていきたいと
思いました。
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<2日目(8月9日)>
◆平和祈念式典(平和公園)
担当:中村 朱里
<式次第>
・被爆者合唱
・長崎平和宣言
・開式
・平和への誓い
・原爆死没者名奉安
・児童合唱
・式辞
・来賓挨拶
・献水
・合唱 千羽鶴
・献花
・閉式
・黙とう
私たちは、青少年ピースフォーラムの2日目に、平和祈念式典に参加しました。
式典の最初に、世界で唯一の被爆者のみで結成された合唱団「ひまわり」の皆さんによる合唱を
聴きました。
「ひまわり」の皆さんの歌声は、まるで「もう二度と戦争をしないでほしい、再び核
兵器が使用されることのないように長崎を最後の被爆地にしてほしい」という強い思いがはっきり
と伝わってくるようで、とても感動しました。長崎に原爆が投下された時刻である 11 時2分に
は、黙とうが捧げられました。黙とうが捧げられる中、平和公園内にある「長崎の鐘」が打ち鳴ら
され、市内にはサイレンの音が鳴り響いていました。黙とうが終わった後、長崎市長から「長崎平
和宣言」が読み上げられました。長崎平和宣言の内容は、核兵器の脅威を取り除き、世界の人々と
ともに恒久平和の実現に尽力しようというものでした。また、私たちのような若い世代に、戦争が
生んだ悲劇をできる限り語り継いでほしいという思いも、宣言の中に含まれていました。
「被爆者のいない時代」を迎える日が少しずつ近づいて
います。私は、だからこそ、私たちが少しでも被爆者の体
験を語り継いで二度と繰り返されることがないようにして
いかなければならないのだと思いました。
平和祈念式典を通して、改めて今の日本が平和であるこ
とのありがたさを感じるとともに、戦争はもう二度として
はいけないという気持ちと、世界中が平和になるように行
動していかなければならないという決意を更に強固にする
ことができました。
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◆意見交換会(長崎ブリックホール)
担当:木浪 悠太
ピースフォーラム最後のプログラムとして、意見交換会がありました。意見交換会は前日の交流
会と同じメンバーで行われたので、和やかな雰囲気で話し合いをすることができました。
3つのテーマが設定され、それらについてそ
れぞれの考えを言い合いました。共感するとこ
ろもあれば、意見が違うところもありました。
でもそれは当たり前のことで、それぞれの考え
が違うからこそ、よりよい「答え」が出るのだ
と思いました。お互いの違いを知り、よりよい
ものを作り上げようとすることが平和を築くう
えで大切なことだと思いました。
最後のテーマでは、「意見の違いで文化祭の出
し物が決まらず、人間関係が悪くなったときど
うすればよいか」というシミュレーションが行
われました。
「一人一人意見が違うから当たり前だ、というあきらめの心を持つのではなく、その
事実を受け止めたうえで、相手のことを考えながら協調性を持って前向きな話し合いをすることが
大事。」これが私の班で出た答えでした。話し合うことでこうしてよい「答え」を見つけることが
できたのです。
これから先、何かを決めなくてはいけないとき、自分の考えをしっかりと持ち主張しながらも、
周りの声を聞いてよりよいものをみんなで探していきたいと思います。そこで決まったことについ
ては不満をもらさず、自分の責任として実践していきます。みんなで成し遂げた後は清々しい気持
ちになれると思います。何事も積み重ねることが大切だといいます。このようなことを積み重ねる
ことで、平和にもつながっていくと私は考えます。「人との関わり」の大切さをより知ることがで
きた時間でした。
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平和の灯に参加して
担当:西村 佑世
ピースフォーラム1日目の参加者交流会終了後には、平和公園で行われている「平和の灯」とい
うイベントに参加しました。そこには市民の皆さんの平和への願いが込められた灯篭が通路沿いに
置かれ、幻想的な風景が見られました。
数多く置かれた灯篭には「命は1つ」や「けんかはしない」、「LOVE
AND PEACE」など、
平和を願う言葉やメッセージ、そして決意が書かれていました。いろいろな言葉が書かれていて、
平和に対する見方や考え方は人それぞれであることを改めて感じました。ミニコンサートも行わ
れ、バイオリンなどの演奏や合唱が披露されていました。中には盲学校の生徒もいて、きれいな歌
声で、福山雅治さんの「クスノキ」や「見上げてごらん夜の星を」などの歌を歌っていました。
このイベントから、長崎の人々の原爆で亡くなられた方の冥福を祈る優しさを感じ、そして、平
和な世界が実現しそれが続くことを願う気持ちを確認することができました。そこにはやさしくあ
たたかい時間が流れていました。
皆さんは、平和を実現させるのは国の指導者で、平和を目指すことについて、他人事だと思って
いませんか。私もこのイベントに参加して、いろいろな人々の気持ちや思いに実際に触れてみるま
では他人事でした。平和は自分が築いていくのだということを教えられた気がしました。
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原爆資料館を訪れて
担当:我満 由梨
原爆資料館では、原爆がもたらす熱線、爆風、放射能の3つの被害を通して原爆の恐ろしさを知
ることができました。熱線によって溶けて原型をとどめないガラス瓶や爆風によって大きく折れ曲
がった鉄骨などの展示品、熱風で皮膚がケロイド状にただれてしまったり、体中が放射能によって
あざだらけになった被爆者の写真がその悲劇を物語っていました。
原爆の威力はとてもすさまじいものです。1つの原子爆弾
には、2万1千トン分の高性能火薬の爆発力があり、爆心地
から半径1キロメートルにあるものはことごとく破壊されま
した。また、爆心地から半径 200 メートル以内は 4,000 度
の高熱で、そこにいた人は体の水分が蒸発し、ほとんど即死
だったと言われています。
当初アメリカは小倉に原爆を投下する予定でしたが、8月
9日当日、小倉上空は焼夷弾による煙で視界が悪く、急きょ
第2目標であった長崎に原爆を落としたそうです。
原爆を投下された当時の長崎の様子を知り、私はとても悲
しくなりました。どうして何の罪もない子どもまでが傷つ
き、命を失わなければいけなかったのか、原爆で亡くなられ
た方々のことを思うととても心が痛みます。また、戦争を繰
り返してはいけないという気持ちが強くなりました。
戦後 71 年が経ち、当時の戦争について知っている人が高齢化し、お亡くなりになっていく中
で、今回学んだことをもとに多くの人に戦争の悲惨さや命の尊さを伝えていかなければいけないと
思いました。
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青少年ピースフォーラムを振り返って
担当:西村 佑世
私たち4人は、2日間の青少年ピースフォーラムに参加して、平和についていろいろなことを学
んできました。
被爆体験談から、その当時の人たちの苦しみや悲しみ。フィールドワークから、原爆の被害の大
きさやその恐ろしさ。意見交換会では、平和に対するいろいろな見方や考え方があること。そし
て、長崎の人々が自分たちの平和だけでなく率先して世界に平和を呼びかけていること、また、今
の世界は決して平和ではなく、これからも実現に向けて努力が必要なことを知りました。この他に
もたくさんのことを学びました。一番驚いたことは、外国の方も多く訪れていたことです。2日間
を通して、イベントに参加する外国の方が多く、全世界が長崎で行われている平和への取組に関心
を寄せていることを知りました。
私たちは、このように平和について考え、知るいい機会を与えていただきました。今回の経験が
なければ、私たちは特に平和へ関心を抱かず、戦争は遠いところにあるものだったと思います。
一人一人が意識を持つことが平和を実現するためにとても大切なことであると感じました。今回
経験したことをできる限り多くの仲間に伝えていきたいと思います。
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これまでの活動を振り返って
平和大使の活動を終えて
青森市立沖館中学校
西村 佑世
私にとって、平和大使としての活動は、これまでの自分の考え方を大きく変えるとても貴重な経
験ばかりでした。
平和大使としての活動の中で、一番心に残っていることは、事前研修会で青森空襲について深く
学んだことです。以前から、青森が戦争の被害を受けたことは知っていましたが、これほどまでに
大きな被害をもたらした空襲があったとは思いませんでした。自分の住んでいるところについて何
も知らないことに衝撃を受け、少し恥ずかしさを感じました。そして、青森空襲の惨劇を表す遺構
も減っていく中で、自分が学んだことを語り継いでいかなければならないと強く思いました。今で
は、青森空襲以外のことについてももっと、自分たちが住むまちについて興味をもち、知ろうとし
ていかなければと思います。
長崎を訪問し、参加したピースフォーラムではいろいろな体験や見聞を通して、多くのことを学
びました。授業や本で知るのとは異なり、実際に原爆が残した爪痕を見てその威力を肌で感じ、被
爆された方々のお話を聞いて、原爆投下時の惨状や平和の尊さを訴える思いが伝わってきました。
また、長崎の人々が原爆の恐ろしさを語り継ぎ、核兵器の廃絶や世界平和実現への願いを世界に発
信している姿に、これまでの自分を考えさせられました。本当に貴重な経験をさせていただいたと
思います。
報告会では、平和大使としていろいろと学んだことを紹介するとともに、自分たちの発表を聞い
た人が、世界平和実現のために何ができるのかを考えるきっかけになってほしいという気持ちで発
表しました。
平和大使の活動を終えて改めて思うことは、自分たちはもっともっといろいろなことに興味・関
心をもち、調べたり体験したりしようとすることが大切だということです。多くのことに関心を持
ち、視野を広げ、平和な世の中を築く一員になれるようにしたいと思います。
最後に平和大使としての活動を支えてくださった多くの方々に心から感謝しています。
ありがとうございました。
16
平和大使として学んだこと
青森市立油川中学校
木浪 悠太
平和大使という任務との出会いは、私が2年生のときでした。昨年行われた第1回平和ミーティ
ングに出席し、感想発表を述べる機会があり、もしかしたら自分が来年長崎に行くのではないかと
思いました。3年生になり、先生から平和大使推薦のお話を伺ったときは、ついに来たかと身が引
き締まる思いがしましたが、それと同時に「よし楽しんでこよう」と思いました。
私の他に平和大使に任命された仲間は3人いました。3人の第一印象は、
「おとなしそうだな」
「頭
良さそうだな」
「長崎に行ってもしっかり仕事を果たして、すばらしい発表をするんだろうな」とい
うものでした。私はやや気後れしていたのですが、このとき、自分が盛り上げ役のムードメーカー
になろうと心に決めました。長崎で3泊4日を一緒に生活するのだから、楽しくやっていくことを
第一にしようと思いました。
長崎へ行き、一緒に行動してみると、みんなのいろいろなことが分かりました。佑世君は数学が
めちゃくちゃ得意なこととか、由梨さんは将来ウェディングプランナーを目指し努力していること、
朱里さんはダンスが好きで文化祭でパーフェクトヒューマンを踊る予定だとか、お互いのことを知
ることができました。そんな仲間と長崎で平和についてともに考え、ともに悲しい気持ちになり、
ともに笑いながら、いろんな発見をしました。そして自分たちが平和についてやらなくてはならな
いことを一緒に見つけることができました。本当にみんなにはお礼を言いたいです。
また、長崎では、素敵な仲間との出会いもありました。ピースフォーラムで知り合った長崎の中
学生に「このまま帰りたくないなあ」と言ったら、
「ぜひ残ってここにいてよ」と言われたとき、涙
が出そうになりました。そして、平和とはこのような人と人とのやりとりが作り上げるものではな
いかと感じました。
平和は決して武力や核兵器のような強力兵器で作り上げることはできないと思います。人と人と
がお互いの違いを認め、思いやる営みが作り上げるものだと思います。私たち中学生でも平和を作
り上げるためにできることはあるということに気付かせてくれた、平和大使のみんな、ピースフォ
ーラムで知り合った仲間達、支えてくれた先生方、牧さん、サポートしてくれた全ての方々に本当
に感謝しています。
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平和大使の活動を通して学んだこと
青森市立西中学校
我満 由梨
私は、今年度の平和大使に任命されました。最初、先生から、話を聞いたときはとても悩みまし
た。しかし、先生や親、友達からの後押しもあり、思い切って受けることにしました。
6月中旬に任命式と1回目の事前研修会が行われ、平和大使のこれからの活動についての説明を
聞きました。そこで初めて他の大使3人と会いましたが、お互いに緊張して上手く話すことができ
ませんでした。
7月中旬には2回目の研修会が行われ、青森空襲について学びました。研修会では青森空襲につ
いて知らなかったことをたくさん知ることができました。そして何より、他の3人と少しずつ打ち
解けて、話すことができてうれしく思いました。
青森空襲があった日と同じ7月 28 日、私たちは青森市平和祈念式典に参加しました。そこで
は、浦町中学校と市民の皆さん、そして私が呼びかけて西中学校で制作した折り鶴が手渡され、平
和大使としての使命感を感じました。
長崎を訪問した私たちが行った最も大きな活動として、ピースフォーラムに参加するという任務
がありました。そこでは、全国から私たちと同じように参加した仲間との交流やフィールドワーク
を通して、長崎の原爆について学び平和について考える活動が行われました。それらの活動を通し
て、私は原子爆弾の想像を絶する破壊力と恐ろしさを知るとともに、平和を実現させるためには平
和を願うだけではなく、実現のために自ら進んで行動をして創り上げることが大切だということが
分かりました。
青森に帰ってからは、東中学校で行われる報告会に向けた活動が行われました。自分たちが伝え
たいことを整理し、発表内容の構成について時間をかけて考えました。本番では難しい言葉や言い
にくい言葉の部分もあり苦労しましたが、とても満足のいく発表ができたと思います。また、西中
学校でも文化祭の場で発表を行いました。一人で行うのでとても大変でしたが、東中学校で行われ
た発表以上に良いものにしようと工夫を重ね、自分が伝えたいことをしっかりと伝えることができ
たと思います。
平和大使の活動を振り返ると、私はとても貴重な経験をさせていただいたのだと思います。平和
大使の任務を引き受けて本当に良かったと思います。自分が普段考えないことを考える機会があっ
たり、体験することができないことを体験できたり、とても充実していたと思います。今回学んだ
ことを自分一人のものにするのではなく、まずは自分の周りの人たちから平和の輪を広げていきた
いと思います。
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平和大使としての任務を終えて
青森市立東中学校
中村 朱里
今回、青森市平和大使を務めるという経験は、私にとってとても大きな財産となりました。先生
から「平和大使をやってみないか」という話を受けたときは、大使という言葉の響きにとても重み
を感じ、受けてよいものかどうか戸惑いました。今では、思い切って平和大使になることを決意し
て良かったと心から思います。
私たちは7月中旬に、青森空襲について学びました。青森空襲資料常設展示室や市内にある空襲
の遺構を巡り、当時の青森市民がどのような状況下に置かれていたのか、被害がいかに大きいもの
であったかを知りました。そして何よりも、今まで青森に住んでいながら自分たちがいかに青森
空襲について知らなかったかを痛感しました。青森空襲について学んだことで、「空襲の被害を受
けた青森の人々が考える平和と原爆の被害を受けた長崎に住む人々が考える平和の違いを知りた
い」という長崎を訪問するに当たってのテーマが決まりました。
私たちは長崎を訪問することで、平和の尊さを強く感じることができたのではないかと思いま
す。青少年ピースフォーラムでは、他の県から来た仲間と交流を深めたり、平和の実現には何が必
要か話し合ったりしました。自分たちと違う環境で生活している仲間達との意見交換はとても楽し
く時間の経つのを忘れるほどでした。そして、お互いの考えを尊重しながら時間をかけて話し合え
ば一つの答えにたどり着くことを知りました。原爆資料館の見学では、爆風によって破壊された建
造物の一部や高熱によって溶けたガラス瓶など多くの資料が展示されていました。それら展示物の
一つ一つからは、本や映像からは分からない核兵器の恐ろしさを感じました。
青森に帰ってからは、報告会に向けて発表原稿を考えたり、スライドを作成したりしました。学
んだことを大使みんなで確認し合い、整理し、試行錯誤を重ねた結果「長崎の人々は平和を願うだ
けでなく行動している」ということをみんなに伝えようという結論に至りました。発表会当日
は、間の取り方を考えて発表するなど、丁寧に発表するよう心掛けました。
今回の貴重な経験をさせていただいたことに心から感謝しています。そして、私はこれからもで
きる限りの人に平和の尊さを語り継いでいきたいと思っています。
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平成28年度青森市平和大使派遣に随行して
青森市立沖館中学校
教諭
工藤 雅人
8月7日からの4日間、私は、4名の平和大使とともにたくさんの貴重な経験をさせていただき
ました。
私たちが訪問した長崎のまちは、狭い平地に近代的な建物が立ち並び、山の斜面に民家がひしめ
き合って建ち並ぶ活気あるまちでした。雪国青森では信じられないほどの急勾配の坂道が人々の重
要な生活道として使われており、その坂道をハイヤーで下るときにはまるでジェットコースターに
乗っているような気分を味わいました。そして、まちの至る所に原爆の遺構が大切に保存されてお
り、原爆の犠牲者を悼み、惨劇を風化させてはいけないという市民の思いを感じることができまし
た。
大使たちが参加した青少年ピースフォーラムは、大学生を中心とするピースボランティアによっ
て運営されており、ボランティアの方々のきめ細かな気配りと行動力にはとても驚かされました。
そして長崎新聞をはじめとする地元企業や自治体が彼らの活動をバックアップし、核兵器の廃絶を
訴えて長崎から世界平和を実現させようという使命感や強い決意を感じました。大使たちはそのよ
うな長崎の人々の使命感や決意を肌で感じ、平和への思いを強くすることができました。
また、全国から集まった同じ中学生と交流することは、大使たちにとってとても貴重な経験とな
りました。各地の事情を知ることができるとともに青森の魅力を再確認するよい機会となっていま
した。そして何よりも、自分の考えや意見を述べる場面が大使たちを大きく成長させました。
「私たちは、自分たちが抱いている平和への思いと、長崎の人たちが抱いている平和への思いを
比較し、平和について深く学んできます。」これは、長崎を訪問するに当たり、青森市平和祈念式
典で大使代表として中村朱里さんが述べた決意の言葉です。このテーマをもって行われた長崎訪問
で大使たちが導いた結論は、「青森の人々は平和を願っているが、長崎の人々は平和を願うだけで
なく平和実現のために進んで行動している。」というものです。多くの貴重な体験を通して、自分
たちも行動を起こさなければならないと感じるようになった大使たちの成長を、心からうれしく思
います。
平和大使事業が、子どもたちに大きな成長をもたらしたこと、そして、青森の子どもたちが平和
への意識を高めるには、青森空襲をしっかりと学ぶ機会を与え、決して青森空襲を風化させてはい
けないということを強く感じました。
大きく成長した姿を見せてくれた4人の大使たちと、このような機会を与えて下さり、サポート
していただいた青森市役所総務課のみなさまと青森市教育委員会指導課の方々、青森空襲について
御教授下さった青森市民図書館歴史資料室の工藤室長、そして、大使の活動を支えてくださった各
中学校の先生方に、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。
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平和大使からのメッセージ
平和は「願う」だけでなく「自分たちが行動してつくり
あげていくもの」です。
互いの違いを認め合い、互いを大切にする輪を広げてい
くことにより、心の平和へとつながっていくと思います。
まずは、私たち一人一人が、その心を大切にするととも
に、戦争の恐ろしさや平和の尊さを仲間に伝え、語り合い、
誰もが心穏やかに学校生活を送れるよう、足元から平和を
築いていきましょう。やがてそれが、世界の平和につなが
っていくことを信じて。
平成 28 年度青森市平和大使
平成28年度
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青森市平和大使「青少年ピースフォーラム」報告書
青森市総務部総務課
〒030-8555 青森市中央一丁目 22 番 5 号
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