タイトル: 「法学を学ぶということ」 大学に入学したばかりの私は、法学を、法を学ぶこと、つまり、法令や判例を覚え、具体 的事件に適用していくことだと思っていました。試験やレポートも、提示された事実に対 して、出題者の意図した法令を適用し、解決を図るという非常に機械的な学問であると感 じていました。しかし、2 年次から履修した憲法のゼミで、そのような意識は覆されました。 ゼミは、判例を 1 つ取り上げ、それに対する意見を先生が各学生に尋ねていくという形 式で行われました。試験やレポートであれば、期待される解答と言うものはある程度決ま っているのですが、ゼミでは学生の意見がそれぞれ異なり、先生もそれを良しとしている ようでした。例えば、同性愛者の団体に対して公共施設の宿泊を拒否した事件があります。 その公共施設では管理上の目的から、男女は別部屋で宿泊する事になっていました。同性 愛者の立場からは、このような利用拒否は不当な差別であると主張できます。しかし、公 共施設の管理者の立場からは、男女別部屋にしている目的からすれば、同性愛者も別部屋 にする必要があります。男女であれば 2 部屋に分割すればいいのですが、同性愛者の場合、 それぞれ個室を用意する必要があるでしょう。しかし、この公共施設の構造上それは困難 であるとし、同性愛者の団体からの利用申請を拒否しました。多くの事件は、この事件と 同様に、正義と悪の対立ではなく、正義と正義の対立なのです。同性愛者の団体は不当に 差別されたと主張する権利を有していますし、公共施設の管理者もやむにやまれぬ事情の 下で正当に管理権を行使したまででした。つまり、法学とは、相対する利益の調整であり、 そこに絶対解はないのです。 具体的事件の対立する利益について、それぞれの立場からの意見を述べ、相手の意見に 耳を傾け、最善解を模索する。このような法学に取り組む姿勢を私はゼミを通して得られ たように思います。
© Copyright 2024 ExpyDoc