クリスマスのフォッシル・ハンティング

クリスマスのフォッシル・ハンティング
英国南部の海岸には、白亜紀の地層がある。1億年以上
ティングは冬、嵐のあとに限る。
のときを経た化石の宝庫である。1993年のクリスマスの日、
英国南部といえば、ヴィクトリア朝時
ドーセット州・シータウンの海岸で、風化したアンモナイト
代のドーセット生まれ、自然主義作家の
をみつけて以来、私はより完全なものを手にする機会を
トマス・ハーディを思い出す。彼の作品
狙っていた。それは、実に20年後、2013年のクリスマスに
には、当時の進化論や古生物学の知識
巡ってきた。潮が満ちると、化石のある崖
社会学研究科教授
上田 元
には近づけない。朝、ロンドンを出発し、
の主人公は、海沿いの崖を滑り落ち、
到着のころに引き潮となるのは、どの日
羨ましいことに、崖壁に三葉虫の化石をみつける。舞台は
のどこか。答は26日、ボクシング・デイ
ブリストル方面らしいが、いずれ訪れたいものである。
の午前11時25分、ケント州のフォークス
ところで、砂浜のあの人混みは何だったのだろうか。そ
トーンという港町に決まった。
れは、有志が仮装して凍える海に入り、観衆がそれに寄
報道によれば、23日からイブにかけての低気圧で、目的
付で応えるチャリティであった。これをボクシング・デイ・
地への道筋にあるメイドストーンの街が冠水し、土地の人
ディップという。私が化石に熱中していたとき、合図とと
には気の毒なことになっていた。私としても、海岸に嵐と
もに浜を疾走して波に突っ込む人がいれば、文字通り半
いうのは避けたいところである。だが幸運にも、当日は運
身を浸すだけの人もいた。後日、地元海難救助のホーム
転するにつれて青空が広がっていった。大陸に通じるユー
ページにあるビデオで観たのだから、そう断言できる。
ロトンネルのターミナルに誤って入り込み、時間を浪費し
そろそろ午後の紅茶が恋しくなり、大型客船のような港
たことを除いて、道中は順調で、期待が膨らんだ。
のホテルで一服した。食堂の壁には、まさに船の煙突と
クリスマス翌日の閑散とした海を想像していたが、フォ
乗客を描いた昔のポスター “オリエント・クルーズ”が、化
ークストーンの砂浜は賑わっていた。人々は、なぜか波打
石のように貼りついている。眺めるだけだが、獲物が一つ
ち際に注目している。そこを抜け、遠方の崖へ
増えた。ハーディが言葉を紡いでいたころ、その会社
と急いだ。砂地は途切れ、海藻が覆って滑
は豪州航路などを担っていた。
『青い瞳』は、そうし
りやすい岩々を、這い上っては下りる。潮
た帝国の拡大を、やはり“自然”の構図で描く。主人
は満ち始める。そして行く先には……、人
公は、ブリストルあたりで空に低く昇る星を指して、
影が見えるではないか。同志に先を越された
それがナイル河の源を真上から見下ろしているのだ、
と想いを馳せる。ジョン・スピークがヴィクトリアと名づ
ようだ。
イブの大雨は崖を削り、新鮮な地肌を用意していた。お
けたアフリカの大湖から白ナイルが流れ出ているのを確か
よそ三層に堆積した小高い崖は、今と昔の接触面である。
めたのは、英国が支配することになるウガンダのジンジャ
鉱物化し、金属化した太古の生き物が、灰色で生乾きの
において、現地の碑文によれば1862年、
『青い瞳』よりも
粘土質にめり込んだような姿で待っている。崖を掘り、隠
10年余前のことである。
れた化石を探すことは禁じられている。顔を覗かせたもの、
冬の日暮れが迫ってきた。東に少し走ると、海底ト
脱落したもの、砕けたもの、風化して消えそうなものを拾
ンネルから出た土砂で海沿いを埋め立てた公
うのである。黄鉄鉱質のほぼ完全なアンモナイトと腕足
園、サムファイア・ホウがある。夕陽に
貝、巻きのないアンモナイト、ガラス質の
ベレムナイトなど、豊猟だった。ハン
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が刻まれている。
『青い瞳』
(1873年)
クリスマスの
フォッシル・ハンティング
染まった白亜の崖下で、もう少し
化石を探してから帰ろう。