進路だより - 愛知県立一宮工業高等学校

全学年 進路だより 12 月
第 8号
進路だより
第8号
2016.12.21
愛知県立一宮工業高等学校
特集
進路指導課
中部の偉人「福澤桃介」
「この手を信ず」 ― 信頼される技と、確かな学力を求めて ―
中部地方の偉人というと皆さんは、誰を思い
利益の見込める事業であると考えて投資を始
もしも、桃介が木曽川に発電所を建設しな
浮かべるでしょうか。戦国の武将たちを連想す
めました。名古屋市の電力会社、「名古屋電
かったとしたら、電力の供給がなかったら、工業
る人もいるでしょう。愛知の「ものづくり産業」の
燈」の筆頭株主となり、1914 年(大正 3 年)
化は望めませんでした。日本の歴史はどうなっ
礎を築いた人というと、まず思い浮かべるのは、
には社長に選出されます。
ていたでしょう。資金調達のためにアメリカに渡
「豊田佐吉」ですね。
さて、今回は中部地方の工業化に大きな
足跡を残したもうひとりの偉人「福澤桃介」を
紹介します。
俺は電力王になる! 「福澤桃介」
福澤桃介(ふくざわももすけ)は、慶應 4
桃介は「俺は木曽川で電力を起し、天下
の水力王になるよ」といい、木曽川に大井発
電所の建設を進めました。
関東大震災で、資金にピンチ!
らなかったら、中部の「ものづくり産業」の発展
はかなり停滞したかもしれませんね。3年生の
皆さんには授業でお話ししましたが、ダム建設
のために必要な「セメントの工場」も現場の近く
に作ってしまう合理的な考えの持ち主です。
ところが建設中の 1923 年 9 月、関東大
震災が発生し、金融逼迫が生じて国内での
資金調達が困難になってしまいました。桃介は
年(1868 年)生まれ~昭和 13 年
資金調達を外国に求めました。そのために、
(1938 年)没。
1924 年(大正 13 年)5 月ニューヨークへ
向かいます。アメリカの金融機関との交渉は成
功し、全米で大同電力社債の売り出しがはじ
まりました。資金調達に成功したのです。
大井発電所は桃介帰国後の同年 12 月
に完成。出力 4 万 2,900 キロワットで、当時
日本最大の発電所でした。現在は「関西電
100 年ベスト 「福澤桃介式」
名古屋の発展を導いたこの偉人の思想は、
文庫本の「福澤桃介式」 で知ることができま
す。
この原書が刊行されたのは、明治 44 年。
慶應義塾(慶應義塾大学の前身)の学生
に向けたメッセージがベースとなっています。いま
だに重版されているベストセラー本です。興味
のある人は、読んでみて下さい。
力」の発電所ですが、もとは「大同電力」といい
ました。皆さんご存じの「大同特殊鋼」も「大
同電力」から製鉄業務を分離独立した会社
です。2016 年に創業 100 周年を迎えまし
た。
福澤桃介(写真提供:大同特殊鋼)
明治から昭和初期にかけて活動した日本
の実業家です。福澤諭吉(ふくざわゆきち)
の婿養子となり、電気事業に関与し、木曽川
などで水力開発を手がけ、後に大手電力会
桃介の業績は、貧困の苦しみ、病気による
社「大同電力」の初代社長となりました。これ
挫折、事業の失敗など、様々な体験の上にあ
らの電気事業での活動により「電気王」「電力
った偉業だと思います。
王」と呼ばれています。また、実業家としての活
元気がなくなったときに読むと、「人生は、な
動の傍ら、衆議院議員も務めました。
紡績・肥料・ビール・鉱山・農場など様々な
事業に投資した桃介は、電気事業を確実に
んとかなるものだ」という気になれる 1 冊です。
現存する日本最古のアーク炉
(写真提供:大同特殊鋼)
見出し写真の右は、半田のレンガ建築のビ
ール工場です。一時期共同経営していました。