古地図から見る17世紀の日本・江戸・大阪

古地図から見る17世紀の日本・江戸・大阪
時間:平日 9:30~19:00,土日 9:30~18:15
1 三原市立中央図書館所蔵古地図解説
(『西鶴と浮世草子 Vol.3』収録古地図解説 島田大助 豊橋創造大学教授)
島田大助先生は三原市出身で,三原市で文化講座の講師をされている。
(次回は2017年2月25日(土)10時~中央図書館で開催される。)
三原市立中央図書館が所蔵する古地図、古典籍及び古文書の類の多くは、
昭和3年、三原図書館開設以降、三原町(現三原市)に町民から寄贈された
ものである。今回展示する古地図を寄贈した川口国次郎氏,天野宣彦氏は、
それぞれ川口屋、天野屋として、近世期を通じて三原で重きをなした商家の
子孫にあたる。
川口家は、関ヶ原の合戦後、広島に入封した福島正則に招かれ、播州阿賀
村から移り住んだ川口九右衛門尉宗助を始祖とする。宗助は徳川家康の外祖
母にあたる華陽院を祖母に持ち、実兄川口宗勝は織田氏・豊臣氏・徳川氏に
仕え、宗勝を始祖とする家は旗本として明治維新を迎えている。
福島正則と旧知の間柄であった宗助は正則に仕官するよう求められるが、
これを固辞し、小早川隆景の居城があった三原の西町の町割りを町人として
担うことになった。後に川口屋を名乗り、酒造業を主に営みながら、子孫は
代々西町の町年寄を勤めていく。
三原は早くから酒造業を以て知られていたという。『庭訓往来』には諸国
の名産品として「備後の酒」という記述があり、『和漢三才図絵』にも「和
州奈良、摂州伊丹、池田、加州菊川、備後三原、皆得醑醇之名」とある。ま
た、『甲子夜話』には、福島正則が将軍献上用に船便で江戸に運んでいた三
原酒を、八丈島の辺りで宇喜多秀家から乞われたとの話が載る。福島正則の
関係で言えば、黒田節に歌われる酒は三原酒であったのだろう。川口屋で醸
造される「菊の水」は、将軍献上酒として用いられた時期もあり、日光輪王
寺への献上は、ほぼ江戸時代を通じておこなわれている。
一」一
旗本として幕府を支えた川口家と川口屋が、近世期を通じて関係を持って
いたことは、両家の間で取り交わされた書簡などから明らかである。西鶴の
生きた時代の当主は、摂津守宗恒であり、2千7百石、長崎奉行江戸町奉行
を歴任した人物である。『好色一代男』(巻八「都のすがた人形」)で世之介
が訪れ、
『諸艶大鑑(好色二大男)』
(巻五「夜の契は何じややら」)に描かれ
る遊女金山の逸話の舞台となった場所は、この宗恒が奉行在任時の長崎であ
った。なお、川口家から寄贈された地図はこの時期のものが多い。
天野屋は沢氏であり代々籐兵衛を名乗る。川口屋と同様、三原西町にあり
川口屋に代わって町年寄を勤めることもあった。金融業を主にし、酒造、塩
田経営なども行っている。明和元年に失火し、一度家財を消失してしまって
いるため,古い資料はほとんど残っていないが、
『輝資卿記』
(慶長12年3
月12日の條)には「天野壱荷 三原樽一」とあり、あるいはこの時期から
酒造業を営んでいたのかもしれない。
(以下省略)
2 展示
「日本大絵図」17世紀頃
この絵図では、蝦夷地を除く日本全国が肉筆で描かれている。日本図の
周辺には、北陸道・山陽道・山陰道・西海道・南海道・五畿内・東山道に
分け、それぞれの国の石高が規されている。九州・瀬戸内海・太平洋側の
海路の外、主な城下間の距離、各藩を統治する大名及び石高が記され、大
名の国替え改易による書き換えが多数行われている。正保2年(1645)三
河吉田に入封した小笠原氏(4万5千石)、無嗣のため明暦元年(1655)
に領地召し上げとなった大和竜田藩(片岡家1万石)が記されていること
などから判断して、現在の形になったのは正保~明暦頃であると思われる。
3 デジタル古地図
三原市立中央図書館で所蔵する古地図の一部をパソコンのスライドショーで
紹介する。
「日本大絵図」
「新板大阪之図」(1681)
「大阪今昔
四度の大
火」
(1909)
「江戸宝鑑の図大全」
(1693)
「九州九ヶ国之絵図」
(1813)
「肥前長崎図」
「吉野山名所記」
(1681)
「奥州松島塩竃図」
(延宝の頃)
「城州八幡山案内絵図」