12 月の災害教訓カレンダー 日 災害 1 1656 年 明暦 2 年元呉服町の大火 漏電から出火。死者 51 名。 1611 年 慶長三陸地震 震害は軽く、津波の被害が大きかった。伊達領 内で死者 1783 人、南部・津軽で人馬の死者 3 千余人。三陸沿岸で家屋 の流出が多く、北海道東部でも溺死者が多かった。 1955 年 奄美大島名瀬市昭和 30 年の大火 1957 年 ゴビ・アルタイ地震(モンゴル) M8.3、死者多数。 1932 年 駆逐艦早蕨(さわらび)転覆沈没事故 二等駆逐艦早蕨は、台 湾北端で荒天に遭遇、転覆沈没した。甲板上に装備を搭載し過ぎて、復 元力を落としていたことが事故の原因と判断された。死者 104 名。 1917 年 ハリファックス大爆発(カナダ) 軍用火薬を積んだ、フランス 船籍の貨物船モンブランとノルウェー船籍の貨物船イモが衝突。消火 隊、救助隊、見物人など死者約 2,000 名。 1944 年 東南海地震 南海トラフ上の地震。死者・行方不明者 1,223 名。津波が各地に襲来した。 1922 年 島原地震 被害はおもに島原半島南部・天草・熊本市方面。長 崎県で死者 26 名、このうち 2 回目の地震による死者 3 名。 1945 年 せきれい丸沈没事故 台風並みの突風と、定員の 3 倍以上の 乗客を乗せていたことにより、転覆沈没した。死者・行方不明者 304 名。 1655 年 和歌山明暦元年の大火 都築瀬兵衛屋敷より出火、8 時間後 鎮火した。町屋敷は 199 軒焼失。民家 2000 軒余戸焼失との説がある。 2 3 4 5 6 7 8 9 10 教訓 1 年 3 か月後、同じように荒天により転覆沈没する事故が起 きた。これらを受け、広範な調査を行い艦艇の復元力に関す る対策を立てた。 その後も瀬戸内海で旅客戦の遭難が相次ぎ、半世紀後に明 石海峡大橋架橋が成就した。 11 12 13 1992 年 フローレス地震(フローレス島) 津波災害顕著であった。最大 波高 26m。死者 2500 名以上。死者の半分は津波によるものであった。 1821 年 岩代(福島県西半部)で地震 狭い範囲に強震。全壊 130 戸、死 者若干。上下動が強く、山崩れがあった。 14 15 16 17 18 19 20 21 1914 年 三菱方城炭鉱ガス爆発事故 爆発により坑道にガスが充満。 救出に入った 3 人が坑口侵入後すぐさまガス中毒になった。坑内勤務者 688 名のうち、死者 665 名。 1707 年 富士山宝永大噴火 降灰の影響が大きく、2 年後でも山麓の御 殿場付近の住人 55%が飢えていた。噴火の直前に大地震が起こった。 1096 年 永長地震 平安時代に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と想 定されている。 1828 年 越後三条地震 三条・見付・今町・ 与板などで被害が大きかっ た地割れからの水や砂の噴出や、流砂現象がみられた。死者 1443 名。 1723 年 肥後・豊後・筑後(九州)で地震 倒壊家屋 980 戸、死者 2 名。 1925 年 大正 14 年 12 月北海道全道暴風雪 冬型低気圧によって道内 全域に暴風雪。椴法華(函館市)、敷布、落部(八雲町)など、各部落のほ とんどが全滅した。死者約 120 名。 1946 年 南海地震 被害は中部以西の日本各地にわたり、死者 1330 名、津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高い所で 4∼6M に 達した。 平安時代に起きた、南海トラフ沿いの巨大地震と想定されて いる。 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1854 年 安政東海地震 被害は関東から近畿に及び、津波が房総から 土佐の沿岸を襲った。死者 2 千∼3 千名。 1854 年 安政南海地震 東海地震の 32 時間後に発生、被害地域は中 部から九州に及ぶ。津波が大きく、波高は串本で 15m、 久礼で 16m、種 崎で 11m など。死者数千名。 1960 年 昭和 35 年北陸豪雪 日本海側を中心に 1945 年 1 月以来の豪 雪となった。国鉄の旅客列車 80 本以上、貨物列車 50 本以上が立ち往 生し、500 ㎞に及ぶ区間の交通がマヒ状態となった。死者 39 名。 2004 年 スマトラ島沖地震 大津波により東アフリカでも被害があった。 死者約 22 万名。 1938 年 黒部渓谷志合谷淡雪崩 黒部渓谷志合谷のトンネル工事建設 現場の、4 階建ての共同宿舎が雪崩により吹き飛ばされた。死者 65 名。 1892 年 和歌山県勝浦港の漁船集団遭難 漁獲を終え帰途に就くころ、 突風に襲われ遭難。当日帰港できたのは 19 組のうち 5 組。死者 48 名、 行方不明者 181 名。 1852 年 大坂嘉永 5 年 11 月の大火 午後 10 ごろ、丼池(どぶいけ)筋の 北久宝寺町から出火、夜が明けても鎮火せず、ようやく正午になって消 えた。家数 1300 軒ほど、土蔵 7 か所、空き家 60 軒が焼失した。 1872 年 阿蘇山噴火 噴火により、硫黄採掘者数名死亡。 1703 年 元禄地震 小田原で被害大きく、城下は全滅、12 ヶ所から出 火、倒壊家屋 8 千戸以上、死者 2300 名以上。江戸・鎌倉などでも被害が 大きかった。津波襲溺死者数千名。 震源地、被災範囲、被災状況、安政東海地震の 32 時間後の 発生などの点から、南海トラフ沿いを震源地とする一連の巨 大地震が、この時も連動して発生したものとされている。
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