トラウマ記憶を光操作により消去する新規技術を開発

公立大学法人横浜市立大学記者発表資料
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日本時間 12 月 6 日(火)
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午前 1 時以降
新聞
日本時間 12 月 6 日(火) 朝刊
平成 28 年 12 月 5 日
公立大学法人横浜市立大学
国立大学法人大阪大学
国立大学法人東京大学 先端科学技術研究センター
トラウマ記憶を光操作により消去する新規技術を開発
~PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの治療の糸口に~
~『Nature Biotechnology』に掲載(日本時間 12 月 6 日午前 1 時付オンライン)~
横浜市立大学大学院医学研究科 生理学 高橋琢哉教授と竹本 研助教の研究グループは、東京大学
先端科学技術研究センター 浜窪隆雄教授、大阪大学産業科学研究所 永井健治教授との共同研究によ
り、トラウマ記憶を光操作により消去する新規技術の開発に成功しました。
人は、様々な状況で嫌なことを経験します。事故や災害における恐怖体験や対人関係のトラブルと
いった社会的関係のストレスなど、その嫌な記憶は強く形成されてしまうとトラウマとなり、対人恐
怖症等の社会性障害を引き起こします。トラウマ記憶形成の分子細胞メカニズムを解明し、コントロ
ールすることは健全な社会生活を営む上で非常に重要であると考えられます。
同グループは、以前げっ歯類を用いた研究で、
「ラットが特定の場所に入った時に電気ショックを
与えるとその場所に近づかなくなるが、その恐怖記憶が形成される際にグルタミン酸受容体の一つで
ある AMPA 受容体*1 が海馬の CA3 領域から CA1 領域にかけて形成されるシナプスに移行し、これ
が恐怖記憶形成に必要である」ということを発見しました(Mitsushima et al. PNAS 2011, Mitsushima
et al. Nature Communications 2013 図1)。
今回の研究では、トラウマ記憶形成の過程でシナプスに移行した AMPA 受容体を光操作により破
壊することにより、トラウマ記憶を消去する新規技術を開発することに成功しました(図2)。本研究
は心の傷をコントロールする新規治療法に向けたさらなる糸口になると期待されます。
図1 トラウマ記憶の成立に際し、AMPA 受容体のシナプス
図2 トラウマ記憶を仲介している AMPA 受容体を光操作に
移行が海馬において起きる。また、このような AMPA 受容
より選択的に破壊することによりトラウマ記憶を消去する。
体シナプス移行がトラウマ記憶形成に必要である。
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※本研究は『Nature Biotechnology』に掲載されます(日本時間 12 月 6 日午前 1 時オンライン)。
※本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(さきがけ)の一環として、また、新
エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)、文部科学省「先端融合領域イノベーション創出拠点
形成プログラム」などの助成により行われました。
○研究の背景と経緯
我々の脳は外界からの刺激に応答して変化をします。これを脳の可塑的変化と呼びます。神経細胞
と神経細胞をつなぎ、神経細胞間の情報伝達の中心を担っている構造体をシナプスと呼びますが、あ
る神経細胞が活性化するとその神経細胞のシナプス前末端より神経伝達物質が放出され、別の神経細
胞にあるシナプス後末端にある受容体に結合することにより情報が伝わります(図1)。脳に可塑的
変化が起こるとき、このシナプスの反応が増強するといった変化が見られます。
脳内シナプス伝達において中心的な役割を担っている神経伝達物質の1つにグルタミン酸があり、
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* AMPA 受容体はその受容体です。動物が新しいことを経験してシナプスに可塑的変化が起こると
き、この AMPA 受容体がシナプス後膜に移動します。これまでの研究から、「シナプス応答(反応)の
増強は AMPA 受容体のシナプス後膜への移動数の増加による」ということが明らかになっており
(Takahashi et al. Science 2003)、AMPA 受容体のシナプス移行が脳可塑性の分子基盤の一つであ
る、というコンセプトは世界的に認められてきました。
Chromophore assisted light inactivation (CALI:光操作分子不活性化)は光に反応して活性酸素を発生
する光増感物質を抗体等に吸着させ、抗体が標的分子に結合した際に光を当てることによりその標的
タンパク質を活性酸素により不活性化する技術です。研究チームはこれまでに光増感物質にエオシン
を採用することで、高効率に CALI が可能であることを明らかにしました(永井ら、特許第 4288571
号、Takemoto K. et al. ACS. Chem Biol. 2011)。
様々な脳領域の中でも特に海馬は記憶の中枢として長い間大きな注目を浴びてきました。以前、本
研究グループはトラウマ記憶が形成される際に、AMPA 受容体のシナプス移行が海馬において起こり
かつトラウマ記憶形成に必要な現象である、ということを発見しました(Mitsushima et al. PNAS)。
そして今回、海馬に依存したトラウマ記憶が心に刻まれるときにシナプスへ移行した AMPA 受容体を
選択的に CALI による光操作を用いて破壊することによりトラウマ記憶を消去することにげっ歯類で
成功しました。
○研究の内容
本研究グループは、まず AMPA 受容体の一つである GluA1 に対するモノクローナル抗体を作製し、
その抗体を光増感物質であるエオシンでラベルしました。以前、我々は、「海馬に依存した恐怖記憶
(*2 Inhibitory avoidance task:以下 IA task )が獲得される過程で、AMPA 受容体の一つである GluA1
が海馬における CA3 領域から CA1 領域にかけて形成されるシナプスに移行してシナプス応答が強化
される」ことを明らかにしました。本研究ではエオシンラベルした抗 GluA1 抗体を海馬に注入し、IA
task を学習させた後に、光ファイバーを用いて光を海馬に照射して GluA1 抗体に吸着しているエオ
シンからの活性酸素により GluA1 を不活性化し、IA task により形成されるトラウマ記憶を消去しま
した。
○今後の展開
本研究は世界で初めて光操作を用いてトラウマ記憶を消去する技術を開発したものです。本研究
は記憶形成のメカニズム解明、さらには PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの心の傷に起因した
社会性障害等の精神障害をコントロールする新規治療法開発の糸口になると期待されます。
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(注釈)
*1 AMPA 受容体:グルタミン酸を神経伝達物質としたシナプスは、脳内情報処理の中心的役割を担
っている。AMPA 受容体はグルタミン酸受容体の一つで、神経伝達物質であるグルタミン酸が結合す
ると、イオンチャネルを形成している AMPA 受容体が活性化し、イオンが細胞内に流入する。このイ
オンの流入がシナプス応答になる。したがって、シナプスにおける AMPA 受容体の数が増えること
によりシナプス応答が大きくなる。このようなシナプス応答の増強は記憶学習をはじめとした脳内情
報処理の変化の中心的メカニズムであることが知られている。
*2 Inhibitory avoidance task:明るい箱と暗い箱を隣接させて両方の部屋をラットが自由に行き来で
きるようにする。ラットが暗い部屋に入った時に電気ショックを与えるとラットは暗い部屋に入らな
いようになる。この過程でラットは暗い部屋における電気ショックという恐怖記憶を獲得することに
なる(図3)。
図3
恐怖条件付け(Inhibitory avoidance task)
○論文タイトル・著者名
“Optical inactivation of synaptic AMPA receptors erases fear memory”
Kiwamu Takemoto*, Hiroko Iwanari, Hirobumi Tada, Kumiko Suyama, Akane Sano, Takeharu
Nagai, Takao Hamakubo, and Takuya Takahashi*
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corresponding authors
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国立大学法人東京大学 先端科学技術研究センター 計量生物医学部門
教授 浜窪 隆雄
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