気づきの機会としての米大統領選挙 「トランプ・ショック」に世界が揺れている。波乱の結果が浮き彫りにしたのは、米国の しん し 有権者に広がる不満だ。ポピュリズムのうねりを軽視せず、真摯に有権者の不満に向 き合えるかどうかが問われている。 みずほ総合研究所 欧米調査部 部長 安井明彦 米国の大統領選挙が波乱の結果となった背景に 怒りに支えられた新政権の誕生は、米国の行方に は、有権者のうっ積する不満があった。米国の世論調 対する懸念を生んでいる。警戒されているのは、保護 査では、かれこれ 10 年以上にわたって、 「米国が進ん 主義的な通商政策や厳格な移民政策などを通じ、閉 でいる方向性に満足していない」とする回答が多数 じていく米国である。 を占め続けている。 通商政策では、世界の自由貿易の枠組みを揺るが うっ積した不満は、怒りとでも言うべき、暗く強い すような提案が行われている。日本が注目する環太 力となった。その矛先が向かったのは、不満を癒やす 平洋パートナーシップ(TPP)協定からの撤退は、氷 ことのできない政治家である。 山の一角に過ぎない。北米自由貿易協定(NAFTA) 米国の有権者にすれば、30 年近くも国政の舞台に 立ち続けたヒラリー・クリントン氏に、 「変化の担い の見直し、さらには廃棄となれば、北米で活動する世 界中の企業が影響を被る。 手」を期待することは難しかった。ドナルド・トラン トランプ氏は、世界貿易機関(WTO)からの脱退す プ氏の破天荒な言動ばかりが注目された今回の大統 ら示唆している。自由貿易体制の守護神的な役割を 領選挙だが、勝敗を決定づけたのは、思いのほか強烈 担うWTOが揺らぎ、米国が経済的な門戸を閉ざして な「政治家・クリントン」への逆風だった。 いくようだと、世界は連鎖的に保護主義に傾斜して トランプ氏支持の中核は、製造業などで働く中間 いきかねない。 層以下の白人、いわゆるホワイト・ワーキングクラス トランプ氏が主張してきた厳格な移民政策は、反 の人々である。大統領選挙では、ペンシルべニア州や 難民・移民のうねりに揺れる欧州を想起させる。不法 ウィスコンシン州など、これまで民主党の支持が強 移民の本国送還など、そもそも移民の国として成長 かった中西部の諸州で、共和党のトランプ氏が勝利 してきた米国ですら、ヒトの流入に対する寛容さを を収めている。製造業の衰退から、 「ラスト・ベルト 失いつつあるように見受けられる。 (さびついた工業地帯)」と呼ばれる地域が、政治家に 対する怒りの発信源となった。 1 金銭的な要素にとどまらない。それは、疎外感とでも いうべき複雑な顔をもつ。2015 年 9 月に行われた世 論調査では、共和党支持者の 6 割強が、 「米国にいて グローバル化に逆行する「閉じる政策」に対して も自分が異邦人のように感じる」と答えている。 は、これをポピュリズムの表れとして、厳しく批判す ホワイト・ワーキングクラスは、いつしか米国とい る傾向がうかがえる。ヒト・モノ・カネのグローバル う舞台に、 自分の居場所を見つけられなくなっている。 化は、長らく世界経済の原動力だった。その行く末が 技術革新やグローバル化が進み、自らの仕事は将来が 懸念されるのは当然である。 見通し難くなってきた。 人種の面でも、 白人は少数派に 気がかりなのは、ポピュリズムという言葉に、有権 変わろうとしている。将来を自分で決められない無力 者に向き合おうとする姿勢まで、軽蔑する香りが漂 感が、 ホワイト・ワーキングクラスをむしばんでいる。 うことだ。とくに「大衆迎合主義」という訳語には、 「大衆におもねる考え方」という雰囲気があるどころ ごうまん か、 「大衆=無知」という傲慢さすら感じられる。 ポピュリズムは、病気のありかを示してくれる大 切なシグナルだ。それに気づいて初めて、治療法がみ 彼らが取り戻したいのは、米国という舞台で活躍 できるという自信だろう。富裕層への増税などに よって、事後的に格差が調整されただけでは、不満は 癒やされない。誰もが居場所をみつけられる経済、包 摂的な成長の実現が求められている。 えてくる。 癒やすべき病気は、 有権者の怒りである。 ポピュリズ ムは、 その症状に過ぎない。 ポピュリズムを断罪するだ けでは、 閉じようとする有権者の怒りはおさまらない。 トランプ氏が示そうとしている回答は、積極的な トランプ氏が大統領になったというだけで、米国 財政政策と規制緩和による成長率の押し上げだ。イ が閉じていくわけではない。閉じようとする理由が ンフラ投資を含んだ拡張的な財政運営は、これまで 有権者にあったからこそ、トランプ氏が大統領に 識者が伸び悩む世界経済への処方箋として提示して なった。そう考える視点が大切だ。 きた方策と似通う。持続的に成長力を高めるには、企 今回の大統領選挙戦でクリントン氏は、トランプ 氏の支持者を「外国人嫌い」などと評したうえで、 「嘆 かわしい人々」であり、 「救いようがない」と発言した 業の設備投資や研究開発の呼び水となり、生産性の 向上に結び付くかどうかがカギとなる。 グローバル化が息を吹き返すには、きめ細かな説 と伝えられる。大衆の怒りを理解できない政治家と、 明と対応が必要だ。グローバル化は、勝者と敗者を生 そうした政治家を信じられない大衆の間の深い亀裂 む。 「敗者が生まれたとしても、米国経済全体でみれ が感じられる。 ばプラス」 「だから自由貿易を推進すべき」という大 所高所からの説明は、大衆の心に響いていない。自 由貿易協定など、国家間の話し合いで進められるグ ローバル化には、大衆が距離を感じやすい特性があ ホワイト・ワーキングクラスの怒りは、何に根差し ているのか。指摘されるのは、経済的な格差であり、 ることを忘れてはならない。 不満を振り切ってまい進できるほど、グローバ 中間層の所得の伸び悩みである。米国では、金融危機 ル化の足場は盤石ではない。フランス大統領選挙 後の所得増のうち、50%強が所得上位 1%の富裕層 (2017年4月)、ドイツ議会選挙(同9月)と、政治の注 の手にわたった。実質中位所得の水準は、いまだに 目は欧州に移る。波乱の大統領選挙を気づきの機会 1999年を超えていない。 とすることができれば、 「トランプさん、ありがとう」 トランプ大統領を生んだ怒りの原因は、そうした 2 と言える日がやってくる。
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