紙面3面(PDF:370KB)

(3)2016
(平成28)年12月1日号
受け継がれる奉仕の心
ロシア兵墓地清掃奉仕活動
生徒会として
この活動に関わって
毎月欠かすことなく活動
に 参 加 し た 友 人 の「この 伝
統を自分の手で継いでいき
たい」との言葉。このような
思いを持つ多 くの生 徒に
よって支えられているこの
活動に生徒会の一員として
参加できたことは私の誇り
です。
願いがかなわず亡くなった
ロシア兵の人たちをしのぶ
思いや 平 和への願い が 伝
わって く る よ う で、こ の 活
動のすばらしさをあらため
て感じます。
墓石を磨く人や草抜きを
す る 人、落 ち 葉 を 集 める 人
な ど一人一人 が一生 懸 命 取
り組むことできれいな墓地
が 保 た れてい ま す。私 は 生
徒会として活動に参加する
ことによって誰とでも話せ
る よ う に な り、強 く な れ た
気がします。
ロシア兵墓地の慰霊祭
ロシア兵墓地では毎年、
ロ シ ア正教の祈りをささ
げるパニヒダ慰霊祭、市が
主 催 するロシア兵 墓地 慰
霊祭が行われています。こ
うした行事は、関係する大
使館や総領事館を始め、親
善舞踊団や音楽団などの
訪問を受けるなど国際交
流の場ともなっています。
市主催の慰霊祭では私た
ち生徒会から、この活動に
寄せる思いを生徒 会長 が
代表し
出席者
の皆さ
んに伝
えてい
ます。
先人と文化の読み物教材
「語り継ぎたい ふるさと
松山 百話 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ 」
14
生徒 会 役員として、参 加
する 生徒に的確に指示する
立場として苦労も多いです
が、清 掃 後 の 晴 れ 晴 れ とし
た顔を見ると充実感があ
慰霊祭は、過 去の戦 争と
り、人 間 と して 大 き く 成 長 ロシ ア兵墓地の歴史を振り
できたことを実感します。 返 る きっか け と な り、国 際
交流においてもロシア兵墓
地での活動が大切であると
感 じ ま し た。活 動 を 通 じて
遠い昔と感じていた戦争を
身近に感じ、今後、自分でで
清掃奉仕活動に参加する きる形で平和に貢献したい
ご と に、祖 国へ 帰 る とい う です。
清掃、保存活動を続けている保
存会を始め、地域の人たちへの感
謝を忘れることなく、国際交流の
懸け橋でもある歴史ある活動をこ
れからも誇りを持って受け継いで
いきたいと思います。
市主催の慰霊祭の様子
第Ⅱ巻にロシア兵墓地の清掃を収録
松山の先人や文化に関す
る心に 響くエピソードをま
と め た 教 材 集 で す。一話 が
〜 ペー ジ 程 度 で、気 軽
に松山ゆかりの先人の足跡
や文化に親しむことができ、
市立図書館で見ることがで
きます。
10
髙須 夏穂さん
(3年)
波多野 涼一郎さん
(3年)
松村 唯美さん
(3年)
藤原 諒さん
(3年)
越智 梨咲子さん
(3年)
日露戦争時に捕虜となり、故郷に帰ることがかなわず亡くなったロシア兵の人
たち をしのんで建てられた「ロシア兵墓地(御幸一丁目)」。私たちの学校では生徒
会が中心となり、伝統行事として「ロシア兵墓地清掃奉仕活動」を行っています。
当初建てられたお墓は
伝統ある活動を
受け継いでいきたい
生徒会で代々受け継がれている清掃要領
59
髙橋 李桜さん
(3年)
ロシア兵墓地の歴史
39
ふるさと
松山学 №9
37
勝山中学校
収 容所 が設けられました。
そ こ に は、終 戦 ま で に お よ
そ6000人のロシア兵捕
虜が収容されたといわれて
い ま す。戦 時 中 だっ た に も
かかわらず、松山市民は「も
て な し の 心」で、負 傷 し た
ロシア兵を手厚くもてなし
ま し た。
「も て な し の 心」と
は、困 っ て い る 人 が い れ ば
助 け る、そ れ は 人 と し て 当
たり前のことだという松山
に根付く人情です。
田中 悠太郎さん
(3年)
■ 松山での生活と墓地の建立 木 で 作 ら れ た も の で、松 山
収容されたロシア兵の生 の人たちの手で大切に守ら
活 に は 自 由 な 面 も あ り、あ れ て き ま し た が、長 い 年 月
る 程 度 元 気 な 人 は、ト ラ ン の中で傷み が激 しくなり、
プ や 音 楽 鑑 賞、さ ら に は 自 石 の 墓 標 が 建 て ら れ ま し
転車レースまでしていたよ た。そ の 後、昭 和 年 に 市
う で す。し か し、収 容 所 生 の管理となり現在の場所に
活 の 中 で、戦 争 中 に 受 け た 移 転 し ま し た。以 来、多 く
傷 が 原 因 で、 人 のロシア の人々によって保存活動が
兵 が 亡 く な り、彼 ら を し の 続けられています。
んでお墓が建てられまし
勝山中学校では昭和
時 の 生 徒 会 を 中 心 に
た。それ が「ロシア 兵 墓 地」 年、当
です。
生徒たちがロシア兵墓地の
清掃を始めました。これが、
現在まで勝山中学校で続い
清掃活動の始まり
て い る「ロ シ ア 兵 墓 地 清 掃
奉 仕 活 動」の 始 ま り で す。
現在は毎月第2土曜日に清
掃 を 行 っ て い ま す。毎 回
100人ほどの生徒が参加
し、き れ い に 保 た れ て い ま
す。
98
私たちの
■ 日露戦争時に設けられた
捕虜収容所
1 904
(明治 )年 2月
に日 露戦争が始まって1カ
月 後、松 山 に 全 国 初 の 捕 虜
墓石1基につき生徒1人が担当
中学生連載企画