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自由応募分科会 3 「中国革命と地域社会における権力構造の変遷:「土地革命」神話を超
えて」
報告 1
山本真(筑波大学)
「1949 年前後、共産党による軍事的勝利と在地勢力―福建省の事例から―」
日中戦争の期間、日本海軍による海上封鎖を被り、外部との貿易が困難となった福建省
の経済・財政は困窮していった。社会経済が混乱するなかでの過酷な徴兵と食糧の徴発は、
社会から強い反発を受けることを避けられなかった。また福建省では、民国前期において
「民軍」と呼ばれる軍事勢力が各地に割拠し、宗族や村も民団や大刀会などの形式で自衛
団を組織していた。1934 年以降、省政府による軍事勢力改編の努力により、以前の露骨な
割拠状況は克服されつつあった。しかし、その後の日中戦争による治安の悪化、省政府に
よる統制力の低下を背景に、旧「民軍」は勢力を回復した。彼らの一部は、「福建和平救
国軍」として日本軍と結託したし、徴兵を逃れた壮丁は匪賊に吸収されたのである。
このように 1945 年 8 月、日中戦争が終結した時点において、福建省の社会・経済は既に
疲弊の極みにあった。これにも拘らず、1946 年 6 月に勃発した全面的内戦は、徴兵と食糧
供出の負担を福建民衆に継続して背負わせることになった。福建の人々は政府の徴兵に対
して東南アジアへ逃亡したり、山へ隠れるなどして自己防衛を図るだけでなく、匪賊に身
を投じることにより生存を図った。共産党ゲリラに参加して政府に抵抗を試みる者も現れ
たのである。さらに、中央政府の経済政策の失敗が、福建にも深刻なインフレーションを
もたらした。その結果、対外戦争が終結したにも拘らず民衆を保護し得ない国民党政府へ
の不満が社会各層から噴出した。
また政治面では、国民党政府は憲政への移行を目指し、各級民意機関の選挙を実施した。
しかし、選挙は親国民党系勢力内部での深刻な相互対立を惹起してしまった。このため省
参議会は蔣介石系中央政府が統制できぬ政治空間となっていった。政治・経済政策の失敗
により、共産党軍の進攻を受ける以前に国民党政府は事実上自壊していたといえるだろう。
共産党による帰順の働きかけが行われるなかで、福建の在地勢力は自身或いは自らが属
する地域や集団の存亡をかけて、国民党側に立つか、共産党に帰順するか、あるいは香港
や台湾に逃亡するかの厳しい選択を迫られた。さらに、地方の行政長官や保安部隊の帰順
が共産党の勝利を一層強固なものとすると同時に、国民党が蓄積してきた統治情報が彼ら
により共産党にもたらされたことが、共産党の統治を順調ならしめたことも看過できない。
ただし、国民党のと協力して共産党に抵抗する者も少なくなかった。台湾海峡で活動し
た海賊勢力の一部は、その後「反共救国軍」として国民党軍側に収編され、馬祖列島を基
地に福建沿岸部へのゲリラ活動を継続した。それゆえ、共産党は福建への進攻後には、抵
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抗勢力を殲滅する「剿匪」を展開し、さらに朝鮮戦争勃発後には社会に残存すると認識し
た潜在敵を徹底的に排除する「反革命鎮圧」を強化した。海峡を挟んで台湾と向かい合う
という地政学的条件を有する福建省では、内戦はそのまま 1950 年代以降の台湾海峡での緊
張へと連続していくことになった。
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