腸内細菌データがもたらす次世代医療の可能性 ○増田貴宏* * (指導教員 冨田勝**) 慶應義塾大学 環境情報学部4年 (2017 年 3 月卒業予定) 慶應義塾大学 環境情報学部 ** * [email protected], [email protected] キーワード:腸内細菌,コハク酸,肝障害,医療 ** 概要 ヒトの腸管内に生息する多種多様な腸内細菌は, ヒトの健康状態に大きな影響を及ぼすことから,近 年では 1 つの臓器として見なされるほど重要視さ れている.その一方,未だその包括的な理解はなさ れておらず,その全貌は今も多くの謎に包まれてい る.本研究では,バランスの乱れた腸内細菌叢から 産生されるコハク酸が,肝臓に発現する G タンパク 質共役受容体を介して肝障害を引き起こし,肝疾患 の発症や増悪に寄与するという新たな可能性を見 出した.本研究成果は,腸内細菌叢を標的とした薬 に非依存的な新たな肝疾患医療戦略へと発展する ことが期待される. 1 研究背景 ヒトの体のいたるところには無数の微生物が生 息しており,特に腸管内には数百種類以上でおよそ 100 兆細胞もの腸内細菌が生息していることが知ら れている.これらの腸内細菌は,宿主の消化の補助 や免疫系の構築などにより,宿主の恒常性維持に大 きく貢献している一方で,食習慣や生活習慣の乱れ によりそのバランスが崩れると,炎症性腸疾患や大 腸癌などの腸管疾患に加え,肥満や肝臓癌,糖尿病 などの全身における多様な疾患の発症につながる ことが報告されている [1].このように腸内細菌は ヒトの健康状態に大きな影響を及ぼすことから,腸 内細菌叢と呼ばれる腸管内の微生物生態系は,近年 では 1 つの臓器として見なされるほど重要視され ている.その一方,未だその包括的な理解はなされ ておらず,その全貌は今も多くの謎に包まれている. 従来の腸内細菌研究においては,菌種ごとに固有 な 16S rRNA 遺伝子配列の解読に基づいた菌種の解 析が主として行われており,大規模なヒト腸内細菌 叢解析としては MetaHIT プロジェクトなど,腸内細 菌叢の菌種の構成と宿主に与える影響との関係性 について多くの研究がなされてきた.しかしながら これらの細菌叢解析の研究成果は,健康な人や特定 の疾患患者に特徴的な腸内細菌叢の構成を示すだ けであり,その分子メカニズムについてはほとんど 解明することができずにいた. そのような中,代謝物質を網羅的に解析すること が可能なメタボローム解析技術の発達に伴い,近年 の研究では,腸内細菌が産生する代謝物質を介して 2 宿主に及ぼす影響が大きな注目を浴びている.腸内 細菌は宿主が消化吸収することのできない食物繊 維を基質として腸管内で嫌気発酵を行っており,こ の最終代謝産物として,酢酸,酪酸,プロピオン酸 などの短鎖脂肪酸や、乳酸やコハク酸といった有機 酸を産生している.これらは腸管内において mM オ ーダーの高濃度で産生されている数少ない代謝物 質であり,近年ではこれらの腸内細菌叢由来の短鎖 脂肪酸や有機酸が腸管から吸収された後に,宿主に 対して様々な生理機能をもつことが明らかとなっ てきた.その代表例としては,ビフィズス菌が産生 する酢酸が腸管のバリア機能を高めて病原菌の感 染を防ぐことや [2],クロストリジウム目細菌が産 生する酪酸が過剰な免疫反応を抑制する制御性 T 細胞を誘導することで腸炎を防ぐことなどが報告 されている [3]. このように,近年の腸内細菌研究においては腸内 細菌叢の菌種,代謝物質,宿主に与える影響という 3 者の複雑な相関関係を調べることで,今まで解明 することのできなかった腸内細菌を介した宿主の 生体修飾機構を解明することが可能になってきて いる.また腸内細菌叢の構成は,宿主の食事やヨー グルトに代表される有用細菌を摂取するプロバイ オティクスにより大きく変化することが報告され ている.従って,これらの腸内細菌叢を介した生体 修飾機構の解明は,腸内細菌叢を標的とした薬に非 依存的な疾患の予防及び治療戦略として次世代医 療に大きく貢献する可能性が期待されている. そこで我々は,次世代医療に貢献するような腸内 細菌叢を介した新規生体修飾機構の解明を目指し, 未だに宿主に及ぼす影響が明らかとなっていない 腸内細菌叢由来のコハク酸に着目して研究を行っ てきた.コハク酸はバクテロイデス属細菌などのい わゆる悪玉菌により産生され,酢酸,酪酸,プロピ オン酸などと同様に腸管内において高濃度で産生 されている代謝物質である.また肥満や腸炎などの 発症に伴って増加することが報告されていること から,宿主に悪い影響を及ぼす代謝物質である可能 性が示唆されている一方で,その機能の詳細や作用 メカニズムは未だ明らかとなっていない [4, 5].そ こで我々は,マウスを対象とした複数の動物試験を 行い,腸内細菌叢由来のコハク酸を介した新規生体 修飾機構の解明を目指した. 3 研究内容 3.1 腸管から吸収されたコハク酸が宿主に及ぼす 生理機能の検討 本研究では初めに,腸管から吸収されたコハク酸 が宿主にどのような生理機能を及ぼすのか解明す ることを目的として,マウスへ 200 mM コハク酸水 溶液の飲水投与試験を 2 週間行った.その結果,水 道水を投与した対照群と比較して,有意な体重の減 少が認められた (図 1). 24.0 4.0 24.0 3.0 23.0 = Control A Gln 1600 60 1200 50 Glutathione(ox) 25 20 15 40 800 10 30 600 20 400 5 10 200 0 0 0 Control Control Succinate Control Succinate Succinate Citrate 3500 3000 2500 2000 Oxaloacetate Malate Cis-aconitate 1500 1000 90 1 0.9 0.8 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 500 80 70 0 Control Succinate 60 50 40 30 N.D. 20 10 Isocitrate 0 Control Succinate Control 1000 900 800 700 600 500 400 300 200 100 0 Succinate 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 TCA cycle Control Control Succinate 21.0 23.0 Glu 70 1400 1000 2.0 22.0 = Succinate Succinate 2-oxoglutarate Fumarate 250 21.0 900 800 200 700 600 150 500 100 20.0 1.0 Body weight (g) Body weight (g) 22.0 21.0 20.0 0 Control * 19.0 Met Control Control Control Control Control Succinate Succinate Succinate Succinate Succinate 17.0 16.0 18.0 ~ ~ 15.0 17.00 1 0 2 1 17.0 2 15.0 0 3 Succinate Succinate B SAM+ 100 16.0 7.0 Control * Hypotaurine 0.45 19.0 18.0 Control 0 Glutathione 25 120 17.0 8.0 0 50 18.0 20.0 19.0 100 250 Succinate 100 18.0 9.0 200 300 150 21.0 20.0 300 350 200 19.0 0.0 400 Succinate 50 4 0 3 1 20 8.0 0.40 7.0 15 0.35 80 6.0 0.30 60 5.0 0.25 40 20 0 Control Betaine Succinate 0.20 4.0 0.15 3.0 0.10 2.0 0.05 1.0 0.00 10 5 0 Control Succinate 0.0 Control Succinate Control Succinate 300 250 200 150 1 2 3 052 1 362 4 5 4 4 37 5 4 6 5 6 7 8 856 6 9 7 7 7 9 10 11 12 13 14 15 12 1313 1314 14 14 8 99 1110 15 1515 810 10 11 11 1212 Days 8 9 Days 10 11 12 13 14 Ophtalmate 100 50 0.90 15 Homocysteine 1 0.9 0.8 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 N.D. Control Succinate 0 Control 0.80 SAH Succinate 1 0.9 0.8 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 0.70 0.60 0.50 0.40 0.30 N.D. Control 0.20 0.10 Succinate 0.00 Control 図 1: コハク酸の飲水投与による体重の変化 マウスの 2 週間の体重変化を折れ線グラフで示した.水道水を 投与した対象群 (Control) を白,200 mM のコハク酸飲水投与群 (Succinate) を黒でプロットした.各群 5 匹のマウスの体重の平 均値としてプロットし,標準偏差をもとにエラーバーを記した. 2 群間の有意差は反復測定の 2 元配置分散分析により検定を行い, *P < 0.05 で 2 群間に有意差を示した. この結果を受けて,体重減少をもたらした要因を 検討することを目的として,体重減少に伴う全身性 の代謝プロファイルの変化を調べるためにマウス の血漿のメタボローム解析を行った. その結果,様々な肝疾患の発症に伴って亢進する ことが報告されているグルタミン代謝やメチオニ ン代謝の亢進,マウスにおける急性肝炎のバイオマ ーカーとして報告されているオフタルミン酸の有 意な増加などが認められ,腸管から吸収されたコハ ク酸が肝臓において代謝異常を誘導した可能性が 示唆された (図 2) [6].また腸管から吸収された腸 内細菌叢由来代謝物質は,門脈を通ってまず肝臓に 流入することから,肝臓では腸内細菌叢由来代謝物 質の影響を強く受けることが知られている.従って 本研究においても,腸管から吸収されたコハク酸が 肝臓に影響を及ぼした可能性が高いと推察された. Ser Cystathionine Succinate Cysteine 400 2.50 350 300 1 0.9 0.8 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 2.00 250 1.50 200 1.00 150 100 0.50 50 N.D. Control Succinate 0.00 0 Control Succinate Control Succinate 図 2: コハク酸の飲水投与による血漿メタボロームの変化 マウスの血漿のメタボローム解析の結果,亢進が認められたグ ルタミン代謝 (A) とメチオニン代謝 (B) の代謝パスウェイを 示した.各群 5 匹のマウスにおける各代謝物質の平均濃度を棒 グラフで示し,標準偏差をもとにエラーバーを記した.水道水 を投与した対象群 (Control) を白,200 mM のコハク酸飲水投与 群 (Succinate) を黒で示した.マンホイットニーの U 検定により P < 0.05 で有意な増加の認められた代謝物質名を赤字,有意な減 少の認められた代謝物質名を青字で示した. 3.2 腸管から吸収されたコハク酸が肝臓に及ぼす 影響の解明 続いて,コハク酸の飲水投与により代謝異常が誘 導された可能性が示唆された肝臓において,腸管か ら吸収されたコハク酸が及ぼす影響とその分子メ カニズムの検討を行った.先行研究において,肝臓 に 5-8%存在する線維芽細胞である肝星細胞にはコ ハク酸受容体の G タンパク質共役型受容体 91 (G protein-coupled receptor 91; GPR91) が発現し,コハ ク酸はこの GPR91 を介して肝星細胞を活性化する ことが報告されている [7].活性化された肝星細胞 は,I 型コラーゲンなどの細胞外マトリックスなど を多量に産生することにより,肝障害や炎症,肝臓 の線維化を誘導することが知られており [8],腸管 から吸収されたコハク酸がこの GPR91 を介して肝 星細胞の活性化を誘導した可能性が推察された.そ こで,マウスへ 20 mM と 100 mM コハク酸水溶液 の飲水投与試験を 2 週間行い,採取したマウスの肝 臓組織において活性化された肝星細胞が高発現す 24.0 22 23.0 20 16 2.5 Relative TIMP-2 mRNA expression 2.0 Relative CTGF mRNA expression 2.5 14 20.0 * 12 19.0 10 2.0 20 mM *** 1.5 1.0 0.5 0.0 3 4 20 mM 100 mM 5 6 7 8 3.5 3.0 9 1 10 11 12 0 13 20 mM 100 mM * 2.5 2.0 1.5 1.0 0.5 Control 20 mM 100 mM 図 3: コハク酸の飲水投与による肝臓の mRNA 発現量の変化 それぞれマウスの肝臓組織における (A) TGF-β,(B) CTGF,(C) TIMP-2,(D) COL1A1 の mRNA 発現量を棒グラフ示した.水道 水を投与した対象群 (Control) を白,20 mM のコハク酸飲水投与 群 (20 mM) を薄い灰色,100 mM のコハク酸飲水投与群 (100 mM) を濃い灰色で示した.各群 5 匹のマウスの mRNA 発現量の 平均値として計算し,標準偏差をもとにエラーバーを記した. Dunnett 法による多重比較検定を用いて,*P < 0.05,**P < 0.005, ***P < 0.0005 で有意差を示した. 3.3 腸管から吸収されたコハク酸が NASH マウス モデルに及ぼす影響の検討 これまでの研究成果より,腸管から吸収されたコ ハク酸は肝星細胞に発現する GPR91 を介して肝星 細胞を活性化し,その結果肝障害や炎症が促進され たことで体重の有意な減少が誘導された可能性が 示唆された.肝星細胞の活性化は肝硬変や門脈圧亢 進症,肝不全,肝臓癌などの様々な肝疾患の発症に 寄与することが報告されており [10],腸管から吸収 40 40 Control 20 15 1 Succinate 0 2 14 60 20 Succinate 0 8 2 0.0 Control Control Weeks Control D *** ~ ~ 0.5 100 mM 60 12 17.0 1.0 *** 14 10 1 80 80 16 8 0 100 100 18 18.0 1.5 0.0 Control C 3.0 Relative COL1A1 mRNA expression Relative TGF-β mRNA expression * B Body weight (g) 18 21.0 1.8 1.6 1.4 1.2 1.0 0.8 0.6 0.4 0.2 0.0 B 120 20 22.0 A 22 A Survival rate (%) されたコハク酸が肝星細胞の活性化を介してこれ らの肝疾患の発症に寄与する可能性が考えられた. そこで我々は,数ある肝疾患の中でも特に多くの研 究がなされている非アルコール性脂肪肝炎 (Non-alcoholilc steatohepatitis; NASH) の発症に腸管 から吸収されたコハク酸が及ぼす影響を検討する ために,NASH マウスモデルへの 200 mM コハク酸 水溶液の飲水投与を行った. その結果,水道水を投与した対照群と比較して, コハク酸の飲水投与開始直後から著しい体重減少 が認められた (図 4A).さらには,投与開始から 2 週間目以降においてマウスの死亡が認められ,最終 的には飼育を行った 7 週目までの間に 5 匹中 3 匹の マウスの死亡が認められた (図 4B).この試験に関 しては,今後飲水投与するコハク酸濃度を下げて再 現性を確かめる試験を行う必要があるが,今回得ら れた結果から,腸管から吸収されたコハク酸が肝星 細胞の活性化を介して重篤な肝疾患の悪化を引き 起こす可能性が示唆された. ることで知られるタンパク質の mRNA 発現量を RT-PCR により測定した. その結果,活性化した肝星細胞が高産生すること で知られる TGF-β (Transforming growth factor-β) や CTGF (Connective tissue growth factor) などの肝臓の 線維化に寄与する成長因子,細胞外マトリックスの 分解を阻害する酵素の TIMP-2 (Tissue inhibitor of matrix metalloproteinase-2),I 型コラーゲンの前駆体 の COL1A1 (Collagen type 1 α 1) の mRNA 発現量に おいて,コハク酸濃度依存的に有意な増加が認めら れた (図 3).従って,腸管から吸収されたコハク酸 は肝星細胞に発現する GPR91 を介して肝星細胞の 活性化を誘導し,肝障害や炎症,肝臓の線維化を誘 導した可能性が示唆された.また活性化された線維 芽細胞では,グルタミン代謝が亢進することが報告 されており,血漿のメタボロームの結果認められた グルタミン代謝の亢進は,この肝星細胞の活性化に 起因するものと推察された [9].さらに,肝障害が 起きた際の表現型の 1 つとして体重の減少が知ら れていることから,コハク酸の飲水投与により認め られた体重の有意な減少も,この肝星細胞の活性化 に起因するものと推察された. 2 0 0 1 2 3 4 5 6 7 0 2 4 6 8 1012141618202224262830323436384042444648505254 Weeks 図 4: コハク酸の飲水投与が NASH マウスモデルに及ぼす影響 (A) マウスの体重変化を折れ線グラフで示した.水道水を投与し た 対 象 群 (Control) を 白 , 200 mM の コ ハ ク 酸 飲 水 投 与 群 (Succinate) を黒でプロットした.各群 5 匹のマウスの体重の平 均値としてプロットし,標準偏差をもとにエラーバーを記した. 2 群間の有意差は各タイムポイントにてスチューデントの t 検定 を行い,***P < 0.0005 で 2 群間に有意差を示した. (B) 各群 5 匹のマウスの生存率を百分率で示した.水道水を投与 した対象群 (Control) を白,200 mM のコハク酸飲水投与群 (Succinate) を赤で示した. 結論と展望 本研究の成果として,肥満や腸炎などのバランス が乱れた腸内細菌叢から多量に産生されることで 知られるコハク酸は,肝星細胞に発現するコハク酸 受容体の GPR91 を介して肝星細胞を活性化するこ とで肝疾患の発症や増悪に寄与するという新たな 可能性を見出した.そしてこれらの研究成果は,将 来的には食事やプロバイオティクス投与により腸 内細菌叢を変化させることで,腸内細菌叢を標的と した薬非依存的な肝疾患の予防及び治療戦略とし て次世代医療に大きく貢献する可能性が期待され る.さらには腸内細菌叢のコハク酸産生量を測定す ることが,肝疾患発症リスクを評価するための指標 として用いることができる可能性や,腸内細菌叢を 介した新たな肝疾患発症メカニズムの解明により, 新規分子標的薬の開発に繋がる可能性も期待され 4 る. 5 参考文献 [1] Bull MJ, Plummer NT. Part 1: The human gut microbiome in health and disease. Integr Med (Encinitas). 2014 Dec;13(6):17-22. [2] Fukuda S, Toh H, Hase K, Oshima K, Nakanishi Y, Yoshimura K, Tobe T, Clarke JM, Topping DL, Suzuki T, Taylor TD, Itoh K, Kikuchi J, Morita H, Hattori M, Ohno H. Bifidobacteria can protect from enteropathogenic infection through production of acetate. Nature. 2011 Jan 27;469(7331):543-7. 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