展示内容 ① ①「湖川諸漁猟藻草及ヒ泥取規則并税則」 明治 7 年(1874)6 月 17 日 江戸時代までは、諸藩がそれぞれの政策で琵琶湖における漁 業を統制していましたが、近江国全体にわたる保護政策はあり ませんでした。明治時代に入り、初代県令松田道之は、特定の 区域の中で独占的に漁ができる「借区免許」 、特定の漁法であれ ば特定区域で独占的に漁ができる「専稼免許」、借区を除いた一 般の湖上で漁ができる「雑稼免許」の三種類による鑑札免許制 を定めました。 ② 【明う 48(-) 】 ②「和邇村提出古書類写し」 明治 34 年(1901)9 月 漁業者にとって、近代以前の各為政者によって発給された古文書は、 非常に大切なものでした。それは先祖から引き継いできた漁業の慣行 を証明するものだったからです。明治 34 年制定の漁業法改正で、従来 の「慣行」が漁業権という形で権利化され、旧来の村に代わって漁業 組合に付与されることになりました。この写しは、法改正を受け滋賀 郡和邇村の人びとが漁業権を認めてもらうために作成したものであ り、慶長期から文政期にわたる内容です。漁業者にとって「記録の継 承」がいかに重要であったかうかがえます。 【明つ 26 合本 1(2))】 ③ ③「工作物施設申請書」 明治 45 年(1912) 5 月 愛知郡の漁業組合から提出された内湖を利用し た鯉の養魚場設置の申請書です。内水面漁業である 琵琶湖の漁業は、漁獲量の維持・増大をはかるため には、養殖なども行わなければなりませんでした。 明治 33 年には県水産試験場が犬上郡福満村(現彦 根市)に設置され、鯉類漁獲量の増大に貢献してい ます。 【明な 199(6) 】 ④ ④『滋賀県漁具譜』 昭和 26 年(1951)6 月 ここに掲載の簗(やな)漁は、アユやウグイ、ハスなどを漁 獲する漁法で、古い漁法として知られています。河川で扇形に すのこを設置し、琵琶湖から遡上してきた魚を川岸にあるカッ トリヤナ、もしくはアンドンと呼ばれる部分に誘導します。安 曇川河口の北舟木や姉川河口の南浜が大仕掛な簗の設置場所と して知られていますが、近年はその数が減少傾向にあります。 (県史資料 5-48)
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