第201号

共創・共育・共感
尾鷲市教育長だより
2016.11.4.(金)
第201号
ヒューマニズムとノーベル賞
今日はヒューマニズムとノーベル賞についての話です。
ヒューマニズムという言葉を、久しぶりに使います。歴史的にはルネサン
ス以降、非人間的なものに対する人間性の復興が叫ばれ、ヒューマニズムの
大切さが唱えられるようになりました。
ヒューマニズムは、日本語では人道主義と訳されますが、ヒューマニズム
の本質は、「人間を大切にする」ということに他なりません。
よく、ヒューマニズムに根ざした科学者として、キュリー夫人の名前があ
げ ら れ ま す 。 彼 女 は 、「 科 学 の た め の 科 学 」 で は な く 、「 人 間 の た め の 科 学 」
をめざした人です。ラジウム放射能の発見の後に、すぐにその応用に取りか
かり、医学における「キュリー療法」(放射線療法)を開発しました。
事業化に目をつけた米国の企業が、分離技術の詳細を問い合わせてきたと
きにも、特許を取ろうとせず、すべてを教えたといいます。すぐにでも大金
持ちになることのできる道を、自ら断ったのです。結果、多くのがん患者が
その恩恵に預かりました。
第一次世界大戦中は、一時、科学の研究から離れ、独自にデザインしたレ
ントゲン車(小型トラックに発電機とレントゲン装置を積んだもの)を、自
ら運転して前線を走りまわり、傷ついた多くの兵士の診断にあたりました。
この装置によって、体内に残った銃弾や砲弾の破片の位置を正確に知ること
ができ、多くの命が救われ、後遺症を軽減させることができました。
彼女は、教育についても独自の考えを持っていて、語学・芸術・科学・体
育など、特に実技を中心とした共同運営のユニークな学習塾をつくり子弟を
教育しました。全人教育を目指したのです。
当時のフランスは、能率だけを重視した専門科目の偏重や、詰め込み教育
が蔓延していました。彼女は、計算や読み書きの訓練は必要であるが、人を
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手助けしようと積極的に行動する心、人を思いやる心は、自然や人とのふれ
合い、かかわり合い、感性を育てるすばらしい芸術によって育まれると信じ
ていました。ヒューマニズムに根ざし、ヒューマニズムの原点を大切にした
人でした。その生き方・研究の姿勢は、ノーベル賞の精神に通じるものがあ
り ま す 。 物 理 学 者 ・ 化 学 者 で あ る 彼 女 は 、 放 射 線 の 研 究 に よ り 、 1903年 の
ノーベル物理学賞、そして、1911年にノーベル化学賞を受賞したのです。
学びのスパイラルを昇らせよう
ここで話は変わりますが、10月の新聞やテレビ等をみていると、今年の
「ノーベル賞」受賞のことが、よく取り上げられていました。
ところが、ノーベル賞はだれもが手にできるような身近な賞ではないため
に、多くの子どもたちにとっては、遠いところのお話のようです。
学校での学びが、苦手(不得意)であると思い込んでしまっている子ども
たちにとっては、ノーベル賞など「関係ねえ!」話になってしまいます。
しかし、そうではなくて、ノーベル賞を受賞した人たちの生き方には学べ
るところがたくさんあります。取り組んでいるなかで必ず失敗やわからない
ことに直面します。あの手この手と試行錯誤を繰り返し、工夫改善を重ねな
がら、失敗や疑問を徹底的に探求していきます。わからないからといってあ
きらめるのではなく、わからないことに対し、限りなく知りたいという人間
の好奇心や粘り強さでもって挑戦していく、その姿は感動的です。
大切なことは、どの分野・領域で活躍する人々も、ほとんど毎日が失敗の
連続で、しかしそれにめげず、小さな努力の積み重ねによって、成功に導き、
その思い・希望・夢を実現していったのだということを、感動的に、説得的
に説明してあげてほしいと思います。そういう話は元気を与えてくれます。
幸いなことに、私たちがこの世の中で、ほどほどに認められる可能性のあ
る分野・領域は「数えきれないほどたくさんある」といっても、それは誇張
ではありません。どの分野・領域であっても、学習し、さらに工夫し、改善
したりする意欲をもって研究していく態度と粘り強い取り組みが重要なので
す。わからないことを、ああでもない、こうでもないと知恵を出し合い、考
え合いながら探求していく、そういう学び方を大切にしたいものです。
学校においても、課題解決型の学習により、興味・好奇心→楽しさ→満足
感→次への意欲といった「学びのスパイラル」を昇らせていきたいものです。
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