第 124 号 - 広島県体育協会

第 107
号
第 124 号
平成28年
(2016年)
10月25日
平成24年
(2012年)
3月15日
発行 (公財)
広島県体育協会
(財)
発行 広島県体育協会
〒730-0011
広島市中区基町4番1号
〒730‐0011 広島市中区基町
4番1号
県立総合体育館内
(082)
TEL
(0 8 2)2221−4600
2 1−4 6 0 0
FAX
(0
8 2)2222−8040
2 2−8 0 4 0
(082)
E-mail:[email protected]
リオデジャネイロ・オリンピックで県勢が大活躍
金メダル
広島市出身
女子200m
平泳ぎ
庄原市出身
水泳
陸上
男子400m
リレー
銀メダル
修道高校〜
慶應義塾大学〜
セイコーホールディングス
県立三次高校〜
東海大学〜
Jaked
(詳細は2〜5頁に掲載)
2016 希望郷いわて国体
男女総合成績 第14位
(1,192.5点)
広島県選手団の旗手として、
10月1日の総合開会式で
堂々と先導役を務めた長井風雅選手の活躍もあり、
ソフ
トボール・少年男子(県選抜)が県勢優勝第1号に輝き、
名実ともに広島県選手団を牽引した。
続いて、
ライフル射撃・中重勝選手(広島県警察本
部)、
バレーボール・成年男子(JTサンダーズ)、卓球・成
年女子(中国電力)
、
サッカー・少年男子(県選抜)
、
陸上・
少年女子B・上田万葵選手(大野東中学校)、
ホッケー・
成年女子(コカ・コーラウエストレッドスパークス)
、
自転車・
少年男子・大町健斗選手(安芸府中高校)
、
アーチェリー
少年男子(県選抜)
が次々と優勝の快挙を達成した。
男女総合成績では、
第14位となり、
第66回から9位、
12
位、
15位、
18位、
21位と4年連続で順位を下げていたもの
に歯止めをかけることができた。
ここを復活のスタートとし
(詳細は6〜9頁に掲載)
たい。 優勝第1号となったソフトボール少年男子、試合終了後の胴上げ
リオデジャネイロ・オリンピック
水陸で県勢メダル獲得
8月のリオデジャネイロ・オリンピックで、日本選手団は過去最多の41個のメダルを獲得した。歓喜の輪の中に、広
島育ちの2選手の晴れやかな笑顔があった。水泳女子200m平泳ぎで金メダルを手中にした庄原市出身の金藤理絵
選手(Jaked)と陸上男子400mリレーの第1走者として銀メダルに輝いた山縣亮太選手(セイコーホールディング
ス)である。世界の強豪たちに、
「広島魂」を存分に見せつけた。
後半に本領、平泳ぎの金藤選手が頂点に
女子200m平泳ぎ決勝、
金藤は最初の50mは5番手で入った。先行する選手たちに後
れを取っているわけではなかった。次第に腕のかきに力を込めて100m折り返しは2位浮
上。
ここから真骨頂を見せた。浮き上がると一気に首位へ躍り出た。
ひとかき、
ひとかき伸
びのある泳ぎで前進した。150mでは後続に水をあけた。
ドーピング疑惑で出場が危ぶまれたロシアの実力者エフィモアがラスト25mから猛追し
た。金藤はそこから再び加速した。体一つ引き離して、
タッチ板をたたくと、
金メダルが待っ
ていた。27歳、遅咲きのスイマーが大輪の花を咲かせた瞬間だった。小さく左手でガッツ
ポーズをつくる。控えめな喜び方の表現に、
金藤らしさが漂った。
努力でつかんだ栄冠だった。8年前の北京五輪で、
当時、
東海大生の金藤は7位に終
わった。
「これからは、
私が日本の女子競泳を引っ張る」
と落ち込む素振りはなかった。4年
後のロンドンで競技生活の集大成を迎える腹積もりだった。
ことろが、
日本代表選考でまさかの3位となり、
ロンドンの五輪切符を逃した。何度も現役
引退の思いがよぎったという。
それでも金藤はプールを離れなかった。折れそうになる心を奮い立たせ、
信頼を寄せる
加藤健志コーチ
(東海大監督)
の指導で再起を誓う。
ロンドン欠場の悔しさは、
リオで晴ら
金メダルを手にする金藤
すしかなかった。
2015年の世界選手権は6位と惨敗した。優勝した渡部香生子(早大)
は一足早くリオへの切符を手にした。金藤は意識を変えた。
そ
れまでの大きな泳ぎから、速い泳ぎへ。
リオ本番の年の2月、海外遠征で成果が表れた。2分
20秒04の日本新を記録、
4月の五輪代表選考会(日本選手権)
では2分19秒65とさらに縮め、
今季世界ランク1位に躍り出た。8年分の苦労が吹き飛ぶ思いだった。
リオの栄冠は周囲の支えがもたらした証しでもあった。県北庄原市の農村地帯、
山内地区
で生まれ育った金藤は、
3人兄妹の末っ子。
山内小、
庄原中では三次市の三次スイミングクラ
ブへ通った。決して恵まれた競泳環境ではない。広島市や島根県での練習にも参加し、
車で
送り迎えする両親の姿があった。175cmの長身スイマーは三次高で泳ぎに磨きをかけた。
スランプに陥った時期に励ましたのも家族だった。13年2月、
姉の結婚式披露宴会場でスク
リーンに映し出されたのは、
レースでの妹の力泳シーンだった。披露宴は理絵選手の激励会
となった。
引退の2文字がちらついた金藤は誓いを新たにする。
「リオで勝負する」
と。
家族、
コーチ、
所属する岐阜県のスポーツクラブや東京の水着メーカーなど多くのサポート
を得て、
南米リオのプールで見事に復活を遂げた。
後半真価を発揮しゴール
― 2 ―
好発進の山縣、リレーで銀もたらす
好スタートを切る山縣選手
400mリレーメンバー
(右が山縣選手)
世界中の視線がリオ五輪スタジアムのトラックにくぎ付けとなっ
4月の織田記念国際大会(広島)
で4年ぶりに優勝し、
五輪へ
た。陸上男子400mリレーの決勝は予想外の展開で進んでいた
の歩みを踏み出した。
からだ。
7月の初旬、地元壮行会で高らかに宣言した。
「100mでは自
誰しもがスーパースター、
ウサイン・ボルトを擁するジャマイカ
分の走りに徹する。400mリレーはメダルを狙う。」
まさに有言実
の圧勝を確信していた。
だが、第4コーナーを回ってトップで中
行である。
継したのは伏兵日本だった。3レーン米国、1レーン英国とも後麈
短距離ランナーの原点は、広島市の小学生時代に所属し
を排していた。一瞬速く、
日本のケンブリッジ飛鳥(ドーム)へバト
た陸上スポーツ少年団「広島ジュニアオリンピア」である。男子
ンが渡る。
しかし、
そこはボルト。40mもすると一気に加速してトッ
400m障害の世界選手権銅メダリスト、
為末大もかつて在籍した
プでゴールイン。彼自身、最後の五輪で3大会連続3冠(100m、
このクラブで山縣も順調に育った。
修道高校では国体を制覇し、
200m、
400mリレー)
を手に入れた。
「自由な雰囲気で競技に打ち込める」
と難関の慶大へ進んだ。
王者ボルトが歩み寄って手を差し伸べたのは、2位となった日
15年には実業団陸上とは無縁のセイコーホールディングスで社
本チームの4選手。
ボルトが最も驚いたのは、360mまで首位を
会人生活をスタートさせた。
あくまでも自分の意志を貫く姿勢は
保った日本の存在ではなかったか。
その巧みなバトンパスに驚
不変だ。
とはいえ、
2020年までは競技に専念。
「9秒台で100m決
嘆の色を隠さなかった。
勝進出。400mリレーは
(銀の上の)金メダル」
と新たな目標を掲
日本陸上陣が、
トラック種目で銀メダルに輝くのは遠く、
1928年
げる。次回五輪の舞台は東京である。
アムステルダム五輪女子800mの人見絹江以来の快挙であっ
た。
日本リレーの好成績の要因は流麗なパスワークはもちろんだ
が、第1走者・山縣亮太のスタートダッシュの切れ味にあった。決
勝でこそスタートのリアクションタイム
(反応時間)
0.144は8チーム
中、
3番目ながら最初のコーナリングで加速して2走・飯塚翔太(ミ
ズノ)へつなぎ、
3走・桐生祥秀(東洋大)
、
アンカーのケンブリッジ
の快走を引き出した。
準決勝で37秒68のアジア新記録をマークして波に乗った日
本。決勝ではさらに縮める37秒60。世界を、
ボルトを驚かせた快
進撃であった。
スプリンター山縣は、大舞台で真価を発揮する。20歳で出場
した前回のロンドン五輪100mは、
準決勝で10秒07の自己ベスト
を記録した。2度目の五輪となったリオのトラックでは、準決勝で
10秒05と今季の自己記録(10秒06)
をまたしても塗り替えた。
こ
の時のリアクションタイムは0秒109、
出場23選手のうち最短での
反応だった。0秒100以下ではフライングと見なされる。研ぎ澄ま
された反射神経というべきだろう。
ロンドン五輪以降の足取りは決して順風ではなかった。腰の
痛みに苦しみ、
ようやく走りに確かな手応えを感じ取ったのは今
季序盤だった。
リオ五輪の銀メダルと名前入りの認定証
― 3 ―
広島勢五輪メダルの足跡
広島県出身、あるいは所属したアスリートたちのオリンピックでの活躍の跡をたどった。別表のように、メダリストは延べ33
人排出した。バレーボールの猫田勝敏は金、銀、銅すべてのメダルを手にしている。広島生まれの個人種目金メダリストは、日
本人第1号の織田幹雄以来、今回リオ水泳の金藤理絵で4人目である。
金メダル第1号、織田幹雄
メダリスト誕生の背後には、
さまざまなドラ
マが潜んでいる。宿願を果たした喜び、
決勝
で涙をのんだ悔しさ、
望外の成績を手にした
感激…。
むろん、
懸命にトレーニングした結晶
であろう。
県勢の五輪メダリスト第1号、内藤克俊は
1924年第8回パリ大会レスリングのフェザー
級(フリースタイル)
で名乗りを挙げた。同大
会唯一の日本人レスラー内藤は、
米ペンシル
バニア大へ留学中だった。1895年に現在の
広島市中区本川町生まれ、済美小学校3年
日本人初の金メダリストとなった織田幹雄
を終えると台湾へ渡り、
鹿児島高等農林(現
最初の金メダリスト、織田は広島県海田町生まれ。広島一中
鹿児島大農学部)
を経て米ペンシルバニア
(現広島国泰寺高)
で跳躍を始めた。早大在学中の1928年ア
州立大へ留学していた。全米学生チャンピ
ムステルダム大会陸上三段跳びで15m21を跳んだ。大学卒業
オンの実力を駐米日本大使に見込まれてパ
後は朝日新聞社で健筆をふるい、後に早大教授。
スポーツ界に
リ五輪日本代表へ。
大きく貢献し、
文化功労者となり1998年、
93歳で没した。
パリ大会レスリング銅の
内藤克俊
広陵高出身の中谷は、
日本発開催となった1964年東京大会
修道OB4人、戦前ロスでメダル手中
で初めて実施した「お家芸」柔道の先陣を切った。小柄ながら
1932年ロサンゼルス大会では修道中
(現修道高)
の卒業生
稽古熱心で、軽量級決勝ではエンニ
(スイス)
を終始攻め続け
4人がメダルを得た。水泳部OBの河石達吾(自由形・銀)
、大横
た。1972年ミュンヘン柔道金メダルの川口孝夫は当時22歳で
田勉(自由形・銅)、河津憲太郎(背泳ぎ・銅)
トリオとホッケー銅
チーム最年少。切れ味鋭い技を繰り出し、
軽量級決勝はわずか
の永田寛である。
39秒でモンゴル選手を下した。
日本の五輪史上、
サッカー男子が獲得したメダルはただ1度、
ミュンヘンでは水泳の田口信教が男子100m平泳ぎを1分4秒
1968年メキシコの銅だ。登録15選手中、6人が広島にゆかりが
9の世界新記録で制した。
愛媛県壬生川町出身で、
才能を見込
あった。3位決定戦で地元メキシコを3-0で下した。長沼健監督
まれて三原三中
(三原市)へ移り尾道高で成長、広島商大(現
は広島高師付中
(現広島大付高)
出身で、
「チームでは広島弁
広島修道大)3年で世界のトップスイマーとなった。
が幅を利かした。」
という。
2004年アテネ大会の野球で、
日本はプロ12球団から各2選手
バレーの猫田は金、銀、銅そろう
を代表に選出した。広島東洋カープからは投手の黒田博樹と
バレーボール女子の藤
男子バレーボール「世界の名セッター」猫田勝敏
野手の木村拓也がベンチ入りした。2年連続開幕投手を務める
本佑子は東京大会で金メ
など広島のエース格となった黒田は、
五輪では中継ぎとして2勝
ダルの表彰台に。呉市出身
を挙げ銅メダルに貢献した。木村は内外野がこなせるユーティ
で、155cmと小柄ながらレ
リティプレーヤーだった。
チームは「長嶋ジャパン」の愛称で呼ば
シーブ力に優れ、貴重な左
れたが直前に監督が脳梗塞で入院。
中畑清ヘッドコーチが指
利きピンチサーバーとして
揮を執った。
コートに立った。同大会で
五輪後、黒田は米大リーグ入りした後、
カープに復帰し2016
銅メダルだったバレーボー
年、
日米通算200勝を達成。木村は巨人コーチ時代の14年4月、
ル男子の猫田勝敏は、
全日
くも膜下出血のため37歳で亡くなった。
本入りしたばかりの20歳の
なお、1932年ロサンゼルス馬術障害飛越で優勝した陸軍騎
天才セッターだった。
兵中尉、西竹一は1917年から3年間、広島陸軍幼年学校に在
次の68年メキシコで銀メ
籍していた。
ダルとなった日本男子は72
年ミュンヘンで念願の金メダルを獲得した。
「世界の名セッター」
文責:公益財団法人広島県体育協会理事
猫田の面目躍如であった。
この時、
崇徳高〜専売広島の後輩、
広報委員会委員長
西本哲雄もチームメートだった。
― 4 ―
渡 辺 勇 一 (広島経済大学教授)
広島ゆかりの五輪メダリスト
年
大会
1928 アムステルダム
1964 東京
優勝
1972 ミュンヘン
競技種目
選手
出身校
陸上 三段跳び
織田 幹雄 広島一中
早大
柔道 軽量級
中谷 雄英 広陵高
明大
バレーボール 女子
藤本 佑子 鈴峯高
日紡
水泳 男子100m平泳ぎ 田口 信教 尾道高
広島商大
柔道 軽量級
川口 孝夫 崇徳高
明大
猫田 勝敏 崇徳高
専売広島
西本 哲雄 崇徳高
専売広島
バレーボール 男子
2016 リオデジャネイロ 水泳 女子200m平泳ぎ 金藤 理絵 三次高-東海大
水泳 男子100m自由形 河石 達吾 修道中
1932 ロサンゼルス
所属
2位
ホッケー
記録
15m21
1分4秒94
Jaked
2分20秒30
慶大
58秒6
猪原 淳三 広島高師付中
早大
永田 寛 修道中
明大
1968 メキシコ
バレーボール 男子
猫田 勝敏 崇徳高
専売広島
2012 ロンドン
柔道 男子60㎏級
平岡 拓晃 近大福山高-筑波大
了徳寺学園職
2014 ソチ
(冬季)
スキー スノーボード
竹内 智香 クラーク国際高
広島ガス
2016 リオデジャネイロ 陸上 男子400mリレー
山縣 亮太 修道高-慶大
セイコーホールディングス 37秒60
1924 パリ
内藤 克俊 広島済美小
ペンシルバニア州立大
1932 ロサンゼルス
レスリング フェザー級
水泳 男子400m自由形 大横田 勉 修道中
明大
4分52秒3
男子100m背泳ぎ 河津憲太郎 修道中
明大
1分10秒0
バレーボール 男子
1964 東京
3位
体操 女子団体総合
猫田 勝敏 崇徳高
専売広島
森山 輝久 崇徳高-中大
松下電器
小瀬戸俊昭 鹿児島谷山高
帝人三原
池田 敬子 三原高-日体大
日体大教
相原 俊子 三原高-日体大
森 孝慈 修道高-早大
三菱重工
小城 得達 広島大付高-中大
東洋工業
松本 育夫 宇都宮工高-早大
東洋工業
桑原 楽之 広島大付高-中大
東洋工業
渡辺 正 基町高-立教大
八幡製鉄
宮本 輝紀 山陽高
八幡製鉄
1972 ミュンヘン
水泳 男子200m平泳ぎ 田口 信教 尾道高
広島商大
2004 アテネ
野球
1968 メキシコ
サッカー
黒田 博樹 大阪上宮高-専大
広島東洋カープ
木村 拓也 宮崎南高
広島東洋カープ
― 5 ―
2分23秒88
第71回国民体育大会 天皇杯第14位
会期前(水泳)競技
会期前実施競技は、9月4日から11日まで盛岡市を中心に実
10月4日続き
施された。本県選手は、
4日の初日にシンクロナイズドスイミングの
第一線から退くことも考えたベテランが躍動した。
ラグビー成年
前日5位入賞したライフル射撃の中重勝が30Mで優勝した。
ペアが表彰台に一歩届かず第4位となったが、
好スタートを切る
男子は、7人制に移行してから初の決勝トーナメント進出を果た
ことができた。
した。
競泳成年男子100mバタ
10月5日(水)
フライ井田憲吾、
100m平泳
ぎ渡辺隼斗が3位入賞。飛
込みの新良貴優(写真)が
広島県代表として最後の
国体で高飛込み2位となり、
水泳競技で昨年を15点上
回る49点を獲得した。今回
からオープンウォーターが新
上;卓球成年女子の3選手
左;卓球成年女子監督・選手
種目となった。
本会期
10月2日(日)
卓球成年女子は、強敵東京、
馬術競技トップスコアの佐
地元岩手と同組のグループ戦を
藤浩之
(写真)
が2位入賞。
ソフ
1位通過し、
決勝は岡山を破り勝
トボール少年男子、
バレーボー
ち上がった青森との戦いだった。
ル成年男子、サッカー少年男
「会社や県体協の人が喜んで
子・女子、
ソフトテニス成年男
くれるのが嬉しい。」
と喜んだ。
子が順当に勝ち上がった。
10月3日(月)
2年連続初戦敗退の
王者が蘇った。
ソフトテ
ニス成年男子(写真)
が2位入賞。毎年優勝
候 補と称されながら、
幸運に見放されていた
バレーボール成年男子優勝の瞬間
(右)
が、
今回は期待どおりの活躍。
サッカー女子が準々決勝で岡山と対戦し、
バレーボール成年男子は、
静岡との決勝戦で3-0のストレート
PK戦で勝利した。昨年入賞できなかったライフル射撃のベテラ
勝利。1回戦から危なげなく6年ぶりの優勝を味わった。
サッカー
ン中重勝が復活の5位入賞。国体選手として31回目の出場であ
女子は、北海道との3位決定戦で敗戦、4位入賞となったが、広
る。明日の競技に期待する。
島県選手団にとっては、
大きな得点源である。
10月4日(火)
10月6日(木)
ソフトボール少年男子 小川監督胴上げ
(左)
と優勝の瞬間
(右)
ソフトボール少年男子は、宿敵長崎との
準決勝で1-0の勝利、決勝では大阪と対
戦し、6-0の圧勝で優勝した。総合開会式
で旗手を務めた長井風雅投手が投打で
サッカー少年男子が期待され続けながら、
やっと掴んだ優勝
活躍、広島県選手団第1号の優勝の吉報
の栄誉。U-16の選抜チームには大きな財産となり、
スタッフを含
で、
広島県選手団を牽引した。
めて喜びを分かち合った。
― 6 ―
10月6日続き
10月9日続き
一方で、期待されたハンドボール成年男子が初戦敗退した。
自転車では、大町健斗が得意とするロード・レースで優勝し、
同リーグの実業団チームとの対戦だったが、
本県としては大きな
昨年の屈辱を晴らした。今回も強い広島のアーチェリー少年男
得点源であり、
誤算となった。
子が3連覇、成年男子は3位。陸上では、少年男子A5000mの
10月7日(金)
吉田圭太が2位、成年女子800mの池崎愛里が3位、
ハンマー
5日、6日が前・後半
投げの渡邊茜も3位。
ボクシングの成年男子ミドル原田健太、少
競技が入れ替わる日
年男子ライトフライ田村拓実とミドル坂本拓海がともに3位。
程で、7日から多数の
その他、
レスリング、
弓道、山岳で得点を重ね、今大会で一日
後半競技が開始され
最高の183.5点の競技得点を獲得した。
た。
トップ選手が日本
10月10日(月)
代表となり国体に参
加できない状況の中、
参加した3選手の頑張りによりゴルフ少年男子が3位入賞した。
10月8日(土)
ハンドボール成年女子3位決定戦
本部役員の大
(?)
応援団
ハンドボール成年男子が初戦で敗退したため、大きなプレッ
シャーの中での成年女子が3位決定戦で、
リーグで負けを喫し
ていた鹿児島との戦いに勝利し、
3位入賞。
リーグ再開に向けて
大きな1勝となった。
陸上少年女子Bの上田
レーンコンディショ
弓道遠的 少年女子
ンが掴めず、沈黙し
陸上少年女子B800mで中学3年生の上田万葵が優勝。
自
ていたボウリング成
転車競技少年男子の大町健斗が雨が降りしきるバンクのポイン
年男子が最終日に目
ト・レースで2位。昨年も高得点をあげた弓道少年女子が遠的
を覚ました。予選3位
で3位。
ボウリング少年男子の山本智哉が健闘の3位。
で決勝に進み、順位
リオ・デジャネイロオリンピック陸上400mリレーの第1走で銀メ
4人チーム戦で2位入賞のボウリング成年男子
を上げて2位入賞。
ダルを獲得した山縣亮太は100m予選を通過後に足に違和感
今回から導入された女子種目のボクシング成年女子で新本
があり大事を取って準決勝を棄権した。雨の中で気温もかなり
亜也が2位。
レスリング少年男子グレコローマンの向井識起が2
低くなっていたため、
やむ負えない決断である。広島のユニホー
位入賞。
ムで日本人初の9秒台を期待したが、
夢は持ち越しとなった。
10月11日(火)
10月9日(日)
陸上競技の最終日種目を実施後、午後から総合閉会式が
開催された。本県の成績は、男女総合成績(天皇杯)第14位
(1192.5点)
だった。各監督・選手ならびに競技団体や関係者
の努力により、昨年の第21位からは順位を上げたが、本県が目
標とする8位入賞まで、
さらに頑張りましょう。
東日本大震災復興の架け橋
上:ホッケー成年女子、
右上:陸上 吉田、右下:青ボクシング 原田
ホッケー成年女子が期待通りの優勝で今回も大きな得点源と
なった。
― 7 ―
未曽有の大災害からの復興途中に第
71回国民体育大会を開催し、成功裏に
終了された岩手県の皆さんと天皇杯第2
位の成績をあげた岩手県選手団の皆さ
んに感謝とお喜びを申し上げます。
ありが
とうございました。
第71回国民体育大会 入賞者一覧
冬季大会入賞者・チーム一覧
競技名
氏名
ショート
トラック
ス ケ ー ト
谷本 光
所属
慶應義塾大学
種別
成年女子
500m
種目
順位
5位
1000m
5位
種目
ハンマー投
800m
5000m
棒高跳
ハンマー投
三段跳
砲丸投
400m
800m
100mバタフライ
100m平泳ぎ
200m個人メドレー
200m背泳ぎ
400m個人メドレー
100m平泳ぎ
200m個人メドレー
飛板飛込
高飛込
飛板飛込
高飛込
順位
3位
3位
2位
4位
6位
6位
5位
6位
1位
3位
3位
6位
8位
8位
7位
8位
7位
2位
6位
7位
本大会入賞者・チーム一覧
競技名
陸
上
競
技
競泳
水
泳
氏名
渡邊 茜
池崎 愛里
吉田 圭太
菅 颯一郎
藤原 崚
岡本 健
大地 智也
池崎 愛里
上田 万葵
井田 憲吾
渡辺 隼斗
原 美波
中西 晟
田中 大尊
白石 崇大
坂本 志織
所属
㈱丸和運輸機関
広島市立舟入高等学校
広島県立世羅高等学校
広島県立神辺旭高等学校
如水館高等学校
広島県立三原東高等学校
広島市立祇園東中学校
広島市立舟入高等学校
廿日市市立大野東中学校
自衛隊体育学校
自衛隊体育学校
広島大学
呉港高等学校
呉港高等学校
広島市立沼田高等学校
広島市立沼田高等学校
種別
成年女子
成年女子
少年男子A
少年男子A
少年男子A
少年男子共通
少年男子B
少年女子A
少年女子B
成年男子
成年男子
成年女子
少年男子A
少年男子A
少年男子B
少年女子B
新良貴 優
福山平成大学
成年男子
寺岡 双葉
福山平成大学
成年女子
伊東 佳連
高野 桜
団体(15名)
団体(16名)
団体(14名)
原田 健太
新本 亜也
田村 拓実
住吉 夏希
坂本 拓海
団体(12名)
秋田 成美
笠岡 礼奈
立山 彩夏
植﨑 梨乃
千葉 風佳
柏田 直紀
河名真寿斗
坂野 修平
河名真偉斗
向井 識起
山中 彬
前田 博志
豊島以知朗
松尾 華
団体(12名)
海老本拓也
黒瀬浩太郎
中村 圭佑
広島県立広島観音高等学校
広島県立広島国泰寺高等学校
県選抜
県選抜
コカ・コーラウエスト㈱
東洋大学
㈲美づ葉
崇徳高等学校
広島県立安西高等学校
広陵高等学校
JTサンダーズ
国士舘大学
日本大学
筑波大学
慶應義塾大学
日本体育大学
専修大学
専修大学
TSSプロダクション
広島県立三次高等学校
広島国際学院高等学校
広島県立広島国泰寺高等学校
マツダ㈱
大島商船高等専門学校
広島修道大学附属鈴峯女子高等学校
広島メイプルレッズ
順天堂大学
崇徳高等学校
広島国際学院高等学校
大町 健斗
広島県立安芸府中高等学校
水澤 悠太
長江 光一
船水 雄太
村上 雄人
林 大喜
栗原 桃香
矢多部美弥
笠井菜々子
森本 彩鼓
奥田 結依
土井みなみ
土田 美佳
宋 恵佳
㈱NTTマーケティングアクト中国支店
NTT西日本㈱中国事業本部
㈱NTTマーケティングアクト中国支店
NTT西日本㈱中国事業本部
NTTビジネスソリューションズ㈱中国支店
広島翔洋高等学校
広島翔洋高等学校
広島修道大学附属鈴峯女子高等学校
広島修道大学附属鈴峯女子高等学校
広島修道大学附属鈴峯女子高等学校
飛込
シンクロ
サ
ッ
カ
ー
ホ
ッ
ケ
ー
ボ
ク
シ
ン
グ
バ レ ー ボ ー ル
体
操
競技
レ
ス
リ
ン
グ
セ
ー
リ
ン
グ
ハ ン ド ボ ー ル
自
転
車
ソ フ ト テ ニ ス
卓
球
中国電力(株)
― 8 ―
少年女子
4位
女子
少年男子
成年女子
成年男子
成年女子
少年男子
少年男子
少年男子
成年男子
4位
1位
1位
3位
2位
3位
5位
3位
1位
ミドル級
フライ級
ライトフライ級
ライト級
ミドル級
成年女子
団体総合
8位
成年男子
成年男子
成年男子
少年男子
少年男子
少年男子
成年男子
少年男子
少年女子
成年女子
成年男子
少年男子
少年男子
フリースタイル57㎏
グレコローマンスタイル66㎏
グレコローマンスタイル85㎏
グレコローマンスタイル50㎏
グレコローマンスタイル84㎏
グレコローマンスタイル96㎏
レーザー級
レーザーラジアル級
レーザーラジアル級
ポイント・レース
スプリント
スクラッチ
ポイント・レース
個人ロードレース
5位
5位
5位
5位
2位
5位
8位
8位
6位
3位
7位
6位
8位
2位
1位
成年男子
団体戦
2位
少年女子
団体戦
2位
成年女子
団体戦
1位
少年男子
競技名
馬
術
柔
道
ソ フ ト ボ ー ル
氏名
佐藤 浩之
眞田 凌
成瀬亜紀子
齋藤 太成
花本 泰輝
宇都宮光樹
田中 亮
飯田 健伍
島谷 真央
一色 美緒
光吉 夏海
団体(13名)
中山 久
弓
道
ラ イ フ ル 射 撃
ラグビ ーフットボ ー ル
山
岳
カ
ヌ
ー
ア ー チ ェ リ ー
ボ
ゴ
ウ
リ
ル
ン
グ
フ
高 等 学 校 野 球( 硬 式 )
所属
㈱JB北広島乗馬クラブ
眞田ライディングクラブ
エンゼル乗馬クラブ
東洋大学
広島刑務所
広島県警察
広島拘置所
京葉瓦斯(株)
種別
成年
成年
成年女子
トップスコア
ダービー
標準障害飛越
順位
2位
5位
4位
成年男子
団体戦
5位
広島県立広島皆実高等学校
少年女子
団体戦
5位
県選抜
少年男子
(株)
エディオン
大谷 勇翔
広島工業大学専門学校
西田 雅和
日本マーツ
(株)
山岡 京
広島県立宮島工業高等学校
小林 智晴
広島県立広島井口高等学校
山本 蒼
日野まこと
山﨑 榛佳
山田 栞菜
広島県立呉宮原高等学校
広島文教女子大学付属高等学校
広島文教女子大学付属高等学校
広島県立広島井口高等学校
中重 勝
広島県警察本部
森川 清司
庄野 静真
団体(11名)
齋藤 孔明
中野 稔
山口 真央
錦織 美里
深田 康平
菊地 栄樹
岩田 歩
河田 悠希
堀 大樹
光永 嶺
木村 翔大
森本 海成
星川 創
中塩 貴倫
難波江康雄
山本 智哉
吉田 好輝
関藤 侑嗣
大石 敦也
団体(16名)
― 9 ―
1位
遠的
8位
近的
8位
遠的
6位
近的
8位
遠的
3位
CP60M
CP30M
AP60M
10mS60JM
5位
1位
5位
6位
5位
リード
7位
少年男子
ボルダリング
リード
スプリントカヤックシングル500
7位
7位
7位
成年男子
団体戦
3位
少年男子
団体戦
1位
成年男子
団体戦(4人)
2位
少年男子
個人戦
3位
成年男子
少年男子
少年女子
成年男子
広島県警察本部
広島県立加計高等学校
県選抜
クライミングジムKo-Wall
(株)CERO
広島市立沼田高等学校
広島県立広島井口高等学校
広島県立吉田高等学校
(株)
エディオン
(株)
エディオン
日本体育大学
広島県立広島工業高等学校
広島県立佐伯高等学校
広島県立広島工業高等学校
岡山商科大学
広島国際学院大学
第一物産(株)
廣本鉄鋼所(株)
広島県立広島観音高等学校
広島国際学院高等学校
広島国際学院高等学校
広島市立井口台中学校
広島新庄高等学校
種目
成年男子
少年男子
成年男子
成年男子
少年女子
少年男子
3位
少年男子
2位
〜〜ひろしまのスポーツ取材日記〜〜
中国放送
ビールかけ会場!ディレクターやアナウンサーは若手ばかり。52歳の私は不釣り合いな場所
に違和感を覚えた。
カープが優勝で沸いた9月10日。
マスコミも球団も25年ぶりの偉業達成に手探り状態。案の
定、
トラブル発生!その処理で
“優勝の瞬間”
を見逃してしまった私は、せめてビールかけを堪
能しようと意気込んでいた。優勝慣れした福岡の放送局のアドバイスで、使い捨てのTシャツ
や下着を用意。
しかし、靴を忘れた。
スリッパは瓶が割れると危険なため、
スーツ用の革靴で
参加することになった。
私の仕事は、
ラジオ生放送で石田アナの待つインタビューゾーンに選手を連れてくること。
フットワークの軽い若手に負けじと走り回るが、
ビールで濡れた革靴が滑る…会話もしたことのないジャクソン投手のぶっとい二の腕を
つかみ石田のもとへ走った!生放送に間を空けないよう、
20人ほど呼び込んだ。達成感はあった!
しかし、
放送を聞き直すと
「時間がない!早く選手を連れてきて!」
と怒鳴る石田アナの実況が繰り返されていた。他局のテレビにも、
呆
然と立ち尽くす私の姿が映っていたという…あの会場にいただけでうらやましいとみんなは言うが、
次からはフットワークの軽い若手に
任せようと決めている。
中国放送 報道制作局スポーツ部 境 健一
テレビ新広島
私は今年TSSに入社し、
スポーツ部に配属された新米スポーツ記者です。
県外から来た私は、広島県民のスポーツに対する熱に圧倒されました。
しかし、
同時
にこの盛り上がりの中で、
スポーツ記者として取材ができる喜びも感じました。
カープ25
年ぶりのリーグ優勝を目前にした中での配属。
社会人として、
スポーツ記者として、
右も左
もわからないまま、
足早に時間は過ぎました。
そして9月10日、
歴史的瞬間。25年前のカープ優勝の時、
私はまだ生まれていません。
マウンドで抱き合い、
涙を流す選手、
そしてスタンド・街中で喜びを分かち合うファンの
姿を見て、
改めて貴重な瞬間を目の当たりにしていると実感しました。
先日、優勝が決まり日本一に向けて再出発している選手に記者として初めてインタ
ビューをさせていただきました。先輩のインタビューを拝見する限り、
難なく熟しているよう
でしたが、短い時間の中で、選手の思いを引き出すことは容易ではありませんでした。私にはまだ知識・言葉の引き出しが少ない、
そう
感じたインタビューのデビュー。満足にできなかったことに悔しさはありますが、
この悔しさをバネにここから成長していきたい、
しなければ
いけない、
そう感じました。
テレビ新広島 スポーツ部 堀之内 祐香
NHK
最良にして最悪のXデー
9月10日
(土)東京ドーム。
カープ、
マジック1で迎えた2位ジャイアンツとの直接対
決。勝つか引き分けるかで、25年ぶりのリーグ優勝が決まる大勝負。NHK総合で
午後6:10から全国放送。NHK広島は、試合開始前の5:55から広島県で先行放
送するために映像と音声を前倒しで制作してもらうことにした。先発は黒田、
優勝
決定試合にふさわしいピッチャーだ。誠也の同点HR、
続く松山の勝ち越しHRでリ
ズムをつかみ、6−4で優勝を決めた。胴上げ、監督インタビュー、3塁側のファンへ
の挨拶まで伝えて、
10:05放送終了。
このあと選手はバスで宿舎のホテルへ移動。地下駐車場でビールかけた後、
シャワーを浴びてホテル宴会場に仮設された各局のイ
ンタビューブースを回った。今年、
NHKが幹事局なので、
ホテルの手配などを担当。9/9(金)
〜11(日)
の3日間、
ホテルの宴会場を予約
したが、
この日9/10は大安の土曜なので、
結婚披露宴で空きがなく、
最も小さい部屋しか取れなかった。
できればこの日に優勝決まらな
ければいいが、
と思っていたのだが…。
しかし優勝試合を中継できた事と足し引きすると、
充分すぎるおつりがきたのだった。
NHK広島 報道番組 チーフプロデューサー 平野 耕司
― 10 ―
中国新聞社
ソフトテニス界で、
広島がいかに特別な存在か。2013年の東京国
体以来、3年ぶりとなった岩手での国体取材で実感してきました。決
勝で北海道に敗れた成年男子チームを取材した時のことです。
試合後、若手2人から
「広島」
という看板の重さについて聞きまし
た。
「広島の実業団は日本一になって当たり前。変なプレーはできな
い」
「高校生の時から国体に出ていて、成年男子の広島は王者。広
島でのプレーを望んでもできない選手がいることを考えると、緊張感
を味わえるのは幸せなこと」。
これまでにない大きな周囲の期待を感
じていたのだと思います。
スタッフの1人からは、
常勝の時代であっても
「連覇を狙うのは地獄
だった」
という言葉も聞きました。
あるベテランは「王国の重圧をはね
返すのは難しい」
と、
勝ち続ける厳しさを指摘しました。
2年連続の初戦敗退からつかんだ悔しい準優勝。
それは価値ある準優勝だったように感じます。若手が広島の「伝統」
をつなげて
いけるかどうか。
いつか振り返ってこの試合が転機になったという日が来るかもしれません。
中国新聞社 運動部 小山 顕
広島ホームテレビ
中継での総合プロデューサーの仕事
プロ野球中継ではスポーツ部長は総合プロデューサーという扱いになりま
す。
たいへん聞こえは良い肩書なのですが、
実際はただの雑用です。
まず最初の仕事は中継でかかる予算の稟議を上げ、
当日必要な技術スタッ
フや中継スタッフを集めます。
スタッフは別会社の場合が多いため、早めに日
程を押さえます。次に書類の提出、球場での中継室使用の使用願い、
当日に
夕方の番組で中継をする場合は取材許可申請を行います。
そして最も大事
なのはスタッフの弁当の手配です。現場スタッフは弁当の良し悪しが露骨にパ
フォーマンスに影響します。弁当が足りなかったりしたら超不機嫌な状態で中
継を迎えます。毎回同じ店では飽きるので3店くらいから選びます。
当日は技打
ちといわれるスタッフ全員での技術の打ち合わせに立ち会いますが、詳しいこ
とが全く分からないため最後に「きょうもがんばりましょう
!」等といった当たりさわ
りのない言葉で締めます。
その後、
中継室に入り解説の北別府さんや前田さんにあいさつを行います。
中継中はイヤホンやマイクを付
けますが特にすることはありません。試合が終わると現場を回りスタッフに感謝の言葉を伝え、
会社に戻ります。帰ってきた記者たちに夜
ニュースに間に合うようはっぱをかけますが、
忙しい部員からは大概無視されます。
ニュースが終わると残業をふやさないために早く帰
るよう促します。
これがいまのところの総合Pの仕事です。
広島ホームテレビ スポーツ部長 園田 太郎
― 11 ―
スーパージュニア選手育成プログラム2016 第1回体験プログラム!
日時 7月9日(土) 会場 マエダハウジング東区スポーツセンター
第1回目の体験プログラムを開催しました。247名が応募したトライアルで選考された選手と昨年度から継続参加の選手を合わせて
56名のスーパージュニア選手による体験プログラムがスタートしました。
バレーボール
JTサンダーズから4名の選手に来ていただきました。
アンダーハンドパスやオーバーハンドパスと
いった基本の練習からスタート。
グループに分かれて行った円陣パス
(数人が輪になってパスをつ
なぐ)
では、
パスがなかなかつながりません。
つながった回数を数えながらグループごとに競うと、声
を出して、
1回でも多くできるようがんばっていました。声をかけ合うことの大切さを学んだようです。
ア
タック練習の後、
学年、
男女別に分かれた班ごとのゲームを行いました。
バレーボールは3本で相手
コートに返さなければいけないのですが、
今日はボールを落とさずにつなぐこと、
そして相手コートに
返すことを優先しました。次にやる時には、
レシーブ、
トス、
アタックと3本で返すことに挑戦しましょう。
ハンドボール
広島メイプルレッズの選手5人に指導していただきました。
パス練習では、
止まっ
た状態でのパスはできていましたが、
動きながらのパスは難しいですね。
自分ひとり
ではなく相手の動きに合わせなければなりません。
ここでも、人との協調が大事で
すね。続いてはシュート練習、
ハンドボールは3歩までステップができるのですが、
1・
2・3・
・
・4・5・あれあれ?まずはシュートすることが重要ってことでよしとしましょう。最後
はゲームです。
ハンドボールは今日初めてという選手が多かったのですが、
しっか
りと白熱するゲームが行われました。
シュートを決めた時にはもちろん大歓声です
が、
それをキーパーが止めた時も大歓声です。
ハンドボールの楽しさを十分に感じられたのではないでしょうか。
サポートプログラム
スポーツ医・科学委員会の大成浄志ドクターによる「運動中の水分補給法(熱中症予防のため
に)」についての講話でした。慣れない座学にも熱心に受講していただきました。
ジュニア選手を育成
するうえでは、
各家庭でのサポートは欠かせません。
スポーツの指導現場と家庭が一緒になって選手
の成長を見守りたいと思います。
よろしくお願いします。
スーパージュニア選手育成プログラム2016 第2回体験プログラム
日時 8月6日(土) 会場 コカ・コーラウエストレッドスパークスホッケースタジアム
8月6日は、
広島にとって特別な日です。平和でなければスポーツは出来ません。
スーパージュニア選手たちもスポーツが出来る喜びを
かみしめ、
「スポーツと平和」
を考える日としてほしいですね。
ホッケー
日本リーグや国民体育大会で優勝するなど大活躍しているコカ・コーラウエストレッドスパークス女子
ホッケー部の皆さんに指導していただきました。
スティックは平らな面を使うこと、丸い面を使うと反則に
なることなど、
ホッケーの簡単なルール説明の後、
早速、
スティックを持ってリフティングの練習。
スティック
を身体の一部のように扱い、
ボールを打つことに慣れることが大事です。前回のバレーボールでも習いま
したが、
やはり足腰を上手に使うことが基本のようです。次はシュートとドリブルの練習。
お手本を見せて
もらいながら、
何度も何度も練習しました。
シュートもスティックにボールが
あたらず、
空振りするジュニア選手もいましたが、
時に見事なシュートがゴールに突き刺さると、
どよめきが
起こり、
次は自分の番だと気がはやります。
みんなの向上心が見えたとてもうれしい光景でした。最後は
ゲームです。最初はボールがあるところに群がっていましたが、
アドバイスを受けながら、
だんだんとゲー
ムらしくなってきました。
シュートが決まると周りからも大歓声です。
ホッケーは初めてのジュニア選手が多
かったと思いますが、
十分に楽しい体験ができたと思います。
サポートプログラム
スポーツ医・科学委員会副委員長で
広島女学院大学教授の下岡里英先
生による
「小学生期におけるスポーツと
食事について」の講話でした。正しい
食生活を身につけることの重要性等に
ついてお話しいただきました。
また、現
在の食物摂取状況などのアンケート調査を行い、
その分析による解析や指導助言・相談などが次回のプログラムで個別に実施されま
す。正しい食生活を身につけるためには各家庭の役割が非常に大きいところです。
― 12 ―