学校だより 第 7 号 平成28年(2016 年)9月30日発行 札幌市立藤の沢小学校 「たら・れば」のはなし 校長 田代 治美 熱狂のうちに幕を閉じたリオデジャネイロオリンピック。ハンディキャップに負けず、人間の力の 可能性や挑戦する勇気を教えてくれたパラリンピック。例年以上の熱さを北海道にもたらし、北海高 校が準優勝を果たした夏の甲子園。そして、シーズン終盤までデッドヒートを続け、ファイターズが 見事に大逆転優勝を遂げたプロ野球。スポーツが大好き(昔は実践、今は観戦)な私にとっては、夏 から続くこの数か月間は格別のものとなりました。 ところで、スポーツには「たら・れば」という言葉がつきものです。「たら・れば」とは、野球で 言えば「あのチャンスでバントが成功していたら…」とか、 「あのピンチでピッチャーを交代しておけ ば…」というように「事実とは異なる話をして後悔すること」です。すでに結果が出ていて取り返し がつかないことで、意味のないことなのですが、私のような凡人である観戦者は、この「たら・れば」 の話をして、評論家気取りになりがちです。 すべてとは言えませんが、一流と呼ばれるような選手が自分のプレーに対して「たら・れば」を使 うのを聞いた記憶ということはほとんどありません。その瞬間(種目によっては考える時間が長い場 合もありますが)に最良の選択を行い、自信をもってプレーをしているからだと思います。彼らの口 から出てくるとしたら、 「自分が未熟だったので…」とか「まだまだ自分が弱いということ」など自分 自身にその原因を求める言葉です。そして、それに続くのは「また一から出直します」 「次、頑張りま す」 「同じミスを繰り返さないよう練習をします」など、未来に向けての決意です。 日常の生活の中にも「たら・れば」は潜んでいます。昨年の全校朝会でこのような話をしました。 中2の授業中、ある女の子が急に倒れました。私たちは何が起こったのかわからず、驚いていたのですが、授業をし ていた先生が必要な措置をして、保健室へ連れて行きました。その時の様子から、○○が原因なんじゃないのかと噂 されました。◆翌日からも、その子はいつも通りに仲良しの子たちと一緒に話したり、笑ったりしていました。変わったのは、 多くの男子の態度でした。前の日までは普通に話していたのに、その子と会話をすることがほとんどなくなりました。私も その一人でした。話しかけられれば答えますが、自分から話しかけることがほとんどなくなりました。その子とは、小学校 の時は、男女6人の仲良しグループで、放課後も一緒に遊び、中学校の部活も一緒でした。◆中3も同じクラスで、 修学旅行、合唱コンクール、学校祭、球技大会など同じ思い出を経験して卒業を迎えました。その時のクラスの人た ち、学年の人たちとは毎年のように楽しい会を開いています。◆でも、その女の子は、クラス会に一度も来ていません。 卒業してから一度も会っていません。数年前のクラス会で、その子の友達に尋ねたことがあります。「仲の良かった女 友達とあうことはできても、クラスの集まりにはいきたくない。いい思い出はないから…。」と言っていたそうです。真実はわ かりませんが、私にもその原因があるのだと思っています。◆私にとっては中学時代の小さな出来事でも、その子にと っては、卒業までの1年余りの時間がずっと大きな心の傷になっているのです。そして、その傷は一生消えることはない のだと思います。◆私たちは、自分の言葉や行動が知らず知らずのうちに、人の心を傷つけているかもしれないというこ とを知らなければいけません。心の傷は外から見えないだけに気づきにくいということもです。皆さんには、その子が受けた ような心の傷を負ってほしくありません。また、傷つけることもしてほしくありません。◆私は、次のクラス会で、その子の友 達に会えたら、「ごめんなさい」という私の気持ちを伝えてもらおうと思っています。 “勝手な噂を信じなかったら…”“それまでと同じに接していれば…”。私の痛恨の「たら・れば」 です。取り返しはつきません。 『後悔 先に立たず』ですが、『後悔 役に立たず』ではありません。 「○○したら、きっと仲良くなれる」「○○すれば、きっとできるようになる」~未来に向けての 「たら・れば」を実践できる子どもたちに保護者の皆様とともに育てていきたいと思っています。
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