川崎市 本庁舎アルバム

川 崎 市 役 所 本 庁 舎 さよならイベント記 念
川崎市 本庁舎アルバム
発行:川崎市 総務局 本庁舎等建替準備室
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はじめに
本庁舎は昭和13年に建設されて以来、
78年の間、時代の流れとともに姿を変えながら、川崎の
シンボルとして街を見守ってきました。
戦時中には、時計塔は迷彩色に塗られ空襲監視塔として利用され、終戦後も焼け野原の中で唯
一焼け残り、人々の復興の希望として市民を支えました。
戦後は、街の発展と人口増加などから増・改築を行いながら、市民生活の基盤とを支えていまし
た。
しかし、近年の調査での耐震性の不足、膨大な行政業務に対しての執務スペースの不足な
どから、惜しまれつつも、
このたび建替えることが決定いたしました。
この秋には解体工事が開始される予定となっていますが、その前に市民の皆様に庁舎内をみて
いただき、思い出としてこの歴史ある建物を記憶に留めていただけるようなイベントを開催する
運びとなりました。
この本庁舎は、新本庁舎完成時にまた低層塔として復元する予定でおりますので、解体される
建物にお別れを言いつつ、新たな本庁舎への期待も膨らませていただけると幸いです。
川崎市
イベント実施概要
【開催日】
10月14日
(金)13:00〜17:00
15日
(土)9:00〜17:00
16日
(日)9:00〜17:00
【開催場所】
川崎市役所本庁舎(川崎市川崎区宮本町1番地)
【イベント内容】
●庁舎内探検
公開可能な諸室をルートに従い自由に見学。解説付のツアーも実施
●本庁舎の概要展示
●音楽イベント
●本庁舎「78年のあゆみ」映像の上映
●トークイベント
「あの時、そして再生へ」
●思い出の本庁舎写真展
●時計塔ツアー
●落書きアート
パネルにて、市役所本庁舎の歴史や見どころ、新庁舎の概要などを展示。
川
崎市出身のピアニスト小川典子氏のミニコンサート、川崎市で活躍する社会人&
プロムージシャン混合の2バンドの演奏会を開催。
本庁舎の創建当時からの変遷を映像でまとめ上映。
本庁舎にゆかりのある方をお招きして、本庁舎や周辺市街地の変遷・変化を語るイ
ベントを実施。
市民から寄せられた本庁舎との思い出写真を展示。
通常は入ることの出来ない時計塔へ続く鉄階段を解説を交えて見学出来るツアー
を実施。
本庁舎の壁をキャンバスとして、思い出に残る落書きをするイベントを実施。
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本庁舎の主な歴史
年代
事項
当時の様子
2年(1869)田中本陣長屋に「戸長役場」を置く
江戸時代の東海道を表した地図。
田中本陣の位置がわかる。
『東海道分間延絵図』
(文化3年)
明治
「町役場」へ改称し、砂子に仮役場を設置。
20年(1887)
その後、2度移転する。
明治の迅速図
44年(1911)堀之内345番地(後の宮本町61番地)に移る。
12年(1923)
関東大震災で崩壊。古材を用い、バラック建ての庁
舎を建設。
右上 関東大震災前
左下 関東大震災後
大正
7月1日 川崎市施行。
13年(1924)川崎小学校の敷地、建物を市役所本庁舎に転用。
小学校跡地に市役所分室できる。
10月12日、現在地(旧川崎尋常高等小学校跡地)
14年(1925)
に移転。
15年(1963)市役所が現在の位置に移る。
庁舎改築予算案を市議会に提出。
9年(1934)同年可決される。
川崎市技師建築課長に本庁舎の元田稔就任。
川崎市本庁舎起工。
11年(1936)
それに伴い、仮市庁舎建設される。
市庁舎竣工。
本館3階建、東館2階建。
13年(1938) 総工費568,670円
敷地面積5,676.0㎡ 建築面積1,938.5㎡
延床面積699.4㎡
昭和
戦中
本庁舎 防空偽装される。
戦後
本庁舎の時計塔のみ焼け残る。
25年(1950)
東棟2階建てから3階建てに増築。
庁舎前道路拡幅工事中が行われる。
28年(1957)市役所通りと国道15号線の拡幅工事。
32年(1957)
市役所通り、駅前まで延伸。
現在の第2庁舎敷地に木造別館を建設。
34年(1959)
大規模改修を実施。北館を増築。中央棟を3階から
4階に増築。ほぼ現在の姿となる。
昭和25年 増築時の図面
並木道の揃った様子が写真に写る
昭和35年11月の写真
36年(1961)第2庁舎竣工。
41年頃(1966)各室の用途を変更。
竣工時の写真
50年頃(1975)タイル貼り替え?
解体時まで残っていた、創建時のタイル
平成
5年(1993)第3庁舎竣工。
26年(2018)本庁舎耐震不足などのため、惜しまれつつ解体となる。
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本庁舎の概要
〈概要〉
〈建設の経緯〉
•鉄筋コンクリート造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)
•昭和13年(1938)竣工。
3階建、地下1階、時計塔は地上約36m
•昭和24年(1949)
に東館を2階から3階に増築し、その10年後
の昭和34年(1959)
には、本館を3階から4階に増築している。
ま
た昭和50年代後半には、窓をスチールサッシからアルミサッシに
交換し、
タイルも全面交換している。
〈設計者 元田稔氏〉
明治34年(1901)、東京都生まれ。
父は、
日本聖公会東京地区初代監督(主教)
になった
元田作之進氏。その影響で20歳の頃に洗礼を受けて
います。教会建築で有名な建築家です。
元田稔氏は、大正11年(1922)
に旧東京帝国大学工
学部建築学科に入学し、当時の日本の近代建築初期
を担った伊東忠太、佐野利器塔に建築を学びました。卒業後は、東京
市技手、川崎市技師建築課長(初代)、海軍技術少佐等を経て、昭和
25年(1950)元田建築設計事務所を開設。多くの作品を手がけられ
ました。
関東大震災後から昭和初期の市役所は、元川崎尋常高等小学校
工舎の古材を利用して建築されたと考えられます。昭和になり合併
が進み、工業港湾都市として発展した川崎は人口も増加、それまで
の市役所は狭くなり「不朽は危機を感ずるまでの状態」だったよう
です。
新庁舎の建設は、昭和9年に改築予算案が市議会に提出され可決
された。昭和10年に設計が完了し、昭和11年に着工され、そして
昭和13年に竣工となりました。
■元田稔氏が影響を受けたと思われる建築
ストックホルム市庁舎
ヒルベルスム市庁舎
■元田稔氏が影響を受けたと思われる建築
左:高井戸教会
右:横浜アンデレ教会
竣工時の本庁舎のスケッチ
創建当時の技術とかかわった人たち
〈現在も残る創建当時の技術〉
木目塗り
(市長室)
黒色大理石とテラコッタ
(講堂)
スチールサッシ
(入札室)
琉球トラバーチン
(正面玄関)
装飾レリーフ
(正面玄関)
鉄製リベット
(階段室)
残存が確認された創建当時の金属
製の建具のうち、市長室に設置され
ている扉には「木目塗り」が施されて
います。木目塗りとは、木目調の塗装
方法で鉄材やモルタル面を木材に見
せかけるために用いていました。昔は
寺院や洋風建築に多様されていたよ
うですが、戦後になると時代に見られ
なくなった技術です。
正面玄関脇の壁は、当時のまま
の琉球トラバーチン
(琉球石灰
石)です。これは大正末期から
昭和初期にかけて建材として開
発がすすめられたもので、国会
議事堂や百貨店など、華麗さを
求める内装に用いられました。
琉球トラバーチンは、本来のトラ
バーチンより固く、床ざとして使
われることもありました。
講堂で見られるプロセニアム
( 舞 台を額 縁のように囲む建
造物)
は黒色代理石で当時のま
ま残されています。またその内
側にある付け柱も当時のまま残
されていて、テラコッタ製です。
当時のテラコッタは、
日本のテラ
コッタ製造技術の頂点であった
と言われているようです。
正面玄関の扉に取り付けられ
ている装飾レリーフは創建当初
のものと思われます。扉本体は
ステンレス製に改修されている
ため、
レリーフだけを再利用した
と推測されます。
また、
この正面玄関扉の建具枠
も塗装の調査で、塗装の最下
層で確認できた金属素地の状
況から、創建当時の材料である
可能性が高いと言うことが分か
りました。
スチールサッシは、そのほとん
どが昭和50年代後半に、
アルミ
サッシに交換されましたが、唯
一入札室に当時のままのスチー
ルサッシが残っていました。
この窓は、締付ハンドルとグレモ
ン錠で開閉できるようになって
います。
このハンドルなどの金物
は真鍮(黄銅)
で出来ています。
残存が確認された創建当時
の 金 属 製 の 建 具 のうち、市
長室に設置されている扉には
「 木目塗り」が施されていま
す。木目塗りとは、木目調の塗
装方法で鉄材やモルタル面を
木材に見せかけるために用い
ていました。昔は寺院や洋風
建築に多様されていたようで
すが、戦後になると時代に見
られなくなった技術です。
オ.工事関係者
〈建設にかかわった人(塔屋)〉
工事関係者一覧を竣工記念誌より示す。
本庁舎竣工時に配布されたであろう「竣工記念誌」には、市長を始め当時建設
の市の役職者、市会議員、職員の名前が記されています。その中には関係者お
よび設計監理者として「臨時建築課長 元田稔」の名前も見えます。
その他、
この記念誌には工事事業者や材料納入業者までが列記されています。
工事を請け負ったのは、株式会社直喜鋳鋼鉄工所。その他石材、砂砂利、左官
などの職人の名前までも入っています。
図-21
図-22
工事関係者一覧その1(竣工記念誌 p33 より )
工事関係者一覧その2(竣工記念誌 p34 より )
各工事業者および材料納入業者とその技術的特徴の詳細については,資料編に当時の業
者資料を収録した。
−4−
おもいでピンナップ
本庁舎は、創建から78年の長い間、多くの市民が訪れ、多くの職員が通い、多くの行事が開催された場所
です。市の重大な決議も、友人との語らいも、
この場所で行われました。
ここには、多くの思い出が詰まっています。
−5−
川崎の発展と市役所
■川崎の発展と市役所
川崎は江戸の時代から多くの人が集う場所でした。
川崎市役所を中心に現在に至るまでの発展と変遷を紹介します。
・江戸
江戸
・明治
江戸時代の川崎は、
東海道「川崎宿」として、茶店・旅
籠さまざまな商店などが立ち並ぶ賑やかなところでし
た。六郷川(多摩川)
を渡り、
お大師様(川崎大師)へ続
く道の付近にあった「万年屋」という茶店は、やじさん
きたさんで有名な『東海道中膝栗毛』の中にも出てく
ほど有名でした。
現在でも東海道の形状は概ね変わっていません。江
戸時代の地図で現在の市役所本庁舎の位置を探して
みると、地図に山王社(稲毛神社)があり、
この付近で
あった事が分かります。
明治
東海道かわさき宿交流館より
江戸時代の川崎は、東海道「川崎宿」として、茶店・旅
籠さまざまな商店などが立ち並ぶ賑やかなところでし
た。六郷川(多摩川)
を渡り、
お大師様(川崎大師)へ続
く道の付近にあった「万年屋」という茶店は、やじさん
きたさんで有名な『東海道中膝栗毛』の中にも出てく
ほど有名でした。
現在でも東海道の形状は概ね変わっていません。江
川崎停車場
戸時代の地図で現在の市役所本庁舎の位置を探して
みると、地図に山王社(稲毛神社)があり、
この付近で
あった事が分かります。
大正
明治初期 迅速測図
明治の終わり
(明治45年)
に、川崎町が「工場招致」を
提唱し、大正2年(1913)
に鶴見川から扇町間の埋立
が始まりました。
川崎には多くの工場が建ち、そこで働く多くの人が川
崎に集まり川崎駅周辺は
賑やかな街となりました。大正14年(1925)
には、第一
京浜が開通しさらに発展を続けます。この年に発行さ
れた地図でも、東海道や川崎駅からの道に多くの商店
が立ち並んでいることがよく良くわかります。
また、
この大正14年に、川崎市役所は現在地に移転し
ました。
T13
大正13年 職業別明細図
−6−
昭和
昭和13年に現在の本庁舎が竣工しました。
この頃の写真を見てみると、市役所を起点に道が京急川崎駅の方
へ伸びていて、当時はこの道(現京急通り)
がメインだった事がわか
ります。また、その道のの先には富士紡績川崎工場があり、富士見
道路も整備されていました。
昭和20年(1945)の川崎大空襲により、川崎の街は焼け野原とな
りましたが、昭和28年(1953)
には、復興計画の事業が実施され
駅前から現在の宮前町交差点までをつなぐ市役所通りが完成しま
した。
昭和32年頃には、市役所前まで並木道が整備されていました。
日本が高度経済成長期の中、工都川崎も発展を続け、昭和48年
(1973)
には市の人口が100万人を超えました。
このように人口の増加に伴ない、市役所は本庁舎のみでは手狭と
なり第2庁舎も昭和36年(1961)建設されました。
昭和13年頃
昭和40年頃
昭和13年本庁舎落成
昭和32年頃
昭和20年代
市役所前道路拡幅工事の写真
平成
平成に入り、川崎駅周辺の再開発が進み、駅前広場、
リバーク、サ
ンスクエア、チッタデッラ、
ミューザ、DICE、
ラゾーナなどが整備さ
れました。
78年間多くの市民に親しまれてきた、川崎市役所本庁舎もこの度
老朽化等のため解体が決まり、平成34年(予定)
に新本庁舎が完
成します。また平成35年(予定)
には第二庁舎跡地も広場となり、
新たな川崎の顔となって、市民が集まる賑やかで潤いのある街へ
と進化してきます。
H24
平成24年の航空写真
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新庁舎 施設配置空間イメージ
施設配置空間イメージ
超高層棟
行政機能と議会機能を設置し、
最上階には議場及び展望・傍聴
ロビーを設置
事業スケジュール(最も速く事業が進捗した場合)
平成26〜27年度
平成28〜29年度
平成28〜30年度
平成31〜34年度
平成34年度
平成35年度
基本計画の策定
現本庁舎解体工事
基本・実施設計
建築工事
新本庁舎供用開始
第2庁舎跡地広場完成
低層棟
新築復元により、昭和
13年当時の外観の一
部を再現。本館を3階
建て、東館を2階建て
に戻して、時計塔が空
に向かって高く伸びる
プロポーションを復活
させます。
低層棟の新築復元について
低層棟は、創建当時の姿に復元します。当時は
(昭和13年)本
館が3階建て、東館が2階建てで、時計塔が空に向かって高く
伸びるプロポーションでした。
設計者・元田稔氏のスケッチ
(昭和13年創建当時)
現在の市役所本庁舎
アトリウムのイメージ
アトリウム
超高層棟と低層棟の2棟を
アトリウムで接続
にぎわいの核
低層棟北側のアトリウムに面する部分につい
て、
ガラス等の素材を使った現代的で開放的
な空間とするとともに、カフェや情報発信ス
ペースなどを設置し、アトリウムと併せて「に
ぎわいの核」として、多様な主体が交流する
空間を創出します。
うるおいの核
第2庁舎跡地は広場とし、
イベント等の開催が可能なオープ
ンスペースとしての機能も備えた「うるおいの核」として、市
民が憩える空間を創出します。
川崎市役所本庁舎 さよならイベント
川崎市 本庁舎アルバム
平成 28 年 10 月 日
発行者
川崎市 総務局 本庁舎等建替準備室
電話:044-200-0281 / FAX:044-200-3747
E-mail:[email protected]
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