じ め に 松 本 彩 目 さ れ る 。 そ し て こ の二 つの光 背 様 式 は、 以 後 の光 背 の形 式 に大 き な 仏 像 光 背 の 研 究 - 飛天光 背と板 光背 の変遷 に ついて の考 察1 、 は 影 響 を 与 え る こと と な る 。 本 論 で は こ の 二 つの光背 に着 目 し、 そ の源 流 や 成 立 、 背 景 と な る 仏 教 史 を も ふま えな が ら 、 そ の展 開 に つい て考 察 し て いき た いと 思 う 。 飛 天 光 背 の成 立 に つい て 和 様 彫 刻 の代 表 作 と 言 われ る平 等 院 鳳 鳳 堂 本 尊 (図 版 二ー 一) は 、 1 輪 入 様 式 と し て の飛 鳥 ・飛 天付 光 背 か ら 和 様 ・平 等 院本 尊 飛 天 光 背 へー こ の よう な わ が国 光 背 の歴 史 のな か で、 和 様 の大 作 と いわ れ る 藤 原 大 仏 師 ・定 朝 の作 と され 、 後 に ﹁定 朝 様 ﹂ と し て 一世 を 風 靡 し た 、 藤 良 地 方 を 中 心 と し て製 作 さ れ た板 光 背 と 呼 ば れ る 形 式 が あ り 、 これ も 可 然 歎 、 仰 、 定 朝 以後 、 近 代 吉 佛 者 、 皆 作 飛天 光 ﹂ と記 され て い る こ ﹃長秋 記 ﹂ 長 承 三年 (= 三 四) 四月 十 日条 に ﹁定 朝 佛多 飛天 光 也 、 一19一 仏 像 光 背 は 、 仏 身 よ り発 す る光 明 を 具 体 的 に表 現 し た も の であ り、 仏 像 彫 刻 の 一部 と し て意 味 深 い存 在 でも あ る。 イ ンド で聖 者 を 示 す光 背 が釈 迦 牟 尼像 にと り つけ ら れ て以 来 、 イ ンド、 西 域 、 中 国 、 朝 鮮 と 時 代 や地 域 を 経 て展 開 し 、 わ が 国 に は飛 鳥 時 代 に伝 来 す る。 そ し て、 断 続 的 な大 陸 と の交 流 に よ って そ の様 式 を 受 容 し つ つも 、 わ が国 独 自 時 代 の平 等 院 鳳 鳳 堂 本 尊 ・阿 弥 陀 如 来 坐像 の飛 天 光 背 は 、 日本 仏 像 光 原 時 代 の仏 像 彫 刻 の中 心 作 品 で あ る。 ま ず、 こ の うち の飛 天 光 背 に注 の発 展 を 遂 げ てき た 。 背 の 一様 式 を 築 い た代 表 的 遺 品 であ る。 し か し 、 ほ ぼ 同 じ こ の時 期 、 目 し て み よ う。 ま た わ が国 光 背 の研 究 の上 では欠 か す こと の でき な い遺 品 群 と し て注 (1 ) こ の光 背 の完 成 形 とも い う べき平 等 院 鳳 鳳堂 本 尊 光 背 の対 局 に は、 奈 、 では な く、 定 朝 の時 代 に完 成 さ れ た と 考 え る べき であ ろう 。 そ こ で、 形 の頭 光 背 を 取 り付 け る こと か ら始 ま った。 そ の後 、 周 縁 に連 珠文 や 仏 像 誕生 の地 ・イ ンド にお い て、 光 明 表 現 は まず 何 の装 飾 も な い円 二 四 )銘 の弥 勒 仏 立 像 光 背 (図 版 一ー 四 )同 じ く永 煕 三年 ( 五 三 四) こ の飛 天 光 背 の成 立 要 因 を 探 る こと で、 仏 像 光 背 の 一つの様 式 の変 遷 半 円 文 の装 飾 を 施 す よ う に な る が、 これ ら に飛 天 光 背 を 見 出 す こと は と や、 実 際 、 藤 原 期 以 後 の多 数 の飛 天 光 が現 存 す る こと か ら、 飛 天 光 に つい て考 え てみ た い。 ま ず そ の原 形 的 存 在 と し て、 法 隆 寺 金 堂 釈 迦 難 し い。 光 背 の外 に供 養 仏 を 配 す例 も みら れ るが 、 それ は む し ろ光 背 銘 一光 三尊 仏 立 像 光 背 な ど の遺 品 が そ れ を物 語 る。 で は、 こ の よう な 三尊 像 光 背 ( 周 縁 の飛 天 は 現 存 し て いな いが 、 光 背 の縁 にお そら く 飛 と は離 れ た別 の存 在 と考 え る べき であ ろう 。 ま た こ こ で、 光 背 の形 式 が定 朝 仏 に多 く 用 いら れ 、 光 背 の 一様 式 と し て広 く 流 布 し て い た こ と 天 を 差 し込 ん だ と考 え ら れ る柄 穴 が あ る 。 図 版 一- 一) や 東 京 国 立 博 を 考 え るL で注 目 し て お き た い こと は、 グ プ タ朝 (四 ∼ 六 世 紀 ) に は 光 背 を成 立 さ せ た 要 因 は 何 であ ろ う か。 物 館 の法 隆 寺 献 納 宝 物 ・甲寅 年 銘 光 背 (図 版 一- 二 ) を は じ め と す る 頭 光 の中 心 に単 弁 、 さ ら に複 弁 に作 った 八 葉 蓮 弁 を お き 、 そ の周 囲 に が知 ら れ る。 し か し 、 こ の飛 天 光 は定 朝 創 案 のも のと し てと ら え る の 飛 鳥 時 代 の作 例 を み てい く こと と す る。 連 珠 文 や唐 草 文 を 配 す こ と が な され 始 め て いた こと で、 これ は 西域 を 経 て、 中 国 、 朝 鮮 、 そ し て 日本 へと 伝 播 す る 間 、基 本 的 に変 わ ってい な い。 これ はわ が 国 の飛 天 光 背 にも 見 受 け ら れ る か ら、 光 背 頭 光 の中 (一) 飛 鳥 時 代 の飛 天 付 光 背 ま で 飛 天 光 と そ の源 流 に つい て は大 口 理夫 氏 の注 目 す べき論 文 が あ る 。 心 の形 はす で に イ ンド で整 って いた と み てよ か ろ う。 ま た、 西 域 か ら (2 ) そ の中 で氏 は、 こ れ ら飛 鳥 時 代 に み ら れ る 飛 天付 光 背 を 飛鳥 式 飛 天 光 中 国 にか け て は石 窟 や石 造 彫 刻 が盛 ん であ った が 、 こ こ で表 わ され る " の形 が いわ ゆ る舟 形 拳 身 光 背 の形 を つく る要 因 と な り、 いわ ゆ と 呼 び 、 そ の源 流 を 中 国 ・北 魏 時 代 と さ れ て いる。 こ の飛鳥 時 代 の飛 "寵 る 寵 形 式 の仏 像 彫 刻 が 、 光 背 を 装 飾 化 す る 原動 力 と な った と考 え る こ 天 を 付 す 光 背 が、 果 た し て定 朝 に よ ってそ の姿 を み た ﹁飛 天光 ﹂ の範 疇 に入 るか ど うか は問 題 を 残 す と ころ であ る が ( 私 は、 こ こ では定 朝 石 窟 や 石 造 仏 の 造 像 は 、 西 域 で も 、 そ し て中 国 で も か な り 盛 ん に 行 (3) と も でき る 。 し て区 別 し た)、 これ ら が 中 国 ・北 魏 時 代 の遺 品 と 関 係 深 い こ と は 、 わ れ る 。 中 国 にお け る金 銅 仏 や石 造 仏 に つい て、 雲 岡 や龍 門 の人 石 窟 の時 代 に完 成 され たも のを 飛 天 光 背 、 飛 鳥 時 代 のも のは 飛天 付 光 背 と 仏 像 様 式 の様 々な 面 が北 魏 時 代 のも の と関 連 す る こと等 と あ わ せ、 考 開 馨 以 前 のも の の光 背 と 、 以 後 のも の の光背 と を比 べると 、 以 後 のも (4 ) 慮 に入 れ る必 要 があ ろ う。 メ ト ロポ リ タ ン美 術 館 所 蔵 の正 光 五年 (五 一20一 帯 、 火 焔 帯 を め ぐ らす 。 こ れ に対 し、 北 魏 景 明 元年 銘 石 造 . 、 尊 仏像 の 光 中 心 部 に蓮 弁 を おき 、 そ の内 側 か ら外 側 へ飛 天帯 、 礼 拝 者 帯 、 化 仏 て豊 か にな って い る こと に気 づ く。 例 え ば北 魏 太 安 二、 年 銘 のも の は頭 置 に変 化 が み られ 、 そ れ ぞ れ の文 様 表 現 には、 次 第 に動 き が あ ら わ れ 期 を 基 準 に時 代 を 分 け て比 べる と、 そ こ に配 さ れ る 化 仏 や 飛 天 等 の位 (五 二五 ) 銘 石 造 三尊 仏 立 像 ( 山 東 省 博 物 館 ) な ど 、 大 石 窟 の開 馨 時 九 九 ) 銘 石 造 弥 勒 仏 立 像 (ク リ ー ブ ラ ン ド美 術 館 ) や 北 魏 正 光 六 年 北魏景明元年 ( 五〇〇)銘石 造、 、. 尊 仏像 ( 個 人 蔵 )、 太 和 二 三 年 (四 銘石造弥勒交脚像 ( 陳 西 省 博 物 館 )、 龍 門 開 撃 - 四 九 四年 頃 - 以 後 の 仏 を 頭 光 部 ・身 光 部 に 一つの圏 帯 と し て配 し て い る。 こ の点 、 よ く ひ 背 外 に、 化 仏 を 火 焔 部 に配 す の に対 し、 それ 以 前 のも のは 、 飛 天 や化 金堂釈迦一 .一 尊 像 光 背 や、 北 魏 正 光 年 間 頃 の そ の種 の光 背 が 、 飛 天 を光 ると 、 前 述 の通 り、 飛 天 や化 仏 の配 し方 に大 き な 違 いが あ る 。法 隆 寺 太安. . 一 年 銘 石 造 弥 勒 交 脚 像 、 さ ら に雲 岡 石 窟 の いく つか のも のと比 べ 付 光 背 に近 い形 式 を 示 し て い る。 こ れ らを それ ま で の柄 霊 寺 石窟 像 や 術 館 の正 光 五 年 銘 金 銅 弥 勒 仏 立 像 の光 背 な ど は、 最 も 飛 鳥 時 代 の飛天 の正 光 六 年 (五 二五 ) 銘 石 造 三尊 仏 立 像 の光 背 や、 メ ト ロポ リ タ ン美 年 間 頃 のも の に源 流 を 求 め る こと が でき よ う。 中 でも 、 山 東 省博 物 館 と こ ろ で、 こ こ で問 題 と す る飛 天 付 光 背 の形 式 は、 中 国 ・北魏 正 光 面 が 大 き い石 材 ( 特 に石 窟 や石 造 仏 ) が造 像 の素 材 対 象 であ った こと も の は頭 光 を 中 心 部 の蓮 弁 部 と そ の外 側 の化 仏 帯 で構 成 し 、 化 仏 帯 の き あ い に出 され る雲 岡 石 窟 第 、一 長 洞 大 仏 のも の は、 飛 天 が 身 光 火焔 外 の は光 背 に施 さ れ て いる装 飾 文 様 が 多 様 化 し 、 そ の表 現 方 法 が 発 達 し 外 側 に さら に 一本 の紐 帯 を ド 方 に の ば し て ( 身 光 部 を つく る )、 そ の に配 さ れ て い る点 で は注 目 でき る が、 や は り化 仏 が 圏 帯 と し て組 み 込 が 、 ただ 尊 像 を 造 る だ け で はな く、 脇 侍 や化 仏 、 飛 天 等 の彫 刻 ・彩 色 中 に化 仏 を お き 、 最 も 外 側 に天 衣 を ひ る が え し て飛遊 す る 飛 天 を 表 わ ま れ て い る。 又 、 飛 鳥 期 飛 天 付 光 背 の頭 光 の形 が円 形 で、 身 光部 が頭 て絵 画 的 色 彩 が濃 く な る。 雲 岡 開 馨 - 四 六 〇 年 頃 - 以 前 の北 魏 太 安 元 し て い る。 雲 岡 、 龍 門 の石 窟 造 営 の 問 に、 化 仏 は仏 の分 身 的 存 在 と し 光 部 の幅 程 度 で小 規 模 に表 わ され 、 そ れを 包 む 火 焔 部 が 大 き く 表 わ さ を 可 能 にし 、 仏 の世 界 を 荘 厳 に し、 飛 天 と光 背 の結 び 付 いた 、 いわ ゆ て光 明 の中 に表 現 され る よ う に な り、 飛天 は仏 に従 す る も のと し て光 れ て い る の に対 し 、 雲 岡 石 窟 第 ニレ 洞 大 仏 の光 背 を 含 め た 雲 岡 以 前 の 年 (四 五 四) 銘 石 造 仏 坐 像 ( 藤 井有鄭館)や北魏太安. . 一 年 (四五 七 ) 明 の最 も 外 側 、 さ ら に は光 明 外 へと表 現 さ れ る位 置 が変 化 し て い る。 も の は、 頭 光 の形 は円 形 か 火 焔 形 で、 そ の中 に化 仏 圏 帯 を も ち 、身 光 る ﹁北 魏 様 ﹂ の飛 天 光 背 を 創 った とも い え よ う。 これ は明 ら か に飛 天 と 化 仏 に対 す る概 念 の変 化 と み てよ か ろ う 。 そ し は化 仏 圏 帯 を 含 む い く つか の圏 帯 で頭 光 部 を 包 み込 む よ う な 形 で、全 銘石造釈迦仏坐像 ( 個 人 蔵 )、 雲 岡 開 撃 以 後 の北 魏 皇 興 五 年 (四七 一) て こ の変 化 に は、 金 属 や木 材 に比 べ て、 規 模 も大 き く 、表 現 可 能 な 平 一21一 いう素 材 の装 飾 性 の違 い にも よ る の であ ろう 。 銅 仏立 像 な ど のよ う に金 銅 仏 の光 背 の方 が 早 い が、 こ れ は石 と金 銅 と のは 、 元 嘉 一四 年 (四 三 七 ) 銘 金 銅 仏 坐 像 、 廷 興 五 年 (四七 五) 銘 金 雲 岡 以 前 のも のは そ の割 合 が 小 さ い。 こ の火 焔 部 の割 合 が大 き く な る 付 光 背 の火 焔 部 が 光 背 全 体 の面 積 に占 め る割 合 が大 き い の に対 し て、 幅 の火 焔 部 (一つの圏 帯 と 考 え る べき か ) を お く 。 即 ち 、 飛 鳥 期 飛 天 体 の挙 身 光 を つく って いる 。 そし て、 そ の最 も 外 側 に、 圏 帯 く ら い の む し ろ仏 に付 す る従 者 的 存 在 にな って いる。 こ の概 念 の変 化 は、 前 述 対 し、 雲 岡 後期 の飛 天 は 天 衣 、 裳 の動 き が重 視 され 、 仏 と し てよ り は と し て考 え ら れ 、 そ れ 自身 、 浮 彫的 ・立 体 的 にと ら えら れ て いた の に 天衣 の弧 を 描 く よ う な 飛 動 が 強 調 さ れ る。 雲 岡 初 期 の飛 天 が 一つの仏 岡後 期 に入 る と 、 円光 背 が な く な り 、下 半 身 は胴 衣 と 下 裳 で包 ま れ て 表 現 が立 体 的 で、 天衣 や裳 は む し ろ付 加 的 な線 刻 であ る。 と こ ろが 雲 お け る 飛 天 は 円 光 背 を も ち 、 一つ 一つの飛天 の身 体 の彫 刻 は全 体 的 に 式 は 明 ら か に区 別 でき る。 こ の こと は石 造 仏 に お い ても は っき り認 め く 火 焔 を 配 す 構 成 と な ってお り 、 雲 岡 以 前 の光 背 様 式 と龍 門 の光 背 様 側 だ け で、 そ の内 部 は少 し 幅 広 の帯 を .一 、、 、一 本 配 し、 そ の外 部 に大 き 成 す る の では な く 、 圏 帯 と いえ る べき も の は頭 光 部 と 身 光 部 の最 も 外 が 、 以 前 のも の のよ う に、 圏 帯 を . 。 . 重 、 四重 と 重 ね て 一つの光 背 を 構 化仏 を 一つの圏 帯 と し て扱 ってい る点 、 飛鳥 期 飛 天 付 光 背 と は異 な る。 く も そ の傾 向 が み ら れ る 。 し か し 、 こ の像 や龍 門 石 窟 のも の は、 ま だ ク リ ー ブ ラ ンド 美 術 館 の太 和 .一 . な年 銘 石 造 弥 勒 仏 立 像 の光 背 に は、 早 年 銘 光 背 が 五 三 四年 又 は 五 九 四 年 に朝 鮮 半 島 で造 ら れ た と す る 説 も あ 金 銅 仏 を み れ ば 、 飛 天付 光 背 の例 が な い。 但 し、 法 隆 寺 献 納 宝 物 甲 寅 る であ ろ う か 。 確 か に、 一光 三 尊 形式 は朝 鮮 半 島 にも 存 在 す る 。 が 、 と ころ で、 こ の形式 の光 背 の日本 への伝 播 に は、 朝 鮮 半 島 が 介 在 す そ の源 流 と し て は、雲 岡 様式 と龍 門様 式 が 融 合 し た接 点 と考 え てみ た。 り飛 鳥 期 飛天 付 光背 の直 接 の原形 を 北魏 正 光 年 間 頃成 立 し た光 背 と し、 区 別 は、 雲 岡期 に育 ち 、 成 立 し た よ う であ る。 以 上 の考 察 か ら 、 や は 光 背 に付 す荘 厳 の 一部 、 化 仏 は 光背 の光 明 表 現 の中 に表 わ す 仏 と いう て いる。 こ の影 響 は お お よ そ 石 造仏 の光 背 にも 表 わ れ てお り 、 飛 天 は 通 り、 飛 天 が光 背中 にあ る か 、 光背 外 にあ る か の違 い の上 にも 表 わ れ る こと が でき (例 え ば 、 皇 興 五 年 銘 石 造 弥 勒 交 脚 像 の光 背 と、 正 光 六 る 。 一方 、 石 造 仏 を み れ ば 、 年 代 が降 る が 、 慶 州 南 道 出 土 の 癸 酉 銘 石 造 仏 で火 焔 部 の成長 が見 ら れ る のが、 龍 門 石 窟 開 馨 期 以 後 であ る。 年 銘 石 造 三 尊 仏 立 像 )、 そ の間 に龍 門 石 窟 様 式 の及 ぼ し た影 響 は 多 大 代 的 問題 は あ る が 、 これ の前 例 の存 在 を全 く否 定 す る こと も 出 来 な い (六七 三 か )全 氏 阿 弥 陀 仏 三 尊 仏像 の光 背 が こ の種 のも の に属 す 。 年 同 時 に雲 岡 石 窟 にお い ても 、 飛 鳥 期 飛 天 付 光 背 の成 立 を 考 え る上 で の で、 これ ら よ り 、 日 本 の仏 教 美術 伝 播 時 に、 朝 鮮 半 島 に飛 天 付 光 背 であ る 。 注 目 す べき こと が あ る。 飛 天 に対 す る概 念 の変 化 であ る。 雲 岡 初 期 に 一22一 後 、 そ れ ら の形 式 を 受 容 、 消 化 し た 仏 像 光 背 の発 展 が あ る の であ り、 に整 った 形 を ほ ぼ そ のま ま 受 け て いる と み る こと が でき る。 し か し 以 尊 像 や そ れ に類 す る 飛鳥 時 代 の飛 天 付 光 背 は 、 中 国 ・北 魏 正 光 年 間 頃 こ の よ う に、 日本 仏 像 光 背 のお よ そ 出 発 点 にあ る 法 隆 寺 金 堂 釈 迦 三 仏 、 金 銅 仏 で展 開 し てき た大 陸 の影響 を ほ と ん ど そ の まま 受 け た も の い う こと が考 え ら れ よ う。 飛鳥 時 代 の仏 像 及び 光 背 は、 石 窟 像 や 石 造 に つれ 、 日本 で は等 身 大 前 後 か ら そ れ 以上 の大 型 の木 彫 像 が 増 え た と な った よう であ る。 そ の原 因 の 一つと し て、 飛 鳥 、 白 鳳 と 時 代 が 進 む え て みた わ け だ が こ の種 の光 背 は、 そ の後 日本 で はあ ま り 造 ら れ な く 迦 三 尊 像 光 背 や法 隆 寺 献 納 宝 物 甲 寅 年 銘 光 背 を 想 起 し 、 そ の源 流 を考 平 等 院 鳳 鳳堂 本 尊 の光 背 は そ の大 成 の位 置 にあ る。 そ こ で次 に、 平 等 だ が、 日本 では石 窟 や 石造 に適 す る材 料 は な く、 金 銅 造 も 数 例 を 除 け の存 在 す る可 能 性 も残 し て い る。 院 鳳 鳳 堂本 尊 光 背 の立 場 か ら、 そ の成 立 に至 る諸 要 因 を考 え てみ た い。 ば小 像 に限 ら れ、 豊 富 な 材 料 では な か った。 従 って、 ほ と んど 間 も な いる 。 光 脚 部 の蓮 弁 に は宝 相 華 文 を 彫 出 す る。 そ の全 体 の形 は 中 央 部 弁 帯 を 置 く 。 これ ら は彫 出 か 、 別 に造 った も のを貼 り付 け て表 現 し て 珠 文 の紐 帯 で界 し て、 そ の周 り に飛 雲 文 の圏 帯 を 巡 ら し、 最外 縁 に列 ら 成 る 。 頭 光 ・身 光 は共 に八 葉 蓮 華 を 中 心 に置 き、 二条 の紐 帯 及 び連 と 、 蓮 弁 形 の輪 郭 に造 った 周 縁 部 、 五 枚 の蓮 弁 を 二重 に し た光 脚 部 か 平 等 院 鳳 鳳 堂 本 尊 の光 背 は、 円 形 の頭 光 と 身 光 を 重 ね た 二重 円 相 部 火 災 時 に光 背 先 端 が損 傷 し た可 能 性 も あ り、 そ の時 に飛 天 も 亡 失 し た に付 し て いた 飛 天 の亡 失 時 は明 らか に し難 い。 天 智 九 年 (六 七 〇 ) の し か し 現 存 はし て いな いが 、 法 隆 寺 金 堂 釈 迦 三 尊 像 光 背 (こ の光 背 る こと は 、 次 第 にな さ れ な く な って いく の で はな いか と推 察 さ れ る。 が 激 し か ろ う 。 従 って、 荘 厳 的 性 格 の強 い飛 天 を わ ざ わ ざ光 背 に付 す 無 理 が あ る。 加 え て、 木 材 で こ の こと を 行 え ば 、 こ の部 分 は弱 く損 傷 共 に光 背 も大 型 化 す る の であ り 、 飛 天 を 光 背 に付 す る こと は重 量 的 に く豊 富 な木 材 が 主流 にな って いく 。 ま ず 像 の大 型化 と い う点 で、 像 と を 高 く し て左 右 にな だ らか に低 く な る山 型 であ る。 二 重 円 相 部 及 び 光 と も 考 え ら れ る が、 文 献 等 によ って 判 明 でき な い。) 以 降 のも の で、 (二 ) 平 等 院 鳳 鳳 堂 本 尊 光 背 の成 立 要 因 脚 部 の裏 面 は、 貼 り付 け の飛 雲 文 や連 珠 文 を 省 略 す る が 、 表 面 に準 じ 飛 天 付 光 背 の例 があ る。 薬 師 寺 金 堂 本 尊 の光 背 であ る。 こ の こと に つ (長 和 四 年 ー 一〇 一五 年 頃 のも のか ) に、 ﹁其 堂 中 安 置 丈 六 金 銅 須 弥 (5 ) た 様 r と し て い る。 周 縁 部 は、 透 彫 飛 雲 を 九 区 に分 け て造 り 、 そ の最 い て は、 足 立 康 氏 の研 究 が あ る。 文 献 によ れば 、 まず ﹃薬 師 寺 緑 起 ﹄ (但 し 、 大 日如 来 像 及 び飛 天 六体 は 後 補 。) 座 薬 師 像 一躯 、 円 ( 縁の誤字か)光中 半 出 七 佛薬 師 佛 像 、 火 炎 間 刻 造 無 数 (6 ) h 区 に大 日如 来 像、 左 右 の各 四区 にそ れ ぞ れ六 体 の飛 天 を取 り付 け る 。 先 に私 は こ の飛天 光 の原 初 的 存 在 と し て、 飛 鳥 時 代 の法 隆 寺 金 堂 釈 一23一 の飛 天 付 光 背 の様 式 を 受 け 継 ぐ も のが 存 在 し て いた と 考 え られ 、 や は え ら れ る の であ る 。 従 って、 藤 原 時 代 の飛 天 光 成 立 時 にも 、 飛 鳥 時 代 当 初 の光 背 が 飛 鳥 時 代 にみ ら れ る飛 天 を 付 す 形 式 のも の であ った と考 像 、 又 緑 光 彫 飛 天 卜 九 躰 ﹂ と 記 され て い る。 こ の史 料 を も と に、 造 立 一 一四 〇 ) には ﹁中 尊 金 銅 丈 六 薬 師 像 須弥座 、 身 光 刻 付 半 出 七 佛 薬 師 飛 天 也 ﹂ と み え、 又 、 大 江 親 通 の ﹁七 大 寺 巡 礼 私 記 ﹂ (保 廷 六 年 - い る。 こ の形 式 のも の に飛 天 が付 し て いな いと は いえ 、 や は り法 隆 寺 があ り、 中 国 のも のよ り、 よ り 日本 のも の に そ の構 成 や 形 が 類 似 し て 島 でも 、 一光 三尊 形式 の光 背 に頭 光 と身 光 を 同 じ 幅 と し た 形 式 のも の り、 こ の形 は唐 時 代 ま でみ ら れ る。 又、 中 国 と 日本 を 介 在 す る 朝 鮮 半 が そ れ を 示 す に要 す る 程 度 のも のと な った の が北 魏 後 半 頃 のも の であ 頭 光 を 包 む よ う にし て いた 形 か ら、 圏帯 が少 な く な って身 光 部 の表 現 は 、 中 国 では 北 魏 頃 に現 れ た 形 で、 そ れ ま で の圏 帯 を いく つか 重 ね て は無 視 でき な い。 こ の よ う に、 飛 鳥 か ら 白 鳳 時 代 にか け てみ ら れ る こ 金堂釈迦 . ﹂ 尊 像 な ど の飛 鳥 仏 に、 朝 鮮 半 島 の形 式 が 介 在 し てい る こ と り こ の こと は度 外 視 す べき では な か ろう 。 では、 平 等 院 本 尊 の飛 天 光 背 の細 部 に つい て は、 ど の よう な 考 察 が でき る であ ろ う か。 順 次 、 主 要 素 の各 部 分 を 考 察 し て みた い。 こ の形 か ら 脱 皮 し て いく も のが 、 奈 良 時 代 半 ば 以降 、 雑 密 の影 響 の の形 式 は、 や は り北 魏 頃 の影 響 によ るも の であ る と 考 え る。 に は ほ と ん ど定 着 し た も の であ る が 、 飛 鳥 時 代 か ら のも の で はな い。 も と に造 像 さ れ た、 東 大 寺 三 月 堂 不 空 羅 索 観 音 像光 背 ( 図 版 三i 四) ま ず 、一 重 円相 部 であ る。 光 背 に.一 重 円 相 を 備 え る こと は、 定 朝 の頃 時 代 を 遡 る程 、 現 存 作 品 の数 は少 な い の で、 一概 には 言 え な いが 、 現 で構 成 さ れ て い る の に対 し、 身 光 部 は唐 草 文 ( 蓮 華 ) 帯 のみ で作 り 、 光 圏 帯 ・重 圏 帯 ・連 珠 文 帯 ・唐 草 文 ( 忍 冬 ) 帯 な ど、 いく つか の文 様 飛 鳥 時 代 の法 隆 寺 金 堂 釈 迦 三尊 像 の光 背 の場 合 、 頭光 部 が 八 葉 ・射 問題 点 を も つ。 問 題 と な る のは 身光 部 であ る が、 技 法 の面 でみ る と 、 背 は 、 頭 光 部 と 身 光 部 が 当 初 か ら の 一具 の も の と考 えら れ な いと いう てみ る と 、 頭 光 ・身 光 を 共 に円 形 に作 り、 重 ね て い る。 薬 師 如 来 像 光 を 示 し て いる 。 盧 舎 那 仏 像 光 背 は いわ ゆ る 千仏 光 背 であ るが 、 注 意 し や 唐 招 提 寺 金 堂 盧 舎 那 仏 像 の光 背 (図 版 三- 一)、 同 薬 師 如 来 像 の光 頭 光 の外 周 を つく る覆 輪 の紐 が ま っす ぐド 方 に の び て身 光 部 の外 周 の 全 面 に麻 布 を 貼 り 、 そ の上 に薄 く錆 下 地 黒 漆 塗 りを 行 な い、 特 に外 周 存 作 品 の実 情 か ら考 え て、 お そ ら く 二重 円相 が 仏 像 光 背 に用 いら れ る 覆 輪 を 作 る 。 頭 光 の幅 と 身 光 の幅 が同 じ であ ると い う形 式 は、 法 隆 寺 の列 弁 文 の部 分 は 、木 部 に 彫 り を加 え な い で木 尿 漆 だ け で成 形 し て い 背 (図 版 三 - 二) な ど であ ろう 。 特 に唐 招 提寺 像 の も の は、 二重 円 相 献 納 宝 物 の 一光 . . . 尊 仏 立 像 (一四 、 . . 号 ) 光 背 、 甲 寅 年 銘 光 背 (一九 六 る が、 貼 付 け の透 彫唐 草 文 様 が 天平 風 であ る点 、 材 が 桂 材 で盧 舎 那仏 よ う にな る の は、 奈 良 時 代 半 ば頃 と 思 わ れ る。 号 )、 一九 七 号 光 背 、 法 隆 寺 戊 r 年 銘 釈 迦 像 にも 共 通 す る。 こ の形 式 一24一 石 窟 等 や、 朝 鮮 半 島 では そ の影 響 下 にあ った 新 羅 の、 例 えば 慶 州 甘 山 光 の形 は、 唐 時 代 の敦 煙莫 高 窟 ( 例 え ば 三 二 八 窟 本 尊 光 背 )、 天 竜 山 さ ら に、 こ の像 の肩 の部 分 を 幅 広 く し 、 下 方 を す ぼ め て いく と い う身 て いる 点 か ら考 え れ ば、 こ の身 光 部 も 天平 頃 のも のと 考 え てよ か ろ う 。 や千 手 観 音 菩 薩 像 の光 背 と 同 一であ る点 、 ま た、 外 縁 部 に乾 漆 を 用 い は、 そ の上 部 が ほ と んど 一文 字 にな り、 光 脚 両 端 が 大 き く 外側 へ伸 び、 御 影 堂 不動 明 王 像 光 背 (図版 ニ ー 四 ) や 勝常 寺 薬 師 如 来 像 光 背 の光 脚 も のと考 え る こと が でき る。 そ の貞 観 時 代 のも の と し て、 教 王 護 国 寺 そ れ に蓮 弁 が刻 ま れ てお り 、 次 の貞 観 時 代 にみ ら れ る光 脚 の先 駆 的 な 示 す。 そ し て、 唐 招 提 寺 の盧 舎 那 仏 光 背 の光 脚 は帯 状 の低 め のも の で 一典 型 と み る こと が でき る。 光 脚 の形 が よ り平 等 院 本 尊 のも の に近 づ 弁 が下 側 へ垂 れ る。 こ の形 は、 平 等 院 本 尊 光 背 の光 脚 が 中 央 に大 き く お そら く 二重 円 相 の形 は、 西域 や中 国 の石 窟 寺 院 の彩 色 壁 画 の中 で い てき たも のと し て は、 仁和 寺 阿 弥陀 如 来 像 光 背 の光脚 が あ げ ら れ る。 寺 の阿 弥 陀 如 来 像 光 背 等 にみ ら れ る も の で、 同 じ 唐 の文 化 圏 にあ った 完 成 さ れ た形 と 考 え ら れ る が、 日本 でも 奈 良 時 代 に入 って、 東 大 寺 盧 そ の形 は、 蓮 弁 形 が山 形 に中 央 を高 く し て平 等 院 本 尊 光 背 の光 脚 に近 山 形 にな る よ う に美 し く ま と め て いる 形 と は異 な り、 貞 観 期 の光 脚 の 舎那仏坐像台座蓮弁毛彫、当 麻曼薬 羅図 ( 当 麻 寺 )、 釈 迦 説 法 図 (ボ い形 と な って い る の に対 し、 両 端 は下 方 に垂 れ ると いう 貞 観 期 の様 を わ が 国 の天 平 時 代 に こ の形 が存 在 し て いた と 考 え ても よ いと 思 う 。 ス ト ン美 術 館 ) な ど、 絵 画 的 な も の には定 着 し てお り 、 他 に頭 塔 石 仏 示 し 、 両 時 期 の過 渡 的 な も の と位 置 づ け ら れ る。 り と 、 刻 出 さ れ た り貼 付 ら れ て い る文 様 や飛 天 の立 体 性 を あ げ る 必 要 次 に、 平 等 院 本 尊 光 背 の技 法 的 特 徴 と し て、 縁 光 部 にみ ら れ る 透 彫 や 正 倉 院 の押 出 仏 な ど にも 見 ら れ、 唐 文 化 の影 響 と あ わ せ 、 こ の時 代 に仏 像 彫 刻 にも 定 着 し 始 め てき た形 と考 え る こと が でき る 。 こ の二 重 円 相 の形 と 共 に、 藤 原 期 飛 天 光 を構 成 す る も のと し て光 脚 脚 と いえ る も の は光 背 に付 し て いな い。 天 平 期 に入 ってか ら のも の で 光 脚 部 の発 生 も 奈 良 時 代 後 半 と 考 え ら れ る。 飛鳥 ・白 鳳 期 には 、 光 と いわ れ る程 類 似 し た像 容 を も つ法 界 寺 阿 弥 陀 如 来 像 の光 背 が 、 縁光 は緑 光 部 に透 彫 りを 施 す の が通 例 で、 特 に、 定 朝 仏 を そ のま ま 写 し た 現 在 の平 等 院 本 尊 光 背 の周 縁 部 は後 補 であ るが 、 定 朝 以 後 の飛 天光 が あ ろう 。 は、 東 大 寺 、 一 月 堂 不空 羅 索 観 音 像 の光 背 に は な く 、 聖林 寺 卜 一面 観 音 部 を 透 彫 り にし て い る こと な ど か ら、 平 等 院 本 尊 光 背 の縁 光 部 も 透 彫 部 を 忘 れ る こと は でき な い。 像 光 背 、 唐 招 提 寺 金 堂 盧 舎 那 仏 光 背 、 同 薬 師 如 来 像 光 背 には光 脚 が み り であ った こと は間 違 いな い。 光 背 に透 彫 り を 施 す 技 法 は、 奈 良 時 代 のも の に見 出 せ る 。 法 隆寺 橘 ら れ る。 聖 林 寺 L ⊥ 面 観 音 像 光 背 と 唐 招 提 寺 如 来 像 光 背 の光 脚 は類 似 し て お り、 、一 等 辺 ご、 角 形 の形 に藻 文 等 を 刻 ん だ奈 良 時 代 独 特 な意 匠 を 一25一 を し め し て い る の に対 し、 平 等 院 本 尊 光 背 のそ れ ら は 、 か な り立 体 的 光 の飛 天 は、 法 界 寺 阿 弥 陀 如 来 像 光 背 の それ ら が 、 幾 分 平 面化 す る様 堂 千手 観 音 像 光背 で細 部 に手 を 抜 か な い。 こ れ ら は明 ら か に、 前 時 代 の新 薬 師 寺 薬 師 如 夫 人 厨 r 本 尊 の光 背 、 東 大 寺 . . . 月堂不空羅索観音像光背、唐招提寺金 光 背 に透 彫 りを 施 す こと は現 存 作 品 でみ る 限 り は な さ れ てお ら ず 、 光 来 像 光 背 、 勝 常 寺 薬 師 如 来 像 光 背 な ど の立 体 的 な 彫刻 表 現 を 受 け継 い ( 図版. . r . . . ) な ど は そ の代 表 であ る。 貞 観 期 に は 、 背 の 装 飾 技 法 と し て は 、 彫 出 か 彩 画 で あ った と 考 え ら れ る 。 そ し て こ で いる も の であ る。 い てそ の流 れ を 主 と し て考 察 し てき た が、 これ らを ま と め てみ る と、 以 L 、 平 等 院 鳳 鳳 堂 本 尊 の飛 天 光背 の重 要 な要 素 と思 われ る点 に つ の傾 向 を 一転 し て 、 再 び 光 背 に透 彫 り を 施 す よ う に な る き っか け と な っ た の が 、 九 八 ヒ 年 、 入 宋 僧 禽 然 が も た ら し た 清 涼 寺 釈 迦 如 来 像 の光 背 (図 版 、一 1、 . . ) で はな か ろう か 。 に位 置 す る仏 像 彫刻 に付 属 す る 光背 の様 式 を う まく 取 り入 れ 、 一つの 仏 像 光 背 の主 流 と な った 定 朝 様 飛 天光 背 は、 飛 鳥 以来 、 各 時 代 の主 流 理 以 来 の も の で あ る が 、 こ の 姿 は 藤 原 後 期 に 当 初 の も の に な ら っ て新 形 と し て完 成 し た姿 と 言 え よ う。 中 国 ・北 魏 に源 流 を も つ飛 鳥 時 代 の (一四 七 .一 ) の修 し く 作 ら れ た も の で、 も と のも の に忠 実 な 修 理 が な され て い る点 、 ま 飛 天 付 光 背 の存 在 を も と に、 奈良 時 代 以 来 の各 意 匠 (光 脚 や 二 重 円相 清 涼 寺 釈 迦 如 来 像 の光 背 の現 存 の姿 は、 文 明 四年 た、 禽 然 が 入 宋 し た 頃 (宋 初 期 )、 江 南 地 域 では 光 背 に 透 彫 り を 用 い 部 ) を 一つの完 成 の形 と し、 彫刻 的 作 風 は前 時 代 (貞 観 ) 以 来 の立 体 的 作 風 の伝 統 を 受 け継 い で いる の であ る。 そし て そ の姿 が 、 当時 の浄 (7 ) て い た例 が あ る ( 漸 江 省 金 華 万 仏 塔 塔 基 発 掘 の数 体 の金 銅 仏 な ど が そ の例 。 清 涼 寺 釈 迦像 は 台 州 開 . 兀寺 で模 刻 さ れ た が 、 台 州 は漸 江 省 で江 土 信 仰 に ふ さ わ し く、 人 々 が求 め る所 の姿 であ った の で、 大 いに流 行 こ の飛 天 光 が 、 京 都 を 中 心 に展 開 し た 主 流 的 存 在 であ る のに対 し、 南 地 域 であ る )点 を考 え 、清 涼 寺 像 の光 背 が 現 在 の姿 と 同 様 に透 彫 り ろ うか 。 清 涼 寺 釈 迦 如 来 像 は、 口 本 にお い て、 多 く の模 刻 作 品 が 造 ら 地 方 流 派 と し て奈 良 を 中 心 と し て展 開 し た 板 光 背 が あ る。 両 者 の存 在 す るも のと な った の であ ろ う。 れ たも の であ り、 私 の考 え が的 を え て いる な ら 、 定 朝 が 仏 像 を 造 る際 地 域 が 近 い こと で互 い の影 響 も 考 え ら れ る の であ る が、 そ れ 以上 に、 を 施 し て い た 可能 性 は大 き いと 考 え る のは 、 単 な る 憶 測 に過 ぎ ぬ であ に こ の像 の存 在 を 全 く知 ら ぬ こと は な く 、 透 彫 り の新 鮮 さ を 自 分 の彫 に つい て解 明 の意 義 が あ り 、 興 味 を そ そ る。 いろ い ろ問 題 点 は残 ると 奈 良 (大 和 ) と いう 地 に板 光 背 が 生 ま れ 伝 わ って いく こと に、 板 光 背 一方 、 彫 刻 の立 体 性 は、 貞 観 か ら の特 色 を受 け継 い で いる 。 頭 光 と 思 う が、 板光 背 に つい て、 私 の考 え の及 ぶ限 り 、 考 察 を 試 み てみ た い。 刻 に取 り入 れ たと 考 え る こ と も 不自 然 では な いと 思 う 。 身 光 中 央 の八 葉 蓮 華 、 そ の周 り の圏 帯 に貼 り付 け る 飛雲 文 、 そ し て縁 一26一 三 、 板 光 背 の成 立 と 伝 播 (8 ) 板 光 背 に関 し て は、 既 に久 野 健 氏 の論 文 が あ る 。 板 光 背 の遺 品 を 集 あ て、 そ の分 布 や制 作 年 代 に つい て検 討 し てお ら れ 、 参 考 と す る 所 が 薬師如来像光背 釈迦如来像光背 不空羅索観音菩薩像光背 菩薩立像光背 (一) 板 光 背 成 立 に つい て の考 察 奈良 ・南 明寺 奈良 ・南 明寺 京 都 ・広 隆 寺 京 都 ・広 隆 寺 現 存 す る板 光 背 のう ち 古 い も の は 和 歌 山 ・慈 尊 院 弥 勒 仏 光 背 ( 弥 多 い。 板 光 背 に つい て論 じ る と な れ ば、 そ の成立 に つい て の考 察 は 不 可 欠 な も の であ り、 ま ず は 現存 例 か ら そ の考 察 を 試 み た い。 こ こ で こ 来 立 像 光 背 (図 版 六 - 二 )、 同 地 蔵 菩 薩 像 光 背 (図 版 六 - 一)、 当 麻 勒 仏 裳 先 裏 面 に寛 平 四年 ・八 九 二年 の墨 書 銘 が あ り 、 光 背 も こ の時 期 奈 良 ・東 明 寺 寺 板 光 背 の うち の 一号 光 背 ( 図 版 四- 二) が九 世 紀 中 頃 よ り 後 半 の作 の考 察 を す す め る に あ た ってそ の対 象 と し た 板 光 背 の遺 品 を 取 り 止 げ 一面 奈 良 ・室 生 寺 品 と 考 え られ て い る。 これ ら の う ち、 制 作 年 代 が 確 定 でき る のは 一点 に造 ら れ た当 初 のも のと 考 え ら れ る) (図 版 五 - 二 )、 室 生 寺 釈 迦 如 薬師如来像光背 一面 奈 良 ・室 生 寺 て おく 。 釈迦如来像 ( 伝薬師如来 像)光背 一面 であ り、 こ の中 のど れ が最 古 作 品 であ る か は明 言 でき ぬが 、 室 生 寺 金 堂釈迦如来像 ( 伝 薬 師 如 来 像 ) の光 背 が、 平 安 絵 画 の遺 品 と し ても 中 聖観音菩薩像光背 薬師 三尊像光背 一面 二面 三面 二面 奈 良 ・法 輪 寺 奈 良 ・法 隆 寺 奈 良 ・法 隆 寺 奈 良 ・霊 山 寺 奈 良 ・新 薬 師 寺 ら は決 し て 一流派 と いえ る も の で はな いと さ れ る。 ここ で注 目 し た い 世 紀 に わ た って、 奈 良 を中 心 と す る 西 国 文 化 圏 に拡 が って い て、 それ 久 野 健 氏 の論 によ れ ば、 板 光 背 像 は 、 お お よ そ 一〇 世 紀 頃 か ら 二 二 観 点 か ら室 生 寺 の立 場 を考 え てみ た い。 堂 釈 迦 如 来 像 、 そ し て地 蔵 菩 薩 像 の光 背 に関 し て、 板 光 背 発 生 と いう か にも ってい る も の であ る と さ れ て いる 。 そ こで まず 、 こ の室 生 寺 金 奈 良 ・当 麻 寺 地蔵菩薩像光背 曼茶羅堂発見 の板光背 完形 なも の三二点、断片二十数点 普賢廷命菩薩像 光背 一面 奈 良 ・融 念 寺 でも 優 れ た作 品 であ り、 久 野 健 氏 は 、 板光 背 像 と し て そ の初 発 性 を 豊 十 一面観音像光 背 一面 十 一面観音菩薩立 像 ( 薬師如来脇侍像)光背 聖観音菩薩 像光背 一27一 面 面 面 面 奈 良 の中 心 ・北 大 和 の盆 地 の外 周 辺 に存 し て いる こと であ る。 そ れ が いわ ゆ る諸 大 寺 と い わ れ る所 で は な く 、中 規 模 以 ド の、 そ れ も のは、 文 化 の中 心 が 京 都 にあ る時 に、 奈 良 地 方 に そ の作 例 が 多 く 、 又 、 入 山 によ って、 室 生 寺 の宗 教 内 容 に真 言密 教 が加 わ った こ と に注 目 す の義 真 と の親 交 関 係 によ り 、 室 生 寺 入 山 の機 を得 た と考 え ら れ、 彼 の は 空 海 の高 弟 八 人 中 の 一人 であ る。 彼 は 、 元来 興福 寺 僧 で あ った叡 山 た ろ うか 。 平安 初 期 、 京都 ( 北 京 ) に天 台 ・真 言 の密 教 が 興 起 し た 頃 、 .一 年 ) の 一年 前 であ る。 円 修 は、 天 台 座 主 義 真 の後 継 者 と さ れ て い 続 い て承 和 . 兀年 (八 一 、 、四)、 円 修 一派 が 入 山 す る。 修 円 入 滅 (承 和 べき であ る 。 南都 仏教 はそ れ に対 し て法 相 宗 が力 を 強 め ていた と いう宗 教事 情 であ っ た 程 の人物 であ った が 、 結 局 は円 澄 と の座 主 争 い に敗 れ、 承 和 一〇 年 で は、 板 光 背 が制 作 さ れ る時 期 、 奈 良 地 方 は ど のよ う な情 勢 に あ っ た が 、 空 海 が 東 大 寺 別 当 にな った こ とを 契 機 に、 次 第 に密 教 化 の傾 向 (八 四 . . 、 ) 頃 、 弟 了 堅 慧 を 同 伴 し て、 入唐 求 法 の旅 に出 る。 これ に関 年 (八 〇 五 ) に、 最 澄 か ら 、 . . 昧 耶 戒 を 受 け て弟 f と な り、 密 教 を修 得 ま た 共 に 、 天 台 宗 開 祖 最 澄 と 関 わ り が あ った。 特 に修 円 は 延 暦 。一四 環 、 修 円 共 に興 福 寺 で法 相 教 学 を 学 び、 そ の権 威 と な った人 で あ り、 後 、 賢 環 に協 力 し て堂 塔 の創 建 事 業 を 進 め た修 円 に受 け継 が れ る。 賢 の. . 、 年 間 のあ る時 期 に、 桓 武 天 皇 の仰 旨 に よ り、 僧 賢 環 が行 う。 そ の 室 生 寺 の創 建 は、 天 応 元 年 ( 七 八 一) か ら延 暦 、一 年 ( 七 八. 。 。 )ま で 又、 彼 ら の 入唐 (八 四 ゴ、 年 頃 ∼ 八 五〇 年 ) 前 後 に、 寺 の中 心 堂 宇 と し 本 天台 の血 脈 の正統 が 叡 山 を 離 れ て室 生 山 に移 って い る こと にな る。 本 天台 四葉 ﹂ と は 、 最 澄 - 義 真 i 円修 ー 堅 慧 の血 脈 で、 要 す る に、 日 る信 認 を求 め 、 僧 如静 以 ド の証 明 を得 た とあ る。 こ こ に・表 わ れ る ﹁日 円修 と 堅慧 は 、 天 台 宗 禅 林 寺 の衆 僧 に ﹁日本 天 台 四葉 ﹂ の血 脈 に対 す 年 (八 四 四 ・日本 年 号 では 承 和 一 一年 ) 二月 九 日 の 日付 で、 入 唐 し た 唐 国 口本 国付 法 血 脈 図 記 ﹄ 一巻 に記事 が あ り、 それ に よれ ば 、 会 昌 四 (9 ) を 強 め て い った 。 こ の宗 教 事 情 を 背 景 と し た室 生 寺 の成 立 は、 板 光 背 し た L で、 室 生 寺 創 建 に力 を 注 い で い る。 賢 環 と修 円 に よ る創 建 時 、 て薬 師 堂 ( 現 在 の金 堂 ) が 建 てら れ た と思 われ る こと も 見 逃 し ては な し て、 園城 寺 唐院 に秘 蔵 さ れ て いる智 謹人 師 関 係 占 文 書 のう ち の ﹃大 室 生 寺 は法 相 宗 や興 福 寺 に代 表 され る官 大 寺 、 そ れ に当 時 国 家 仏 教 に ら ぬ。 帰 朝 後 、 円修 は ﹁山 雲 寺 ﹂ (出 雲寺 か) に移 り住 ん だ が ( 但し、 の成 立 を 考 え るL で把 握 し て お く必 要 が あ る。 な り つ つあ った 天 台 密 教 と 結 び つき 、 山 林 修 行 の場 11 ﹁興 福 寺 別 院 ﹂ 生 山 寺 に住 し、 嘉 祥 一 一 、 年 (八 五 〇) に は室 生 の南 の地 ・赤 埴 に仏隆 寺 全 く室 生 寺 と の交 渉 が な く な ったと は考 え ら れ な い)、 堅 慧 は 生 涯 室 一方 、 お そら く は修 円 が ま だ 室 生 山 寺 にあ る時 、 真 泰 が高 野 よ り入 を建 立 し、 一層 室 生 山 寺 の内 容 を充 実 さ せ た。 こ の円 修 、 堅 慧 のも た と し て の個 性 的 な 基 礎 を 築 いた 時 期 であ った。 一﹂ に み え る書 状 等 に よれ ば 、 真 泰 山 し てく る。 ﹃東 寺 観 智 院 文 書 一28一 の制 作 と 考 え るわ け であ るが 、 で は、 こ の時 期 に こ の室 生 寺 像 の光 背 金 堂 釈 迦 如 来 像 (伝 薬 師 如 来 像 ) に つい て、 毛 利 久氏 は そ の天 台 的 ( 10) 性 格 論 じ てお ら れ る。 氏 は、 薬 壷 を 持 た ぬ姿 、 左 手 と右 手 の印 相 、 衣 ら し た室 生 天 台 は、 貞 観 一六 年 (八 七 四 ) に ﹁血 脈 図 記 ﹂ が 円 珍 に渡 代 であ った こと を確 か め る こと が でき る。 即 ち 、教 学 的 には 法 相 ・天 文 線 (漣 波 式 衣 文 ) と それ に施 さ れ た戴 金 、 法 衣 に施 さ れ た朱 の彩 色 が 成 立 す る 要 因 は、 ど のよ う な も の に求 あ ら れ る であ ろ う か。 台 ・真 言 を 取 り入 れ て、 さ ら に天 台 正統 血 脈 を伝 え 、 そ の内 容 を 豊 か か ら 、 本 尊 の天 台 的 要 素 を 指 摘 し てお られ る。 ま た 光背 は、 周 縁 部 の さ れ た こと で終 焉 を つげ る こと にな る。 に充 実 さ せ、 人 材 的 に は等 し く 興 福 寺出 身 僧 で、 か な り 高 名 な 僧 た ち 輪 郭 が 蓮 弁 形 を な す 挙 身 光 で、 頭 光 ・身 光 の圏 帯 が 一続 き にな った長 こ のよ う に、 賢 環 か ら 堅慧 に至 る ま で、 室生 寺 草 創 期 が 特 色 あ る 時 が在 住 し て寺 を 確 立 し て い った の であ る。 ば ら く の問 宗 教 内 容 は 明 ら か では な いが 、 室 生 台 密 の衰 え に件 い、 真 門 F であ る忍 空 が住 持 と な って、 確 定 的 な も のと な る 。 堅 慧 以 後 、 し 泰 の入 山 であ ろ う が、 " 室生寺 中興" とよばれ た東大寺戒 壇院 の円照 し 、 周 縁 部 外 縁 に火 焔 文 を 描 く。 像 と光 背 の これ ら か ら 、 本 尊 が 天台 仏 坐 像 七 躯 (当 時 、 天 台 宗 で流 行 し た七 仏 薬 師 信 仰 に基 づ く か ) を 配 を め ぐ ら す 。 周 縁 部 に は先 端 が火 焔 化 し た唐 草 文 を 描 き 、 そ の間 に化 頭 光 、 身 光 の圏 帯 に は団 花 文 を 並 べ、 圏 帯 内 側 は無 文 、 外側 に列弁 文 楕 円形 を 示 し 、宝 相 華文 の光 脚 を描 く 。 頭 光 の中 心 に八 葉 蓮 華 を 配 し 、 言 密 教 が勢 力 を伸 ば し た こと が う か が え る の であ る 。 と 同 時 に、 興 福 系 の薬 師 如 来 像 と し て造 ら れ たも の であ る と考 えら れ る。 た だ こ の板 堅 慧 の死 後 、 室 生 山 は真 言 密教 勢 力 の流 入 を み る 。 そ の端 緒 は 、 真 寺 と の本 来 の関 係 も続 い て いく 。 光 背 の成 立 に つい てを 、 天 台 美 術 の み に限 定 す る に は私 は疑 問 点 が 残 明 ら か に密 教 の影響 を受 け た と 思 わ れ る作 例 が、 九 世 紀 末 の作 であ こ の室 生 寺 の歴 史 の中 にあ って、 金 堂 の本 尊 ・釈 迦 如 来 像 の制 作 年 え ら れ、 室 生 寺 の整 備 が 完 成 さ れ る 貞 観 九 年 (八 六 七 ) (小 林 剛 氏 、 る慈 尊 院 弥 勒 仏 像 の光 背 であ る。 こ の光 背 は、 外 形 が大 き な 円 形 を 示 る の であ る が、 室 生 寺 の成 立 事 情 か ら、 や は り、 密 教 美 術 と の関 連 に 毛 利 久 氏 は金 堂 釈 迦如 来 像 の造 立 年 代 を こ の頃 にし ぼ ってお られ る)、 す円光 ( 密 教 で いう 日輪 を表 わ す ) で、 そ の表 面 に 二重 円 光 と そ の周 代 を 正 確 に は押 さ え難 い。 こ の問 題 に つい ては 意 見 の分 か れ る所 であ 室 生 寺 天 台 が終 焉 を告 げ る 貞 観 一六 年 (八 七 四) を 経 て、 お そ ら く、 縁 に火 頭 唐 草 文 が描 か れ て いる 。 二 重 円 相 内 には亀 甲 文 も み られ 、 光 つい て検 討 す べき であ る。 徐 々 に真 言 勢 力 が強 く な り つ つあ る九 世 紀 末 年 内 の制 作 であ る こ と は 脚 は花 頭 形 であ る。 こ のよ う な 形 の光 背 は 曼 茶 羅 図 に描 か れ る尊 像 の る が、 金 堂 創 建 と 思 わ れ る 八 五 〇 年 前 後 か ら 、 ﹁竜 王 寺 ﹂ な る号 が 与 諸 先 学 の論 ず る所 であ る 。 よ って こ の釈 迦 像 の光 背 も 、 ほ ぼ こ の時 期 一29一 光 背 と 共 通 で、 密 教 図像 の影 響 を受 け て いる こと は間 違 いな か ろう 。 う 。 敦 燥 は 四世 紀 に開 馨 さ れ、 以後 、 一 一世 紀 初 め 頃 ま で続 いた 石窟 唐 時 代 の敦 煙 壁 画 は、 各 変 相 図 を 中 心 と し て、 大 画 面 に種 々 のも の で、 仏 教 美 術 史 L 、 重 要 な位 置 を 占 め る。 そ の壁 画 な ど が 様 々 な も の が 漆 箔 にな ってい る 以外 、 全 て緻 密 な彩 色 文 様 を 施 し た 彩 色 光 背 であ を 表 わ し、 敦 煙壁 画 の成熟 期 を 迎 え る。唐 の国 力 は充 実 し 、 領 十 拡 大 、 ま た東 寺 御 影 堂 不動 明 王 坐像 の光 背 は 、 いわ ゆ る 板 光 背 の範 疇 に入 っ る。 頭 光 、 身 光 と も内 側 圏帯 に霊 芝 雲 、 外 側 圏 帯 に唐 花 を 彩 色 し て い 一般 の生 活 も 富 裕 にな り、 唐 都 長 安 や洛 陽 には寺 院 の建 立 が相 次 ぎ 、 に影 響 を 及 ぼし た こと は、 周 知 の通 り であ る。 る。 こ の よ う に、 圏 帯 に彩 色 文 様 を施 し て光 背 を 装 飾 し て いる 点 で、 そ の内 部 を 壁 画 が 飾 って い た。 こ の寺 院 の壁 画 は、 こ の時 期 造 窟 が急 て は いな い が、 現 在 残 って いる 二重 円光 の こ の光 背 に は、 覆 輪 の部 分 後 述 の岡 寺 如 意 輪 観 音 像 の彩 色 光 背 と共 に板 光 背 と いわ れ る も の以 前 唐 草 文 、 団 花 文 、 宝 相 華 文 等 、 いず れ も 通 ず る も のが あ る。 こ の よう 速 に進 んだ 敦 煤 の唐 代 壁 画 と そ の様 相 が 似 て いる。 室 生 寺 像 の光 背 の さ て、 こ こ で考 え てお き た い点 が 、一 点 あ る。 第 一点 は 、本 尊 の造 立 な 光 背 の彩 色 装 飾 を 入 唐 僧 が 洛 陽 や 長 安 の寺 院 で見 る こと があ っても の作 品 と し て注 目 し てよ い。 慈 尊 院 、 東 寺 は共 に真 言 密 教 寺 院 であ る 時 、 室 生 寺 に力 を 尽 く し た のは入 唐 僧 円修 と 堅慧 であ る こと。 第 .一 点 不 思 議 で はな く 、 敦 煙 壁 画 の影 響 を 唐 の中 央 寺 院 を 仲 介 と し て、 入 唐 よ う に、 圏 帯 や 縁 光 部 に彩 色 文 様 を 描 く こと は も ち ろ ん み ら れ るし 、 は、 本 尊 及 び 地 蔵 菩 薩 像 の光 背 が、 非 常 に よ く ま と ま った作 品 であ る 僧 が 日本 にも た ら し た の で はな か ろ う か。 そ れ故 に、 古 い彩 色 を 施 し こと を 指 摘 し て お き た い。 こと であ る。 教 に介 され た中 国 美 術 の影 響 に よ るも の では な いか と考 え る。 こ の こ 影 堂 不 動 明 王 坐 像 の光 背 を 含 め、 中 国 か ら最 澄 、 空 海 が も た ら し た密 う に光 背 を 彩 色 で装 飾 し た作 品 は、 室 生 寺 の板 光 背 に先 行 す る東 寺 御 (図 版 四 - 一)、 も う 一つは東 明寺 薬 師 如 来 像 の板光 背 (図版 五- 一) る 。 一つは 全 く の 板 光 背 で はな い が、 岡 寺 如 意 輪 観 音 像 の彩 色 光 背 に存 在 し た こと であ る 。 そ の作 品 と し て次 の 二 つの作 品 を こ こ であ げ 第 二 点 に つい ては 、 室 生 寺 像 の光背 に先 行 す る板 製 彩 色 光 背 が 奈 良 た 光 背 が 密 教 寺 院 に存 在 し て い る こと も納 得 でき る。 と は東 寺 が入 唐 し た空 海 と結 び 付 く のと 同 様 、 室 生 寺 にお い ても 円 修 、 であ る 。 岡 寺 像光 背 は 、 現 在 、 円 形 の頭 光 と長 楕 円 形 の身 光 か ら な る 第 一点 に つい て考 え ら れ る の は中 国 美 術 によ る 影響 であ る。 こ のよ 堅 慧 は入 唐 僧 であ り、 ま た真 泰 を 初 め と し て他 に も 入唐 経 験 のあ る僧 二重 円 光 のみと な ってい るが、 身 光部 の外 縁 に柄 孔 の痕 跡 が あ る の で、 そ の周 囲 にさ ら に何 ら か の装 飾 が あ った可 能 性 が あ る。 こ の光 背 を板 が いた こと が 考 え ら れ る。 光 背 を 彩 色 画 で装 飾 す る こと の発 源 地 は、 中 国 ・敦 煙 に求 め ら れ よ 一30一 登 場 す る こと か ら、 岡寺 の創 立 は 八世 紀 初 め 頃 では な いか と 考 え ら れ 、 わ った 歴 史 を も つこと や奈 良 時 代 の 写経 記録 ( 正 倉 院 文 書 ) に 岡寺 が 述 は こ こ で詳 し く は行 わ な い が、 岡 寺 が奈 良 時 代 の僧 ・義 淵 と 深 く 関 れ て い て、 彩 色 装 飾 の光 背 と し て注 目 で き る。 こ の光 背 に 関 し て の論 つの飛 天 が、 ま た内 区 に は尊 名 を 明 ら か に は し難 い が、 如 来 形 が描 か 光 背 の先 駆 的 存 在 と し て取 り上 げ た の は、 身 光 部 外 区 の左 右 に 二体 ず を な す 諸 像 の光 背 が 、 二重 円 光 、 新 舟 形 光 背 と いう 形 式 にな り つつあ を 宝 珠 形 と し て、 頭 光 の基 本 形 と し て い る。 当 時 、 仏 像 彫刻 界 の中 心 薩 像 の光 背 は そ の顕 著 な 例 で、 当 麻 寺 の板 光 背 等 、 そ の多 く は頭 光 部 身 光 部 と の瓢 型 のく び れ が そ の痕 跡 と 認 め ら れ る 。 室 生寺 金 堂 地 蔵 菩 し 発 展 し てく る と 、 頭 光 部 の宝 珠 形 は具 体 的 に表 わ さ れ な く な る が、 形 を 重 視 し て身 光 と は 区 別 し 、 身 光 にも ふ く ら み が あ る。 板 光 背 が少 き な 特 色 であ る と 考 え る 。 それ も 古 い形 であ る も のほ ど、 頭 光 の宝 珠 宝 珠 形 の頭 光 は 、 飛 鳥 ・白 鳳 時 代 、 立 身 像 の光 背 と し て多 く 用 い ら 塑 像 の本 尊 に つい て は同 じ 塑 像 の石 山 寺 本 尊 や東 大 寺 大 仏 脇 侍 像 と を と の比 較 (隈 取 り のあ る彩 色 法 な ど) か ら、 奈 良 末 か ら平 安 初 期 の問 れ て いる 。 法 隆 寺 夢 殿 救 世 観 音 像 (図 版 一ー 三 )、 法 隆 寺 百 済 観 音 像 、 る の に対 し 、 板 光 背 は、 執 拗 に頭 光 部 に宝 珠 形 を 用 い て いる。 板 光 背 と 時 代 を し ぼ る こと が でき 、 飛 天 図 の描 か れ た作 品 と し て知 ら れ る 東 中 宮 寺 半 珈 思 惟 像 、 法 隆 寺 献 納 宝 物 中 の光 背 等 が そ の代 表 であ る。 こ 参 考 にし て検 討 す れ ば 、 八 世 紀 後 半 中 に は造 ら れ た と思 わ れ る。 これ 寺 御 影 堂 不 動 明 正 像 の天 蓋 よ り は前 の作 品 と み て よ い。 ま た身 光 部 の の宝 珠 形 の頭 光 背 が 、 板 光 背 以 前 で は、 ど こま でそ の姿 を 留 め てい る の 一つの特 色 と み る べき であ ろう 。 肩 の張 った 形 式 は、 唐 招 提 寺 薬 師 如 来 像 光 背 の形 式 に類 似 し、 次 時 代 か を 現 存 例 で検 討 し て み ると 、 天 平 時 代 の作 例 、 唐 招 提 寺 金堂 の盧 舎 ら を 踏 ま え て光 背 に つい て考 え る と、 栄 山 寺 八 角 堂 の装 飾 画 の 飛 天 図 への 過 渡 的 位 置 にあ る と も 考 え ら れ る 。 に旋 回 し 、 交 錯 し て い る様 に よ る。 こ の文 様 は天 平 時 代 の東 大 寺 法 華 そ れ は頭 光 ・身 光 共 に外 区 に施 さ れ た宝 相 華 唐 草 文 様 が 円 を描 く よ う そ し て光 脚 部 か らな る。 全 体 的 に躍動 感 のあ る重 厚 な 印 象 を 受 け る が、 か にな った 作品 で、 宝珠 形 の頭光 部 と やや し っか り ふ く ら んだ 身 光 部 、 囲 む 化 仏 ブ ロ ック は、 頂 上 にあ るも の が最 も 縦 長 で、 盧 舎 那 仏 の肩 に 光 部 の円 と 身 光 部 の円 の接 す る所 にも 化 仏 のブ ロ ックが あ り 、 頭 光 を が 、 こ の光 背 は、 頭 光 部 と 身 光 部 に分 か れ う る。 即 ち 、 二 重 円 光 の頭 の小 化 仏 を 一つの火 焔 化 す るブ ロ ックと し て光 背 全 体 に取 付 け て いる 盧 舎 那 仏 像 の光 背 は、 いわ ゆ る千 仏 光 背 と いわ れ る も の で、数 十 体 那 仏 像 と 千 手 観 音 像 の光 背 に そ の形 を と ら え る こと が でき る 。 堂 不 空 羅 索 観 音 像 や唐 招 提 寺 像 の光 背 に 通 じ る。 ま た こ の光 背 に つい 隠 れ る部 分 の も の に な る と 、 縦 の長 さ が 短 く な ってお り (偏 平 に な 東 明 寺 薬 師 如 来 像 光 背 は、 近 年 赤 外 線 撮 影 の結 果 、 黒 描 文 様 が 明 ら ては 、 頭 光 部 が 宝 珠 形 を し て い る点 に注 目 し た い。 これ は板 光 背 の大 一31一 のと が りを 示 す も の で、 残 り の部 分 の火 焔 は頂 L のも のほ ど と が って て完 形 で はな い が、 残 ってい る部 分 か ら、 そ の頂 L は 明 ら か に宝 珠 形 ら 唐 招 提 寺 にか け て の前 例 を み る 。 ま ず光 背 先 端 の火 焔 化 し た唐 草 文 基 盤 的 な 要 素 が あ った こと であ る。 宝 珠 形 の頭 光 背 は、 既 に法 隆 寺 か し か し 一方 、 日本 の中 の奈 良 と いう 地 で、 こ の板 光 背 を 発 生 させ る ど は そ の例 で、宝 珠 形 の頭 光 だ け でな く、 そ れ に身 光 部 を 加 え て い て、 いた 様 r で はな く 、 頂 L の と が り か らド る線 はL 部 でや や湾 曲 し た 円 様 で、 こ の文 様 は 東 大 寺 三 月 堂 不空 羅索 観 音 像 の宝 冠 化 仏 の光 背 、 唐 る)、 頂 L のブ ロ ック の火 焔 か ら そ の頭 光 の外 周 線 を た ど る と 明 ら か を 描 き 、 全 体 と し て は宝 珠 形 の頭 光 背 だ った と み ら れ る。 さ ら に、 唐 招 提 寺 金 堂 千手 観 音像 の光 背 が、 そ の前 例 と し てあ げ る こと が でき る。 室 生 寺 の地 蔵 菩 薩 像 光 背 の形 に通 ず るも のも み ら れ る。 招 提 寺 像 以 前 のも の で は、 同 じ く天 平 時 代 の作 品 であ る東 大 寺 、 、 . 月堂 光 脚 の宝 相 華 は 、 聖林 寺 十 一面 観音 像 光 背 、 唐 招 提 寺 薬 師 如 来 像 光 背 に宝 珠 形 な る。 ま た千 手 観 音 像 の光 背 は、 周 縁 の透 彫 り が 損 傷 し て い 不 空 羅 索 観 音 像 の宝 冠 化 仏 の光 背 も 頭 光 部 が宝 珠 形 と な ってい る。 部 を 宝 珠 形 と し て いる の であ り 、 こ の点 を 考 察 す る こと も 、 板 光 背 の を み れば 、 わ が国 に お け る前 例 を 踏 襲 し て成 立 し た感 が 強 い。 (室 生 国 の影 響 を密 教 美 術 や入 唐 僧 を介 し て受 け たと し ても 、 各 意 匠 の様式 が前 例 と いえ よ う 。 ま た文 様 の色、 彩 色 法 、 彩 色 顔 料 の使 い方 な ど 、 発 生 、 ま た は 飛 天 光 背 と の分 か れ 目 への手 が か り にな る の で はあ るま 寺 金 堂 釈 迦 如 来 立 像 光 背 は、 頭 光 部 と 身 光 部 の圏 帯 が 一続 き と な った こ のよ う に、 頭 光 部 自 身 を 宝 珠 形 と い う 一つの独 立 し た形 で強 調す いか 。 こ の こと に関 す る 私 の考 察 は、 結 論 に は至 ら な いと 思 う が 、 二 形 であ る が、 こ の例 は中 国 に み る こと は でき ず 、 む し ろ 、法 隆 寺 釈 迦 盛 唐 様 式 と雑 密 のも と で華 々 し く展 開 し てい った天 平 時 代 の意 匠 を 受 つの場 合 を 考 え て いる 。 一つは、 や はり 中 国 の影 響 であ る。 飛 鳥 ・白 如 来 立 像 光 背 の頭 光 と 同 じ で、 そ の覆 輪 は唐 草 文 様 で装 飾 し てい る も る こと は、京 都 を 中 心 とす る主流 派 の間 では 二重 円光 が 定着 す る に従 っ 鳳時 代 の宝 珠 形 頭 光 部 は 、 も ち ろ ん 大 陸 か ら も た ら さ れ た 形 であ り 、 の の例 や、 東 大 寺 三月 堂 不 空 羅 索 観 音 像 光 背 、 同 二 月堂 本 尊 光 背 の形 け継 いだ も のが多 い。 これ ら の点 を考 え れば 、 一言 に直 接 的 な 中 国 の 天 平時 代 も大 陸 の影 響 か ら 脱 し 切 れ ず 、 こ の板 光 背 に至 って は、 前 述 を 前 例 と し て い る の で はな い か 。) こ こ で、 板 光 背 が わ が 国 で育 ち つ て、 頭 光 部 と 身 光 部 と が 一体 化 し てな く な って いく よ う で、 平 安 時 代 通 り そ の発 案 が 、 入唐 僧 ら によ り大 陸 か らも た ら さ れ た も のと す れ ば、 つあ った 様 式 を 踏 襲 し て い ると す ると 、 先 に論 じ た 飛天 光 背 も そ の流 影 響 と か た づ け ら れ る も の では な く、 む し ろ、 そ の発 案 にお い ては中 当 然 、 光 背 の形 への影 響 も 考 え ら れ る 。 加 え て、 中 国 にお い て、 宝 珠 れ か ら 生 ま れ た も の であ って、 板 光 背 と 飛 天 光 背 は、 あ る点 で、 それ に入 る と み ら れ な く な る。 にも か か わ ら ず 、 板 光 背 で は基 本 的 に頭 光 形 の頭 光 背 は根 強 い形 で、 唐 時 代 にも か な り み ら れ る 。 天 龍 山 石 窟 な 一32一 は 、 両 者 を 論 じ る上 で重 要 であ った、 唐 招 提 寺 金 堂 諸 像 の光 背 にな る 流 派 と 、 一方 、 板 光 背 の辿 った地 方 流 派 で あ ろ う。 そ し てそ の分 岐 点 的 推 移 な ど の諸 事 情 が 異 な る の で、 一概 に は片 づ け る こと は でき な い く は 真 言 密 教 系 寺 院 であ る。 こ の こと は、 そ の寺 院 の設立 年 代 や歴 史 現 在 、 板 光 背 像 を 存 し て い る寺 院 (奈 良 、 京 都 地方 にお い て) の多 の では な いか と 思 わ れ る。 と 考 え て い る。 即 ち 、 都 の中 心 が京 都 へ移 る こと で、 仏 像 彫刻 の中 心 が 、 以 下 、 主 要 な 寺 院 と 思 われ る所 に つい て検 討 し てみ る 。 そ れ の流 れ に分 か れ る こと にな る。 これ が、 飛 天 光 背 に代 表 さ れ る 主 も 京 都 へ移 る が、 奈 良 に は残 住 し た仏 師 ら が か な り いた も のと 思 わ れ 中 之 坊 実 弁 が空 海 の弟 子 に な り、 当 麻 寺 は 三論 宗 に改 宗 し 、 以 後 、 源 る 。 平 安 時 代 に入 って、 奈 良 の官 大 寺 は、 仏 像 修 理 等 にお い ても 京 都 以 L 、 室 生 寺 像 板 光 背 を基 点 にそ の前 に位 置 す る 作 品 を 考 え 、 成 立 信 の ﹃往 生 要 集 ﹄ 以来 高 揚 す る浄 土 信 仰 の波 及 ま で、 真 言 密 教 の寺 院 多 く の板 光 背 が 見 つか った当 麻 寺 は、 周 知 の如 く 当 麻 氏 の氏寺 と し ( 11) て、 七 世 紀 後 半 に設 立 され たも の であ る。 そ の当 麻 寺 が ﹁弘 法 大 師年 要 因 を 考 察 し てみ た が、 飛鳥 時 代 以来 の伝 統 が 残 る 奈 良 の地 であ るか と な る (そ の後 、 全 く密 教 と の関 係 が な く な る わ け で は な い)。 板 光 か ら 仏 師 を よ ん だ ら し い が、 奈 良 に残 住 し な が ら も 、 官 大 寺 等 の仕 事 ら 発 生 し た と い え る点 も あ る こと が 理 解 でる 。 即 ち 、 天 平 時 代 に整 っ 背 の制 作 年 代 は、 九 世 紀 後 半 頃 か ら 一二世 紀 頃 ま で幅 広 く、 いく つか 譜 ﹂ 第 八 に録 され て い る記 事 に よ れば 、 弘 仁 一四年 (八 二三 ) 八 月 、 て い た形 式 を受 け継 ぎ、 奈良 の地 に残 存 し て い った 一様 式 が 木 製 の平 を除 け ば、 文 様 にも動 き のあ る も のか ら 形式 化 し てい く と い う時 代 的 か ら あ ぶれ た仏 工達 が、 室 生 寺 を は じ あ諸 寺 の仕 事 にた ず さ わ った こ 面 な 板 に彩 色 等 で意 匠 を L夫 し た 板 光 背 であ った と 考 え る の であ る。 な流 れ が 認 め ら れ る こと も 考 え 、 ほ ぼ 同 一工房 の手 にな る 一連 の作 品 空 海 が当 麻 寺 に参 じ て曼 茶 羅 を 拝 し た と い う の であ り、 これ を 契 機 に 唐 招 提 寺 像 光 背 を 分岐 点 に、 一方 は 京 都 で飛 天 光 背 へ発 展 す る様 式 へ か と考 え ら れ る。 これ ら の板 光 背 が 当 麻 寺 にお い てど のよ う に 用 い ら と は、 卜 分 に考 え ら れ る。 つな が り、 も う 一方 は 奈 良 の地 で東 明 寺 、 室 生 寺 、 当 麻 寺 と い った板 れ た か な ど の詳 細 は 全 く 不 明 であ る の で明 確 には 言 え ぬ が、 当 麻 寺 が 他 寺 の僧 を む か え る よう にな って いく が、 平 安 中 期 に興 福 寺 の勢 力下 法 隆 寺 の場 合 、 奈 良時 代 以 降 、寺 院 勢 力 が あ ま り重 視 され な く な り 、 致 す る こと は 、 消 極 的 な が ら も 、 両 者 の関 係 を 全 く 否 定 でき な い。 真 言 密 教 寺 院 と な って いく 時 期 と 、 板 光 背 の古 いも の の制 作時 期 が 一 光 背 へ つな が った と 考 え てみ た 。 (。一 ) 板 光 背 の伝 播 と 様 式 変 化 さ て こ のよ う な 事 情 か ら 発 生 し た板 光 背 は、 ど のよ う に伝 播 し て い く の であ ろ う か 。 こ の伝 播 が 、 存 外 、 真 言 密 教 の流 布 と 関連 し て いる 一33一 言 密 教 化 し て いる し 、 又 、 法 輪 寺 も 法 隆 寺 と 関 係 深 い。 こ の法 隆 寺 と 関 連 し て、 聖 徳 太 子 関 係 寺 院 と し て、 京 都 の広 隆 寺 も 真 真善 . 口密 教 と いう 宗 教 的 関 係 か ら 他 所 よ り伝 来 し たも のと 考 え ら れ る。 いた と いう 客 仏 的 存 在 の板 光 背 像 即 ち 普 賢 延 命 像 、 聖 観 音 像 な ど が、 た 興 福 寺 であ り 、 法 隆 寺 と 真 言 密 教 と の関 係 か ら、 金 堂 に安 置 さ れ て ド に入 るが、 室 生 寺 の事 情 でも知 られ る よ う に、 真言 密 教 と 関係 のあ っ す る の であ って、 真 言 密 教 の浸 透 が み ら れ る。 そ の後 、 興 福 寺 の勢 力 法 隆 寺 でも 東 大 寺 で真 言 宗 を 専 攻 し た仁 和 寺 系 の僧 の別当 補 任 が 実 現 の支 配F に属 し、 東 大 寺 が空 海 の別当 就 任 と と も に密 教 化 し て い く と、 た が 、 元 興 寺 三論 宗 が東 大 寺 に ま と め ら れ る に従 い、法 隆寺 も 東 大 寺 に入 る以 前 、 奈 良 時 代 に は 三論 宗 を 通 じ て. 兀興寺 と の接 触 を 保 って い 背 では あ る が、 板光 背 本 来 の占 様 を伝 え 、制 作 し て いく南 人 和 地 方 と 、 る の であ り、 ど う や ら 同 じ奈 良 文 化 圏 内 で、 発 生 、 発 展 し て いく板 光 在 であ る は ず な の に、 様式 的 には融 念 寺 像 光 背 の方 が 古 様 を 伝 え て い 即 ち、 霊 山 寺 像光 背 の方 が 融 念寺 像 光 背 に わず か な が ら 先 行 す べき 存 味 のく び れ が 認 あ ら れ る が 、 全 体 に舟 形 光 背 の形 に近 く な って いる 。 寺 像光 背 は 二 重 円 相 部 が 明 確 に表 わ れ、 わ ず か に光 背 の輪 郭 に瓢 型 気 た 形 を 示 し 、 身 光 部 と の区 別 が 明 ら か であ る) を示 す の に対 し 、 霊 山 観 音 菩 薩 像 光 背 が 、 板 光 背 と し て の古 様 ( 頭 光 部 は宝 珠 形 の類 型 化 し と 比 べる と 、 明 ら か に そ の影 響 を 認 め る こと が でき る。 即ち 、 融 念 寺 . . . 尊 像 の光 背 は、 延 久 元 年 (一〇 六 九 ) 作 の融 念寺 観 音 菩 薩 像 の光 背 てく ると 考 え る。 治 暦 、一 年 (一〇 六 六 ) の作 と 考 え ら れ る霊 山 寺 薬 師 住 山 寺 、 神 童寺 は いず れ も 真 言 密 教 寺 院 であ る 。 さ ら に、 板 光 背 の先 が考 え ら れ る し 、 奈 良 の板 光 背 像 を も つ寺 院 や 、 奈 良 文 化 圏 に入 る海 光 背 と 板 光 背 の接 点 であ る。 こ の光 背 は、 定 朝 の飛 天光 背 に先 行 す る 飛 天 を 浅 く浮 彫 し彩 色 を 加 え た板 光 背 であ る が 、 ま さ に、 主流 派 飛 天 和 地 方 の、 二 つの流 れ を歩 む よう であ る。 南 明寺 釈 迦 如 来 像 の光 背 は 、 板 光 背 に主 流 派 の光 背 様 式 を取 り入 れ て いく 京 都 文 化 圏 と 接 す る北 人 駆 的 な彩 色 光 背 であ る 不 動 明 E 像 光 背 が 東 寺 に存 在 し 、 又 、 慈 尊 院 も か ど う か で問 題 にな る が、 同 寺 の薬 師 如 来 像 の光 背 が霊 山 寺 像 光 背 よ そ の他 、 新 薬 師 寺 レ 一面 観 音 像 も 真 言 密 教 関 係 の岩 淵 寺 か ら の移 安 真 言 宗 であ り 、板 光 背 と真 言 密 教 の関 連 が う か が え る の であ る。 奈 良 り はや や古 様 を 示 し て い て、 輪 郭 の頭 光 と 身 光 の ライ ンの境 がか な り であ り 、 こ の こと より 、 板 光 背 と し ては 薬 師 如来 像 光 背 よ り新 し く 、 文 化 圏 に お い ては、 そ の伝 播 と 真 言 密 教 と の関 連 を 見 出 す こと が でき 伝 播 に伴 って、 そ の様 式 も変 化 を み せ る 。 そ れ は や は り 、 京 都 中 心 九 世 紀 代 のも のと は考 え が た い。 や は り 、 主 流派 飛天 光 背 を 受 け て成 は っき り わ か る の に比 べ、 釈 迦 像 光 背 は 、 お そ ら く全 く の舟 形 の光 背 の主 流 派 様 式 の板 光 背 への 影響 であ る。 そ れ が 、 南 明寺 釈 迦 如 来 坐 像 立 し た も の であ ろう 。 る と思 わ れ る。 光背 ( 図 版 六 - 三)、 霊 山 寺 薬 師 ご. 尊 像 光 背 (図 版 六 - 四 ) に表 わ れ 一34一 が 小 さく な り、 や が て 一三世 紀 を境 に姿 を消 し て いく (主 流 派 に吸 収 う 立 場 は、 間 も な く の鎌 倉 時 代 の南 都 仏 教 復 興 に伴 い、 板 光 背 の存 在 寄 せ てく る。 この影 響 は や は り強 く て、 板 光 背 が地 方 流 派 だ った と い こ の よ う に、 徐 々 に飛 天 光 背 を代 表 と す る 主流 派 様 式 が 南 都 へ押 し 背 と そ の支 流 の地 方 派 ・板 光 背 の 二 つの流 れ の存在 を 認識 し、 次 な る 国 の光 背 の立 場 、 そ の様 式 の展 開 、 そし て主 流 派様 式 と し て の飛 天 光 し 、 ﹁仏 像 光 背 の研 究 ﹂ と い う テ ー マに そ って、 未 熟 な が ら も 、 わ が 果 、 こ のよ う な 形 でま と ま った 。 反 省 点 、 問 題 点 は か な り あ る。 しか に問 題 は広 が り 、 そ の複 雑 性 を 改 め て感 じ 、 そ の取 捨 選 択 に悩 んだ 結 (昭 和 五 八 年 度 文 化 財 学科 卒 業 ) 水 野 清 一 ﹁中 国 にお け る 仏 像 のは じ ま り ﹂ (﹃仏教 芸 術 ﹄ 七 号 ) (4 ) 水 野 清 一 ﹁ 飛 鳥 ・白 鳳 仏 の系 譜 ﹂ ( ﹃仏 教 芸術 ﹂ 四号 ) (3 ) 山 本 智 教 ﹃ 仏 教 美 術 の源 流 ﹂ (2 ) 大 口理 夫 ﹁ 飛 天 光 と そ の源 流 ﹂ ( ﹃画 説 ﹂ 四 三 号) (1 ) 倉 田 文 作 ﹁ 平 等院 鳳 鳳 堂 本 尊 の光 背 ﹂ (﹃M U S E U M﹂ 二 四 二号 ) ︹註 ︺ いま す 。 改 め て先 生 に感 謝 の意 を 表 し ま す。 し た 。 こ の こと は未 熟 な 私 にと って、 こ の上 な い御 指 導 であ った と思 でも な く 、 そ こ に至 るま で の史 料 に つい てな ど の細 か い助 言 を 頂 き ま 筆 ・訂 正 し た も の です 。 先 生 に は研 究 に つい て の直 接 の指 導 は言 う ま こ の論 文 は、 故 毛 利 久 先 生 に御 指 導 頂 い て書 き 上 げ た卒 業 論 文 を加 か な り も って い ると 感 じ る。 た と 確 信 し た い。 加 え て、 仏 像 光 背 は研 究 を 加 え れ ば 興味 深 い部 分 を 問 題 点 も 提 起 でき た こと は、 今 後 の自 分 の研 究 のた め にも収 穫 であ っ され てし ま う) と ころ に も強 く打 ち出 さ れ て いる 。 四、 終 わ り に 本稿 にお い て私 は、 結 局 の所 、仏 教 彫 刻界 の流 れ を光 背 に つい て追 っ た と い う こと に な る。 中 国 の雲 岡 と龍 門 の各 様 式 の融 和 し た 接 点 を 源 流 、 北 魏 正 光 年 間 頃 に成 立 す る 飛天 付 光 背 を 祖 型 と す る わ が 国 の仏 像 光 背 の出 発 点 ・飛鳥 時 代 の法 隆 寺 金堂 釈 迦 三尊 像 光 背 か ら、 白 鳳 時 代 、 そし て天平 時 代 の唐 招 提 寺金 堂 諸 像 を経 て、 一方 の流 れ は京 都 へ移 り、 貞 観 様 式 を 経 て和 様 ・平 等 院 鳳 鳳堂 本 尊 光 背 に代 表 さ れ る飛 天 光 背 と な って流 行 し、 一方 は奈 良 に残 り、 室生 寺 金 堂 釈 迦 如 来 像 光 背 に代 表 さ れ る独 特 な 板 光 背 を つく り、 や が ては姿 を 消 し て いく の であ る。 こ のわ が 国 の 二 つの光 背 の変 遷 を と ら え る の に、 私 な り の考 え 方 でか な り 多 方 面 か ら考 察 し てみ た。 も と も と 仏 像 に つい て興味 を持 ち な が ら 、 そ の荘 厳 に つい て考 え る と こ ろと な り、 さ ら にそ の様 々 な意 匠 に つい て調 べ て い るう ち に仏 像 光 背 を 卒 業 論 文 の研 究 テー マに選 ん だ が 、 一つの光 背 の問 題 か ら 次 々 一35一 康 ﹁ 薬 師 寺 金 堂 本 尊 と七 仏 薬 師光 背 ﹂ (﹃建 築史 ﹂ 一の二 ) 鎌 田茂 雄 ﹃ 中国仏教史﹂ 京 都 人 学 人 文 科 学 研 究 所 ﹃雲 岡 石 窟 ﹄ 松 原 ご. 郎 ﹃ 中 国 仏 教 彫 刻 史 研 究﹄ 水野清 一 ﹁ 北 魏 石 仏 の系 譜 ﹂ (﹃仏 教 芸 術 ﹂ 二 一号 ) 岩波書店 ﹃大和占寺大観 岩波書店 ﹃奈良六大寺大観 岩波書店 ﹃奈良六人寺大観 第 二巻 岩波書店 ﹃奈良六人寺大観 第六巻 小学館 ﹃原色 日本 の美術 6 小学館 ﹃原色 日本 の美術 5 小学館 ﹃原色 日本 の美術 3 室生 寺 ﹂ 当麻 寺 ﹂ 法 隆 寺 二﹂ 唐招提寺二﹂ 東大寺二﹂ 阿 弥 陀 堂 と 藤 原 彫 刻﹄ 密教寺院と貞観彫刻﹂ 奈 良 の寺 院 と 天 平 彫 刻 ﹄ 造像銘記篇六﹄ (6) 足 立 久 ﹁ 清 涼 寺 釈 迦 像 変 遷 考 ﹂ (﹁ 仏教芸術﹂ . 二五 号 ) 岩波書店 ﹃大和古寺大観 平安時 代 (7) 毛 利 健 ﹁板 光 背 像 に つ い て﹂ ( ﹁美 術 研 究 ﹂ 一九 九 号 ) (5) ﹃日本 彫 刻 史 基 礎 資 料 集 成 ( 8)久野 奈良県教育委員会 ﹃国宝当麻寺本堂修 理工事報告書﹄ 造像銘記篇 こ 六﹂) 平安時代 造像銘記篇 二﹂ 健 ﹁室 生 寺 金 堂 諸 尊 と板 光 背 像 ﹂ (﹃日本 占 寺 美 術 全 集 中央公論社 ﹃日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇 四﹂ 久野 中央公論社 ﹃日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 ( 9 ) 逡 日出 典 ﹃室 生 寺 史 の研 究 ﹄ ( 10 ) 毛 利 中央公論社 ﹃日本彫刻史基礎資料集成 久 ﹁室 生 寺 金 堂 釈 迦 像 の性 格 ﹂ (﹃ 史 窓 ﹄ .、 ○) ( 11 ) 当 麻 町 教 育 委 員 会 ﹃当 麻 町 史 ﹄ 一∼五﹂ 平凡社 ﹃ 中 国石窟 東京国立博物館 ﹃ 法 隆寺献納宝物﹄ 敦煙莫高窟 (12 ) 平 岡 定 海 ﹁真 言 密 教 の南 都 寺 院 への進 出 ﹂ (﹃日本 寺 院 史 の研 究 ﹂) (13 ) 奈 良 市 教 育 委 員 会 ﹃奈 良 市 史 ﹂ こ のほ か 以 下 の文 献 及 び 図 書 を 参 考 にし た 。 健 ﹃平 安 初 期 彫 刻 史 の研 究 ﹂ 倉 田 文 作 ﹃仏 像 のみ か た ﹂ 久野 康 ﹁仏 像 光 背 の基 本 形 式 に つい て﹂ ( ﹃建 築 史 ﹄ ニ ノ三 ) 石 田 茂 作 ﹁仏 像 光 背 の種 類 と 変 遷 ﹂ ( ﹃考 占 学 雑 誌 ﹂ 三 〇 の こ) 足立 丸 尾 彰 三 郎 ﹁板 御 光 か ら 飛 天 光 へ﹂ ( ﹃画 説 ﹄ 一三 ) 堀 池 春 峰 ﹃南 都 仏 教 史 の研 究 ﹂ 怜 ﹃中 国 仏 教 図 像 の研 究 ﹄ 薗 田 香 融 ﹃平 安 仏 教 の研 究 ﹂ 吉村 一36一 図版 膠野 \ 、ご/ 藁 ・ ポ み ・ ∴ 〆レ 顯 蜜 ・繕 講 1.釈 2.甲 4.正 迦 三 尊 像(法 隆 寺 金 堂) 寅 年 銘 光 背(法 隆 寺 献 納 宝 物) (東京 国 立 博 物 館) 光五年銘弥勒仏立像 (メ トロポ リタ ン美 術 館) 3.観 音 菩 薩 立 像 光 背(法 隆 寺 夢 殿) 墜 彪 陶蓼 磁響 ・ 藤 唖承轟 蹴 4 ㌧ 撒 ■ ば5 論 騰 一㌦ 噸 鎗 ● 瑚淵 繍 蝿 。 」 』 幽 ジ 臨晦 臣 岬。 'ぎ審 論 義ガ 馳 1.阿 2.光 背 二 重 円 相 部(平 等 院 、 阿弥 陀 如 来 像 付 属) 4.不 動 明 王坐 像 付 属 光 背(東 寺 御 影 堂) 3.釈 弥 陀 如 来 坐 像(平 等 院) 迦 如 来 立 像 付 属 光 背(清 涼寺) 圏 図版 轟 贈艶磁 盈 轟 翼 邊 ,, 、 ぬ 繍 瀞 、 勉 「螺 図版 \錨 7パ 響 ズ 瓶 籔雛 バガ ∵ 一樋 薫藷 盧 舎 那 仏 坐 像(唐 招 提 寺) ㍉ 誓 ♂ 鳥 、鳳 濫 \ ` 笥 3 撫 羅 、籏 …職 麟 欝曝 灘 蜘 晦.毒 4.不 轡 誘 空 羅 索 観 音 立 像(東 大 寺 法 華 堂) 3.千 手 観 音 立 像 付 属 光 背(唐 招提 寺) 薩擁 謹ぎ薪 招提 寺) 緋絶 …㌣薦 ボ燈 辮 師如 来 立像(唐 γ ・ 聾 1 2.薬 製 睡. 勢 ・ ∴ 《網 瞳 麟 獣 綴 壁趣 し 夢 、 誹 . ◎。 , へ 乏 識 鞭 く 詐 舟 拶 \ 壌挫 ∵ ヤ」 1麟 濃 く 6 ー∴ 観 窟 、 欝穿 謹 き 図版四 -. 如意輪観音坐像付属光背(部 分)(岡寺) Z 板光 背1号(当 麻 寺) 図版 五 1.薬 師 如 来 坐 像 付 属 光 背(東 明寺)(赤 外 線写 真) 2.弥 勒 仏 坐 像 付 属 光背(慈 尊 院) 図版六 訓 箋 論 ごw 藤c誌F 灘 ぺ 蜜 蒲 、り( 、,\ 慧 。、 ゼ 、 ン 誘3 避 欝!∵1\ ・ 掛 爆嚇 、 翻 懸 枳 ・ 、月 静 \ ド 護 樋僚 縁 黛 … 、 、 14 馨 )ジ 顧 鰍e 1.地 2.釈 蔵 菩 薩 立 像付 属 光 背(室 生 寺) 迦 如 来 立 像 付 属 光 背(室 生 寺) 《 穰 4.薬 師如 来 坐 像(霊 山 寺) 3.釈 迦 如 来坐 像(南 明 寺)
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