ある革命歌を考える

音楽としてのプロパガ、ンダ,
プロパガンダとし ての音楽・
ある革命歌を考える
ホフ。キンズ・デビッド
私は若いときからレコード収集家で,常におもしろいレコードを探して
いる。基準として,「おもしろい」というのは音楽的に限らず,歴史的,
社会的の価値のある盤も買っている o 去年,カナダのディーラーの競売リ
ストに「中国文化革命レコード 6枚 1
9
6
6
1
9
6
9」を見て興味が沸いた。
1
9
6
9年は, 7
8回転 SP盤として非常に時期が遅い。 1
9
5
0
年代から, 3
3と4
5
回転のビニール盤がレコード市場を圧倒してきた。中国語や近現代中国史
の知識がなくても,これはおもしろいと思って入札した。
数週間後,簡単な英語訳といっしょに届いた。次の通り:
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だけだっ f
中国語のリストは次の通り:
)
)毛洋京的峨士元故子天下 2 3
)毛浮奈的故士元故干天下 1 2
5 1
5
8
7
1
)英雄麦賢得
学]
)我仰要倣共芹主文文寿兵
4
)貧下中衣最愛毛主
日 2
]心中的紅太 F
f
)敬愛的毛主席,悠是我f
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1
9
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1
席
)毛主席穿上了録軍装
3
)紅心永向紅太阿
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5
0
8
1
2)努上毛主席万歩,万万~
)熱
)以最低昇的成績迎接九大 3
)工衣兵斗志昂揚迎九大 2
7 1
7
0
8
1
烈攻呼毛主席接見
)参奈娘来不知毛主席奈
4
)永逸忠
]永逸忠子悠 3
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)毛主席,我'
)侍大的辱姉毛主席 2
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2
子毛主席
]竪決不答
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)我 f
)文化革命当先鋒 3
)撤起文化革命大高潮 2
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7
7
1
座
)工衣兵,革命路上打先鋒
4
音楽の方は色々ある。単純にアコーデイオンとヴォーカルだけのものか
ら,軍楽隊の吹奏楽のものまで。ある盤にドラマの場面と思われる語りと
伴奏のものから,ラップとしか言いようのない,打楽器とリズムが強調さ
れたものまである。伝統的な楽器も洋楽もあるので,西洋と東洋がブレン
ドされたように感じる。
中国語がわからなくても,このレコードがプロパガンダであることは明
o 学校や集
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らかだ。製作目的はイデオロギー的教育の一部であったそう f
会で使われたといっても娯楽性も入っている o 主な目的は革命教育にして
も,音楽業界の生産物であるから,他の国の音楽業界と共通点があるはず
だ。共産社会にも職業としての音楽があれば,資本主義下の音楽業と,構
成的に似たところが多いだろう。
普段,「プロパガンダ」というと「人のイデオロギーを支持するもの」
(40)
として捉えられる。プロパガンダ音楽が聴衆に,そのイデオロギーが当た
り前だと説得しようとする。説得された聴衆は行為や思想でその内容を実
現する。もしその聴衆がすでに説得されていたら,その作品のプロパガン
ダ性は透明になって,ただの常識的な表現になる o 日常生活の透明なイデ
オロギー,つまり,常識,は徹底的に他の考え方,思想,イデオロギーに
入り込む余地を与えない。
常識としてのプロパヵーンダの働きは次の通りだ:
1
) 聴衆は善良である,と安心させる。述べられてない前提として,「わ
れわれ」の考え方は唯一の正常な考え方であることを強調する o 同時に,
外から,おかしい,狂った,危険な考え方を持つ人による攻撃の心配が
あるように教える。
2
) 熱心な関与を求めながら,その熱の表現は主に内面的であることも強
調する o 全面的な協力を願いながら,聴衆が加熱しない程度を見せる。
3
) 「われわれ」を定義しようとする。そのなかで特に,「われわれ」とい
う人々は現在のエリートを支持する,ということを強調する o まるで他
の考え方を持つひとは非国民的であるように。メディアが常に「普通」
な人の「普通」な憧れを見せる。そういう行動が充分繰り返されるなら,
聴衆のほとんどの人々はその定義された空間に入ろうとする。正常な
「われわれ」にならないと,周りの社会との関係は難しくなり,隔離さ
れたり孤独になってしまう。もちろん,この説得はすべての文化的な作品
に入っている o自由意志の錯覚として,巨大メニューが設けられる。それ
ぞれの好みの作品があることで,本当に選択できるように思われるけれ
ども,全てが同じイデオロギーを支える考えばかりのものであれば,その
自由空間がなし、。この文化の市場の作品は表に政治的な内容を出さない。
4
) 「われわれ」の代表やヒーローを定義しようとする o 社会の中の団結
感というものがお互いに共有されるためには,みんなが同じ歴史観をも
つことが必要だ。エリートは簡単に,教育やメディアを利用して,好き
(41)
なように歴史を操ることができる。もし「われわれJがみんな一つのも
のであれば,常識というイデオロギーを拒絶することは大逆罪だ!
メ
ディアの中のスター制度は,人気になることが一番という思想にもとづ
いている。(人気である程,普通である。)人気を計るのは売り上げだか
ら,常識的なものを消費することは善良国民の最高な行為と暗示される o
芸能界ニュースではスター達の優れた消費力はよく強調される。
) エリートに対する愛や信用を求める o
5
民衆主義的資本主義の社会,いわば西洋,のポピュラー音楽をこういう
風に見ると,普段隠されている日常生活のイデオロギーがあきらかになる。
pのJは非常に大きい。その音楽を鑑賞すると,人は「われわれ」の
o
P
J
pの音は他の西洋ポピュラー
o
P
一人だという,思想がついて来る。表面では J
音楽と変わらなくても,競争相手のユーロアメリカン Popとは違うもの
扱いされる。(もちろん,ユーロアメリカン Popの中のイデオロギーはほ
pが海外進出することで,「われわれ」の優越が承認
o
P
ぼ同じものだ。) J
pファン達はなにか怪しい存在だ。
o
P
される。しかし,海外の J
「われわれ」の文化生活の中心に消費がある o 自分の感情を表現するた
めに,設けられたメニューから音楽を選択して, CDを買う,またはカラ
オケ(新しい消費制度)で歌う。消費することで,「われわれ」は自分の
性格を補う,決まったタイプ,たとえば AKB48ファン,ジャニーズファ
ン,ロックファン,になる o ポピュラー音楽の表に政治的な内容がないこ
と自体がそのイデオロギーの証拠だ。表面では,ポピュラー音楽が教える
のは「恋愛がすべて」だ。しかし,恋愛を表現することも消費になる。
ポップミュジックが今の「われわれ」を定義しようとする o 原則として,
みんなが同じものを望んでいれば,政治家やビジネスマンの仕事が楽にな
る。現代の民衆主義的資本主義の社会には,みんなの望みをいっしょにし
ようとする仕組みが隠されている o 無限の様なメニューがあって,選択層
が非常に大きいよう見えても,全部,根本的に同じだ。「われわれ」は迷っ
(42)
たすえに選んだ商品を消費すると「賢いコンシューマー」として褒められ
る。しかし,どの選択も本当は一つなら,それは無意味なのだ。
ポピュラー音楽のスター達は「われわれ」の鏡になって,「われわれ」
の時代の理想を演じる o しかし,その理想は業界とメディアのフィルター
を通るのだ。「われわれ」が LadyGagaやビジュアル系になれば理想的な
わけではない。ああいう存在は利己的な消費の象徴である o 「われわれ」
は同じ様な考え方を地味に表現すればいいのだ。「われわれ」が公の場で
LadyGagaを演じることは非常識的なことだけれど,自分が「LadyGaga
」
ファンというアイデンティティを持つのは許される。また,ポップミュー
ジックは歴史,特に,売り上げの歴史に強くこだわる o ヒットチャートが
基準として使われているが,なぜファンたちは業界しか関心持つはずない
ものに興味を見せるのだろう。業界の興味と聴衆の好みが同じものになる
ということは業界の力の証拠だ。
中国の文化大革命の音楽を聴くと,イデオロギーが極端に違っても,構
成的に似た働きが行っているのは見える。
伝統的な楽器や音楽の工夫の利用により,聴衆は中国人としてのアイデ
ンティティが根本的に変わっていないことを感じ,革命の不安の中でも励
まされるだろう。いままでどおり中国人だよ,いや,もっといい中国人だ
よというメッセージが伝わる。中国語がわからない私は,この音楽の革命
性には気づけない。
西洋ポップミュージックは,目的として,聴衆に消費することを促す。
この革命歌はそういう資本主義的な行為を勧めない。というか,本格的な
商品ではない。この音楽の消費ということは,おそらく,団体で唱歌する
ことだろう。団結して,
リーダーに従って歌うのは革命に参加していると
いう意識を起こすだろう。共同,共産がこの革命の理想であるなら,団体
で歌うことは革命的ということになる O
しかし,革命下の音楽業界にも,西洋の音楽業界との共通点は必ずある。
(43)
同じ様に,プロのミュジシアンは作曲して,演奏して,録音する o レコー
ドは工場で作られて,なにかの手段で流通される。こういう構成は不可欠
な最低限の音楽業界だ。しかし,文化革命時代に,その物質的な構成は違
うイデオロギーが適用されて,会社の利益じゃなくて,「解放」のために
働くように運営された。
「ポップ」ミュージック業界がない。文化革命時代に発表されたレコー
ドの数は非常に少ない。(朱先生の研究を参考)それぞれのリリースされ
たレコードの部数ははっきり記録されていないが,もし,主に学校や団体
のためのものなら,それぞれのレコードの作られた量も少なかっただろう。
音楽のメニューは制限されていた。ファション性がほとんど、ない。ブルジョ
アの概念抜きの音楽への挑戦だ。
そしてレーベルに人の名前は書いていない。西洋では,作曲,演奏,出
版の法律上の権利を意識して,必ず細かく書かれている。交響楽団の音楽
でも,「紅色娘子軍」というバレエみたいに,作曲は共同でされたと書か
れている O でもそれは不可能だろう。こんな良く出来た,難しい内容のも
のを作るにはリーダーが必要だろう。しかし,イデオロギー的理想として
大事なことだった。「プロ」もブルジョア概念の一つだから,革命下の「わ
れわれ」には無限の可能性があることを強調するには,みんなは平等でな
いとだめ O 本当の作曲の事実を別にして,この音楽は「われわれ」の,「わ
れわれ」による,「われわれ」のための音楽だ,とされなければならない。
人間には文化的願望がある。永遠の中国人らしさの励みがその一つだろ
う。中国人らしさの再定義を新しく表現することこそが革命そのものだ。
この音楽が西洋思想の入った音楽を滅亡しようとする。革命だから,当然
この音楽はファションなどのブルジョアの考え方を表現するポップミュー
ジックとは異なる。ブルジョアを打倒するまで,新しい中国人らしさはで
きないので,このレコードに入っている音楽は労働搾取のない社会の文化
への挑戦である。
(44)