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第
この章のゴール
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鮮 llIな イメージングを助 ける
ビジュアルマテリアル
あなたが、ある目標に向かって自らを強く駆 り立てねばならないとき、また、プログラムがあなたにイメージングを求めるとき、
「息づかいが感じられるほど鮮やかに心に描くこと」を意味します。このベージは、
それは、いつも、
そうしたあなたの鮮やかなイ
「象徴物つ ために設けてあります。
メージングを助ける
写真、
絵、図面、リス ト.… …あなたの鮮やかなイメージング助けるもので
あれば何でも貼ってください。
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Form
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第H章 :死 に打ち勝った人々の話
■ この 章 はキ ー ワー ドはあ りませ ん。
奇跡 的治癒 を遂 げ た人 々が い ます。生 きた い とい う希望 を捨 てず に 自 らを駆
り立 て 、病気 を克服 した人 々が い ます。第 11章 で は 、 プ ロ グラムの完結 を 目前
に して、死 に打 ち勝 った 人 々の話 を じっ くりと聴 くこ とに しま しょう。 この 章
に限 って 、 キ ー ワー ドや きょうの 行動 はあ りませ ん。
あ なたは これか らの 7日 間、 ただ 、 ひたす ら、死 に打 ち勝 った 人 々の 、壮絶
で 感動 的 な ス トー リー に耳 を傾 けて くだ さい 。 この章 の 答 えはす べ て過去 の 章
の 中 にあ ります。そ して、い まの あ なた には、なぜ 、彼 らが死 線 を越 えた のか 、
また超 え られ なか ったのかが わか るはず で す。人 間 とはか くも力強 く、命 とは
これほ どまで に神秘 的 な もの なのです 。 それで は 、死 に打 ち勝 った 人 々の三つ
のス トー リー を ど うぞ。
■ス トー リー 1
ハ ンス ・ セ リエ の場 合
ハ ンス ・ セ リエ :1907年 生 まれ 1982年 死去
オ ース トリア生 まれの生理学者。 ス トレス理論 の提 唱者 として有名。
最初 のス トー リー は 、第 5章 で取 り上 げた、 ス トレス理論 の提 唱者 であ るハ
ンス ・セ リエ博 士 の 治癒例 です 。
1972年 、 モ ン トリオ ー ル大学 で教 鞭 を とってい た ハ ンス・セ リエ は 、 自 らが
網状細胞 肉腫 である こ とを知 らされ ま した。この悪性 の ガ ンか ら生還 した人 は 、
セ リエ の記憶 の 中 には一 人 もい なか ったので す。 それ と同時 に、 セ リエ は、 ス
トレス理論 の権威が、強 いス トレスが原 因 で 起 こる とされ るガ ンで死 ぬ こ とに
強 い違和 感 を覚 えて い ま した。
「 これ じゃあ、 まるで三流 の ジ ョー ク じゃない か !J
セ リエ は、 自 らの学 問 を守 るため に も、 この とき死 ぬ こ とはで きなか ったの
です 。死 を心 の半分 では覚悟 しなが らも、彼 は、 自らに強 く言 い 聞 かせ ま した。
「ハ ンス。お まえはい ま最悪 の事態 だ。お まえに与 えられた選択肢 は二つ。
一つは、哀 れな死刑囚のように、死 ぬ までの一年間 を嘆 き悲 しみ、悲劇 の主人
公 として生 きるか、それ とも、人生か ら、搾 りとるだけ搾 りとって、 したたか
に生 きるかだ」
それ以降、ハ ンス・セ リエ は特別 な医学的治療 を受けず、 自らに対す る癒 し
と、治癒 のイメージ ングを続け、 セ リエのガンは、 2年 間ですべ て消滅 して し
まい ました。
あなたは、 この事実 をどう理解 しますか。
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メモ
■ス トー リー 2
ギ エ ルモ ・ プ リエ トの場 合
ギ エ ルモ ・ ル イス ・ プ リエ ト・マ タ :1940年 生 まれ。
当時、 メキ シ コの 某大手銀行 、 メキシ コ シテ イー セ ン トラル支 店支 店長 。現
在 は牧師 と して、家族 とともにア メ リカ、 カ リフ ォル ニ ア州 に移 り、 ガ ンや難
病 で苦 しむ ヒスパニ ック系 貧困層 の ため に、祈 りと、癒 しと、慈 善 の 日々 を送
ってい る。
ギ エ ルモ ・ プ リエ トが、激 しい 胃痙攣 と、吐血 に襲 われたの は 、 1989年 10月
17日 の早朝 で した。 それは、 2年 前 に受 け た早期 の 胃が んの手術 をや っ と忘 れ
か けた ころ に突然始 まった 、全身的 なだる さ と、首 にで きた数個 の しこ り、そ
、
して、下腹 部 の異常 な膨張感 を′
亡
配 し始 め た矢先 の 出来事 だったので す。歯磨
きをす るギ エ ルモの手 に思 わず 力が入 り、体 の 内部 か ら胃を ぎゅ っ とつ か まれ
た ような感触 に続 い て、激 しい痛 みが襲 って きました。「すべ てが一 瞬の 出来
事 の ように思えた」 と、彼 は後 に語 つてい ます。おびただ しい吐血 のあ と、気
を失ったギエ ルモは、病院のベ ッ ドで 目を覚 まし、絶望的な宣告 を医師か ら受
ける ことになるのです。それ は、胃ガンは再発 し、今回は首の リンパ節 にも転
移が見 られること。体力的 に再手術 はほぼ不可能で、すでにガン性腹膜炎 をお
こ して腹水 がたまり始 めているとい う衝撃的な宣告 だったのです。そ して、余
命 は長 く見積 もって も、あ と6ケ 月程度 とい う最後通牒 までが突 きつ けられま
した。
低 い、 しか し、 しっか りとした口調 のギエルモの声 が、病室の重 い沈黙 を破
りました。
「よ くわか りました。残 りの 日々 を家族 と一緒 に自宅で過 ご したい と思 い ま
す」
しか し、ギエ ルモのこの言葉 は偽 りで した。彼 は、その時、以前 に本で読 ん
だ こ とがあるイ ンデ ィオのシャーマ ンの治療 に最後 の望みを託そ うと、ひそか
に心 に決 めていたのです。ギエ ルモは戸惑 い、 うろたえる家族 を冷静 に説得 し
て、早速行動 を起 こ しました。 これ以上失 うものはない とい う開 き直 りの よう
な信念が、飛行機 とバス を乗 り継 いで二 日もかかる、アステカの遺跡が点 々 と
残 るその山奥 に、彼 を向かわせたのです。その ときのギエ ルモの様子 を妻のマ
リアは以下のように語 ってい ます。
「夫 は、 もう歩 くこともままな りませんで した。虐、
は荒 く、私 と子供たちが
両脇か らかかえて、そんな状況 を見かねたバスの運転手 の先導 で、村 のある丘
を目指 し、や っとの思 いで登 っていったんです」
シャーマ ンはギエ ルモ と妻 のマ リア、長女 のエ スタを山中の祈祷小屋 に連れ
てゆ くと決め、長男 のアルベ ル トには、村 に残 って、父親 の魂が旅立たない よ
うに見張 る役 を命 じました。ギエ ルモは、その ときすでに歩 くことがで きず、
4人 の村人に担がれて祈祷小屋へ むかい ました。小屋 につ くと、シャーマ ンは
3人 に向か って、「精霊 が必ず助 けて くだ さる」 とい う信念 を強 く持 たねばな
らないこ と、長男が しっか り魂 を捕 まえるので心配 しないこと。そ して、 これ
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か ら、 ここで何 が行 なわれ、 どんな こ とが起 きるのか を説 明 して 、 マ リアの信
念 を確 かめ る よ うに言 ったので す。
「奥 さん、あ んたの愛 が どれ ほ どの ものか 、悪霊 の執 着 に勝 る もの な のか 、
精霊 はそ こをご覧 になる」 と。
シ ャーマ ンはギ エ ルモの脇 にひ ざまず くと、本製 の カ ップに入 った半濁色 の
液体 を少 しず つ飲 ませ は じめ ま した。 それ は 、強力 な催吐物 質 で 、 ギ エ ルモ は
血 の混 じった 胃液 の よ うな もの を吐 き続 け たのです 。 しか し、祈祷 が は じま っ
て30分 ほ どた つ と、 マ リアは 自分 の 目を疑 い ま した。
「体 中 の 震 えが止 ま りませ んで した。そ して、感激 で全 身が熱 くな ったんで
す」
彼女 は、 自分 の ひ ざの上 のギ エ ルモの頬 に うつす らと赤味が さ し、骨 と皮 ば
か りだ った腕 が少 しふ っ くら して きた の に気 づ い た ときの衝撃 を こ う語 ってい
ます。
そ の 間 に も、絶 え間 な く与 え られ る水 と薬物 で 、 ギ エ ルモ は吐 きつづ け ま し
た。 しか し、嘔吐 を繰 り返す たびに、明 らか に腹 水 が減 り、状態 は どん どん良
くな って い った とい うので す。
長 い祈祷 は、夜通 し行 なわれ ま したが、驚 い た こ とに、 ギ エ ルモの状態 は落
ち着 い て い ま した。憔悴 しきつた様子 で 、落 ち窪 んだ 目を閉 じては い ま したが、
呼吸 は、す で に規則正 し くな り、少 な くとも、マ リア とエ ス タの 目には、夫 の 、
そ して父 の著 しい 回復 は 明 らか だ ったので す。
そ の 後 の数 日を村 の粗 末 な小屋 で 過 ご した一 家 は、メキ シ コ シテ イー に戻 り、
数 日後 に主 治医 を訪 れて診 断 を受 け ま した。 そ の結果 は 医師 に も信 じられ な い
もの だったので す。内視鏡検査 の結果 、彼 の 胃 は きれ い な ピン ク色 で 、 ガ ンは
どこに も見 当 た りませ んで した。 リ ンパ 節 へ の転移 も、多少 の腫 れ は残 つてい
ま したが、明 らか に回復 に向 か ってお り、 血液 検査 の結 果 で も、腫瘍 マ ー カー
は正 常値 に戻 ってい たのです 。
この 奇跡 的 な治癒 は 、 メキ シ コの民 間放送が取材 し、再現 ビデ オ とイ ン タ ビ
ュー とい う形 で 、 クリス マスの ドキ ュメ ン タリー番組 と して放 送 されて、大 き
な反響 を呼 び ま した。祈祷 と治癒 の過程が取材 されて い な い こ と。 シ ャーマ ン
は部族以外 の 治療 を拒 否す るため 、この話 自体 が プ リエ トー 家 の捏造 だ と して、
医学 界 は この事実 をまった く認 めて い ませ ん。 しか し、ギ エ ルモ ・ プ リエ トは、
自らの 身 に起 こった奇跡 に よって、その後 の 人生観が変 わ り、現在 は 、 ア メ リ
カの 市民権 を獲得 して、牧 師 と して、 ガ ンや難病 の人のため に奮 闘 して い るの
です 。 そ して、それ以 降、現在 にい たる まで、 ガ ンの再発 はあ りませ ん。
あ なた は この事実 を ど う理解 しますか。
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メモ
■ス トー リー 3
メア リー・コール リッジの場 合
メア リー・マ ー ガ レ ッ ト・コール リッジ :1937年 生 まれ 1991年 死去 。
ニ ュー メキ シ ヨ州 、エ ルパ ソの主 婦 。悪性 リ ンパ腫 のため 、1991年 6月 21日 、
ア リゾナ州 ツー ソンで死 去 。
メア リー・コール リッジは 7年 4ケ 月 とい う長 い 闘病生活 を送 った女性 です 。
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悪性 リ ンパ 腫 と しては記録 的 に長 い生存期 間 だ と言 われて い ます。
メア リーの リ ンパ腫 は 、全身的 な愁訴感 と激 しい腰痛 の ため に訪 れた病 院 で
発見 され ま した。腸 間膜 の リ ンパ 節 を原発 とす る典型 的 な悪性 リ ンパ 腫 で、す
で に、 か な り進行 し′
てお り、担 当医 のデ ー ビッ ド・ オ ル コ ッ トは、 告知 を行 な
った上 で 、抗 が ん剤 に よる治療 方針 を メア リー に説 明、承認 を得 よ う と します。
しか し、 メア リー は 、 4年 前 に肺 ガ ンで 亡 くな った実 の 兄が、抗 が ん剤 の激 し
い 副作用 で苦 しみ ぬ い たす えに、壮 絶 な死 を とげた 闘病 の 過程 を 目の 当た りに
して い るだけ に、抗 が ん剤 による治療 を きっぱ りと拒 否 して、絶望 の 中 に開 じ
こ もろ う と した ので す。
しか し、 この とき、 オ ル コ ッ トには、あ る 別 の 治療 を試 み る腹案 があ ったの
で す。それ は 、彼 の ライ フワー ク的 な研 究 の一 環 で 、あ る舞台設定 と、特 別 な
薬 、そ して、彼 自身 の絶妙 な演技 力 を必要 とす る もので した。 オル コ ッ トの研
究 とは、実 は 、 プラシー ボ と完璧 な舞台設定 を用 い る、新 しい 末期 ガ ン治療体
系 の確立 だったのです 。 しか し、 こ う した、異端 的 な治療 は大 学 で も、彼 の勤
務 す る病 院 で も許 され るはずが な く、 それは、 ご く個人的 な研 究 と して、理論
的 な積 み上 げだけ に終 始 して きた ので す。確 か に、 それ は虚 偽 の 治療 で あ り、
担 当 の看護婦 と組 んで 、処方 された薬 とプ ラシー ボ をす りか える とい う、後 ろ
め た い作業 が つ きま と う こ とになるのです 。 しか し、 オ ル コ ッ ト医師 は、 回復
の 見込み の な い 、末期 的 なが ん患 者 に限 つて行 な う、最後 の前 向 きな治療 と し
て捉 えるの な らば 、医 の倫理 に抵触 しない と考 えて い たのです 。事実 、 メア リ
ー に対 す る治療 は 、気 体 め 的 な抗 が ん剤投 与 しか残 され てお らず 、 ほぼ 100パ
ー セ ン トの確率 で 、彼女 は、1984年 を迎 え られ な い状 況 にあ ったので す。
オ ル コ ッ トは、 こ う切 り出 しま した。
「メア リー 、あ なたが抗 が ん剤 の投 与 を嫌 うな ら、 一 つ だけ残 された治療法
に賭 けてみ る気持 ちはあ りませ んか 。副作 用が な い特殊 な薬 を使 う免疫療 法 の
一 種 で 、 一 ヶ月 ほ どの入 院で結果がで る と思 い ます よ」
オ ル コ ッ トの熱心 な説得 の結 果、 メア リー は この選択肢 を受 け入 れ、 オ ル コ
ッ ト医師 の一 世 一 代 の 大芝居 が始 ま りま した。 メア リー に与 え られ るのは 、朝
昼晩 二 錠ず つの 、 ビン ク色 を した砂糖 錠 と、 カプセル に入 った オバ ル テ ィンの
顆粒 、それ に、 一 日一 回 の 総 合 ビタ ミン30ccの 点滴 とい う、 ほぼ不活性 に近 い
物 質 で 、 オ ルコ ッ トは、共 同 で研 究 を して い るシ ャー ロ ン・ベ イツ とい う女 医
を、 この療法 で 、重篤 な甲状腺 ガ ンか ら回復 した患者 と偽 って メア リー に紹介
した り、検査 の結果 、数値 が著 しく改 善 して い る と告 げた り、 ともか く、 メア
リー が勇気 づ くこ とであれば 、何 で も行 な うとい う周到 さで舞台設定 を強化 し
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て い ったの で す。
オ ル コ ッ ト医師 の した こ とが 、 はた して正 しか った か とい う点 に関 しては賛
否両論が あ るで しょう。 しか し、 メア リー の症状 は三 週 間 目には劇 的 に改善 し
て しまったので す。 あれ ほ ど苦 しんで い た腰痛 は ウソの よ うに治 り、肺 に溜 ま
ってい た水 もま った くな くな って 、全 身 の 愁訴感 は、み な ぎる よ うな元気 に代
わ ってい ま した。 メア リー は退 院 し、月二 回 の通 院 と、 オ ル コ ッ トの指定す る
薬局 で 、同 じプラシー ボ を受 け取 る とい う擬似 闘病 生 活 をそれか ら 7年 にわた
って お くったので す。 7年 の 間、メア リー は特段 の不快 感 もな く、エ ルパ ソで 、
ご く普通 の主 婦 として普通 の生 活 をお くってい ま した。
メア リー に とって思 い が けない こ とが起 こっ たのは 、治療 をは じめて 7年 目
の 、 1991年 4月 9日 で した。 そ の 日、 オ ル コ ッ ト医師 は、昼食 の ため に外 出 し
た際 、大型 トラ ック と接触 、車 が横転 して燃 上 し、翌 朝 、意識 を取 り戻す こ と
な く息 を引 き取 って しまったので す。
メア リー の プ ラシ ー ボ 治療 を引 き継 い だ シ ャー ロ ン・ベ イ ツの 尽力 もむな し
く、 メア リー・コー ル リ ッジは1991年 6月 21日 、妹 のい た 、 ア リゾナ州 ツ ー ソ
ンの病 院で、悪性 リ ンパ 腫 のため54年 の生涯 を閉 じま した。 デ ー ビ ッ ド・ オ ル
コ ッ トの死 か ら、 わず か 2ヶ 月後 の こ とで した。
あ なたは この事 実 を ど う理解 します か。
こ う した奇跡 的治癒 が世 界 中 か ら多 く報告 されて い ます。 しか し、科学 的医
学 にお い ては 、そ れは説明不可能 な事例 と して、 一 般論 の外 に置かれ て しま う
のです。 しか し、 ここでは敢 えて コ メ ン トを加 え ませ ん。なぜ な ら、あ なたに、
生 命 の神 秘 、信念 とい うものの不 思議 さを、 これ らの話 の余韻 の 中 で 考 えて い
ただ きた い か らです 。
■健康意識 の再評価
第 11章 で 、あ なたは奇跡 的治癒 を実現 した人 々の話 に静 か に耳 を傾 け ま した。
それでは、ここで 、あ なた の健康 意識 の再評価 を行 な い ます。いつ もの よ うに、
七 つ の選択肢 か ら現在 の評価 を選択 して くだ さい 。
①
胸 を張 って 、 100%健 康 だ と言 い きれ る。
②
ほぼ健康 だ。
③ 健康だ と思 う。
④ 健康だ とは思 うが、時々不安になることもある。
⑤ 最近、健康状態が気になる。
⑥ 自覚症状 はないが、 どこか悪いのではないかと悩 んでいる。
⑦ 自覚症状があ り、病院に行 くきっかけを探 している。
いかがですか。あなたの 自らの健康に対する評価 は上がったで しょうか。上
がったのであれ、下がったのであれ、以前 と同じであれ、そのこと自体 はあま
り重要ではあ りません。自己評価の基準にほんの少 しの変化があればいいので
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メモ
す。例 えば、以前、あなたが 3の 選択肢 を選び、今回 も同 じく3で あ つたと し
て も、 2か 、 4か に少 しで もペ ン先が振 れたようであれば、あなたの健康意識
は確実 に変化 をはじめてい ることにな ります。
評価 が決 まったら、 フォーム集 の「健康意識推移 グラフ」 に 記 入 して くだ さ
い
。
■第 11章 の言 葉
「臆病で、信念を欠いた人間 にとって、一切 のことが不可能である。なぜ な
ら、すべ てが不可能 に見えて しまうか らだ」
ウォルター・スコ ッ ト
もし、あなたが これ らの原則 を心か ら信 じ、生命の持 つ無限の力 に感銘 を覚
えたならば、 これであなたは最終章、第12章 に進む準備が整 ったことにな りま
す。第11章 を完全 に理解 したと確信 したならば、第12章 「 ダイナ ミックに生 き
る」へ進んで ください。
、
に思 い描 いた とお りになってゆ きます。あなたは最高の健康状態 に
人生は′
亡
あ り、自信 を持 って毎 日を生 きる自分 を鮮や か に心 に描かなけれ ばな りませ
ん。
心 か ら望 み 、鮮 やか に想像 し、強気 と、希望 と、夢 を従 えて生 きる。
間 を置 い た繰 り返 しの効果 に よ り、健康 は必 ず あなた の もの にな ります。
前 を向 き、信 じ、そ して行動 して くだ さい。
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