平成28年 9月 5日 発行 (年 月5日 発行)第 519号 0日 /月 刊 公団船) No。 ポ 519 脇 留彊洛 活r14fLlこ 向 けた今後 の方向性検 調 早急 に着手すべ き取組 を公表 詔蓄諒開T聯 プ リの安全 働 こついて 実証実験開始 紹介 父島∼母島 に貨客船「はは じま丸」が就航 ≪海事局≫ 「海事 レポー ト2016地 球 か ら世界へ」を発行 ◇海事産業の生産性革命 ◇海運・造船を支える人材の確保・育成 ◇国内旅客船と内航海運の現状 輔 (一 社)船 舶整備共有船主協会機関誌 鋼 SE 縄 勤極回転数待怖‖ 筆 翼 覇縮ご 自 詔海 事 局 長 表 彰 ・ 糖茸 忍 犬 況 劇 ギ 精五 8翠 蒲蚕,離 記 、 房 ぜ ◇内航燃料油価格(H28年 4∼ 6月 ) は!は じま丸 一 一 おキ 1葛 ■ r ィ子 ′作 一 車 ﹁ ヤ ― 再 □題 田田 H口 盟 や 臣 □ 響 弱 磁 醜 酷 鴫 =t改 士 船 主 /伊 豆諸島開発株 式会社 lS「 船 所 看 篭 謎 盆 亀諾翌 TEL1 095‐ 878-4515 FAX.095-878-9756 URL http://wwwttwatanabettzousentco口 jp 一 月刊・共有船 ― 〈連載⑩ 友 ケ 島水道 でのシップウォッチ ング 大阪府立大学21世 紀科学研究機構 特認教授 池 田 良 穂 柳原良平画イ 自の著書 に、横浜港 が見 える 高台 に居 を構 えて い るとい う記述があった。 も、LNG船 やPCCが 通過す るのが見 えた。 この 山荘 のベ ランダか ら、 500mmの レンズ ま さに船好 きにとって は羨望 の居 で あ り、 で大阪湾 に出入 りす る200m以 上 の船 は フ ァイ ンダーい っぱいに捉 える ことができる 筆者 も、港 や船 の見 える家 が欲 しか った。 しか し、勤務す る大学 が大阪の堺市 の内陸 部 とあって、 これ はなかなか実現 しなか っ た。 それで も30歳 目前 には、一 時、堺 の旧 が、 よほどク リアな日でなければ、双眼鏡 ではよ く見 えて も、 なかなかす っきりとし たよい写真 にはな らない。 その 目安 が淡路 島の南 に浮 かぶ沼島 で、 この島 が くっきり 港 の近 くのマ ンシ ョンに移 り住み、 その 7 階 の部屋 か ら少 しだ け海 が見 えた ものの、 見 える日には、結構、よい写真 が撮れ る。 行 きか う船 を見 ることはで きなかったので 溜 まる フラス トレー シ ョン解消 のた めに、 近 くの ヨッ トハ ーバ ーで小 さな中古 クル ー さて、加太 はタイ漁 で有名 な漁港 があ り、 その一 画 か ら、友 ケ島 に渡 る連絡船 がでて ザ ー を手 に入れ、休 みには大阪湾 へ とセー リング を楽 しみなが ら、行 きか う船 のシ ッ プウォッチ ング を した。 このマ ンシ ョンは臨海部 の化学 コ ンビナ ー トが近 く、風 向きによっては異臭 が漂 う い る。かつ ては、南海電鉄 が友 ケ島 の レジ ャー開発 を していて、子会社 の南汽観光 が かな り大 きな客船 を就航 させて い たが、南 海電鉄 は2003年 に レジ ャ ー 開発 か ら撤 退 して、 この友 ケ島航路 も廃止 にな りか けた。 ので、 10年 近 く住 んだ後、勤務先 の近 くの マ ンシ ョンに転居 した。 その代わ りに、大 小型客船 で の定期運航 を継続。 が、2006 額湾 の入回の「友 ケ島水道」が見 える利歌山 の加太 の山 の上 に小 さな別荘 を構 えた。か 年 に同社 も廃業 した結果、友 ケ島航路 も消 滅 の危機 に立た された。 だが、加太漁業組 れ これ25年 近 くなるが、今 で も、 ここで週 合 がこの航路 を引 き継 ぎ、友 ケ島汽船株式 会社 として 2007年 か ら運航 を再 開 してい ま にfよ 描 を眺めなが ら原稿書 きや論文つ く 枠を とてい る.こ の原稿 を書 いてい る間 に -34- しか し、有限会社友 ケ島汽船 が設立 されて、 る。 一 月刊・共有船 一 実 は友 ケ島 とい う島はな く、大阪湾口に 浮 かぶ 4つ の島の総称 が友 ケ島 とのこと。 友 ケ島 に向か う支 す島,表 恥の始発は 9時 発の便で、前 日の日曜 露に乗 り場 を覗 いた その中で最 も大 きい沖 ノ島 に、かつては宿 泊施設 が夏季限定で 3軒 あったが、今では 1軒 だけとなっている。キ ャンプ場等 が整 備 されていて、そ こを利用す る人 も多いし、 時には、積み残 しがで る!ま どのお客で混 ん でいたので、出港一時間前の 8時 に乗 り場 に着 いて、切待売 り場の前で並んだ。船賃 は、 往復2000円 。船 │ま 、神 原海洋開発 (現 ッネイシクラフ ト&フ ァシ リテーズ)建 造 釣 り人にとってはよいスポ ッ トの ようで、 冬で も定期船が運航 されてい る。 島の観光資源としては、明治時代に作 ら の19総 トン型の「ともがしま」で、最近、も う一隻「らぴゅた」という船が増 えた。 れ たとい う砲 台 が朽 ち果てた状態 では ある 加太港 で 出港 を待 ちなが ら、 スマ ホで ものの残っているのと、燈台は現役で活躍 してお り、ほかには自然が豊かで、 シカや クジャクなどもいる。 この島が、意外にも 最近、人気がでてきているとい う。廃墟の 雰囲気が「天空の島 ラピュタ」のシーンに似 ているとのロコ ミやテ レビでの紹介が人気 AIS情 報を確認すると、「ふISC に火 をつ けた との こと。 また、私 た ち船 フ ァンに とっては、大阪 湾 に入 る船 を間近に見 られ るシ ップウォッ チングのベス トプレースで もある。午前中 LiAca」 は紀 淡海峡の入口にまで来てお り、船速は16ノ ット。 これだと、友 ケ島水道は10時 くらい の通過にな りそう。9時 発の 「ともが しま」 が20分 で友ケ島に到着す るので、撮影ポイ ン トの燈台付近には 9時 45分 には着ける とよんだ。桟橋 か らはで こぼ この細 い 山道 だが、 距離 はだいたい lkmな ので、 なん とか間 に合 い そ う。 は順光 で、特に大 阪湾 に入 る船は、右側航 行 なので、す ぐ近 くを航行す る姿を間近 に 見 ることができる。 ただし昼 をすぎると逆 光 になるのと、南下する船は航路がやや遠 くて、なかなか よい写真 にならないのが難 点だ。 さて、上海 を出港 した「MSC Lirica」 が、 8月 1日 の13時 に神戸港 に入 る ことにな ってお り、 このスケジュ ールか らす ると、 加 太 の友 ケ島汽船 の乗 り場 「ともが しま」は、予定通 りに友 ケ島 に着 10時 頃に友 ケ島水道を通過するので はない き、撮影 ポイ ン トに向 か った。第 2砲 台跡 かと予測 していた。当初は加太の別荘 か ら の撮影 を考 えていたが、 朝起 きてみると、 天気 はよいが、 もやっていて沼島 も見 えな い。そ こで、友ケ島まで船で渡って、燈台 に到着 したのは 9時 40分 で、AISで 確 かめ るとそろそろ友 ケ島水道 の入口に差 し掛 か の近 くか ら同船 を撮影することにした。 い った。 -35- っていた。 9時 50分、純 自の船体 が 目の前 に登場 し、 あっとい う間 に大阪湾 へ消 えて 第 2砲 台跡 か ら友 ケ島水道 の入 口を望 む ともが しま 卜i:illlぇ :, ` 革千 4ヨ圭芋勢 第 2砲 台跡 (左 )と 芝生 (大 阪湾側 を望 む ) 「らぴゅた」 この ように、 シ ップウォッチ ング を趣味 │ とす る者 に とっては、友 ケ島 は最高 のポイ ン トなので、 同好 の士 はぜひ訪れ てみてい ただきたい。航路廃止 の危機 の 中で、航路 存続 に尽 力 され た方 々には頭 が下 が るし、 │ 観光 地 としての見直 しが図 られて活況 を呈 してい るの も嬉 しい。 2隻 目が導入 され た のは確実 に友 ケ島へ の観光客 が増 えて い る │ 大阪湾に入るバルクキャリア「たちばな」 ので あろう。 また加太 には、人形供養 で有名 な淡島神 社、海水浴場 、そ して加太 の鯛 などを堪能 で きる料理旅館 などもあり、観光地 として も魅力 の ある場所 で ある。南海電車 の加太 線 の終点 が加太駅 で、交通 の便 も悪 くない。 コンテナ船「SiTC Guangxi」 鱗鞭 。金繊翁0鋼 【 鵜 黙 去 都都鋸鞭 OS登 0幹〕 -36- 一 月司・共有船 一 「MSC 友が島水道を通過して神戸へ向かう Littca」 を沖ノ島の砲台跡でキャッチ。 南 下 す る コ ンテナ 船「EVER UNIFiC」 「MSC Littca」
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