「人生心得帖」(2017年版)の一部をご紹介します

わ
が
母
に
ま
さ
る
母
あ
り
な
む
や
十
億
の
人
に
十
億
の
母
あ
ら
む
も
あけ
仏教学者で真宗大谷派の僧侶でもあった暁
がらすはや
烏敏の言葉です。
暁烏は明治10年、石川県で生まれました。
若い頃から信仰運動に打ち込みますが、60代
がんしつ
で眼疾を患い、後に失明。それでも晩年は真
しんらん
宗大谷派総務総長として親鸞の教えの普及に
力を注ぎ、昭和29年に78歳で他界しています。
暁烏の母は清貧に甘んじて生きた説教使の
夫をよく支え、またとても教育熱心な女性
だったとも言われています。暁烏のこの言葉
は、そういう母に対する本心から湧き出る思
つづ
いを綴ったものなのでしょう。
この歌が多くの感動を呼ぶのは、単に一個
人の思いを超えて、母たるものの本質を歌い
あげているからだと思います。日本にはこう
いう母がたくさんいたのです。
子供たちが、自分の母こそこの地上で最高
の母だと言い切る母が日本の全国津々浦々に
たくさんいた。日本の今日あるは、そういう
母がいたればこそだと思います。
暁
烏
敏
そういう母の姿が現代にも多からんことを
願うばかりです。
2
3
坂
村
真
民
返
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真
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七
十
三
歳
の
写
真
と
を
若い時には頭でしか分からなかったことが
年をとるとしみじみと分かるということが人
生にはあるようです。
この詩もまた、そういう味わいを持った詩
のように思います。
3歳の時の自分の写真と73歳の自分の写真
を眺める。その間70年、無数無限の出会いが
あり、自分は生かされてきた。その思いを2
つの写真を眺めながら、真民先生は嚙み締め
られたのでしょう。
私たちは今日まで生きてくるのにどれほど
の恩を受けてきたかしれません。そのことを
思い出させてくれる詩です。
無数の縁、恩に守られての人生であること
に思いを馳せ、また新たな明日へ一歩を踏み
出しましょう。
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