わ が 母 に ま さ る 母 あ り な む や 十 億 の 人 に 十 億 の 母 あ ら む も あけ 仏教学者で真宗大谷派の僧侶でもあった暁 がらすはや 烏敏の言葉です。 暁烏は明治10年、石川県で生まれました。 若い頃から信仰運動に打ち込みますが、60代 がんしつ で眼疾を患い、後に失明。それでも晩年は真 しんらん 宗大谷派総務総長として親鸞の教えの普及に 力を注ぎ、昭和29年に78歳で他界しています。 暁烏の母は清貧に甘んじて生きた説教使の 夫をよく支え、またとても教育熱心な女性 だったとも言われています。暁烏のこの言葉 は、そういう母に対する本心から湧き出る思 つづ いを綴ったものなのでしょう。 この歌が多くの感動を呼ぶのは、単に一個 人の思いを超えて、母たるものの本質を歌い あげているからだと思います。日本にはこう いう母がたくさんいたのです。 子供たちが、自分の母こそこの地上で最高 の母だと言い切る母が日本の全国津々浦々に たくさんいた。日本の今日あるは、そういう 母がいたればこそだと思います。 暁 烏 敏 そういう母の姿が現代にも多からんことを 願うばかりです。 2 3 坂 村 真 民 返 し て も 返 し て も / 返 し き れ な い / 数 々 の 大 恩 よ う 潮しお 守 の ら よ れ う て に 生 迫 き っ て て き く た る / 数 知 れ な い あ か し が 16 並 べ て 見 て い る と 三 つ の 時 の 写 真 と / 七 十 三 歳 の 写 真 と を 若い時には頭でしか分からなかったことが 年をとるとしみじみと分かるということが人 生にはあるようです。 この詩もまた、そういう味わいを持った詩 のように思います。 3歳の時の自分の写真と73歳の自分の写真 を眺める。その間70年、無数無限の出会いが あり、自分は生かされてきた。その思いを2 つの写真を眺めながら、真民先生は嚙み締め られたのでしょう。 私たちは今日まで生きてくるのにどれほど の恩を受けてきたかしれません。そのことを 思い出させてくれる詩です。 無数の縁、恩に守られての人生であること に思いを馳せ、また新たな明日へ一歩を踏み 出しましょう。 17
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