01-6 伽陀 (6)

 法医学教室の解剖台に横たわるのは、足のごく一部を除き白骨化した遺体だった。強い消毒薬の臭いが鼻をつく。頭部
は見当たらない。発見場所はそれまで何度も捜索を繰り返していた岩場、朝倉誠吾が発見された場所から直線距離で僅か
三百メーターのところだったという。岩と岩の間に脚を挟むようにして身体がその上に投げ出されていたという遺体はこ
れから洗浄され、行方不明者との骨格標本照合、そしてDNA鑑定に回される。身長約一八〇センチ、骨の大きさから見
て男性であると思われた。付近に遺留品は見当たらず、何の手掛かりもないのは依然として同じ状況だった。倉沢はしば
らく茫然とその遺体を見下ろしていたが、やがて薄暗い目の中に勝又教授を捉えた。勝又は静かに言った。
﹁ 三 人 が 行 方 不 明 に な っ た の は 二 か 月 前 と 言 っ た か ね ? ﹂
﹁ え え ﹂
腕を組み、黙り込む。倉沢は微動だにせず続きを待った。
﹁ 今 の 季 節 、 二 か 月 で こ こ ま で 白 骨 化 す る と は 思 え ん 。 海 に 沈 ん で い た の な ら い ざ 知 ら ず ﹂
遺体は両足を挟まれ、移動するのに大きな岩をよけなければならなかったほどだ。最初からその場所にいたのだとした
ら勝又の疑問は至極もっともだと言える。木村と龍介のどちらかではないかもしれない。倉沢は一縷の望みを捨てきれず
にいた。
﹁ 検 視 に は 時 間 が か か る よ 。 た だ し 、 こ こ ﹂
足の部分を指す。右足親指の骨の先に青い何かがこびりついている。
﹁ 靴 下 の 繊 維 で は な い か と 思 う 。 ま ず こ れ を 鑑 識 に 回 し 、 そ こ か ら 始 め る と い い ﹂
青い靴下。記憶の中の木村が青い靴下を履いていたことがあっただろうか。いつもは大抵黒に黒の革靴。登庁時は常に
ダーク系のスーツ姿だった。伊豆大島へ渡った時もスーツ、海上保安庁との合同捜査である以上、現地でも私服はあり得
ない。二階堂はどうだろう? 警視庁時代の彼も必ずスーツだった。濃紺かダークグレー。あの龍介が青い靴下? 想像
がつかない。
﹁ 判 り ま し た ﹂
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いずれにせよ、これは木村くんと龍介のものではないよ、と勝又は断言した。倉沢は内心ほっとしたが、その確信がど
﹁ そ れ な ら ま だ 納 得 が 行 く ﹂
勝又が倉沢を見た。
の身体部分ではないかと﹂
それを持ち帰る途中で事故に遭いました。その頭蓋骨はまだ見つからないままですが・・・・もしかするとこの遺体はそ
﹁ 朝 倉 た ち は 、 八 月 末 に 発 見 さ れ た 不 審 な 船 の 事 後 調 査 で 伊 豆 大 島 を 訪 れ て い ま し た 。 そ の 時 に 頭 蓋 骨 が 発 見 さ れ て 、
体なのか。
倉沢の背筋を冷たいものが駆け下りた。あの不気味な輸送船。誠吾たちが発見した頭蓋骨。もしかするとこれはその身
来季から使用する輸送船の 制服。
ダイバーズスーツ。撥水加工。紺色。青。
﹁ 撥 水 加 工 が 施 し て あ る 。 そ し て 厚 い 。 ダ イ バ ー ズ ス ー ツ か 何 か か も し れ ん ﹂
別のシャーレに移す。倉沢も一緒に勝又の手許を覗き込んだ。
﹁ 衣 服 だ な ﹂
える
脊椎の上で止まった。骨と骨の間に鉗子をそっと差し込んで何かをつまんだ。ライトにかざす。五センチ四方。紺色に見
砂が骨の表面に貼りついていた。一部皮膚のようなものも残っているがその上に藻が絡んで干からびている。勝又の手が
長さ二センチ、幅一センチほどのその破片をシャーレへ移し、勝又は目を皿にして骨の上へ屈む。腐った木端や細かい
ないか。身体の一部に衣類の断片は残っていないか。
もう一度考え始める。青い靴下。青。青い靴下を履く職業。何か思い当たるか。まるで出てこない。青。他に手掛かりは
倉沢の返事を待たず、勝又はピンセットで慎重にその青い繊維を取り除き始めた。勝又の手先を凝視しながら、倉沢は
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こから来るのか知りたかった。勝又は心得たように微笑む。
﹁ 精 査 し な い こ と に は 迂 闊 な こ と を 言 い た く な い が 、 こ れ は や や こ し い こ と に な る か も し れ ん ﹂
﹁ と 言 い ま す と ? ﹂
﹁ 骨 が な 、 状 態 が 良 い か ら 新 し く 見 え る が 、 も し や と て も 古 い も の か も し れ ん よ ﹂
倉沢は正直勝又が何を言い出したのか把握しかねた。
﹁ 意 味 が よ く 判 り ま せ ん ﹂
そう言いながら、同時に木村の報告を思い出していた。
その船、未だ未使用で倉庫に保管されているはずのものだそうで そして、前世からの遠山の電話。
機捜から四人、伊豆大島の輸送船捜索と遺体引き取りへ回してくれ 黙り込む倉沢の顔を勝又が覗き込んだ。
﹁ 何 か あ る の か ね ? ﹂
倉沢は一瞬判断に迷った。遠山との電話のことを話すべきだろうか。勝又はどこまで知っているのか。
そんな胸の裡を見透かしたか、勝又は仙人のような容貌をにんまりと微笑の形にした。艶のある目線を投げてくる。
﹁ 時 空 の 話 か ね ? ﹂
倉沢は目を上げた。
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