まほろば主人 宮下 周平 ある朝、ふと目を覚ます。 ほうじゅ はちす と こ よ すると、緑の畑から、「おいで、おいで……」と呼ばれているような 声を聴いた。 何 と、 そ こ は 浄 土 極 楽 の 宝 珠 の 池 で、 満 開 の 蓮 の 華 が 常 世 の 春 と ば かり咲き乱れている。 仁木のこの自然農園。 作 物 が「 う れ し い な、 う れ し い な! ……」 と 言 い な が ら、 枝 や 葉 を 思いっきり伸びたいだけ伸ばし、広げたいだけ広げている。 何処までも何処までも伸び切る。 そ れ は、 も う 嬉 し く て、 嬉 し く て、 植 物 た ち が、 歓 喜 の 声 々 を 挙 げ な が ら、 生 長 し て ゆ く。 そ の 現 場 を 目 の 当 た り に 見 て、 私 の 今 ま で の農業観が一変してしまった。 何ということだろう。何という光景だろう。 作物が喜々として育ってゆく在り様は、この世のものではなかった。 まさに『緑の海』なのだ。 のり どこまでも続く海が、この畑に出現した、とさえ思われた。 そのうねりは、法の海。 こ だ ま いのちはみな一つという海、「イノチの海」なのだ。 もう、命の歓喜の合唱が、四方八方に木霊している。 これが、植物の本性というものだろう。 私は、何をしていたのだろう。 何を思い違いしていたのだろう。 植物が咲きたいように咲かす、育ちたいように育てる。 これは、何であろうか。素人の私には分からない。 しかし、明らかに今までとは違う世界が開かれた気がした。 1 (仁木農場より ) みどりのうみ 自然食品店を いなかった。 もと 年やって、自然に触れているようだが、全然分かって 今も本当は分かっていないのだろう。 しかし、何かが明らかに違うのだ。 す 自然と生きるということ、植物と共に生きるということは、何か素 に 戻れる、巣に戻れる自分がいるのだ。 幸せや希望や何もかもが、このしっかりした大地からしか、本物は生 まれないような気がした。 あ る 朝、 早 く 畑 に 行 く と、 キ ャ ベ ツ 畑 に モ ン シ ロ チ ョ ウ が、 そ れ は おびただ 夥 しい数で乱舞している。 毎年、小別沢の畑でもよく見る光景であったが、その数が並ではない のだ。 びっくりして、これはこの世の出来事か!と思うほど強烈であった。 今の畑では、蝶々も飛ばなくなった、といわれて久 しい。 むろん農薬のせいであろう。 し か し、 蝶 々 と は、 本 来 こ う い う 本 性 で あ っ た の か、 と思わせるほど、凄かった。 それは、あのかぼちゃ畑の「うれしくて、うれしくて」 と同じ思いで、飛んでいたのだ。それはもう喜々とし て、そのイノチをイノチが飛んでいるのだ。 おか おび そのイノチのまま、飛ぶようにして飛んでいるのだ。 何にも侵されることなく、誰にも怯えることなく、も う喜び一杯で舞っているのだ。 きっと、モンシロチョウは悔いのない一生を終えるこ とだろう。 2 まほろばだより No.4357 16-133 9/2 ○ ○ 農 法、 ○ ○ 栽 培 と い う 技 術 や 考 え 方 は、 あ く ま で も こ ち ら 側、 人 間 の 立 場 か ら 見 た 視 点 で、 植 物 に と っ て は、 何 か 全 く 別 次 元・ 別 世 界 のことではないかと思った。 何かのタガを外す、何かの縛りを外すことが、人の務めではなかろう かと、フト思った。 農 薬 を 撒 こ う が、 慣 行 で あ ろ う が、 有 機 や 自 然 の 農 法 で し よ う が、 こ と ご と く 全 て の イ ノ チ が 育 っ て ゆ く そ の 大 自 然 の 命 の 営 み の 大 き さ、 深さ、見事さに感動している。 かか イノチ丸ごとお抱えの、大自然の息吹の偉大さは言葉にならない。 ああだ、こうだ、という以前に、人は謙虚にならねばならないと思った。 つむ 刻一刻一刻、イノチは紡がれ伸びてゆく、何処までも伸びてゆく。 こんな感動がどの世界にあるだろうか。 もうスゴイの一言しかない。 生きたくて生きたくて、伸びたくて伸びたくて、生まれたく ほうが て生まれたくて、そんな思いの萌芽を、植物すべてが持ってい て、そして人もみんな持っていて、世界がすべて持っていて、 この地球も宇宙もすべて、無限の彼方に生きようと伸びようと しているのだ。 それが、自然の好生の徳というもの。すべてが生きることの喜 ひらめ び、輝き、閃きがキラキラしていてこそ、この世であり、あの 世であり、この世もあの世も区別できないほど素晴らしいのだ。 入植して数か月のわずかの間、あまり大きなことは言えない が、何て知らなかったのだろう、と正直思った。 人は、土から生まれ土に帰るというが、やはり誰もが生きてい る限り、土に生きるべきなのだ、と思った。 30 このとき初めてあの良寛さまの詩『花無心』が思い出された。 「花 無心にして 蝶を招き、 蝶 無心にして 花を訪ぬ。 花 開くとき 蝶来たり、 蝶 来たるとき 花開く。 われ 吾もまた 人を知らず。 人もまた 吾を知らず。 ていそく 則に従う。」 知らずして 帝 …… 花は、蝶を招こうとして咲いているのではなく。 蝶に、花を訪ねようという心があるのでもない。 花が咲くと、蝶が飛んできて、蝶が飛んでくる時に花が咲いている。 自分も、他の人々のことは知らないが、他の人々も自分のことを知ら ない。互いに知らないながら、天地の道理に従って生きている …… その通りだと、思われた。 ただ、みな無心なのだ。それで、いいのだ。 お陰で、キャベツの葉っぱは、ボロボロのレース状態。 でも、キャベツも嬉しそうだった。楽しそうだった。 お互い「キャッキャ」と、笑っているのだ。 こんな光景があるものだろうか、と思われた。 大丈夫、たくさん青虫に食べられ、与えた後に、 「よーし、ドッコイしょ」と、これから寒さに向 かって葉を巻き始めるのだ。 これからが、自分の世界だとばかりに。 昆虫も植物もお互い分け合って生きて いる。 本当に共存共生しているのだ。 そ れ は、 ま る で 極 楽 の 天 上 の よ う に、 他に与えるだけで自分が清まっていく、 きらめ キラキラと煌く世界だっだ。すばらしかった。 何 十 年 も、 妻 が ジ ャ ガ イ モ の 種 を 更 新 し て ま 毎年、植えている。豆とトマトのパイプの間に、 チョコッと植えた。それは、機械撒きの試しで、 うねはば じょうかん 試 運 転 で あ っ た。 完 全 な 失 敗 で あ る。 蛇 行 し ばいど かな て 恥 ず か し い 限 り で あ る。 畝 幅、 条 間 の 失 敗 か。培土が叶わず、茂るに任せるのみだった。 その代わり、成りは恐ろしいくらいになった。 元肥のたい肥が効いたのだろう。しかし、あの一ヵ月前の集中豪雨 で葉と茎が倒れてしまった。無残であった。 しかし、致し方ない。枯れた根を掘り、幾分小さめの芋(キタア カリ)を掘ってふかして試食した。 その時、余りのきめ細やかさと味わいの深さに、突き抜けた感動に、 驚いた自分がいた。 これが、芋の美味しさというものか。もう、自分ながら作物にこれ ほど、感動したことがあっただろうか、と思うほどだった。 あの植物たちの声、姿を見ると、この味もまた、植物たちのイノチ の現れ、喜びそのものであったのかと、改めて思った。 味もイノチをそのまま映す。天恵のこの地 の良さに感謝し、0‐1テストで対話するこ とに感謝して、ただ大地と植物に奉仕する後 半生の自分たち。 5月2日に、土地を収得して、初めは通い おぼつか で畑への往復、機械類を入れても初めての運 転、海のものとも山のものとも覚束ない状態 3 の広大な地で、親子3人が耕作できるのは、今 で畑起こしを始めたのは、半ば過ぎだったか。まだ、100日が経っ 見ながら、今日も収穫に世話に明け暮れる自分たちである。しかし今、 毎日、イノチたちと向き合いながら、みなと共有共働できる日を夢 文章は合間を縫って、やっとのことで書いている。 たかどうか。4・5 の処、半分にも満たない。しかし、この8月初めから末までの丸一ヶ はんちょうぶ 月で、半町歩の畑から総量2・5トンもの信じられない量の果菜類が 出荷できた。 ㎏の発泡に 箱も出荷。 昨 日 は、 観 測 史 上 に な い 大 型 台 風 が 襲 来 す る と い う の で 必 死 に 収 穫、 しかし、祈りが届いたのか、台風は幸いに来なかった。今年の度重 な る 台 風 の ほ と ん ど が、 一 度 も こ の 地 に 近 寄 ら な か っ た の も 不 思 議 だ。 うな ん な 違 っ て、 実 に 豊 か で 大 き く 美 し か っ た。 こ の 世 の 音 楽 で は な い 天上のオーケストラで、我が一生の内で、一番感動した演奏会だった。 その時、「あぁ!ここは私たちの畑でない。みんなのもの、生ける イ ノ チ の み ん な の も の な ん だ!!」 と 知 っ た の だ。 イ ノ チ が み ん な 協 力 し て 作 っ て い る 畑 な ん だ、 と 確 信 し た。 何 故、 こ ん な に も 一 杯 一 ぱ い 採 れ る の だ ろ う か、 な ぜ こ う も 美 味 し く 豊 か に な る ん だ ろ う か、 と い う こ と が 理 解 で き た。 そ れ は、 み ん な と 生 き て い る と い う 喜 び だ っ た からだ。これが唯一の答えだった。 あき ている。でも、「堪えるなー」と思っていても、畑に出れば、作物た ちに励まされてファイトが出てくる。 年 遅 い ヨ。 遅 く て も 代 後 半 ま で に 就 農 し な け れ ば、 茨城大学農学部の中島紀一名誉教授にこのことを伝えたら、呆れら れた。 「 そ れ は、 歳と 無理ですよ!ハッハッハ!!!」 その無理を無理と知って、 歳からの二人の人生のやり直し。 小さい私たちの先生ですから………。 本当に、作物や昆虫たちが一番知っているのでしょう。 のように、無心に生きることにしました。 これからどうなるか植物に任せ、イノチのままに、蝶のように、花 65 40 70 明 け 方、 キ リ ギ リ ス や コ ウ ロ ギ な ど の 虫 た ち の 大 合 唱 で 目 が 覚 め た。 そ れ は、 地 鳴 り と い う か 地 響 き す る よ う な 唸 り が、 畑 一 杯 空 一 杯 か ら 聞 こ え て く る の だ。 家 の 中 に 入 っ て 鳴 く コ ウ ロ ギ を 家 内 が 外 に 出 し た の は 夜 中 2 時 過 ぎ だ っ た。 そ れ か ら と い う も の は、 こ の 昆 虫たちが、「台風よ、来ないで!」とでも、泣き叫んだお陰なのかと 」 と 感 謝 の 声、 喜 び の 声 だ っ た の か と も 取 れ る 大 合 唱 思わせるほどだった。そして、静かに去った台風に「ありがとう ありがとう ‼ こた 半農半Xのつもりが甘い甘い、「晴耕雨読」どころか、「晴雨耕々」 で 一 日 と て 休 め な い、 全 農 で も 追 い つ か な い、 き つ い 毎 日 を 過 ご し ha 32 だ っ た の だ。 そ れ は 凄 ま じ い ば か り だ っ た。 そ し て、 そ の 声 々 は み ‼ 20 10 4 まほろばだより No.4357 16-133 9/2
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