別添1 [PDFファイル/138KB]

(別紙資料)
多賀城跡第 90 次調査の成果について
調査の目的
特別史跡多賀城跡は奈良・平安時代の陸奥国府跡です (724 年~11 世紀頃)。宮城県多賀城
跡調査研究所では、昭和 44 年以来、5ヵ年計画による発掘調査を計画的に実施し、その実態
を解明する研究を進めています。平成 26 年度からの第 10 次5ヵ年計画は多賀城跡の外周り
を囲む外郭施設の解明を目的とし、今年度の第 90 次調査では坂下地区で(通称、鴻ノ池地区)
で多賀城創建時の南辺(南側の城壁)の調査をしています。
近年、創建時の南辺は、多賀城碑がある第Ⅱ期以降の南門跡や南辺 築地塀跡よりも約 120
m内側(北側)にあったことが判明しています。今までに、政庁の正面で南門跡、その東側で
門跡から延びる塀の基礎、西側で材木塀跡が見つかっ ています。今回の調査は、南大路西側
の坂下地区の沢地から丘陵に登る地点の状況を確認し、南辺の構造や規模、変遷を解明する
のを目的としています。
調査成果
つみつち い こ う
1. 創建期 (第Ⅰ期:724~762) の南辺跡とみられる積土 遺構 を発見しました。
積土遺構は奈良時代の地表面に基礎となる幅約 4.5m、高さ約 40 ㎝の土壇を築き、その
上に約 2.1mの幅で土を水平に積み上げた遺構です。創建期の南辺は、東側の沢地では材木
塀でしたが、丘陵に登る地点からは築地塀が築かれていた可能性が出てきました。
2. 南辺が南に移った第Ⅱ期 (762~780) 以後には、創建期の南辺の跡地が道路として使われたこ
とがわかりました。
道路は積土遺構の上部を削って両側に盛土をして造られており、幅は約 4~6mあります。
西側の丘陵部に向かって広がりながら取り付いており、現在は未調査の丘陵上にも遺構の
存在が考えられます。
3.道路脇から文字が書かれた扇が出土しました。
県内で文字が書かれた扇が見つかったのは初めてです。