平 成 28 年 9 月 第 発 20 世紀は「ドイツの時代」 4 5 行 普 号 照 院 (「週刊現代」2016 年3 月号より) も ん ぶ か が く しょ う ぶんけい 今 、 日 本 で は大 学 教 育 改 革 が 話 題 に なっ て い ます 。 文 部 科 学 省 は、 「 文 系 を 軽 視 し て いる ぶ ん り わけで は ない 」 と 言 いな が ら 、ごく 一 部 の超 エ リ ート 校 だけを 文 理 両 方 を 教 え る総 合 大 学 と し 、 あと は ○○ 大 学 とい う 名 前 だ け残 し て 、 事 実 上 の 専 門 学 校 と し て再 編 し よう と 考 えて い り け い るよう で す。 し か し 、本 当 に文 系 の 知 識 は 役 に立 た ず、 経 済 学 や 工 学 な ど の「 理 系 ( 実 学 )」 と いわ れる学 問 だ け が 重 要 な の でし ょ う か。 近 現 代 史 の歴 史 家 エリ ッ ク・ ホブ ズ ボーム は、「 20 世 紀 はド イツ の 時 代 だ 」 と 述 べて い ま す。 こうはつ ド イツは、 19 世 紀 末 か ら 後 発 の 工 業 国 と して急 速 に国 力 を増 し て きま した。 20 世 紀 に 入 り、 し ん こ う こ く こ の 新 興 国 をどう や っ て取 り 込 む か とい う 問 題 に直 面 し た 世 界 は 、 2 度 の世 界 大 戦 を経 て 、 ど う にか軟 着 陸 に至 り まし た。 こ れが 20 世 紀 最 大 の事 件 であり 、 歴 史 の主 役 はド イ ツだ っ た と い う こと で す。 で は 、 な ぜ ド イ ツは 二 度 の 敗 戦 を 乗 り 越 え勝 者 に なれた のか。 見 逃 せない のが、大 学 教 育 で す 。 ドイ ツ の 大 学 教 育 は、 ヨ ーロッ パ における ラ イバル・ フ ラ ンス の教 育 と は対 照 的 でし た 。フ ラ ン スでは 19 世 紀 初 頭 、ナ ポレオ ンによ っ て 学 校 改 革 が行 わ れ、大 学 じつがく じ ゅ う し しんがく は徹 底 し た 実 学 重 視 に なりま し た 。 神 学 や文 学 な ん て 教 え る の はやめて 、工 学 ・経 済 学 ・ 軍 事 学 な ど の実 学 だけ にせ よ、 と。 今 も 、 フ ラ ンス の国 立 大 学 の ほ と んどには 神 学 部 があ り ません。 一 方 、ド イ ツ で は 今 で も、 神 学 部 が な いと 総 合 大 学 を 名 乗 るこ とが で き ません 。 で は、 ド イ ツがな ぜ 神 学 を 重 視 する かと い うと 、 「 目 に 見 える 世 界 だ け で なく 、 目 に 見 え な い 世 界 を 学 んで こ そ 、 知 はバ ラ ン ス を 保 て る 」 と いう 考 え 方 があ る から で す 。 こ う し た考 え 方 を ド イ ツに 定 着 さ せ たの が 、 18 世 紀 から 19 世 紀 にか けて 活 躍 し た、 フリ ー ド リヒ ・シ ュラ イ エ ルマッ ハーと いう 神 学 者 で し た。 シ ュラ イ エルマ ち たいけい ち だんぺんてき ッハ ー の 考 え 方 は 、 「 知 は 体 系 知 で なけ れば意 味 が な い」 と い う もので す。 断 片 的 な 知 識 を 山 ほど 持 ってい て も意 味 は 無 く 、 そ れ ら の 知 識 が実 体 験 と どう 関 係 し て い るのか。 そう し た た い と く 「 体 系 知 」 を 体 得 し な いと 、 知 は 完 成 し ない と い う考 え 方 です 。 ベ ルリ ン大 学 の 神 学 部 長 だ ったシ ュラ イエ ル マ ッハ ー は 、 実 学 を 教 える教 授 に も教 養 科 目 を 受 け 持 た せ た。 そ うし てさ ま ざ まな学 問 の交 流 をは か り 、 生 き た「 体 系 知 」 を 生 み 出 して こ そ 、初 め て 大 学 の存 在 意 義 がある と 彼 は考 え たわ け です 。こ れ が 19 世 紀 ド イ ツの大 学 教 育 を つら ぬく 方 針 にな っ たので す が、 こ の教 養 を 中 心 と し た「 体 系 知 」 を 重 ん じ た ド イ ツ は 2 0 世 紀 の主 役 と なり 、 21 世 紀 の 今 も、 ヨ ー ロッ パ で は 「ド イ ツ の 世 紀 」が 続 い ている と 言 っ ても 過 言 では ないで しょ う 。 私 た ちは普 段 、 無 意 識 の うち に、合 理 主 義 や近 代 的 な も のの 見 方 に もとづ いて 行 動 し て いま す 。しか しそれ らだけではと らえ きれな い こと が、 皆 さんの 実 生 活 にもあ ると 思 いま す 。凄 惨 で 不 可 解 な事 件 が 頻 発 する 時 代 、目 に見 え る ものだ けを とらえ ても のご と を 理 解 しよ うと して も、私 た ち人 間 には限 界 が ある こと に気 づか ねば な りませ ん。 -1- 〔解説〕おじいちゃんを亡くしたば かりの男の子。彼はある日、おじい ちゃんの部屋で一冊のノートを見 つけます。 「このあとどうしちゃおう」 そう 書かれたノートには、自分が将来死 んで来世に行ったらどうなりたい のか、そして残ったみんなにはどう してほしいのかが、おじいちゃんの 絵と文字でいきいきと描かれてい ました。それを読んで、男の子はと ってもわくわくしてきました。 そしておじいちゃんと同じように、 「このあとどうしちゃおう」ノートを作ろうとする男の 子。ところが、いざ何を書こうかと考えはじめると、今の自分に必要なのは別のノートだ と気づきます。 「自分が死んじゃったあとのことを考えようとすると、今生きているうちにやりたいこと がいっぱいあることにきづいた」 公園で遊ぶ男の子を描いた、最後のページ。 おじいちゃんの「このあとどうしちゃおう」ノートを読んだ人にだけ、その光景の中に、 男の子を見守るおじいちゃんの姿が見えるのです。 お盆参りの最中に紹介してもらった絵本です。小学校低学年向けですが、大人でも感動さ ★「このあとどうしちゃおう」 せられる素敵な絵本でした。(当寺院の本堂にも置いています) 作: ヨシタケシンスケ 出版社: ブロンズ新社 〔編集後記〕住職の大好きな大河ドラマ。特に今年の『真田丸』は脚本の妙もあ り、とても面白いものに仕上がっています。ところで真田と言えば「六文銭(ろ くもんせん) 」の家紋。あの六文銭はご存じのように三途の川の渡し賃で、たとえ 戦で命を落としても旗印としてそれを持っていれば、極楽浄土へいたる最初の関 門であるその川を無事渡れるというわけですね。現代の神戸地区においてこの風 習はありませんが、紙にこの六文銭を印刷し棺に入れる地方がまだたくさん残っています。合掌 〠 -2-
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