吉 田 松 陰 「 吉 田 松 陰 書 簡 」 安 政 6 ( 1 8 5 9 ) 年 3 月

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国
しきり
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しかれども
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くだされ
て くるし
いふ
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な お われの
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なれは叱られもせず、杉蔵
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たし。杉蔵
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吉田松陰「吉田松陰書簡」 安政6(1859)年3月
われ
国家天下の事、満鬱不平、吾
くだされたく
一日も此世に居る事を欲せす。早々
もうさずとも
一死を賜り候様、御周旋 被下度 候。
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心事は一々不申共 御察 被下 候 而 不
からず
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苦 候。杉蔵 頻 に母子の情を 云 、僕
すこぶる
頗 不満、 然 彼が母を思ふは 猶 吾
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くにをおもうがごとく
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思
一事さへ議論遅遠する程なれは
よく
政府何を 能 なさん。弁当事放囚事
承
うけたまわり
移局のこと一々出来るとなりと出来ぬと
なりと早々御決議
こ く そ う ふ いよいよ
母を奉する事、国相府 弥 御免なきに
また
於ては杉蔵も 亦 男児なれは余り
もうすまじく
未練は 申間敷 、杉蔵未練を
ゆうしゅうにありといえども わ れ あ に
止めさえすれは 雖 在 幽 囚 吾豈
せいしんなからんや
無 精 神 哉 、武士の一覚悟
きつ
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ごらんにいれもうすべく
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屹 と 入 御 覧 可 申 候事
来嶋君
小田村君
桂君
久保君
(以下略)
松陰男子