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MSM流通研究所・レポート
2016年8月①
松下対ダイエー戦争の本質を探る!
価格決定の主導権をめぐり30年間にわたり
対立した両社の和解に至る裏話を当時の
プロジェクトからふり返る。(東京/8月24日)
極秘でのプロジェクト名はDM(ダイエー・松下)研究会
という名称で8年間(1985年~1993年)に亘って開催さ
れました。当時の関係者が集結、何が語られたか?
大阪商業大学
中嶋准教授(聞き手)
↑左から佐々木博茂氏(元ダイエー副社長)、
佐久間曻二氏(元松下電器副社長)、三浦一光氏(元松下電器商事営業部長)
1964年(S39年)ダイエーの安売りに対し松下が出荷停止したことから対立が
始まった。1967年にはダイエーが独禁法違反の疑いで松下を公取委に提訴、
1970年に松下のヤミ再販行為に排除命令が出た。
ダイエーは1970年にPB商品「BUBU」名の13型カラーテレビ(クラウン製造)を
発売し、当時としては破格の価格で販売、松下との対立を更に深めた。
1980年代に入ると、ダイエーが既に松下との取引がある棒二森屋やユニード、
忠実屋を傘下におさめたことで、両社の取引関係に新たな課題が生まれた。・・
ダイエーと松下の正式取引に至るきっかけは?
1989年松下幸之助が死去、葬儀に出席したダイエー中内社長とサンケイ新聞
記者の会話が原因でDM研究会に2年間の空白が・・・・・・?
(仮称)「松下・ダイエー戦争の本質を語る」(大阪商業大学/中嶋准教授の
研究・監修)はMSM流通研究所より発行(冊子)する予定!