日本シミュレーション学会雑誌vol.4 掲載論文 (研修

実践報告
一般病院におけるシミュレーション研修センター運営の取り組み
橋倉泰彦1) 岡部由美1) 矢口博史1) 民谷さきえ1) 大神祥一郎1) 鈴木 亨2) 坂本広登3) 野村雅子4)
1) 医療法人丸山会 丸子中央病院研修センター 2) 同情報システム課
3) 松本市立病院外科 4) 埼玉医科大学総合医療センター新生児病棟
要 旨
地方の一般病院におけるシミュレーション医療教育の実践について報告した。
専用のシミュレーションセンターを
有しない、あるいは高機能シミュレーターを有しない環境においても、継続的な指導者育成とインターネットテレ
ビ会議システムの利用などにより、多職種に対するシミュレーション医療教育の実施が可能である。
キーワード: 一般病院、シミュレーションセンター
Management of a tentative simulation training center in a rural general hospital
Yasuhiko HASHIKURA1) , Yumi OKABE1), Hiroshi YAGUCHI1), Sakie TAMITANI1),
Shoichiro OGAMI1), Toru SUZUKI2), Hiroto SAKAMOTO3), Masako NOMURA4)
1) The Center for Medical Education, Maruko Central Hospital, Ueda, Nagano, Japan
2) The Department of System Engineering, Maruko Central Hospital, Ueda, Nagano, Japan
3) Matsumoto City Hospital, Matsumoto, Nagano, Japan
4) Saitama Medical Center, Kawagoe, Saitama, Japan
Abstract
We reported on a practice of Simulation-based medical education in a rural general hospital. This report shows the possibility
of implementation of Simulation-based medical education into a rural general hospital which does not have high-performance
simulators nor well established center facility. The continuous faculty development program for simulation educators of every
job categories and video conference system enable us to achieve this practice.
チーム医療を行うために、また職員が知識、手技、
対応について共有するために、一般病院におけるシ
ミュレーション医療教育への取り組みも必要である。
学習に関する心理学的研究において「失敗が許さ
れない組織では、逆に失敗が増える」と報告されて
いる2)ことを踏まえて、医療法人丸山会 丸子中央
病院(以下、当院)では「研修センターという失敗
が許される学習スペース」を設置しているので、そ
の実践について報告する。
緒 言
日本に Fundamental Simulation Instructional Methods
コース、Improved Simulation Instructional Methods コ
ース1)などが導入され、成人教育理論に基づいたシ
ミュレーション医療教育とその指導者育成が行われ
ている。これらは国内における医療教育の転換期を
形成し、その意義は大きいと考えられるが、この取
り組みは主に医療教育機関に限って行われているの
が現状である。
一方、附属看護学校などの教育機関を有しない医
療機関で働く職員は多様な教育背景を持つ。円滑な
29
5) インターネットテレビ会議システムの利用
研修室にウェブカメラを設置し、インターネット
回線を利用したテレビ会議システムを利用して、研
修室に隣接する会議室ならびに遠隔地の関連施設
(長野県、東京都、埼玉県の介護老人保健施設 5 施
設)への中継を可能とした。研修室を“病室”に見
立てた設定を行い、会議室(収容人員 80 名)および
遠隔施設の会議室にインターネット接続した PC と
プロジェクターおよび大型スクリーンを設置して
“見学室”とした。さらに、学習者の観察する視点
(cognition、認知)を中継においても明らかにする
目的で、小型のウェアラブルカメラも必要時に併用
している。デブリーフィングは会議室で行い、その
模様も関連施設へ中継した。
目 的
国内外での指導者講習会の受講を経て、著者らが
当院で実践しているシミュレーション医療教育の取
り組みについて報告する。
対象と方法
1) 当院の概要
、
当院は長野県上田市に所在し、一般病床(150 床)
医療療養病床(50 床)
、介護療養病床(97 床)から
なる。職員は医師 27 名、看護師 200 名、介護職員
200 名ほか計 510 名である。その他に関連施設とし
て介護老人保健施設(長野県、東京都、埼玉県に 5
か所)がある。
2) 研修センターについて
当院は平成 26 年 4 月に研修センターを設置し専
用の研修室を有する。研修センタースタッフは医師
1 名、看護師 1 名であり、いずれも日常の臨床業務
を兼ねているが、医師については週 2 日を研修指導
に充てるよう勤務上の配慮がなされている。この他
に、看護師、介護職員、薬剤師、検査技師、理学療
法士も必要に応じて研修業務に関与している。研修
センターは、医師、研修医、医学生、看護師、看護
学生、介護職員、薬剤師、検査技師、理学療法士を
はじめとする全職種を対象として、研修プログラム
を立案し、実施している。研修内容は、学生教育、
新人教育、再就職支援が中心である。
3) 指導者育成について
指導者育成は、院内研修会の開催(平成 26 年 4
、ハワイ大学 SimTiki シミュレー
月より年 4 回開催)
ションセンターへの職員派遣(延べ 6 名参加)
、なら
びに Fundamental Simulation Instructional Methods(2
名参加)
、Improved Simulation Instructional Methods(1
名参加)各コースへの参加などによった。これらの
指導者育成は、シミュレーターの導入前に開始し、
導入後も継続している。さらに埼玉医科大学、東京
医科大学、東京慈恵会医科大学のご好意による研修
の機会を継続的に恵与いただいている。また、平成
27 年 11 月には院内でシミュレーション医療教育に
関するシンポジウムを開催し、国内で指導的立場に
ある方々からのご指導をいただいた。
4) 指導教材について
可能なかぎり共通の教材を用い、知識、手技、対
応についての共有をはかっている。当院では出版社
と契約し、職員は院内外でオンラインテキストを閲
覧可能とした。これを、シミュレーション研修の事
前学習資料とし、その内容を A4 サイズ 2 枚以内に
要約して事前に学習者へ配布した。
結 果
当院では平成 25 年 5 月よりシミュレーション研
修会を開催し、それを受けて平成 26 年 4 月に研修セ
ンターが開設された。表 1 に平成 25 年からの研修会
参加者数を示す。延べ 681 人が参加した。第 1、2 回
では院外も含めて参加者募集を行ったところ、参加
者数が多く指導者側の負担が過大であったため、第
3 回以降は人数制限を行った。
研修内容として、採血、導尿、静脈路確保、筋肉
注射、皮下注射、口腔内吸引、心電図 12 誘導電極装
着、肺音聴取、腸音聴取を第 1,2,5,6 回において
シミュレーターを用いて行い、急変対応と多重課題
研修については、指導者が担当する模擬患者役を設
定した第 3,4,7 回で行った。各回とも 4 日間の日
程で、90 分の研修会を 1 日最大 4 枠で構成した。指
導者として各枠を 3~4 名が担当し、特にブリーフィ
ング、デブリーフィングに十分な時間を割り当てる
ことについてあらかじめ合意した。
指導者育成研修会へは、看護師 12 名、検査技師 1
名、理学療法士 1 名が継続的に参加した。いずれの
職種においても、指導者のデブリーフィング技術に
関する意識の向上がみられた。
看護師は各手技の追加研修を実施し、さらに要望
に基づいて急変対応研修の対象を介護職員にも拡大
した。薬剤師は薬剤の副作用としての間質性肺炎に
ついて肺音聴取を経験した。検査技師は採血手技の
研修を繰り返した。また理学療法士は体位変換、車
いす移乗などの技術について、看護師、介護職員へ
指導する体制を整備した。これらのいずれにおいて
も、指導者育成研修会参加者が指導を担当した。
30
表1 当院におけるシミュレーション研修会への職種別参加者数(各回とも4日間の合計人数)
看護師
第1回 平成 25 年 5 月
113
第2回 平成 25 年 7 月
131
第3回 平成 25 年 10 月
11
第4回 平成 26 年 1 月
31
第5回 平成 26 年 5 月
24
第6回 平成 26 年 7 月
28
第7回 平成 26 年 10 月
53
計
391
看護
薬剤師
学生
検査
理学
放射線
技師
療法士
技師
6
22
17
臨床
工学技
士
救急
衛生士
救命士
41
4
3
1
3
院外
歯科
1
看護師
ほか
63
226
10
186
6
20
34
42
64
3
1
4
12
1
2
12
1
27
54
32
65
32
1
86
66
1
1
1
3
107
681
オ作成」
、平成 27 年度は「デブリーフィング技術」
を研修テーマとした。
「シナリオ作成」において 3 例
の入院患者シナリオ(糖尿病患者の低血糖、肺炎患
者の呼吸状態悪化、認知症患者の安全確保)を作成
し、この 3 例について指導者育成研修会参加者が模
擬患者役となり、卒後 1~2 年目の看護師を対象に多
重課題研修会を行った。デブリーフィングまでを指
導者育成研修会参加者が行い、終了後に指導者全員
で研修を振り返った。
以下に、シミュレーション研修の実施例を提示する。
実施例 1) 介護職員に対する急変対応シミュレー
ション
対象は介護職員、シナリオは心肺停止への対応と
した。研修室を訪室した介護職員 1 名が急変に気づ
き、大声で会議室にいる介護職員 2 名の助けを求め、
その 2 名は救急カートと AED を持って駆けつける。
胸骨圧迫と人工呼吸は 3 名で行うものとした。事前
学習資料を図 1 に示す。
研修会は、まず会議室で参加者 60 人にブリーフ
ィング、次いで研修室においてシミュレーション 5
分間 3 サイクル、それぞれ 3 人ずつの学習者を変え
て行い(図 2)
、その模様はテレビ会議システムを介
して遠隔地を含む参加者全員が見学した(図 3)
。各
サイクル終了後に会議室において 10 分間のデブリ
。
ーフィングを行った(図 4)
実施例 3) シミュレーション医療教育シンポジウ
ムにおける演習の開催
医学部 3~6 年生に対して「高エネルギー外傷患
者への初期対応」のシナリオで演習を行った。指導
者は卒後 5 年目の外科医であり、ハワイ大学 SimTiki
シミュレーションセンター研修などの経験を有する。
指導者はブリーフィング、シミュレーション、デブ
リーフィングをシンポジスト、シンポジウム参加者
を前に実演し(図 5)
、その後に全体でデブリーフィ
ング技術を中心とする討論を行った。
実施例 2) 看護師に対する多重課題シミュレーシ
ョンとその指導者育成
指導者育成研修会では、平成 26 年度は「シナリ
介護職員のための急変対応研修会 (対応のポイント・事前学習資料)
①
②
③
④
⑤
⑥
計
急変に気づく、呼びかける「大丈夫ですか?」
大声で「誰か来てください!救急カートと AED を持ってきてください!」
呼吸(胸の挙がり)をみるなし
胸骨圧迫を開始する(深さ 5 センチ、100~120 回/分)
気道を確保する(枕をはずして下顎挙上)
バッグマスクで人工呼吸(圧迫 30:呼吸 2)
チェックリストとしても使用する。
図 1 介護職員向けの急変対応に関する事前学習資料。
31
図 2 病室に見立てた研修室での急変患者対応シ
ミュレーション。小型ウェブカメラ(矢印)が三
脚上に設置されている。学習者はウェアラブルカ
メラを装着しており(矢頭)
、指導者と見学者は
学習者の視点(cognition、認知)を観察するこ
とが可能である。
図 5 「第 1 回丸子中央病院シミュレーション医療
教育シンポジウム」における演習(デブリーフィ
ング)
考 察
地方の一般病院におけるシミュレーション医療
教育の実践について報告した。
実施例 1)においては、ウェブカメラの使用によ
り数多くの見学者がほぼ同じ条件で研修に参加する
ことが可能であり、サイクルを重ねるごとに学習者
の行動がスムーズになったものと指導者は判断した。
また、終了後の無記名式アンケートには、
「これまで
急変時に何も手伝えないことが心苦しかったが、こ
れからは積極的に対応に参加したい。
」などのコメン
トが記載された。介護職員 3 人による救急蘇生は医
療現場では考えにくい。しかし、この研修を医師、
看護師、介護職員の三者間で行う設定に比べると、
介護職員のみで研修を行う方が介護職員は自発的行
動を習得しうるものと考えてこのシナリオを作成し
た。このような研修はシミュレーション研修におい
てのみ実施可能であるとともに、現場で対応できる
救急蘇生メンバーの一員としての介護職員育成に貢
献しうると考えられた。
実施例 2)では、指導者としての技術を学んだ。学
習目標を明確にしつつシナリオを作成することにつ
いては、参加者に一定の理解が得られたものと考え
られたが、デブリーフィング技術については、なお
継続的な学習が必要である。あえてマネキンの使用
を避けたのは、指導者育成研修会において参加者か
らの自発的な提案が多く出されたことによる。たと
えばチアノーゼを表現するために水色のテープを唇
の形に切って自らに貼るなどの積極的な行動があり、
それらを是非とも伸ばしたいと考えた。
実施例 3)は、シミュレーション医療教育全体の
流れを参加者が共有し、デブリーフィング技術を中
心に院内外からの参加者が様々な意見を交わす場と
なった。
図 3 シミュレーションの様子は、隣接する会議室
(80 人収容可能)に中継される(矢印)
。小型ウ
ェブカメラとウェアラブルカメラのスクリーン画
像は切り替え可能である。これらの画像と音声は、
遠隔地にある関連施設へも同時中継される。
図 4 ブリーフィングおよびデブリーフィング
(円内)は会議室で行われる。
32
シミュレーション医療教育は指導者が持つ教育
理念の実践である。その内容はシミュレーターの有
無とはかかわりなく、指導者が学習者のニーズを熟
慮しながらシナリオを作成することから始まり、心
を込めたデブリーフィングによって学習者にどれだ
けの「気づき」を促せるか、という指導者側の努力
の証左である。各職種への適用範囲をさらに広げる
とともに、遠隔地にある関連施設との共同開催も推
進していきたい。
利益相反
特定の団体との利益相反はありません。
文 献
1)
2)
入江聰五郎:指導者養成.実践シミュレーショ
ン教育(志賀隆監修)
、メディカル・サイエン
ス・インターナショナル、東京、2014、p114-25.
福島真人:組織、リスク、テクノロジー.学習
の生態学(福島真人著)
、東京大学出版会、東
京、2010、p179-210.
【著者連絡先】
橋倉泰彦
医療法人丸山会 丸子中央病院
研修センター長・内科部長・健康管理部長
〒386-0405 長野県上田市中丸子 1771-1
Tel:0268-42-1111
E-mail:[email protected]
33