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公益財団法人大林財団
研究助成実施報告書
助成実施年度
2013 年度(平成 25 年度)
研究課題(タイトル)
古文献に基づいた千年持続している集落<千年村>の持続要因に関
する研究
研究者名※
清水
所属組織※
京都工芸繊維大学 工芸科学研究科
研究種別
研究助成
研究分野
都市建築史、都市と文化
助成金額
100 万円
概要
重敦
本研究は、日本の国土景観の基層をなしている、長期間にわたっ
て持続してきた集落・町並み・景域(本研究ではこれを〈千年村〉
と名付ける)について、山口市鋳銭司地区和西集落を具体的な対象
に選定し、その「歴史的持続」という事実に着目して評価・分析し、
持続の要因を解明することを目的とする。都市・建築学研究者だけ
でなく、造園学、民俗学、景観工学、歴史地理学各分野の研究者と
の共同により、地区の歴史的経緯を踏まえた上で、特に「環境」、
「集
落」、
「共同体」の観点からの分析を行った。集落の地理的環境と微
細な地域の地形、地質、気候特性、集落構造と家屋についての生活・
生業に根ざした分析、共同体についての総合的分析を、相互の関係
を意識しつつ行い、地理的条件との適合、国土の主要交通と集落の
関係、それらから引き出された共同体の個性と集落構造・民家形式
との関係を読み解いた。
発表論文等
※研究者名、所属組織は申請当時の名称となります。
(
)は、報告書提出時所属先。
1.研究の目的
本研究は、日本の国土景観の基層をなしている、長期間にわたって持続してきた集落・町並み・
景域(本研究ではこれを〈千年村〉と名付ける)について、対象を西日本に絞り、その「歴史的
持続」という事実に着目して評価・分析し、持続の要因を解明することで、今後の景域の持続に
向けた地域づくりに寄与することを目的とする。
歴史的価値を有し、今後の国土の景観形成の基盤となりかつ指針を抽出しうる地域は、文化財
保護法による重伝建地区や重要文化的景観の選定地区のような突出した価値を持つ地域に限ら
れるものではなく、むしろ平凡な集落や景観の中にも無数に存在する。近畿圏あるいは西日本で
はこのような集落・景観にも独特の個性が見出せるが、多くはいまだ価値を見出されずに眠って
おり、本研究ではそこに注目していく。
具体的な調査研究の対象として、山口県山口市鋳銭司(すぜんじ)地区和西集落を選定する。
鋳銭司は、平安時代に貨幣鋳造を司った役所である鋳銭司(じゅせんし)が設けられた場所であ
ることが考古学的に確認されている場所で(国指定史跡)、それを支えた集落があったと思われ
る村落である。その中でも和西集落は最も古い歴史を持つと言われている。古代に起源を持ち、
中近世から現代へと脈々と住み継がれてきたことが明確な地である。その景観は平凡でありなが
らも、よく見るとそこかしこに個性的な形が潜んでおり、千年村としての読解に適していると判
断される。また、今日では山陽新幹線や山陽自動車道といった国土スケールの動線が貫通してい
るものの、集落構造がいまもって持続していると見られる点に、千年村としての集落構造の強度
を有していることが予想される。
本研究では、この鋳銭司地区和西集落が持つ固有の集落構造の特性を明らかにし、そしてこの
村が住み続けられてきた理由を考察することで、千年続く村ならではの仕組みを繙いていくこと
を目的とする。
現地調査は、都市・建築学研究
者だけでなく、造園学、民俗学、
景観工学、歴史地理学各分野の研
究者との共同により実施すること
で、景域のインテグリティを意識
した多角的分析を行うとともに、
異分野の研究交流も進めていく。
景域の分析に際しては、地区の歴
史的経緯を踏まえた上で、特に「環
境」、「集落」、「共同体」の観点か
らの分析を行い、その成果を総括
して村落の持続要因を考察する。
図1
鋳銭司地区(黄色箇所)および和西集落の位置
(黄色箇所:鋳銭司地区、赤色箇所:和西集落)
2.研究の経過
本研究は、関東と関西にそれぞれ拠点をおいて活動を進める〈千年村運動体〉の関西斑によっ
て実施された。研究代表者は同運動体関西斑の取り纏め役を担っている。鋳銭司和西地区におけ
る現地調査は、YCAM(山口市立情報芸術センター)との共同調査として実施した。この体制に
より、地域住民の全面的な協力を得、地域の実態に即し、また地域の今後のまちづくりに資する
調査研究が可能となった。また、次年度に調査成果をYCAMにおける展示に結びつけることも企画
している。
研究は〈千年村運動体〉関西斑の会議開催により調査方針、対象地選定、調査成果の分析を進
め、そして関東斑との合同会議を開催して成果の洗練と〈千年村運動体〉としての情報共有を図
った。
山口市鋳銭司和西地区で実施した現地調査の経緯は以下の通りである。
・パイロット調査 2014年12月13〜14日
4名 鋳銭司全体の巡見とヒアリング、調査対象地区
の絞り込み
・本調査 2015年2月5〜9日
14名
和西地区における民家、土地利用、景観、民俗等の現地調
査
2 月 5 日 和西会館にて地域住民への説明会
2 月 6 日 YM家の実測調査を中心に、実測、聞き取り調査等を実施
2 月 7 日 KK家の実測調査を中心に、実測、聞き取り調査等を実施
2 月 8 日 焼畑堤の火入れ作業の見学、周辺地域の巡見、鋳銭司地域交流センターにて報告会
2 月 9 日 周辺地域の巡見
調査には研究代表者を含む以下に示す千年村運動体関西班及び関東班の12名とYCAM所属の2名
が参加した。
千年村運動体
内山 愉太 (大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所 プロジェクト研究員)
惠谷 浩子
(奈良文化財研究所
菊地 暁
(京都大学人文科学研究所
岸本 太幹
(早稲田大学大学院 創造理工学研究科 建築学専攻
修士 1 年)
小林 千尋
(早稲田大学大学院 創造理工学研究科 建築学専攻
修士 2 年)
清水 重敦
(京都工芸繊維大学
庄子 幸佑
(香川県総務部営繕課
田熊 隆樹
(早稲田大学大学院 創造理工学研究科 建築学専攻
林 憲吾
(大学共同利用機関法人 人間文化研究機構
福島 加津也(東京都市大学
文化遺産部景観研究室
研究員)
助教)
大学院工芸科学研究科
准教授)
技師)
工学部建築学科
修士 1 年)
総合地球環境学研究所 プロジェクト研究員)
講師)
福嶋 啓人
(京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 博士後期課程)
本間 智希
(奈良文化財研究所
文化遺産部景観研究室
研究補佐員)
YCAM
井高 久美子(山口情報芸術センター[YCAM]・キュレーター)
高原 文江
(山口情報芸術センター[YCAM]・InterLab)
3.研究の成果
鋳銭司地区和西集落を現地調査するにあたり、環境、集落、共同体の3つの観点から調査を実
施した。順に調査成果を記す。
A
環境
地区の環境を分析するにあたり、気候、地形、交通、人口、生業といった地理情報を押さえた
上で、特に集落と地形及び気候との関係に着目して考察を掘り下げた。
和西集落の地形的特徴は、和西川を中心とする低地とその南の洪積段丘とに分かれる。和西川
の上流には、焼畑堤と呼ばれる溜池がある。この溜池は、同じ鋳銭司地区にある 1651 年に築造
された長沢池と同時代の築造とされ、低地に広がる水田にとって重要な水の供給源となってい
る。
今回の聞き取り調査によって、図 3 の黄色い丸で囲った民家が、本家であることが明らかとなっ
た。これらの民家は、低地側に位置するが、和西川の上流を中心として円弧状に立地している。
これらの地点は、和西川を中心とするミニ扇状地(図 3:黄色部分)の扇端にあたると考えられ
る。扇状地の扇端は、井戸水や湧水が得やすいため、生活にとって有利な場所である。また、こ
の地点より下流が氾濫源だと推察され、焼畑堤が築堤される以前は、この扇端が水田と畑地利用
との境界であったと考えられる。
鋳銭司地区は、中世以降は、稲作が生業の中心になったとされる。しかし、山口市教育委員会
『周防鋳銭司跡』
(1978)が言及するように、この地区は、水利上、恵まれた場所ではない。地
区内の河川は、流路が短く、灌漑するための水量が十分でない。そのため、溜池をつくることで、
生産に必要な水を確保してきた。鋳銭司地区内には、1970 年の時点で、108 もの溜池があること
が確認されている。
和西集落も、同様の条件を有している。地区内を受水区域とする短小な河川しかなく、さらに、
その小河川も下刻している。そのため、焼畑堤への依存度が高く、溜池が谷を堰き止めて築造さ
れてから、水利に見合う開田がすすめられてきたと考えられる。
和西集落は、安定的な
水供給がされにくく、農
業に不利な条件を有する
地域といえるかもしれな
い。このことが、同集落
で雨乞いの慣習が継続ま
たは重視されやすい条件
になっていることも考え
られるが、環境と共同体
の活動との関係について
は、今後さらなる検討が
必要である。
図2
和西集落の地形的特徴と集落立地
(黄色部分:ミニ扇状地、水色部分:洪積段丘)
B
集落
集落については、環境条件を踏まえた上で、集落構造と民家の特徴を詳しく分析し、和西集落
の特性の抽出につとめた。また、集落の氏神である熊野神社の参道配置を考察した。
和西集落は、南北に流れる金毛川と東西に流れる和西川が合流する位置に立地し、集落内の立地
によって「上組」
「中組」
「下組」
「前組」
「後組」の 5 つの組によって構成されている。概ね地形
条件に対応した集落構成になっている。中で注目されるのが「後組」で、裏山に対して家屋が道
を挟んで配置されており、宅地よりも古道が優先されるこの地の特性を読み取ることが出来る。
宅地内では、寄棟造の母屋が中央に南向きに置かれ、その東側に寄棟または切妻の納屋が直行
するかたちで配置される。母屋は徹底して南面配置がとられ、道が宅地の北側に接続している場
合でも、宅地外縁を回って南側からアプローチをしたり、また連続した宅地の場合は隣家の前庭
を通過して自分の敷地に入るなど、南面配置に強い拘束力が認められる。
民家については、地区の形式を典型的に表す2軒の実測調査をおこなった。集落の民家に共通
して見られる特徴に、正面の庇下空間である「屋垂れ」と、内部正面側に並ぶ2室である「イノ
マ」と「オモテ」が注目された。この地域には正面に縁側がなく、「屋垂れ」は広い土庇状をな
す。「イノマ」及び「オモテ」は、家の入口とは別に「屋垂れ」から直接入ることが出来るよう
になっており、特に「オモテ」には靴脱ぎの石まで構えられている。聞き取りによれば、「イノ
マ」は米の収穫時に玄米を格納した室、「オモテ」は信仰・宗教行事時の出入口となる室であっ
た。生業に関わる空間と信仰・宗教に関わる
空間が並立され、それを統合する建築装置と
して「屋垂れ」があることになる。この「屋
垂れ」に注目すると、母屋に限らず、納屋に
も「屋垂れ」が設けられ、集落中に「屋垂れ」
が多数設けられていることが確認された。こ
うした点から集落の特性を読解していくこと
で、和西集落の特性抽出が可能になるものと
推察される。
図4 和西集落の民家配置
図3
図5
和西集落の組構成
民家母屋正面の「屋垂れ」
熊野神社は、社殿が西を向き、八鬼山から西南西の方向へ参道が真っすぐ伸びている。これは尾根
筋に沿うように東西に展開する和西集落とほぼ平行しており、集落との関係が不自然に見える。これ
については、周防鋳銭司に関連してこの神社が配置されたものと推察した。
図6
C
熊野神社の参道軸線と鋳銭司
共同体
共同体については、地区の生業、社会組織、信
仰行事につき、主に聞き取り調査によって分析を
おこなった。
戸数 40 戸弱の当集落の主な生業は稲作である
が、戦後はタバコ栽培が広まった。他にも酪農が
一部で行われ、副業で養鶏、養蚕、瓦焼きなどが
行われた。また、職人仕事が多く、出稼ぎが多い
ことも注目された。稲作を中心としつつも、副業
や村外への出稼ぎで不足を補ってきた、というの
図7
焼畑堤の野焼き
が和西集落の基本的な生業パターンであり、環境
条件との適合が指摘できる。
社会組織については、同族の比重が低く、近隣
の10戸弱の家々からなる「組」の単位に強い結
びつきが見られた。「上組」
「中組」
「下組」
「前組」
「後組」の5つに分けられている。冠婚葬祭の互
助組織となったほか、神社その他の信仰行事に関
しても、組を単位とした当番制となることが多い。
このほか、水利に関しては、和西の全戸が「焼畑
堤」を利用している。
「組」を基本とした総体的に
フラットな構成となっている点に当集落の特質が
図8
ニッサンサマ
見られた。
信仰行事には、家単位で行われるもののうち、本家筋にあるとされる「地主様」、組を単位と
する地蔵講、集落全体でおこなわれる「ニッサンサマ(日参様)」が特徴的である。概ねフラッ
トな当番制による行事が多いなか、
「後組」の熊野神社に対する関係がやや特殊で強固な点が興
味深い。後組には「宮坊主」という役名や「阿闍梨」という屋号の家の存在など、仏教の影響を
思わせる痕跡が残されており、文書館に残された碑文の写しによると、近世期は神仏集合の熊野
権現が祀られていたと推測される。
以上の環境、集落、共同体に関する調査と分析を踏まえて、本集落における千年村としての特
徴につき、以下のように総括した。
和西の集落配置と水田は、地形の特性とよく対応している。和西川がつくり出した扇状地の地
形は、集落内の本家の立地とよく対応しており、本家が立地するラインを境に、かつては土地利
用にも差異があった可能性をうかがわせる。そして、現在家屋が集中する東西道路に沿った上
組・中組・下組は、東西に延びる微高地上に立地しており、こちらも理に適っている。自然・環
境条件に寄り添うように居住と土地利用がなされていることが理解される。
この中で特に注目される景観的な特徴の一つが道路と集落の関係である。谷地形を横断するよ
うに通された主要道路と集落構成との関係は、簡単に理解することが難しい。集落の外れに、集
落の軸線とはことなる向きで熊野神社の軸線が通ることもまた同様である。今日では、山陽新幹
線、そして山陽自動車道が集落内を横切って通されてもいる。これは、この集落が国土の主要交
通動線に寄り添うように存在し続けてきたことを露わにする。
もう一つが民家の空間構成と独特の信仰形態との関係である。和西の民家を特徴付ける2つの
室である[イノマ]と「オモテ」は、生業としての稲作と、「ニッサンサマ」を代表とする信仰
のあり方とそれぞれ結びつきながら、並立されている。単に分節されるだけでなく、それを母屋
の正面の土庇である「屋垂れ」が統合している。この「屋垂れ」は、集落のあり方を象徴的に示
す装置とみることができるだろう。このことに気付くと、集落のそこかしこに「屋垂れ」がある
ことに気付く。日常と非日常をともに抱え込む空間としての屋垂れは、この集落を強く特徴付け
るものであろう。それは、異なるものやことを共存させる仕組みと言い換えることができるだろ
う。これを現時点での村の特徴に関する仮説として提案しておきたい。
4.今後の課題
本研究は、千年村の持続要因を探るべく、山口市鋳銭司地区和西集落という一つの具体的な事
例を取り上げて考察を行ったもので、その成果は当然ながら限定されたものである。本研究は上
述の通り〈千年村運動体〉の関西班として実施したものであり、この成果を関東班の成果と重ね
合わせ、千年村の事例を豊富に集めた上で、考察を深めていく作業が今後必要となってくる。今
後は、関西の特性を活かした、考古学的情報や文献情報による根拠が明確な千年村の調査を重ね
ることで、地域の持続徳性の考察を深掘りしていくことが必要となる。本研究はいわばパイロッ
トプランとして、今後の研究の指針を与えるものとなったと考えている。