マイクロ波単一光子の高効率検出を実現-マイクロ波光子を用いた量子

PRESS RELEASE
2016 年 7 月 25 日
理化学研究所
東京大学
東京医科歯科大学
マイクロ波単一光子の高効率検出を実現
-マイクロ波光子を用いた量子通信、量子情報処理へ応用-
要旨
理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター超伝導量子エレクトロニク
ス研究チームの猪股邦宏研究員、中村泰信チームリーダー(東京大学先端科学
技術研究センター教授)、東京医科歯科大学の越野和樹准教授らの国際共同研
究グループ※は、超伝導回路上に「人工Λ(ラムダ)型原子[1]」を実装し、その
特性を応用することで、「マイクロ波単一光子[2]」の高効率検出を実現しまし
た。
超伝導回路によって構成される超伝導量子ビット[3]は、次世代のコンピュータ
として期待される量子コンピュータ[4]の最も有力な最小構成要素として注目さ
れています。超伝導量子ビットの制御や状態の読み出しには、その励起エネルギ
ーに近いマイクロ波(周波数:数 GHz~数十 GHz、GHz は 10 億 Hz)が用いられ
ます。マイクロ波の“量子”であるマイクロ波光子の高効率検出や生成といった
基盤技術は、量子コンピュータの早期実現やマイクロ波量子光学の発展に貢献
すると期待されています。しかし、量子暗号通信[5]分野などで用いられる近赤外
光子(周波数:数百 THz、THz は 1 兆 Hz)と比較して、エネルギースケールが
4~5 桁小さなマイクロ波光子の高効率検出は、これまで困難を極めてきました。
今回、共同研究グループは、超伝導量子ビットの一つである磁束型量子ビット
[6]
とマイクロ波共振器[7]がコンデンサを介して結合した実験系を作製し、量子ビ
ットに適切な周波数・強度をもつ外部電磁波を照射して人工Λ型原子を実装し
ました。そしてこのΛ型原子に共鳴する信号マイクロ波光子を入射し、誘起され
るΛ型原子の状態遷移を検出することで、マイクロ波単一光子を高効率で検出
することに成功しました。マイクロ波単一光子の検出効率は 66±6%に達し、こ
の効率は現在のところ世界で最も高い数値となっています。
今後、マイクロ波単一光子の高効率検出技術は、マイクロ波光子を用いた量子
通信や量子情報処理、さらには量子コンピュータへの応用が期待できます。
本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費助成事業、革新的研究開発推進プ
ログラム(ImPACT)、情報通信研究機構高度通信・放送研究開発委託研究「量子
もつれ中継技術の研究開発」、文部科学省イノベーションシステム整備事業とし
て行いました。
本成果は、英国のオンライン科学雑誌『Nature Communications』
(7 月 25 日付
け)に掲載されます。
1
※国際共同研究グループ
理化学研究所 創発物性科学研究センター
超伝導量子エレクトロニクス研究チーム
研究員
猪股 邦宏 (いのまた くにひろ)
特別研究員
Lin Zhirong (リン・ツーロン)
チームリーダー
中村 泰信 (なかむら やすのぶ)
(東京大学先端科学技術研究センター 教授)
超伝導量子シミュレーション研究チーム
チームリーダー
蔡 兆申
(ツァイ・ジャオシェン)
(東京理科大学 教授)
東京医科歯科大学
准教授
越野 和樹 (こしの かずき)
マサチューセッツ工科大学
教授
オリバー・ウィリアム(Oliver William)
日本電気株式会社
主任研究員
山本 剛
(やまもと つよし)
背景
量子光学分野を筆頭に、量子暗号通信、微弱光通信、蛍光測定などのさまざま
な分野において、光子を高効率で捕捉し検出する高性能な光子検出器が求めら
れています。これらの分野では、通信波長帯(波長 1,550nm、周波数 193THz、
nm は 10 億分の 1m、THz は 1 兆 Hz)の光子が主に用いられ、光子の高効率な検
出は、半導体や超伝導体を用いることによって既に実現されています。
一方、超伝導回路によって構成される超伝導量子ビットは、次世代のコンピュ
ータとして期待される量子コンピュータの最も有力な最小構成要素として注目
されています。近年、超伝導量子ビットとマイクロ波光子(数 GHz~数十 GHz、
GHz は 10 億 Hz)のコヒーレント(位相がきれいに保たれている状態)相互作用
が実証され、マイクロ波を介した超伝導量子ビットの状態制御や読み出しとい
った量子コンピュータ実現のための研究が進められています。このような研究
の発展とともに、
「マイクロ波単一光子」検出の必要性が高まっています。しか
し、マイクロ波光子のエネルギーは、量子暗号通信分野などで用いられる近赤外
光子(周波数:数百 THz、THz は 1 兆 Hz)と比較してエネルギースケールが 4~
5 桁小さく、その検出は困難を極めていました。
研究手法と成果
国際共同研究グループは、超伝導量子ビットの一つである磁束型量子ビット[8]
とマイクロ波共振器がコンデンサを介して結合した実験系を作製しました(図
1(a)、(b))。そして、この実験系の磁束型量子ビットに適切な周波数と強度をも
つ外部電磁波を照射することにより、磁束型量子ビットとマイクロ波共振器と
2
のエネルギー準位を利用し、人工的に「Λ(ラムダ)型原子」のエネルギー準位
構造を実装しました(図 1(c)“Λ状態”)。
状態|1〉にあるΛ型原子に対して、それに共鳴する(|1〉→|4〉遷移のエネルギー
をもつ)信号マイクロ波光子を入射すると、Λ型原子は|1〉→|4〉→|2〉の経路を経
て 100 %の確率で状態|2〉へと遷移します。一方、入射したマイクロ波光子は、
遷移に伴う周波数下方変換(周波数=エネルギーの減少)を受け、人工Λ型原子
から放出されます。このプロセスによって、磁束型量子ビットとマイクロ波共振
器の結合系の状態は、基底状態(|g, 0〉)から磁束型量子ビットの励起状態(|e,
0〉)へ遷移します。マイクロ波単一光子の検出は“読み出し状態”において、磁
束型量子ビットの励起状態を読み出すことで行われます(図 1(c))
。
図 1 マイクロ波単一光子検出器の概念図
(a) マイクロ波単一光子検出器の等価回路図。超伝導材料のニオブ薄膜からなるマイクロ波共振器とアル
ミニウム薄膜からなる磁束型量子ビットが、コンデンサを介して結合している。
(b) デバイスの顕微鏡写真。分かりやすいように、入力ポート(水色)、共振器(緑色)、駆動ポート(赤
色)にそれぞれ色付けし、(a)と対応させている。
(c)
磁束型量子ビットと共振器が結合することによって形成される、マイクロ波光子検出器のエネルギー
準位図(
“初期状態”と“読み出し状態”
)
。磁束型量子ビットに適切な周波数と強度の外部電磁波を照
射することにより、
“Λ状態”のエネルギー準位を実現する。このとき、|1〉、|4〉、|2〉三つの準位に
よって人工Λ型原子が実装され、この原子に共鳴する信号マイクロ波光子(水色矢印)の入射に対し
て、|1〉→|4〉→|2〉の遷移が引き起こされる。信号マイクロ波光子は周波数下方変換を受け、人工Λ型
原子から放出される(緑色矢印)
。
図 2(a)は、信号マイクロ波周波数と駆動マイクロ波強度を変化させながらΛ
3
遷移による磁束型量子ビットの励起確率を測定し、それをもとに評価したマイ
クロ波単一光子の検出効率を示したものです。信号マイクロ波光子周波数が人
工Λ型原子と共鳴する 10.268 GHz のときに、検出効率が最大となっていること
が分かります。図 2(b)は、(a)を 10.268 GHz で切り出した断面図です。この図よ
り、今回の実験において、マイクロ波単一光子の最大検出効率は 66±6%に到達
したことを確認しました。
図 2 マイクロ波単一光子の検出効率
(a) 信号マイクロ波周波数と磁束型量子ビット駆動マイクロ波強度に対するマイクロ波光子検出効率の実
測値のプロット。人工Λ型原子の共鳴周波数である 10.268 GHz 付近の信号マイクロ波光子に対して、
高い光子検出効率を示す。
(b)
(a)の図を 10.268 GHz において横軸に沿って切った断面図。最大 66±6%のマイクロ波光子検出効率
を達成した。
また、今回実現したマイクロ波単一光子検出器において、光子を連続検出する
ために必要となる検出器のリセット(光子検出後に図 1(c)の“読み出し状態”を
“初期状態”に戻す操作)にも成功しました。
今後の期待
本研究では、超伝導回路上に実装した人工Λ型原子の特性を利用することに
よって、光通信などで用いられる近赤外光子と比較してエネルギースケールが 4
~5 桁小さなマイクロ波単一光子の高効率検出に成功しました。この技術は、今
後、マイクロ波光子を用いた量子通信、量子情報処理、さらには量子コンピュー
タへの応用が期待できます。
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論文情報
<タイトル>
Single microwave-photon detector using an artificial -type three-level system
<著者名>
K. Inomata, Z. R. Lin, K. Koshino, W. D. Oliver, J. S. Tsai, T. Yamamoto, and Y.
Nakamura
<雑誌>
Nature Communications
<DOI>
10.1038/NCOMMS12303
発表者
<発表者> ※研究内容については発表者にお問い合わせ下さい
理化学研究所 創発物性科学研究センター 超伝導量子エレクトロニクス研究チーム
研究員
猪股 邦宏(いのまた くにひろ)
チームリーダー
中村 泰信(なかむら やすのぶ)
(東京大学先端科学技術研究センター教授)
東京医科歯科大学
准教授
越野 和樹 (こしの かずき)
猪股 邦宏
中村 泰信
越野
和樹
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補足説明
[1] Λ(ラムダ)型原子
Λ型の遷移経路を持つ三準位原子。通常、三準位のうち最も高い準位が励起準位、残
りの二つの準位が基底準位となる。Λ型原子に共鳴する光子(励起準位とどちらか一
方の基底準位間のエネルギー差に等しいエネルギーを持つ光子)が入射されると、Λ
型原子の状態は一方の基底準位から励起準位を経て、他方の基底準位へ遷移する。こ
の際、励起準位と他方の基底準位間のエネルギー差に等しいエネルギーを持った光子
が放出される。
[2] マイクロ波単一光子
マイクロ波領域のエネルギーを持った光(=電磁波)の量子。
[3] 超伝導量子ビット
超伝導回路によって構成される量子情報の最小単位。量子力学的な二準位系(人工原
子)として振る舞い、その状態は状態ベクトルで表される。0 と 1 の二値のみしか取
ることができない古典ビットとは異なり、量子ビットは 0 と 1 の他に両者の量子力
学的重ね合わせ状態も取ることができる。
[4] 量子コンピュータ
多数の量子ビットを集積することにより構成される次世代のコンピュータ。量子ビッ
トの特性である「量子力学的重ね合わせ状態」を利用することにより、量子ビット数
n の量子コンピュータにおいて 2n の超並列計算を可能にすることが理論的に示され
ており、素因数分解やデータベース検索といった従来のコンピュータが苦手とする問
題に威力を発揮すると期待されている。
[5] 量子暗号通信
光子を利用することによって、送信者と受信者で共有する秘密鍵(情報量と同じ長さ)
を安全に送信する通信システム。現在主流である公開鍵暗号は、公開鍵の解読に膨大
な計算時間がかかるためにその安全性が保証されている。
[6] 磁束型量子ビット
超伝導量子ビットの種類の一つ。ジョセフソン接合と呼ばれるトンネル接合を 3~4
個含む超伝導体のループを基本構造とする。
[7] マイクロ波共振器
マイクロ波帯の光(=電磁波)のエネルギーをある時間だけ閉じ込めておくことが可能
な高周波デバイス。本研究で用いたマイクロ波共振器(図 1(b)
)は,10.256 GHz の
マイクロ波のエネルギーをおよそ 10 ナノ秒閉じ込めておくことができる。
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