Title 精神分析理論における抑うつと記憶 −アタッチメント研究を媒介にした 力動的精神医学の復権を目指して− Author(s) 三上, 謙一 Citation 学校臨床心理学研究 : 北海道教育大学大学院教育学研究科学校臨床心理 学専攻研究紀要, 13: 15-24 Issue Date 2016-03 URL http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/7943 Rights Hokkaido University of Education 精神分析理論における抑うつと記憶 −アタッチメント研究を媒介にした力動的精神医学の復権を目指して− 上 謙 一 Depression and Memoryin Psychoanalytic Theory LAn Aim toward Restoration of Dynamic Psychiatry throughAttachment ResearchT とになるのである.このようなFreudの理解は 1.精神分析≡理論における抑うつの理解 彼の対象関係論への道を開くものであったと考え (り 精神分析的抑うつ理論の基礎 られる. 精神分析理論には様々な学派が存在することか その後,Klein(1940)は「後の人生で悲嘆の体 ら,抑うつに関する理論も学派によってかなり異 験をする時は幼児期早期の喪の体験がいつも蘇 なる面がある.しかし,その出発点はFreud る」(翻訳版p.124)と主張した.これはKleinが (1915)の「喪とメランコリー」という論文にある. 1935年に提唱した「抑うつポジション」という概 Freudは喪とメランコリー,つまり抑うつとを比 念と関連している.Kleinは抑うつポジションに 較して,「襲の場合には世界が貧しく空虚になっ ついて「赤ん坊の体験する抑うつ感情はまさに離 ていたのだが,メランコリーの場合には自我自身 乳期やその前後に頂点に連」し,そこでは「幼児 が空虚になる」(p.277)と両者の違いを指摘して の心の中で乳房とミルクを意味するすべてのもの, いる.そしてメランコリー患者が見せる激しい自 すなわち愛情,善良さ,安全感など」が失われた 己非難について「愛情対象への非難がその対象か と感じ,しかも「母親の乳房に向けられた赤ん坊 ら離れて患者本人へと転換されるものだ」(p. 自身には,抑えることのできない食欲で破壊的な 280)という理解を提示している. 空想と衝動のせいで失われた,と感じられるので ある」とまとめている(翻訳版p.124). その背後にあるメカニズムは以下のようなもの である.すなわち,患者がある対象に向けていた このような抑うつ感情を子どもが克服していけ リピードが何らかの理由で撤去された場合,それ るかどうかを左右するのは養育者との体験である が別の対象に向けられるのではなく,断念された とKleinは考えた.Klein(1940)によれば,「種々 対象へ自我が同一化するためにこのリピードが用 の幸福な体験を通じて,愛情と信頼が増し恐怖が いられる.それによって「対象の影が自我の上に 減ることは,赤ん坊が抑うつと喪失感(喪)を一 落ちて」,自我はあたかも見捨てられた対象のよ 歩一歩克服していくのに助けとなる」.逆に不満 足な体験が多い場合,「アンビヴアレンスが強く うに見なされる.結果として,「対象喪失は自我 喪失へと転換され,自我と愛された人物との間の なり,信頼と希望が弱まり,内部破滅と外からの 葛藤は,自我批判と同一化によって変容された自 迫害の不安とが頭をもたげてくることになる」と 我との間の内的葛藤へと転換」(p.281)されるこ 述べている(翻訳版p.125). *KenichiMIKAMI:北海道教育大学保健管理センター キーワード:抑うつ、手続き記憶、アタッチメント研究 15 学校臨床心理学研究 第13号(2015年度) Kleinは「躁うつ病者と正常な喪に失敗した人 子どもは悲しみを示し,母親を取り戻そうと試み は,防衛の面で両者の間に大きな違いがあるもの る.次に絶望の段階では非活動的になり,要求を の,両者とも,幼児期早期に内的な‘よい’対象 示さなくなる.子どもは深い悲哀の状態にあるよ を確立することができず,したがって自己の内的 うに見える.最後に脱アタッチメントの段階では 世界に安心感を持てないでいる」という共通点が 周囲により多くの興味を示し,母親が戻っても知 あると述べている(翻訳版p.155).つまり,両 らないかのように振る舞う. 者ともに抑うつポジションを本当に克服できなか Bowlby(1973)は子どもの観察から導き出され ったと考えられるのである.逆に正常な襲を遂げ たこれら3つの段階が精神分析理論における中心 られる人は,愛する対象の喪失によって復活した 的問題と関連していると指摘している.すなわち, 幼児期早期の抑うつポジションを幼児期と似た方 抵抗は分離不安と,絶望は悲嘆griefと喪mourn− 法で克服できる.「最近失った人物とともに‘よ ingと,そして脱アタッチメントは防衛と関連し い’両親をも自分の中に復元することによって, ていると考えられるのである.そして精神分析理 さらに破壊され危険な状態にある自らの内的世界 論では分離不安,悲嘆と襲,そして防衛は別個の を再建することによって,悲嘆を克服し,安全感 問題として捉えられているが,Bowlbyはこれら を自分のものとし,そして真の調和と心の平和に を一連の過程として捉えることが重要であると論 達するのである」(翻訳版p.155).このように じている.しかし,精神分析ではこれらは逆の順 KleinはFreudの理解をさらに押し進め,早期の 序で,つまり最初に防衛が見出され,分離不安は 対象関係の在り方がその後の人生で喪の仕事に失 最後に見出されることになった.というのも,「医 敗して抑うつへと陥る事態に関与していることを 学の歴史においては,最初に見いだされるところ 明らかにした. のものは病理的経過の結末であることが常であっ た」からである(翻訳版p.30).Bowlbyによれ このような早期の対象関係と抑うつとの関連は 精神分析的な視点から母子観察研究を行った研究 ば長い時間をかけて最終的にFreudは「不安は 者からも後に報告されている.例えば,Spitz& 対象喪失の危険性に対する反応であり,悲哀の苦 Wolf(1946)は母親と約6ケ月良い関係を持った乳 痛(painofmourning)は対象喪失の事実に対する 幼児が母親から分離されると,様々な心身症状を 反応であり,防衛は不安と苦痛に対処する方法で 示すようになることを報告した.例えば,最初は ある」という結論に至ったのである(翻訳版p. 泣きやすく気難しくなり,体重が減少して睡眠障 32). このようなBowlbyの理解に基づけば,Freud 害に陥り,その後3ケ月経つと周囲への関心を失い, 運動が綬慢になり無表情でうつろになる,という に始まる伝統的な精神分析理論は抑うつを正常な ものである.Spitzはこれを依託うつ病anaclitic 喪の過程の失敗という「出口」から研究して抑う depressionと呼んだ. つに関する理論を構築してきた.Bowlbyらの現 またMahler(1968)は分離一個体化理論に基づ 代的な母子直接観察研究はその過程を「入口」か いて次のように論じた.もし再接近期に母親が子 ら研究することによって,抑うつに至る病的な喪 どものニーズに適切に応答できないと,子どもは の過程が正常な過程といかに異なるのか,そして 自尊心を確立できなくなるため,他者から過剰な その過程での養育者の反応の役割を明確にしたと 承認を必要とするようになる.そしてその他者か 言うことができるだろう. らのサポートがなくなると,抑うつに陥ることに なる,と考えられるのである. (2)精神分析的抑うつ理論の展開 BowlbyはRobertsonとの共同研究で,施設で Fr・eudからKleinへと受け継がれた抑うつに関 保護されている子どもたちの分離反応を観察した. する理解はBionのコンテイナー/コンテインド その結果,子どもの反応は「抵抗」「絶望」「脱ア モデルを経由してさらに洗練されることになる. タッチメント」の3段階を経ることを提唱した ここでは松木(2007)の理解を基にその展開を整理 (Robertson&Bowlby,1952).抵抗の段階では, したい. 16 精神分析理論における抑うつと記憶 性の昏迷という臨床として観察される.このよう 松木(2007)は「抑うつ」を「こころが悲哀の仕 な壊れた状態からの回復の試みとして一次過程思 事や感情にもちこたえられないときに体験される こころの痛み」と見なしている.そこでは正常な 考に基づいて罪業妄想,貧困妄想,不死妄想,心 悲哀の過程が進む代わりに,「様々な形態での自 気妄想などが出現する. このようにコンテイナーが精神病的妄想一分裂 己愛的な退避や逸脱」が生じているのである.こ 水準であるという点では統合失調症と共通してい のような退避や逸脱が起きると,こころの機能が 現実原則に基づいた二次過程から快感原則に基づ る.しかし,精神病性うつ病ではコンテインドさ いた一次過程に退行する.退避や逸脱は具体的に れているものが抑うつ不安であるのに対して,統 は以下のような表れ方をする. 合失調症では原始的迫害不安がコンテインドされ ているという点で両者は異なっている. ・心的機制がより具体化して働く. ・自己と対象の融合が起こりやすくなる. ② うつ病と躁うつ病 松木によればここではコンテイナーとしてのこ ・感情の洗練・分化度が下がり,原始的になる. ころは「硬化」している.つまり,「規律や道徳 ・象徴を活用する抽象思考が働きにくくなり, 心的空間の容量が小さくなる. といった外的秩序に敏感かつ厳格なこだわりを内 側に保持」しており,それゆえに完全な達成を求 ・妄想一分裂的機能水準で作動しやすくなり, めて融通がきかず,空想にふけったり,情緒的交 被害感や分裂,投影の傾向が高まる. 流を排除しがちである.このような「(とくに内 この状態を「コンテイナー/コンテインド」と 的対象)喪失を防衛するこころの堅い生き方を積 いう関係から見ると,こころというコンテイナー み重ねてきている」のが特徴である. 精神病性うつ病の場合は「対象喪失そのものを (包み込むもの)が悲哀の感情というコンテイン ド(包み込まれるもの)をコンテインできていな 含む現実外界の拒絶,否認」が見られるのに対し い状態と理解できる.そしてこの「コンテイナー て,うつ病と躁うつ病では「対象喪失に基づく悲 ーコンテインド」の関係に応じて抑うつの病理を 哀や怒りという感情の否認」が見られるという違 松木は以下の3つに分類している.これらは DSMやICDのように目に見える症状を中心にし いがある. うつ病では悲哀の感情を体験することができず, た分類法とは異なり,抑うつがパーソナリティ全 代わりに「懲罰的罪悪感に由来する絶望感,無力 体にどのように影響しているのか,または抑うつ 感」に襲われることになるが,躁的態勢はこのよ がパーソナリティ全体にどのように配置されてい うな絶望的苦痛を回避するための一つの方法であ るのかという観点に基づいた分類法である. り,「耐えられない悲哀の感情に代わって今やそ こに,躁の感情一爽快,誇大,勝利,支配,制服 −がすみやかに置かれる」ことになる.そこでは (丑 精神病性うつ病 「万能で誇大な自己が,失った対象,懲罰してく (む うつ病と躁うつ病 (参 パーソナリティ病理に基づく抑うつ る迫害的な対象,新しい理想化対象といったすべ ての対象を完全に支配」するという万能的世界が ① 精神病性うつ病 精神病性うつ病は「何らかの喪失体験に基づい 作り上げられるのである. て起こってきた悲哀の感情に圧倒されて,こころ ③ パーソナリティ病理に基づく抑うつ というコンテイナーが壊れてしまい,その感情を ここで扱われる抑うつは従来の典型的なうつ病 抱える器がなくなっている事態」である.この状 とは異なり,抑うつ気分の変わりやすさ,日内変 態ではこころは「分裂して解体し,まったく機能 動があまり見られないこと,行為の障害を伴いや しなくなる」状態であり,それは自ら動いたり発 すいこと,虚しさや傷つきやすさが強いこと,他 語したり,周囲の働きかけにも反応しないうつ病 罰的であることなどを特徴としている.それらは 17 学校臨床心理学研究 第13号(2015年度) パーソナリティ病理に基づいていると考えられる. ナーとしての心に麻痔や混乱が起きることになる. ここでパーソナリティの病理とは「苦悩の解決に ・スキゾイド型の抑うつ:これは「悲哀の感情 こころを使うことを放棄し,意識的前意識的にあ を排出するその手法として,抑うつ不安を体験す えて意図して行為・活動によってこころの中の葛 る自己部分そのものを分割排除して」いる場合に 藤や感情を排出してしまおう(精神原則の一次過 見られる.いわば「コンテイナーであるこころの 程)とする在り方が優勢な状態」を意味している. このパーソナリティの病理に基づく抑うつを 部分的欠落」が起きている状態である.ここから 生じてくる空虚さや,自己の不全,欠損,離人と 「コンテイナー/コンテインド」の観点から見る いう感覚への対処として「自傷や過食・嘔吐,衝 と,抑うつ不安というコンテインドは認識できる 動的な破壊行為」がなされることになる. ほどに十分情緒的発達を遂げており,またコンテ イナーも抑うつ不安を十分に感知して受容できる 上記のような抑うつとパーソナリティとの関係 程度に発達している.しかし,パーソナリティの に加えて,松木は抑うつと環境との関係について 病理がある場合,「こころ/コンテイナーが受け 止め消化する能力を放棄して,あえて積極的にコ も環境というコンテイナーが抑うつを抱える個人 というコンテインドをいかにコンテインするかに ンティンドを排出してしまう」のである.しかし, ついて以下の3つの分類を提唱している. この抑うつ不安はすでに十分に発達を遂げている がゆえに,完全に排出することはできず,常に心 ① 温かく包んでくれるコンテイナーとしての環 の中に蘇ってくることになる.そのために,繰り 境:外部の他者や場所が「悲哀のただなかにい 返し戻ってくる抑うつ不安を排出維持するために アルコール・薬物依存や自傷や過食・嘔吐などの て孤独を感じている彼/彼女とともにいてくれ いわゆる噂癖行為が必要とされると考えられる. 蓼といった感情にそってくれ,怒りや恨みに穏 さらに松木はコンテイナーの在り方によって, やかにもちこたえてくれるこころが必要に応じ るだけでなく,喪失体験からの悲哀,罪悪,寂 実際の臨床場面では入り混じっているとしつつも, て提供される」場合である.このようなコンテ 以下の3つに分類している. イナーが存在する場合,個人のこころの中で対 象喪失からの悲哀が徐々に消化されていく. ・自己愛型での抑うつ:境界性パーソナリティ ② 包み込むコンテイナーの不在:上記のような 障害,自己愛性パーソナリティ障害,回遊性パー ソナリティ障害などによく見られる.抑うつ不安 コンテイナーが,両親の離婚,事故死,入院, は他者から「傷つけられた」「見捨てられた」と あるいは無関心などによって現実的に不在とな 被害的に体験されるがゆえに,コンテイナーから っている場合である.このような外的環境では 持続的,衝動的に排出しようとされる.回帰して 孤独さや寂蓼感が強まることになり,こころは くる抑うつ感情は他者から強いられた迫害的なも 抑うつ不安を抱えきれず,悲哀が抑うつへと変 のとしてますます体験されるため,コンテイナー 容しやすくなる. ③ 負のコンテイナーの増悪作用:コンテイナー から再び排出して他者へ押し込む,快感で埋めて わからなくする,傷つきを感じる人間関係を回避 である周囲の人たちが自身の悲哀や抑うつの感 する,などの対処がなされることになる. 情をコンテインドである個人のこころの中に強 力に押し込むという侵襲的な働きをする場合で ・心的外傷型での抑うつ:乳幼児期から小児期 ある.②以上に悲哀の仕事を難しくするものと にかけて周囲の人物から外傷を受けた場合に見ら れる.ここではコンテイナーの中にみずからのこ 考えられ,こころは破たんをきたして,様々な ころに自然に発生した悲哀や罪悪感のみならず, 状態が引き起こされる. 他者から植え付けられた悲哀や罪悪感が存在して いる.この過剰なコンテインドのために悲哀の仕 このように精神分析では,抑うつの発生に過去 事が滞ったままになっていると考えられる.その から現在にわたる対人関係の問題が関わっており, ため新たな喪失体験に対処しきれずにコンテイ そのために襲の過程が妨げられて抑うつに陥って 18 精神分析理論における抑うつと記憶 いること,従って,喪の過程を乗り越えるように 行作用(事後性)」と呼んだ. 狩野(2009)によればFreud自身はこの遡行 援助することが重視されていることが明らかにな った.言い換えれば,精神分析による抑うつ理論 作用の考えを捨てて,固定記憶痕跡説へと変わっ は,DSM−5の大うつ病性障害のように表面的な 症状だけに注目するのではなく,その背後にある たが,Lacanとともにこの遡行作用に注目した のがModellである.Modellは,記憶は静的な記 パーソナリティの病態水準や力動の違いに着目し 録ではなく,カテゴリーによって再構成される動 ている.同じ「抑うつ」であっても,背後の病態 的なものであるというノーベル賞を受賞した神経 水準や力動が異なれば,アプローチも異なると考 学者Edelmanの記憶理論がFreudの遡行作用と えるのが精神分析的アプローチの特徴である.こ 類似していることに興奮したという(Modell, れは客観的記述的診断を重視する現在のDSMに 1993)注2).この視点から見ると,転移と逆転移 失われた視点であると言えるだろう. は感情カテゴリーの反復であり,「患者は分析者 2.記憶研究から見た精神分析的抑うつ≡理論 感情カテゴリーの記憶を強化しようとする傾向が にある感情反応を引き起こさせ,その結果,古い ある」(p.138).分析家は転移解釈を通して,記 次に精神分析において記憶が,特に治癒との関 憶の再カテゴリー化を促しているということにな 係でどのように扱われてきたのかを見てみたい. る.こうして,分析家と患者との間の情緒的交流 の中で,それまで患者が自分のものとして同化さ (1)精神分析における治癒のメカニズムと記憶 れていなかった外傷体験が変換されていくと考え 記憶研究と精神分析理論には密接な関係がある. られる.つまり,遡行作用とは治癒のメカニズム と考えられるのである(狩野,2009). Freud(1895)はその最初期の研究の「心理学草案」 ですでに「取り上げるに催するような心理学的理 論は「記憶」を説明できなければならない」と述 (2)現代精神分析における手続き記憶への着目 べており,自らの理論構築において記憶を巡る問 現在,認知科学では記憶は言葉によって想起で 題をどのように位置づけるかをすでに意識してい きる宣言的記憶(あるいは顕在記憶)と言葉によ る想起体験なしに思い出せるかもしれない手続き たことが示唆される注1) 記憶を巡る問題は精神分析における治癒のメカ 記憶(あるいは潜在記憶)に区別されている.こ ニズムとも深く関わっている.というのもFreud の区別に基づけば,Freudが抑圧を中心とする 以来の古典的精神分析では「無意識を意識化する」 概念を通して扱ってきたのは主に宣言的記憶の領 ことが治癒にとって本質的であると考えられてき 域であったと言える.それに対して現代の精神分 たからである.さすがにヒステリー研究に見られ 析は宣言的記憶のみならず,手続き記憶が治療的 るようなFreudの最初期のモデルを支持する者 変化において果たす役割に着目するようになって は現在はいないものの,過去の記憶を回復するこ きている(たとえば,BPSG,2010など). とが治療的変化が生じるために重要であると考え 精神分析はこの区別を認知科学よりも早く発見 ている者は未だに存在する(Fonagy,1999).しか していたとFonagy(1999)は主張している.それ し,Fonagyはこのような見解にはエビデンスが ないばかりか,記憶の回復にこだわるのは有害で は現代の精神分析における逆転移の重視と関連し ている.言語的想起が可能になる以前のクライエ すらあると論じている. ントの乳幼児期の記憶も逆転移を通してセラピス その一方でその後,Freudは「記憶は引き続 トに理解可能になるかもしれないという発想の例 く体験によって修正され続けるものであり,また, としてFonagyはクライン派精神分析家のBetty 過去は現在を変え,現在もまた過去を修正し,私 Josephの言葉を引用している.Joseph(1985)は たちの抱く将来への予測をも変えてしまうもの」 「もしわれわれが言語化された部分のみを扱うの とも考えていた(Modell.1993,p.132).このよう であれば,転移の中に実演された対象関係を本当 に記憶が書き換えられるプロセスをFreudは「遡 に考慮したとは言えないであろう.例えば,物わ 19 学校臨床心理学研究 第13号(2015年度) かりの悪い母親と理解されたと感じられない乳児 はなく,セラピストとクライエントとの治療的相 との関係が,彼女のパーソナリティの根幹を形作 互作用そのものがタライエントの手続き記憶レベ っている場合である」と述べている(p.448).従 ルにおける対人的相互作用パターンを変化させる って,現代の精神分析は逆転移を活用していく中 可能性があると守皮らは主張しているのである.こ で,知らず知らずのうちに宣言的記憶とは異なる れは先のModell(1993)の遡行作用による再カテ 記憶システムであると考えられる手続き記憶の領 ゴリー化が,手続き記憶レベルでも起きていると 域を扱うようになっていったと考えられる.つま 理解することができるだろう. り,母子関係における相互作用が手続き記憶に符 号化され,それが心理療法関係におけるセラピス (3)アタッチメント理論から見た「非補完的ス トとクライエントの相互作用において再演される タンス」としての治療的相互作用 それではクライエントの対人的相互作用パター のが転移一逆転移関係と考えることができる(図 ンを変化させ得るセラピストとクライエントの治 1). さらに心理療法過程の実証研究においても手続 療的相互作用とはどのようなものなのだろうか? き記憶への注目が集まっている.Sternらが中心 Dozieretal.(1994)によれば,不安定型アタッチ となって母子観察研究の手法を心理療法過程の研 メントのケースマネージャーは安定型のケースマ 究へと応用しているボストンプロセス研究グルー ネージャーに比べて,アンビヴアレント型のクラ プは心理療法の治癒のメカニズムには「解釈以上 イエントの依存欲求により深く介入する傾向があ の何か」が存在していると主張している(BPSG, った.これは不安定型のケースマネージャーはア 2010).子どもが成長していく過程で必ずしも自 ンビヴアレント型のクライエントからの無意識の 分の無意識を意識化する必要がないのと同様に, プレッシャーに押されて,元々依存的なクライエ クライエントも心理療法において変化していく際 ントをさらに依存的にさせる,つまりクライエン に自分の無意識的葛藤を言語化できる必要はない トの内的作業モデルを「確証する」介入をしがち と彼らは考えている.そしてセラピストの解釈で であるということを示している.逆に安定型の 図1手続き記憶から見た母子関係と心理療法関係 20 精神分析理論における抑うつと記憶 ケースマネージャーを依存させすぎないような介 違いに注目することが明らかとなった.次に精神 入をしているという点でクライエントが持ち込ん 分析における記憶理論を治癒メカニズムの観点か できた内的作業モデルを「反証する」介入をして ら整理した.記憶は固定的ではなく,書き換えら いると考えられる. れていくというFreudの遡行作用という概念, Goodman(2010)はこのようにセラピストがク そして現代精神分析では手続き記憶への注目につ いて紹介した.最後にアタッチメント研究の観点 から,クライエントの内的作業モデルが変化する ためには,それを反証するセラピストの「非補完 ライエントの内的作業モデルを反証する治療的相 互作用を「非補完的スタンスnoncomplementary stance」と呼んでいる.つまり,セラピストが元々 依存的であったアンビヴアレント型のクライエン 的スタンス」が重要であると論じた.これらの知 トの依存を深めるような介入をする時,セラピス トはいわば共犯者(Wachtel,1997)としてクライ 見は抑うつの臨床に具体的に何を示唆するのであ ろうか? エントの機能不全を起こした内的作業モデルが持 アタッチメントの新たな分類法を提唱している 続することを補完する役割を果たしている.これ Crittendenは,精神医学の中心となっている DSMやICDなどの医学的診断基準は「症状」を 中心とした分類であるのに対して,彼女が提唱す は精神分析的にはセラピストが逆転移を起こして おり,最終的には心理療法が行き詰まりを起こす 状態につながるものと考えられる(三上,2013). る「アタッチメントと適応の動的一成熟モデル 従って,アタッチメント関係に関する手続き記憶 (DMM)」と呼ばれるアタッチメント分類システ であると考えられる内的作業モデルが変化するた ムはアタッチメント方略という「機能」に基づい めには,セラピストは「非補完的な」相互作用を 持つ必要があると考えられる. て分類していると述べている(Crittenden&Land− ini,2011). このような視点から考えると,同じ「症状」で あっても,そこには異なる「機能」を持つ下位分 Modell(1992)は「古いカテゴリーに属する記 憶の変換は,幼児期に世話をしてくれた人とのそ の時の相互関係と,治療者との現在との相違によ って促進される.記憶の変換は,ある一定期間, 小さなステップを踏みながら起こっていく」(p. 146)と述べている.これは正に非補完的相互作用 機能が異なれば,援助の仕方は異なる可能性があ る.例えば,BlattandBers(1993)の研究では, を繰り返すことの必要性を述べていると思われる. のに区別されている.これらの2つのタイプの抑 類が想定できる.症状は同じでも,対人関係上の 抑うつは「依存的」なものと「自己批判的」なも ここで重要なことはセラピスト自身の内的作業 うつは治療経過も介入の仕方も異なるかもしれな モデル,つまり手続き記憶のあり方が大きく影響 とその記憶システムとの関連という一者心理学的 い(FonagyandTarget,2003). つまり,DSMでは同じ「大うつ病性障害」に 診断されていても,症状の背後にあるアタッチメ ント方略が異なる場合,援助の仕方も異なってく 視点を超えて,クライエントとセラピスト双方の るということになる.このように症状の背後に異 するということである.そうであるならば,今後 必要とされる研究は,クライエントの抑うつ症状 記憶システムが相互作用する場の中で抑うつ症状 なる力動を想定するのは精神分析的発想そのもの を捉えるという二者心理学的,あるいは間主観的 である.精神分析から始まり,アタッチメント研 視点(Stolorowetal.,1987)から行われる必要があ 究へと至る記憶理論を参照することは,今は時代 ると思われる. 遅れとみなされている力動精神医学を新たな形で 復権させ,より細分化した抑うつの援助を開発し 3.最後に ていくことに貢献していく可能性がある. 本論では最初に精神分析における抑うつ理論に 注 ついて概観した.その結果,精神分析では抑うつ 注1)pribramandGill(1976)によれば,Freud の背後にあるパーソナリティの病態水準や力動の 21 学校臨床心理学研究 第13号(2015年度) が心理学草案で仮定した,興奮伝達の繰り返し Freud,S,(1895)Entwu4einerPsychologie.給田純 がシナプス抵抗を低めるという見解は今では普 次(訳)心理学草案 新宮一成他(訳)フロイ ト全集3 岩波書店 通に受け入れられている基本的見解となってい Freud,S,(1915)TrauerundMelancholie.伊藤正 るとのことである.またFreudが「接触一防壁」 と呼んでいる部分は現在のシナプスに相当する. 博(訳)(2010)喪とメランコリー 新宮一成 他(訳)フロイト全集14 岩波書店 その他の神経組織の構成に関連する理解は今日 Goodman,G.(2010)TherapeuticAttachmentRe一 と本質的には変わらないとPribram&Gi11は 述べている. 加ゎ彿ぶんゆぶご加古g用C血弗Sfγ㍑Cれl作ぶα彿d抽βP和Cβぶぶ 注2)Modellによると,Edelman自身はFreud qfTheraPeuticChange.Plymouth,UK:Jason の記憶理論を知らなかったそうである. Aronson. Klein,M.(1940)MourninganditsRelationto 肋調宜c−βゆ柁5ぶ宜γβS才αJβぶ.森山研介(訳)(1983) 謝 辞 喪とその躁うつ状態との関係 西園昌久・牛島 定信(編)メラニー・クライン著作集3 愛, 本研究は,平成25年度科学研究費補助金 挑戦 的萌芽研究24653200「慢性抑うつの軽減・再発予 罪そして償い 誠信書房 狩野力八郎(2009)方法としての治療構造論:精 防に向けた心理療法の統合と自伝的記憶の想起・ 変容の研究」より(研究代表者 杉山崇)の補助 神分析的心理療法の実践 金剛出版 Mahler,M.S.(1968)onhumansymbiosisandthe を受けた. Vicissitudesqfindividuation.NewYork:Interna− tionalUniversity Press. 引用文献 Mode11,A.(1993)記憶と治療過程 西国昌久 Blatt,S.J.&Bers,S.A.(1993)TheSenseofself (監修)今日の精神分析 indepression:apSyChodynamicperspective.In 金剛出版 松木邦裕(2007)「抑うつ」についての理論 松 Z.V.Segal,andS.J.Blatt(Eds,)sevRepYeSenta− 木邦裕・賀来博光(編)抑うつの精神分析的ア プローチ:病理の理解と心理療法による援助の Jイ0れα弗d月例0わ0弗αJβ五ぶ0γdgγ5ごCog彿イJイγβα粥d PsychodynamicPerspectives,pp.17ト210.New 実際 金剛出版 三上謙一(2013)アタッチメント理論から見た心 York:Guilford. BostonProcessStudyGroup(2010)changePro− 理療法の行き詰まりとその回復過程:逆転移と Cβ55βざ五彿P叩C加古九g咄ごA【九め′宜粥gf)αmd五g肌W. してのセラピストの眠気の意味,心理臨床学研 W.Norton&Company.丸田俊彦(訳)(2011) 究,31,pp.33−48. 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Key words:Depression.proceduralmemory.attachmentresearch 24
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