橋野鉄鉱山世界遺産登録1周年記念誌(一部抜粋)(15793 KB

Hashino Iron Mining and Smelting Site
「 橋 野 鉄 鉱 山 」世 界 遺 産 登 録 記 念 誌
Hashino Iron Mining and Smelting Site
鉄都釜石
日本近代製鉄の夜明け。
Japan's Meiji Industrial Revolution :
Iron & Steal, Shipbuilding and Coal Mining
「 橋 野 鉄 鉱 山 」世 界 遺 産 登 録 記 念 誌
鉄都釜石
明 治 日 本の 産 業 革 命 遺 産
製 鉄・製 鋼 、造 船 、石 炭 産 業
橋野鉄鉱山・高炉場の空撮/一番高炉から三番高炉まで、南北に連な
る高炉場跡。道なりに約400mの水路跡が見える。草木の生えない地
面は、
ノロ捨て場となっていた名残だといわれている
と
幕 末・明 治 時 代の釜 石に、 鉄の
ぐう ぜん
事 業を成し遂げる 先 人たちが居 合
わせたことは、 偶 然ではあ り ませ
ん。 この 地には 昔から、 鉄の 源で
あ る 鉄 鉱 石が豊 富にあ り ました。
これが人を引 き 寄せる 磁 力を持ち
あつか
合わせていたのでしょう。 古来の製
よう しき こう ろ
鉄で鉄 を 扱った 職 人が多 くいたこ
けん めい
とも、洋 式 高 炉を造る 場 所に良い
理 由でした。 懸 命に難 題に立ち 向
かった人々は、決してあきらめない
まい しん
﹁ 鋼 鉄の 意 志 ﹂ を 持って、 鉄づく
りに邁進してきました。
時を経て、現代の釜石駅前。﹁も
のづ く り の 灯 を 永 遠 に ﹂ と 刻 ま
れ た 大 き な 鉄 鉱 石 が、 人 々の 往
はっ しょう
来 を 静かに見 守っています。 平 成
︶年、近代製鉄発祥
年を記 念して設 置されたモ
つて高 炉で燃え 盛っていたあの火。
ニュメントです。 灯された火は、か
︵
1 19
5
0 2
0
0
7
けむり
した
市民が町のシンボルと慕い、釜石製
︶年に高炉
鐵 所で煙を 上 げていた 高 炉の火で
す。 平成元︵
が休 止した後 も、製 鐵 所はその火
を守り続け、﹁鉄都﹂に生きる人々
の心にも、 明かりを 灯してき まし
た。
ふ とう ふ くつ
そして、鉄都を築いた先人たちに
なら
倣った情 熱 と、不 撓 不 屈の精 神が
また、新たな道を開き ました。 釜
石をはじめとした近 代 製 鉄をめぐ
る 物 語が、関 連 地 域とともに日本
ふく
全 体の歴 史 となったのです。 橋 野
鉄鉱山を構成資産に含む ﹁明治日
。 北の大地に端を発した近
たん
本の産業革命遺産﹂の世界遺産登
︱
録
あか
き ばん
代製鉄の技術が、全国に広く伝わっ
た証しとなりました。
せき じつ
ほこ
き
えい えん
ひ
今も、生 活を支える 基 盤として
欠かせない鉄製品が、釜石から出荷
かん き
されています。 熱 く、 流れ 出た 鉄
つ
に歓喜した昔日から、ものづくりの
ともし び
遺伝子は引き継がれているのです。
せき
びと
という文字は、大島高任の曾孫 大島夏江さんが揮毫したもの
き ごう
ひ まご おお しま なつ え
おお しま たか とう
その灯 火を 未 来につなげ、 鉄の軌
も
跡を伝えていくことは、世界に認め
られた宝の ﹁守り人﹂の誇りです。
大島高任像の近くに建つモニュメント。
「ものづくりの灯を永遠に」
1
9
8
9
ものづくりの灯を永遠に
7
5
4
2
7
6
5
4
3
2
1
44
42
40
38
35
32
30
contents
発刊のことば
もくじ
ごあいさつ
8
橋野鉄鉱山世界遺産登録記念フォーラム
のメッセージ
世界に誇る﹁明治日本の産業革命遺産﹂
構成資産と位置
/半澤 周三
橋野鉄鉱山の概要
特別寄稿
製鉄技術の伝播
近代製鉄の発祥
官営釜石製鉄所の開業
田中製鐵所の始動
田中製鐵所の発展
釜石から八幡へ
移り変わる﹁鉄都﹂釜石
かまいし﹁鉄の遺産﹂
記念誌編集を終えて
28
29
46
48
文学作品と﹁鉄のまち釜石﹂
未来へ残そう釜石の宝
11
釜石 鉄の歴史
世界遺産登録までの歩み
12
/大島 輝洋
16
特別寄稿
20
22
24
27
24
未来へ残そう
釜石の宝
橋野鉄鉱山に点在する3 基の高炉のうち、
わたしたち 釜石 市 民は、
世 界に認められた
このまちの宝を、
いち ばん 近 くで守 り、
そして未 来へ伝 えていく 。
二番高炉から一番高炉を望む
かん き
橋野鉄鉱山を視察する海外の専門家
(ニール・コソン卿)
学習活動を活発化しました。
の貢 献を 説 明できる よ うに、鉄の
こう けん
誰もが日本の鉄の歴史における釜石
だれ
したほか、小 中 学 生をはじめ 市 民
所や釜石鉱山の見学会などを実 施
じっ し
心に、たたら 製 鉄 体 験、釜石 製 鐵
あわせて、釜石では ﹁鉄のふるさ
と釜石創造事業実行委員会﹂ を中
再び脚光を浴びる出来事でした。
きゃっこう
産業国家・日本の土台となった鉄が、
(平成21年10月)
1
平成 年 月、国は九州と山口
県の近代化産業遺産群をユネスコの
世界遺産登録に
向けた活動を加速
世界遺産登録までの歩み
かい さい
平成 年 月 日の夜、
釜石は、
歓喜に包まれました。
ふく
ドイツのボンで開催されていたユネスコ世界遺産委員会で、
橋野鉄鉱山を構成資産に含む
﹁明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、
造船、
石炭産業﹂
の世界遺産登録が決定したのです。
しゅん かん
︶年
それは、
世界遺産登録に向け、
長年の活動が実を結んだ瞬間でした。
ふ
︵
よう しき こう
日に大 島 高 任が大 橋で洋 式 高
月 日、釜
石駅前に﹁ものづくりの灯を永遠に﹂
年後に当たる
平成 年、九州地方知事会では、
各県が連携して取り組む政策テーマ
ひ
と 刻 ま れた 碑が設 置 され ました。
はっ しょう
周 年 記 念 事 業 を 開 催し
かい さい
年、釜石では近代製鉄発
周年
世界遺産登録に向け始動しました。
界 遺 産 登 録 推 進 協 議 会 ﹂ を 設 立。
は、九州と山口県の 県 市で﹁世
活用﹂を決定しました。平成 年に
として、﹁九州近代化産業遺産の保存・
炉による 製 鉄に成 功し、それから
ろ
月
ました。 安 政
世界遺産登録までの 年を振り返ります。
産業遺産の
世界遺産登録へ始動
1
8
5
7
12
ざん てい
世 界 遺 産 暫 定一覧 表へ登 録するこ
とを決定しました。
釜石では、この近代化産業遺産群
に橋野高炉跡を追加してもらい、世
年
月から
界遺産登録を目指すことを決定し
ます。 そこで、平 成
講演会を開催。 平成 年 月には、
海外の専門家を順次招き、視察と
2
7
鉄のふるさと釜石
近代製鉄発祥
平成
祥
近代製鉄発祥150周年記念モニュメントの除幕式
年 月、﹁ 世 界 遺 産 登 録
平成
推 進 協 議 会 ﹂ において登 録に必 要
を設置し、
取り組みを加速しました。
市役所内に﹁世界遺産登録推進室﹂
4
12
(平成19年12月1日・鉄の記念日)
1
5
0
21
1
4
除幕式
22
な調査研究を行う﹁専門家委員会﹂
ふく
は、これまでの調査結果をふまえて
橋野高炉跡も構成遺産に含めた形
で、ユネスコに提出する世界遺産推
薦書の原案を取りまとめました。
か月後に東
しかし、そのわずか
1
20
9
2
10
11
20
5
6
1
5
0
23
27
18
1
5
0 19
8
世界遺産登録までの歩み
だい しん さい
かい めつ
日本 大 震 災が発 生し、釜石は壊 滅
ひ がい
復興の希望の光に
指定されていない稼働中の産業資産
地調査も行われました。
か どう
なども、世界遺産登録に向けて推薦
年 月 日、イコモスは、
平成
﹁ 明 治日 本の産 業 革 命 遺 産 製 鉄・
中で﹁ 世 界 遺 産 登 録 推 進 協 議 会 ﹂
できるとする新たな枠組みを決定し
製鋼、造船、石炭産業﹂ と名称を
県
ました。このことにより、橋野鉄鉱
変 更した上で、構 成
市 体 制 と な り ました。 この 年、
に岩 手 県と 釜石 市が加 入し、
東日本大震災で傷ついた橋野鉄鉱山
山を含む九州・山口の近代化産業遺
含めた形で﹁世界遺産登録が妥当﹂
だ とう
か月後の 月 日、ドイツで開
催されていた世界遺産委員会で﹁明
へん こう
の一番高炉の修復が行われました。
産 群は、世 界 遺 産 登 録に向け、大
年
前で行われた登録決定セレモニー(平成
23
し、国へ提出しました。
構成資産の管理保全計画案を策定
平 成 年 月、﹁ 世 界 遺 産 登 録
推進協議会﹂ は、推薦書原案と各
いた釜石市民にとって、この日は歴
が決定しました。その瞬間を待って
治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、
造船、石炭産業﹂の世界遺産登録
ざん てい
ユネスコ事務局長
イリーナ・ボコバ
候補に決定し、ユネスコに世界遺産
しん
世界遺産一覧表への記載日
推薦書の暫定版を提出しました。
新たな歴史を刻んだ
世界遺産登録
し もん
平成 年 月、国が推薦書の正
式版をユネスコに提出したことから、
い せき
2015年7月8日
平成
ンセンター前で開催された登録決定報告
資 産を全て
月、国は、文 化 財に
(右) 3 登録決定翌日、
インフォメーショ
4
5
この一覧表に記載することは人類共通
の利益のために保護されるべき文化遺
産または自然遺産の顕著な普遍的価値
を証明するものである。
史的な記念すべき日となりました。
世界遺産候補に決定
という評価結果を発表しました。
山世界遺産登録推進委員会委員長 大瀧氏
5
7
世界遺産委員会は
「明治日本の産業革命遺産
製鉄・製鋼、造船、石炭産業」
を世界遺産一覧表に記載した。
5
の歴史館名誉館長 大島氏
(中)
、
橋野鉄鉱
27
世界の文化遺産及び自然遺産の
保護に関する条約
4
1
ユネスコの諮問機関であるイコモス
さ
世界遺産一覧表記載認定証
そして 月、国は ﹁ 明 治日 本の
産 業 革 命 遺 産 九州・山口と 関 連
めい しょう
地域﹂ の名称で、世界遺産の推薦
2
国際連合 世界遺産条約
教育科学文化機関
25
︵ 国 際 記 念 物 遺 跡 会 議 ︶による 審
「橋野鉄鉱山」世界遺産登録記念誌 鉄都釜石
9
3
27年7月6日)
9
26
査が始 ま り、全ての構 成 資 産の現
世界遺産一覧表記載認定証
(左は翻訳)
きな一歩を踏み出しました。
1 世界遺産登録決定の瞬間
(平成27年7
3
月、復 旧・復 興を進める
1
8
4 世界遺産登録決定の翌日に市庁舎
会
24
月5日) 2 決定を喜ぶ野田市長
(左)
、鉄
東日本 大 震 災から か月 後の平
年
6
11
2
4
的な被害を受けました。
成
23
世界遺産登録までの主な取り組み―年表
▼時期
月 鹿児島県主催で﹁九州近代化産業遺産シンポジウム﹂を開催し
産業遺産の保存・活用に向け﹁かごしま宣言﹂
を取りまとめ
月 九州地方知事会の政策連合項目として﹁九州近代化産業遺産
の保存・活用﹂を決定し、関係県での取り組みへ発展
■﹁明治日本の産業革命遺産﹂の取り組み
年︶
平成
︵
平成
︵
平成
︵
年
平成
︵
年
年
年
平成 年
︵
年
年︶
年︶
年︶
年︶
年︶
年︶
月 国が﹁九州・山口の近代化産業遺産群 ﹂の世界遺産暫定 一 覧表
への記載を決定
月 九州と山口県の 県 市で世界遺産登録推進協議会を設立
月 ユネスコの世界遺産暫定 一 覧表に﹁九州・山口の近代化産業遺
産群﹂を記載
月 専門家委員会が橋野高炉跡なども構成資産候補とする提言を
取りまとめ
月﹁九州・山口の近代化産業遺産群 ﹂国内比較調査ワーキンググ
ループによる全国調査
︵~平成 年 月︶
月 専門家委員会が橋野高炉跡も構成資産候補とする推薦書原案
を取りまとめ
月 国が﹁ 稼働中の産業遺産又はこれを含む産業遺産群を世界遺
産登録に向けて推薦する場合の取り扱い等について﹂を決定
■釜石市の取り組み
月 近代化産業遺産シンポジウム開催
月 近代製鉄
周年記念式典・モニュメント点灯式
︵ 月 日︶
月 釜石市教育委員会 鹿児島県庁訪問
︵ 月 日∼ 日︶
1
月 ユネスコ世界遺産登録に向けた講演会︵
月 釜石市長 九州の関係県市を訪問
月 世界遺産登録推進室設置
月 ユネスコ世界遺産登録に向けた講演会︵
月・ 月・ 月にも︶
月にも︶
月 東日本大震災︵ 月 日︶
月 世界遺産登録推進協議会に岩手県と釜石市が加入
月 林野庁東北森林管理局と﹁橋野鉄鉱山郷土の森保存協定﹂を締結
月 橋野鉄鉱山の管理保全のため﹁釜石地区管理保全協議会﹂を設置
月﹁橋野鉄鉱山管理保全計画﹂原案決定
月 釜石市景観計画施行。
青ノ木地区に﹁特定景観地域﹂設定
月 日鉄鉱業㈱と﹁景観重要建造物の管理保全に関する協定﹂締結
11
平成
︵
平成 年
︵
年
年︶
月 推薦書原案と各資産別管理保全計画書最終案を決定、
国に提出
治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域﹂
を推薦候補に決定
月 国が﹁稼働資産を含む産業遺産に関する有識者会議﹂において﹁明
27
月 橋野鉄鉱山インフォメーションセンター開所
盛岡で橋野鉄鉱山世界遺産シンポジウム開催
︵ 月 日︶
11
平成
︵
年︶
9
24
8
平成 年
︵
月 国が﹁明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域﹂を、本
年度の推薦案件に正式決定。ユネスコに推薦書暫定版を提出
月 国がユネスコに推薦書正式版を提出
月 産業遺産国際会議を開催
︵ 月 ~ 日︶
月 イコモスによる現地調査
︵ 月~ 月︶
25
27
7
年︶
3
月 イコモスによる橋野鉄鉱山現地調査
︵ 月 日︶
月 国が史跡橋野高炉跡の範囲の追加指定
月 林野庁東北森林管理局と﹁橋野鉄鉱山郷土の森変更
︵拡大︶
協定﹂
5
年
平成
︵
12
10
1
5
0
回ユネスコ世界遺産委員会で世界遺産登録決定!
︵ 月 日︶
、 世界遺産一覧表に記載
︵ 月 日︶
月 イコモス評価結果の勧告・通知
月第
4
10
7 12 2
2
6 4 2
4 6 3
7
年︶
7
2015年7月5日、ドイツで開催された世界遺産委 橋野鉄鉱山インフォメーションセンター開所式
員会で、世界遺産登録決定
(平成27年7月5日)
(平成25年11月10日)
世界遺産登録認定証伝達式
(平成28年3月30日 東京)
7
9
2
15
5 4 3 2
23
14
10
11
11
6
1 10
10
8
2
5
4
8
9
9 7 1
7 5
12 10 9
6
2 17
0
0
5
9
2 18
0
0
6
2 26
0
1
4
年
9 7
2 19
0
0
7
平成
︵
39
2 20
0
0
8
2 21
0
0
9
2 22
0
1
0
2 23
0
1
1
2 24
0
1
2
2 25
0
1
3
2 27
0
1
5
10
世界遺産登録までの歩み
内閣官房参与
加藤 康子
|
|
氏
◎平 成
年
月
日( 土 )
橋野鉄鉱山
世界遺産登録記念フォーラム
基調講演
1
しょ
ほん そう
かん ぼう さん よ
釜石市主催のフォーラムが開催され
世界遺産登録を記念し、
の だ たけ のり
たっ そ たく や
あい さつ
ました。野田武則市長、
達増拓也県知事の挨拶の後、
登録に向け
て奔走した加藤康子内閣官房参与の基調講演と、
関係者による
き せき
パネルトークが行われ、
参加した市民など約150人は、
登録まで
かたむ
の軌跡と橋野鉄鉱山の価値を改めて知るとともに、
この宝の未
来を想い、
さまざまな意見に耳を傾けました。
緒になれば﹃シリアルノミネーショ
きょう
ン﹄ という 手 法で世 界 遺 産になる
よ。﹂ と助言されました。
そこで、英 国のニール・コソン卿
など日本を含む世界の専 門 家を招
わた
き入れ、﹁専門家委員会﹂を発足し、
書類審査と何年にも渡る現地視察
取り 組みとして九州 知 事 会の活 動
の産業遺産を世界遺産に登録する
定 されている ものが世 界 遺 産に推
録の担 当は文 化 庁で、文 化 財に指
日 本では、これまでは世 界 遺 産 登
業遺産群の選定を行ってきました。
ところまでの全部を理解しないと、
を経て、ユネスコの基準を満たす産
私 が 産 業 遺 産 に 出 会ったのは、
き ぎょう
米 国で企 業 城 下 町の研 究をしてい
に組み込まれることになりました。
薦 されていました。 しかし、 産 業
製 鉄 業としてのシステムの全 容は、
ころ
こ
た時です。 世 界 中のさまざまな産
世 界 遺 産 登 録に向けて一歩を 踏み
というのは一つのシステムです。 釜
理解できないことになります。
すい
業 遺 産を 巡 り ましたが、その中の
出した時でした。
石の橋 野 鉄 鉱 山を例に見ると、文
ふ
いくつかは、世界遺産に登録されて
、 海 外の 専 門 家 を 招 き、
この 頃
いしずえ
日 本の産 業 化の礎 となった 各 地の
化 財に指 定されている 高 炉 跡は製
構成資産のうち、明治時代後期の
23
めぐ
いました。
産業遺産を案内しました。 すると
さ らに、﹁ 明 治日 本の 産 業 革 命
遺 産 ﹂ の 県 市にまたがる の
採るところから、運び、鉄を 作る
11
せん
年ほど 前に、この研 究を著 書
にま とめて発 表し ました。 それが
鉄の工 程の一部にすぎず、 鉱 石を
いっ
いつも、﹁一つの産 業 遺 産だけでは
つな
九 州の 企 業 経 営 者の 目に 留 ま り、
橋野鉄鉱山
(採掘場跡)
を視察する海外の専門家と加藤康子氏
世 界 遺 産にな ら ないが、 繋 げて一
演題
8
「明治日本の産業革命遺産」
世界遺産登録の軌跡
27
伊藤鹿児島県知事と出会い、九州
8
16
12
橋野鉄鉱山 世界遺産登録記念フォーラム
(平成25年11月・盛岡)
釜石市主催のシンポジウムで講演する加藤康子氏
全を行う新たな枠組みの検討を行い
産 業 国 家の原 点であることを、子
て 鉄 の 学 習に 取 り 組 んでいま す。
わく
遺 産は、八幡 製 鐵 所、三菱 重工長
ました。 当時の平野達男内閣府副
ど もの 頃から 釜 石で育んでいく こ
みつ びし
崎造船所、三池港など、今も現役
大臣をはじめ、国の規制改革の動き
や はた せい てつ じょ
で 稼 働 している 産 業 施 設 があ り、
とは、何よりも 重 要なことと 考え
ます。
のご理解を受けながら検討が進めら
月に、稼 働 資 産の
か どう
これらは、文 化 財の枠 組みでは 保
年
れ、平 成
平成27年7月、
内閣官房参与に就任。
「明治
日本の産業革命遺産」の推薦書原案を執筆
し、
世界中の政府担当者に説明するなど、
国
連教育科学文化機関
(ユネスコ)
の世界遺産
登録に尽力された第一人者。米国ハーバー
ド大学大学院で、
企業城下町を専門に研究。
卒業後、世界各地で鉱工業を中心とした産
業遺産の保存・活用調査を続行。釜石では、
鉱山の跡地利用を含めた勉強会の開催な
ど、早い段階から世界遺産の構想をあたた
め、
釜石を応援し続けています。
世界遺産登録を実現するための新
献しているか、また、日本がものづ
こう
﹁ 明 治日 本の産 業 革 命 遺 産 ﹂ の
世界遺産価値を正確に伝え、各構
ほかにも、税 制を 改 正し、産 業
し せつ
施 設の保 全に参 画しやすいよ うに
くり国としての土台をいかに築いて
たな枠組みが決まりました。
固 定 資 産 税 を 減 免 する こと など、
きたかを、ヒューマンストーリーを
含めて伝 えていける よ う、引 き 続
けん
成 資 産がその価 値にどのよ うに貢
画期的な改革も行われます。
き、全力で努力していきます。
げん めん
実は、 釜石には、た く さんの重
要なストーリーが存 在し ます。 近
代 製 鉄 発 祥の地であることはもち
ろん、 先 人のものづくりにかける
情熱、努力、苦労。 これらを伝え
たいのです。 橋 野 鉄 鉱 山は世 界 遺
産の 構 成 資 産の一つですが、 官 営
製鉄所や田中製鐵所なども含めて、
鉄に関するいろいろなストーリーを
みな
次 世 代に伝 えていく ことは、とて
も大切なことだと思います。
世界 遺 産 登 録に向け、釜石の皆
さんが情 熱を 傾け準 備をしたこと
が、こ うして実 現したことは、 何
活発に行われている鉄の学習活動
(写真は旧釜石鉱山事務所前での
こ
こ う
と う
5
よ り も 喜 ばしいこ と と 思いま す。
「橋野鉄鉱山」世界遺産登録記念誌 鉄都釜石
13
全できません。
プロフィール
24
釜石の子どもたち も、愛 情をかけ
製鉄体験)
そこで、現行の法律を適用して保
加藤 康子
か
パネリストには、
基調講演の加藤康子氏に加え、
内閣官房内閣参事官の岩本健吾氏、
日
ターは小野寺英輝岩手大学工学部准教授が務め、
世界遺産の価値を今後どのように地
鉄鉱業名誉顧問の小野崎敏氏、
新日鐵OBの稲角忠弘氏が加わりました。コーディネー
元で受け入れ、
活かし、
外に発信していくのかをテーマに、
意見を交わしました
―
パネルト ーク
テーマ
が残っていることなので、どんなに
世界遺産の基準は、実際に ﹁もの﹂
世界遺産橋野鉄鉱山の
価値と今後の期待
世界遺産の候補にする分野を
しぼ
歴 史 的 価 値があっても 立 証できな
最 終 的に「 鉄 」に絞ったのはなぜで
しょうか?
橋 野 鉄 鉱 山は、 鉱 山から 高 炉、
種 焼 場など、 全システムが残 る 完
ければ世界遺産にはなりません。
る遺産を全部集めたらどうか﹂ と
全性を満たした遺産です。 完全性
加藤 当初、鹿児島県の伊藤知事
に、﹁ 日 本の 経 済 大 国の 原 点 と な
提 案し まし た。 日 本 が蒸 気 船や、
を満たす遺産を集めてジグソーパズ
ちょうせん
大 砲などを夢 見て挑 戦し、石 炭 産
ルをしていく よ うに絞 り 込みが行
鉄の歴史が日本の近代化の礎で、
質が違 うことに気づき ました。 日
ちが
ので、日 本の産 業 革 命は欧 米 とは
おう べい
稲 角 私の 配 属 先 は 高 炉 部 門で、
たずさ
特に原 料 関 係で携わってき ました
釜石はその原点ということですね。
―
いきました。
年 間かけて構 想を 詰めて
10
たい ほう
業を開 発しましたが、専 門 家と 意
われ、
こう かん
こ
こう
とう
か
つ
見 交 換する 中で、日本の ﹁ 産 業の
コメ﹂ である 鉄を 作る 製 鉄・製 鋼
の分野に絞るべきだと考えました。
加藤 康子 氏
14
橋野鉄鉱山 世界遺産登録記念フォーラム
稲角 忠弘 氏
いました。 釜 石の技 術はそれだけ
世 界 遺 産 を 英 語 で「
素晴らしいということですね。
―
World
じょう きょう
ます。 足尾は観光の設備が整ってい
ると思いますが、保存状況は釜石の
こう どう
方が良いです。釜石と違う点は、銅
山の坑道を観光という形で見せ、見
学客を呼びこんでおり、多くの人々
本で取れる 鉄 鉱石は非 常に還 元し
なるようですね。
一的な 体 制を 作る 必 要があったこ
するための枠組みを作るために、統
すが、鉱石がまだ鉱山にあり、坑道
現状では見せることが難しい状況で
が訪れています。釜石鉱山の坑道は
にくい鉱 石なので、 大 島 高 任の 成
が安定していて坑内にも色々な設備
き せき
功は 本 当に奇 跡 的 だと 感じ ます。
そして、橋 野 鉄 鉱 山に来られた方
市の全部の遺産を見て欲しいです。
あがっていくこと。 それが一流の世
保全を支えるシステムや循環ができ
地域や企業のコミュニティに遺産の
した。 政府側から期待することは、
で、上手に発信できればと思います。
然水についても価値を持った水ですの
のではないかと思います。 鉱山の天
るようにすると、観光拠点にできる
があるため何らかの形で体験ができ
かんきょう
小野寺 世界遺産は、観光をする
ことが目 的ではな く、伝 えること
きょ てん
に成 功したこと も、 鉱 石の 違いで
には釜石のまちを知って欲しい、鉄
界遺産につながると思います。 遺産
県
す。日本の鉱石は鉄にしにくいのだ
の歴 史 館で学び、できれば 釜石 鉱
の情 報 発 信と 理 解 増 進は、保 全に
回目
が、 鉄 鋼 業 を 根 付かせたという こ
山 も 見て欲しいと 思います。 近 隣
つながるものですし、地域の持続的
回失敗して
とは素晴らしいことだと思います。
地 域の歴 史とあわせて総 合 的に理
な活動と両立する上でも必要です。
田中製鐵所で
日 本 特 有の鉱 石 と 苦しんで戦って
解していただければ 良いと 思いま
じゅんかん
花を 咲かせたこと、 釜 石はその原
す。 その理 解 促 進のために、外 国
境の中に
釜石においては、自然環
評価された遺産の全体像をしっかり
きん りん
点であることを 理 解し、勉 強する
語でのガイド機能を持ったスマート
と理解し、保全につなげて欲しいと
さ
ことが大切であると思います。
フォンのアプリや、自分たちで世界
そく しん
小野寺 世界中でも磁鉄鉱で鉄を
作っているのは数か所しかないとい
思います。
うかが
よ うな 仕 組みを 提 案していきたい
あし お
が目 的です。 未 来へ、世 界 遺 産を
とち ぎ
わっている経験から、遺産の保存に
どのように伝えていくのか、どうす
栃 木 県・足 尾 銅 山の保 全に関
関する考えを聞かせてください。
活かしていければと思います。
れば担うことができるかを考えて、
と考えています。
氏
小 野 崎 足尾銅山の世界遺産を推
今後、
この世界遺産に何を期待
ざき
の
お
していますか?
法人の理事もしてい
N
P
O
―
さとし
小野崎 敏
進する
―
遺 産ルートを 見ながら 理 解できる
つであ ると 考 えています。
とから、内 閣 官 房が取り まとめま
」
と言いますが、「 Heritage
」
Heritage
かい しゃく
は日本語の
「遺産」と解釈が少し異
ご
けん
う 話を、以前、新日 鐵の方から 伺
小野寺 英輝 氏
11
﹂ は、 次の 世 代
加 藤 ﹁ Heritage
けいしょう
に継 承する もの、つま り 教 育の一
かん げん
岩本 健吾 氏
いわ もと
ただ ひろ
いな ずみ
49
き
ひで
でら
の
お
8
岩本 今回は、多様な遺産を保全
「橋野鉄鉱山」世界遺産登録記念誌 鉄都釜石
15
48
J
山
田
線
運
休
R
船越家族旅行村
オートキャンプ場
いわてふなこし
山田南IC
五郎作山
赤内森
和山牧場
貞任山
3
界木峠
西
片羽山
雌岳
29
7
路 滝観洞IC
22
釜石仙人峠
五葉山
鉄の歴史館
篠倉山
片岸
川
鳩ヶ峰
愛染山
甲子川 釜石市立
松倉山
28
三貫島
13
りょういし
三陸
鉄
道南
リア
ス線
峠道
釜石西IC
カモメ森山
かまいし
23
根浜海岸
15
2120
16 14
19 18 17
こさの
まつくら
J
おおつち
うのすまい
釜石・両石IC
釜石市
どうせん
かみありす
あしがせ
24
IC
御在所山
釜石市郷土
資料館
小川川
りくちゅう
おおはし
鵜住
居川
犬頭山
旧釜石鉱山事務所
線
R釜石
住田町
12
仙磐山
岩倉山
26
27
25
大開山
仙人
三浦命助生家跡
千手布引観音堂
(栗林観音堂)
沢桧川
片羽山
雄岳
小鯨山
小鎚
川
三
陸 自動車道
沢
東又
1
橋野鉄鉱山 笛吹峠
インフォメーション
センター
又沢
猫川
オイネガ森
5
10
9
6 11 8
2
二ノ倉山
瀧澤神社
奥の院
二又沢
河内川
4
大槌町
釜石北
遠野市
橋野どんぐり広場
赤仁田森
瀧澤神社
釜石大観音
鎌崎
へいた
板木山
鷹巣山
星座石
とうに
熊野川
大船渡市
橋野鉄鉱山(高炉場跡及び採掘場跡)
六黒見金山跡(むくろみきんざんあと)
鷲の滝発電所
橋野発電所
栗橋発電所
高前鉱山
細越鉱山
横石高炉跡
大蕨高炉跡
栗橋分工場跡
栗橋分工場トロッコ軌道跡
栗林銭座跡
両石港銑鉄積出場跡
釜石製鐵所 専用桟橋
工部省鉱山寮 釜石鉄道一の橋橋台
釜石製鐵所 本事務所
釜石製鐵所 中島橋
釜石製鐵所 楽山荘
釜石製鐵所山神社扁額
釜石鉄道小川アーチ橋梁1号橋
釜石鉄道小川アーチ橋梁2号橋
洞泉鉱山跡
工部省鉱山寮釜石鉄道大船沢橋台
砂子渡銭座跡
JR釜石線鬼ヶ沢橋梁
釜石鉱山
(選鉱場跡)
大橋鉄鉱山
山谷木炭積出し場跡
佐比内高炉跡
川
浜
吉
五葉温泉
❶
❷
❸
❹
❺
❻
❼
❽
❾
❿
⓫
⓬
⓭
⓮
⓯
⓰
⓱
⓲
⓳
⓴
よしはま
釜石の近代化産業遺産群
浦浜川
さんりく
三陸大王杉
かまいし
「鉄の遺産」
長安寺
ツツジ
ほれい
日本の近代化を支えた釜石の製鉄関連の遺産は、
自然環境にそのままとけこみ、
山懐に点在しています。
平成19
(2007)年、
経済産業省が「鉄鋼の国産化に向けた近代製鉄業発展の歩みを物語る
近代化産業遺産群」に認定。市民生活にも欠かせなかった関連遺跡が、
数多く残っています。
❿
● 釜石鉱山田中製鐵所
栗橋分工場跡
明治27(1894)年に田中製鐵所第7高炉とし
て操業を開始。高前・細越鉱山から鉄鉱石を
トロッコで運び、木炭高炉で年間約 300tの
鉄を生産した。現在、
火薬庫跡と山神社が残
る。山神社の祠の左脇には、高炉の初湯銑と
いわれる鉄の塊がある。
(市指定文化財)
❺
● 栗橋発電所
大正時代、橋野地区には製鉄所への送電
を主目的に栗 橋・鷲の滝・橋 野の 3 つの発
電所が建設された。栗橋発電所は大正 12
( 1923 )年に開設で、出力 880kW 。水力発
電に用いる水を通すための延長約3kmの導
水路があり、
中村地区の能舟木川に架かるコ
ンクリート製アーチ橋は、大正9(1920)年頃
という建築当時の面影を今に残す。
❶
● 橋野鉄鉱山
日本の近代製鉄業の先駆けとなった遺跡
群。盛岡藩士大島高任による指導のもとで築
造された洋式高炉跡や鉄鉱石採掘場、
運搬
路などの遺構が残る。一般に公開されている
のは橋野高炉跡のみだが、現存する洋式高
炉としては日本最古の3基の高炉跡や、動力
であった水車を回すための水路跡などが往
時の鉄づくりの様子を物語っている。
かまいし「鉄の遺産」
46
● 釜石鉱山
(旧釜石鉱山事務所)
⓬
● 栗林銭座跡
釜石の鉄の歴史を象徴する建物の一つ。昭和26(1951)年に建築。 稗貫郡大迫通大迫銭座(現花巻市大迫町)の分座として、慶応 3
釜石鉱山株式会社の総合事務所であったが、現在は鉱山展示室と (1867)年に盛岡藩から公認された銭座。橋野において鋳銭事業が
して活用されている。釜石鉱山で採取できる鉱石を中心に、歴史使
始まったため、翌々年に高炉を築造したが、明治2(1869)年の鋳銭
用や採掘の道具など約3000点を所蔵。
禁止令により衰退。
(県指定文化財)
(国登録有形文化財)
● 釜石鉄道小川アーチ橋梁2号橋
⓲
● 釜石製鐵所 楽山荘
⓰
● 釜石製鐵所本事務所
高炉用燃料の木炭を小川製炭所から釜石
製鐵所まで輸送するため、明治14(1881)年
に敷設された釜石鉄道小川支線。
その軌道
は撤去されたが、2つのレンガ造りアーチ橋
梁が市道の排水路として今もその役割を果
たしている。2号橋は旧小川小学校入り口近
くにある。
(市指定文化財)
釜石製鐵所の初代所長・横山久太郎が買い取
り、
別邸とした。
のちに製鐵所の迎賓館として、
皇族の宿泊にも使われた。
和洋折衷のデザイン
を施した現建物は、
昭和25
(1950)
年に再建さ
れたもの。
内部は非公開。
昭和 16( 1941 )年建築時の様式を、玄関や
廊下の天井などに見ることができる。
また、創
業者である田中長兵衛と初代所長の横山久
太郎の像が事務所前にある。新日鐵住金釜
石製鐵所の敷地内なので、
見学は予約制。
● 釜石鉱山
(選鉱場跡)
● 釜石鉱山
(550m 坑口)
釜石鉱山は、
幕末の大島高任による大橋高炉の操業成功以来、
130年
以上にわたり国内最大の鉄鉱石採掘場として発展してきた。
選鉱場は、
田中長兵衛による経営の時代から徐々に拡張され、
昭和20年代後半か
らは銅鉱石の選鉱場も建設された。
平成4年に銅、
翌5年に鉄鉱石の採
掘が休止され、
選鉱場の施設も解体された。
昭和5(1930)年に開坑された、鉱石採掘のための坑道。現在は、坑
内の岩盤から湧き出す「仙人秘水」の採水や、反響を利用した音響
実験室での音楽鑑賞、
学術研究などで使われ、
特別公開日にはトロッ
コに乗車して見学ができる。
47
「橋野鉄鉱山」世界遺産登録記念誌 鉄都釜石