と い い。 ﹁広 説 衆 讐 ﹂ は ﹃観 経 ﹄ に は じ め て説 かれ、 これ な 西 山事 相 砂 の広 説衆 讐 に つ いて く し て は、 釈 尊 一代 の教 え は、 悉 く 娑 婆 に留 ま り、 迷 悟 に留 文 源 空 の高 弟 のひ と り 証 空 の著 書 に は、 自 筆 紗 や他 筆 紗、 短 下 俊 編 抄 物、 事 相 紗 な どが あ る。 中 でも 特 に事 相 紗 に つい て は、 ま り出 離 生 死 に至 る こと は出 来 な い。 つま り諸 教 は能 讐 に留. 日 古 来 撰 述 に真 偽 の問題 が 存 す るが、 小 論 で は事 相 砂 に見 られ ﹃観 経 ﹄ は浄 土 三 部 経 の中 に お い ても 最 も 重 視 さ れ て い る。 ま る の で、 安 心 を 得 る こと は な い と いう。 こ の衆 讐 を 説 く 無量寿経 は仏法 の始 めなり、弥陀 の四十八願を以 って仏法 の初 る ﹁広 説 衆 讐 ﹂ と いう 用 語 が ど の様 に使 わ れ て い る かを、 検 て事 相紗 に見 ら れ る ﹁広 説 衆 讐 ﹂ ﹁衆 讐 ﹂ の用 語 は多 用 な意 討 した い の で撰 述 に関 す る真 偽 の問 題 に は立 ち 入 ら な い。 さ 味 に用 いられ て重 視 さ れ て い る。 そ の中 には 事 相 紗 独 自 のも 法花経等 は十如是 を説く と いえども、広説衆警を明かさず所讐 めとなす。観経 は仏 法 の中なり、衆讐を以 って初後を摂す 阿弥 陀経を以 って仏法の終 わりと為す (中略)仏法 の出離生死成仏得 ( 2) 果 は是より外になし のも 見 る こ とが でき る。 中 でも ﹃観 経 秘 決集 ﹄ に は ﹁衆 讐 は 孝 養 父 母 ﹂ と い い、 他 書 に は見 ら れ な いと こ ろ も あ って、 最 も 進 んだ も のが 見 られ る。 と い って、 三部 経 中、 ﹃観 経 ﹄ の ﹁広説 衆 讐 ﹂ の最 重 視 が 見 の体を密す。故に皆諸経 に密す。故 に皆諸経に同ず故に大経弥陀 (3) 経 は諸経 に同ず るを 以 って也 最 も 重視 さ れ て いる が、 そ の理 由 は ﹃観 経 ﹄ に ﹁広 説 衆 讐 ﹂ ら れ る。 ま た衆 警 と いう 点 か ら 見 ると、 大 経、 小経 は 諸 経 と さ て、 西 山 事 相 紗 に お い ても ﹃観 無 量 寿 経 ﹄ は、 諸 経 典 中 が 説 かれ て い る か ら であ る と いう。 ﹃観 経 秘 決 集 ﹄ 巻 九 に は 同 じ であ る と言 う。 つま り ﹃観 経﹄ ひと り ﹁広 説 衆 讐 ﹂ を 説 く 故 に仏 法 の出離、 成 仏 は、 これ よ り 外 に は無 いと言 う の で 広説衆讐と は、 一代 の教 に この説あるべからず。観経 に初 めて ( 1) 自 ら之 を 開 き た も う。 印度學佛教 學研究第 四十巻第 一號.卒成三年十 二月 -237- 西山事相紗 の広説衆讐 に ついて (日 下) 皆 り は皆往生 の衆讐と為る。と いう。 (4) 又 輪 王制 禁 等 種 々世 業 あ り 次 に、 仏 教 以 外 の教 え も ま た衆 讐 であ る と いう。 ﹁仏 法 の (11) 孔 子等 の教 有 り 次 に悪 に つい て、 広 説 衆 讐 に摂 ﹂す と い う。 外 に老 子 は、 み な衆 讐 を説 く と い う。 こ の ﹁浄 土 の法 門 に初 め て衆 讐 又之 を聞 あ る。 観 経 二 経 は皆 衆 讐 の法 門 な り﹂ と い い、 三 世 の諸 仏 (5) の説 相 出 現 し た る な り、 余 経 に は都 て 此 の談 な し 此 れ よ り外 に如 来 ﹁広 説衆 讐 と は 出離 生 死 往 生 極 楽 を 教 ふ る 也 く こと今 生 に始 め て 聞 く、 過 に永 に聞 かぎ りき ﹂、﹁観 経 の衆 讐を以て 出 離 三 昧 を証 す ﹂ や, ﹁善 悪 であ る と い う。 法 界、 そ れ は ﹁森 羅 万 象 悉 く讐 へと し て 極 楽 な わ ち ﹁止 悪 を 以 って 厭離 機 土 と 為 し 修 善 を 以 って欣 求 浄 土 は止 悪 修善 を 体 と す る か ら ﹁戒 は偏 に極 楽 往 生 に あ る﹂、す 浄 土 の宗 義 か ら いう と戒 を も って、 宗 体 と す る と いう。 戒 (14) 皆 出離を障ることなし﹂と い (13) の出 世 の利益 の法 な し ﹂ と いう。 こ のよ う に、 衆 讐 の重 視が う の であ る。 つま り ﹁善 悪 倶 に往 生 の縁 と な り 厭 欣 を 作 す ﹂ 世 間 出 世 の善 悪 因果 皆 往 生 の衆 讐 と 成 る み ら れ た。 ま た 事 相 紗 に見 ら れ る衆 警 の意 味 は多 様 な意 義 に の依 正 を教 ゆ る ﹂ も ので あ り 衆 讐 であ ると いう。 つま り 法 界 と 為 す ﹂ の で、 極 楽 往 生 を 願 い、 西 方 の行 業 を 修 す る こ と 次 に衆 讐 と 戒 に つい て、 (12) 説 か れ て い る の で ﹁観 経 の衆 讐 ﹂ と は如 何 な る も のか を み た の であ って、 善 悪 と も に往 生 の縁 と な り 衆 讐 であ る と いう。 (6) い。 の森 羅 万象 は、 衆 讐 であ ると いう。 ﹁法 界 を 衆 讐 と 知 ら ず し まず 世 間 出 世、 法 界 の万 法 は み な ﹁往 生 極楽 を 顕 は す 讐 ﹂ て、 これ を 見 れ ば、 妄 相 な り ﹂ と いう。 こ の法 界、 森 羅 万 象 は、 持 戒 清 浄 の者 と 同 じ と いう こと が でき る。 た と え 持 戒 清 (7) は 弥陀 の作 り し所 で あ る と 言 う。 即 ち ﹁法 界 は皆 弥 陀 の変 化 浄 な 生 活 を 送 って いて も (8) と 作 す十 六定 散 観 行 の中 に浄 機 真 仮 依 正 因 果 善 悪 の二 法 を 摂 と いう べき であ る。 何 故 な ら ぽ 持 戒 し て威 儀 具 足 す る と し て 世 善 は讐 と 是 れ 二な り 又 此 の世 善 即 ち法 界 な り 又此 の 故 に法 界 り、 念 仏 であ ると いう。 ﹁門 法 と 衆 戒 と此 れ 一な り に留 ま るが 故 に勝 法 に非 ﹂ ず、 浄 土 の戒 は衆 讐 の 法 門 で あ な い か ら であ る。 と み て い る。 ま た 聖 道 の ﹁戒 の法 門 は、 戒 極 楽 往 生 を 願 わ ぬ者 は、 無 戒 の者 し て 広説 衆 讐 と 明 か せ り ﹂、つま り ﹁法 界 は阿弥 陀 の所 成 な (9) れば、 悉 く 往 生 極 楽 の衆 讐 と 成 ﹂ ると いう の であ る。 も、 娑 婆 に お いて は止 悪 修善 はと う て い全 う す る こと は出 来 故 に五眼 六通 百劫 の修行 は皆是れ往 次 に、 仏 道 は往 生 の衆 讐 であ ると いう。 三祇 を戴くが故に仏果 の究 三身 の覚 を以て往生 の衆警と為す 万行方便と は 菩 薩 の六度万行 の衆讐 なり(1身 0) の頂 には肇 生 の衆讐な り 方便皆笙 -238- 法 界 即戒 な り 戒 よ り外 の に 見 ら れ、 孝 養 父 母 に つ いて は ﹃観 経 秘 決 集 ﹄ のみ に見 ら れ 二経 即 ち 戒 皆 是 れ 戒 と 云う は るだ け であ る。 従 って 一つの推 論 と し て、 衆 警 に つ いて最 も (15) 西全 二 16 5 8 11 二〇 〇 頁 6 西 西全 二 二二 三 四七 頁 三 二九 頁 17 西全 二 西全 一 西全 一 西全 - 八三頁 1 4 二〇〇 頁 二五 〇 頁 二七 頁 西全 二 西全 二 西全 二二 浄 土 の法 門 な し﹂ と いう。 衆 讐 と 法 界、 戒 と は 同 二であ り、 四頁 13 19 3 進 ん だ 概 念 を 取 り 入 れ て い る ﹃観 経 秘 決 集 ﹄ は最 も遅 く 成 立 な いか と 考 え ら れ る。 西全 二 三 四 七頁 三六四頁 こ こ に浄 土 の法 門 が あ ると いう O ま た 戒 は念 仏 で あ る と い 此 の孝 養 二= 八 頁 西全 一 二 三 四頁 9 15 西全 一 10 西全 一 し、 そ の前 に完 成 す る のが ﹃当 麻 曼 陀 羅 注 ﹄ であ った の では 往 生 を願 はざ れ ぽ 極 楽 を願 い念 仏 を修 す る は 其 の極 ま る所 は 此 の孝 養 父 母 に有 る 西全 二 二九 八頁 4 西全 二 7 1 九 二頁 三 〇頁 12 二 七 一頁 (西山教義研究所員) ︿キ ー ワー ド﹀ 証 空、 事 相 紗、 広 説衆 壁口 西全 一 西全 一 四頁 18 一〇 頁 二九 六 頁 西全 二 全 二 2 弥 陀 他 力 本 願 を戒 と 云 ふ (中 略) う。 ﹁戒 は是 れ 念 仏 な り (16) 破戒無戒と錐も 持 戒 清 浄 の人 な り と 難 も戒 に 留 ま り て 破 戒 の人 な り 持 戒 清 浄 の人 な り﹂ であ る。 次 に孝養 父 母 に ついて、 こ こ で は世、 戒、 行 の三 福 を孝 養 (17) に おさ め て、 こ の重 視 が み ら れ る。 つま り ﹁三福 を 孝 養 の 一 皆 往 生 極楽 の衆 讐 の為 な り 句 に摂 す る の は衆 讐 往 生 の法 門 ﹂ と い う。 ﹁釈 尊 出 世 の化 儀 は (18) 父 母 の 二句 な り ﹂ ま た ﹁其 の衆 警 と は が 故 に当 に心 を 留 め て 之 を想 ふ べ し 努 々忽 諸 にす る こと な か (19) れ ﹂ な ど と いう、 釈 尊 出世 の目 的が 衆 讐 であ る とし た 上 で、 これ は孝養 父 母 に極 ま る と いう。 以 上 のよ う に多 用 な意 味 を持 った衆 讐 や 広 説 衆 讐 は事 相紗 各 書 に はど の様 に現 れ て い る か を調 べ ると 次 の表 の如 く であ る。 衆 讐が 慈 悲 知 恵、 定 散 念 仏 来 迎、 善 悪 と 共 に関 連 し て 用 い ら れ て いる と ころ は 三十 八巻 各 々に わ た って みら れ るが。 衆 下) 警 と一 戒 に つい て は ﹃観経 秘 決 集 ﹄ と ﹃当 麻 曼 陀 羅 注﹄ の 二本 西山事 相紗 の広説衆讐 に ついて (日 -239-
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