現代 左官事情 各地の百貨店の変貌 <その 153 > 「建築と左官」 写真 231 明治期の江戸黒の見世蔵 通旅籠町の大丸呉服店 画報 近代百年史 第六集 国際文化情報 23. 明治以後の 民衆建築の変遷(53) ものつくり大学 特別客員教授 鈴木 光 花の便りも聞かれるようになりました。 今回は、勧工場に代わって台頭した百貨店 の詳細を見ていきます。 (編集部) 写真 232 藤井大丸呉服店 明治 44 年(1911)京都 清水建設百五十年より 和洋折衷で、塔や時計塔を付設しているもの。 4.2.博覧会の落とし子 4.2.2百貨店 ①百貨店の出現 先月号に示した日本建築学会編の 「建築大辞典第2版」彰国社刊で、勧工 e 場は「○百貨店の進出で衰退した。 」と あるように、勧工場が存在していた期 写真 233 松屋呉服店 明治大正建築写真聚覧より 大正 14 年(1925) 関東大震災を境に百貨店がアールデコの意匠の 建築に変化していく。明治・大正期に繁栄した 建物にある塔は震災後見られなくなる。 間は短かった。明治末期には勧工場か ら百貨店に座を渡すようになる。勧 工場が抱えた民衆の建築としての要素 は、近世から近代への橋渡しの役目が 貨店(写真232・233)になっていく。 百貨店の位置が世の中に確実なものと あったのかと思われる。 さて、ここにある、 「 木骨漆喰塗り」に して、建物は、本格的なルネッサンス 勧工場に見られる西洋を模した建築 関しては、 後日の記載にしたいと思う。 建築様式となり、より華麗な建築と進 は「木骨張り付け」 ・「木骨漆喰塗り」の 東京の百貨店で明治後期に建物を洋 んでいく。特に三越の内外装はルネッ ことである。 「 木骨張り付け」は煉瓦や 風建築とした例として、松屋、三越、 サンスというより、バロック様式を加 石を張り付けたもので、西洋風の意匠 大丸がある。例えば、大丸は、通旅籠 味したものであった。 を持つもので、百貨店や商店建築に受 町の建物を明治41年に改装して、それ け継がれていく。木造漆喰塗りの建物 までの木造平屋建て、黒漆喰土蔵造り が数多く建築されるようになり、呉 (写真231)を「総銅板造り」の洋風建築 百貨店の変貌の一例として、東京日 服店は、今までの江戸黒の建物(写真 としている。明治後期が呉服店から百 本橋の白木屋を取り上げる。白木屋 231)から西洋風に変貌したことで、百 貨店に移る時代で、大正時代になると は、黒漆喰土蔵造りを(写真234)、明 28 No.475 2016 年 3 月号 ②百貨店の変貌
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