2015年度 年報

金 大雄 [email protected]
コンテンツ創成科学部門
芸術工学研究院 コンテンツ・クリエーティブデザイン部門・准教授
■自己紹介
の差が大きく、基本的に児童 1 人ひとりに合わせて
九州芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士前期
学習内容や教材を工夫しなければならない。しかし、
課程修了(1998)、その後熊本ソフトウェアに入社、
特別支援学校は1クラス6人(特別支援学級は8人)
コンテンツカンパニー長を経て 2002 年九州芸術工
で編制されること、高い専門性が求められるため人
科大学芸術情報設計学科講師、2005 年より現職。博
材育成にコストがかかることなどから、教員数が不
士(芸術工学)
。
足しており、児童に最適な教材を継続的に用意する
映像コンテンツデザインとミュージアムコンテン
ことは難しい。
ツデザインを専門にしている。本コンテンツデザイ
この問題を解決するべく、特別支援教育に対して
ンラボでは、多彩なデジタルコンテンツの生成や表
有効なアプローチの多いデジタル教材の導入に関す
現手法、及びその問題点を探ってデジタルメディア
る研究が、全国で行われている。特にタブレット端
表現の可能性を追求している。また、それだけでな
末に関しては、タッチパネルによって直感的に操作
く、現在ある社会的なニーズを的確に捉え、それを
ができること、音声や映像を扱えるため多様な刺激
満たすことができる包括的なデジタルコンテンツの
を学習に取り入れられること、携帯しやすく児童が
設計を実践していくことを研究の中心に据えている。
いつでも扱いやすいことなどから、その有用性に期
待が高まっている。しかし、現在行われている研究
■研究プロジェクトとその内容
特別支援教育におけるタブレット端末を利用した個
人の能力に対応した学習教材の制作
1.はじめに
本研究では特別支援教育を受けている児童を対象
に、その学力や学習方法を自ら変更することができ
るデジタル教材を制作し、その有用性の検証及び今
後の展望について考察した。ゲーム要素を取り入れ
児童が分かりやすいインターフェースを用いること
で操作性を高め、かつ学習意欲の向上や学習に対す
るストレスの削減を可能にする。
2.研究背景
近年、医療の発達や人々の認知度の向上などによ
のほとんどが、授業や日々の生活の中での端末の活
用や既存のアプリケーションによる授業の実践報告
に留まっている。
以上の点を踏まえて、糸島市立前原東中学校と同
市立志摩中学校の特別支援学級を見学した。両中学
校とも PC や大型テレビを用いてデジタル教材を活
用しており、児童らはスムーズに機器を使いこなし
ていた。デジタル教材の活用に関して担当教員の
方々に話を伺ったところ、物事をイメージすること
に困難を抱えている児童にとって、映像や音楽など
を用いた教材は学習意欲を損なうことなく授業を行
うことができるとのアドバイスを頂いた。
特別支援教育において ICT を用いた授業の活用方
法や期待される効果が明らかになってきている。
個々に学力の異なる児童が集まる特別支援学級にお
いて、通常学級と同じように教材開発を進めること
り、発達障害と診断される子供の数は増加傾向にあ
は難しい。しかし、現在は通常学級へのデジタル教
る。また 2004 年に制定された発達障害者支援法によ
材導入が進められている最中であり、少数派の特別
りその定義が明らかにされ、同時に特別支援教育も
支援教育に対応するデジタル教材研究が十分に為さ
大きく見直されることとなった。
れていないのが現状である。
特別支援教育を受ける児童は、障害の程度や学力
3.研究目的
システムを採用したため装備変更ページと、学習の
本研究では特別支援教育を受ける児童が簡単に利
達成度を確認するための記録確認ページがある。
用でき、継続的かつ意欲的に学習を行うことができ
図1は制作したアプリケーションのフロー図であ
るもの、さらに児童の学力に合わせて教材を変化さ
る。ホーム画面に主人公が表示され、そこから各ペ
せられるようなタブレット端末用学習アプリケーシ
ージへ移動することができる。
ョンの制作を行い、今後の特別支援教育教材におけ
る新たな方向性を見出すための提案を行う。児童が
これまでに学習した内容を復習できるような漢字と
数学の問題を用意し、ドリル形式で出題し定着を図
る。
4.先行研究
本研究の前段階研究として、2014年に特別支援
教育のためのタブレット端末を用いた学習コンテン
ツの制作を行い、特別支援学級にて実証実験を行っ
た。制作したコンテンツは iPad 端末のアプリによる
算数教材である。
図 1 コンテンツフロー
計算を習得する際には数字の持
つ「記号的概念」と「量的概念」のつながりを理解
しなければならないので、自ら動かすことのできる
6.コンテンツ制作
ブロックを配置し計算の補助となるようなシステム
今回は小学課程で学習する漢字 1006 字をベースと
を構築した。また、
「ゲーム性」をキーワードに、利
して間違えやすいものや日常で頻出する漢字を抜粋
用する児童が楽しんで活用できるようなものを目指
した漢字教材と、数学の基本的な四則演算のうち除
した。その際に①教材に収集要素などのゲーム性を
算を除いたものに、時刻の読み取りとお金の計算を
取り入れることは、学習への抵抗感やストレスを削
加えた数学教材の 2 つを合わせた学習アプリを制作
減するのに有効であること②正解に対する反応を即
した。さらに、特別支援教育で必要とされている「児
座に返すことで達成感を高めることができること③
童の学習レベルに合わせた教育」を実現するために、
学習の方法を児童に選択させることが意欲に繋がる
児童をモチーフにしたアバターの装備品を付け替え
こと。などの特徴点を確認することができた。一方
ることにより、問題の難易度を変更できるようなシ
で、①学力の幅が大きい特別支援教育において単一
ステムを設計した。また、ゲーム要素として「ステ
の教材ではカバーしきれないこと②達成度やクリア
ージ攻略」と「収集要素」、また、「難易度による報
の程度によって報酬を変え、学習意欲を刺激するこ
酬の変更」を採用した。これは児童へのフィードバ
と③児童の連打や二重タップを想定したユーザーイ
ックがしやすく、学習進度や達成度がひと目で分か
ンターフェースを考えること、などの課題も発見す
るためである。それぞれの項目について、以下に記
ることができた。
述する。
5.コンテンツ仕様
・漢字教材
本コンテンツは大きく漢字教材と数学教材の2つ
漢字の学習教材では部首ごとにまとめられた漢字
で構成される。漢字教材は、部首の修得を軸とした
を学習する。学習する部首を選択しその解説を読ん
イメージ学習を取り入れる。数学教材は基礎的な可
だ後、4 コマ漫画の空欄を埋めるという教材が始ま
算、減算、乗算に加え、時刻の読み取りやお金の計
る。児童は正解だと思う漢字のパネルを空欄にドラ
算を取り入れた学習を行う。
ッグし、その正否をチェックする。全ての空欄を埋
アプリの仕様は以下の通りである。
めるとクリアとなる。
(図2)
・コンテンツ名:
「スタ☆スタ」
・対象:特別支援学級に通う児童生徒
・仕様端末:Nexus7
また、学習難易度を主人公の装備によって変更する
・数学教材
学習する単元を選択すると、キャラクターが敵か
ら逃げるゲームが始まる。立ちふさがる敵を退ける
ために、出題された問題の答えとなるボタンをタッ
クリアの場合、報酬として銀メダルが、前述した教
プする。正解であれば次へ、不正解ならば一定時間
材を難しくする装備でクリアした場合は、金メダル
操作不能になる。制限時間内に全ての問題を正解す
るとクリアとなる。(図3)
が獲得できる。また、難しくする装備を全て付けて
クリアすることで、王冠が獲得できる。難易度によ
り報酬を変えることで、学習意欲の向上と継続を目
指した。
(図5)
図 2 漢字教材の流れ
図 5 記録画面の解説
7.実証実験
本研究で制作したデジタル教材が特別支援教育を
受ける児童に対して有効なものであるか、実用化に
向けての問題点を明らかにすべく、実証実験を行っ
図 3 数学教材の画面解説
た。
(図6)
・装備の選択
児童はアバターの装備を変更することで、教材の
問題数を減らしたり、制限時間を延長したりできる。
これにより、児童の学力や勉強方法に合わせた教材
の提供を実現した。また、教材を易しく感じる児童
のために問題を難しくする装備も実装した。装備の
変更は、ホーム画面のキャラクターに反映され、い
つでも確認できる。(図4)
図 6 実証実験の様子(前原東中学校)
実験は糸島市立前原東中学校と同市立志摩中学校
の特別支援学級で行った。本コンテンツを数日間置
いていただき、児童が自由に利用できる環境を整え
た。合計で21名の児童に協力していただいた。評
価は児童へのアンケートによる主観評価と指導教員
へのインタビューの2通りの方法で行った。
アンケート結果について、漢字と数学それぞれの教
材に関してほとんどの児童がとても楽しかった、楽
しかったとポジティブな回答をした一方で、普段か
ら学習に苦手意識を持っている児童の一部はつまら
図 4 装備変更の流れ
なかったと回答した。そのような児童でも楽しめる
コンテンツを目指していたので、ゲーム性に関して
・学習記録の確認
クリアした問題は、記録画面で確認できる。通常
まだ追求するべき点があると感じた。
次に、教材難易度に関する質問に対しては、ほぼ全
員の児童が簡単だったと答えた。理由としては、学
習内容が小学教育課程で習うものの復習であったこ
いい。
と、被験者が設計時に想定していた児童より比較的
・数学ゲーム時のキャラクターをもっと動かして欲
学力が高かったことなどが挙げられる。一方で難し
しい。
かったと答える児童も存在したため、基礎的な内容
・クリアによって装備を増やしてほしい。
を取り入れつつさらに発展的な学習を展開できるよ
・もっと発展的な内容に挑戦できるようにして欲し
う幅を広げなければならないことが分かった。
い。
また、学習難易度変更のための装備変更に関しては、
・復習機能を付けて欲しい。
過半数の児童が楽しんでいたこと、自分の難易度に
・社会や理科などの教科を追加して欲しい。
合った装備を付けて学習できたと回答していたこと
アンケートで得られた要望に関して、考察を述べる。
から、ゲームシステムによる教材難易度変更は有用
キャラクターごとのセリフやストーリーに関して、
性があると言える。また、装備品という分かりやす
ゲーム性を高めるためにキャラクターについて作り
いフィードバックにしたこともその要因の一つであ
込んで教材に反映すべきであった。一方で、キャラ
ると考えられる。一方で、装備のバリエーションが
クターに興味を持って利用していたことがわかった。
少ないこと、初めから装備が揃っていることなどか
また、ゲーム画面のキャラクターの動きをもっと楽
らつまらないと回答した児童もいた。学習の達成度
しくして欲しいという感想もあった。
により装備を獲得できたり、グラフィックを洗練さ
クリア時の展開は、メダルがもらえるだけでなく、
せたりといったゲーム性を高める工夫や発想が足り
装備の種類が増えたり、発展的な内容を学習できた
なかった。
りというように豊かにするべきである。クリア時の
報酬に関して、ほとんどの児童がその存在を認識し
報酬で児童の学習意欲を高められることがわかって
ており、また高難易度問題に挑戦するという姿が見
いるため、その後の教材の展開を含めて考え直す必
られた。クリア時の難易度によって報酬が変わるよ
要がある。
うに設計したことから、今後発展的な内容を教材に
問題を間違えた際に初めからやり直すのではなく、
取り入れた際、報酬を調節すれば児童が自ら取り組
間違えた問題を重点的に学習できるシステムを取り
む動機になるという結果が得られた。しかし、得ら
付けるべきであった。また、漢字や数学だけでなく
れる報酬がタブレット端末上でのデータでしかなく、
社会や理科に対応したデジタル教材を望む声もあっ
現実味が無いため報酬のメダルそのものに関心を示
たので、今後のデジタル教材制作の手助けとなるで
さない児童も存在した。
あろう。
また、本研究で制作した教材への期待感を尋ねる
検証終了後、担当教員の方々から今回のコンテンツ
質問に対しては、1名を除くほとんどの児童がまた
について、またコンテンツを利用している際の児童
使いたいと回答をした。制作したコンテンツの有用
の様子について意見を頂いた。以下にその内容の一
性を確認することができたとともに、今後のタブレ
部を挙げる。
ット教材への期待を感じることができた。
アンケートの最後では、アプリ全体に関して自由に
・漢字教材に関して、部首への理解は漢字の修得に
感想を記述してもらった。以下にその抜粋例を挙げ
大きく影響するので、今回の教材は良いものであっ
る。
た。
・漢字の読みに特化した教材だったので、書きを学
■肯定的な内容
習できるものも欲しい。
・分からない漢字を確認することができた。
・数学教材に関して、お金の計算はゲーム感覚で教
・誰でも楽しむことができると思う。
えられる教材がないため、児童が新鮮な気持ちで楽
・ゲームオーバーになると悔しいので、金メダルを
しめていた。また、日常生活での活用を考えた出題
目指して頑張れた。
方法(レジでの買い物シーンなど)を取り入れると
・金メダルをコンプリートできたとき、すごく嬉し
良い。
かった。
・装備機能に関して、児童は装備のシステムを理解
して活用しているようだった。
■要望的な内容
・いろんな方法を用いて目標を達成するというプロ
・キャラクターごとにセリフやストーリーがあると
セスを、経験できるのが良い。
・今後の展望に関して、社会や理科などの他の 5 教
科はもちろん、美術や家庭科などの副教科などでも
活かせる教材が欲しい。
・学習障害の児童のためという観点だけではなく、
情緒障害の児童でも安心して使える教材を開発して
欲しい。
特別支援学級の教員の方々からは概ね高評価を得
ることができた。またデジタル教材に対する期待が
高まっており、あらゆる場面で利用したいとの意見
を得られた。
また、利用する児童を観察していると、お互いにコ
ミュニケーションを取って同じステージを同時にス
タートし、そのクリアタイムを競うといったような
利用の仕方が見られた。それぞれの教材の中で完結
するのではなく、互いにコミュニケーションを取る
機能を追加することで、学習意欲の向上につながる
と考える。
8.まとめ
本研究は、ゲーム性を取り入れたタブレット端末教
材アプリケーションは児童の自発的な学習および学
習意欲の向上に役立つのか、また自らの学習の形に
合わせて教材を変化させることが有効であるのかを
検証し、大きな転換期を迎える特別支援教育におい
て新たな教材の方向性を提案するものであった。
検証結果として、ゲーム性のあるタブレット端末用
教材は、児童の学習意欲向上や学習に対する抵抗を
減らすことができるという結果を得ることができた。
また、報酬を工夫すれば発展的な内容に挑戦するこ
と、自分でカスタマイズできる問題形式が有効であ
ることなども分かった。一方で、報酬の内容や手に
入るタイミング、クリア時の展開について充実させ
ること、児童同士のコミュニケーションを取り入れ
る必要があることなどの課題も見つかった。特別支
援教材は個人差のある学力に対応できるよう、幅広
い学習範囲を網羅すること、目的を常に意識させる
ようなインターフェースを採用すること、自立の手
助けとなるような内容を学べることなどが重要にな
ってくる。