中井家支配下の農村大工組における定書について

-4
9-
大阪市立大学生活科 学部紀要 ・第 4
4
巻 (
1
9
9
6
)
中井家支配下の農村大工組 における定書 について
植松清志 ・谷
直樹
Ont
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gu一
a
t
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onsoft
he NakaiAgr
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KI
YOSHIUEMATSU andNAOKITANI
1 は じめに
9
3
)前後 の定書 で は、 中井主水正 や乾越 中 な どの よ うに
個 人名であ るの に対 し、享保期 以 後 は、 中井主 水役人 中
江戸時代 にお け る徳川幕府 の支配 体制 は、徳川 家康 に
よる江戸開幕 か ら、 5代将軍綱吉 の ころまで の江戸時代
・中井役所 な ど とな り、宛先 に変化 がみ られ る。
前期 につ くりあげ られた。 また、 この時期 は、戟 乱 の時
出典 の地域 は、摂州 (
松 原 家 文 書 ・上 田家 文 書 ●
5
)、
代か ら平和 な時代 へ と転換 す るなか で完成 した支配 ・統
何州 (
平橋家文書 ・中辻 家文書 '
6
)、泉州 (
樽井 町誌 )、
治 の システムが、 さまざまな局面 で変化 をみせ、新 たな
江州 (
小 山家 文 書 ・村 谷 家 文 書 ・村 上 家 文 書 )、 和 州
矛盾 を生 み出 しつつ も維持 された時期 で もあ った ●
1
。こ
(
且戸家文書) の よ うに広範 囲 にわた って い る。
の支配体制 は、政治機構 と制度 そ して公布 され た法 によ
3 条文の検討
って運営 され、神威 よ りも法度 によ る支配 をめ ざ して い
表 -1に掲 げた史料 の記載 内容 を、 A :公儀 法度 の遵
た■
2
。
このよ うな、法 によ る支配体制 は、 あ らゆ る階層 にお
大工 仕 事 に関 す る規定 、 D :組
守、 B :御用勤仕 、 C:
いて、法度 ・定 とい う形式 を もって維持 され、 中井家が
仲 間運用規定 に分 類 して み る と、 組 全 体 に示 され た定
支配 した五畿 内近 江 の大工組 において も、発令 された法
書■
丁
の ほ とん どに 4分類 の内容 が含 まれて い る。 す な わ
度 ・定 を遵守 す る形 式 で、仲間が組織 ・運営 され て きた。
ち、概 ね公儀法度 の遵守 、御 用勤仕 とい う上 に対 す る誓
建築 に関す る作事 法度 や大工組 の定書 に関す る研究 に
詞 を まず掲 げ、 その後 に、大工 仕事 や組仲間運 用規定 に
は、作事法度 の変遷 ・定書 の分析 を通 して、 中井 家 の支
関 す る事項 を示 す構成 とな る。 これ らの定書 の条文 に記
配 を考察 した研究 ●
3
、大工組 の定書 を分析 ・検討 して、
8
。
され た内容 を項 目別 に分類 した ものが表 -2で あ る●
7
世紀 末、史料
表中の定書 の時期 は、初期 (
元禄期 -1
その実態 を解 明 した研究 な どがあ る●
4
。
NO.
2- 6)
、 中期 (
享 保期 -1
8世 紀 前 、 安 永 ・天 明期
本稿 は、 これ らの研究 の成果 によ りなが ら、 中井家支
配下 の農村大工組 の定書 の条文 を長 期 的 に分析 ・検討 し、
-1
8
世紀後、史料 NO.
9-1
4
)
、後 期 (
享和 ・文政期 -1
各大土組 にお ける定書 の共通性 や独 自性 な どが発生 す る
9
世紀前、天保 ・安政期 -1
9
世 紀 後 、 史 料 NO.
1
8-31
)
過程 につ いて考察 す る ものであ る。
の 3期 に、大 き く区分 す る ことがで きる。
項 目の分布 を見 ると、初期 (
義 - 2 (a)) で は、 A
2 史 料
・Bにつ いて は同一条文 中で示 して い る。 Cで は、雇 い、
本稿 で用 い る史料 は、 中井家支配下 の農村大工 組 に関
寄 合、入用
作料、入 り込 み、細工 の作法 な ど、 Dで は、-
す る文書 中 の定書、 もしくはそれ に類 す る もので (
表-
につ いて規定 されて い るが、総 じて、 A ・B ・C分類 の
1)、期 間 は江戸 時代前期 の元禄期 (
1
7
世紀末期) か ら、
規定 に重点 が置 かれて い る。 この時期 は、各組 の定書 の
1
9
世紀後半 ) までであ る。
安政期 (
条文 に共通点 が多 く、整備 され た定書 の成立期 とす る こ
史料 を見 ると、 「覚 」「
一札之事 」「乍恐 口上 書 」 な ど
とがで きよ う。
のよ うに、表題 か らは定書 と判 断 しがたい もの もあ るが、
中期 (
義 - 2 (b)
)で は、 A ・Bに関 す る記 述 が独
これ らには定書 に規定 されて い る内容 が含 まれて い る場
立 して示 され、 細分化 して い る。 Cで は、雇 い に関 す る
合が多 いので、分析 ・検討 の対象 と した。
記述 が減少 し、作料、入 り込 み、細工 の作法 に関す る記
次 に、宛先 を見 る と、 中井役所 の成立 (
元禄 6年、 1
6
述 が詳細 にな る。 Dにつ いて は、寄合、入用 に関す る記
(1)
- 5
0-
生活環境学科
義 -1 史料IJ
E
史
料 l)
申 渡
2
3
4
姐 中定 之 事2)
仲 ケ同定之 事 3)
仲ケ同定之 事 4)
表見欠5)
伸 同定之 事6)
5
6
7
記載無
覚7)
8
定e)
大 工 仲ケ同定之 事 9)
大 工 仲 同定之事 ID)
ー
ー′
l ノーノ
1
0
仲ケ同定法 附 仕法 之事 14)
寛政4・82
表∬欠
寛 政 12・88
一札之 事 15)
手相 l・
8
6(1
8
01)
記載無 1
6)
手相3・
B8
乍 恐 口上 暮 1
7)
文 ヒ1 ・18(1
884)
定法暮
文 ヒ2 ・ll・
1
8)
文化 5 ・
82
乍 恐 口上 雷 19)
文 化 13
・
1
2
大 工姐 内定之事 28)
文 化l
小5
文 政 3・
8
1(1
8
28)
文 政 3・83
文 政 3・83
文 政 3・12
天 保 13・81(1
84
2)
嘉 永 5・18(1
85
2)
向寄 定之事
安政7・81(1
8
68)
定
e3
宛
大 工 狙
i地
先
中井主水正一六宙宮大工組頭
姐中一 (乾越中・
佃市左 術 円.
也)
姐中一拡越中・
佃市左術 門他
組頭 一乾越中・
個市左術 門他
姐中→乾越中・
個市左鮪 門他
(姐碩一乾越中・
個市左 術 門他 )
中井主水正一組頭
0
0
定定
組頭 一組 中
組頭 一中井 主水 役 人 中
姐 靖 →中井 主水役 ^中
組頭姐 中 →中井主 水
中井 主水 役所 一組 頑 ・大工共
中井 役所 →三組 中
年寄 →中井 役所
姐 一中井 役所
足雇 大工 一三姐 年寄
姐領 一姐 中
高嶋 郡組頭 連 名 一 中井 稚三郎
蒲 生 郡組 頭 一中藤 三 郎役所
姐 中 →中井主 水 役所
姐 中 一中井 藤三郎 役 所
姐 中 一斬大 工
向寄 一組 頭
組 頭 →中井 岡次郎 役所
弟子 →中井 役所
組頭 ・弟 子 一中井 岡次郎役所
組頭 →中井 主 水役所
中井役所 一組 中
向寄 (→組頭 )
役大 工 中 一中井 役所
薗国
賓郡
六 箇 宮大 工姐
甲賀郡大 工 姐
(万木組 )
吉左術 門姐
横江姐
辺郡
沌池姐
河 州
河 州
高嶋 郡
摂 津
高嶋 郡
高嶋 郡
高嶋 郡
河 州
河 州
河 州
蒲生 郡
l
;松原 豪 文 雷
:中山寺 文暮
:村谷 電 文 暮
:上田家 文暮
l
9
:村谷 家 文雷
;
I
r
; 6 ;貝戸 電 文暮
横 江姐
古地組
福井 姐
井部
河 州
甲賞
甲¥
甲I
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佐 次右 術 円
伊 右術 門
作左術 円
中 西八兵 術
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:7
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. 18 : 樽 井町誌 J
那
州
下郡
郡部 郡部津 郡部
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k 嶋生
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明政
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2 22 23 24 載
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記
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1
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16
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1
8
19
28
点字3・
al(1
68
6)
元禄5・
88
8
8(1
692)
元 禄6
元 禄 7・
8
1
元 禄 7・
0
1
1
6
元 禄 7・
8
7
元 禄8・86
元 禄 16)81
84
正徳2・12(1
71
2)
享保 15・88(1
738 )
享 保 15・ll
享保 16
.
88
77
9)
安 永8・
8
1 1
:
郡津 郡 州 都
陀嶋
六甲高摂 高 泉宇高河 鴨川浅
I
発 行年月日
:
浅 井郡大 工姐
古檎姐
山北 ・柏木 ・
仙姐
仙・
山北 ・
柏 木姐
柏木 ・山北 ・
仙姐
柏木 ・
山北 ・
仙姐
福 井姐
横江 ・
万木 ・
太 田 霜降姐
蒲生郡大 工 姐
舌植姐
舌檎 姐
(横江姐 )
福井 向寄
横江 姐
横江姐
万 木組
古格姐
太平 寺姐
太 平寺姐
蒲生 郡大 工 姐
中 西八 兵 術
惣 左術 門
吉 左術 門
久 右術 円
兵 左Wi
門
,
+
5左術 円
,
f
B右術 門他
弥 五兵 術 他
弥 五兵 術 他
,
8
5右術 門他
吉 左術門
八 兵術 他
高 木作右術 門
惣 左衝 門
,
f
C左術 門
八 兵術
代 又兵 術
八 兵術
;4
:村谷 青文 暮
l
:平穏 青 文 暮
: 14 ;上t
B家 文 暮
l
: 12 ;松原 青文 雷
:l
l :びわ町 教卓
; 1
2 ;平檀 家 文 書
; 1
8 :
'小山家 文 暮
.
I6 l
:小山 家文 雷
!7 :小山 豪文 暮
;3 ;中山寺 文
:
E家 文 雷
I 28 :
l上t
: 6 :村谷 家 文 暮
.
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'村上 豪文 雷
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: 1
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:平穏 豪 文 雷
: 4 :平檀 家 文雷
;4 :村谷 豪 文暮
; 3 ;上田 家 文 雷
:
I ll :
I村谷 家 文 暮
: 7 :村谷 家 文 暮
;7
史 朋J24
: 1
2 :
I
l平檀 家 文 暮
: 5 ;中辻 青 文 暮
;6 ;中辻 家 文 暮
: 28 ;村上 青 文 雷
l
;5
l
雷
;r
恐 左術 門
( )は推定
1) 史 料名 は 、冊子 の場合 には スぺ - ス の 関係か ら文 雷 の表題 を示 した 。
2)
本 史料 の冊子 の蓑 臥 ま、 「元 禄五 年 江 州 甲賀郡 大工 姐 中定帳 壬 申八月 」であ る 。これ に は宛 先が明 記 され てい な いが 、末 尾に r中主 水 正 (印 ) 江 州 甲箪郡大
仇3では 、宛 先 と して中井家 の手代 3^ (他 は捕 部利兵 術 )が明 記 され てい るが 中井 主水正 の 署名が ない 。
工 姐 共へ 」とあ り、中井主 水正 の承 誼 を受 け てい る。ト
N0.4 では宛先 と中井主 水正 の承認が とも に明 記 され てい る 。以上 の ことか ら、宛先 を乾越 中 ・佃 市左 紙 門 ・服 部利 兵術 と推定 した 。な お 、この史 料 は是 正Jfr江洲
甲賀 の大工仲 間 J
経 済論 叢 J第 25巻 4号 1927) に意 訳 で紹 介 され てい る。
本 史料 の冊子 の蓑臥 ま、 「元 禄六 年 大 工 中 ケ 同定 之帳 酉 ノ 近江 高嶋 郡西 万木村 組 頭 伊 右術 門 」で あ る 。姐 名 は居住地 よ り推定 した (吉田高子 r中井 役所 支
B形 典他 r近 江 国 高島 郡 の大工仲 間史料 (下 )
史朋 J
24号 1
988・1
2)に紹 介 され て
配 六 箇 国大工 姐 の構成 形 態 と変遷 に 内す る研 究 J)。 な お 、この史 料 は藤 E
い る。
本史料 の冊子 の去臥 ま、 r元 禄七 年 大 工 中 ケ同定 之帳 成 正月 津 宮嶋 下郡福井 村 大 工 組頭 作左右 術 門 」で あ る。狙 名 は r中井家 大 工支配 の研 究 Jによ る。
姐 毛 は 、 l中井家 大工 支配 の研究 い こよ る 。
本史料 では宛 先が明 記 され ていな いが 、この 央 霊 は N0.4 と同文 でN9.5 とも頬 似 してい るこ とか ら、これ らと同様 の宛 先 と推定 した 。
年代 は 、 l中井家大 工 支配 の研究 い こよ る 。
本 史料 は 、組 下 の各組 へ正 徳 3年 正 月 に出 された 。
本 史料 の冊子 の去 臥 ま、 r享 保十 五 年 大 工 仲 同定 霊 威 八月 福井 村大工 与頭 書 左術 門 」であ る。
姐 名 ・姐 帝名 は 、貼紙 の上 に雷か れ てい る 。その下 には 、姐 名 は雷松 組 、姐軌 ま利助 と記 され てい る 。
本史料 の冊子 の蓑臥 ま、 「享保十 六 辛 亥年 八 月 大 工 仲ケ同定帳 江 洲 浅井 即席 国村 組 頭 兵 左 術 円」であ る 。
本 史料 の冊子 の蓑臥 ま、 r安 永八 年 亥正 月 中井 主水様於 御役所 都 税 被下 置候 御定法 之 写 井 二組 中不 残 車最知 連 名 印形 帳 」であ る 。
恐 右術 円は年 寄代 で 、他 の柏 木絶 大兵 術 ・仙 姐 角右術 円も 同様 であ る。
本 史料 の義臥 ま、 r江 州上 甲賀郡 大 工 伸 ケ 同定 法附 仕法之 事 」であ る 。弥 五兵 術 は仙 姐 年寄 、他 の年 寄 は 山北姐 治も 術 門 ・柏木姐五兵 術 であ る。
山北姐 ,
S
B右術 門は年 寄 で 、他 は仙 姐耳 介 ・柏 木姐 梅兵 術で あ る 。
本 史料 の冊子 の蓑 臥 ま、 「大工仲 同定法 暮 摂 州 福井 姐」であ る 。
他 の姐軌 ま、万 木組 伊 右術 門 、太 田姐 重三 郎 、霜降 姐治兵 術 であ る 。
本 史料 の冊子 の去且 は 、 r文 化二 丑 年 口月 御定 法 暮連判 帳 河州茨 田郡古櫨 姐 組頭,
f
t
5左 術 門 」であ る 。
本 史料 の冊子 の蓑臥 ま、 r文化五 年 辰二 月 乍 恐 奉厳 達印帳 河州 舌 櫨姐 大 工共 」であ る 。
r横 江 村 姐 帝 八 兵 術」とある こ とか ら 、姐 名 を横 江姐 と推定 した 。
本 史料 の冊子 の真跡 ま、 r文政三 年 辰 ノ正 月 校 横江姐 定 法帳 」であ る。
本 史 料 の冊子 の表臥 ま、 r横江姐 姐法 ケ 集1」であ る。宛 先 は .稚 田k'
典 「高島 郡 の大 工 仲 間横 江 姐」(r
日本宗 教社会 史論 叢 J 国暮刊 行会 昭和 57年 11
月 )に
よ る.
本 史料 の冊子 の表臥 ま、 r万木組 弟子大 工 姐 法 ケ集 暮」であ る.末 尾 にi
g
:
所 か ら r万ホ姐 与頭 甥 (高 )は 弟 子大 工 江 Jとあ るこ とか ら宛先 を推定 した .
本 史料 の冊子 の蓑臥 ま、 「文政三 歳 十 二月 御 定 法 暮連判 帳 」であ る。
(r
3)
4)
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Il)
1
2)
1
3)
1
4)
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17)
8)
9)
28)
21)
22)
1
1
23)
24)
J
さ
くr
(2)
植松 ・谷 :中井家支配下の定書
- 51-
義 -2(
a) 条文内容一覧
史料N
O
分 類
ヽ項 ヽ
目
度の遵守
A :公儀法
B:
仕御用動
0
▲一
7
3 8
4 9
5
百姓万作事制限の遵守
普請願書の手続き
作事法度の遵守
違
反
1
4
卜4
卜4
卜5
卜5
卜5
卜1
卜1
1
1
1
)
ト
Z
,
ト6 卜2
,
ト6 卜
2
,ト6 (
京都召喚
御 用
手透きが ない場合、拾物
2
3
2
6 1
0
卜4
卜5
卜1
1
21
6
2
4
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,
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)
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(
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く
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D
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I
1
,
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2
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(
Z
)
作法
細工
(
の
2
) 細工のせ
素人と
戸
切 .障子
下請負の禁止
艶馴れ合わない
り落 し、横取 りの禁止等
5
2
5
3
2
3
0
∩
2
(
5
3
)
2
)
3
2
(
2
) 支
用
入
種 支
幣
収
徴
収
出
1
6
2
I
8
2
1
9
7
.
1
(
9
2
)
1
0
2
1
翠
仕
工
大
C
●主
雇
対
Ⅰ い
(
1
) 我がままをいわない
遠方の場合
雇
高下をし
領の不明示
無役
額の明示
入
施主へ
札
.の迷惑
他国大工等
ない
(
2)
料
作
定
規
す
関
に 工
る
間
大
Ⅱ み
追
入
り
(
1 )
違
得意先試
支配内大工
他国
入 り反
込みの作
.他紙大工、他軌等
り 法
●
L
4
9
礼
印
所
紛失
交 め
持
付
.返上
(
3
) 改
入
礼
く
4
) 違反
外大工の落札
入札の方法
値下げの禁止
出入大工へ届ける
一訴訟
丑
無役大工
7
-I
8
-1
加
入
弟子
新
他国大工
親
.不奉公弟子
定
演
運
用
間
仲
租
D
●過
仲
間
Ⅰ A
育
l
(
コ
1
) 徒党の禁止
議
参
時 決
期
加
5
-1
5
-1
組
頭
Ⅰ
Ⅱ 年
軍
. 組頭の相続
組頭
仕 串
.年寄
・史料N
O
の右下の数字は粂文数を示す。
・表中の数字は条文の順位を、ハイ
7
>
の後の数字は記述のJ
l
n位を示す。
・( )は推定。
(3)
3
-1
(
5
-1
)
3
-1
- 5
2-
生活環境学科
義 -2(
b) 条文 内容一覧
分 類
項
史料N
目
O
A ;公儀法
作夢法度の遵守
寺社万作事制限の遵守
度の遵守
a :御用助
仕
甘諸般書の手続き
百姓万作事制限の遵守
違 反
御 用
珊 召喚
95
1
1
0
1
4
l
l1
2
1
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l
1
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O
1
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2
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卜
之
2
1
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2
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2
2
4
2
1
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2
1
2
2
2
2
2
3
1
i
1
2
3
2
トl
2
5
附
7
2
1
1
2
1
1
0
2
.
1
2
2
5
.
7
3
5
2
1
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2
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2
,
1
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6
I
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1
0
1
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3
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4
I
,
7 2
6
2
.
4
,
9 3
2
.
4
附
林工
作法
の 下請負の禁止
切
戸
素人と馴れ合わない
細工のせり
.障子
取
落し、横取 りの寮止等
I
9
1
0
2
3
7
1
8
3
2
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2
育
A
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2
1
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2
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4
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T
3
7
4
1
3
1
1
卜1
い 手透きがない場合、拾物
遠方の場合
施主への迷惑
入
無役札
.他国大工等
大
工
C
●対
雇
主
Ⅰ 雇
く
1
)
(
2)
作
料
事
仕
に
開
入
額の不明示
顎の明示
高下をし
雅がままをいわない
ない
他国 .他阻大工、地脈等
定
す
親
る
違
得意先払り
支配内大工
反
追
み
り
Ⅱ (1)
工
大
間
l
入り込みの作法
(
2
)
参
加
議
徒党の素止
決
(
2
) 収
種 支
熱
用
入
支
徴
収
出
5
8
4
1
0
3
3
l
1,
l
ち.
1
0
2
19
l
1
l
ト
卜
3
Z
1 5
十
4
3
6
4
3
,
7
礼
印
所
紛失
改 持
付
め
.返上
(
3
) 交
入
礼
(
4
) 入札の方法
外大工の荷札
値下げの禁止
出入大工へ届ける
違反 .訴訟
柄
定
規
運
間
叔
仲
D
●組
間
仲
Ⅰ (
1
)
時 期
(4)
3
2
1
3
一
3
2
l'
4
2
1
5
2
1
a
6
2
1
植松 ・谷 :中井家支配下 の定書
- 5
3-
義 -2(
C) 条文 内容一 覧
.
.
■
■
・
■
一
一
一
■
■
■
一
・
一
■
史料
■
ー
+
★
N
O
・
分 類
A :公農法
虎の遵守
a
_
仕
:御用勤
二
大
C
工
●主
堰
対
Ⅰ
込
入
り
工
間
大
丑 (
1
)
2
95 3
2
1
8
2
-I
2
3
2
ト之
2
1
2
2
卜之
京滞召喚
御 用
卜2
1
,
3
卜l
卜1
,
2
2 1
4
3
8
.
1
8
2
2
6
1
4
2
1
7
3
6
2
5
7
1
J
7
'
L
1
4
3
附-Ii 5
2
1
4
7
9
2
1
,
9
a
.
日 日
2
3
,
4 3
1
4
I
_
_
6
と
1
ト
0
3
-1
3
8
.
5
4
,
1
ー
〕5
1
4
2
4附.
2 2
1
0
l
7
l
,
1
3
い
雇
(
1
) 無役
施主への迷惑
入
手透きがない場合、拾物
遠方の場合
札
,他国大工等
み
2
67
卜1
3
-1
,
4
-1
3
5
3
2
我がままをいわない
高下をしない
定
親
関
す
る
2
5l
l
2
8 '
作事法度の遵守
寺社万作事制限の遵守
違
管謂願書の手続き
百姓万作事制限の遵守
反
料
作
(
2) 額の不明示
額の明示
に
事
仕
2
0
1
8 2
0
I項 頂
違
得芸先譲り
支配内大工
他国反
.他範大工、他職等
入 り込みの作法-
(
2
) 戸
下請負の禁止
細工
作法
の
茶人と
切
組工のせ
.障子
租馴れ合わない
り落し、横塀_
りの禁止等
1
0
2
7
2
,
1
3
2
附
4
2
6
1
6
2
(
2
) 支
種
類
収
支
出
用
入
徴 収
1
5
3 6
2
0
2
1
5
2
2
,
1
9
5
3
,
5
5
2
け
I
,
2
4
5
9
「
4
3
7
1
2
5
1
2
(
3
)
札
印
一 紛失
交
所
改 め
付
持
.返上
'
2
2
1
l
1
卜
ト
ト1
3
2
. 3
2
2
1
3
附
2
軌
規
用
定
運
間
仲
D
●組
間
Ⅰ
顔
級
Ⅱ育
令
く
1) 徒党の禁止
議
参
時 決
加
期
2
0
5
7
2
4
8
4
1
卜
4
0
6
3
3
.
2
1
7
,
1
8
2
9
6
1
5
8
3
,
2
5
,
1
6,
1
∫
7
,
1
9
,
21
,
2
2 5
3
6
3
4
2
1
仲
Ⅳ
加
入
の
也
そ
Ⅱ
礼
A
育
早
●
弟子
新
無役大工
親類
組節の相続
仕
他国大工
仕事の制限
組人数
値下
違反
入札の方法
引越
外大工の落札
株分け
出入大工へ届ける
げの禁止
事
鶴
し
.不奉公弟子
訴訟
年寄
(
4
) 慮いの作法
(5)
2
1
2
2
2
3
1
,
3
2
6
1
4
1
1
4
2
1
2
2
(
}
2
5
3
,
5
5
6
2
0
,
2
4
5
7
4
2
8
4
5
2
1
3
3
9
2
2
6
1
5
7
8
3
,
2
1
5
,
1
6
,
1
9
,
21
,
2
2
- 5
4-
生活環境学科
述が詳細 になり、入札に関す る規定が充実 して くる。 さ
られていた ものが、独立 した条文 として示すために、体
らに、弟子 に関す る記述 も現れ、 D分類に関する事項 に
裁が整え られた と考え られる。
天明期 (
1
8
世紀末)の甲賀郡で は、寺社 ・百姓家を請
定 の重点が置かれ るようになる。 この時期は、条文数 も
増 える傾向にあり、定書の充実期 と見 ることができよう。
け負えば、年寄へ届けて差 し図を受 けるが、
Iこれ は組頭
)では、 A ・B分類 に関す る記述
後期 (
義 - 2 (C)
の退転 による年寄支配への移行によるもので、同郡では
Dに関す る記述 の比重が増す。 Cで
の比重が減 り、 C・
寺社 ・百姓家の作事 は三組 ●9年番年寄へ届 け、年寄 の下
は、作料、入 り込み、細工 の作法に、 Dでは、寄合、入
知にて細工をす ることが以後 も続 いている。
享和期 (
1
9
世紀初)の福井組では、寺社普請 は制禁を
用 に加え、印札、入札、弟子の加入などに重点が置かれ
るているが、特に一つの規定 に関す ることを、他の条文
よく守 り、小修理で も奉行所へ願 い、それが済 まないう
で何度 も繰 り返 し述べているのが、後期における定書の
ちは細工を しないとしている。
特徴で、そのために条文数 も増 している。同一の事項を
他の組 も含めて見てみ ると、寺社 ・百姓家の御制禁 は
何度 も述べるのは、それだけその組 において問題 となっ
守 る、境内の鎮守 ・土蔵のほか、修復 は大小 にかかわ ら
ていることと考え られることか ら、各組の利害関係 に重
ず届ける、不明なときには伺い、下知を受 けて細工を行
点が置かれたことが分かる。 この時期 は、元禄期に整備
う、小 さな造作で も、組役へ申 し出て相談の上で行 う、
された定書が、各組独 自の ものとして変容 した時期 と考
寺社の制禁 は、心得違いがないように組頭 ・年寄へよ く
えることができる。
尋ねて我がままに しないなど、時代が下がるにつれて作
以下、 この表 -2の分類項 目に従 って、条文の分析 ・
事の内容が詳細 にわたって規制 されている。
1
9
世紀後)の太平寺組では、 これまで出され
天保期 (
検討を行 うことに したい。
1.公儀 に対する誓詞
た条 目や御制禁の趣 は守 り、「
新造者勿論建直修復等迄」
ここでは、公儀 に対する誓詞 として、公儀法度の遵守、
願いを出さずには細工 しないと、元禄期の ものに類似 し
御用勤仕の内容について検討を行 う。
た内容 となっている。
A:
公儀法度の遵守
百姓家作事制限の遵守
定書の第 1条に記 された百姓家 に関す る項 目が独立 した
1
6
6
8
) に江戸において
公儀の作事法度 は、寛文 8年 (
ものと考え られ、第 4条 において、「三間梁 よ り間延普
発令 された。その内容 は、貞享 3年 (
1
6
8
6
) には、
-
御法度之三間梁 より広キ望社 ・舎殿、破風 ・御
請井古家引直 シ」のように、普請 の規模 と種類が詳細 に
拝 ・舛形 ・組物、其他結構成作事、何方 より御願
記 されている。
候共、堅仕間鋪候 (
以下略)
普請願書の手続 き
のように、法度の内容が明示 されているが、元禄 5- 7
普請願書 は、元禄期の甲賀郡 と泉
州の大工組では、組頭の判形を得て提出するが、万木組
年 (
1
6
9
2-9
4
)では、
-
享保期 のこの制限 も、元禄期
・吉左衛門組では組頭 または年寄が、享保期の福井組 ・
従御 公儀様御法度作事之趣、急度可相守 旨、
沌地組 において も、組頭 または年寄が押印 している。
度 々主水正様 より披仰付段、奉畏 (
以下略)
このような手続 きを経て提出された願書 は、中井役所
とあるだけで、その内容が示 されていない。
の裏書 を得 るまで細工 にかかることはで きない。 なお、
このことか ら、発令以来約 6年を経て、法度作事の内
許可がお りた後の変更の場合で も、再度願書を提出 し、
容が各国大工組下 まで定着 していることが窺われる。以
許可がおりるまで細工 にかかることを禁 じている。
後、作事法度の明記 はないが、規制 は寺社方 ・百姓家に
違 反
分 けて詳細 に規定 されるようになる。
に対 し、向寄での吟味を申 しつけているが、元禄 5年以
寺社万作事制限の遵守
貞享 3年の 「申渡」では、作事法度の違反者
寺社万作事制限について、享
後 は、「
組中」「
仲 ケ間」 によ 1'
て相互 に吟味を行 い、
1
8世紀前)の福井 ・沌池組では、第 3条において
保期 (
「
相背 たる細工堅仕問敷」 ように、事前 の防止 に努 める
以下のように触れ られている。
とともに、違反者 はたとえ親子兄弟 といえども仲間に隠
-
寺社方造作之儀者、前々より被為
さないと、違反大工の摘発 も厳 しく行われている。
仰出候御法
嘉永期の太平寺組では、互 いに吟味を行い、少 しの違
度書之通、急度奉相守、少茂違背仕間鋪候事
すなわち、 これまで出された法度をよ く守 り、違反の
反細工 もしないように しているが、 この史料 は、株仲間
1
7
ないようにとしている。 この条文の内容は、元禄期 (
再興後の もので、大工組が単なる同業者的な性格を帯 び
世紀末)の定書の第 1条に、「
新造 -不及 中 二壊 シ建直
ることにより、組織 としての結束力が衰退す るとともに、
シニ而 も窺可申候」
、「
寺社方-不申及」 と、文中に掲げ
株仲間解散以前 の規制がゆるんだため、再確認の意味で
(6)
-5
5-
植松 ・谷 :中井家支配下の定書
出されたと推察 され る。
合 には、仲間大工 が助 け合 い、施主 に迷惑 をか けないよ
以上 のよ うに、作事法度 の周知徹底、普請願書 の提出、
うにす る、 また、仲間大工 を差 し置 いて、他組大工 や無
事前の組中相互 の吟味 と違反者 の摘発が、法度違反 の減
役大工が入 って細工 をすれば、棟梁大工 の越度 としてい
少につなが った もの と考え られ る。
ることか ら、 この地域 における、他組 ・無役大工 の活発
B:御用勤仕
な活動が窺われ るが、浅井郡大工組で はこの規定 は見 ら
元禄期の御用勤仕 に関す る記述 は、近江、摂津、泉州
れない。
と隔た りがあるものの、「
御用之儀 二付京都 へ披召 寄義
施主への迷惑
在之候- ゝ、昼夜 こか さらす罷登 り、御意之趣承可 申候、
も入札で も、少 しも手支 えがないよ うに勤 め る。享保期
下線 :筆者、以下 同 じ) と、 ま っ
尤遅滞仕間敷候事 」(
の福井 ・沌地組で は、請負細工 に差 し支えがあれば仲間
元禄期で は、施主 に対 しては、雇 いで
た く同一 の文言であ る。 これは諸役免除の反対給付 とな
で助 け合 い、施主 に迷惑 をかけないと しているが、浅井
るものであるか ら、病気や大工高を持 っているが現在休
郡ではこの規定 はない。享和期の福井組では、差 し支え
職中の者 も、「
前 々通」 り代人を出す ことが決 め られて
があれば 「
其節申談」じ、差 し支 えにな らないよ うに取
いた 。
り計 らうとしてい る。文化期 の蒲生郡大工組で は、出入
享保期で は、福井 ・沌地組が 「
御用之儀ハ勿論、不依
大工 に故障などが あれば、替 わ りの大工 を差 し出 し、差
何事 ニ」京都へ召喚 された ら、昼夜 に限 らず遅滞 な く上
し支えがないよ うにす る。天保期 の太平寺組で は、役大
京す るとしている。同時期 の浅井郡大工組で は、 この規
工 だか らと 「
権威 ケ間敷」 ことな ど、施主へ不実 をせず
定を第 1条 に掲 げ、「御用方ハ勿論、 従主 水様 披召 登儀
に、作事 も手支えのないよ うに正路 に行 うことなどが規
御座候- ゝ」 と、文言 に違 いが見え る。 これ は、組成立
定 されている。
の事情 に関係す るもの と推察 され る●10。 天保期 の太平寺
無役大工 ・他国大工 など
組で も、「
御作事御用 二不限、役前之 ものを始 呼 出」 さ
普請主が無役大工 を雇 っている場合 には、組 の仕来 た り
天明期 の甲賀郡 の三組 で は、
れた ら、 日限 に遅れず に上京す ると、元禄期 に比 して召
を申 し聞かせて 「差返 し」、仲間大工 を派遣 して完成 さ
喚の条件 に変化が見 られ る。
せ るが、普請主が得心 しない ときは、役所へ伺 い下知 を
古橋組大工職之義ハ」、
安永期以降で は、第 1条で、「
受 ける。 さらに、仲間 も無役大工 や他国大工 を雇わない
「甲賀郡三組大工仲間之儀者」 のよ うに、 最 初 に組 名 を
ことを申 し合わせている。正徳期 の古橋組で は、大規模
示 し、公用第- に勤 め る、続 いて、法度作事 を守 るとい
な工事を請 け負 い、人手不足 の際、組中に手透 き大工が
う共通 した構成 とな り、京都召喚 に関す る記述 は見 られ
いない場合に限 り外か ら雇 う、文化期で は、素人を雇 っ
な くな る。
て細工 をさせてい る者 を見れば、 向寄 よ り組頭へ申 し出
2.組 内に対する規定
て、組役が処罰す る、 また、文政期 の横江組で は、組頭
・年寄の差 し図 によると、他 か らの参入を極力排除す る
ここで は、組内 に対す る規定 として、大工仕事 に関す
努力を している。
る規定、組仲間運用規定の内容 につ いて検討 を行 う。
C:
大工仕事 に関す る規定
(2)作
料
作料 については、元禄期 で は、 甲賀郡大工組 が最 も詳
大工仕事 に関す る規定 は、対雇主 と大工間 に分 けて見
細 に規定 している。すなわち、 これ まで は米 6台桝 で 7
てい くことにす る。
l 対雇主
升ずっであ ったが、 その後、相対 で 1匁 5分の払 い取 り
(1)雇 い
にな った。同時期 の他の組 では」「遠近 によ らず先様相
対次第世間並」 に致 し少 しも我が ままをいわない と、同
雇いに関す る規定 は、元禄 ・享保期 に多 く、 それ以後
一文言であるが、具体的 な額 は示 されていない。
はあま り見 られない。規定内容を示す文言 は、元禄期で
は地域的な隔た りがあ るものの、 ほぼ同一である. すな
古橋組では、正徳期 に 「
相定之通高下有間敷事」 とあ
わち、遠方 よ りの雇 いについては手透 き次第 に参 り、手
り、その額 は不明であるが、作料規定 の存在が判明す る。
透 きがない ときには組頭へ申 し出て、組内で くじ引 きを
河州六組では、以前か ら作料 を高下 を しないとの取 り決
行 って派遣者 を決定す ると している。 このよ うに、 くじ
めがあ った ●11
が、古橋組で は元文 3年 (
1
7
3
8) に、 「近
で派遣者 を決定す るの は、雇主 に対 して大工 の立場 の優
年諸色高直二罷成候二付、組大工共」 の難儀を理 由に、
位性を示す反面、誰 を送 って もある程度の仕事 がで きる
組一統で作料 を 2匁 7分 に値上 げす ることを中井役所 に
とい う、均質化 された大工技量 の存在が推察 され る。
申請 している●12。
享保期の福井 ・沌地組で は、「時節 二応 シ世 間並 を以
享保期の福井 ・沌地組では、請負で手支えがあ った場
(7)
- 5
6-
生活環境学科
古橋組では、正徳期に素人による細工が多 くあ ったよ
相対」の上で決め られていたが、享和期になると、「
前々
うで、そのため、素人で我がままに細工す る者があれば
より披為仰渡相定之通 り」 と作料が統一 されている。
文化期の蒲生郡大工組では、文化 1年 に 「
銀二匁三分、
急度止めるとの申 し合わせがで きている。同組 は、農村
飯代-匁」 は従前か ら定まっているか ら、値下げを した
大工組 とはいえ大坂近郊 に位置 し、大都市の多様 な影響
り増銀などを請求すれば、役所へ申 し上げるとしている。
を直接 に受 ける地域 にあ り、発達 した大工道具を用いれ
元禄期で は、拾物 は食事を示 していたが、 ここでは飯代
ば、素人で も 「
容易に下級大工 の域 に近づ くことができ」
●
1
4
、簡単に賃仕事がで きる需要のあ った ことは想像 に
として金銭で支払 われている。
難 くない。
以上のように、元禄 ・享保期 に世間並に相対を もって
文化期の蒲生郡大工組では、地組大工 ・素人 ・指物屋
決め られていた作料が、「
相定之通」 と規定 されるのは、
組織の確立 につれて、組内での統一をとる必要のためと
などが、建具や宮殿 ・神輿などの仕事を行 って問題が起
推察 され る。なお、古橋組では、作料の規定 はすでに正
きたときには、「向寄 より差留」 め、下 にて済 まない と
徳期 にみ られるが、 これは後述す る大坂大工などの入 り
きは、役所へ申 し上げて下知を受 けるとしている。
込みが関係 しているものと推察 され る。
支配内大工
場へ他か ら入 る、年輩の大工が細工を横取 りす る●
1
5
、組
大工間
日
支配内大工の入 り込みには、他人の紬工
(1)入 り込み
内大工の出入場所に縁類や念頃を頼んだ り、寺社では寄
入 り込みは、大工仕事 に関わ らず、あらゆる職域 にお
進 と称 して入 る、出入大工がいる場所へ不意 に行 って細
いて、江戸時代の全般 にわたってみ られるが、その要因
工を請 け負 う、年来の大工がいる所へ我がままに立 ち入
として、入札の一般化、高 い技術、職人の増加 とそれに
るなど、多 くの種類がある。
特に、安永期以降の古橋組では、在方 の素人か ら出入
伴 う仕事 の減少などによる、競争原理の発露が掲げ られ
る。
大工 はいないと聞かされて、確認を しないで細工 を行 う
特 に、古橋組 における大坂大工 の入 り込みでは新築工
場合があるが、今後 はそのようなことがないようによく
事が多 く、地元大工 に大 きな影響 を与えた ●13ように、入
調べ、組頭に尋ねてか ら作事 にかかるよ うにと、組頭が
り込みに対する対応は、 どの組 において も大 きな課題で
出入 りにな らないように事前指導を行 っている。 さらに、
あった。
不明な点 は尋ね るとの ことか ら、組頭 に多 くの情報が集
入 り込みの作法
他国 ・他組へ入 り込む際には、所属
約 されていたことが判明する。 なお、同組 における入 り
大工組の組頭 もしくは年寄か らの送 り状 と印札を、相手
込みは、元禄∼享保期 にかけては他国 ・地組か らの もの
の組頭へ預 けて断 りを入れ るとともに、出入大工へ も届
が多 く、それ以後は組内部の ものが増加 している●16。
け、それが済めば故障がないよう、双方 より組頭へ届け
無断入 り込みの対処 は、各組で相違があるが、概ね元
る。 これに対 し、入 り込まれる側では、他組大工が細工
禄期には細工押えや道具 の取 り上 げ●
1
7
、享保期 には細工
に釆た ら向寄の組頭へ様子 を届 け、組頭より相手の組頭
の差 し止め、和談、細工 の継続 ■18、文政期では差 し止め
へ書 き付 けを届 け合い、その場所の組頭の差 し図を受 け
るが、やめないときには役所へ届 けて指示を受 け、理不
るなどの対応を示 している。
尽な道具などの取 り上 げはしないと、緩和の傾向にある。
これ らの手順か ら、無断の入 り込みや出入 りを未然に
子細があって入 り込む際は、既述の作法に準ず るが、
防 ぐとともに、組大工の立場を守 ろうとす る努力が窺わ
享和期の高島郡 の大工組のように、相対 を もって、 「
工
れる。
科之内二而手間壱割之入 口銭」 を出す場合 もある。 これ
他国大工 ・他組大工 ・他職など
正当な手続 さを踏ん
は、入札が一般化 して、他か らの入 り込みが頻繁 になっ
だ入 り込みは認め られるものの、組の統制 と仕事の確保
たための対応策 と考え られる。
などか ら、地元 としては排除 したいとの気持ちが強 く、
得意先譲 り
元禄 ・享保期では、他国大工 と 「
一所二細工仕事」を し
も認め られていて、それを譲 り受 けることは以後の仕事
出入場の権利 は、たとえ休職中であって
た り、弟子にすることを禁止 している。享和期の福井組
の確保が容易になる。・
そのため、金銭的な価値が付いて、
では、無役 ・他国 ・船大工 などを雇い、細工場所で働か
譲渡の対象 として扱われるようになる。
古橋組における得意先譲 りの金額 は、寛政1
1
年
せた りした者 は、見つけ次第、職分召 し放 しを要求する
(
1
7
9
9
)
としていることか ら、組内にも他国大工を受け入れる者
で銀1
0
匁 ●19、天保 7年で 3分 ●20
のように一定 しない. ま
がいたこと、 またこれ らの入 り込みが、組の運営に支障
た、寛政1
1
年 に銀1
1
0
匁 7分を負担 して仁和寺村 への出
をきたす問題 とな っていた ことが判明する。
入 りの権利を得ている例 もあり.21、得意先譲 りには個人
(8)
植松 ・谷 :中井家支配下の定書
の出入 り先を譲 る場合 と、村への出入 りの権利を譲 る場
戸 ・障子
合のあったことが分かる●22。
- 5
7-
元禄期 と、享保期では浅井郡大工組が、大
工 の戸障子などの店売 りに組中の大工 を雇 うと し、建具
(2)細工の作法
細工が大工職の範噂であ ったことが分か る。古橋組では、
仕事上の トラブルを防 ぎ、組の運営を順調 に行 うには、
大工相互が我がままをせず、定書の条項をよ く守 る必要
天保期以降 「
居向寄大工下建具職之分」 などと して、独
立 した建具職の存在が確認 され る。建具 のほかに、水車
があ った。作法 は、 そのための礼儀であるが、作法が乱
・油〆などの農耕用具の修理や細工 なども大工が行 って
され相論 になり、双方 ともに細工が差 し止め られ る場合
いるが、 このよ うな職域の広 さが、専門職の独立 を遅れ
もあ り、禁止条項の多 さが違反の多 さを物語 っていると
させた原因の一つ に掲 げ られよ う。
もいえ る。
素人 と馴れ合わない
下請負の禁止
これは、安永期以降の古橋組や、
元禄期 と、享保期 の浅井郡大工組 には
天明期の甲賀郡の三組 などに見 られ る条文で、入札の際
この条文 は見えないが、同時期の福井 ・沌地組で は、材
に、下値に して素人 と馴れ合 いでのせ り落 しは禁止 され
木屋が普請一式を請 け負い、それを大工 に下請 けさせて
ている。値下 げをす るのは仕事確保のためで、 そのため
いる場合には、仕様指図を改め、普請を差 し止める。安
に手間賃の安 い無役大工や素人が雇われた。施主の立場
永期以降の古橋組で は、材木屋、古道具屋の下請負の禁
か らみると、賃金が安 く好都合であるが、組織 としては
止、天明期の甲賀郡 の三組では、施主 より家建て一式を
統率の乱れを引 き起 こした。
頼 まれて も、竹木その他を一式 に受 け取 ることはで きな
このような現象 は、大工が技術者集団 としてみ られて
い、組中相談のう えで請 け負 う、享和期以降の横江組で
いた元禄期には余 り見 られない。時代が下が り、社会が
は、材木屋、柚、木挽などの下請負の禁止を掲げている。
求める大工の需要 に対 して、供給側である大工組 の対応
他職 の下請 けを しないことで、大工の職域を明確 にす
が追いっかず、その空隙をぬ って素人や不奉公弟子、.
組
るとともに、施主 と大工 との立場を確保 しつつ、組織の
除外者などによるかせ ぎが増加 したために、表 出 した も
統制を保持 している。
の と考え られる。
切 組
D :組仲間運用規定
切組 については、享保期の福井 ・沌地組では、
「
切組者堅仕間敷候」 と禁止 されてい るが、 同時期 の浅
組仲間適用規定では、仲間運用、加入、組頭 ・年寄な
井郡大工組では見 られない。
どに分けて見てい くことにす る。
古橋組では、切組 について安永期か ら詳細 に規定 して
l 組仲間
(1)寄 合
いるが、文言 はすべて同 じである。すなわち、支配外大
寄合には、太子講 ・春寄合などのように定期的な もの
工が切組普請を請 け負えば、その様子をただ し、評議を
行 った うえで役所へ伺 う。支配内の大工が役所の差紙を
と、相談事があれば寄 り合 う臨時 の ものとがあ り、前者
持 っていれば差 し支えがないので働かせ、そ うでない場
は組全体、後者 は向寄単位で行われ ることが多 い。
合には本人 ・組頭へかけあい、それですまない場合 には
太子講 は、正月 に組頭方で行われ、組員 は出席 して物
訴えると、支配外大工 と支配内大工、 さらに支配内大工
事 の評定を行い、がさつなことをせずに勤めていること
で も、正当な手続 さを踏んでいるか否かで対処の仕方を
か ら、組の大切な行事であることが分か る。
8日より向寄
文化期の蒲生郡大工組の春寄合 は、 1月1
区別 している。
順 に行われ、その際に、定書を組一統へ読み聞かせてい
蒲生郡大工組では、「
切組立売之普請」 の禁止、 他所
においてその地の大工 と馴れ合いで切組を請 け負い、細
る。 これは、組意識の確認 と高揚、抜 け駆 けの防止 など
工を してはな らないとしているが、技術の発達 によって、
の意味か らも、小 グループの方がその周知徹底 に効率的
手工業部門のほとん どが 「
注文による生産か ら売 り物 と
であるためであろ う。
しての生産へ という変化を経験 した」 ●2
3
ように、建築界
参
において も、合理的な生産 システムである、切組 による
された ら、 日限に遅れずに出席 して相談す るが、病気な
建て売 り普請が盛んに行われるようになった。
どで欠席す る場合 には、向寄年番へ届 けるほか、評議 に
加
組頭や年寄か らの参会触れが、向寄年番に出
欠席 した者 はその決定 に従 うなど、寄合への参加 は、構
地元大工 に してみれば、入札の一般化やそれに伴 う入
り込みの頻発で、多 くの仕事を他所大工 にとられている
成員の大 きな義務であ り、仲間 として槙の連絡 を取 り、
うえに、切組 によって、短期間で しか も安 い賃金で仕事
組 としての体制を整えて行 こうとす る姿勢が窺われ る。
をされたのでは、 よ り一層の不利 は免れないとい う危機
なお、無届 けの寄合や、徒党を組む ことは禁止 されて
いる。
感の表れが、切組の禁止へ とっなが ったと考 え られ る。
(9)
- 5
8-
生 活環境学科
以上 の ことか ら、寄合 は、大工組内の評議機関 として
酒 2升 と規定 されている。
弟子大工 に一代限 りの印札を交付す るため、中井家 は
位置づ け られていたことが分か る。
(2)入
用
倖 ・弟子 の名前 などを調べ させ●
2
6
、各組の状況をチェッ
クしている。
入用 には、年頭 ・八朔や定式などがあ り、必要 に応 じ
てその時々に徴収 していた。 しか し、順調 に行かず、 そ
弟子大工 は、公用の際には半役 を勤 めるが、普段 は出
の対策 として、正月の初参会 (
太子講)の折 りに持参 さ
入場を持つ大工 の下働 きが主な仕事で、 ここに、弟子大
せた り、享和期の福井組のように、割付銀の 日限に遅れ
工の位置付 けをみることがで きる。 また、新大工 の弟子
る者 は、向寄年寄へ印札を預 け、出銀次第 に返却 される
で、印札を受 けずに働かせ ることは禁止 されていること
ことを申 し合わせた組 もある●
2
4
。印札を預 けると仕事 に
か ら、新大工で も弟子を取 っていたことが分か る。 なお、
支障を きたす ことか ら、事実上 の仕事 の差 し止めと考 え
印札を受 けた件や弟子が別宅すれば、印札 は書 き改め ら
られ、印札 の価値の上昇が窺われ る。
れる。
所持 と返上
入用の金額 は、文化期の蒲生郡大工組で は 1人銀 2匁
印札不所持で組送 りのない大工や、同 じ
で、安政期 には 1人銀 2匁 4分、悼 ・弟子が 1匁 2分 と
く印札不所持の大工、件、弟子 は働かせない。紛失や破
6
年間で 4分の値上 げ ということは、 ほと
な っている。5
損 した場合には、組頭の差 し図を受 けた り、詫 びを入れ
ん ど不変 と考え られる。 また、悼 ・弟子の分を徴収 して
て再発行を願 っている●27。
1
8
5
1
)の株仲間再興後、 8年
いることか ら、嘉永 4年 (
大工 をやめた り、本人が死んだ場合には、組頭 の差 し
を経 た安政 7年の時点 において、同組では、倖 ・弟子の
図を受 けて印札 を返す ●28のは、弟子 の場合 も同様である。
増加 など、人員の構成 に変化のあ ったことが窺える。
このほか、「
職筋不時」 にて印札を取 り上 げ る場 合 もあ
支
った。
出
組入用 は、組の用件 による組頭 の上京費用、
改
臨時の際など、組 の維持などに関 して支出 される。 その
め
印札 の改めは、文化期 の横江組では、 1月 4
際に、天明期の甲賀郡の大工組や文政期の横江組のよう
日の年礼の際に行われたが、前回の改めか ら年数がたち、
に、組中 と相談の うえ組役人が行 う場合 と、安永期以降
0
月2
0
まざらわ しくな っているので、改めを行 うか ら、 1
の古橋組 のように組頭が行 う場合 とがある。前者では、
日までに印札 を集 めて持参 せ よ とい う中井家 の触 れか
組役人が組中 と相談の うえで行 うことか ら、民主的な組
ら●
2
9
、統一的な印札の改めは不定期であ ったと推察 され
運営が行われていたと考え られ る。 それに対 して後者で
る。
(4)入 札
は、組頭が取 り計 らうことか ら、組頭の権威が強 く、独
断的な運営が行われていた と推察 されるが、同組では、
入札 について は、 C分類の雇 いにおいて も掲げ られて
安永 8年か ら文政 3年 に至 る約4
0
年間条文の内容が変わ
いるが、 このD分類では、入札 に対す る手続 きなどの基
らず、組頭が行 う組の運営 について大 きな問題が起 きて
本的な姿勢を示 している。入札 による雇 いが一般的に行
いない。
われるようにな り、他国 ・他組大工などの入 り込 む機会
出入 りに要 した費用 は、享保期の福井組では本人が 3
が、 ますます増えたと推察 され る。
歩、組が 7歩を負担 し、享和期の同組では、出入などに
入札 に関 しては、正路 に行い、出入大工があるときは
よって役方が上京 した諸費用 は、双方折半 とした。
届けてよ く相談 してか ら行 う。外大工が落札すれば、そ
組内相互 に問題が発生 した時などの費用 は、 「不時」
の普請 に限 り立 ち入 りが許 され る。 その際に、 1割の口
の者が負担す るが、それが出入 りに発展 した場合には、
銭を出入大工へ出す場合 もあるが、 これ は居組大工 との
組割 りとし、他組 との出入 りの場合 には半分 は当人が負
摩擦をさけるためと考え られる。
担 して、残 りを仲間か ら出す。
日加 入
なお、支出の収支 については、入用勘定帳 は組中に公
無役大工 ・他国大工 ・素人
開 し、勝手な取 り計 らいを しないように している。
(3) 印 札
無役大工 の組入 り願 いが
あれば、元禄期 には、甲賀郡で は 「四組相談之上」、 泉
州では 「
組中相談之上」、古来の作法通 りに組入 りさせ
この規定 は、元禄 ・享保期 には見 られない。福井組で
る。甲賀郡で四組が足並みをそろえているのは、郡大工
は、天明 8年正月に印札の申請を行 ってお り◆25、享和元
組 とな っていたための組 の事情 によるものであろ う。 な
年 にも交付 されている。文政 3年 には、六 ヶ国一統へ も
お、古来の作法 とは具体的には不明であるが、組入 り希
公布 され、大切 に所持 し、親子弟子兄弟 といえども譲渡
望者や弟子をとる者 に対 し、年行事 ・年寄が、請人や宗
してはいけない、印札料 は1
0
0
疋、組頭への祝儀 と して
門などについて行 う吟味 に類す るものであろうと推察 さ
(
1
0
)
-5
9-
植松 ・谷 :中井家支配下の定書
れる。
組頭 ・年寄が中井役所の末端の行政機関 として位置付 け
享保期には、無役大工を吟味の うえ、公役を負担 させ
られ、機能 していたことが分か る。
ることを条件 に、仲間へ加えるようになるが、 さらに時
組頭 と年寄の関係 は、 甲賀郡 の大工組 ●
3
5
や新堂組 ・36の
代が下がると、支配外 ・他組の者 は、養子以外 は新規に
ように組頭が退転 し、年寄が組 を支配 している例 もみ ら
加入 させないとして再 び加入が困難 になる。
れ るが、退役す る年寄の後任を組頭が申 し渡 している・37
古橋組では、素人 と紛 らわ しい者 を弟子分 などとしな
ことか らも、基本的には組頭の補佐で、組頭の権限が強
いとしているが、 これ らの者 には、組の除名者や、親方
くなり地位が向上す るに したが って、その役割 の重要性
へ不奉公を した弟子 も含 まれるであろうと推察 され る。
が増 したと考え られる。
弟 子
この規定 は、元禄期や、享保期の摂津では見
組頭 ・年寄の仕事 は、普請願書への押印、作事 などの
られないが、 これ以降、各組 において詳細 に規定 されて
相談 と差 し図、他組大工 を雇 うための差 し図、組入用の
2
-3歳で ●30、前髪
いる。弟子が親方 に入門す る年齢 は1
徴収 と取 り計 らい、公用などの割 り付 け、組人数の正確
がのっている奉公人 は半人前、 1
6
-1
7
歳で元服 して成人
な把握など、種々雑多である。 しか し、年寄共が自分の
となる●31。 未成年者 を使用す る徒弟奉公には、低 い賃金
料簡で法度を申 し渡す ことはで きず、そのような越権行
で、雑用に便利な ●32はか、技術習得の意味あい●33の二面
為があった場合には、中井役所へ申 し出ることを指示 さ
性があ り、弟子を取 らない仲間に発展 は望 めない。大工
れている。
組において も、蒲生郡大工組のように、元服 した者 は弟
5 まとめ
子に取 らないと明記 した組 もある。
年季弟子 は証文を取 り、組中でよ く吟味 し、他の組 に
以上、各大工組 の定書を分析 ・検討 して きた結果を以
も支障がなければ ●34、決めた年限を組頭 ・年寄へ届 けた
下 のようにまとめ ることがで きる。
上で抱える。弟子の年季 は一定 していないが、甲賀郡の
公儀法度の遵守
0
年、蒲生郡大工組では、 1
0
年間
大工組では、前髪 より1
守、寺社方 ・百姓家の作事制限、普請願書の手続 き、違
の年季 に 1年間の礼奉公 と定めている。
反者への対応などが詳細 に規定 されている。 また、地域
初期の定書 は、第 1条で公儀法度遵
以下、弟子 に関す る事項を掲げると、年季内に不時が
的な隔たりがあって も、条文の文言や順位などに大差が
あれば職を差 し止めるが、無事勤めあげた者 は、年番へ
な く、多 くの共通点を もつ反面、細部 において独 自性が
届けて仲間帳面 に名前 を載せ、組頭へ届 けて印札を書 き
み られるのは、示 された雛形 の条文を、各組の事情 にあ
替える。場所所持大工 の弟子 は、仲間に入れて働かせ る。
わせて取捨選択 したためで、各組 に表出 した問題の解決
組入 りした ら、親方 より組中へ樽代 1両を、 さらに披露
に向けて払われた努力の結果 と して、固有の定書が成立
0
0
疋を受 け取 り、銀 1
5
0日をその年 より 3年間
金 として1
した。
分割に して組へ差 し出 し、一代限 りの細工がで きる。弟
中期の享保期には、地域経済の発達 に伴 う物価の変動、
0
年 に 5人限 りとす る
子大工 は弟子を取れない、弟子 は1
大工数の増加、建設状況 など、社会の大 きな変化 に伴 い、
これまでの定書で は各組の実状 に合わな くなった。すで
など、詳細 に規定 されている。
に、一律な定書で は仲間の管理がで きな くなるほどに、
これは組の構成人員を調整す るために、無制限に弟子
地域差が生 じて きたのである。 この時期の定書 は、第 1
大工が増すのを抑制 しているものと考え られ る。
条おいて法度遵守 のみが簡明に記 され、寺社方 ・百姓家
川 組頭 ・年寄
組頭の相続 は、貞享 3年の 「申渡」では、世継 ぎの件
普請 に関する事項 が、独立 した条文で示 されるようにな
がいれば向寄中で吟味を行い、実子 が不調法 もしくは枠
る。 これが、後の定書 にみ られ る、法度作事 に関す る条
がいない場合 には、向寄 ・組下で吟味 し、同職の者 を養
文が増加する原因の一つ と考え られ る。
子にす るか、組大工の内か ら器量のある者を推薦す るな
安永期以降では、第 1条の記載内容が公儀法度の遵守
ど、条件が整えば向寄での了承事項 になっていた。 これ
らのことか ら、組頭 は組員の支持がなければ成 り立 たな
か ら、「
公用第-」 を掲 げるよ うにな る。 その際 に組名
い、組中で後継者を吟味す るなど、組の運営 に民主的な
事 の減少による組織の形骸化を防止す るためであったと
一面のあったことが窺える。
推察 される。
を示すのは、希薄化 した仲間意識 の高揚を促 し、御用作
正徳期の古橋組や享保期の福井組では、組頭が組中に
後期の享和期以降では、法度の遵守、京都召喚、組頭
定書を出 し、 さらに後者では、組頭 ・年寄か ら申 し渡 さ
・年寄の扱いなど、多岐にわたる内容 に触れている。特
れたことは、「
何事不寄粗略二仕間敷」 とあることか ら、
に、組頭 ・年寄を粗略に しないことを誓約 していること
(
l
l
)
- 6
0-
生活環境学科
か ら、 中井家-組頭-年寄-組下大工 とい う、縦 の組織
られ るな ど、付加 され る要素 が多 くな り、重要 な意味 を
構成 が明確 にな り、役所 の機能 が円滑 に作動 す るととも
持 っ よ うにな った。
入札 は、 出入大工 があ るときは届 けて よ く相談 してか
に、支配下 の大工組 を系統 的 に掌握 して いる様子 が窺 わ
ら行 う。外大工 が落札す れば、 その普請 に限 り立 ち入 り
れ る。
が許 され るが、 その際 に、居組大工 との摩擦 を さけるた
嘉永期 で は、違 反細工 の防止 のために互 いに吟味す る
よ うにな るが、 これ は、大工組 と しての結束力が衰退 し、
めに 1割 の口銭 を出す。
無役大工 は、 むやみ に排除す るよ りも仲 間 に入 れて公
仲 間解散以前 の規制 がゆ るんだため と推察 され る。
この規定 は、 公儀法度 の遵守 のよ うに細分
用 を勤 め させ、組 の負担軽減 を はか って い る。 これ は、
化す る傾 向 はない。初期 に は、「御用之 儀 二付 」京 都 へ
大工個人 の利益 か ら組全体 の利益 を考 え る方 向 に、発想
呼 ばれた ら、昼夜 に限 らず遅 れず に上京 し、 その趣 を承
が転換 したため と考 え られ る。
御用勤仕
弟子 につ いて は、 中期以降、各組 にお いて、年 季、年
るとすべて同一 で あ るが、 それを示 す条文 の順位が異 な
齢、仲 間加入 な ど、詳細 な規定 が見 られ る。
って い る ことか ら、組 の事情 が組定 に反映 し、順位 に変
組頭 は、組員 の支持 の上 に成 り立 って お り、年 寄 は、
化 が生 じた もの と考 え られ る。
中期 の享保期 に は、「
御 用之儀 ハ勿論 、 不 依何 事 ニ」
組頭 の補佐的存在 であ ったが、組頭 の地 位 の向上 に と も
と召喚 の条件 が拡大 されて い るが、安永期以降で は京都
ない、 その重要性 が増 し、 中井役所 の末端 の行政 機関 と
へ の召喚 は示 されて いない。
して位 置づ け られていた。
初期 にみ られた雇 いに対 す る
以上 のよ うに、組仲間適用規定 で は、 中期以 降、寄合
詳細 な規定 は、 中期 の安永期以降で は余 りみ られない。
・入用 ・印札 ・入札 ・加 入 など、組織 の利益 に関 わ る規
その原因 と して、地元大工 の増加、 向寄構成 による仕事
定 が増加 し、定書 自体 が、大工仕事 や組 の運営 を 円滑 に
場 の明確化、手支 えの際の相互扶助 な ど、地元大工 が主
進 め るための規範 と して機能 す るよ うにな り、 日常 的 な
と して細工 に関わ るよ うにな った ことな どが考 え られ る。
大工活動 の支配 を 目指 した中井 家 の意図 を窺 うことがで
また、初期 には相対 で決 め られて いた作料 が、 中期 に
きる。 しか し、反面、定書 にお いて規制 され る事項 の多
大工仕事 に関す る規定
は 「
相定之通」 と規定 され るの は、組織 の確立 に伴 う統
さか ら、.
多 くの違反者 の存在 も窺 われ る。
大工組 の多 くの定書 が、「
度 々主水 正 様 よ り披 仰 付 」
一 の必要 のため と推察 され る。
入 り込 み に対 す る基本的 な対応 は、大工 の出入場 を守
のよ うに、 中井 家か ら繰返 し触 れ られて い るの は、周知
ろ うとす る もので、双方 で よ く届 け、無断で行わない こ
徹底 を図 るためであ る。 また、 同一地域 の組定 の変遷 を
とであ る。 出入場 の設定 は、仕事場 が確保 され る反面、
み ると、古橋組 のよ うに条文 の順位 に差異 が見 られ る も
仕事量 が固定 され ることにな る。仕事 を確保す るために、
のの、 内容 が長 期間 にわ た り変 わ って いない ものがあ り、
他人 の出入場 を譲 り受 ける ことか ら、 出入場 に金銭 的価
近世法度 の特徴 であ る、 「先行 の法度 が、 先 例 と して ま
値 が付加 され ることにな る。
たよるべ き参考法度 と して使用 され るよ うにな り、独 自
の機能 を果 たす よ うにな」●
3
8
って い ることか窺 え た.
以上 の よ うに、大工仕事 に関す る規定 で は、雇 い、作
料、入 り込 みの禁止 などの、個人 の利益 に関す る規定が
増加 した。
組仲間運 用規定
注
初期 に は、寄合 と入用 に関す る記述
あ り、組全体 や向寄単位 で行 われ、大工組 の評議機関 と
*1 藤井譲治編 『日本 の近世 3 支配 の しくみ」(中央
9
9
1
年1
1
月)
公論社、 1
して位置づ け られて いる。
*2 深谷克 己 r大系 日本 の歴史⑨
が主 であ る。寄合 には、定期的 な もの と、 臨時の ものが
9
9
3
年 4月)
(
小学館、 1
入用 に は、年頭 ・八朔 や定式 な どが あ り、徴収方法 は、
必要 に応 じて、正 月の初参会 の折 りな どの よ うに多様で、
徴収 の苦労 が窺 われ る。
士 農 工 商 の世 界』
*3 谷 直樹 『中井家大工支配 の研究 J(思文闇、平成
4年 2月)
入用 は、組 の維持 な どに関 して支 出 され、支 出に際 し
*4 川上貢 「摂津国福井大工組定書 につ いて」(日本建
て は、組 中 と相談 の うえ組役人 が行 う場合 と、組頭 が行
築学会近畿支部研究報告集 、昭和 5
1年 6月)、 吉 田
う場合が あ り、収支 は入用勘定帳 を組 中 に公開 して いる。
高子 「
近江国蒲生郡大工組 の定法書 につ いて 」 (日
中期 に は、 これ に印札 と入札 の規定 が加 わ る。 印札 は、
0年 1
0月)、
本建築学会大会学術講演梗概集、 昭 和 6
西
入 り込 み の際 に提 出す るほか、入用 の未払者 は取 り上 げ
(
1
2
)
和夫 「
相模国愛 甲郡半原村 の大 工 」 (川 上 貢 編
- 6
1-
植松 ・谷 :中井家支配下の定書
『
近世建築の生産組織 と技術』所収
中央公論美術
る。 また、公儀法度 に関す る事項 は、条文 に掲げず
9
年)、安部弁雄 「紀州 田辺大工仲間定
出版、昭和5
に前書で述べている。
*11中辻31
*12『平橋家大工組文書 目録』組関係一紙番号93(以下
『くち くまの』2
4
号所収、紀南文化財研究会、
書」(
昭和4
9
年1
2
月)
*5 上田家文書 については、川上貢氏 によ って、以下
「
一紙」 と略記
門真市史編纂室編 平成元年 3月)
*13古橋組の入 り込みについては、拙稿
に示すように詳細な研究がなされている。 「摂津国
「河州古橋組
福井大工組定書 について」(
前掲)のほか、「摂津国
における入 り込みについて (
大阪市立大学生活科学
大工組吉左衛門組について」(日本建築学会論文報
部紀要 ・第4
0
巻、1
9
9
2
年) を参照 されたい。
告集第2
4
4
号、昭和5
1
年 6月)、 「摂津国大工組吉左
*1
4『新訂建築学大系 41日本建築史』(
彰国社、昭和 4
衛門組の解体 と五組大工組の成立 」(日本建築学会
4
5
号、昭和5
1
年 7月)、 「摂津国嶋下
論文報告集第2
郡福井大工組 について」(日本建築学会論文報告集
第2
5
2
号、昭和5
2
年 2月)、「
摂州在方農家普請 と福
9
年 1月)
*1
5一紙5
7
*1
6*1
3に同 じ
*17-紙補54。 この史料 は年代が不明であ るが、 佃市
7
7
号、
井大工組大工」 (日本建築学会論文報告集第2
左衛門、田宮源之丞の連署 と、「午十 月廿九 日」 の
4
年 3月)などの、摂津の大工組 に関す る一連
昭和5
の研究。
*6 同家の史料 は、吉田高子氏に閲覧 させていただい
た (
以下 「中辻」 と略記)
。分類番号 は吉 田氏 によ
る。江州村上家文書 も同様である。
*7 史料NO.
2
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3
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4
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5
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6
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3
1
*8 N0.
9は、正徳期の ものでありなが ら、条文数 は 5
と少な く、内容的にも組運用規定がないなど、元禄
期以降の ものとしてはかたよりがあるが、古橋組 に
関す る残存史料中、最古の組定であること、 また、
同組の小組が機能 し、組の運営が軌道 にのるのが正
徳期 (
川上貢 「
古橋大工組 にみる大工職人の地域的
分布 と向寄の変遷」 大阪産業大学論集
7
号
編8
社会科学
1
9
9
2
.
3
)であることを考慮すると、同組最
古の定書 と推定 されるため、掲出 した。 また、同組
NO.
1
2
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2
0
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2
7
)は、 NO.
1
2を も
の これ以後の定書 (
とに条文の組み替えを行 った ものであるため、表に
日付か ら、元禄 3 正徳 4年頃の ものと推定 される。
-
*1
8一紙8
4
●
*1
9一紙2
1
5
2
8
*2
0一紙3
1
6
*2
1一紙2
*22得意先の性格 については、川上貢氏が *5「摂州在
方農家普請 と福井大工組大工」 において、福井組の
場合を明 らかにされている。
*2
3*2
に同 じ
*24*5川上貢 「摂津国嶋下郡福井大工組 について」
*25同上
*26中辻10
4
8
*2
7一紙3
*2
8一紙4
7
3ほか
*29中辻10
*3
0遠藤元男 『職人の歴史』(至文堂 昭和3
4
年)
*31*2に同 じ
*3
2*3
0に同 じ
*33 *2に同 じ
はNO.
1
2
のみを掲げ、他は省略 した。
*3
4一紙1
2
4ほか
*3
5*3に同 じ
*36吉田高子 『中井役所支配六箇国大工組 の構成形態
昭和6
2
年 5月)
と変遷 に関す る研究』(
*3
7一紙1
1
2
*38*1に同 じ
*9 同郡の大工組 は、元禄期には 4組で あ ったが、 天
明期には 3組 となり、組の構成 に変化があった。
*10同組 は、以前 は中井家の支配下 にあ ったが、 一時
期中絶 して支配外 となり、 この時期に再 び支配 に入
り、定帳を中井主水に提出 している。同時期の もの
が、宛先を 「中井主水御役人中」 としているのに対
し、同組では 「中井主水様」のみの記入 とな ってい
(
1
3
)
- 6
2-
生活環境学科
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